びじょとやじゅう   作:彩守 露水

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第40話「幻惑の花園」

「……。あっ、時間」

 

 長く伸びた最後の音を、ずり落とすような動きで指を鍵盤から離して切る。それから、ふぅと息を吐いて、ふっと時計に目をやった幸は、忘れないよう努めていたとある時間が迫っている事に気がついた。

 忙しない動きでキーボードを専用のバッグに詰めて、コードやアンプ、スピーカーなども片していく。犯人よろしく、その部屋から自分のいた痕跡をまるっと消し去った彼は、時間がギリギリ過ぎていない事を確認し、扉に手を掛けた。

 

「……お世話になりました」

「あっ、出てきた!」

 

 そんな大袈裟な言葉を礼として吐き彼が躍り出た先は、ずばり、『CiRCLE』のロビー。何故彼が、ハロハピのメンバーとではなく一人ここで練習をしていたかと言えば、それは美咲の提案によるものだった。昨日、反省会の途中で予期せず発覚した幸の家での練習時間を受けて、彼女がそう勧めたのだ。

 幸は自宅と違って他の楽器の打ち込み音源を流せたり、スピーカーに繋いでの練習ができ、『CiRCLE』側はどうしても空きがちな午前中のスタジオを埋める事が出来る。どうしてもっと早くに思い至らなかったのか不思議なほどの両得さに、彼らの間の関係は持ちかけてみれば、ものの一瞬で成立した。

 スタジオから姿を現した幸を見つけるや否や、受付をしていた月島まりながカウンターを飛び出して、彼の元へと駆けてくる。その様子だけを切り取れば労いの言葉でも掛けるのだろうか、とも思うが、何故か彼女の顔には危機迫る表情が張り付いていた。

 

「あ、月島さん。どうかされましたか?」

「もー、どうしたじゃないよ! 一回も休憩に出てこないんだもん、心配しちゃったよ」

 

 頬をぷりぷりとさせて、まりなは語気を強めた。

 彼、このスタジオをなんと朝の八時からずっと借りていた。現在が午後四時なので、時間にして実に八時間である。

 初め、しめしめとんだ上客だ、とほっこり顔をしていたまりなだったが、二時間、四時間と経つにつれて、閉じた状態を保ち続けた扉に不安を募らせていった。監視カメラを通して倒れたりしていない事だけは確認できていたのだが、それでもやはり心配で、彼女の映像のチェック頻度がいつもの数倍になってしまっていた。

 

「様子見てたのは三十分おき位だったからわかんないけど、ちゃんとお昼ご飯とか食べたの?」

「え、お昼――あっ!」

 

 しまった、とでも言いたげな反応に、まりなは頭を抱える。どうやら、彼女の危惧していた可能性が現実になってしまったようだった。

 

「まったく! しかもキミ、この後も五時からまた練習でしょ? そこのカフェテリアはご飯系もあるから。何か入れとかないと、身体もたないよ?」

 

 窓の外を指し示して、まりなは食事をとるよう促す。

 彼女の言葉の通り、幸は長時間したばかりだというのに、少しすればまた練習が控えていた。しかも、ただの練習ではない。ガルパ前日という事で執り行う、最後の合同練習だ。

 その内容は五バンドそれぞれと、最後にボーカル五人とはぐみ、麻弥、つぐみによる合同バンドの演奏という、通しのリハーサル。よって、普段の練習よりも演奏する時間自体は短いのだが、それでも万全でない体調で臨むなどという、共演者に失礼な事は出来ない。

 既に業務に戻ったまりなの背中にお礼を放ると幸は、急速に空腹を主張し出したお腹に手を当てて、店から出た。いや、出ようとした。

 

「あれ……優」

 

 だが彼が扉をくぐるより早く、逆に正面から店へ入ってきた者に呼びとめられた事で、その思惑は中途に終わる。

 幸は、声の元へと顔を向けた。長い艶のある黒髪に、ライトグリーンの瞳。身一つで、クールビューティーという単語を連想させるその容姿には、幸も見覚えがある。『Poppin'Party』のリードギター担当、花園たえその人だった

 

「え、優ちゃん?」

 

 ひょっこりと。たえの言葉につられてその背後から新たに少女が顔をのぞかせる。赤い瞳に、軽く跳ねた髪を持つ彼女は、その名を牛込りみといった。

 

「――あ、違うんだった。有咲がなんか言ってたのは……そうだ、キミは優の弟なんだよね?」

「お話、通ってたんですね。はい、はじめまして。その……いつもお姉ちゃんがお世話になっています」

 

 目の前に現れた二人へ、幸は挨拶の後に深々と頭を下げる。この二人と会うのは二度目であるが、やはりここでも、彼は初対面を装う必要があった。

 

「わわ、は、はじめまして! こちらこそ、優ちゃんにはいつもお世話になってるというか……」

「お世話……? 私たちと優は友達だから、お世話してるわけじゃないし、されてもないよ?」

「お、おたえちゃん、それはそうなんだけどね……? 言葉の綾って言うかなんていうか……」

 

 使い古された決まり文句に、とつぜん正論を突き付けられて、りみは口ごもる。どう説明したものか、と彼女が言葉を組み立てていると、それほど大きな興味はなかったのか、完成より前にたえは違う話を切り出した。

 

「そういえば、キミの名前なんだっけ? 有咲から聞いてたんだけど……ごめん、忘れちゃったや」

「おたえちゃん、失礼だよ? もう。えっと……確かコウくん、っていうんだったよね?」

「はい。お二人は花園さんと牛込さん……で合ってますか?」

「う、ん……合ってはいるんだけど……」

「なんか、変な感じだね」

 

 名前を呼ばれたたえとりみは、肯定の返事をしながらも、しかし何とも言えない表情をしている。優が普段、二人のことを『おたえ』、『りみ』のようにあだ名や呼び捨てで呼ぶため、その瓜二つの容姿で丁寧な呼び方をされるという違和感が尋常ではないようだ。

 そんな微妙な空気を引きずったまま、数十秒の静寂が流れる。幸とりみは人見知りが激しい部分があり、たえは沈黙が苦でないタイプかつ、ペラペラと話す性格でもない。そんな三人が挨拶というお手頃なタネを使い果たせば、こうなることは当然の結果だともいえた。

 そんな状況を打破しようと、幸とりみは話題を探して必死に頭を回す。そして、先に口を開いたのはりみの方だった。

 

「にしても、本当に優ちゃんとそっくりだよね?」

「そ、そうですか?」

「そうだよ! 優ちゃんと一緒で、すごくかわいい!」

「か、かわいい……ですか」

「うん、とってもかわいいよ!」

 

 だがその内容が、今度は幸の表情をなんとも言えないものへと変えた。

 幸のことを褒めちぎっている。りみとしてはそういった感覚なのであろうが、きちんと男であるという自覚のある彼にとっては『かわいい』という言葉は、それが褒めるものであったとしても、素直に喜べるものではなかったようだ。

 そんな彼の内心も露知らず、話が繋がったということに喜んでいる様子のりみは、笑顔でさらに話の輪を広げようとする。

 

「おたえちゃんも、そう思うよね?」

「うん、わかる。飼いたい」

「か、飼い……へっ?」

 

 そして飛び出た、理解を追いつかせないようなおたえの言葉。幸はもちろん、この時ばかりは、事務作業をしながら実は密かにカウンターで三人の会話に耳を傾けていたまりなまでもが、身体を硬直させた。

 おかまいなしに、たえは続ける。

 

「うーん、でもキミが入れる小屋がないから、やっぱり飼ってあげられないや。ごめんね?」

「い、いえ、大丈夫です……よ?」

「でも、いつかもっと大きいお家に買い換えたら、飼ってあげるから。その時は優も一緒でいいよ? あ、そうなったらお世話することになるね」

「あはは、おたえちゃんは冗談が上手だね」

「……? そうかな、自分ではそんな感じはしないけど」

 

 噛み合っているような噛み合っていないような、そんな会話が繰り広げられて、場が混迷を極める。脳がキャパシティオーバーを起こしそうになり、助けてくれ、と幸はそう内心で神に祈った。

 

 

「――お前ら、なにやってんだ?」

 

 そして、その受取先が神であったかはともかく、祈りは届いたようだ。

 

「あ、有咲だ」

「私もいるよー!」

 

 その救世主――有咲の姿をおたえが認めると、数分前の焼き直しのように、香澄が背後から現れる。

 そのまま香澄が幸の方へと話しかけにいく傍ら、有咲は難しい顔をして目の前の状況について考えていた。

 これがもしもたえと幸だけだったなら、彼女は躊躇なくたえが一方的に迷惑をかけているものと断定した。だが、常識人であるりみもいたとなれば……。

 

「なんにせよ、こんな入口の目の前で固まってちゃ邪魔でしょうがねぇ。ほらっ、お前ら寄れ寄れ」

 

 結論を後回しに、有咲は一同を通行人の邪魔にならない端へ押しやる。そのついでに有咲はりみから事情を聞こうとしたが、見れば彼女は香澄に捕まってしまっており、標的を幸へと変えた。

 

 

「よう、なんか状況よくわかってねぇからこの言葉で合ってるのか知んないけど……大丈夫だったか?」

「は、はい! 一応、なんとか……? そういえば、今日は別々でいらっしゃったんですね?」

 

 ポピパの五人はいつも一緒。優から話を聞く中でそんなイメージができあがってしまっていたがゆえ、幸は物珍しそうに有咲へと尋ねた。

 

「あー、まぁいつもは一緒に行くんだけどな」

 

 そこから続けて曰く、どうやら一日前に練習をした際に、香澄がピックを有咲の家の蔵に忘れたらしい。それを取りに帰るために、持ち主である香澄と家主である有咲は別行動をとったのだと。

 

「あと沙綾はオリジナルスイーツの関連で、なんか一旦家に帰るとかなんとか」

「オリジナルスイーツ……ですか?」

「あれ、知らないっけ?」

 

 有咲の言うオリジナルスイーツとは、まりなの考案した、ガルパの時だけ隣のカフェで提供するスイーツのことだ。会議中のりみの何気ない一言から、それを沙綾が担当することになり、彼女もパン屋の誇りに掛けて一度引き受けた以上は、ととても真剣に取り組んでいる。

 ちなみに、スイーツの他にオリジナルドリンクを提供する計画もあり、こちらは実家が喫茶店であるつぐみ、カフェ巡りが趣味の千聖や花音などが中心となって進めていた。

 

「なるほど、オリジナルのスイーツやドリンクを。そんなこともしてたんで――あっ」

 

 そんな飲食物の話をしたせいだろうか、幸の言葉を遮って、彼の腹の虫が唐突に声をあげた。不幸中の幸いで、その小さな音は近くにいた有咲にしか届かなかったようだが、それでも幸は瞬く間に顔を赤くする。

 

「ん? お腹すいてんのか?」

「はい、実はお昼を食べそびれてしまっていまして……。練習までに何か食べようかと思ったんですけど……」

「あー、なるほどな」

 

 どうしてたえたちがあのような傍迷惑な場所で立ち話をしていたのか。彼の言葉を聞いて、有咲はおおよその事情を察することができた。

 

「飯に行こうとしたところをおたえに捕まったと……」

「あ、あはははは……」

「マジですまんかった。行ってくれ」

「そ、それでは失礼します!」

 

 恥を原動力に逃げ出す幸は、それでも律儀に最後の一礼をしていくことを忘れない。やがて彼の姿が見えなくなると、有咲は大股でたえの前まで歩み寄ってこう言うのだった。

 

「おたえ、正座」

「え、やだけど?」

改行具合、どのように感じましたか?

  • 地の文間もっと開けた方がいい
  • セリフ間もっと開けた方が
  • 上記二つとも
  • 特に問題ない
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