びじょとやじゅう   作:彩守 露水

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第43話「解呪の美女」

「スイーツの搬入終わったのでサインお願いしますー!」

「すいませーん、真ん中のドリンクサーバーが故障してるみたいなんですけどー!」

「まりなさん、まりなさーん! 千聖ちゃんから連絡が――」

 

 バタバタと忙しない足音がいたる所から響いている。

 ガルパ本番もあと数時間となった今、現場の統括的な権限を持つまりなは方々から求められ、まさにひっぱりだこ状態。

 

「えっと、皆さんとても忙しそうですけど……」

「うん、そうだねー」

 

 そんな中、美咲と幸を含むハロハピのメンバーはロビーで、揃って椅子に座っていた。

 周囲の様子を見渡しながら、幸が美咲に話しかける。その態度は遠慮がち、言葉は尻切れトンボで、後ろに『手伝わなくていいのか』という旨が続くだろうことは想像に易かった。

 対して、美咲は気の抜けた返事をする。

 他の人たちが動いている中、何もしていないという居心地の悪さ。幸を苛むそういった類の感情を、彼女の方はどうやら抱いていないようだ。

 というのも、彼女たちはやるべきことを放っておいて談笑をしているわけではない。単純に、することがないから待機しているだけである。

 機材のセットなどを初めに、純粋なマンパワーが必要とされる仕事は午前のうちにあらかた終わっているのだ。いま各所で行われているのは、それぞれの担当でしかこなせないような業務ばかり。

 『むしろ、こころたちをこの場にとどめることで、いらぬトラブルを未然に防いで貢献しているくらい』とは、美咲の言だ。

 

「ふふ、美咲さんらしい考えですね」

「ん、そうかな?」

 

 そんなトンデモ理論を聞いて、幸が小さく笑む。その表情はとても柔らかく、何も悪くない、むしろ良いことなのだが、そこに美咲は少し違和感を覚えた。

 

「コウくん、調子よさげというか何ていうか……機嫌いい? てっきり、本番当日だから緊張してるかなって思ったんだけど」

「へっ!? そ、そうですか……?」

 

 そう指摘されて、幸は思わず両頬をムニムニとあらためる。もちろん、そんなことをしても自分の表情などわかるはずはないのだが。

 

「まだ時間があるから……ですかね?」

「直前になったらガチガチになってたりして」

「あら美咲ったら、そんなことを心配しているの? 大丈夫よ! そういう時はみんなで魔法の言葉を唱えるの! そうすれば、緊張なんてどこかに飛んでいっちゃうに違いないわ!」

「はいはい。まったく、能天気と言うか気楽と言うか……」

 

 ずずい、と。話に反応したこころが、その身体ごと話へ割り込んで来る。飛び出る言葉は相も変わらずなもので、美咲は呆れを通り越して感心さえ覚えるほどだった。

 三日前にあった、幸にとっては初のライブ。たしかに魔法の言葉は、彼をステージに立つことを助けた。他にも、ずっと引っ込み思案だった花音が、それのおかげで勇気を出して困難を乗り越えた場面だってたくさんあった。その力は、美咲も認めるところである。

 だがライブの件は、実際にはあかりという不測の要因によって偶然なんとかなったという面が大きい。

 ハロハピの一員としてずいぶんを過ごし、思考が染まってきたと言えども、やはり安定志向で現実主義な性格は彼女の根底を成すものであり、そういった部分が『安易に過信をすべきではない』と囁いていた。

 もちろん、こころの言う通りになるのならば、それに越したことはない、とわかってはいるのだが。

 

「おーい、みんなー! お願いしたいことがあるんだけど、ちょっといいかなー?」

 

 そのまましばらく談笑を続けていると、奥の扉からまりながやってきてロビーにいる者へ声を掛けた。その口ぶりは、美咲たちハロハピだけでなく、今ここにいる全員に対してのようだった。

 その内容は、周知しておきたいことがあるため、この場にいないメンバーを集めてきて欲しいというもの。なんでも、『Pastel*Palettes』のメンバーの一人である白鷺千聖が、急な仕事が入って本番に間に合わないかもしれないのだとか。

 依頼を承諾した美咲はまず、無駄手間を極力減らすために、グループチャットでメッセージを送った。わざわざここにいない全員を探さなくとも、これに反応の無かった人物だけを探せばよいという寸法だ。

 この広くはない施設の中。いくら方々に散らばっているとはいっても高は知れており、テラスで(たむろ)していた香澄、ステージで機材の様子を見ていた麻弥などを含む数人はすぐに呼び集められ、全員集合はすぐに叶った。

 

「――ということで、千聖ちゃんが遅れちゃう可能性があるから、『Afterglow』と順番を替わってもらいたいんだけど……どうかな?」

「問題ないよ」

 

 まりなからの提案に、蘭は短く返答をする。

 無事、目先の問題に一先ずの片がついたことで、ミーティングの題目はライブ本番周りの細かなことへ移る。

 途中、荷物を届けに来た業者の応対をするためにまりなが場を離れてしまったが、唯一の大人がいなくなっても、生徒会役員の経験を持つ紗夜がうまく場を取りまとめていた。

 ミーティングを終え、浮き上がった事項などを確認、調整し、準備においてすべてが万端だと言えるようになった頃。遂にライブの開始時間は四十分後にまで迫って来ていた。

 この時間にまでなると、気が早かったり、最前列を求める客などの姿がちらほら見え始めてきた。

 最近ようやく、まりなの他にも入ったたった一人の新人スタッフがチケット周りの業務を、人手不足から急遽雇った数人のバイトがドリンクの注文どりと提供をこなす。

 客が入り始めたとなれば、バンドのメンバーがいては騒ぎになる可能性があるため、一同はそそくさと楽屋の方へと移動した。

 内へ入ると、皆は各々で楽器の最終調整に着手する。作業中にも変わらずおしゃべりはしているのだが、そこはやはり本番直前。平時通りに振る舞っているように見えて、辺りには何ともいい難い緊張感が漂っていた。

 そして、ついに始まりの時がやってきた。

 

「よーし、じゃあ行ってきます!」

 

 一番手である『Poppin'Party』のメンバーが元気よく楽屋を出ていく。ふと気になって、部屋の角に取り付けられているモニターへ幸が目をやると、映っているのは空っぽのステージ。そして、それを一際目立たせる満員の客席だった。

 これは美咲以外の誰も知らないことだが、病院でのライブにあたって彼女は、意図的に宣伝を控えていた。それは幸を気遣ってのことであり、おかげで当日やってきていたのは、偶然居合わせた人や口コミでやってきた人などが主だった。もっとも、熱心にハロハピの情報を集めているような人には、それでも察知されてしまったようだが。

 それに比べて、今日ここへ来ているのはライブを、ひいてはバンドそのものを目的としている者たち。モニター越しにもかかわらずありありと感じられる熱意のようなものに、幸は画面に釘付けになった。

 

『ポピパパピポ――』

『パ~!!』

 

 そんな彼を現実に引き戻すように、香澄たち五人の声が耳に届く。それは、モニターと併設されたスピーカーからではなく、舞台袖での掛け声が通路を跳ねかえって直接やってきているようだった。

 

「お、香澄たちいい声出してるな!」

「見てください、戸山さんたち出てきたみたいッス!」

 

 麻弥の言葉に反応して全員の視線が集中する中、画面の向こう側で『Poppin'Party』のライブが始まった。

 

(わぁ……)

 

 この中でただ一人、リハーサルではない『Poppin'Party』の本当のライブを初めて見た幸はえも言えぬ感動を覚えた。見ているだけで心も身体も勝手に踊りだしてしまいそうなポップな音楽。そして何よりライブを――ともすれば観客よりも――楽しんでいることが一目でわかる笑顔。

 この演奏を直に見ることができないのが惜しい、そんな考えが自然と浮かんでくるほどに、彼は心惹かれていた。

 そして、その演奏に心を動かされていたのは彼だけではない。

 

(メンバー間で差はあれど、やはり演奏技術はそこそこ止まり。見たところ花園さんが最も腕前が高いようだけど、それでも完璧には程遠い。だというのに、一体これは……? 自己紹介の時も、ミニライブの時も、彼女たちは私たちにはないナニカを持っていると感じてしまうのは何故?)

「紗夜」

「湊さん……」

「しっかりと目に焼き付けておきましょう。きっと、頂点へ至るために必要な経験になるはずよ」

 

 ある者はその眼差しを真剣なものにする。

 

「……へぇ、悪くないね」

「蘭ってばメラメラしてきちゃったー?」

「別に、ポピパがどんなでもあたしたちはいつも通りやるだけだし。……って言いたいところだけど、正直、ちょっとあるかも……」

「おぉー、それならモカちゃんも、本気を出さなきゃいけませんなー」

「何言ってんの? あたしたちのライブでモカが本気じゃなかったことなんて、一度もないでしょ」

「え、あー……うん。でへへ、まーそうなんですけどもー?」

 

 またある者は、心の中で熱い炎を燃やしていた。

 

「かーくんたち、すっごい楽しそう!」

「そうだね、とても儚い演奏だ……」

「うーん、もう我慢できないわ! あたしたちも行きましょう!」

「さんせー! 行こう、こころん!」

「わぁ、それはダメだよぉ! 二人とも待って、待ってぇ!」

 

 また一部では、そんなやりとりもあった。

 

「ふぅ、まったく……。どう、コウくん、緊張しちゃってる?」

「あ、美咲さん。緊張は……どうなんでしょう?」

 

 幸は自分の胸に手をあてる。その奥では鼓動がドキドキとうるさいほど鳴っているが、そこに不快な感覚はなく、むしろもっと前向きなものに彼は感じた。

 

「それは多分、早くライブしたいー、ってコウくんの身体が言ってるんだと思うよ」

「そう、なんでしょうか?」

 

 美咲にそう言われて、それがなんとなく正しいのだと直感して。自分のことを自分の方が理解していないというのもおかしな話ではあるが、彼はとかく嬉しく感じた。

 

 そのうちに、『Poppin'Party』が最後の曲を奏で始めると、今度は『Afterglow』の面々が楽屋から出ていく。ステージ上の主役は代替わりをし、また趣向の違う熱い音楽が激しく世界を叩いた。

 その熱は聴く者へ伝播し、楽屋内全体のボルテージが高まる。しかし、演奏を終えて気分上々で帰ってきた香澄の一言が、その空気に一滴の冷たい雫を落とした。

 

「ただいまー! あれ、白鷺先輩はまだ来てないんですか?」

「はい、実はそうなんです……」

「千聖ちゃんなら仕事に穴を開けるようなことはしないだろうし、もうすぐ来るよ! ……たぶん」

 

 イヴを初め、『Pastel*Palettes』のメンバーは千聖を信じているようだが、同時にもしかしたら、という考えも捨てきれないようだった。

 

「千聖なら大丈夫さ。彼女は絶対に間にあう。私が保証するよ」

 

 続いて、昔からの付き合いだという薫もそこに同意する。

 白鷺千聖は絶対に仕事に穴を開けない。彼女に関わりのある人物の全員がそう思うのは、それだけ普段の振る舞いが素晴らしいものだからなのだろう。しかしそれが通じるのは、この場においては少数だというのが事実。現に美咲などは、もしもの時は自分たちと更に順番を入れ替えることも視野に入れていた。

 

「『Afterglow』の演奏が終わったら次のバンドまで十分の休憩時間がありましたよね? その開始時点で白鷺先輩が来てなかった場合は、あたしたちが先に出ようかなって思ってるんですが……どうです、彩先輩?」

「え、それは、えっと……」

「それより美咲! 千聖が遅れそうで大変なのはわかってるのだけど、それを言うならミッシェルもまだ来ていないわ! 何か聞いてないかしら?」

「あー、ミッシェルはね……。うん、順番がどうなるにしろライブが始まる五分前までには来るはずだから、心配ないよ」

 

 美咲の提案に答えが返されるより前に、こころが会話に割り込む。美咲が誤魔化しをする必要に駆られ、彩は彩で千聖の名誉を考えるとどう答えたものかと悩み、場がてんやわんやとしてきたそんな時。

 

「ごめんなさい、遅れたわ! まだ時間は大丈夫かしら?」

 

 まさしく、いま話題にあがっていた少女が楽屋の扉を勢いよく開けた。

 

「ち、千聖ちゃーん!」

「お疲れ様です、千聖さん。出番まであと十五分程ですけど、大丈夫ですか?」

 

 決して軽くはないはずのベースを背負って、きっとここまで走ってきたのだろう。肌の上に汗を滲ませながらも、しかし千聖は、どこまでも凛々しい態度でこう口にした。

 

「大丈夫。私は『Pastel*Palettes』の白鷺千聖よ。ステージに穴を開けたりしないわ」

 

 ちょうど、画面の奥では『Afterglow』の最後の曲が始まろうとしていた。

 

 

 

「いよいよだね、大丈夫?」

 

 時は少し経ち、いま美咲たちの目の前では『Pastel*Palettes』による演奏が繰り広げられていた。

 この曲が萎んで、溶けて、消えてしまえば、次は彼女たちの番がやってくる。もちろん、ミッシェルは装着済みだ。

 

「はい! ……でも、やっぱり緊張はしてます」

 

 脚を震わせながら、えへへ、と幸は力なく笑う。先の荒療治は完璧な効果をもたらしたとまではいかなかったようだが、それでも彼が今ここで地に足を着けているというだけで大きな意味があったといえるだろう。

 

「ありがとうございました! それでは、次は『ハロー、ハッピーワールド!』のみなさんです!」

 

 ボーカルとして精一杯歌いきった彩は、今度はアイドルとして、場の熱を逃がさないように言葉を残して捌けていく。

 その際彼女は、振り返って美咲たちに向かって可憐なウィンクとピースを決めてみせた。『繋ぎは完璧だよ!』とでも言いたいのだろう。その気遣いには素直に感謝する美咲だったが……。

 

(彩先輩、前……)

「え、わっ、わわっ――きゃん!」

 

 足元にあった機材に引っかかって転ぶ姿には苦笑いを浮かべるしかない。位置の問題で見えないにもかかわらず、客の大半――特に、丸山彩ををよく知る者たちは何が起こったかをおおよそ察しているようだった。

 

「はは、彩先輩ってば、ほんとにアイドルやってるっていうか……」

「でもおかげで、ちょっと緊張がほぐれたような気がします」

「そりゃいいや。よし、いこっか」

 

 幾分か軽くなった足取りで、六人はステージへと上がる。そして、それぞれの定位置につくと、アンプを繋いだり、高さを調節したりなど、テキパキと準備をする。

 

(うぅ……)

 

 その間、客席の多くの者の視線は、やはり幸へと注がれていた。今までずっと四人と一匹だった『ハロー、ハッピーワールド!』、そこに五人目が突如現れたとなれば、むしろ注目しない方が無理という話だ。一人で首を傾げる、隣にいる友達と推察をする、さまざまな行動が客席には見て取れた。

 

「みんなー! ハロー!」

『ハロー!』

「すごくいい声だわ! きっとこれまでのライブがとっても楽しかったからね!」

 

 マイクの高さを調整し終えたこころが、一足先に自由になり観客へ語りかける。純粋な作業量の問題で、こういった直前準備の時はドラムが一番時間を食うものであり、その差を埋めるためにこころが話をするのはハロハピの常であった。

 

「そうだ! 今日はみんなに紹介した人がいるの!」

「こころ、待った」

 

 一瞬の迷いもなく、開口一番にこころは幸を紹介しようとしたが、それは眼前に伸びてきた大きな手によって中途にされた。

 

「……? ミッシェル、どうかしたの?」

「その紹介、あたしがやってもいいかな?」

「んー……」

 

 だらしなく間延びした、普段の声ではない。それはどこまでも真剣な、()()の声だった。

 こころはミッシェルの顔を見つめる。目も、鼻も、口さえも、絶対に変化するはずのないその表情から、しかし彼女は何かを読みとったらしい。

 嬉しそうに笑って、それから大きく頷くと、マイクをギュッとミッシェルの手に握らせてこころは後ろへ下がった。

 

「あ、あー、コホン。えー、お騒がせしました。こころちゃんからマイク変わりまして、どーも皆さん、ミッシェルでーす」

 

 謝罪と挨拶、両方の意味を込めて頭を下げる。ただし、首の稼働域の問題でほんの僅かにだ。

 そのミッシェルの声は、まさしくミッシェルのものであった。

 

「こころちゃんも言ってたけど、今日はみんなに紹介したい子がいるんだー。この子は――っ!?」

 

 幸の両肩に手をのせ紹介をしようとしたミッシェルの言葉が不意に途切れる。タイミングだけを見るなら正体を強調するための溜めとも取れそうだが、それにしては沈黙があまりに長く、どうにも違うように思われた。

 

「美咲さん……?」

「――あ、失礼。この子はねー、ハロハピの()()()()()なんだ! みんな、仲良くしてあげてねー。ほら、自己紹介」

「は、はい! ご紹介にあずかりました、祖師谷……コウと申します。皆さま、よろしくお願いします!」

 

 心配をした幸が声を掛けると、ミッシェルはすぐに我に返って言葉を続ける。その沈黙が一体何だったのか、それを問いただす間もなく催促をされ、幸は丁寧すぎる言葉で自己紹介をした。

 その最後に合わせて彼がペコリとお辞儀をすると、会場には歓声が響き渡った。正直な話、幸が新メンバーであることは、こころたちと一緒になって現れた時点で観客もほとんど予測できたいたはずだ。それでも、演者が何か発表をすれば沸く、いわゆるお約束というものの一つである。

 

「コウちゃんはね、キーボードを弾いてくれるんだよー」

「コウはピアノがとっても上手なの! あたしたち『新生ハロー、ハッピーワールド!』の演奏で、みんなをとびっきりの笑顔にしてみせるわ!」

 

 『ね?』とこころがメンバーへ呼び掛けると、それぞれ肯定の返事をする。

 すると、花音の準備もようやく終わったようで、全員が楽器を構え、演奏の態勢にはいった。

 

「それじゃあ一曲目、いくわよー!」

 

 スティックによる軽快なカウントの後、演奏は始められた。

 

 

 

――――――――

 

 

『かんぱーい!!』

 

 コップ同士のぶつかる小気味よい音が、そこかしこから同時に鳴る。

 結果として、イベントは大成功であった。客の入りは普段の倍ではきかず、また今日限定のオリジナルメニューやドリンクの売り上げも上々。

 もともと関わりのあまりなかったバンド間でも関係が生まれ、金銭的な意味でも、そもそもの目的である『ガールズバンドを応援する』という意味でも、文句のつけようがない成果だと言えるだろう。

 現在は、あらかた片付けも終わり、ささやかな打ち上げを始めたところである。音頭のタイミングが合わないという小さなハプニングがありつつも、香澄の二度目の相図がきれいに決まり、一同は思い思いに行動をしだした。

 

「うぅ、疲れました……」

「お疲れさま、コウくん」

 

 身体の求めるまま、設けられた丸椅子に座った幸が飲み物を一気に呷ると、続いて花音がやってきて、その隣に腰を下ろした。

 

「花音さんも、お疲れさまでした」

「うん、ありがと」

「他の皆さんはどうされたんですか?」

「みんな、色んな人と話してるみたいだよ」

 

 例えば、と花音がある方向を指さす。

 

「こころーん! 今日のライブ、ドキドキで楽しかったね!」

「えぇ、そうね香澄! とってもドキドキで、すっごく楽しかったわ!」

「えっへへ、だよねー! あ、有咲は? 有咲もドキドキで楽しかったよねー?」

「あぁもう、うぜぇうぜぇ! 気にいったのはわかったから連呼すんな鬱陶しい!」

 

 そこには、楽しそうに騒ぐ香澄、有咲、こころの姿が。また、少し離れたところでは、三人の様子を見て沙綾がカラカラと笑っていたりもした。

 イベントのトリを飾る合同バンドが演奏した、『クインティプル☆すまいる』という曲の最後の歌詞。そこはずっと空欄で、本番の直前になって香澄が『ドキドキで楽しい!』と考案し、通ったのだが、どうやら彼女、そのフレーズがとても気に入ってしまったようだ。

 また別の方向を、花音が指差す。

 

「薫先輩、すっごくかっこよかったです!」

「ありがとう。君は確か……ひまりちゃん、だったかな? 先輩という事は……なるほど、君も羽丘の生徒だったんだね」

「はい! いつも遠巻きに見てるだけしかできませんでしたけど、それでも、ずっとファンでした!」

「ふふ、遠慮することなんてないさ。学校でも見かけたら、気軽に話しかけてくれていいんだよ」

「わぁ! ありがとうございます!」

 

 そちらでは、ひまりと薫が楽しげに話をしていた。

 

「はぐみちゃんは、あっちかな――って、え?」

「こーちゃん、これ見て見てー!」

 

 花音がはぐみを探し当てて指さそうとすると、本人は何かを片手にこちらへ駆けよって来ている最中だった。

 

「は、はぐみちゃん待ってぇ……っていうか、返してぇ……」

 

 その後ろを疲れた様子の彩が追って来ているのが、どうにも気になったが。

 

「これは、何ですか……?」

 

 はぐみが幸に差し出したのは一つの携帯端末。見れば、その画面にはSNSのものと思われる画面が映っていた。

 

「なんかね、彩先輩がえごさ? っていうのをしてて、今日のライブの感想とかが見れるんだって! こーちゃんのこと、いっぱい書かれてるよ!」

 

 はぐみが画面をスライドさせていくと、下から上に、どんどんと呟きが流れていく。彼女の言う通り、その中には幸について言及している内容のものが多く見受けられた。

 

(『ハロハピの新しい子めっちゃかわいかった!』『何か新メンバーの白い子、すごいちっちゃくてかわいかった! ぎゅーってしたくなる感じ。何歳くらいなのかな?』……)

 

 などなど。

 この恰好をするようになって、既に二週間弱。最初は抵抗のあった『かわいい』という褒め言葉にももはや慣れ始めてきたが、代わりに今度は姉に何か影響がいってしまわないかが心配になっていた。

 

「こら!」

 

 なおも色々な呟きを流し見していると、そんな声とともに、端末が突然消え去る。

 顔を上に向けると、携帯は彩の両腕の中に大事に抱えられていた。

 

「はぐみちゃん、見るのは別にいいけど、勝手に持っていっちゃダメでしょ!」

「う、ごめんなさい……」

「ううん、別に怒ってるわけじゃないの。あ、でもでも、次やったらほんとに怒るからね?」

「……はーい」

「うん、わかればよろしい」

 

 そう言うと彩は、はぐみの頭を優しく一撫でしてまた元の場所へ戻っていった。

 

「うぅ、はぐみやっちゃった……」

「だ、大丈夫ですよ。丸山さんも怒ってないって言ってましたし……。そうだ、はぐみさん、少しお話ししたいことがあるんですけど」

「……? お話しなら、はぐみたち今してるよ?」

「えっと、そういうことではなくて……。打ち上げが終わった後に話したいことがあるので、ちょっとだけお時間いただけませんか?」

「うーん、父ちゃんに訊いてみないとわからないけど、たぶん大丈夫だと思う!」

「花音さんはどうですか? できればハロハピの皆さん全員でお話ししたいんですけど……」

「私なら平気だよ。けどそれなら、こころちゃんたちにも確認しないとね」

「……あれ?」

 

 ここで幸はあることに気がつく。

 

(美咲さんは……?)

 

 奥沢美咲を見ていない。

 一度至ってしまえば、逆にどうしてここまで気がつかなかったのかが不思議なほど。いつだって隣にいて、それが当たり前になっていたその人物を、幸は周囲を見渡して探そうとする。

 だが、どうにも見つかる気配がない。次第に彼は、この部屋の中に美咲はいないのでは、と考えた。実際、『Afterglow』の蘭やモカなどは、打ち上げが始まってすぐ『騒がしい』と言って外へ行ってしまっていたし、他にもいつもまにか姿の見えなくなっている人物がちらほらといる。

 

「花音さん、美咲さんがどこに行ったか知りませんか?」

「えっ! み、美咲ちゃんは、その……えっとね……」

 

 花音なら知っているのでは、と幸は質問を投げかけるが、その返答は芳しくない。その態度を『知らない』と彼はとり、次はこの場で一番知っている可能性が高いまりなの許へと尋ねに向かった。

 そして、彼は衝撃の事実を知ることとなる。

 

「え、美咲ちゃん? 美咲ちゃんなら、大事な用事があるって帰ったよ?」

「……え?」

 

 曰く、それは打ち上げが始まるよりも、もっと前のことだったと。

 

 

 

 

――――――――

 

 

 東京のとある一角。住宅街の範囲内でありながらも、薄暗く、人通りも少ない寂れた路地。そんな辺鄙な場所にポツンと居酒屋が一つ、そして、その扉をくぐる二人の男の姿があった。

 どちらか、あるいは両方という可能性もあるが、この店には来慣れている様子。店内に入り、自分たち以外の客が誰ひとりとしていないことを確認すると、迷いない動きで店主と対面する位置にあるカウンター席へと座った。

 間もなくお手拭きが置かれると、そのまま適当にメニューのいくつかを注文する。そして店主が背を向けて調理を始めると、ようやく彼らは話をするのだった。

 

「お久しぶりです」

 

 先に口を開いたのは和服を着た、四十程度の男性。その名は祖師谷博則。つまり、優や幸の父親にあたる人物であった。

 

「そうですね。お久しぶりです、祖師谷さん」

 

 対するは、同じく服装は和風で、縁を上側にとった眼鏡が特徴的な男性。こちらの名字を、美竹といった。

 

「驚きましたよ。しばらくの間の稽古をすべてキャンセルなどと、突然言われるものですから」

「その節は、本当にご迷惑をおかけしました」

「いえいえ、きっと何か事情があったのでしょう?」

「えぇ、まぁ、そうなのですが……」

 

 事情ならば、確かにあった。だがそれは、祖師谷という家の中では大きく意味のある内容だとはいえ、外部の者からしてみれば、スケールの大きい親子喧嘩にすぎない。

 それに、内容だって家全体の将来に決して小さくない影響をもたらすものであったがゆえ、あまり深くまで話したくないというのが彼の本音であった。

 そんな内心を、どうやら相手方も感じとってくれたようで、それ以上の言及はなく、話題は異なるものへと移った。

 

「にしても、祖師谷さんとあのような場所で会うとは露ほどにも思いませんでしたよ。こういうのを何というのでしたかな、青天の霹靂……は少し違いますか」

「……瓢箪から駒、あたりでしょうか? 私もまったくの同感です」

 

 運ばれてきた酒をお猪口に移しながら、二人は笑いあう。

 この、互いに知り合いではありながらほとんど顔を合わせることはないという、絶妙な関係の二人を巡り合わせたのは、ライブハウス『CiRCLE』という場所。

 すべてのライブが終わり、散らかされた胸の内に苦しみながら建物を出た時、驚いた顔で博則に声を掛けたのが蘭の父親だった。ただの街中ならば、きっと軽く挨拶だけをして別れただろう。

 しかし、この場所、このタイミングで。気がつけば博則は、彼へ誘いを持ちかけていた。

 

「まさか美竹さんのご息女がバンドというものをしていたとは」

「お恥ずかしい話、それが原因で少し前まで娘と関係がギクシャクしていましてね」

 

 そう前置いて、話が始まる。運ばれてきた品を適度につまみつつ、話を最後まで聞き終えた博則は、入りの時点で予想した流れが、実際の展開とは程遠いものだったことに驚愕した。

 バンドが原因でいざこざがあったと聞いた時、彼が初めに思い描いたのは『バンドなどというチャラチャラしたものなど』だとか『華道の妨げになるようなものは』などと叱りつける構図だった。

 少なくとも自分が目の前の人物の立場――つまり、名家の現当主であり、たった一人しかいない子どもがバンドを始めた、という状況ならばそうしたはずだと彼は思う。

 彼の思考回路に則れば、それこそが正しい選択肢であったがため、相手の語った『中途半端だから』という理由には、目から鱗が落ちる思いであった。

 

(…………)

 

 酒にも肴にも手を着けず、博則はただ黙り、考え込む。いつもの彼なら、相手に失礼だと絶対にしない行為であったが、今そこまでの余裕はないようだった。

 

「……では、私はこの辺りで失礼します。少し用事がありますので」

 

 その様子を蘭の父親はしばらく静かに見守っていたが、やがておもむろに席を立つとそう告げた。

 

「えっ。……あぁ、わかりました。私はもう少しいるつもりですので、お会計はこちらが持ちましょう」

「そうですか? すいません、ご馳走になります」

「いえ、とても有意義なお話をきかせていただきましたから」

 

 世辞でも社交辞令でもなく、これは彼の本音だ。出入り口へと歩いていく背中に、わざわざ立ち上がって向き直ると深く頭を下げた。

 

「……一応、礼は受け取っておきます。けれど、何か意図があったわけではありませんよ。ただ私が聞いて欲しかった、それだけの話です」

 

 では、と最後に残して扉の向こうへ姿が消える。

 その言葉が事実なのかはわからない。実は何者かから事情を聞いていた可能性もあるし、更に言ってしまえば、短い時間で店を出たのも、本当は一人で考える時間が必要だ、と博則を気遣ったのかもしれない。

 その真偽を知るすべはないが、別にどちらだとしてもかまわない。彼は、心の中でもう一度感謝を述べた。

 

『のわっ!?』

 

 席に戻り、追加の注文でもしようと彼がメニューへ手を伸ばした時、扉の向こうから何かに驚いたような声が聞こえた。それは、たったいま出ていったばかりの人物のもの。

 まさか転げでもしただろうか、と急いで店を出ていこうと博則は、腰をあげたところでその動きを止める。固定されたその視線の先では、向こう側のうまく見通せないすりガラスに大きく影が掛かっていた。

 

「…………」

 

 そして扉が滑りだし、一定の所まで行くと一気に開け放たれる。その先に立っていたのは――。

 

「あ、どーもー。まだやってますー?」

 

 あまりに場違いな空気を纏い、陽気な言葉を吐きだす、桃色の獣だった。

 

「……は?」

「あ、やば、つまった。ん、ぬぉ……ふんっ!」

 

 あまりに突飛な展開に博則が呆けている間にも、ソレは身体に対して若干小さい入り口を、自身の頭部をいびつに歪めながら無理矢理に押し通り、ごく自然な動作で彼の隣に腰かけた。

 

「すいません、何かジュース類をもらえますか? できればストローつけて欲しいです」

「……ふぅ」

 

 椅子二つにまたがって座る獣が軽いノリで注文をすると、店主はまるで何も起こっていないかのように、オレンジジュースとストローを供した。訪問のことを事前に聞いていたのか、それともただ単に動じていないだけなのか。もしも後者なのだとすれば、その胆力は相当なものだ。

 そういった光景も手伝って、博則の中にも落ち着きというものが取り戻されつつあった。

 急な出来事だったが故に面を喰らってしまったが、冷静に考えればどうということはない。ソレは未知の存在でも何でもなく、ほんの数時間前に目にしていた者、ミッシェルなのだから。

 

「これはどういう真似だね? 奥沢美咲」

「えー、美咲ちゃんはここにはいないよー?」

「……この時間に未成年が、それもこのような場所に来ることは感心しないな」

「魔法のクマさんのミッシェルはたぶん百億万歳くらいなんで、問題ありませーん」

「…………」

 

 あくまで奥沢美咲として、彼はたしなめるように話しかけたが、そのどれにもまともな返事はされなかった。

 

「はぁ。悪いが一人でよく考えたいことがあるのだ。ふざけたいだけなら、私は帰らせてもらおう」

「――お話をしに来ました」

 

 付き合いきれないとばかりに博則が席を立とうとすると、途端に口調の鋭くなった言葉が飛び出して、彼を縫い付けた。

 

「なので、ね? 一旦座りましょう」

 

 言われるまま、彼は座り直す。その気になれば強行して店を出ることも可能であったが、この因縁はここで絶っておくべきだと、そう感じた。

 先に口を開いた――もっともミッシェルの口はいつだって開いているが――のは美咲の方。出された飲み物にはまだ口を着けず、無機質な瞳を隣へ向けた。

 

「どうでした? 今日のライブ」

「ライブ……か。それが話題なら、初めに一つ言っておきたいことがある。あの紹介は一体なんだ?」

 

 博則の目が険しいものになる。彼が言っているのはもちろん、ライブの初めに行った紹介のことだ。

 あの時、美咲は幸のことを『新しい仲間』であると大々的に発表した。それは、バンドをする許しを正式に出したわけではないことを考えると非常に身勝手な言動であり、そのことが彼は気にいらないようだ。

 

「あー、あれはですね……正直、素直に謝るしかないです。すいませんでした。最初はあんなこと言う予定じゃなかったんですけど……」

 

 果たして、これは本当のことであった。

 絶対にそうはさせないと意気込みながらも、やはりどこかで最悪のパターンを想定せずにはいられない性分の美咲は、大事をとって幸のことはサポートメンバーであると紹介する腹積もりだった。

 サポートメンバーとは、簡単に言えば人員が足りていない場合に臨時で入れる、仮のメンバーだ。

 こう言っておけば、悪い方に転んでも言い訳がきき、また良い方に進んでもサポートから正式なメンバーになったとすればいい。サポートメンバーが後になって正式に加入するというのは、バンド界隈では珍しくもないことであり、余計な疑いをもたれることもない最良の選択肢だとさえ言えるだろう。

 

「けど、そう言おうとした時に観客席にあなたのことを見つけたんです。その瞬間、イラッとした……というわけではないんですけど、なんかこうムキになっちゃったというか……。軽率だったな、とは思います」

「……なるほど、言い分は分かった」

「あ、でも安心してください。もしものことがあってコウくんがバンドを抜けなきゃいけないことになったら、あたしが責任もってどうにかするので」

「む……」

 

 『もしものことがあって』という、まるで幸がバンドに残ることの方が可能性として高いかのような物言い。

 その裏には自信と、覚悟と、そして少しの敵意が感じられ、ここでようやく彼は、目の前の少女がただ『お話』をしにきたわけではないことを理解する。

 抗議、談判、少しおおげさな表現なら『戦い』に来たと言ってもいい。博則は、いま自分がこの場ですべきことがわかった気がした。

 

「楽しかった、いい思い出になった……それではいけないのかね? 出会いがあれば別れがあるのは当然のこと。まさか知り合ったすべての人と、死ぬまでずっと一緒にいられるとは思っていないだろう?」

「もちろん。さすがにあたしたちも、そこまでバカじゃありません。ただ、とある人の言葉を借りるなら『弱いものを救い上げるだけでは十分ではない。その後も支えてやらなければ。』と、まぁ……つまり、そういうことです。あっ、その人も借りてるだけなので、正確には『また借りすれば』ですかね」

「……何を言っている?」

「別に完全にはわからなくても、なんとなくニュアンスは伝わったんじゃないですか?」

 

 もっとも、救ってあげたなどという意識は美咲の中にはなく、外聞を気にしない言い方をするなら、彼女がこうして行動をしているのは純粋に己の願望を叶えるためだ。だが、これくらいの意味のすれ違いは、言葉を引用する上ではよくあることだろう。

 博則の問いは続く。

 

「以前に会った時、君は言ったね。幸せかどうかは自分か決めるものだ、と」

「……そんなことも言ったかもしれませんね」

「そして、初めて会った時のあの子は幸せそうには見えなかった、とも。ならば、君から見て今のあいつは――」

「それ、意味あります?」

 

 初めて、美咲が言葉を遮るように声を発した。目上の大人に対してはあまりに無礼なことだって頭ではわかっていても、彼の言葉が美咲にはとても聞いていられないもので、そうせずにはいられなかった。

 

「そりゃあたしも人間ですから、そんな風に訊かれたら自分が有利なように答えるにきまってます。そんなのは無駄です。他人の意見なんかどうでもいい。あなたには、どう映ったんです? 今日のライブの、あの子の姿が」

 

 畳みかけるような勢いで、美咲は尋ねる。

 その理論は納得のいくもので、その問いは自分がうまく形にできなかった心の靄そのもので、博則は安易に答えを出せず、黙りこくった。

 まだ鮮明な記憶の中、固い表情で現れ、必死の様子で話し、とびきりの笑顔を湛えて指を動かす我が子の姿。

 それを形容できる言葉は、きっとそう多くはない。

 

「……きみは頭がいいな」

「はい?」

 

 沈黙の末に出てきた言葉に、美咲は首を傾げる。

 彼女の学校の成績は中の上程度であるし、これといって何か天才的に秀でた技能がある訳でもない。そして何より、それは問いの答えになっていなかったから。

 

「あぁ、勉強ができるとか、点数がとれるとか、そういうことを言っているわけではないのだ。考える力……とでも言うべきか。誰かに示してもらわなくとも、自分の力で答えを探してみせる能力がきみは高いように見える」

「……はぁ」

「そういう意味では、私は昔から頭がよくなくてな。親の示すまま、家を背負ってここまで生きてきて……。それが正しいことであると、ずっと信じて疑わなかった」

 

 厳しい生活管理も、稽古漬けの日常もすべて、必要だと思ったから課したこと。

 厳格に接してきた自覚はあったが、冷酷になったつもりはなく。

 彼はいつだって、誰よりも我が子のことを想っていた。

 

「はは。そんなだから、『自由が欲しい』と本人に直接言われるまで、何も気づいてあげられなかったのだろうな」

「――はい? え、ちょっと、今なんて言いました?」

 

 重い独白の中、サラリと軽く出てきた言葉に、美咲は目を剥いた。

 ここまでの真剣な雰囲気をすべて無に帰すほどの慌てぶりに、博則がくつくつと笑っているのが見えた。その笑みは普段の巌のような表情からは想像もできないほど無邪気なもので、美咲は強く思った。

 

――やられた!

 

「初めはてっきり、既に聞いていると思っていたのだがね。そうではないようだったので、少し意地の悪い真似をしてしまった。すまない」

「なーるほど、なるほど……。そういうこと。あー、もー! これ完っ全に骨折り損じゃないですか! ここに来るの死ぬほど緊張したんですよわかります!?」

 

 うがー! と、まるで本物のクマのごとく怒り狂う姿は、それでもやはりファンシーな外見のせいで微塵も怖くはない。

 美咲はひとしきり喚き散らすと、力なくカウンターに突っ伏し、ここまで手付かずだったオレンジジュースを一気に飲み干した。

 

「しかし、完全に草臥れ儲けというわけでもないぞ。きみはここで一つ、いいことを知れるのだから」

「……なんです?」

「いいか。あいつの――」

 

 囁かれたその情報は、確かに折った骨ほどの価値を持っていた。

改行具合、どのように感じましたか?

  • 地の文間もっと開けた方がいい
  • セリフ間もっと開けた方が
  • 上記二つとも
  • 特に問題ない

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