びじょとやじゅう   作:彩守 露水

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第44話「野獣の王子」

 祖師谷幸は、自宅の縁側に腰かけ、ただ夜の空の見上げていた。

 虫の声も、車の音も、何の騒がしさもない静かな世界。わだかまった内心を整理するには絶好に思える、そんな場所で。

 彼は、来るべき人を待っていた。

 

「や、コウくん」

「……お久しぶりです、美咲さん」

 

 足音なんかを忍ばせようともしないで、門の陰からひょいと現れた美咲は、いつも通りな彼女で以て声を掛ける。

 ただそれだけのことが、どうしようもなく、無性に嬉しく感じられて。ほんな数時間前には顔を合わせているというのに、幸は気付けばそう返してしまっていた。

 なにそれ、なんて小さく笑って、美咲は幸の隣にやってくる。肩が触れるだとか、そんな程度ではなく、腕も、腿も、ぴったりとくっついてしまう程の距離。

 夜の肌寒さに曝されていた二人には、互いの温もりが、とても心地よく感じられた。

 

「……ぜんぶ、ぜーんぶ聞きました。お姉ちゃんのこと、父様のこと、そして、美咲さんのこと」

「そっか、ぜーんぶか。なんだか小っ恥ずかしいね、それは」

「自分が情けないとか、やるせないとか、色々思いました。でもなにより、嬉しいって気持ちが溢れてきて。だから――ありがとうございます、美咲さん」

「……ん、どういたしまして」

 

 真実を知った時からずっと言いたかったこと。イベントの前に余計な事情は挟ませまいと、我慢に我慢を重ねた分の感情のすべてが、そこに詰まっていた。

 悲願という言葉が決して過剰ではないくらいに、幸が内で押さえつけていた望み。それが叶い、彼は胸がすく思いだった。

 

「ねぇ知ってた? あたしたちって、まだ出会ってから二週間も経ってないんだよ」

「言われてみれば、まだそれだけなんですね。なんだか、もっとずっと一緒にいたような、そんな気がしちゃいます」

「だよねー。あ、そうだ。あたしパクチーってすごい苦手なんだよね、コウくんはどう?」

「パクチー……ですか? すいません、食べたことがないので」

「そっかー。あたしはてんびん座なんだけどさ、コウくんは何座?」

「うお座ですけど……急にどうしたんですか?」

 

 何の前触れもなく、至極どうだっていいような内容の質問を何度も投げかけてくる美咲に、幸は首を傾げる。

 別にそれが悪いということはないのだが、その意図がどうにもわからなかった。

 

「この二週間、コウくんと色んなことをやったり話したりもしたけどさ。それは条件のためにやってたって部分が、やっぱり少なからずあったんだよね。もう難しいことなんてなーんにも考えなくていいんだって思うと、なんか逆にどうでもいい話がしたくなっちゃって」

「……なんだか、素敵ですね。それ」

「でしょ?」

 

 顔を見合わせ、同時にはにかむ。

 それから二人は、思いつく限りの他愛ない話をしつづけた。それは血液型だったり、はたまた目覚ましの時間であったり。

 

「……ふあぁ」

 

 もういくつ目になるかもわからない話題へ移ろうした時、幸がそれはそれは大きなあくびをした。

 

「あ、眠い?」

「そう、ですね……。少し眠たい感じがします……」

 

 それも無理はない話で。現在の時刻は午後十一時、いつもの彼ならとっくに眠りについている時間だ。

 眠りを求める身体と、まだまだ話していたい心。その両者の間で揺れているのだろう。数秒ごとに瞼を落としては目を擦る彼はどこからみても隙だらけで、美咲はその姿を見て何か思いついたらしく、にっと口角を釣り上げた。

 

「はい、どーん」

「へっ?」

 

 幸の肩を掴んで、美咲は自分の方へと引っぱる。ふわふわと、まるで力の入っていなかった彼の身体はされるがままにゆっくりと倒れ込み、美咲の腿に頭をのせるという形で収まった。

 

「美咲さん……?」

「眠いんでしょ。遠慮せずに寝ちゃっていいよ」

「僕がこのまま寝ちゃったら、美咲さん動けなくなっちゃいますよ? どうするつもりですか?」

「んー、その時は一晩中コウくんの寝顔でも眺めてようかな」

「もう、そんなこと言って!」

 

 不意の出来事があったからか、眠気が少し飛んでいる様子の幸だったが、それも束の間。しばらくすればまた、意識はまどろみに沈み始めたようだ。

 ところで、人間、半覚醒な状態では脳がうまく働かなかったりすることがある。思考が単純になったり、物事をすぐに忘れたり。

 だからそう、霞む視界が捉えた景色に、彼がこう口にしたのは、何を考えてということもないのだった。

 

「あー……美咲さん、月がとっても綺麗ですよ……」

「えっ」

「……?」

 

 素っ頓狂な声をあげて、美咲が動きを止める。

 その表情は、幸の中にあるいつだって年上の余裕を崩さないでいた少女のものとはかけ離れたものだった。

 

「あ、あの、さ……そ、それって、えっと……そういう?」

「そう……いう? あの、そういうとは一体どうい――あっ!!」

 

 美咲の言葉が指すことに気がついた瞬間、勢いよく起き上った幸は肝がスーッと冷えていくのをはっきりと感じる。かと思えば今度は急激に顔が熱くなり、彼は俗に言うパニック状態に陥っていた。

 

「え、ちっ、ちがっ! ほんと僕、何にも考えてなくて……! 確かに言ったんですけど、違くて! で、でも違うって言っても美咲さんが好きじゃないというわけではなくて、むしろ美咲さんのことは大好きですけど! だからっ、違うけどほんとは違くなくてっ! えっと、あの――美咲さんが好きです!」

「……?」

 

 人は、自分より慌てている人を見ると、逆に落ち着くと言う話がある。それはどうやら本当だったらしい。

 いっそ笑えるほどに慌てふためく幸を見ていると、段々と美咲は落ち着きを取り戻したが、その状態であっても彼の言葉を受け止め理解することは、容易にはできなかった。

 

(え、待って? もしかして今、あたし告白された?)

 

 そんなまさか。そう思って顔を横へ向ける。

 そこにいたのは身体を震わせて、目を固くつむった幸の姿。それが示すのはつまり、やはり、そういうことなのだろう。

 

「……ぷっ。あはは、あは、あははははははっ! そんな、そんな告白あるぅ!? どさくさにまぎれて、もののついでみたいにって、そんな……あははは!」

「わ、笑わないでくださいよ!」

「だって! あれはさすがにないでしょ! 百点満点で十点もあげられないよ! けど……うん、すごくらしかったとは思う、あははっ!」

 

 よほど彼女のツボにはまったのか。美咲はさらに二分ほど、笑っては深呼吸を繰り返して、ようやく落ち着きを取り戻した。

 

「あー、笑った笑った。……さてそれじゃ、形はどんなだったであれ、返事をしないとね」

 

 美咲の真剣なまなざしが、幸を射抜く。不意に恐怖が心の底から押し寄せて思わず目をつむってしまいたくなったが、彼は寸でのところでそれを耐えた。

 美咲が口を、開く。

 

「あたしも、キミが――祖師谷みゆき()のことが好き。大好きだよ」

 

 今の彼の表情は、果たしてなんと表せばよいのだろう。

 幸せに顔を染めて、跳ねるように驚いて、けどまたすぐに幸せ一色へ。そんなめまぐるしい変化が一瞬のうちにあって、最終的にはほっぺだけがぷくりとふくらみ、小さなお山をこさえていた。

 

「……その名前は女の子みたいで、ちょっとやです」

「そう? あたしは好きだけどなぁ。男はかっこよくて、女はかわいいもの……なんてのは、ただのステレオタイプだよ」

「でも……」

「でももなにもない! そんなかわいいキミに惚れちゃった人間が、ここにいるんだけど?」

 

 ジトリと、美咲の目が静かに抗議をする。それを言われてしまえば、幸には黙る以外に道があるはずもなかった。

 

「それは、お姉ちゃんから聞いたんですか?」

「ううん、お父さまの方だよ。意外かもしれないけどね」

(そういえば祖師谷さん、初めて会った時『コウくん』って呼び方にやけに驚いてたな)

 

 あの場ではそれらしい理由を説明されたが、実はそういうことだったのだろう。思い返してみれば、優が(みゆき)のことを名前で呼んでいるところを、美咲は見たことがなかった。

 それがわかると、今度はどうして教えてくれなかったのかと協力者に対し怒りがこみ上げてくるが、今はそれは置いておいて、美咲は一つ気になっていることを幸へ尋ねた。

 

「それで、なんだって幸は最初に『コウ』なんて名乗ったの?」

「それは――」

 

 幸は語る。

 彼は初め幸と書いて『コウ』と読む名前を持って生まれてくる予定だった。姉が優と書いて『ユウ』と読むことを思えば、なんらおかしくない名だ。ただしそれは、彼の母親が考えた名前であり、父の方は気にいらないものであったらしい。結果、話し合いの末に漢字をそのまま『幸』とし、代わりに読みを父の考案した『みゆき』としたのだとか。

 とは言っても、名前は名前。それによって何か不都合が生じることもなく、事実、本人もそれを気にすることのないまま生きてきた。

 変化があったのは本当に最近。稽古漬け生活をずっと続け、無意識のうちに不満が蓄積していったのか。気付けば彼は父親に対して苦手意識とも嫌悪感ともとれない微妙な感情を抱くようになっており、それと同時にその父親の意思によって決まったという自分の名前にも少し嫌なものを感じるようになってしまっていた。

 

「ハロハピの皆さんと出会ったのはちょうどそういう時期で……。あの時は正直、一日だけの関係だろうと思っていたので、つい……」

「なるほど……ね」

 

 美咲はそう相槌を打つだけで、それ以上深くは何も言わなかった。

 現時点で自分に言えることは何もないと彼女は感じていたし、なにより、今日の記憶から察するに、その問題はそう遠くない未来に消えてなくなってしまうものだろうから。

 

「そういえば幸は、この名前のことハロハピの皆に伝えるの?」

 

 名前、という話題から思いついたのか。美咲がそんな疑問を投げかけた。

 

「そのつもりでしたけど……」

「えっと、提案というかなんというか……。別に言う必要はないんじゃない? この二週間『コウ』って名前は結構定着しちゃったし、なんなら言ってもたぶん理解してもらえないだろうし。それに、万が一にでも変な風に受け取られたら、これ以上呼び名が増えちゃったりするかもでしょ?」

 

 何故か若干慌て気味に、美咲がそんなことを言う。

 確かに主張は的確だ。幸本人としても『コウ』という呼び方にもかなり慣れてしまっていたし、実際『コウ』と『優』の使い分けに頭が混乱したことも何度かあった。彼女の言う通りに、何かの間違いで一人三役でもこなさなければならなくなった日には頭が沸騰すること間違いなしだ。

 

「あとは、えっと……まぁ、今のところみゆき()って呼ぶのはあたしだけじゃん? ちょっと特別感が欲しいというか……うん」

 

 だが、最後に小さく口にしたそれこそが、まぎれもない彼女の本心に違いなかった。

 

「ふふ、そうですね。それもいいかも知れま――」

「みいぃぃゆきぃぃぃぃぃ!! おめでとう! お姉ちゃん嬉しいいぃぃ!!」

「わっ、もうお姉ちゃん!」

「あー……」

 

 しかし、突然背後から乱入してきた存在で美咲は思い出す。

 残念。彼女は家族の存在を算段に入れ忘れていた。

 

 

 

――――――――

 

 ガルパから一日が経ち、現在は日曜日。

 今日は、学校もないということでハロハピのメンバーは朝から弦巻邸に集まっていた。

 

「今日はみんなで宝探しをするわよー!」

「おー!」

 

 と言っても、バンドらしく演奏の練習をするというわけではない。一同は現在、こころの思いつきによって彼女の自室へ集められていた。

 

「こころん、宝探しっていうけど、何を探せばいいの?」

「今回みんなで探す宝物は、ずばりこれよ!」

 

 そう言って、こころが右手を高く掲げる。よく見てみれば、そこには一つの黄色いビー玉が握られていた。

 曰く、それは小さい頃にもらった宝物のビー玉で、同じデザインの色違いがあと六つ、この部屋の何処かにあるらしい。

 対象が小さなビー玉だというだけでも捜索は難航しそうだというのに、加えて、こころは楽しいと思った物や思い出の品をすべて置いておく癖がある。そのせいで部屋の中には季節も産地もバラバラな様々な物が散乱しており、それがミッションの達成をさらに困難にしていた。

 

「それじゃあ宝探し、スタートよ!」

 

 だが、難しいということは、ハロハピにとってそれをしない理由にはならない。

 こころの号令によって、六人はいくつかのグループに別れて捜索を開始した。

 

「ふんふふーん……あら、これは?」

「こころん、もう見つけたの⁉︎」

 

 それからおよそ五分。何かを見つけたような反応をしたこころのもとへ、はぐみが勢いよく駆け寄ってくる。

 

「いいえ、ビー玉ではないのだけど」

 

 だが、こころが手にしていたのはお目当てのビー玉ではなく、一冊の絵本だった。

 

「見てはぐみ、この表紙とあの二人、そっくりじゃないかしら!」

「えっ? ……わぁ、ほんとだ! そっくり!」

 

 無邪気に騒ぐこころたちが指さす先にいるのは、美咲と幸の二人。そして、その絵本の題名は『美女と野獣』といった。

 

 

 

「美女だってさ、幸。よかったじゃん」

「むぅ、それを言うなら、美咲さんは野獣らしいですけどね」




『の』という助詞には様々な用法があります。はたしてどちらが『解呪の美女』で、どちらが『野獣の王子』なのでしょうね。






ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
『びじょとやじゅう』これにて完結です。

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あなたの一手間、どうかお恵みください。
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  • セリフ間もっと開けた方が
  • 上記二つとも
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