「はい、じゃあ答案集めますねー。名前と番号確認するので、それまでは着席しておいてください」
担当教師の声が響き、テスト用紙が後方の席から順々に回されてゆく。
ただ今、昼の十二時二十五分。三連続の授業内テストがようやく終わった教室内は、死屍累々の様相を呈していた。
(うぅ……疲れた……。『五十点くらい取って来て!』って、お姉ちゃんも凄い事言うなぁ……)
優に代わってテストを受けた彼女の弟。大半の者が頭の働かせすぎでダウンしている中、彼だけは違った理由で机に突っ伏していた。もはや大学レベルの知識にまで手を掛けている彼にとっては、高校一年生のテスト程度は苦難に感じられず、むしろ適度に空白を作り、それらしいスペルミスや計算間違いをする事の方がよほど神経をすり減らせた。
そして神経をすり減らしたと言えば、もう一つ。長時間の性別的孤立に、彼はかなり堪えているようだった。
「二十九、三十……はい、オッケーです」
教師の確認が終わると同時に、終業のチャイムが鳴る。四限が終わればやってくるのは当然昼休み。その事実だけで、どんよりとしていたクラス全体が少しだけ明るくなった。
「あー、疲れたー!」
「やったー! お昼だー!」
「学食行こ」
「うん」
皆が思い思いに弁当を広げ、或いは教室を出て行く。今なら自然か、そう思って彼が席を立つと、位置的に視界の端の出来事であっただろうに、香澄がそれを目
「あ、優! 体調どう? マシになった? 何処行くの?」
「えっ、あー」
(女の人だらけに疲れたから、ちょっと一人になりたいな……なんて)
心では思えても、言える訳がなかった。今の自分は祖師谷優なのだと、そう自分に言い聞かせて彼は弱々しい笑みを作る。
「ちょ、ちょっと保健室に行こうかなーって」
「保健室!? ねぇ、保健委員って誰だっけ?」
「私ですよ、カスミさん。どうかしましたか?」
香澄の問いに名乗りを上げたのはクラスメイトの一人、若宮イヴ。日本人とフィンランド人を親を持つハーフの少女で、ここ花咲川の学生であると同時にアイドルという別の顔も持っている。そういった都合上、彼女が学校にいない日というのもそれなりの割合であるのだが、今日はどうやら登校していたようだ。
「あのね、優が保健室に行きたいらしいんだけど、一人にするのはちょっと不安だから……」
「なるほど、そういうことですか! でしたらカイシャクはお任せください!」
「か、介錯!?」
「……? どうかしましたか?」
とんでもない事を口走りながら、しかしイヴ本人は訳がわからないといった様子。彼女、日本語の流暢さはレベルとしてかなりのものだが、このように少しおかしな言葉を使う事がままあった。
「イヴ、介錯っていうのはちょっと違う気がするかな」
「そう、ですか……。もっとショウジンしますね!」
ちなみに、今では切腹を補助するという方ばかりが有名になってしまっているが、介錯という言葉は世話をするという意義もきちんと持っている。そういった意味では、イヴの言った事はあながち間違っているとも言えなかった。
「あの……」
「あ、すいませんユウさん。すぐお連れしますね!」
「よしよし。あと五、六限だけだから、しっかり休んで頑張ろうね」
女子の園から避難する為に保健室へ行こうと試みたというのに、沙綾が撫でるイヴが手を取る、と
嵐の前の静けさならぬ、静けさの前の嵐だった。
その後、昼休みいっぱいを保健室でやり過ごし、最後の二授業を経てようやく放課後がやってきた。その間、特別語るような事は無かったが、強いて言うならば……。
『先生! 優は今駄目なんです。代わりに私が答えます!』
『そうか。なら戸山』
『はい! えーっと……わかりません!』
そんな、先生の指名攻撃に対し香澄が捨て身のインターセプトをする茶番があったくらいか。
クラスメイトたちが思い思いにグループを作って教室を出て行く。当然、彼の元へも足音は近づいて来た。
「優、帰ろー。あ、大丈夫だよ、またおぶってってあげるからね!」
「うん、おぶるよ」
やってきたのは登校した時と同じメンバー。終礼が先に終わっていたのか、クラスの違う筈の有咲もそこにはいた。
死にかけ騎馬結成の提案をする香澄と、何故かウズウズした様子で同意を示すたえ。
「ううん、帰りは車で迎えが来るから皆帰っていいよ。ごめんね」
「そっか……」
彼がそう言うと、たえは何故かシュンとしてしまった。
(さてはおたえ、楽しかったんだな?)
その理由を、有咲だけが密かに理解していた。
ちなみに、車で迎えをよこす事は既に学校へ連絡している為、登校時とは違ってコソコソとする必要は無い。
沙綾たちが各々別れの挨拶を言って教室を出て行く。
それから机に顔を伏せること約十五分。携帯に車の到着を伝える連絡が届いた。その頃には、既に教室はがらんどうだった。
校舎を出る。あとは門を出て車に乗り込むだけ。状況は既に危険域を脱したと言っても過言ではなかったが、万一に備え顔を見せないよう下を向きながら歩いた。
(『最も大きな危険は勝利の瞬間にある』なんて言葉もありますし)
しかし、しかしである。これから彼の身に起こる事態を実際に目撃すれば、その言葉を残したかのフランス皇帝でさえも同情し、そして理解するだろう。どれだけ備え、油断を排しても、とびきりの危険にとっては関係の無い事なのだと。
(……?)
タンッと音がした。
風が吹いた。
影が掛かった。
そして、頭が柔らかな壁に当たった。
「わぷっ!?」
何とぶつかったのかもわからないまま、反射的に顔をあげた彼の頭を真っ先に
――はて、太陽とはこんなに近くにあっただろうか?
奇妙な事に、陽を遮り影を差したのも、また太陽だった。
――――――
「だああああああ……っせい!」
奥沢美咲は激怒した。それから、しばいた。
困った友人の数々な奇行を今までやれやれで許してきた彼女も、今回ばかりは助走をつけて
「あたっ! もう美咲ったら、急に何をするのかしら?」
「あ、の、ねぇ! こころの運動神経が凄いのは知ってるけどさ、人の事ジャンプで飛び越すのは危ないでしょ!?」
彼女らは元々もう一人友人を連れて三人で歩いていた。しかし、校舎を出たあたりでこころが急に立ち止ったのだ。そして言うには『駄目、駄目よ!』。
まーた何か始まった、と美咲が呆れていると『見つけた!』と叫んでこころが走りだした、というのが事の起こりである。
「み、美咲ちゃん、こころちゃん、待ってぇ」
ここで、一人置いて行かれた友人――松原花音が二人に追いついた。
「あ、花音さん。すいません、急に飛び出しちゃって」
「ううん、それはいいんだけど……えっと、この子は?」
「あ」
言われて視線を向けると、予想通りそこにはポカンとしている姿があった。突然人が三人もやってきて、自分も無視して内輪で話を始めたとくれば当たり前だ。
「あー、えっと、祖師谷優さんだよね?」
美咲は目の前の
「は、はい。あなた方は?」
「あたしは奥沢美咲。いやーすいません、うちのこころが」
「ま、松原花音です。よろしくお願いします、優さん」
「えっと、こちらこそよろしくおねがいします……?」
花音たちが挨拶すると、ペコペコと辞儀が返される。だが、やはり状況の理解が追いついていないようで、目に映らないはずの疑問符がはっきりとその周囲に浮かんでいた。
その様子を見て、美咲は少し首を傾げる。
(んー、祖師谷さんってこんな性格だったかな……?)
美咲は記憶を思い起こす。優が騒いでいる場面を何度か遠巻きに見た事があったが、その性格は香澄に近いもので二人一緒になって有咲を困らせていたような気がした。そう考えると、どうにも違和感が残る。
(まぁ、今はいっか)
「それで、こころ? 祖師谷さんが一体なんだってのさ?」
「……なんだか駄目な気配がしたの」
(えっ……?)
そう言うこころの眉は下り坂を作っている。それは常日頃から行動を共にしている美咲をして驚愕させる、珍しい光景だった。
(にしても、嫌なとか怖いとかじゃなくて駄目な気配ときたか……)
「どういうこと?」
「何て言うのかしら……笑顔じゃないだけじゃないの、笑顔の反対なの! あたしたちが笑わせてあげないといけない。この子は笑顔の反対なの!」
こころの言葉は難解だった。優はおろか、付き合いの短くない花音でさえも、その思いを受け止め切れていない。唯一、ある事情からその解読に慣れている美咲だけが、なんとかニュアンスだけを掬う事が出来た。
(簡単に言えば、祖師谷さんが不幸の真っただ中って事なんだろうけど)
彼女の知る限り、優はいつでも元気いっぱいだった。今の様子こそ違うが、それは見知らぬ先輩の前だからという可能性がある。こころの言葉が的を射ているとは、美咲にはお世辞にも思えなかった。
「という訳で、とりあえず
「えぇっ!?」
「ちょっと、また急に……」
口では否定的だが、美咲が実際に止めようとする様子は無い。内心で非常に申し訳なく思いながらも、一度何かをすると決めたこころが梃子でも意思を曲げない事を彼女は知っていたから。
「さぁ、行くわよ!」
こころが手を引き、歩きだした。しかし、その行く手はすぐに何者かに阻まれる事となる。見れば、それは黒い服を着た者たちだった。
(!? って、なんだ黒服さんたちか。急に出てくるからびっくりし――違う!)
「黒服さん!」
驚き、安堵し、再び驚く。ある事に気がついた美咲は、咄嗟に果たしているのかどうかもわからない存在を呼んでいた。
「何をされているのですか?」
そしてどうやら、叫びは無事に届いたらしい。今にもこころへ伸ばされようとして手を、見慣れた女性が横から掴み取っていた。
美咲が気付いた事とは、ずばり道を遮る黒服が大柄の男だったという点だ。確かにこころの周囲には、何処からともなく颯爽と現れ願いを叶えては消える摩訶不思議な黒服が存在するが、その一つの特徴として女性しかいない。
よく見るようになって慣れてしまったが、基本的に真っ黒な服に身を包んでいるのは関わらない方がいい人種である。それが弦巻財閥の一人娘であるこころの前に現れるとくれば……。
(まさか、誘拐目的とか!)
次々と悪い予想が美咲の頭に浮かぶ。もっとも、それらはまったくの杞憂でしかなかったようだが。
「失礼。私ども、こういった者ですが」
「む、これはどうも。私たちはこういう者です」
剣呑な雰囲気は何処へやら。気付けば男女黒服たちの間で名刺交換が始まっていた。
「これは祖師谷の……。成程、そういうことでしたか。申し訳ありません」
「こちらこそ謝罪申し上げます。まさか、弦巻のご令嬢だとは露知らず」
この街一番の財を持つ弦巻家と有数の名家である祖師谷家。二者は互いに互いを知っていたらしい。
「えー、なにこれ。どういう状況?」
「あの、奥沢さん。あの人たちは僕の家の……えっと、使用人? みたいな人で……」
「あれ、もしかして祖師谷さんも結構お金持ちだったり?」
「どう……でしょう。そうなのかもしれません」
(まじかー)
まさか黒服を日常的に侍らすような家が身近にもう一つもあったとは、と美咲は小さくない衝撃を受けた。
「っていうか、祖師谷さん何でさっきから敬語なの? あたしたち同級生だったと思うんだけど」
「えっ!? ……う、うん、そうだね。どうしちゃってたんだろう私。あ、あははは」
外見だけなら十センチ以上の身長差の二人は年上年下の関係に見えなくもないが、優と美咲はしっかりと同級生である。あくまで、
(どうしたんだろう?)
そんな少しおかしなやりとりをしていると。黒服がこころたちへ向き直った。
「こころ様、相手方の当主様よりお許しを頂きましたので、どうぞご自由になさってください」
「んー、よくわからないけどわかったわ! みんな、行きましょう!」
女黒服が手を鳴らすと突然現れるこれまた黒の車。そこに乗り込んで四人は弦巻家へと出発した。
イヴの保健委員は捏造。
ちなみに花音は親しくないと後輩でも敬語。はぐみも最初ははぐみさんと呼ばれていました。
ハロハピメインと銘打っておいて登場まで二万文字とな?
改行具合、どのように感じましたか?
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地の文間もっと開けた方がいい
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セリフ間もっと開けた方が
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上記二つとも
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特に問題ない