冬木の教会に近い病院の看板に、ある時期から文字が加わっていた。
『精神・記憶に関する相談うけたまわります』
アサシンが、魔術で関係者に暗示をかけて居座っているのだ。
(自分がいる短い間に、わずかな人数でも救いたい……)
と。
あたりまえのこと、というよりあんな目にあってこの程度で済んでいるのがありえない。間桐桜は壊れていた。
完全に感情のない人形……それが肉体が癒え、蟲を駆除し、おいしい食物を食べるようになってから、徐々に変化し始めた。
単純に言えば、時々ものすごい魔力を暴走させて暴れるようになった。
雁夜にはどうにもならない。バランがマホトーンとラリホーマでなんとか抑えている。
というわけで、避けなければならないとわかっていても病院に連れて行ってしまった。
背が高すぎてドアの枠に頭をぶつけ、入ってきた、白人の血が混じる若い男性医師が桜の前に座った。
そして、半身麻痺はある程度治ってはいるが、まだ死人のような顔色と雰囲気の雁夜も見る。
診察が始まる……雁夜は無理を言って付き添いをつづけた。医師は穏やかに認めた。
そして突然、桜の口が開いた。
「アサシン、筋力が」
雁夜は衝撃に立ち上がり、絶望した。もはや自分の腕に令呪はない。
桜の無反応な心では、令呪など使えないだろう。
長身の医師……奥森かずいは、静かに言った。
「ここでは医者です。守秘義務も守ります、マスターとの視界共有も切っています」
バランが一瞬出現し、
「殺気はない。だがもしマスターとその家族に危害を加えたら殺す」
と言った。
かずいはうなずき、バランは消えた。
「この子がマスターですか。遠坂家のようですが、ずいぶんと容貌が変わっていますね。深刻な虐待を受けたようです……」
と、雁夜に静かな目を向ける。
「あなたではない。……なるほど、間桐雁夜さん、あなたが急に間桐家に帰ったのは、この子の虐待を止めたくて……少なくともここ数日は身体虐待の形跡はなく栄養状態もよい、虐待者はどうにかしたけれど後遺症がひどすぎる、ということですね」
雁夜は目の前のアサシンの、洞察力と思考の速さに圧倒されていた。
生前、多数の児童虐待を見て、解決してきた医師がそこにいる。
「ボクには、彼女の記憶を一部消すことができます」
「ま、待て、完全に消して廃人にすることも」
「もちろん」
雁夜はぞっとした。
(何という恐ろしいアサシン……)
気配遮断ですぐそばに歩き、一瞬出現して精神を破壊し、また霊体化・気配遮断で立ち去る……たまったものではない。
だが、今の桜を治せるのは、間違いなくその能力だ。
「話していただけますか?それによって、治療方針を考えます」
「私から話す」
と、バランが出現した。もう彼はかずいを信頼しているようだ。
「お前の気は覚えている。銃、を不器用に操作し、監視していたほうだな。普通にではないが戦った。雁夜、彼は信頼できる立派な人間だ」
そしてバランは間桐家でのことを話した。遠坂家とも縁があるかずいは、バランが、雁夜が見ていない局面からも理解した。
話が終わったとき。
「さて、どうしますか、間桐雁夜。ボクは今はサーヴァントではなく医者として、この子とあなたを治したいと思っています。信じますか?」
雁夜はかずいの瞳に、戦慄した。
(誰も、誰も信用できるか!これは戦争なんだ)
だが、雁夜は普通の世界も知っていた。普通に、確かに足の引っ張り合いなどはあるが、基本的には人を信じている日本人。
海外取材では、自分の部族以外信用しないし騙しても平気な人たちも見た。だが逆に、自分の部族の人間は絶対に信用し、惜しみなく助け合っていた。
なんとなく思った。
(桜ちゃんに、幸せになってほしい。どんな人間になってほしいんだ?普通の人間になってほしいんじゃなかったのか?
すべての人を疑い、裏を考え、罠を仕掛ける人間か?一匹狼のスパイのように?それは、魔術師どもとどう違う?)
そのとき、バランが実体化して言った。
「私は生前、人の間で過ごした時はわずかだ……そこでは何も考えず、妻以外に関心を持たず過ごし、結果的に妻を死なせてしまった。
だが、やり直せるとしても、誰も信じない人間にはなりたくない。
むしろ、息子の仲間たちのように……仲間を信じ、人を信じて戦う者になりたい。
無論、聖杯を手に入れてやり直したいなどとは思わん。やり直したらその世界は滅んでしまうからな……息子がああ育ったからこそ、最後には勝てたのだから」
アサシンは共感をこめてうなずいた。
彼も特殊な家に生まれ、国際的な陰謀に巻き込まれながら、人を信じて人間として生きた。
バランは静かに言う。
「雁夜。これがお前の、聖杯戦争だ。マスターとして戦うことはできなくても……彼を信じるかどうか、今決断しろ。それは魔術を使って戦うより、もっと戦いだ」
決断。信じるか否か。
それが自分の、聖杯戦争。
(確かに、この決断に桜ちゃんの人生と生命がかかっている……確かに、蟲で時臣と戦うなどよりずっと、戦いだ)
すさまじいプレッシャーに、雁夜の全身がきしむ。歯を全力で食いしばる。
修行の苦痛など、なんでもなくなる。
全身全霊で考えた。全力で、白人の血が混じった瞳を見つめた。
「……信じる」
「では」
そういったかずいは、耳のピアスを外す。桜の額に触れ、かすかに力を放った。
そして雁夜にも手をさしのべる。
雁夜は、それこそ修行の始まり……地獄の苦痛と近い死をもたらす蟲を受け入れるような恐怖と勇気で、その手を受け入れた。
効果はすさまじかった。桜は眠り、雁夜は……記憶そのものはあるのに、修行の苦痛だけが思い出しても心をさいなまない、おぼろげなものになってしまったのだ。
それだけではない。アサシンは、匿名の手紙を遠坂時臣に出し、雁夜と桜は財産本体、特に書類の類を持って、バンで逃げ回ることも示唆したのだ。
医師の分限は越えているが、患者を死なせ自分も呪われた力を使うよりはましだ、ということは生前もよくあった。
かずいの生前は現代人、日本の法制度も何も熟知している。
雁夜は、自分が間桐家の生きた人間であること……戸籍を取り、失踪届を出すなどができることの強みを改めて知った。
治療で、桜は間桐家の門をくぐる直前にまで戻っていた。
両親や姉の凛と別れた悲しみはあったが……
とりあえず桜には、
(間桐家に来てすぐに祖父が亡くなり、雁夜も末期がん、さらに聖杯戦争も始まったので逃げ回りながら、引き取ってくれる魔術師を探さなければ……)
と納得させた。
セイバー「大惨事防止」
ランサー「大惨事防止」
アーチャー「まあ仕事はする、悪は許さん」
ライダー「マスターを一人前の男にする、ついでに大惨事防止」
バーサーカー「小さい子供を助ける、ついでに魔王がいたら潰す」
キャスター「おいしいごはん、ついでに大惨事防止、悪人に人権はない」
アサシン「できるだけ苦しむ人を助けたい」