終わった。
誰もが虚脱していた。あまりにも美しいものを見た。あまりの邪悪に触れた。あまりにも深い淵をのぞいた。
父を失った凛と桜が、抱き合って泣き始めた。
ランボーがケイネスとソラウに、突然声をかけた。
「あんたがもっとも地位が高い魔術師だな?なら、この三人の子を保護しろ。今すぐ魔術を用いて、破れない契約をしろ。さもなくば消える前、今殺す」
時臣の最期の命令は残っている。
ケイネスが驚いて見回すと、バランも素早くランボーの側に立った。彼にとって何よりも大切なことは桜を守ること……生前はわが子を、赤子のときには荒海に漂流させ、長じては殺そうとし、和解しても命を守ったとはいえ一人で戦わせてしまったのだ。
子を守る。ヘラクレスと同じようにその望みのためにサーヴァントとなったのだ。
かずいも、優も宗介もそれを肯定するように動いている。
詰みだ。
セルフ・ギアス・スクロール……魂レベルで束縛する絶対の契約。
常識的な魔術師としてのケイネスやソラウから見れば、桜と士郎は個別でも、まして二人まとまれば、封印指定以外にないのは知れている。
だが、ソラウの生命のため……自らを守ってくれるサーヴァント、孔雀はいないのだから。
そして、報酬も大きかった。間桐家の財産と魔術の秘儀実質すべてが手に入る。
また、傲慢の塊であるケイネスとはいえ、さすがにあの戦いは魂を砕くものがあった……リナ・インバースや孔雀の、異世界や仏=インド神話の神々と深くかかわる超級魔術、いや魔法の域に達する、それについて膨大な情報を得ている。
(降霊科の神童……)
だからこそ、見てしまったものを学問の俎上に載せれば成果は大きいだろう。
またケイネスの、時計塔での地位も揺るぎはない。確かに勝利、武勲とは違うが、神秘の漏洩を防いで大災害を防ぎ、冬木聖杯戦争の術式の詳細を手に入れているのだ。
とどめに……
凛が士郎と桜に耳打ちした。二人が手に、四つの赤い宝石のはまったアクセサリーを差しだしたのだ。
ケイネスが叫ぶことは、めったにない。それが起きた。
リナ・インバースの宝具、魔血玉(デモン・ブラッド・タリスマン)。
魔力そのものを底上げする、それこそウェイバーがつければケイネス以上の魔力を使える、あらゆる魔術師にとって夢のまた夢と言える宝具だ。
ケイネスもソラウも、首を縦に振った。
ウェイバー・ベルベットや健康体となった間桐雁夜も交え、様々な財産の配分の相談が始まった。
間桐家は魔道の家としては解体するが、法律処理のため、また生活上の親として魔術師ではない雁夜も必要とされる。
雁夜も、桜の素質が高すぎることは見ている……目の前で巨大なロボットと光り輝く聖剣を出して見せたのだから。
しかるべき師、財産、彼女を狙うであろう多くの邪悪な魔術師からの保護……ケイネス・エルメロイ・アーチボルドのアーチボルド家、それ以上の名門であるソラウ・ヌァザレ・ソフィアリのソフィアリ家も巻きこむ。
士郎も重大な素質があり、正しい魔術の教導が必要となる。今は彼の家族は魔術で暗示をかけられて海外旅行中だが、帰ってきたら新しい暗示を刻み、士郎がちゃんと修行できるようにしなければならない。
それに必要な資金。師。
母が無事であり、詳細な遺言と遺産相続の準備があり、父時臣の魔術刻印も無事回収された遠坂凛も、母は魔術回路がないので魔術の指導者が必要になろう。
言峰家も協力してくれるだろうが、魔術に関しては別の伝手が必要だ。
ウェイバーにも大きい可能性があることが判明した。それも認めざるを得ない。
資金は間桐家の資産もあり、さらに桜と士郎は本物の宝具を量産できる。ギルガメッシュが大量に出した、そのすべてを士郎は目に焼き付けているのだ。
正統派の魔術師とは違う衛宮切嗣は、その話し合いからは一歩引いていた。
もう、すべてを失った。悲願を。希望を。アイリスフィールを。あるのは命と、舞弥と、イリヤだけ……
だが、意外な助けがあった……優が、
「頼みがある。協力して、マスターの娘を助けてほしい。アインツベルン家に、人質になっている」
と頼んだのだ。
(なぜ残忍な方法で自分たちを殺そうとした切嗣を……)
とも思う者も多かったが、とんでもない報酬があった。
この戦いでも活躍した、上級宝具級概念礼装『ヴァジュラ』、アインツベルンが入手していたアーサー王の鞘。
莫大な価値がある。士郎と桜なら劣化版でなく量産できるかもしれないとはいえ、オリジナルはまた別だ。
衛宮切嗣自身、莫大な資金と兵器を手にしている。
それだけではない。
「衛宮切嗣さん。あなたの願いも、ある程度はかないそうですよ」
と、かずいが言った。
「この雨宮士郎という少年は、あの巨大ロボットを再現できた。解析に優れているとも聞いています。
あのロボットの大きさと運動は、化石燃料と電磁回転モーターでは無理でしょう……違いますか?」
話を振られた宗介はうなずいて言う。
「パラジウム・リアクターと人工筋肉」
「核融合炉、ちょうどいい。その設計図を士郎くんが書き、世界中の研究者に送れば、争いを減らすことはできるのでは?」
「そ、それは神秘の隠匿」
止めようとした魔術師に、
「この機械に、魔術は使われていましたか?」
アサシンに問われた士郎は首を振る。
正確には、ウィスパードがもたらしたブラックテクノロジーが神秘かどうかは知らないが、使う側である宗介は気にしないだけだ。
「なら問題はないですね。この聖杯戦争がらみだとばれないよう、少し間を置いた方がいいでしょう」
「ルポライターとして、あちこちの研究者や研究所の連絡先も知っている。ルポライター仲間から聞くこともできる」
と雁夜が名乗り出た。
「問題は、そんな技術を人間に与えたら争いがひどくなるだけ、という意見ですが……」
そう、アサシンがセイバーを見る。
「ああ、オレは生前、『アーカム』という組織にいた。古代超技術文明からの、使いこなしてほしい、無理なら悪用されないよう封印してくれ、ってメッセージを実行する組織。あっちこっちの軍や犯罪組織が超技術を手に入れるのを防いでた。
『アーカム』自体も信用できなくなってったから、すごい叡智の入った遺跡を深海に投げたこともある。
だが……まあ『アーカム』内で変な理想で暴走した会長が追われてから何年かして……少し方針が変わったんだ。オレとティアとジャンと……いろいろ話して。
人は決して変わらない存在じゃない。遺伝子さえも、乳糖不耐症とか鎌型赤血球とか、けっこう進化する。1880年と1980年でも、戦争で死ぬ人数とか全人口と餓死者の比とかは結構違う。熊や猫を残酷に殺す娯楽なんて、今は考えられないだろ。
ああ、簡単に言えば、衣食足りて礼節を知る、ってやつだ。
腹がいっぱいなら、少しマシになる。戦争や紛争も腹が減ったから、水がないから、が結構多いんだ」
「苦痛で食事もとれず眠ることもできなかった時は、復讐で狂っていた。
体を治され、熟睡して重湯をすすっただけで、かなり違った」
雁夜が静かに言った。
優がうなずく。宗介が何か思いついたように、
「軍が兵士を作り上げるのも、まず寝不足で極端に運動させる。生前の自分もラグビー部をそうやって鍛え、はたかれた……それで今回マスターを鍛えるとき、睡眠は十分にとらせた」
と言い、ウェイバーが辛そうにうなずいた。
「まあ、みんなが満腹できる方向の技術は、民間研究所に出していこう、ってなった。戦いがゼロになるわけはないし軍隊もなくならなかったさ。でも、オレが生まれた時と死んだときじゃ、百分の一ぐらいにはなってたと思う」
「だ、だが、この世界では魔術師どもが」
切嗣の文句に、優が答える。
「それも社会全体の流れってものがあるだろ?
もともと、オレはそのつもりだった。ネオナチが封じてた洞窟のヒトラーの遺産には、今回使ったヴァジュラだけじゃなく古代の魔術文明の遺産もたっぷりあった。
中には、めちゃくちゃ安く作れるビニールみたいなのの作り方もな。オレの前世も別のところで手に入れたそれで、食料生産量を百倍にした」
「どうやって?」
雁夜が聞く。
「この地球にはアマゾンとかニジェールとか、熱帯雨林のものすごくでかい川がある。その淡水を、河口の沖の海に浮かべた、大陸規模の面積のビニールプールで受け止めるんだ。
淡水は海水より軽いから、ビニールプールは浮く。栄養豊富な淡水がたっぷり日光を浴びれば、浮く水草がたくさん育つ。空中の窒素を固定して肥料を作る浮草もあるから肥料もいらない。
それをとんでもない量育てて飼料にすれば、全人類が満腹できる……ってわけだ。
あと、すごく強い糸を作る変な生き物もあったな。それで軌道エレベーターを作れば、アフリカで戦争をしなくてもレアメタルは小惑星から手に入った」
科学や政治に無関心な魔術師はちんぷんかんぷんだが、切嗣や雁夜は驚いている。
「それで、世界中の軍隊とかがクーデター起こして、おなかいっぱいを防ごうとしたら……それこそあんたの出番だ。一番偉いくそったれどもを暗殺していけばいい」
セイバーが切嗣に言う。
雁夜が気の毒そうに声をかけた。
「まず、温かく消化のいい食事をして、眠れるだけ熟睡したほうがいい。薬とかなしに。
俺も、固形物も食えず苦痛で眠れない日々を過ごしてたら、思考がいかれてた。
体を治し、熟睡して粥を食ったらだいぶましになった。
いや、ははは……魔術師たちがいかれた思考をしてるのは、痛くてよく眠ってないからじゃないか?」
切嗣は崩れ落ちた。
士郎が巨大なアーム・スレイブを見上げ、雁夜とうなずきあう。
「さて……オレたちはそろそろ消えるだろう。なら」
優が、宗介とランボーに目をやった。
「トラップの詳細地図、あるよな?」
「肯定(アファーマティブ)」
「軍人なら当然だ」
と、三人ともノートを取り出し、切嗣の前に置いた。
正規軍の軍人は、地雷などを仕掛けるときには詳細な地図を作り、全部解除できるようにしておくものだ。
それを見た言峰綺礼が切嗣に、重々しく命じた。
「聖堂教会、聖杯戦争の監視役の関係者として命じます。……冬木じゅうにばらまかれた膨大な武器と罠を全部解除してください」
切嗣と舞弥は鉄面皮を崩さず、精神的に参っている。
あまりにも膨大な、危険すぎる罠の数々……
だがまあ、ケイネスとソラウの協力があり、大量の兵器があればイリヤを取り戻すこともできるだろう。母の死について説明し恨まれることも含まれるが。
そして唐突に、朝日とともにサーヴァントは姿を薄れさせていった。
マスターたちは、はじめて気がついた。
しっかり別れを惜しむ暇がない……
「あ、ありがとう」
桜が叫び、何人もが感謝を叫んだ。消えていく英霊たちにも、すでに消えた英霊たちにも。
そのような俗なことを軽蔑するケイネスも、目を伏せている。
切嗣は、感情が強すぎて何も言葉が出なかった。ただ顔を伏せている。
「病院と患者たちをお願いします」
かずいが綺礼に言う。彼はある病院に、関係者に暗示をかけてもらって勤めていた。短期間だがかなりの人数を救っている。暗示を駆使してそのあたりをどうにかしなければならない。
「……任せてくれ」
綺礼はそれだけ言った。
「少尉どのを生きて帰らせることができたこと、軍曹として最大の誉です。これからの人生に幸運あらんことを」
宗介がウェイバーに敬礼した。ウェイバーが号泣する。
「子供たちを、守り抜いてくれ」
バランの言葉に、何人も強くうなずく。
ランボーと凛は、言葉もない。
時臣を守り抜けなかったランボー。だが、彼がどれほど戦い抜いてくれたか、凛はよく知っている。
「……安全圏から批判してはいけない、でしょう?よくやってくれたわ」
ランボーは無言で敬礼し、凛がさしのべる手を握った。
優は背を向ける切嗣を見て苦笑し、仲間たちの背を叩いて回り、真っ先に消えた。
そしてランボーが、宗介が、かずいが、バランが消えていく。
生き残った人間たちは、これから忙しい一日が始まるのだ。しかも徹夜明け、激戦……何人かは重い重機関銃を運び組み立て操作する重労働、そうでなくても莫大な魔力の行使で、フルマラソンをしたよりも疲れた状態で。
遠坂葵がどれほど嘆くことか……それでも凛と桜の無事に、どれほどほっとすることか。
イリヤスフィール・フォン・アインツベルンの怒りと悲しみがどれほどか。彼女の救出がどれほど困難か。
凛と桜も、悲しみの本番はこれからだろう。
だが、冬木市は無事だ。神秘の漏洩も避けられた。優しいサーヴァントたちの奮戦のおかげで。
遅い朝日が円蔵山を照らす。冬山を冴えた光が照らす。朝の早い僧の気配も生じる。
泣いている暇はない。生きているのだから、すべきことをするだけだ。
だからライダー候補は、「白兵戦が強い」かつ「核融合炉」から考えたのです。
士郎の解析を使い、全員の腹を満たすことを通じて、恒久的世界平和に半歩でも近い世界を。
…『アーカム』、特にティアは絶対にそれは許さない、という読者も多いでしょうが、ここはあえて。
コルヌコピアンという非難は喜んで受けます。
銅や燐が有限というだけでも、科学技術が進歩しなければ人類が存続できないことは自明ですし。
何よりも、筆者は希望がなければ生きられません。少しでも人類がよくなる。少しでも科学技術が進歩する。
一夜にして全部を求めたら共産主義の地獄、ならば現実の人間性を理解して、一歩でも。少しでも。