如月千早はドッキリがお好き?   作:ゲソP

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小鳥さんごめんなさい。


1.6 世界

「げほっ、ごほっ、えっ、ええっ!?」

 

 幸い口に含んだ紅茶の量はそれほどでもない。濡れることはなかったが、噴き出した紅茶は机を大いに汚した。だがそれも机の上を大忙しで左右する小鳥のハンカチに吸われていった。机に置かれていたお手拭きが、心なしか空しさを醸し出している。

 

 それほどに小鳥は狼狽していた。予想外すぎる内容の相談。その大きな声と真剣な眼差しに気圧されながら、信じられない気持ちで小鳥は聞き返した。

 

「あの、ごめんね。聞き間違いかしら。もう一回言ってもらえる?」

 

「……おっぱいを大きくするためにはどうすればいいですか?」

 

 

 

 ……トゥンク。

 

 

 

 

 静かな胸の鼓動が小鳥を支配した。そしてそれは狂気の始まりを告げる音でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

「……出だしの言葉だけ、もらっていい?」

 

「はっ?」

 

 

 その時の小鳥はどうかしていた。その瞬間を客観的に見つめるリトル小鳥がもしもいたならば、きっと彼女の暴挙を殴りつけてでも止めただろう。

 

「あっ、ごめんね。うんあの全然いいんだけど、でもほらそのびっくりしちゃったから、ね?」

 

「はぁ……」

 

 

 しかし現実には、そんな都合のいい存在などいるわけもなく。

 

 仮にそのような存在がいたとしても、それはとても主観的でエゴイスティックなリトル小鳥であって、むしろもっとやれと鼻息荒く言ったことだろう。

 

 

「本当、あの確かめたい程度のー、意味しかないっていうかね、あの、うん。出だしの、ほら。何て言ったかしら。……お、おがついた気がするような、しないような。……なんだったかしら?」

 

「……」

 

 

 普通なら小鳥の戯言に付き合うような存在などあり得ない。しかし如月千早は頑張り屋で、何事にも真剣に取り組める最高のアイドルである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おっぱい」

 

 

 

「……おっふ」

 

 

 小鳥の浅ましい夢など、彼女がその気になれば容易に実現できるのである。

 

 ……真っ赤な顔でおっぱいと囁くアイドルを前にして、小鳥の大きな胸は熱く高鳴っている。

 

 小鳥の視線は猛禽類の如く、千早の控えめな胸を捉える。

 

 

 ……その地平線の向こうに何を見いだしたのか。

 

 

 そこには確かに、夢と希望が詰まっていたのだろう。

 

 

 故に小鳥は問う。

 

 

「……もう一回」

 

 

「えっ……おっぱい」

 

 

「もっかい」

 

 

「……おっぱい」

 

 

「いっぱい?」

 

 

「あの、そろそろ真面目に聞いてもらえますか」

 

 

 冷や水を叩きつけるような千早の冷めた声で、やっと小鳥は我に返った。

 

「ごごごごご、ごめんね!?」

 

 

 思わず調子に乗ってしまったことをすぐに後悔するも、小鳥は千早の悩みにどう返答すればいいのか皆目見当がつかなかった。

 

 

 

「ぎ、牛乳を」

 

「飲んでます。毎日三本」

 

「し、姿勢を」

 

「プロのアイドルですけど」

 

「も、もももも……揉んでみる?」

 

「お風呂場でのマッサージは基本ですが何か?」

 

 何それ詳しく。それを言ってしまえば、おそらく小鳥は二度と明日の朝日を拝めないだろう。否。拝めるだろうが、千早の信頼はガタ落ちである。しかしとっくに手遅れであることに、小鳥はまだ気づいていない。

 

 小鳥は必死に打開策を考えるが、そもそも出てくるはずもないのだ。小鳥の胸は大きくなるべくして大きくなったのである。そこに努力などという概念は存在しない。ただそれなりの質量を伴ってそこに在るだけなのである。

 

 故に、案はすぐに尽きた。

 

「ええっと……あとは、その」

 

「音無さんって、スタイルいいですよね」

 

 千早のジト目が、小鳥の体の一点を見つめる。

 

「いやっ、これはその大したものじゃないというかその……」

 

「大したものじゃ、ない?」

 

「いいいいいいいやあのそのー! ちょ、ちょっとしたものですはい」

 

「ええ、そうですよね。ちょっとしたおっぱいですよね。本当」

 

「あは、あははははは……」

 

 どうしてこうなった。笑ってはいるが、小鳥はもう泣き出したかった。

 

 いい感じに話が収まろうとしていたはずだった。背伸びして一歩を踏み出した千早の可愛らしさにほっこりしたりして。具体的な解決策を示してあげられたわけではないが、穏やかな一日の終わりになるはずだったではないか。

 

 それが突然おっぱいの話にまで発展して、お互いを理不尽に傷付け合うだけの悲惨な事態に陥るだなんて、誰が想像できるのか。

 

 店の中にいたはずの数人のお客たちはそそくさと逃げ出していたし、ここまでそれなりの大声で騒いでいるにも関わらず、店員たちは姿を見せようとしない。当然だ。小鳥も同じ立場ならそうしたに違いない。しかし残念なことに、小鳥は当事者である。

 

 

「……私、知ってるんですよ。音無さんのおっぱいの秘密」

 

「おおおお、おっぱいの秘密!?」

 

 んなななななな何だそのエロい響きは!? というか私のおっぱいなんかより、むしろあずささんのおっぱいの秘密を解き明かした方がよほど人類のためになるのではないかそこんとこどうなのよぐへへへへへ。

 

 ……そう小鳥は訴えたかったが、とてもではないが千早には言えない。

 

 

 

「いいんですよ。もう無理しなくて」

 

 

 嫌な笑顔だ。

 

 千早の笑顔を見て、小鳥は初めてそう思った。蔑みと同情。陰鬱な感情を詰め込んだその笑顔は、端正な千早の顔立ちを歪めて見せた。

 

 千早のことがますますわからなくなっていく。こんなことをするような子ではなかった。もっと恥じらいのある子だったはずだ。

 

 

 

 

 ……この違和感は何なのか。

 

 

 

「だって音無さんのおっぱい、偽物ですもんね」

 

「えっ」

 

 その刹那、世界が凍り付いた。小鳥の感じていた違和感は、その言葉一つで些末な問題に変わってしまった。

 

「それはどういう意味なの?」

 

「意味? まだしらばっくれるんですか」

 

 凍り付いた世界の中で、小鳥の思考はたしかな熱を吐き出している。

 その暴言を許してはいけない。大人の、否。女として、認めるわけにはいかなかった。

 

「……どういう意味なの」

 

「ですから」

 

 千早の唇がそっと次の言葉を形作っていく。一瞬のことであるはずなのに、小鳥にはそれがとにかくスローに見えた。頭の中では続きを聞いてはいけないと思っていても、意識は千早の言葉に強く集中している。

 

 危険だ。脳が警鐘を鳴らすが、もう遅かった。

言葉が紡がれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「音無さんのおっぱいは、パッドで盛ってる偽物おっぱいだって言ってるの!!」

 

 

「ほああああああああああああああああああああ!?」

 

 

 

 

 

 

 もはや立場など意味を成さない。

 

 アイドルとか、事務員とか。そんなものは存在しない。

 

「ふふ、ふふふふふ」

「うふ、うふふふふふふ」

 

 二人の笑いが、音のないレストランに溶けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……千早ちゃん、もう一回言ってみて」

 

「音無さんはパッド」

 

「ふぐうっ!! ……もっかい」

 

「音無おっぱいパッド」

 

 

「……ごくり」

 

 不思議なことだが、小鳥に怒りはなかった。胸の痛みは止まない。しかし小鳥は止まらない。

 

 小鳥はただひたすらに、その形のよい唇から紡がれる淫靡な言葉の数々を繰り返して聞き続けた。赤子のように、おっぱいを求めた。

 

「私はー、偽物のー、ナニって言ったかしらぁー?」

 

「お、おっぱいですけど」

 

 偽りと蔑まれてもなお、何故怒りを感じないのか?

 

「私は、パッドの?」

 

「……おっぱい」

 

「YES!!!」

 

 

 

 音無小鳥は結局のところ、いつまで経っても夢見がちな乙女なのだ。

 

 

 大人じゃなくたっていいじゃない。

 

 目の前に、おっぱいを連呼する美少女がいれば、いいじゃない。

 

 

「おっぱいが?」

 

「ええ?」

 

「おっぱいが!?」

 

「い……いっぱい?」

 

「そう!!」

 

 

 小鳥は確信する。

 言葉一つ、美少女一人。

 

 その想いただ一つで、こんなにも強くなれるのだと。

 

 

 小鳥は夢想する。

 世界中に散らばるたくさんの美少女が『おっぱい』と叫べば。

 それだけできっと、世界中の争いと貧困はなくなるだろう。

 

 それこそが美少女による、おっぱいによる、小鳥の理想とする平和な世界であると。

 

 今ここに、奇跡が成された。それもとびっきりの美少女。

 

 それだけで、世界はこんなにも美しく見えるのだ。

 

「おっぱいが!」

 

「いっぱい……」

 

 やがてここから始まる新しい光に向かって、小鳥は叫び続けるのだ。

 

 永遠に、おっぱいと。

 

 

 

「おっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱおおっぱいおっぱいおっぱいふぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 どれだけ叫び続けただろう。

 

 

 

 

 

 

「…………り」

 

 

 

 

 ………?

 

 その時の小鳥は脳内エンドルフィンが溢れすぎていて、思わず美少女のおっぱいを聞き逃してしまった。妄想に、意識を完全に持っていかれていたのだ。今の小鳥の世界はおっぱいに満ちていたのだから、それは無理もないことだった。

 

 そこにあるのはただ、美少女とおっぱいに溢れた優しい世界のみ。

 一面の花畑に、白いワンピースを翻しながら戯れはしゃぐ765プロのアイドルたち。

 

 花畑に転がりながらおっぱいぷりんをつついていたり、あずささんのおっぱいはやっぱり宇宙だよねーうふふふふーなんて笑い合いながらブランコを漕ぐ者もいたり。

 

 そこには争いや諍いを引き起こす思想などない。おっぱいと言う言葉しか存在しないのだから、それも当然のことである。

 

 

 そんな理想郷から、意識を現実に戻すことは容易ではなかったが、小鳥は何とかそれを成した。美少女から発せられる新たな刺激を求めたのだ。

 

 

 

 

「……っきり」

 

 意識が徐々に覚醒していく。

 

 

 

 

 ……すっきり?

 

 

 

 そりゃあ、恐ろしく清々しい気分だけれども。

 

 

 千早を見る。

 

 真っ赤な顔で、目にはうっすらと涙を浮かべていた。

 

 この時、小鳥に動揺が走る。

 現実を見つめる冷静な自我が生まれて初めて、かつて感じた違和感のことを思い出したのだった。

 

 

「……おっぱい?」

 

 

 小鳥がつぶやいたそれは、何のための問いだっただろう。

 

 縋りたかったのだろうか。

 

 ひと時の平穏が、小鳥を残して去ってしまう。

 

 終わってほしくない。おっぱいが終わってほしくない。

 

 現実を拒もうと、決死の想いで問いかけたのだろうか。

 

 

 

 瞬間、問いの答えが覚醒しきった小鳥の鼓膜を激しく揺さぶった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ドッキリだって、何回言わせれば気が済むんですかぁぁぁぁぁあ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 歌姫の涙の咆哮が、夜明けを告げる。

 

 小鳥の果てなき愛と平和の妄執は、その時確かに終わりを迎えたのだった。

 

 

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