「ひどいわっ、ひどすぎるわ! プロデューサーさん、断固抗議しますからねっ!」
仕事疲れを吹き飛ばすような活気の中、小鳥はビールを勢いよく飲み干してからそう吠えた。
夜の十時。一組の男女が居酒屋の個室で騒いでいた。音無小鳥とプロデューサーだ。ドッキリにかけられた小鳥を労うためにプロデューサーが奢りで飲み会を企画していたのだ。
二人きりではあるのだが、そこに色気などは微塵もない。それはタダ飯に気をよくした小鳥の豪快な飲みっぷりによるところもあるし、多忙故に昼食を摂る暇がなかったプロデューサーがガツガツと焼き鳥に齧りついていたこともあった。ちなみに、千早はプロデューサーの呼んだタクシーでそのまま帰路に就いていった。
「いや、ひどいのは音無さんですからね」
「うぐっ」
酒の勢いも借りて、向かうところ敵なしといった様子の小鳥に対して、プロデューサーの対応は冷ややかなものだった。
「なんですか、おっぱいおっぱいって。千早に何てことを連呼させてるんですか。いい大人なんですから、もう少し落ち着きを持ってくださいよ」
「うううう……私が被害者なはずなのに、まったく言い返せない……」
よよよと椅子の背もたれにしな垂れる小鳥。自業自得だとプロデューサーは心の底から思った。
「いや、一応申し訳ないと思ってますけど、音無さん途中から完全に加害者だったでしょ。おっぱいおっぱい言わせすぎて、千早が何度ドッキリだって言っても聞きもせずにおっぱいおっぱい言いまくって、しまいには千早を泣かしたでしょ」
「ぐふっ……」
矢のような正論の雨が、小鳥の心にざくざくと突き刺さる。
美少女がおっぱいと言ったとしても、おっぱいと連呼させていい道理にはならない。そんな当たり前の事実は乙女心の暴走によって歪められてしまったのだ。
小鳥の敗因はその感度の高すぎる乙女心の純真さである。敵は己の中にあり。それは小鳥の目を持ってしても見抜けなかった事実だ。
そんな小鳥のしょうもない弁明をプロデューサーの耳はさらさらと聞き流していく。事情もクソもないじゃないかと深くため息をつくと、彼は手元の生ビールをぐっと飲みほすと、すぐさま追加の注文を入れた。
「……本当はですよ? 音無さんに千早がありもしない恋愛の相談をしたら、どんな反応になるかっていうドッキリだったんですよ」
「ええっ。跡形もないんですけど」
「そうなんですよ……」
頭を抱えるプロデューサー。こうなると、小鳥も怒るに怒れない。プロデューサーは確かに今回のドッキリを企画したが、あのおっぱい事件はプロデューサーの意図したものではなかったのだから。
プロデューサーはどんよりとした青い顔で、今回のドッキリの全容を語り出した。
「始めは台本通り、千早もやってくれていたんです」
「始めというと、あの事務所でのことですか?」
「そうです。事務所にいる亜美と真美に突然抱きつくドッキリと、音無さんをレストランに誘って、あーんとふーふーをしてあげるところまで」
「本当に、本当にその節はどうもありがとうございます!」
「あ?」
「ごめんなさい!!」
プロデューサー、追加されたばかりのビールを勢いよく飲み干す。小鳥、プロデューサーの苛立ちを感じ、ビビる。
この瞬間に、この飲みの席におけるプロデューサーの奢りが完全に白紙になったことを、小鳥はまだ知るよしもなかった。
「……台本が崩れたのは、そのあとの下りなんです」
「え、えーと……千早ちゃんの悩みの本題を話す下りですか?」
プロデューサーは神妙な面持ちで、深くうなづいた。
「今回はドッキリの練習として、始めは具体的な指示をいくつか与えました。そして後半では恋愛という、あえて具体性のない、想像力を働かせやすい主題を一つだけ与えて、内容や進行を千早に任せたんです。それがまさか、あそこまでやるなんて……」
これはプロデューサーにとっても大きな誤算であった。
765プロの事務員である小鳥に練習としてドッキリを仕掛けるという案は、社長からあっさりと許可が下りた。ドッキリ会場へと誘導する提案力を養うために、またよりリアルな舞台を提供して千早に度胸をつけさせたいと、社長の個人的な知り合いである飲食店に許可を取って場所取りをした。さらに臨場感を出すために、『生っすか』スタッフのツテで店内に数人のエキストラまで置くという気合の入れっぷりだった。カメラは回していたが、それも今後の資料用としてである。
それほどまでに、プロデューサーは今回の企画に力を入れていた。如月千早に『親しみやすさ』という新たなイメージを作りたかったからだ。しかしそれも、765プロの歌姫というイメージを損なわずにという大前提があった。今日の千早のスパークしすぎなアドリブでは、これまでの千早のイメージをぶち壊しにしてしまう。それはプロデューサーの意図するところではなかった。
「だからあそこまで千早がアドリブ効かせすぎるなんて、正直予想外過ぎて……俺あいつの何見てきたんだろうなぁって」
「そんな……」
乾いた笑いがプロデューサーの口から洩れる。酒も回っているせいだろう。担当アイドルには決して気弱な態度を見せない男が、珍しくへこんでいた。
これが恋愛物のドラマか何かであれば、小鳥がプロデューサーに気の利いた言葉をかけて、それがきっかけでプロデューサーの胸の内に恋が芽生えたり、あるいは二人で陰鬱とした気分を吹き飛ばそうと酒を飲み明かして、酔いつぶれた小鳥をプロデューサーが自宅に連れ込んでしまい……などとドキドキな展開になったりするだろう。少女漫画のヒロインになれそうな女選手権を開いたら、そこそこいい線いくのではないかと、そんな夢見がちな日々を送る音無小鳥(2Ⅹ歳)はそう考えた。
(ここは、大人の私がプロデューサーさんを慰めなきゃ!)
しかし今回は相手が悪かった。
「プロデューサーさん! そんな落ち込むことないですよ。むしろ練習出来てよかったと考えるべきです! ほら、千早ちゃんもアドリブの危険性を、今回身をもって理解できたわけですし、今後は裏方である私たちがうまくフォローしていけばいいんですよ!」
「……でも千早、マジ泣きしてたし。ドッキリなんてもうやりたくないと思うんですけど。主に音無さんのせいで」
「デュクシ!」
小鳥の頭の中で試合終了のゴングが鳴り響く。第1ラウンド開始直後のワンパンKOである。
「仕事を見誤って、アイドルに心の傷を負わせるなんて、どおおせ俺なんかプロデューサー失格のくそ野郎なんだなァー! あーあー、穴掘って埋まって生まれ変わりたいなぁー! 生まれ変わったら、ト○・クルーズになりたーい!!」
……小鳥はここにきてようやく気付いた。
プロデューサーさんは絡み酒の面倒くさい人だ、と。
(ていうかプロデューサーさんがくそ野郎なら、私はアイドルに心の傷を負わせてしまったげろしゃぶ野郎なんですけどぉ……)
穴掘って埋まって生まれ変わりたいのはむしろ小鳥である。より具体的に言うならば、死んだ後に異世界に転生し、神様にもらった理不尽に最強な能力を駆使してハーレムを築きたい。
そんなちょっとした現実逃避をしたところで、眼前の面倒な男からは逃れられるわけでもない。わかっていますよと小鳥はため息を一つ吐く。
(でもちょっと待って小鳥。たしかに悪いのは私だけど、プロデューサーさんもヤバいと思ったなら止めに来ればよかったのに。カメラ越しに見てたくせに、何にもしないでうじうじするなんて……。それ以前に、私に事前にドッキリ仕掛けますよって教えてくれればよかったのよ。むしろその方がよりテレビで見るドッキリに近いというか、おっぱいとかに惑わされなくて済んだというか、うん。まあそれは私が悪い。けど事前にドッキリあるよってわかってたら千早ちゃんを泣かせちゃうようなことにはならなかったと思うなー! だから要するに何が言いたいのかというと、今回の件はプロデューサーさんが悪い!!)
そんな具合に臭い物に蓋をすると、小鳥はプロデューサーに向かって怒りの丈をぶつけることにした。
「だから私今回の件はプロデューサーさんが悪いと」
「あっ、電話」
「えっ」
今までのどんよりとした空気はどこへやら。プロデューサーは一瞬で仕事スイッチを入れたのか、キリッとした顔つきでスマートフォンを取った。その様子だけ切り取れば、さぞや優秀な男に見えたことだろう。小鳥はうんざりした顔でその様子を一瞥すると、ビールの追加注文をした。飲まなきゃやっていられないのだ。
「もしもし、うん、うん。えっ、本当か?」
プロデューサーが相槌を返す。一度、二度、三度。その度に彼は笑顔になっていく。電話を取る前の、この世の終わりを悟ったかのような表情が嘘のようだ。そんな酒の肴にもならないような光景をしり目に、小鳥は届いたビールをぐいぐい煽った。
「音無さん」
追加で頼んだから揚げに箸を伸ばす、まさにその時だった。
「え、はい」
「千早から。代わってくださいって」
「ええっ」
プロデューサーは実に満足気な顔で頷くと、小鳥にスマホを差し出した。
『……もしもし』
千早の声だ。小鳥には電話越しの千早が見えた、気がした。
少し気まずそうに顔を赤らめながら、遠慮がちに言葉を選んで話そうとしてくれている、そんな千早が小鳥には見えたのだ。
……それもまた、都合のいい妄想をしているだけかもしれない。
結果を含めて考慮すれば、今日の件で悪いのは結局のところ自分なのである。スマホを持つ手が震える。もし怒っていたら、自分は千早に何を言ってやれるだろう。何をすれば、彼女は元気を取り戻してくれるだろう。
……答えは自然と、口から飛び出していた。
「『ごめんなさいっ!』」
重なる声に、互いが息を飲んでいた。
『……音無さん、許してくれるんですか?』
「千早ちゃん、許してくれるの?」
『許すも何も、悪いのは私です。音無さんにひどいこと、たくさん言ってしまいました』
「ううん、違うわ。悪いのは私なのよ千早ちゃん。女の子を泣かせるだなんて、そんなことどんな事情があってもやっちゃいけないもの。それに千早ちゃんは、ドッキリ企画を成功させようと頑張ってただけだもの。そんな千早ちゃんを泣かせてしまうだなんて……本当にごめんね」
小鳥の精一杯の謝罪に、千早は目を大きく見開く。やがてガラス玉のようなその瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちていく。そんな様子が、小鳥の心に浮かんだ。
それは小鳥の妄想だった。しかし受話器越しに聞こえる少女の嗚咽が、その妄想が現実のものとなっていることを如実に告げていた。
『……違う、違うんです』
「……何が違うの?」
小鳥は努めて優しく、続きを促した。たどたどしくも、千早の言葉は形作られていく。
『あの時音無さんやあずささんに憧れているだなんて言ったけれど、本当はきっと嫉妬していたんです』
この時小鳥は察した。
千早は確かに小鳥にドッキリを仕掛けた。しかしその過程の中で千早が話してくれたことは、決して嘘ではなかったのだ。
『気配りができて、優しくって。みんなから親しまれていて。体付きだって女性らしくて、そのどれもが私にはない大人の魅力で』
小鳥の脳は千早の独白をしっかりと捉えながらも、数時間前の千早の言葉を思い返していく。
〈あずささんって、凄いんです。ラジオでもよく共演するんですけど、あの人は本当にお茶目で、だけど気が利く人で。あの人の前では、私も自然と笑顔になったりして。そういう接し方って、もちろんあずささんの人なりもあると思うんですけど。……やっぱり大人の余裕があるからなんだろうなと思ったんです〉
千早の言葉は段々と加速していく。
『今回の、ドッキリの仕事をやり遂げたら、不愛想で面白みのない、そんな子供みたいな自分を少しでも変えることができるのかなって思って。あずささんや音無さんみたいに、みんなにとって身近で、気安い存在になることができたら……そう思ってたのにっ』
〈私本当は、みんなともっと仲良くなりたかったんです〉
(……ああ、そうか)
小鳥は理解した。
『……自分なりに大人っぽい女性像を作ろうとしたけれど、自分が自分じゃなくなっていくような感じがして、段々抑えが利かなくなっていって。気付いたら、音無さんにあんなひどいことを言っていたんです。最低ですよね。浅ましい嫉妬だったんです』
如月千早は頑張り屋で、何事にも真剣に取り組める最高のアイドルである。
ただ人より少しだけ感情表現が不器用で、本当はとても寂しがり屋な、そんな一人の女の子でもあったのだ。
そのことを、小鳥は失念していたのだ。
「大人っぽくなくたって、いいじゃない」
『……えっ?』
「千早ちゃんだって将来、嫌でも大人になっていくわ。だから無理して背伸びしなくってもいいの。大人っぽくありたいと思い悩む千早ちゃんは、きっと今しかいないと思うから。だからほんの少しだけ、千早ちゃんが今の自分のことを愛おしく思ってあげられたらいいなあって、私はそう思うわ」
それは誰のための言葉だっただろうか。小鳥は言ってから気づいた。在りし日の自分に向けた言葉にも感じられたのだ。
……自分を信じて、愛してあげられたら、それはきっと何よりも素敵なことだ。
振り返ったところで過去は戻らない。それでも前を向いて歩いていかなければならないのだ。だからその瞬間ひとつひとつを、電話越しの少女には大切に過ごしてほしいと小鳥は思った。
『……やっぱり私、まだまだ子供ですね』
「そうね。千早ちゃんはまだまだ子供。でもそれってとっても素敵なことだと思うわ」
『……音無さんは、ちょくちょく子供っぽいみたいですけど』
「それはその……本当にごめんね」
『……はぁ』
その呆れたため息を聞くと、小鳥はほぅっと息を吐いた。申し訳なさと安堵の入り混じった微かな吐息。
千早がどんな様子であるのか、実際のところはわからない。しかし小鳥には確かに見えたのだ。
『……まあ、なんでも、いいですけれど』
誰よりも素敵な笑顔を浮かべた、優しい女の子の姿が。