2.1 リスタート
「これ、台本新しいやつな」
『生っすか』を放送しているテレビ局・ブーブーエスの楽屋の一室。
水の入った飲みかけのペットボトルを机に置くと、千早は黙々と修正の入った脚本を読みだした。ページをめくる度に、彼女の眉間にしわが寄っていく。しかしそんな彼女の様子に欠片もひるむことなく、プロデューサーはすらすらと台本の解説に徹した。
「前回の脚本からの大きな変更点としては、ドッキリ遂行の際に助っ人を必ず入れるようになったことだ」
「それは、私では力不足だからですか?」
信頼されていない。それが本を読んで得た、千早の感想だった。
以前の脚本にはなかった協力者の存在、そして以前よりもドッキリの内容がシンプルに感じられるのだ。
明らかに下がったハードル。それは小鳥との一件を経て、心構えも新たに、より真剣に芝居の稽古に取り組んできた千早にとって、酷くやりがいのないものに感じられたのだ。
「もちろん千早が本気で準備をしてくれていることは知っている。きっとやりとげてくれることもな」
「だったら」
「だが、千早は場慣れしていない」
「……」
「以前にやった実践練習を見て思ったことだ。あの時も、千早はそれ相応の準備というものをしてくれていたよな。俺も千早の準備は完璧だと思っていたよ。それでも、予測のつかない事態は起きるものなんだ」
千早は言葉に詰まっていた。小鳥との一件を引き合いに出されると、どうにも弱かった。
「仕事である以上、リスクは抑えなければならない。今回のドッキリ企画は監督のこだわりもあってな、事前に相手にシチュエーションを知らせておくものじゃない。まさしくリアルなコンテンツなんだ。だから何が起きても不思議じゃない。そのことをあの時の練習から思い知らされたんだ。千早のことは信頼しているよ。それは今も変わらない。でも仮に千早がドッキリに慣れていたとしても、俺は最低限の保険をかけなくちゃいけなかったんだ。お前たちの、アイドルのプロデューサーとしてな」
千早はプロデューサーの力強い眼差しを受けて、何も言うことができなかった。アイドルのプロデューサーとして信頼する彼の判断が正しいことを、千早自身もわかっていたからだ。
もし万が一、小鳥の時のようにアイドルが他人の身体的特徴を貶めたり、低俗な言葉を連呼しながらみっともなく泣き散らかすような事態になったらどうなるのか。
あんなひどい事態は例外中の例外だと、切り捨てることはできる。
だが圧倒的に実戦経験が足りないのもまた事実。実際に想定しうる放送事故の中でも最悪な事態を引き起こしたのは間違いなく自分だ。
受け入れるしか道はない。理屈では理解していても、千早にとって悔しいものは悔しいのである。
「この仕事はさ。千早にとって大きな成長の機会になるはずなんだ」
「……わかってます。私もその心づもりでいましたから」
「アイドルにとって最も重要な、イメージに関わるものだ。だからこそ最良の準備をしておかなくちゃいけないんだ。それが、プロの仕事だろ?」
プロデューサーの力強くも厳しい言葉に喝を入れられる。プロデューサーの言うことは正しい。自分の力量に明らかに合わない仕事を無理矢理することは、プロとしては無責任と言わざるを得ない。千早自身にはもっとやれるという思いがある。だがそれは客観的な視点から言えば、きっと間違っているのだろう。
「……わかりました。プロデューサーの信じる私を、私は信じます」
「ああ。よろしく頼むぞ」
その後は何件か別件の仕事の打ち合わせをして、プロデューサーと別れた。
「……プロデューサーの言うことは正しい」
言葉にして自身に言い聞かせる。理屈では理解している。それでも、燻った感情は何かを求めている。
「わかってはいるのだけど」
千早は頑張り屋で、何事にも真剣に取り組める素晴らしいアイドルである。それは美徳であるが、美徳には限度というものがある。
今回は、そんなお話である。
*
パラパラと雑誌をめくる音と、耳触りの良い鼻歌。
助手席を少し倒して、星井美希は仕事終わりの身体を休めていた。手に持っているのは10代~20代の女性を対象にした人気のファッション雑誌だ。
「わぁ……!」
目当てのページを見つけると、美希は小さな歓声を上げた。
一人の少女が見開きでポーズを取っている。
さらにページをめくる。
時に輝くような笑顔で、時にハッとするような鋭い眼差し。憂いを帯びた華奢な少女に見えるときもあれば、男を誘ってはぐらかす悪女の顔も覗かせる。
単純な表現に落とし込むのであれば、その少女は天才であった。溢れんばかりの才気に人々は惹かれて憧れる。まさしく星のような少女。
「ミキ、すっごいキラキラしてるの!」
それが765プロ所属アイドル・星井美希。人の感情を揺さぶることの天才。そしてその資質は、アイドルにとって特に大切なものである。
モデルとして、決して背が高いわけではない。しかしスタイルは抜群によかった。若干15歳とは思えないプロポーションの持ち主。ライトグリーンのはっきりとした瞳もまた、彼女の魅力を加速させる。
しかし一番の魅力は、やはりこの無邪気な笑顔だろう。
「ねえねえ律子、さんもそう思わない? ミキ的にはここの見開きが特にお気に入りなの!」
「わかったわよ、もう。運転中なんだから大人しくしてて」
美希の眩いばかりの笑顔を横目に、秋月律子は苦笑した。
「カメラマンさん褒めてたわよ。どれだけ撮っても飽きが来ないって」
「えへへ、やっぱり? 美希もね、全然飽きなかったの! あのお兄さん、褒め上手ってカンジ? 美希ちゃんなら世界とれるよって言ってたの。ミキもそろそろ世界に羽ばたく時が来たの!」
「世界ねぇ」
最近の美希の口癖である。その理由を律子は何となく理解していた。
……ここ最近の765プロは、海外進出という言葉に浮き立っているように思う。
きっかけは映画だ。765PROALLSTARS総出演で制作した特撮ロボット映画『無尽合体キサラギ ~宇宙の果てまで行ってきM@S~』がまさかの海外で大ヒット。
主題歌を担当した如月千早の歌に海外の有名音楽プロデューサーが食いつき、海外でのアルバム制作にまで発展した。また同作で悪役『ハルシュタイン閣下』を演じた天海春香も、海外メディアでの取材を受けている。
事務所で必死に英会話の講義を受けている春香の姿に、他のアイドルたちも、次は自分も……? なんて、心なしかそわそわしているほどだ。身近にワールドワイドな活躍をする仲間がいるのだから無理もないと言える。その中でも、美希は特に海外への意識が強い。仕事の合間に英会話の参考書を懸命に読み込む様子に、律子を含めた765プロの面々はそれはもう驚いたものである。
ただ今の律子的には、世界に羽ばたく如月千早がドッキリ企画なんてガチガチのバラエティーに全力を尽くしていることの方が驚きであるのだが。そんなことを今回のドッキリターゲットである美希に言えるはずもなく。
「美希もやっぱり、海外に興味あるわよね」
「トーゼンなの! 美希も千早さんみたいに海外でキラキラしてみたいの!」
千早には抵抗なく敬称をつけるのに、自分にはどうしてうまくできないんだ。そんな文句も美希の輝かんばかりの笑顔を見ていると、呆れに変わってしまう。なんだかんだ甘い自身に、思わず律子は苦笑してしまう。
「……美希って、本当に千早のこと好きよね」
「あのね、千早さんはね、歌がとーっても素敵なの! 大人っぽくて、カッコよくて、美希にも歌の事とか丁寧に教えてくれるし、美希には真似できないくらいストイックなの!」
「いや真似しなさいよそこは」
「あはっ、美希は美希なりに頑張ればいいの」
あっけらかんと笑ってのける美希だが、律子は知っていた。彼女なりの『頑張る』が、かつてのものよりかなり高い意識になっていることを。
飽き性なところがある美希がなんだかんだ言いながらも努力をして、ここまでの売れっ子アイドルに成長したのだ。765プロのプロデューサーとして、近くで見てきたからこそわかることだ。
「もう、しょうがないんだから」
故に、律子は苦笑しながらも美希の頑張りを肯定した。
「えへへ。律子、さんに許してもらえたの……あふぅ」
美希は満足げな笑みを浮かべると、愛らしいあくびを一つついた。そして倒したシートにもたれたまま、すやすやと寝息を立てだした。
「よく頑張ってるわよ。あんたは」
信号で車が静かに止まる。せわしなく動き続ける雑踏の中でも、穏やかな時間がそこにはあった。律子は普段は見せることのない優しい顔つきで眠り姫の穏やかな眠りを見守っていた。