地面に伏したサラを横目に殺人鬼は一歩また一歩マナへと歩みを進めた。
その靴音は彼女の耳にやけに深く入ってきた。その音は、死の音だ。彼女に近づく死を知らせる鐘の音だ。
「何を恐れている?死ぬことか?それとも、殺される事?または、痛みを感じる事かい?」
卑しい顔を浮かべながら殺人鬼はいった。
その質問に何の意味があるというのだろうか?どの選択を選んだところで結末は同じではないか。
ならば明白だ。自分は弄ばれている。他人の恐怖を肴にしている目の前の殺人鬼に。
殺したという事実は彼にとってどうでもいいのだろう。殺す過程で発生する被害者の恐怖こそが彼にとっての殺人なのだ。
「狂ってる」
月並みのセリフも吐き出すも、もはや何一つ意味などなかった。
迫る危機にマナはゆっくりと後退した。踵で蹴り転がした小石の音がやけに耳に響く。
「さァ、聞かせてくれよ?お前はどうなんだ?」
「……どれでもないよ」
「アァ?」
「どれでもないっていったの」
震える身体で、震える声を全身から絞り出した。
殺人鬼は足を止めケタケタ笑う。距離にして五メートル程だ。
「じゃあ、どう思っているっていうんだ?教えてくれよ?」
「だって貴方を倒した後、どうやって謝ったら姉さんが許してくれるかなって。また、怒られたらいやだもん」
「あ、アヒヒヒヒ。面白い事をいうじゃないか。でも、そんな心配いらないんだぜェ?お前はここで死ぬからな!」
地面を蹴った。ナイフを構え笑いながら殺人鬼はマナにそれを突き出した。
他者からみて氷継マナは流動的という評価が大半を占めていた。自らの意見を言うわけでもなくただ流れに身を任せる生き方をしていると。それを疎ましく思う人も少なからず居たのも事実だ。
だが、実際の氷継マナはそうではない。彼女は決して流動的ではない。何かに流されてい居るわけではないのだ。カテゴライズするならば彼女は意固地であろう。ただその中身は空に近い。『何となくやりたくない』その思考だけで彼女は歩みを止めていた。その後は流れに身を任せる事もなく無を演じてきた哀れな人間。それが氷継マナの正体。
そうして彼女はスポットライトを浴びる事を拒み、かといって客席でそれを鑑賞するわけでもなく。
『自分にはできない』
と舞台袖からそれを見ていただけだった。
今回も例外ではなかった。
ただ殺されゆくであろう姉を見ている事しか出来なかった。
―――自分には出来ない。
―――自分では無理。
―――誰かが何とかしてくれる。
マナはいつものように思考を止める。
それでも、と
『何とかしたい』
マナが本当に心の底から思っていた部分がいつもより膨張していた。
別に脚光など浴びたい訳ではない。ただ、自分の壇上を舞台袖から俯瞰しているだけが嫌だった。
いつも諦めているだけだった。それが自分にとって最善だと思っていたからだ。
ただ、本音は違う。
「私は!」
飛び出せ。飛び出せ。飛び出せ。
いつも誰かから言われ続けた言葉を思い出す。
変われ。変われ。変われ。
これも言われ続けた言葉の一つ。
恐れるな。恐れるな。恐れるな。
自身の核心を突き刺す言葉。
勇気を、勇気を持て。
「―――私は!」
マナは一歩進み出る。それは、数センチ程度のものかも知れない。それでも、彼女にとっては大きなものだ。
何かが駆動する音が聞こえた気がした。
熱を帯びた全身の魔術回路が唸りを上げる。
同時に彼女の身体が悲鳴を伴うが、構うものかとスロットルを加速させる。
バチバチと血液の様に胴体の中心から魔力を組み上げ回路を走りだす。
「もう嫌。みているだけなのは」
叫ぶ。マナは叫ぶ。例え非力だろうと微力だろうと。
その翳した右手は本物で本能だった。
「―――アっ?」
殺人鬼は瞬時に後方へと飛び跳ねた。
マナに突き刺した筈のナイフが彼女の作り上げた魔力の壁に阻まれたからだ。
「―――チッ。お姫様よー。そんな元気あったわけかィ?」
鋭く殺意の目をマナに向けると思わず彼女はたじろいだ。
「貴方の相手は私でしょう!?」
殺人鬼を中心に周囲からサラの魔術が文字通り火を噴いた。
荒れ狂う炎が彼を焼き焦がさんと降りかかったのだ。
「チッ」
舌打ちし殺人鬼は左手に持つ異形の短刀を逆手に持ち周囲の炎を切り刻んだ。
まるでその場で踊っているように。その足取りは華麗で無駄が一切なかったのである。
その光景を目にしたサラそしてマナは思わず驚愕するしかない。
「―――姉さんの炎がなんで?」
「左手に持つあの短刀。恐らくはアレが殺人鬼の強みと言っていいでしょうね。そして、それは何らかの方法で私の魔術を殺した」
「―――そうそう、その顔いいネ。驚いて驚いて自分が年月を重ねて築き上げてきたモノを訳も分からず粉砕された気分はどうだい?」
一歩。殺人鬼は歩み出た。
それだけでサラは大きく後退する。魔力を下半身に集中させ超人的な跳躍をして見せる。
気づけばマナと同じ位置まで下がっていたのだ。
「ね、姉さん?」
マナは姉を見上げる。その表情は強張っていた。こんな姉の表情をマナは一度たりともみた事がない。自身に対して向けていた表情とは似ても似つかなかった。
サラがマナに向けていた表情はもっと悲しそうな顔だった。マナは今までそれを自身を哀れんでいる故の表情だと思い込んでいた。
しかし、それは違うと。
そうではなかったと昨日の出来事で確信を得ていた。
目を背けていただけだった。向き合っていなかっただけだった。
途方もない後悔がマナを蝕む。マナはサラをこれ以上は直視出来なかった。俯きそれ以上の言葉が出てこなかった。
謝らなければいけない。感謝しなければいけない。それ以上に、もっと言いたいことが山ほど有るというのに。口が渇き声が喉の奥でつっかえて音に変換できないのだ。
「―――マナ。貴女にいう事があります。いいえ、言わなくてはいけない事が山ほどあります。でもそれは目の前の男を倒してから。でも、まずは一言だけ。今までごめんなさい。信じてもらえる。許してもらえる等とは思ってないわ。でも、これだけは先にどうしても言っておきたかった」
「ね、姉さん。わ、私も。私だって」
マナは初めてサラの気持ちに気づいた。自身と同じように苦悩していた事に。そして、同じ様に接し方が分からなかった事に。
原因は、自分にあるのだろうと何となく察しはついていた。エルザの昨日の反応をみれば自分が普通ではないことぐらい頭の悪い自分でも気が付くと。
「あ、謝らなきゃいけないのは私だって!姉さん!」
「その先は言わなくていいわ。貴女はただの被害者よ。だから貴女が謝る必要なんてどこにもない。だから、早く逃げなさい」
サラはマナの頭を優しく撫でると彼女の前に歩み出る。
「だ、駄目だよ姉さん」
「あら?私が負けるとでも?」
「―――そ、そいうわけじゃないけど……でも!」
サラは溜息をつくと振り返りマナの目を見た。
真っ直ぐに。彼女の奥底を見るように。
「やっぱりマナは意固地ね。頑固すぎるわよ。わかったわ。でも、危ないと思ったら直ぐに逃げなさい。覚悟があるのなら手伝いなさい」
「う、うん」
怯えながら震えながら。マナは地面を踏み抜き姉と並ぶことを選んだ。
「素敵なお話は終わったのかイ?」
殺人鬼は歩み始める。一歩、一歩ゆっくりと。
それは余裕の表れなのだろうか。
彼が一歩近づくたびにマナの緊張が大きく膨れ上がる。今なら逃げても間に合うだろうと。
今なら自分だけでも助かるだろうと。
囁きかける。胸の中の自分が、自身の決断を揺れ動かす。
それでも。
「それでも、私は。に、逃げないって決めたから。姉さんを見捨てたりしたくないから!」
縛られた鎖を振り払う様にマナは声を。
決意の声を張り上げた。
「―――マナ。相手は恐らく左手に持つ短刀。魔術礼装だろうけれど、それを用いて魔術を打ち消してくるわ。まずはそれを確定させる。私にさっき振り下ろした右手に持つナイフは貴女の魔術防壁に阻まれている。まずは動きを止める」
「や、やってみる」
「Invite to purgatory」
「わ、私も」
サラの詠唱を聞きマナも隣で自らを駆動させる。依然としてゆっくりと歩みを進める殺人鬼に向けサラは魔力で編まれた炎を穿つ。
一直線に伸びたそれは膨大な熱量を纏っていた。その温度は一瞬で金属を溶解するだろう。
だが、それ程の威力を有していようとも殺人鬼の前にはそれはただの『魔力の塊』にしかすぎないのだ。
「おいおいその程度か?」
殺人鬼が笑った直後。彼の両端から挟み込むように炎が湧き上がるこれを包み込まんとしていた。
「ああそれも駄目だ」
まず左側の炎を切断、すぐさま両手の獲物を切り替えて右側の炎をも殺してみせる。
「まだ!」
直後、魔術で形成された防壁が幾重にも折り重なり殺人鬼の行方も阻む。
しかし、彼は動じない。ゆっくりとそれに異形の短刀を突き刺し、瞬時にそれを消滅させた。
「終わり?まぁいい。こいつの正体が気になるんだろう?」
そして彼は満面の笑みを浮かびあがらせる。
「―――へえ?わざわざ教えてくれるっていうのかしら?」
冷静を装うもサラの顔を引きつっていた。それは誰の目にも明白だった。そして、マナもまた殺人鬼の真意に気づけはしなかった。
魔術戦闘において自身の強みを教えるなど具の極みだという事くらい心得ているからだ。
「あぁ。教えてやるよ。寧ろいつも教えてやっているんだ」
「それは随分と余裕だこと」
悪態をついて見せるも只の悪あがきだという事もサラは重々承知している。だが、そうでもしなくては彼の余裕のプレッシャーに食い殺されなかった。
「まぁいい。俺のこの魔術礼装。『起源尾刀』っていうらしくてな。何でも俺の起源である『殺す』事に特化しているって話。理屈は俺にもよくわかっていないさァ。要は
『俺が殺せる対象として認識した魔力・魔術全てを殺せる』って事」
「な、なにそれ滅茶苦茶すぎるわ……それならサーヴァントすら消滅させられるって事じゃない!?」
「あぁ、そりゃそうさ。そういうもんだからなこいつはァ。でも、魔力でできたもん全てを殺せるがその実はそうでもない。結局は俺がそれを『殺すと認識しなければいけない』からな。結局、サーヴァントの獲物は殺せなかったよ。それは俺が『武具』として認識しちまったからな。昔、殺した魔術師に全身魔力で編んだ鎧を纏った奴が居てね。俺はてっきり本物の鉄の塊を着込んでると思ったが違ったらしくてよ。それが魔力でできてるって聞いた瞬間あっさりと殺せたよ」
「それは理屈が通らないわ。その短刀自体に『魔術を殺す』能力があるとして斬ったもの全てが対象になる筈。目や耳、手足。貴方事態と連結している肉体的干渉があるのならばまだしも。その短刀自体が独立した存在である以上、貴方の自由意思で『殺す対象』を制御できるというのかしら?」
サラの疑問は最もだ。目や耳。視覚、聴覚、手足による触覚等、自らの意思で『魔力』を認識しているのならばまだしも、魔術礼装となる短刀を挟んでから彼の自由意思を汲み取るというモノ自体それこそ英雄の用い得る宝具クラスの代物と言えるだろう。
「いや、だから厳密には制御しているわけじゃない……まぁどっちも同じか。どの道お前らここで殺すし」
瞬間、殺人鬼は加速する。打ち出された弾丸を拒むように彼の眼前に炎が迫る。だが、それは彼にとって道端に生える雑草な様なものだ。右手に持った起源尾刀を振りかざし、殺人鬼は草を刈りとっていく。
蹂躙。まさに圧倒的だった。彼のそれは魔術師にとってただの脅威でしかなかったのだから。
******
彼らは瞼を擦った。各々信じられないという表情で苦笑を浮かべていた。
「デュフフフ。ようこそおいでくれたな!拙者の船へ!拙者の象徴へ!」
「お前が呼んだ様なものだろ?わけのわからん事をいうんじゃないよ」
セイバーは悪態をつきそれを見上げた。
セイバーをはじめランサーとアーチャーは船体の上にいたのだ。甲板というべきか。周囲には広大に広がる海。そして、英霊が立つ船の周囲には髑髏を帆に掲げた海賊船という言葉が相応しい船が数百と取り囲むように漂っていた。ライダーはメインマストの横支柱に腰を下ろしケタケタと笑う。
「さぁ我が同胞よ!血肉を啜れ。今宵の獲物は英霊どもの首よ!気高き精神を掻き毟り!その誉を地に落とせ!」
ライダーの叫びと共に彼らは現れた。まるで目の前の獲物を前にして。飢えた獣のようにその眼は滾っていたのである。
「なんだ?只の雑魚だろ?これがお前の宝具っていうなら笑ってしまうよライダー?」
セイバーは肩を竦めて笑うと同時に剣を水平に振るう。眼前にまで迫っていた一人の海賊兵が声もなく消えていった。セイバーら三人を囲むのは名もなき海賊達だ。彼らはライダーに付き従ったもの。彼を志したもの。彼を尊敬したもの達と言ってもいい。言うなればそういった人間たちの怨念に近かった。
大海賊。エドワード・ティーチに付き従う亡霊。個々としては、本当に力を持たない空っぽの人形達。動きは単純にして明解。剣を持つ者は敵にそれを振るうだけ。銃を手にした者はそれを放つだけ。英霊として現界しているサーヴァントにすれば赤子を捻るも当然の集まりだった。
「ライダーよ。少し拍子抜けだ。所詮は烏合の衆。私達の敵ではない」
そういうと弓兵の名を持つアーチャーはその技量をいかんなく発揮した。高速で放たれた矢は瞬く間に亡霊を飛散させる。
「ライダー!この程度ならそれでいいさ。でも、僕は君を許す事はない!一気に片をつけさせてもらう」
ランサーはその槍を振るいメインマスト目掛けて直進する。行く手を阻む有象無象を薙ぎ払う姿はまさに英雄そのものだろう。
それは数秒でライダーの元へと辿りつけるほどに。
「いやはや流石は三騎士でござるな。拙者もこの程度と思われては海賊の名が泣くでござるよ」
それでもライダーは飄々とした態度を崩さなかった。想定内と笑って見せる。
ランサーの行く手を阻むように彼らは立ち上がる。何処からともなく湧き出てはその槍に掻き消されていく。無限に無限に湧き上がる。
何度槍を振るっただろうか?何人薙ぎ払っただろうか?ランサーは文字通りその場に釘付けにされていたのである。無限に湧き上がる亡霊に周囲を取り囲まれたままに。
「いやはや。中々に粘りますな。では、ちょっとした余興をば」
ライダーはいつの間にか手にしていた酒樽を煽ると立ち上がり叫ぶ。
「さぁ野郎ども英霊さん達はそろそろ飽きてきていらっしゃる様だ。ちょいと俺達の戦いも進ませてやろうじゃねぇか!」
船長の号令と共に亡霊たちは雄たけびを上げる。それに、呼応するように彼らを乗せた船体が大きく揺れた。
「船が進んでいる?」
ランサーの言う通り先ほどまで停滞していた船団は何処からともなく噴き出した風に帆を靡かせ突き進む。荒れ狂う波に飲まれながら進むそれはまさに海賊の行進だ。
「―――くっ。踏ん張りがきかない」
揺れる船体に釣られてランサーは槍を振るうと同時に態勢を崩す。その隙を突かんと亡霊が食らいつく。剣を振るう。乱暴に。横暴に。
敵を食い尽くさんと爛れた剣先がランサーを掠めたのだ。
「おうおう。イケメンの小僧や。船の上での戦闘は不慣れかい?そいつはいい!野郎ども!イケメンに教えてやりな!船上の戦い方って奴をよぉ!」
足を取られた瞬間。ランサーは領地を犯された。略奪する兵士は六体。四人は湾曲した剣を携え地平を駆け、残る二人は跳躍し上空より彼を脅かす。
「―――しまった」
後悔が脳裏を疾走する。足を取られた瞬間、敗北がランサーを手招きしていたのだ。
「―――貸し一つだ色男」
直後、ランサーを脅かした侵略者は飛散した。
彼らの間に入ったセイバーが、逆に海賊らを蹂躙したのである。その黒い輝きを放つ剣を振るった女性は振り向くこともせず告げる。
「頭を冷やせよ、ランサー。お前の目的はなんだ?あの髭を殺す事か?違うだろう?お前が成すべきことは妹の方を守る事だろう。その為にあの髭を打倒する。順序が逆だ。ただ噛みつけば倒せると思っているなら野良犬以下の思考かよ。落ち着け」
「セイバーの言う通りだランサー。ライダーは明らかに持久戦を仕掛けてきている。その意味がわかるか?」
弓兵の冷えた声がランサーの耳を突く。上空の侵略者は彼の矢により射抜かれ消滅していた。
「―――すまない」
叱咤されランサーは一度構えを解く。
激昂に身を委ねては相手の思う壺だという事を彼は理解した。
そんな彼、彼らを目にして、面白くないと嘆くのはマストの上で胡坐をかいているライダーだった。その蓄えた顎鬚を摩りながら彼は呟く。
「おうふ。拙者の目論って既にばれてる?そんな事よりセイバー!船上で意気揚々と動きすぎじゃない?もしかして同じ海賊だったとか?だとしたらキャラを被ってるし拙者このまま持久戦するのもちょっと苦しいかも?」
ゲタゲタと笑うライダーは景気よくピストルを発砲する。その音に釣られてか亡霊がランサー達を取り囲む。
「質問が多いんだよ髭野郎!こちとら伊達にバイキングを纏め上げてたんじゃない。船上の戦い方なんざ心得てる。それより、さっさと降りてきて私と戦え。直ぐにその首を刎ねてやるよ」
鋭い眼光を放つセイバーに、大きなリアクションと共にライダーは声を漏らす。
「んんんん。残念ながらそれは出来ませんぞ。察しの通り拙者の目的は時間稼ぎ。君達、自分の存在を勘違いしていませんかな?我々はサーヴァント。武勇を謳う英霊?馬鹿馬鹿しい。我々の在り方は只の使い魔。それを騎士の決闘だの、武勇を競うだの、戦士のプライドだのとちゃんちゃら可笑しくて反吐が出る。所詮はマスターが居なければ存在もできぬ、哀れな個体だと言う事を認識しているのか?要は道具だよ道具。そして、この戦いに勝つ方法はとってもシンプルなモンだ!マスターさえぶっ殺せばいいってもんだろうがよぉ!」
ライダーは立ち上がり怒声を上げた直後。
火薬の匂いがサーヴァント達の嗅覚を刺激した。その答えは直ぐに訪れる。大量の煙を漂わせ船上へと降下してくる鉄の塊。それを砲弾といわれるそれだった。
「ライダーめ見境なしか!」
アーチャーが弓を上空に放ちそれを射止めんとするが数が多すぎた。その数は数百にも及ぶ。圧倒的物量が三騎士へと降り注いだのだ。
「船ごと沈める気か!」
セイバーが船上の亡霊を薙ぎ払いながら叫ぶ。
それをライダーはあざ笑う。
「まさかまさか!ここは拙者の空間で世界。そうまさに主人公補正ってやつよ!痛みもがき苦しむのはテメェらだけなんだよ!」
次々と着弾する鉄塊は爆発をもたすも甲板に傷一つついてはいない。更には亡霊も爆発で掻き消えるもののすぐさま元の形を成してランサー達に牙を向ける。
「―――くっ。滅茶苦茶だが彼の戦法は理に適っている」
ランサーは唇を噛む。それは憎しみと悔しさからくるものだった。
ライダーの言う通り聖杯戦争に置いてサーヴァントは強力すぎる程の戦力だ。しかし、その実態はただの使い魔に過ぎない。英霊とは名だけの抑止力だ。
始まった時点で勝敗など決まっている。英霊同士の戦いと言えば聞こえはいいが、実際はただの魔術師同士の殺し合い。聖杯戦争に必要な触媒を選定する段階で順位は確立されている。後は、魔術師が英霊という核兵器をチラつかせながら腹を探り殺し合うだけの単純なゲーム。起爆する人間が居なければ兵器は永遠に埃を被ったままなのだ。その兵器を使わせないのがライダーの役目であり、後は起爆装置を持つ国家を蹂躙するのがマスターである殺人鬼の役目だった。
「流石に拙者もこの宝具を使うのは少々疲れる。だが、その為のエネルギーは十分に確保してきた!そう、人間の心臓を喰らってな!そして、貴様らのマスターである魔術師の心臓を更に喰らい尽くしてバーサーカーとアサシンも纏めて深海に沈めてやるよ!野郎ども!間抜けな英霊共を思う存分足止めしな!ぐわははははは」
「―――面倒だ、が……」
セイバーは舌打ちし周囲を見渡した。その動作をランサーとアーチャーが見逃す筈もない。
「何か手があるという顔だなセイバー?」
「それはお前も同じだろう?宝具を使った後で私に殺されるか、ここでのたれ死ぬか決めなアーチャー」
「―――フン」
セイバーとアーチャーそれぞれライダーの固有結界を破る方法はあった。各々が持つ最強の『宝具』を使用するならばという条件付きではある。だが、それを使用すれば真名をそして弱点を晒す事他ならない。今彼らは共闘こそしているが、ライダーを倒せば次は闘う定めなのだから。
だからこそ、セイバーもアーチャーもここでの宝具の使用を躊躇っていた。
「―――二人ともいい。僕がやる」
視線で殺し合う二人を遮るようにランサーが一歩歩み出る。
「おいおい正気か?お前宝具を晒すというのか?」
「どの道、宝具を使用しなければライダーを破る事は出来ない。それでは、僕はマナを救う事すら叶わない。それに。僕の真名が知られたところで君達二人に後れを取る事はないさ!」
「言ったなランサー。良いだろうその自信、気に入ったぞ。時間は稼いでやる。何分だ?」
アーチャーが弓を構えてランサーに並ぶ。
仕方ないといった表情でセイバーもそれに習った。
「アーチャー、別にお前も宝具を晒しても言いのだぞ?お前らの宝具を見定めるのも悪くはない」
「―――ぬかせ。そもそも宝具は単一とは限らんぞ」
「ありがとう二人とも。一分でいい。僕が宝具を使用する時は直ぐに下がって欲しい。巻き込みたくはない」
「フン、大した自信だ。いくぞ」
アーチャーが弓を引き絞る。狙いはただ上空から降り注ぐ鉄塊。
セイバーが剣を構える。殲滅するは目の前に群がる有象無象。
「何を考えているか知らねぇが!野郎ども!時間稼ぎもいいが!奴らを殺したってかまわねぇ!略奪しろ!」
ライダーの号令と共にその亡霊達は雄たけびを上げた。その数は先ほどまでとは比較にならない。甲板に敷き詰められたそれらは軍勢としてセイバーに迫りくる。
「悪いなサラ。私もここで死ぬわけにはいかないからね。―――使わせてもらうぞ!」
そして、ランサー達に降り注いでいた鉄塊も激しさを増していた。もはやアーチャー一人ではそれを防ぎきる事など不可能な程に。―
「―――一分だ。その約束は果たすぞランサー」
アーチャーの弓が呻きをあげた。それは魔力が膨大に充填された呻き。寧ろ歓喜の喘ぎと言ってもいいかもしれない。その弓は笑っているのだ。殲滅。破壊。蹂躙。全てを可能にする大英雄ヘラクレスの大弓はその力を開放せんと喘いでいたのだ。
その担い手たるヘラクレスよりこの弓を譲り受けたピロクテテスもニヤリと口元を歪ませる。
「これより放つは唯一無二の我が宝具」
それは最強の一撃。
大英雄より授けられた最強の弓。
そして、担うは戦争を終結させるべき呼び戻された英雄ピロクテテス。
放つは一矢。九本からなる一矢。
「しかと目に焼き付けよ、その眼にて追いきれる者ならば!
―――
直後、光が走った。アーチャーが放った矢は総数九つ。その一矢一矢が上空を駆け巡った。それらは一つのに収束し、一本の光の矢へと変質する。
それが駆け抜けた先、降り注いだ全ての砲弾を消滅させ、そこには巨大な光の矢が柱の様に佇んでいた。
「フンッ。ハッキリ言って五割といった所か。全力で放たれた我が宝具はこんなものではないぞ」
アーチャーは横目でランサーとセイバーを見た。自らの仕事はやってのけたといわんばかりに。
「―――全く。仕方がない。だが、私にしてみても手の内を晒したからと言って負けるわけがないがな!」
セイバーは未だ鞘を被ったままの剣を水平に持ち正面へと突き出す。左手に鞘を持ち、右手には剣の柄を握りしめる。
直ぐにそれは現れた。禍々しいオーラがセイバーの握る剣から放たれる。
「―――
セイバーがその剣を抜いた瞬間。剣により、そしてセイバーにより圧殺されていた『呪』が解放された。その刀身を全て抜き切っただけで。只、それだけで船内を埋め尽くしていた海賊達は一瞬で塵へと消えていく。
呻きをあげ苦しもがく瞬間すら、海賊達には与えられなかった。それをも上回る呪が、怨念が、執念が、セイバーの宝具、呪われし漆黒の魔剣(ティルヴィング)に込められていたのだ。
彼女の剣は正に異質と言えるだろう。刀身には漆黒の炎を纏いそれを視覚で認識するだけで底知れぬ深い闇に引きずり込まれそうになるからだ。それはサーヴァント―――英雄であるランサー、そしてアーチャーですらそう認識してしまう程に痛烈なモノだった。
「私の仕事は終わりだ。後は好きにすればいい」
セイバーにしてもアーチャーにしても、各々の宝具を全力で使えばライダーの固有結界を打ち破れると確信していただろう。だが、それでは『聖杯戦争』を勝ち残る事が出来ない。
それでは、意味がないのだ。故に彼らは宝具の使用を躊躇った。だが、その中で一人ランサーは宝具の全力使用を躊躇いなく発揮しようとしていた。
本来ならそれを黙って認めてしまえば終わりだった。しかし、セイバーもアーチャーも『英雄』だった。ライダーがあざ笑う愚かな英雄だった。そうプライドが許さなかったのだ。一人に全てを負わせ自身が楽々と勝ち上がりなど戦士としての誇りが許さなかった。戦術としての奇襲ならば問題なく彼らは遂行するだろう。だがしかし、共同戦線を張っている今、ランサー一人に手の内を晒させるなど許せなかったのだ。
「―――マナ。魔力を借りる。そして、セイバー、アーチャー礼を言う。この借りは後に雌雄を決する事で返そう」
ランサーは自らの槍に魔力を装填させる。黄金の聖槍は輝きを増し本来の『輝き』を取り戻す。それは世界を震撼させる輝き。それは世界を形成する輝き。その槍は。
この槍こそ。この槍の在り方こそ。世界そのもの。それを振るう青年は謳う。
その世界の真名を―――
「―――
その刹那に世界は形成され槍から放たれた輝きはライダーの世界を崩壊させる。
アーチャーの放った宝具より、セイバーが見せた宝具以上に、その一撃は圧倒的だった。
それは果てのない輝き。
捻じれた輝きの一撃は世界に穴を穿つ。
世界の主であったライダーですらその崩壊をただ傍観する事しか出来なかった。
*****
それは停止する事を忘れた猛獣が如く。
そして、彼女らは只捕食者に喰われるのを待つ無残な得物だったのだろう。
年月を重ね努力を積み上げてきたサラの魔術は彼の一振りで抹殺されてゆく。
「諦めな魔術師。魔力で錬られる魔術じゃ俺は殺せない」
「―――そうみたいね。その魔術礼装がある限り私では貴方を殺せない。でも、貴方もそれだけじゃ私を殺せない。その魔術礼装では『魔力』しか殺せない。だから、貴方は私を殺そうとした時、普通のナイフを振りかざした」
「なんだァ?やっと理解したのか?じゃあ!死ね」
一歩踏み出した時、殺人鬼はその歩みを停止させた。全身の血管が筋肉が急速に委縮し脳髄が警鐘を鳴らす。
振り向くな。振り向くなと。
自身の後方で膨れ上がるそれは振り向かずとも認識できた。再度、警鐘の音が鳴る。
今度は明確にそれを提示したのだ。
「―――避けっ」
咄嗟に身をよじきり殺人鬼は地面を蹴り背後を見た。
それは『輝いていた』。
何がとは彼には説明出来ない。ただ一つ彼が分かったのは先ほどまで自身がいた場所は、その『輝き』に穿たれていた。
「―――ライダー、固有結界を破られたのか?」
使い魔からの返事はない。彼のサーヴァントであるライダーは両膝を地につけていた。胸部に突き刺さされた槍が、彼の今を物語る。その肉体は自らの血液で赤く染めあげられていた。
ランサーは険しい表情を崩さぬまま槍を引き抜いた。穿った穴を見て確実にライダーを仕留めたと確信に至る。
「おい、色男。完全に殺したのか?幾つか此奴には聞きたい事があったのだが……」
「―――あぁ。殺したよ。それより今はマナを助ける」
ランサーは駆けだす。それに続きアーチャーとセイバーもそれに習うも、直ぐに足を止め背後から噴出する異形のオーラを垣間見た。
慢心でも、怠慢でもない。だが、彼はまだそこに居た。
「―――何処へ行くつもりだ?誰が死んだって?誰を殺したって?面白い冗談だ……なら今ここにいる俺は。何者なんだぁ?小僧?」
ライダーは立ち上がる。その胸部には確かにランサーに穿たれた風穴が空いている。
『死んでいてもおかしくない』その傷を、彼は負ったまま立ち上がる。
「―――っ」
アーチャーは無言で正確に、そして確実にライダーの両肩と両足を射抜いた。並みのサーヴァントであるならば、その矢により立ちあ上がる事など不可能な程痛烈なものだ。
だが、彼は伏しない。鮮血を零しながら彼は笑う。ただ、不敵に笑う。
「言った筈だぞ。俺は、俺達は使い魔だ。ただその役目を果たす道具だと。俺の今の役目はお前たちの足止めだと」
地面を蹴った。それは今ここにいるどの英霊よりも機敏で俊敏で、最速だった。セイバーとアーチャーが反応すら出来ぬ程のスピードで、彼女らの間を潜り抜けるランサーに肉薄し、彼の纏う鎧にサーベルを乱雑に叩きつけた。
「―――ライダーっ!!」
ランサーはすぐさま聖槍を突き返す。だが、ライダーはすぐさまに真上へと跳躍しラッ
パ銃の音を靡かせる。その風貌からは想像出来ぬ程軽やかな動き。ランサーの背後に着地するとサーベルを再び振るう。
「―――速い」
その一撃をランサーは、槍を両手で支え何とか防ぐ。
「―――お前っ……」
思わずセイバーは身震いした。ライダーは既に『瀕死』なのは誰の目にも明らかだった
からだ。にも拘わらず彼はそこに立ち続ける。それは、彼の執念なのか。先ほどまでの飄々とした態度を見せていた海賊の姿はそこにはない。今、目の前に居るのは紛れもなくかつて世界を震撼させた恐怖の大海賊。エドワード・ティーチの凄まじき執念だった。
「行かせはしねぇぞ。ここで俺が死のうとも貴様らも道連れだ。大海賊と謳われたエドワード・ティーチの本懐、思う存分味わっていけや」
その凄みは、思わず三騎士の名を関するサーヴァントの動きを一瞬でも戸惑わせるに値した。
そして、その一瞬はライダーにとって十分な時間だったのだ。
そして、彼のマスターである殺人鬼は笑う。
遊びは終わりだと。これ以上長引かせる意味もないと。
「ライダーを失うのはまだこの時ではない。さっさと殺す。抗うなよ?そんなものは何の意味も持たないからなァ!」
殺人鬼は、駆けた。余裕も、慢心も全てを置き去りにして。ただ駆け抜ける。目標を、標的を食い散らかすためだけに。
「―――死ね」
獣は一瞬で噛みついた。彼の魔術礼装『起源尾刀』で殺せぬ魔術は存在しない。幾らサラが炎の渦を鳴らしても、マナが美しい防壁を形成してもそれらは全て無に帰る。
サラに突き出された起源尾刀の一閃。それ自体の殺傷能力は高くはない。だが、魔術師の胴体に突き刺すだけで、それらは存在意義を失った。
「―――姉さんっ」
マナの悲鳴が、叫びが木霊する。
殺人鬼に突き出された異形の短刀は、マナが咄嗟に発現させた魔術障壁を瞬時に切り裂く。その一秒もないタイムラグ。
再び突き出された異形の短刀。
サラはそれを左手で掴みとった。掌を貫通する痛みは遥か遠くに消える。それもその筈だった。そんなものが痛みに入らない程の激痛が左腕に走ったからだ。血管がねじ切れるようない軋み。殺人鬼の魔術殺しは彼女の身体を侵食する。
ブチブチと何かが千切れる音。ポタポタ何かを消失する音。彼女の左腕に通う魔術回路が悲鳴を上げて断線する。
「―――よく反応して左腕で受け止めたと褒めてはやる。だが―――お前は死ぬ。魔術師として死ぬか?人間として死ぬか?まぁ選択肢はやらねェ!朽ち果てなァ」
「―――っ」
痛い。それは、肉体的損傷に対してではなかった。サラは悔しかった。長年の努力を一瞬で無意味の烙印を押されたのだから。自身が守るべきだった妹の前でこんな無残な姿を晒したのがどうしても許せなかった。
「―――貴方言ったわよね?その魔術礼装でしか殺せないって」
笑った。こんな無残な姿を晒しておきながらサラは笑った。殺人鬼は彼女が死を前にして鳴いているだけかと認識した。だが、サラは笑う。不気味に、不気味に口元を歪ませた。
その笑いの正体に殺人鬼は気づかない。確かに起源尾刀は彼女の魔術回路を破壊した。その浸食は次期に全身の回路を犯し続けて廃人へと成り果てるであろう。にも関わらず何故彼女は立っていられるのか?
「―――ア?」
「―――魔術を殺すのでしょ?当然、魔術回路も殺せる。いいえ、魔術回路を殺しにくるって思ったわ。えぇ、確かに私の左腕の魔術回路は殺されたわ。死んだ……もう使い物にはならないでしょうね」
「何を言ってやがんだ?お前は!」
殺人鬼は焦る。人生で初めてと言っていいかも知れない。理解が追いつかなかった。目の前に居る氷継サラの言動が理解できなかったから。だから、確実に殺す為に。
「死ね」
振るったそれは、只のナイフである。だが、人間を殺すには十分な威力を持ち合わせていた。故に彼は気に入っていた。起源尾刀では、魔術師しか殺せない。只の人間に突き刺したところで何も殺せない。
それが、彼は嫌だった。肉を抉る感触。筋肉を削ぎ落す快楽。臓物を切り刻む快感。骨を削る取る悦楽。全てがナイフ越しに伝わる感覚は彼にとって何事にも代えられぬクスリだった。殺人鬼は魔術師を一度殺し、人間として再び殺す。故に魔術も殺せぬ金属の刃物は彼にとってトドメを刺すための一撃なのである。
「姉さん!」
無意識に大降りになっていた一撃はマナが作り出した魔術障壁に阻まれる。
小賢しいと舌打ちし、その障壁を殺そうと起源尾刀を振ろうとした瞬間彼は気づいた。
「―――な……に?」
焦げ付くような痛み。胸部が震源地となってそれが全身を巡る。痛覚が悲鳴を上げ、全身の神経が逆立ちした。殺人鬼は思考に追いやられる。理解が出来ない。何故?疑問だけが脳内を侵食する。
「何故、自身の胸がこの女の右腕に貫かれているのか?何故、この女はその右腕に炎を灯しているのか?何故、この女は魔術を使えているのか?そう、思っているのでしょう?」
「―――何故?」
殺人鬼はサラの言葉を反復する。だが、問わずにはいられなかった。燃え行く自身の身体には興味もなかった。それよりも何故自身が燃えている事が疑問で仕方なかった。
「ええ、教えてあげるわ殺人鬼さん。どうせ、死ぬのでしょうし」
サラは殺人鬼から起源尾刀を奪い取ると口を開く。決して彼女自体余力が残っているわけではない。それでも、手向けだと言わんばかり言葉を紡いだ。
「魔術回路は魔術師にとって魂そのもの。疑似神経と解釈するとして、一度それさえ開いてしまえば、自身でスイッチを切り替える。要は、自身を電源として魔術回路は全身に巡らされたケーブルの様な物。私は、その在り方を他の魔術師よりも弄ってあるだけ。まさかこんな事に使えるなんて思ってみなかったわ。そもそも、使う必要もそうする必要もないのだから」
ともすれば独白のように続けるサラを、殺人鬼は呆然と見つめる。
「私の回路はね、それこそケーブルごと抜き差ししてそれを収納できるの。はっきり言って何の意味もないわ。ただ、人と違う事がしたかっただけかも知れない。私の魔術回路の総数は三十二個。貴方が殺したのはサブで使っている二本。貴方がその魔術殺しの短刀で私の魔術回路殺した時点で他の回路は私の中にしまっただけ。だから、私はまだ魔術師で魔術も扱える」
「―――そうかい、そうかい。じゃァ俺が殺したのは要らないケーブルだけだったわけかい」
「―――えぇ。でももう左腕にはそのケーブルを通す事は出来そうにないわね。崩落したトンネルはもう道ではないもの後続の車はそこを通る事はできないでしょう?」
「―――」
サラの問いに殺人鬼は答えない。答えられない。答えるための機能が既に肉体から剥がれ落ちてしまっているのだから。そう、魔術殺しと謳われた恐怖の殺人鬼はここで死に絶えたのだ。
「―――あっあ……」
緊張が解けた影響か、マナがその場でへたり込んでしまう。
「―――貴女のおかげよ。マナ、ありがとう」
そう言ってサラはマナに右手を差し出した。その表情はマナに日頃向けられた厳しい表情と同一だった。だが、今のマナにはハッキリとその表情の意味が。別にそれが自身に向けられた嫌悪や憎しみといったものではない。
只、彼女はその気品を崩さぬよう無理をして見繕っているだけなのだと。
「ね、姉さん。その、左腕」
衣服は裂け鮮血が滴るサラの左腕をみてマナは顔を青ざめる。紛れもなくそれは、自身の所為だと痛感したからだ。
「―――いいのよ気にしなくて。貴女の責任ではないのだから」
サラはマナの心中を察して直ぐに声を上げる。
おずおずと顔を上げるマナに向けられた表情は数年ぶりに見せるサラの穏やかな笑顔だった。