彼に映る景色はない。だが、その命を散らす直前そこには確かに光が差した。
それを彼は走馬灯の様なものだと形容した。
眼前には王が玉座にて鎮座している。
向ける顔がないと彼は俯くが王は、何時かの様に同じ言葉を投げかけてきた。
「顔をあげられよ」
「―――出来ません。私は……愚かだ。感情に任せて行動しすぎたのです。蛮勇の騎士らしい醜態を晒し死にましょう」
「―――顔を上げてくれ。卿」
それでも構わないと王は彼に言う。
彼にはわからなかった。何故、王は私を許すのだろう。その意図も目的も理由も分からない。だから、彼は顔を上げて見せた。
「―――何故です王よ!何故、私を許すのです!私は罪を犯した。私は、今もこうして醜態を晒している。何故、何故だ王よ!」
彼は撒き散らす。ひたすらに己をまき散らす。
そんな彼に王は、あろうことか微笑みを覗かせていたのだ。あぁ、王は私の無様をあざ笑っているのだと。そう納得しようと思った。
「卿よ、もういいのだ。貴方は私にとって優秀な騎士なのだ。だからもういい、もういいんだ。許してやってくれないか、自分自身を」
「―――王……」
―――あぁ、理解できた。
騎士は自らの罪に初めて気づかされたのだ。
それは、心の弱さだった。憎かったのは自分自身だった。それを何かの所為にして逃げ回っていた事に。
王からの許しが欲しかった訳ではない。
自分自身が許せなかった。だから―――自身を許す自分が欲しかった。
それを甘えだと感じたからこそ、彼は王の元を去った。だが、それを恥じる事ではない、と王は告げる。
「―――もういいのだ。許そう。私は、許す。卿を追放した私自身を。だから卿も自身を許せばいい。それは、我儘でも何でもない。卿は騎士であって人なのだから。人だからこそ騎士なのだから……」
「あぁ、勿体ない言葉です。我が王よ……私は……」
「―――そうだ。自らの罪を刎ねのけた卿は更なる強さを手に入れたのだろう。ならば、その剣を再び私の隣で奮ってはくれまいか?」
王の手が差し出される。彼は、その手を握りしめ立ち上がる。
「―――蛮勇の騎士よ。共にこの国を平定し秩序を守っていこうではないか。―――行こう、ベイリン卿」
王の微笑みは決して穏やかとは言い難い。
だが、それは彼が見慣れた王の顔。そう。王とは勇ましくなければならない。だからこそ、彼は王に仕えようとしたのだ。
「―――ありがとうございます。このベイリン。蛮勇の名に恥じない武勇をこの大地に刻みましょう」
そして、一人の騎士は眠りについた。
自らの愚かさを受け入れた彼の贖罪の道は終わりを迎えた。
******
「―――見事」
アーチャーは自らの魔力を絞り出して声を上げた。それは、対面に位置した剣士に向けた称賛であった。
己が魔力を全て絞り出した必滅の矢。それは、魔剣を有する彼女の一刀にて両断された。
それを彼は讃えたのである。
「―――あぁ、全力で戦えた。悔いはない」
崩れゆく体を立て直す気力すら彼には残されていなかった。その身は重力に逆らわず墜ちてゆく。地面に主塔から墜落したアーチャーの肉体を、コンクリートが受け止めた。
口から零れる鮮血、それを吐き出す力すら彼には残されていない。
「―――トドメを刺すかセイバー?」
彼の傍らに剣士が降り立つ。だが、彼女は首を横に振り肩を竦めた。その手に持つ剣も既に鞘に納められている。
「いいや、そのつもりはないさ。この通り私にもそんな余力がないみたいでね」
そうため息を尽き彼女は腰を落とす。立っている事さえも困難だと言わんばかりに。
「セイバー!」
その彼女にマスターであるサラが駆け寄った。
「悪いなサラ。大分魔力を貰った……」
「そんな事どうでもいい。それより貴女大丈夫なの?」
「あ、あぁ、少し休ませてくれ……」
サラは改めてセイバーの状態を直視する。正に満身創痍という言葉が相応しい。彼女の纏う鎧はその意義を消失していた。力を込める事さえできない右腕はだらしなく爛れている。
直後、アサシンを打倒したランサーとマナも彼女らの元へと駆け寄ってきた。ランサーの負傷もまた酷くマナが顔を真っ青に染め上げた。
「―――アーチャー、答えてもらおうか?君のマスターについて」
ランサーが仰向けに横たわるアーチャーへ穂先を向けた。
―――瞬間、思わず振り返らずにはいられないほどの、異様な気配が彼らを包み込んだ。
「―――その必要はない。さて、残るサーヴァントはワシを含め三騎。いい加減、うつけを演じるのも疲れてのう。どれ、久しく『英霊』となっておらなんだ。ちいとばかし肩慣らしに付き合ってはくれんか?」
その姿を見たマナは目を見開き硬直した。
日立一護、彼が生きていたと安堵するよりも、その横で佇む一人の女性に違和感を感じたからだ。
「うむ。そこの器の小娘と会うのは二度目じゃが、他の者共は初めてじゃの」
その女性は品定めでもするかのようにマナ達を眺める。だが、マナの中の違和感は消え去る事はない。確かに、マナは彼女と一度会っている。昨日、駅で見かけた日立と一緒にいた女性だ。だが、彼女は今、自らをサーヴァントと名乗った。これが氷継マナの違和感の正体。
昨日、遭遇した時彼女は確かに『人間』だった。あの距離ならばランサーですら彼女をサーヴァントとして探知できた筈である。マナは直ぐ横のランサーを見るが彼に驚きの様子はない。ただ、目の前の邪悪に敵意の眼差しを送っているだけだった。
「そうか。小娘は見破れんかったか、ワシの正体を。なに、ワシの宝具の一つでな。サーヴァントとしての能力を使えん代わりに、その気配を完全に人とするモノじゃ。うむ、現世の俗世も中々に愉快じゃった」
軍服に身を包んだ女は愉快そうに笑う。本当に心から笑っているのだ。
「さて、一護。これよりどうするかのう?」
傍らで立つ日立に女性は視線を送る。
「あぁ、氷継さんがあまりにも面白い顔をするから思わず見とれてしまったよ。好きにしろ。随分と溜まっていたんだろう?」
日立は顔を歪ませる。汚く、不敵に。それは悪魔の微笑みだとマナは顔を顰めた。
「では、好きにやらして貰おう」
女性は、右手に刀を持ち、左手に銃を持って高らかに宣言した。
「ワシの名は信長、織田信長!此度の聖杯戦争にバーサーカーとして現界した。ワシに平伏しろ!頭を垂れ、自らの命の尊さを知れ!我こそは第六天魔王、織田信長也!!」
「―――信長」
マナは息を飲んだ。目の前に居る女性は自らを織田信長と名乗ったのである。
―――織田信長。日本人であるならば誰もがその名を知り、その偉業を知るだろう。天下統一を志し、あと一歩で命を散らした英傑 。
第六天魔王信長がバーサーカーとして現界しているのだ。
そして、マナは彼女を知っていた。昨日、日立を交えてしっかりと彼女を視認したにも拘らず、サーヴァントとしての気配も情報もマナには知覚できなかった。目の前に居た信長を名乗る女は昨日の時点で間違いなく『人間』だったのである。
衝撃的な事実の現実にマナは顔を青ざめさせた。そんなマナの表情をニヤリと歪ませた口元でバーサーカーはクツクツと肩を鳴らす。
「実に愉快じゃ。娘よ、不思議であろう?わしを何故英霊と認識できなかったのかが?」
一体、何の話だとその場にいるサラ、そしてセイバーとランサーが首を傾げた。
「わしの宝具は、自らのサーヴァントとしての気配を完全に遮断し、視認した相手の認識すら誤認させる。流石に、高い対魔力を保持したサーヴァントには通じはせんが、一般人に紛れるには十分よ。現代人を観察するのは実に愉快であったわ」
バーサーカーは、その高慢な態度を変えずに高笑う。
宝具『尾張のうつけ』―――バーサーカーのあだ名にもなった逸話の具現である。
自身のサーヴァントとしての内装を誤認させる代わりに戦闘行動の一切を取れなくする。デメリットが余りにも大きいが彼女にとってそれは苦などではなかった。行われていた聖杯戦争を影でただ見に徹し続け、ついに勝機とみるや自ら出陣し、こうしてマナ達の眼前に現れた。
だが、それすらも彼女にとっては余興に過ぎない。何せ、彼女には聖杯に託す願望など存在しないからだ。
全てを自らの手で手繰り寄せてきた生前の行いを顧みれば、それは至極当然。ただ自らの野望を、熱意を強さを見せつけるための余興。
前座も前座。彼女にとって聖杯戦争は自らの野望を果たすための、天下に再び名を轟かせるための戦にしかすぎないのである。
「さて、此度の現界で初の戦じゃ。肩慣らし程度に遊んでやろう」
バーサーカーが手を掲げる。何の声も音もなくそれは現れた。
マナの頭上を囲う様に六丁の火縄銃。
「―――放て」
振り下ろされた腕とバーサーカーの号令は同時。瞬間、六丁全ての銃が音を立て火を噴く。
それら全ての流れは一秒にも満たない。
六発の鉛球がマナに迫った。
「―――っ!?」
動けない。マナはその場を動けない。それは彼女のサーヴァントであるランサーもそれは同じだった。それを察知するのが余りにも遅すぎたのだ。
肉を弾き、内側を抉り、削ぐ。痛みという感覚すらも失わさせる様な強烈な攻撃。
そこから噴出する血がマナに降り注いだ。
「―――えっ?」
それを受けたのはマナではなかった。彼女の前に一つの影があった。それは、何も言わず、何も発さずに崩れ落ちた。
「―――ほう、阿呆が。じゃが、余興にしては面白かったぞアーチャー」
マナを庇い弾丸の全てを受けたアーチャーが塵と変わって行く。
「アーチャー……なぜ?」
その真意が分からないとランサーは疑問を率直に投げた。彼にマナを庇う理由など何処にもないのだから。
「なにランサーよ。借りを返しただけの事。ライダーの固有結界を破る為、宝具を晒した借りをな」
「それは君も同じだろう?」
「違うな、ランサー。私は自らの為だけに闘った。貴様とは器が違う……。守れよ、最期まで」
弓兵はそれだけを言い残し、英雄ピロクテテスは消滅した。
闘争の中で生きた彼は、最後に人として死んだのだ。
「莫迦めが。素直に伏して居れば楽に死ねたモノを。―――ふむ、奴の魂は娘にいったか……。一護どうする?これで、数で言えばお前と同等よな」
クツクツと笑いを堪えるようにバーサーカーは日立を見た。日立は少し苛つい様子でマナを見据える。
同等?日立君と私が?何の話?マナの頭が混乱する。訳が分からないと首を左右に振り続ける。
「なんじゃおぬしら小娘に言っておらんのか?ならばわしが教えてやろう」
バーサーカーの言葉にサラが声を上げた。
それは怒りの声だった。
「やめなさい、バーサーカー。あなたがどこまで知っているかは知らないけれど、それを言う必要はないわ」
「一体……何の事?」
恐怖がマナの青筋を立てる。
何を姉さんは必死になっているのだろうと。
そんな事自分に心当たりなど―――。
「う……あっ―――」
停止する。思考が停止する。
心当たりがあってしまうと。自分が本当は何者かを。自身の奥底で自分のモノでない鼓動が鳴く。
「―――バーサーカー」
ランサーは駆けた。膝から崩れ耳元を抑えるマスターを『守る』為に。
だがそれは彼の一歩目で阻まれる。
眼前に広がる無数の暴力。それは、バーサーカーが扱う数百と並ぶ銃器だった。その銃口が全てランサーに向けられていた。
「そう慌てるな、それとも所詮は幻の王に過ぎんか。余興は大事じゃて。さて、小娘貴様の正体を教えてやろう」
―――聞きたくない。
―――知りたくない。
―――わかりたくない。
マナが幾ら耳を塞ごうと、声の暴力は聴覚を犯す。
「貴様はな、人間などではない。大聖杯を映す為に『造られた』只の器よ。もう一度言うぞ小娘!只の空の器。貴様は父親に身体を弄られた聖杯の器よ」
思考がグラつく。自身を組み立てる心が軋みをあげ砕けた。
「わた……しは……」
「そういう事だよ氷継さん。いやぁ、ビックリした?僕はね、君を初めてみて震えたよ。だってさ君も僕と同じなんだって!でもね、根本的な部分がまるで違う。僕は所詮失敗作でね……いや、本当に君が憎らしいよ」
心底から湧き出る憎悪を顔中に染み込ませて日立一護は声を絞り出した。
「バーサーカー、手心を加えてやる必要はない。さっさと殺せ」
「―――そう急くな一護。貴様とて長年望んだ復讐がいとも簡単に成せばつまらなかろう?」
「冗談を言うなよバーサーカー。僕が何年、何十年と苦渋を味わってきたと思っている。従わないなら令呪を使用するまでだ」
日立は自らのサーヴァントを睨みつけ、その右手に宿す令呪にてそれを律しようと試みた。
一方、バーサーカーはそんな一護に目もくれず口を開く。
「―――阿呆が。まだ虫が一匹残っておるわ。わしは、焦るなといったのじゃ」
バーサーカーは隣に立っていた一護を突き飛ばす。アスファルトに彼の身体が叩きつけられた。
「馬鹿か、バーサーカー!」
直ぐに起き上がり怒声を上げる日立だが、直ぐにその目を驚愕へと移し替えた。
先ほどまで彼が立っていた地面に数本の魔力を帯びていた何かが突き刺さっていた。
日立はそれが何だが知っていた。実際にそれが自身に向けられたのは初めての事ではあったが、それを知識として有していたのだ。
「―――神父」
舌を鳴らし日立は悪態をつく。
マナ達と日立の間に入るように乱入してきた人物を睨み付ける。
「―――おや?私の事を知っていましたか?意外ですね、もっと考えなしに行動しているかと思っていましたよ」
彼は両手に鍵を束ねていた。黒鍵と言われるそれは代行者である者の証明にもなろう。
ライル・ライルは絶えない笑みで日立を見据えたままだった。
「神父さん、どういう風の吹きまわしかしら?」
自分達を庇うつもりなのかと、サラは率直に問うた。目的を教えろと。
彼女の問いを汲んだライルは、振り向きもせず言葉を投げ返す。
「わからないですか?時間を稼ぐという事です。さっさとお家に帰りなさい」
「馬鹿にしているの?」
その余裕な態度が気に入らないとサラは歯ぎしりをする。そんな自身のマスターにため息を零しながらセイバーは彼女の腕を強引に掴むと自らに抱き寄せて後退した。
「何のつもりかは問わん。だが、助太刀は感謝しよう。貴様の腹まで探る気はないよ。色男、マスターを連れて引くよ」
言葉を受けランサーはマナを抱きかかえると撤退していくセイバーに続いた。
途中、後ろを振り返るが、ライルは一度たりとも彼らを振り返る事などしなかった。
ライルは「やれやれ」と肩を竦め、体の中の空気を一新した。
「―――流石は信長公。無粋な真似、いや猿の演芸はお好きですか?」
「ははははっ。貴様、面白い事を言う。見せ物が始まるのだ。それをみすみす見逃す筈ものうて」
「そうですか。一秒でも長くお楽しみ頂ければ幸いです」
「―――嗚呼、精々足掻けよ虫けらよ」
瞬間、ライルは地面を駆った。
相手は、サーヴァント。一介の人間風情が太刀打ち出来るほどモノではない。それこそ、人が虫を捻りつぶすほど簡単な行為だ。
だが、ライルは駆けた。今でも何故こんな無意味な事をしているのだろうと疑問にすら思っている。だが、こうしなければ自分はその答えを一生得られないと確信していた。
これは脳内の軋みだ。
それを人は、思い出や記憶という。
そして今この瞬間、それらが彼の脳裏をひた走った。
******
聖堂教会の任務の果て、聖遺物の回収の際に遭遇した弦一郎に、一時的にではあるが身を預けられていた。弦一郎がいうには、ライルに足りないものがあるとすれば、それは『愛情』だと言い放ったのである。ライルは、それが何か知らなかった。それが何なのかも分からなかった。
「ならば教えてやろう。ついて来い」
そう言われ、ライルは弦一郎の家で居候として住み始めた。それから既に一月が経とうとしている。
「これは何をしているのですか?」
屋敷の使用人が慌ただしくリビングを駆けまわっていた。忙しそうに働きまわる使用人達ではあったが、誰もみな楽しそうに笑顔を零していた。
ライルはテーブルを挟み対面に座る女性に疑問を投げかけた。
そして、彼の疑問に女性が言葉を発した。
「ふふっ、貴方はこういった経験もないのでしょう?それはとっても寂しい事ね。でも、これから理解していけばいいと思うわ。今日はね、弦一郎さんと私の子供の誕生日なの。それをみんなでお祝いするのよ」
笑うその女性を見てライルは只「そうですか」と短く返答するだけだった。
娘とはどちらの事を指すのだろうとライルは首を捻る。子供は二人いた。一人は長女、彼女はとても礼儀正しく、幼いながらも自身が魔術師として生きる事を分かっている風な佇まいだった。生粋の魔術師だとライルは彼女の第一印象に思った。
もう一人は次女の方だ。歳は八つくらいだろうか。姉と比べてこの子は普通の少女だと思えた。魔術の心得は多少あろうとも、きっとこの子は無縁だろうとそう考えたのだ。
グルグルと頭を回していると、再び女性が声を掛けてきた。弦一郎の妻である氷継サナは実におかしな女性だった。
魔術師であり、魔術師の家に嫁いできながらその責務を全くと言っていいほど全うしていない。そして、弦一郎はそれを咎めもしない。こんな魔術師に自分が敗れたのかと考えただけで一週間は食事が喉を通らなかった。
憎らしい。憎悪の感情が噴出しこの館を幾度となく血の海に染めてやろうかと思考していた。しかしその度に、氷継サナに窘められていた。
怒りも憎しみも全ての負の感情が、この女性と話すだけで削ぎ墜ちていく様な感覚をライルは覚えてしまった。それほど奇妙な女性だったのだ。初めは何らかの魔術でも掛けられているのではと錯覚するほどに。
「今日はマナの誕生日なのよ。あの子はとっても純粋な子だから、プレゼントを渡すときとっても嬉しそうな顔をするの。それがとっても可愛いのよ」
氷継サナは顔を赤らめているのがライルにもわかる程だった。
―――一体何がそんなに嬉しいのか?
ライルがそんな事を疑問に思った時だった。
「―――嬉しいとはなんだ?」
混乱した思考が言葉を留める事すら出来ず噴出した。慌てて口を塞ごうとするも、自身の思考の違和感に身体がうまく動かない。
呆けたように開けた口が塞がらなかった。
「……私が何かをする、何かを達成したとき。それによって何かの為になった時、誰かが喜んだとき、誰かを楽しませる事が出来た時、私は嬉しいのよ。―――そうね、弦一郎さんが喜んだとき、サラやマナが喜んでくれた時、私はとても嬉しいの」
「―――ただの自己満足だ、そんなモノは。何の価値もない」
「違うわ。自分で何かをしてあげなくては人を喜ばせる事は出来ない。そう、価値がないというよりは価値が残らないものかも知れないわね。形としてのそれらは、残らないもの。でもね、ライル。私はそれだけで十分なの。嬉しい思い出というものは、心にカタチとして記憶される。それだけ十分だし、私は満足するわ」
「―――その紙遊びもそうですか?」
ライルは彼女の手元を見ながら言った。
色のついた細長い紙の両端をテープで留め輪っかを作り、その間に違う紙を通しまた両端を留める。この作業を繰り返し、鎖のような何かを彼女は作っていた。
「ええ、そうよ。壁に飾りつけるの。この手間も全てあの子の喜ぶ顔が見たいからそうするの。貴方はこれを無駄と思うでしょう。それは、貴方はまだ知らないから。人を喜ばす喜びをね。さぁ、立っていないで手伝って頂戴」
サナに言われるがままにライルはそれを手伝う事にした。すると彼女は彼に向かって微笑みかける。
これが、答えと言わんばかりに。
何か胸の中で弾く感覚に陥るが顔には出さないように努めるので精一杯だった。
「それは?」
ライルはテーブルの上に置かれていた包みに視線を落とした。
「あぁ、これ?マナにあげるプレゼントよ」
「いえ、そうではなく……」
ライルが言いたいのはその中身の事だった。丁寧に包装されたそれを見れば、話しの流れでこれがプレゼントだという事は流石の彼でも分かっていた。ライルがサナの顔を見上げると舌を出してウインクをしていた。
「―――で、中身は?」
ライルは、せかすように言葉を流す。彼女の仕草から自身が揶揄われている事に気づいたからだ。だが、自然と怒りはこみあげては来なかった。
「絵本よ。あの子は子供っぽいから。未だに絵本を読んでいるのは少し心配ね。新しいのを買ってあげているのだけど、一番最初に読み聞かせしてあげたのを後生大事に持ってているのよ。ボロボロになっていたからまた新しく買ってきたの、同じものをね」
そういってサナは溜息をつく。「逆にサラは少しおませさんな所があるのよね」と付け加えた。
「そうですか」
今までならばこんな事すら訪ねもしなかっただろう。時間の無駄だと思っていただろう。
だが、彼は今このゆったりとした時間が心地よくも思っていた。無駄だと排除してきた感情が別の何かに映り変わっていた。
「ライルはいつも真顔ね。少しは笑っていたらどう?嘘でもいいから。マナがね貴方の顔怖いっていっていたわ」
「―――努力はしてみます」
「あら、言い心掛けね。楽しみにしているわ。貴方が心から笑える日を」
******
自然とそれを痛みと感知しなかった。
それは、気分が高揚しているわけでもなく、ただ自身の神経が欠損してしまっているのだろうと結論づけた。
痛みを感じる事すら出来ないのだと。
受けた弾丸は既に十を超えていた。溢れ出る鮮血は自身が傷ついたことをようやく認識させてくれた。
「―――ほお。意外と粘るものだな」
歪んだ口元が愉快な声を上げた。
それは、邪悪な微笑みなのだろう。
だが、それすらもライルは羨ましいと思えた。
バーサーカー織田信長は瀕死の自分をみて心の底から面白がっているのだと。
「―――喜んで頂けて嬉しいですよ」
苦し紛れの嫌味を放つ。こういう事は出来るようになってしまったと奥歯を噛んだ。
「……バーサーカー、さっさと終わらせろ」
苛ついた少年の声が耳を掠めた。
日立一護。彼の境遇は少しばかり同情はする。
しかし、その刃が自身の守りたいと思ったものに向けられていると思った時、こんな馬鹿げた事をしてしまった。
後悔する事はない。
やっと、少しは誰かの役にたてたと嬉しく思えた。
きっとこれは途方もない自己満足。結果として彼女達を一時的に救ったに過ぎない。
自然と。ライルは自然と笑ってしまった。
「何がおかしい?」
バーサーカーの声が少し苛立ちを乗せている。
「いえ、お気になさらず。少しは変われたのだと思ったら少し嬉しくなっただけです」
「気味の悪いヤツよ。……興ざめだ、死ぬがよい」
直後、ライルに降り注いだ豪雨。バーサーカー信長の殺意を全身に浴びたのだ。
「全く、つまらんな。行くぞ一護」
飽きたとバーサーカーは述べた。だが、マスターである日立はそれを良しとしなかった。
「何を言っているバーサーカー。まだ氷継の奴らが残っているだろう?」
「たわけが。貴様の復讐は氷継家の聖杯戦争を失敗に終わらせる事と、氷継家の皆殺しであろう?そもそも今回の聖杯戦争は、貴様とあの娘が器と成っている時点で大聖杯を起動させるにいたらんわ。あの様な中途半端の贋作でよう七騎も呼び出せたもんじゃ。余程この土地の霊脈が良かったのじゃろうて」
「そんな話はしていないだろう」
日立が令呪をバーサーカーにチラつかせる。
実力行使も辞さないという訴えだった。
「―――わしが奴らを仕留めるのは容易い。じゃが、わしとて万全ではないわ。貴様がその不足分を働くというなら別じゃがな」
バーサーカーは呆れた顔をしてその場を立ち去った。一方、日立は奥歯を噛み怒りでその顔を塗りたくる。舌を鳴らし彼もこの場を後にした。
「―――ふぅ」
大きく息を吐き出した。体内の空気を一新する当たり前の行為が、実感として何一つ湧かなかった。脳の機能が正常に働いていなかった。意識が掠れる。
「あぁ、そうか。私が守りたかったのは師の愚かな願いではなかった。私は、彼の家族を守りたかったのですね……ですが、彼の行いを当時の私は良しとした。枯渇した生物に水を与えれば元に戻れると信じていました。―――あぁ、愚かなのは私だったのか……」
辛うじて動いた腕で這いつくばりながら何とか背中を壁に預ける事が出来た。
ライルには、何が可笑しいのか分からなかった。それなのに、自身の頬が吊り上がっていたのに気づいてしまう。
「こうまでしないと私は気づけなかったのか……申し訳ありませんでした―――」
風が靡くと彼の乱れた長髪が揺れる。
何も果たせなかった。だが、それが後悔として彼に残る事はなかった。
自己犠牲の果てにあるただの自己満足にしか過ぎない。
だとしても―――。
「―――私は、笑えていますか?」
意識が途絶え、鼓動が止まる。ライルの生命としての活動が停止する。それでも、彼の表情は安息に満ちていた。