「何故じゃ……何故倒れぬランサー!!」
怒号が飛んだ。何度切り伏せようと、銃弾を撃ち込もうと目の前の騎士は倒れない。
そればかりか、自身を視るその眼が気に食わなかった。
力の差は歴然だった。その武具の特性を生かしバーサーカーは攻撃と後退を繰り返し、ジリジリとランサーを痛めつける。一方で遠距離を攻撃できる手段を持たないランサー
にとって現状を打破する事など不可能だった。
「忌々しいといっておる。その態度、その眼。全てが気に食わん」
「傲慢だね魔王。そうやって他者を見下してきたから君は『天下を統一』出来なかったんだ」
「き、貴様―――」
バーサーカーの顔が歪む。憎悪で歪む。
「確かに君の様なカリスマ性は混沌としていた世を進むに必要なものだったろう。だが、君は夢半ばで倒れた。裏切りによって」
「偽物風情が!英雄の殻を被ったに過ぎん只の人形がわしに!わしに申し立てるというのか!良いぞ!所詮、国を統べたことすらない貴様はわしの『手』自ら葬り去ってやろ
う。一護、離れておれ。わしの宝具を使う」
「―――チッ、好きにしろ」
ランサーは感じ取った。並々ならぬ邪気を。
その中心点たるバーサーカーは笑う。
「解き放つは英雄が背負いし、伝承、逸話、歴史。語り継がれてきた無限の業―――」
―――マズい。ランサーの根底が警鐘を鳴らす。この宝具を開放させてはいけないと。
直感が告げていた。槍を携え駈け出す足を止まらない。
「―――邪魔をするでないわ。わしを誰と心得る。魔王ぞ。第六天魔王ぞ」
放たれた号砲。ランサーに迫る百を超える銃弾。
「させない!」
弾く、弾く、弾く。
その槍にて、ランサーは自らに降りかかるそれをはじき返す。致命傷でなければ問題ない。
当にこの体は幾重の傷を負った身。ならば、それ以上の傷など死ななければ到底安い。
距離にして残り三メートル。ランサーの行進は止まらない。
「バーサーカー!」
吠えた。ここで終わらさなければ全てが終わる。踏み出す足に鞭を打つ。武具を振るう腕に力を込める。折れぬ心を奮い立たせる。
「―――これより現界せしは魔王の本懐。我にひれ伏せ―――」
「うおおおお!」
突き出せば届く。放てば届く。ランサーはその槍をバーサーカーに向けて穿った。同時に百を超える銃弾が彼の肉体を抉る。痛みなどない。それを超える絶望が彼の心を抉った。
突き立てた槍をバーサーカーの眼前で停止した。その答えは明白。その槍の先端は文字通り魔王の手により阻まれていたからだ。
引き抜くも、振り抜くも、突き立てるも不可能だった。それ程に魔王の力は圧巻だった。
「―――残念じゃな、ランサー」
歪な笑み。バーサーカーは叫ぶ。その宝具の真名を。
「―――
瞬間、世界は反転した。否、収束した。
空を覆う闇、影に潜む闇。全てが魔王に収束する。その景色は闇でもない只の真っ黒な風景。それらがバーサーカーの身体を芯に膨れ上がる。その全長は十メートルを超える。
腫れあがる狂気。鳴りやまぬ怨嗟。
バーサーカーが解き放ったのは彼女の歴史。
逸話と伝承。現代まで語り尽し尽くされた織田信長という存在。人々が作り上げてきた織田信長の象徴。
今まさに。
―――魔王は現代に再臨した。
「―――馬鹿な」
ランサーは見あげる。それは虚無を見るのと等しかった。十メートルを超える憎悪、恐怖、狂気、多種多様な人物が作り積み上げてきた織田信長という存在そのもの。
魔王と現代まで語り継がれてきた畏怖の称号。
それらが蠢き絡まって生まれた巨人。
それが今彼の前に現れていた。
身体が動かない。恐怖などではない。本能が彼の生命としての本能が率直に死を告げた。
「どうした、偽りの王。我が真の姿に言葉すらでないか。安心せい。我が手で容易く葬り去ってやろう」
魔王の剛腕が振り下ろされる。たったそれだけで大地が震撼した。
「―――勝てない」
例え抵抗しようと無駄な事。例え槍にて迎撃しようとも赤子の如く蹂躙されるだろう。
「―――ごめんマナ。僕はここまでのようだ。無責任でごめん。力になれなくてごめん。僕は本当の騎士なんかじゃなかった。きっと本物だったならば巨人退治も容易かっただろうに……僕は只、君の笑顔をただ守りたかった」
俯く。その視線の先に映るモノなど何もなかった。
それなのに。
それなのに、それなのに。
なぜ、なぜ。
こんなにも、こんなにも。
悔しさが込み上げてくるのだろう。
「―――」
彼方で呼ぶ声がする。自身を未だ現世に留めてくれている声がする。
「―――ンサー」
あつい、あつい、熱い。
なぜこんなにも女の子の笑顔が脳裏をひた走るのだろう。
「―――ランサー!!」
それは少女の祈り。
自身が守りたかった少女の嘆き。
自らが存在意義を見出した象徴。
「あぁ、そうか―――」
ずっとおかしいと思っていた。
どこかが捻じれていると分かっていた。
ただ守らなければいけないと闇雲に走っていたわけじゃない。
守りたいと思っていたから。
ずっと言わなければいけないと思っていた言葉があったから。
「―――うだ。そうだね、マナ。君も僕も同じ、同じだったんだ。」
自身を圧殺せんとする剛腕が迫る。
暗闇の中にあるにも関わらずその闇に佇む掌はランサーの視界を蝕んだ。
にも関わらず黄金の槍を携えた騎士は笑う。
明確に打ち倒すべき標的を睨みつける。
同時に彼の身体から溢れだすは魔力の渦。
零れ落ちる闘気を放出させる。
「僕は英雄になりたかった。少女を守る英雄に。巨人の魔王を倒すなんて、とってもらしい逸話になるじゃないか」
「―――■■■■」
魔王が吠える。その言葉は既に言葉ではなかった。数多の人々の己が罪が肥大化した魔王にその様な知力はない。いや、必要ない。バーサーカーにあるのは「世を平定する力」のみ。
「あぁ、でもこれは僕の願い。そして、君の、僕達の願いはまた違うんだよね。君は僕に自身を映した」
「■■■■」
再度魔王は声を上げた。だが、それは驚嘆と驚愕。不可解だと吠えたのだ。
振り下ろした筈の腕は標的を押しつぶす事なく停止する。
「―――終わらせよう、バーサーカー。君の野望も僕の夢も」
その槍は魔王の腕を受け止めていた。その槍は一人の英雄を作り上げようとしていた。
「ランサー!何をするの?」
少女の声がした。
その音はとても心地よく彼の脳髄を巡る。
「―――これでいい。生まれてきてよかった」
それはランサーの本心だった。
この存在は偶像に過ぎない。だが、それは当然だ。
英雄の殻を被った空っぽの『自分』
少女の真の夢は、強くあることだった。心の中に自分の理想を作った。
だが、それは本当に夢だ。その答えを知らないままの少女に真の理想は、到達点は描けない。
だとしても、それは間違いでもないのだろう。
自身を客観視出来ない彼女が生んでしまったのは、本当の自分自身。
役割を与えられた人形だとしても、彼女の理想であろうとした青年と、理想のままであって欲しいと願った少女。
少女は、青年に理想を見た。自分を救い出してくれる存在に。
ランサーはそれに応えようとするのは、当然だった。彼女自身を救うのは他ならぬ自分自身なのだから。
そんな物は初めから互いに分かっていた事なのに。
それでも、彼も彼女も変われないのなら、それでもいいと思ってしまう。
そんな物は間違いだと分かっていても。
悔いが残るとすれば、少女が本当の明日を迎えるまで側に居られなかった事ぐらい。
だが、そこに自身が側に居ては駄目な事ぐらい承知している。
進むために、少女も彼も互いという自分自身を直視しなくてはいけないのだから。
自分の弱さを別の何かに投影したもう一人の弱い自分。
氷継マナが生み出したもう一人の自分自身。
それがこのツギハギだらけのサーヴァントの本質。
「僕は君の王子さまなんかじゃない。それは、それで少し寂しいな。でも、僕らはいつまでも互いに縋っていてはいけないんだよ」
ランサーは振り返り
「……ランサー」
「マナ、難しいね。僕達は互いに嘘をついてしまっていた」
「―――わかってる、分かってたつもりでいた。でも、貴女は私の理想で居て欲しかった」
「……それは、僕だって同じだよ。君は僕の理想で居て欲しい」
「そう、そうだよね。貴方は私。私は貴方だもの。私は自分の中の理想を貴方に押し付
けた。私は、貴方に夢を見過ぎていたの」
「僕もそうだよ。だって僕は君の中の弱い部分だから。僕が君の前に立っても君は進んではいけないよ」
「ごめんね、ランサー。私は貴方に何もしてあげられなかった。只、自分の弱さを貴方に擦りつけていただけだもの」
「謝る必要はないよ。僕達は共存できない。だって君は君だもの。君の道は僕が押すものじゃない。君自身が押すものなんだ」
「―――そうだね」
「僕は先に行くよ、マナ」
「うん、さようなら。弱かった私」
ランサーは自身を振り切り、眼前に立つ敵を見据えた。
「我が聖槍。真の名を聴け。これよりは王を裁く一撃。自らに鉄槌を下す一撃。全てを君に返そう」
振り上げられた槍。巨人の身体が安定を求めて膝をついた。
「―――
放たれたのは至高の一撃。
放ったのは魂の奔流。
黄金に輝ける聖槍の一撃。ランサー自身が穿たれる牙となった究極の槍。
「―――■■■■!!!」
魔王を照らす闇が飛散する。
暗闇を掻き消さんと輝き続ける黄金の槍は魔王の胴体を貫いていた。
「■■■■ッッッッッ!!!」
崩れ去る。魔王は地に伏した。轟音をあげその巨体は崩れ去る。未だ輝き続ける槍の一筋を残して。
彼女は空を仰いだ。微かに浮かぶ星の光が眩しいと思えた。
穿たれた心臓から血液と魔力が吐き出され続ける。
「くくく、ははははははは」
笑う。人の形に戻った魔王は笑う。
「よもや、名もなき英雄に敗れるとはのぉ。いや、しかし見事。貴様はわしを殺し英雄となったであろう」
「―――違うさ、バーサーカー。僕は英雄以前に人間だ」
「ほう?人間とな……そうじゃな、無駄に苦悩し他者がおらねば立てない愚か者じゃったか」
「それでいいのさ、それで構わない。英雄なんていう完成された偶像よりも、僕は、僕達は不完全な道を愚かに進む。それが、人間だ。そして、それを人は乗り越えて成長してく」
「……やはり愚か者じゃな」
「でも、もう違う。僕らは変われる。マナに僕がいなくてもいいように、僕にもマナがいなくても大丈夫なんだ」
ランサーはその槍を振り下ろす。
最早、バーサーカーに抵抗する力などない。
だが、彼女は自身を殺す男を今も見据えていた。既に一度死んだ身。死の恐怖などは一滴もない。
突き刺した槍はバーサーカーの息の根を確実に絶った。
第六天魔王信長は最期まで不敵な笑みを浮かべて霧散した。
******
「なに?何をしたの……騎士様?」
マナは、ただ困惑していた。
まだランサーとのパスは繋がっていた。だが、それは微々たるものだと分かってしまった。一秒、一秒が惜しいほどそれが弱まっていくのが苦しかった。
「ランサー、ランサー!ねぇ!」
ランサーの元へマナは走る。
彼の元に辿り着いた頃には光の渦も消えていた。
地表に槍を突き立てたままのランサーはゆっくりと彼女に振り向いた。
「―――ランサー……」
息を飲んだ。彼の肉体は既に消えていると言っても等しかった。それでも、ランサーは笑みを浮かべた。
「マナ、見ていてくれたかい?君だって……僕だって頑張れば次に進める。僕はそれを示したかった。決して君は弱い女の子じゃないって証明したかった」
「わかってる。でも、今の貴方はもう私の中の卑屈でも理想なんかじゃない。一人のカッコいい英雄だった」
俯く。彼を直視できない。この感情は後ろめたかった。自身の我儘で生まれた彼を。マナはもう一人の自分を生み出し、そして見殺しにした罪に対面していた。
「顔をあげてほしい、マナ。僕は、君に言いたい事は一つだけ。これは、本当に『僕の』気持ち。―――ありがとう。僕は君に生み出されてよかった。本当にありがとうマナ」
ランサーはマナの髪を撫でた。温かくて大きな手はとても優しかった。
「―――私、泣かないよ。ぜったいな……かない、から。だって、騎士様、私が泣いたら帰れなくなっちゃう……か、ら」
「―――マナ、違うよ。僕は帰らない。一歩先に進んだだけさ」
「騎士……様」
ランサーは目の前の少女は抱き寄せた。
もうこの手に感覚はない。感触はない。それでも、彼はこうせずにはいられなかった。
「―――ありがとうマナ。そして、さようなら」
「ええ、さようなら」
消える。何の境もなく名もなき英雄は掻き消える。その腕の感触も優しい声も全てすべて霧散する。
マナの手には何も残らない。彼女が掴むのはただの虚空だった。
「―――ありがとう、名もなき英雄、ランサーのサーヴァント……」
もういない。彼はもう存在しない。彼女の理想。彼女の夢に描いた理想の騎士は消滅した。
「―――いやいや、泣かせるね。三流劇団で上演されてそうな陳腐な芝居だ」
その心を踏みつけた男を、マナは睨みつける。
ニタニタと厭らしい笑みを浮かべたまま日立一護は言葉を続けた。
「おお!怖いこわい。そんな顔もできるんだ?氷継さーん、折角の顔が台無しだよ?まぁそれも、じきに僕が歪めてあげるけど!」
「……なんで?」
「んんー?声が小さくて聞こえねーんだよ!」
日立の怒声が飛ぶ。それでも、マナは怯まなかった。
「なんで?笑っていられるの?何が面白いの?」
「面白いよそりゃーさ!だってそんな悔しそうな顔をするんだから!もっと、もっと見せてくれよ」
「……そう。日立君はそれだけが目的なんだ。じゃあ、私は絶対に屈しない。日立君の思い通りになんかならない」
マナは日立を見据える。恨んでなどいない。憎んでなどいない。ただ、自身の理想の騎士を笑われた事だけは許さない。
「なに?笑われて怒るくらいなら初めからそんな妄想を垂れ流すなって話でしょ?気持ちわりーな。その歳になって騎士様だって?笑わせんなよ!」
踏み込む。日立はマナの腹部にその拳を叩き込んだ。
「―――うえ」
胃液が逆流する。痛みが全身を掻き回る。
膝から崩れた。
「―――ズルいね、日立君は。私の夢は笑うのに。自分の夢、復讐を笑うと怒るんだ」
「―――は?」
「心があるなら、感情があるなら、それらは等しく抱けるのが願望でしょ?」
「……それはそうだろう?それこそが感情だ。生きる者なら万物が抱くそれは当たり前の理念だろう―――だからか。君はこう言うんだろう?復讐は馬鹿馬鹿しいと。さっきも言ったろ?それは『人として』の道徳が備わった者だけが抱ける常識だ。僕を今でも人として扱うのかい?」
「―――だって、日立君は……私の初めての友達だから。だから、私はあの時笑った。日立君と話すのが楽しかったから。日立君はそれを分からないといったけど」
「―――今でもわからないよ、それは。いや、正確には分かりたくもない。それは僕にとって必要じゃないからね。氷継さん僕は、いや『僕達』は人じゃないよ」
日立は溜息をつきながら自らの首筋に指を突き刺した。赤い鮮血が噴き出る。マナはただそれを傍観していた。
「な、なにするの?」
「なにって?分からせてあげるのさ」
ミチミチと不快な音がなった。それは剥がれる音だった。削がれる音だった。日立一護は自身の顔面の顔を剥いでいた。
「―――うっ」
零れ落ちる鮮血。異様な不快感にマナは口元を抑え嗚咽する。行動理念も彼の真意も読み取れないからだ。ただ目の前にあるのは只、ただ不快な塊だった。
「……顔をあげてくれよ氷継さん。わかるだろう?僕が何者かって事がぁさ」
「―――ヒッ……う……ぇ」
恐るおそる見上げた先にマナの不快感は最高潮に達した。日立の顔面は右側の半分が削がれていた。だが、その奥には何もなかった。人体を形成する骨や肉は何も存在しなかった。
あるのはただ白い肌。黒ずみかかった白い肌。
まっさらな白だった。そこには何もなかった。眼も鼻も耳も口も存在しなかった。
「あぁこれが僕、僕達だよ氷継さん。屋敷に居たメイド達はどうだか知らないけど。僕達はこんなモノだ。ただの器としての皮を被った人形。ただ人の形をして人の皮を被った道具。感情だなんて人間の真似事に過ぎないのさ!」
「真似事?その真似事を―――」
「うるさい!君にはわからなくていい。分かる必要もない。君と僕は同じだ。だが、そ
んなものは身体の在り方だけだ。根本的な部分が違う!もういい、もういいだろ、終わ
らせよう」
日立は容赦なくマナの顔面へと膝を打ち付けた。ぐにゃりと顔面が歪み脳が揺れそのまま仰向けに倒れた。
自然と痛みは感じなかった。そんなものを遥かに上回る感情がマナを覆う。
悔しかった。目の前の彼は昔の自分と同じだったから。彼女とて明確な答えが見つけられたわけではない。それでも、悔しかった。彼に伝えなければいけないことは沢山あった。溢れるほどあった。
「―――そうだね。私は日立君とは違う。もうやめたの。私はやめようと思ってる。そんな、そんな考え方では前に進めない。綺麗に歩けるなんて思ってない。でも、その気さえあれば、進むことは誰だってできるから」
立ち上がる。そう努めようとした瞬間。ようやく神経が痛みに追いついてきた。それでも、マナはそれを必死に抑えて再び日立と相対する。
「馬鹿なやつだ。大人しく倒れていれば直ぐに殺してあげたのに。いたぶって泣き腫らした顔面を殴って殴って殴り倒して」
日立は拳を振り上げる。彼は魔術をほとんど行使できない。精々自身を強化する事と幼稚な結界を張る程度。だが、今の彼のはそれだけで十分だった。目の前の無垢で華奢な女を殺すにはそれだけで十分だった。
「―――私は死ねないから」
マナは独り言の様に呟いた。自身の中に収納された英霊の魂は大聖杯が破壊された今。行き場を失った魔力達は自身の中で蠢いている。
「―――ごめんなさい。私は、貴方達の様に気高くもないし、誇り高くもない。いいえ、だから人というのはきっと、きっと、貪欲なまでに高い理想を抱くのだろう。例えそれに辿り着くことが出来なくても。きっとそれは間違いじゃない。だからそれを目指して私は前に進むんだ」
「独り言を言ってさ!気持ち悪いな!そうやって悲劇のヒロインでも一生気取っていなよ!!」
日立の拳がマナを目掛けて振り下ろされた。だが、それを彼女は手を翳して受け止める。
「―――へー。まだ抗うんだ」
日立と拳とマナの翳した手の隙間には薄っすらと円盤状の膜があった。それは、マナが具現させた魔術の膜。まともな魔術師ならばそれを容易く破る事が出来たであろう。だが、日立はそれすら破る魔術を持ち得ない。
「前に歩くためには、前を見る。前に進むためには、自分で歩く。歩くためには、歩く決意をする。―――ゆっくりでも、ゆっくりだったとしても、それを咎める人はいないよ日立君」
「何の話だ!?」
マナは言う。それは、いつか誰かに言われた言葉。自分自身に必要な方向性だった。マナは力を込める。自身の言葉に、自身の身体に、その心に。体内で溢れんばかりの魔力が行き場を求めて活動する。
「人は、雲の様にふわふわして生きていくことは出来ない。だって、人は自由ではないのだから。縛られ、閉じ込められている。有限の時間と制限の中で、限られた自由をただ生きる。でも、上限は無限。自分で幾らでも広げられる」
マナの体内から異常な程の魔力が溢れだす。必要以上に閉じ込められた魔力が溢れだす。
貯蔵庫としても、排出口としても、既に彼女の許容量は限界値を振り切っていた。自身の魔力回路など等に焼き切れていた。繋いでいるのは彼女の四肢に植え付けられたホムンクルスとしての回路。既にマナは人としての許容を超えていた。
「自分自身の力で歩けなければ意味はない。立ち止まり、障害物が退くのを待っていては進めない。道は増やせる。障害物も越えられる。そのための努力を破棄していては、何を望んだところで―――。停滞は終わらないよ」
「―――うるさい、鬱陶しいな君は!」
日立はマナに強化された拳を振るう。
されど、されどマナに傷一つ付ける事すら敵わない。その拳は届かない。マナの周囲に漂う魔力の層が日立の拳を何度も阻み続ける。
「これはきっと『
その瞬間、世界は停止した。停止、停止、停止。
それは、いつかみた風景。
それは、いつかみた情景。
それは、いつかみた景色。
「―――これはきっと。誰が思い描いた物語。
彼女は、私にそれを見せてくれた。
私は、私にそれをみせてくれた。
彼は、私に教えてくれた。
それは、私が紡ぎだした物語。
これは、私が描く何も変哲もない夢物語―――」
刹那の中で彼女の日常は反覆した。
彼女を起点に周囲は鮮やかな草原へと変貌する。それは、世界から切り離された様な夢物語。
「な、んだこれは?馬鹿が、固有結界だとでもいうのか!?」
日立は狼狽した。だが、彼の足元も周囲の情景も例外なく景色を変える。
気づけばそこにはマナと日立の二人だけだった。ただ広大な草原。遠くには森林が賑わう。
照らし続ける太陽は辺りを暖かく照らしていた。
「へ、へー。これが君の深層心理ってわけ?だったら何?平和な日常が欲しかったてわけ?だったら自身の運命を呪いなよ?こんな場所に引きずり込んだところで君に何が出来るというのさ!」
マナとの距離は五メートル程だった。この空間に引き摺り込まれた事で彼女との距離に僅かに差ができていた。だが、それは日立にとって些細な事に過ぎない。再びその拳を振るう為に駈け出そうと一歩目を踏み出した。
「な……に?」
だが、それは不可能だった。日立の思考が停止する。足元を覗けば地表から生えた草が異様な程伸びては彼の足に絡みついていた。
「―――
告げた。マナはこの世界の名を。
ここは彼女の理想の空間。空想の産物。
マナの作り上げたもう一つの日常であり非日常。
「クソ!離せ―――なんだこれは!?」
気づけば日立の身体は草木が絡みついていた。
彼の自由などここには存在しない。首筋を伝う葉が彼に一抹の予感をさせる。
「……日立君違うよ。貴方いったよね?私はね、復讐どうこうを咎めるつもりはないの。
「じゃ、じゃあなんだっていうのさ」
「私がね怒っているのは私の騎士様を笑った事。日立君だって怒るでしょう?自分の夢を笑われたら。私ね、あまり怒ったことないの。……まぁ、癇癪の一つは起こすけど、
ね。とりあえず私は今凄くすごく怒ってる。貴方は『私』の夢を笑うんだもの」
妖しく笑うマナがそこには居た。つい先程までとは違う、只ならぬ雰囲気を漂わせた彼女に日立は思わず恐怖を抱いた。
「―――私ね、実際に人を殺した事は流石にないの。そういえば日立君さっき言ったよね?私の妄想はこんな綺麗な場所。それってどういう意味だと思う?私しかいないこの世界はどういう意味だと思う?教えてあげる。それはね、私以外の人はこの世界に要らないの。だから、だからね?みんな、みんな……殺してしまうの」
マナは笑う。無邪気に無邪気に。無邪気に笑う。
「お、お前―――」
「怖い?日立君、私も怖い。私の世界が侵されるのが怖いの。だから、私以外の人は要らないわ。そうね、選ばせてあげる。日立君はどんな死に方がいいのかな?教えてくれる?貴方の希望は限りなく汲み取るわ」
「ふ、ふざけるな!僕は……僕は死にたくない!死にたくない!死ぬわけにはいかない!だってそうだろう?こんな所で死ぬのはオカシイ。……氷継さん、君がこれだけの魔力を行使できたのには驚いたけど、これだけの大魔術。君一人の魔力で到底出来るとは思えない。そうだろう?君は自身に灯ったサーヴァントの魂を魔力に変換させたんだ。ははっ。そういう事か。君に出来て僕に出来ない筈がないよなあ!」
「―――うるさい男ね。まずはその口を縫い合わせてあげようか?」
鋭い眼光を放つマナに日立は一瞬身体を硬直させるが直ぐに言葉を吐き捨てる。
「馬鹿にしやがって、馬鹿にしやがって!みとけよ僕だってそのくらい!!」
自身に留まったていた大量の魔力を探り当てるのに時間は一秒とかからなかった。日立はニヤリと口元を歪ませるとそれらを自身の回路に大量に流し込む。
「……ははっ!こんな雑草直ぐに引きちぎって―――」
ブツリと鈍い音がした。焦げた様な匂いが鼻をつつく。日立はその音の正体も、その『痛み』の正体にも気づくのに数秒の時間を要した。
「な―――あ、あああああああっぁぁっぁああぁぁぁぁ」
悲鳴が飛ぶ。力を込めた両腕が、両足が力なく垂れさがる。痛みが脳を掻き毟る。
大量の魔力は日立の魔術回路を一瞬で破裂させた。千切れた神経は痛みを加速させる。千切れた魂は神経を侵食する。
「いた―――い。いたい痛い痛い。ひ、氷継さん。これも君の魔術なんだろう?これは君が
見せている幻影なんだろう?痛い。痛いよ。助けて―――氷継さ」
懇願する。日立は目の前にいる少女に助けを乞う。だが、マナはその光景を愉快そうに眺めているだけだった。
「あらあら。とっても痛そうね。私が手を下すまでもないのかしら?死にたくないの?でも、それは私も同じ。苦しいのは嫌?なら直ぐに殺してあげましょうか?」
「―――ヒッ」
短い悲鳴と共に日立の右腕があらぬ方向へと曲がっていく。ただの細いツタが万力の様な力で彼の腕を曲げていく。
「やめ、やめて―――やめてくれ。いやだ。嫌なんだ僕はもう嫌だ。痛いのは嫌。怖いの嫌。やめてくれ。やめてください、やめてくださ―――」
「―――ねぇ?言ったよね日立君は。どうしてそんなに我儘なの?言ったよね?その業が自分に降りかかってから、弱者みたいに言うのは駄目だって。さっきまであんなにひどい事私にしたじゃない。痛かったな。お腹殴られて私―――凄い痛かった」
「―――ああ、ああぁあああ」
日立の右腕が完全に意味を消失した。捻じ曲げるなど生ぬるかった。彼の肉体から引きちぎられた右腕はまるで石ころの様に転がっていた。
「痛い日立君?ねぇ……痛い?」
マナは彼に顔を近づけ微笑んだ。
「痛い―――痛いです。お願いですもうやめてく―――」
「だーめ」
無垢な声とは裏腹に日立の左足は軽やかに宙を舞った。日立は茫然とそれを見届けた後、初めてそれが自身のモノだと気がついた。
「あ、ぐうう……あぁ」
「あら?まだ意識はあるのね?凄いわ?流石ね。じゃあこれはどう?」
嬉しそうな声が飛んだ。日立の眼前には信じがたいモノが居た。存在しない男が居た。
白銀の鎧を着込み、黄金の槍を携えた金髪の男。
「な、なん―――で?ランサー……お前は消滅した筈」
「そんな事どうでもいいじゃない日立君。じゃあ、やっちゃって!」
彼女の声と同時。騎士は日立の心臓目掛けて槍を穿った。
「や……やめろぉおおおおおお」
それが完全に突き刺さる直前で槍は彼の目の前で停止していた。
日立は恐怖で気を喪失している。
「―――あら?気を失っちゃったみたい……バカな子。一番人間らしいのは日立君よ。貴方は一番生きたいと願っていた。それは生物が抱く本能。生命が抱く当たり前の本能。貴方は生きていたの。貴方は生きているの。こんな事ができたのよ?貴方には選べた筈よ。人として生きるって事が。残酷だけど日立一護として生きることだって……これは無責任ね、謝るわ。でもね、日立君。私は本当に君の事を友達だと思っていたわ」
「―――私はこんな事しない」
怒気を含めた声が彼方からした。
「ごめんなさい。でも、作品にリアルはつきものよ」
「―――嘘。貴女……いいえ、
マナはマナの姿をした少女に言う。
「わかりづらいでしょ?キャスターでいいわ。
いつしか少女の姿は変容していた。淡い青色のローブを纏ったキャスターはマナと向き合う。
「わかった……ねぇ、どうして貴女は生きているの?姉さんが消滅したって言っていたけど」
「―――まぁ、そこは上手く隠れてた……ってのは冗談よ。私の宝具、
「じゃあ、キャスターは私の中にずっといたって事?」
「それも少し違うわマナ。私は確かに消失した。そして、その魂は小聖杯である貴女に留まっていたわ。こうして形が在るのは貴女が固有結界を展開するのに私の魂、まぁ魔力を使ったからね。夜に貴女の部屋に行ったでしょう?宝具を掛けたのはその時。でも、こうして出てくるのは予想外ね。私自身も驚いてる」
「そうなの?正直、私はよくわからない」
「いいのよわからなくて。私は貴女の可能性の一つに過ぎないのだから。貴女はもうそれも分かってるでしょ。マナ、貴女のこれからは今よりきっと苦しいわ。気づいていると思うけど貴女の―――」
「分かってるよキャスター。でも、私決めたの。私はもう振り向かない。止まらない。自分で歩き出したから。だからこれは私が受け止めるべき障害物。乗り越えて見せる
よ」
キャスターは目を丸くする。この自分はきっと世界に絶望する事もないだろうと。仮にそうなったとしても乗り越えるだけの力があるのだろうと。
「―――少し、少し貴女が羨ましいわマナ。貴女は凄く純粋すぎる。私は出来なかった。裏切られて立ち直れなかった。でも、確実に貴女は私とは違う結末を歩いてる」
「キャスターがこの先どういう未来を歩いていたかは知らないけど、私はどうあるべきなのかな?」
「―――さぁ?もう私の時とは全然違うモノ。そんな事知らないわ。でも―――」
「―――でも?」
言い淀んだキャスターにマナは首を傾げる。だが、キャスターはその先を言葉にする事はなかった。ただ、自身の眼を見つめていた。
「いややっぱりいい。よく聞いて私。貴女はとっても強い子よ。自信を持ちなさい。ただし、調子には乗らない事。……いい?」
「ね、姉さんみたいな事言わないでよ……」
一瞬、キャスターは遠くを見るように視線を外す。が、直ぐにマナに視線を戻した。
「―――姉さんか……いいわ。もうそろそろ時間よ、貴女の魔力もう底をつくわ。最後にランサーを呼ばなくていいの?今なら間に合うけど」
「―――ううん、大丈夫。約束したの、ここにはもう戻らないって……。私が居るべきなのは非日常じゃないの。私戻るから、私の日常に」
そう言ってマナは笑うとキャスターもそれに釣られる様に笑みを零した。
「―――そう。それじゃ、さようなら、正しい道を歩く私」
「―――さようなら……私」
解けていく。溶けていく。二人の姿は消失していく。美しい緑も消えていく。眩しい太陽も沈んでいく。
*******
そして、マナは夢から目を覚ます。
眼に広がったのは暗闇だった。点在する星々だった。
「あぁ、私倒れてるのか」
見ている風景で自身の状態を認識した。
身体を動かそうとも感覚がなかった。まるで動かし方を消失したかのように彼女の身体は依然として伏せたままだった。
「―――あぁ、痛みも感じない……私、このまま死んじゃうのかな?」
それを意識したとき瞼がやけに重く感じられた。眠い訳ではない。ただ、意識があやふやに感じられた。
「寒い?眠い?もう分からないなぁ……ねぇランサー、私頑張ったよ……」
マナ自身は知覚出来てはいなかった。その声は音として発せてはいなかった。その眼は既に閉じられていた。
「あぁ―――クソ……なんだ、やっぱり、幻覚か……バカにしやがって!」
息を荒げた声は日立のモノだった。彼は立ち上がろうとも地面をもがく。それは叶わない。肉体的には五体満足していた。だが、そこから生えた手足は意味を消失していた。
赤黒く染まった四肢は既に動かない。
「クソが!なんだっていうんだ!意味が分からない!クソ、クソ、クソ!殺してやる!殺してやる!殺して―――」
彼の声を遮るように後方で音がした。コツンコツンと規則正しい足音は徐々に彼に近づいてきていた。
「な、なんだ!?誰だ!?」
身体が動かない彼にとってその足音は不気味だった。
「―――誰?その質問に意味はあるのかしら?わからない?だとしたら貴方は相当頭が悪いみたいね。この場に誰が残っているというの?」
「お、お前!氷継サラか!クソ!お前も!お前もお前も殺してやる!殺してやる!」
「―――最近の芋虫はよくしゃべるのね。マナを痛めつけたお礼はしっかりさせてもらうわ」
「ふ、ふざけるな!復讐してやる!お前もだ!必ず殺してるからな!必ず、必ず!」
「―――そう楽しみにしてるわ」
「殺してや―――」
瞬間、日立を飲み込んだのは炎の渦。あまりにもあっけなく、塵すら残さず日立一護の肉体は消失した。
「―――エルザ!マナの様子は?」
直ぐ近くで仰向けに伏したマナの体をエルザが抱き起すが反応はなかった。まるで眠っているかのように穏やかな顔だった。
「マナ様……マナ!ねぇ、マナ!」
エルザはマナの体を揺するが反応はない。
「マナ!―――サラ様、マナはもう……」
「馬鹿な事言わないでちょうだい!―――マナ!ほら起きなさい!マナ!」
サラもマナの元へ駆け寄ると彼女に声を掛け続けた。
******
声がした。
それは私を呼ぶ声だった。
「―――ナ―――マ―――」
ずっと声がしている。ずっと音が鳴っている。
私も目を開けたいけど今はそれが難しい。
「マナ!―――マナ!」
次はハッキリと聞こえた。姉さんの声だ。
姉さんの声は聞き取りやすい。じゃあ、もう一つの声はエルザかな?
はやく目を開けたいけど身体がいう事聞かない。このまま目を瞑っている方が楽だってわかっているけど、それじゃダメだって事もわかってる。
私の中の騎士様と約束したし、そう簡単には眠っちゃいけないんだと思う。
ううん、違った。思うじゃいけない。
私の居るべき世界はこっちだもの。
キャスターはどんな世界を生きていたのか分からない。でも、私はこっちに戻らないといけない。今も、こうして私を心配してくれる人がいるんだもん。
二人だけって言えば少ないかも知れないけど。
それに私を加えれば三人だ。
ほれ、私と騎士様だけの非日常より数は多いよ?それを誇って良いかは分からないけど。
私は戻らないといけないんだ。
「―――マナ」
まだ声がする。何とかして答えなければいけない。
「―――さ……」
口を動かしてみた。音が出ているのかは自分にはわからないけど。
さっきより私を呼ぶ声が大きくなった気がする。多分、聞こえているんだろう。ならも少し頑張ろう。
「―――ね……えさ……ん」
「―――マナ、マナ!」
多分伝わったと思う。身体が浮く感じがしたから。もうなんか感覚もない。自分が今どういう態勢なのかも不確かだ。
「ね―――えさん……エ……ルザ」
「マナ!」
「マナ様!マナ」
でも、何となく分かる気がする。
暖かい気がする。
だから、騎士様。私、頑張るよ。
私の日常はきっと綺麗な道じゃないと思う。
でも、ずっと目を背けていた私の日常はきっと反復すると思う。
だから、さようなら。
ありがとう。私、貴方を忘れない。
でも、寂しくなんかないよ。
だって、こんなにも。
こんなにも、近くに居てくれる人が居た事に気が付けたのだから。