Fate/advance 【完結】   作:むむむーむ

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二話 二日目① なにしてんの

あの日の出来事を、彼女は一生忘れることはないだろう。

あの日から、彼女の人生は変わり。

あの日から、彼女の日常は反覆した。

 

******

 

―――数年前。

 

「おはよー、姉さん」

 

寝ぼけた声で瞼を擦りながら、マナはリビングで朝食をとっていたサラに挨拶をした。

少女にはまだダイニングチェアは高いのか、「よいしょっ」と声を出して、飛び乗るように椅子に乗る。

それと同時に、使用人が朝食をマナのテーブルへと並べていく。いつもと代わり映えのしない光景だ。

上品に焼かれたトーストとスクランブルエッグに、ミニトマトを二つ添えたサラダ。氷継家の朝食は、毎日決まってこのメニューだ。

 

「おはよう、マナ。今日もお父様に魔術を教えてもらうのだけれど、貴女も来るのかしら?」

 

「うん、行くよ。私は魔術が下手くそだけど、姉さんの魔術は見ていたいな」

 

「マナも、少しは出来るようにしておかないと駄目よ。ある程度の心得はもっておきなさい」

 

「はーい」

 

まだ十歳にして、大人の様な振る舞いを見せるサラは、落ち着いた口調で話す。

一方のマナは、年相応に無邪気な顔を見せていた。

 

「では、朝食を食べたら早速いきましょう。今日は朝から鍛錬があるのよ」

 

「やった」

 

姉の魔術が早く見たいとトーストを無理矢理掻き込むも、少女の口に入りきるわけもなくむせ返る。見かねたサラはマナの後ろに回り、優しく背中を摩った。

 

「ふふっ、大丈夫よマナ。貴女が食べ終わるまで待ってあげるから」

 

「う、うん」

 

サラの優しい微笑みに、マナは安堵したかのように微笑み返し、ゆっくりと朝食を再開した。

彼女たちの父である弦一郎による魔術の鍛錬は、彼の工房で行われる。その工房は屋敷の地下に存在しており、そこへの入り口は、ロビーから二階へと向かう階段の裏側にある。他の部屋の扉とは雰囲気がまるで違い、鉄製で作られたそれは、重い重厚感に溢れていた。

しかし、その見た目に反して扉自体は軽く、少女一人で簡単に開けられる程だ。

朝食を食べ終えたマナと共に、サラは地下へと続く扉を開ける。

彼女たちの目の前に広がるのは、暗闇。

まるで、その空間だけくり貫かれたかのように、闇が広がっていた。

 

Invite(インバイト)

 

サラが、自身の魔術起動音を唱えると、闇には一瞬で光が走り抜ける。

何もなかった暗闇には地下へと続く階段があり、それが壁に取り付けられたランタンに照らされ姿を現した。

 

「いつ見ても、これ好きだな」

 

少量の魔力を通すだけで灯りがつく仕組みになっており、その光景にマナは毎回心を躍らせる。

キラキラと目を輝かせるマナの頭を、ポンとサラは叩く。

 

「マナも、このくらいは出来るようになってね。マナはやろうとしないだけ。本当は出来る子なのに」

 

「姉さんには敵わないよ。それに、私は姉さんの魔術を見ているのが好きだから」

 

「もうっ、行きましょう、マナ」

 

呆れながらもサラはマナの手を引いて、地下への階段を下っていく。

螺旋状に続く石階段は何処か不気味さを醸し出しており、その雰囲気には馴れそうにないと、マナは顔を強張らせた。そんなマナの手を、サラは優しく握りしめ、姉の気遣いにマナは体を彼女の腕に絡ませる形で答える。

 

「マナは甘えん坊さんね。でもいつまでもそんな事じゃ駄目よ」

 

「むぅ、だって姉さんは優しいから、甘えたくなるんだもん」

 

「あら、じゃ今から厳しくなろうかしら」

 

「そーれーはーだーめー」

 

猫の様に甘える妹と、注意しつつ結局、甘やかしてしまう姉。

二人の関係は、第三者の人間が見たのならば、大変仲睦まじい光景に映るだろう。

事実、この屋敷の使用人達はこの姉妹の仲睦まじい光景をみては、癒されている者ばかりだからだ。

しかし、それと同時に彼女達を憐れむ者もいた。

 

******

 

サラとマナの母、つまり弦一郎の妻である『氷継サナ』は、二年前にこの世を去っていた。

彼女の死に、多くの人間が嘆き悲しんだ。

この屋敷の使用人からも慕われていたし、勿論、サラとマナも母のサナが大好きだった。

そして、何よりも弦一郎は、妻であるサナを愛していたと言えるだろう。

サナを失った彼は、一時期酒に溺れた。当時は使用人達に手をあげるほど、彼の心は荒んでいたのだ。

近頃は自身の工房に引きこもり、以前にもまして魔術に没頭していった。

勿論魔術師として何ら不思議ではないのだが、彼を昔から知る者のほとんどが、「氷継弦一郎は人が変わった」と答えるだろう。

かつての弦一郎は大変社交的で、誰しもが彼を紳士と讃えるほど高潔な人物だった。魔術師として質の高い人物ではあったが、彼は家族を思いやり、親としても立派な人物だったのである。

彼は心から妻を愛し、また妻であるサナも、弦一郎を愛していた。その愛情は子供達、即ちサラやマナにも惜しみなく注がれた愛情だ。

魔術師は本来、一子相伝である。

己が家系で育て培ってきた神秘を授けられるのは、ただ一人。

その為、魔術の家系で産まれる二児以降の子供達の多くは、養子に出されたりする。だが、弦一郎とサナはそれを拒み、二人の子供にしっかりと魔術の鍛錬を付けることにしたのである。

勿論家督を継ぐのは長女であるサラであり、本人もそのつもりでいる。何よりマナ自身が、魔術に対して消極的だったために、さほど問題は起きなかった。

二人の子供たちは、両親の愛と知恵を存分に受け育っていくことになるのだが、その幸せは長くは続かなかった。

氷継サナが、この世を去った。

何の変哲もない事故死である。

氷継サナは、魔術師として言えば0点と言われるだろう。

それは魔術師としての素質や実力の事を指しているのではない。彼女自身、魔術が扱えないわけではなく、寧ろその才能は十分に持ち得ていた。

彼女の実家も、魔術師の家系としての歴史と実力は十分にあった。

だが、氷継サナは、人間過ぎたのである。

魔術師であり、魔術の家に嫁いでいながら、彼女は普通でありたいと願った。

極々日常的な生活を望んでいたのである。

街に出ては買い物に興じ、食事も自身で作った。

最初の頃は、弦一郎も使用人にやらせておけばいい、と彼女の行動に疑問を感じてはいたが、次第にそれを後押しするようになっていた。

弦一郎とサナは、恋愛婚などというものではなく、魔術師としては当たり前の様にある政略婚である。

より良い魔術師としての血を残したい弦一郎側の家と、質の良い魔術師の家と繋がりが欲しい、サナの家との思惑が合致して、彼は籍を入れることになった。

初めの内は突然の婚姻に困惑していた弦一郎も、彼女の人間的な魅力に惹かれていった。またサナも、彼の他の魔術師とは一線を画す紳士的な振る舞いに惹かれていった。

そんな最愛の妻を亡くした弦一郎は、狂っていく。

しかし、彼は目的を見つけた。

成すべき事を。たどり着くべき場所を。

 

******

 

長い石造りの螺旋階段の行き着いた先。二メートル程伸びた一本道の先に扉がある。

弦一郎の工房への入り口だ。

ツン、と鼻に突き刺さるような匂いが、サラとマナに襲い掛かる。

咄嗟に自身の鼻を摘み、匂いを如何にか遮断しようと試みるマナを横目に、サラは足を止める事無く進んでいく。

 

「まっ、待ってよ、姉さん」

 

「馴れないと駄目よ、マナ」

 

置いて行かれないようにと、マナは小走りで後を追った。

階段の入り口にあった鉄製の扉とは裏腹に、工房への扉は何も変哲のない、シンプルな木製扉だった。

サラは、その扉をゆっくりと開ける。

途端に、先ほどまでとは比較にならない程の異臭が部屋の様子と共に撒き散らされた。流石のサラも、今度ばかりは異臭に顔を顰め、マナは嗚咽を漏らした。

 

「……来たか。マナ、はしたないぞ。母さんが見たら、さぞため息をつくだろう」

 

見るからに高級なスーツに身を包んではいるが、顔は草臥れ、手に填めた厚手の手袋は真っ赤な鮮血で染まっていた。

弦一郎は、サラ達の方を一瞬見て呟いた。

 

「朝から一体何を?今日は私達に魔術を教えていただけるのでは?」

 

そんな父親の奇行に、臆する様子はなく、サラは一歩前へと歩み出た。

 

「……そうだったな。あぁ、いよいよだ。今日で終わり、始まる日でもある」

 

ブツブツと、独り言の様に呟きながら、弦一郎は部屋に散乱する書物を手に取ると、数ページ捲った後深いため息をついた。

 

「マナ、こちらに来なさい」

 

部屋の奥、更に言えば弦一郎に指示された場所に行くのに、マナは躊躇した。

部屋は依然として異臭を撒き散らし、奥に行くにつれ、その匂いは強くなる。更に床には乱雑に積まれた物や、マネキンの様なモノが散乱し、足の踏み場を見つけるのも一苦労だ。

部屋の最奥、弦一郎の後方にもう一つ扉があり、その扉の向こう側にはサラもマナも入ったことはなかった。

 

「マナ、はやく、早くこっちに来い!」

 

戸惑うマナに苛ついたのか、弦一郎の口調が急に荒々しくなり、マナは余計に足が竦む。

 

「マナ、大丈夫よ」

 

見かねたサラは、マナの、手を優しく握りしめ、彼女の背中を押す。

 

「う、うん」

 

戸惑いつつも、マナは部屋の奥へと踏み込んだ。散乱したモノを踏まないように、慎重に。

 

「よし、良い子だ。そこに立っていなさい」

 

無事に自分の元に来たマナの頭をそっと撫でると、弦一郎は彼女の背中に指を滑らせた。

異様な感触に、マナは身を強張らせるが、声を上げては父に何を言われるかわからないと、声を必死に押し殺した。

 

「ひひぃ、で、できたぞ。サラ、こっちに来なさい。マナはまだ動いてはいけないよ」

 

奇妙な声を漏らす弦一郎を、訝しめに見るサラだが、彼の言う通りにマナの前に立った。

 

「ね、姉さん?」

 

「大丈夫よ。きっとこれも魔術の勉強の一環よ」

 

何時もの魔術の鍛錬とは違った趣と、弦一郎の異様な雰囲気に怯えるマナに、サラは安心させるように声を掛けた。

 

「あぁ、もちろんだとも」

 

不安がる娘達に対して、問題はない、と弦一郎は念を押して、幾つかの言葉を紡いだ。

それは、サラやマナには理解も出来ない言葉であった。

先ほどマナの背中に描かれた刻印が赤黒い光を放ち、それを見て弦一郎は、汚らしい笑みを浮かべた。

 

「さぁ、サラ。マナの胸に手を当てて、魔術を通してご覧」

 

「え、えっでも……」

 

唐突で不可解な指示にサラが困惑していると、弦一郎は眉間に皺を寄せ、声を荒げた。

 

「はやくしろと言っているのだ!」

 

「えっう、は、はい」

 

言われるがまま、サラは先ほど階段の灯りを灯した時と同じ要領で、魔力を流し込んだ。

一瞬、光が零れたと錯覚するほどに、サラの流した魔力が視覚化する。

 

「やっぱり、ね―――」

 

マナは、やはり姉さんの魔術は綺麗だ、と言葉を発しようとしたのだろう。

だが、それはかなわなかった。

代わりに彼女の口からは、真っ赤な鮮血が吹き出し、胸の肉と骨が、観音開きの様に躍り出た。

心臓は鼓動を打ったまま活動はしているが、その命の鼓動は次第に小さくなり、ものの数秒で活動は停止した。

その衝撃的な光景はサラの眼球に焼き付き、マナが噴き出した血は、彼女の全身に降り注いだ。

 

「あ……え……」

 

思考が、追いつかなかった。

弦一郎の言われた通りに、魔術を行使しただけのサラには、今の光景は到底理解しがたい。

ただはっきりと知覚したのは、氷継マナが、死亡した、という事実だけだった。

 

「あぁあああああああ」

 

彼女は膝から崩れ落ち、無残な屍と化したマナは、自身の血でできた湖に倒れ、生々しい水音を立てた。

 

「これで……これでいい。後はこの地の魔力を吸い上げ、期が熟するのを待てばいい」

 

弦一郎はマナを抱きかかえると、工房の奥の扉へと、消えていった。

 

******

 

「はあぁぁ」

 

彼女はベッドの上でだらしなく欠伸をした。冬場にも関わらず、上半身はワイシャツ一枚、下半身はショーツ一枚だけといういでたちだ。

 

『寒くないのか?』

 

そんな彼女の姿を見てか、脳に直接声が飛んできた。

念話。マスターとサーヴァントとが、契約関係にある状態で行える、声を発しない傍受不可能の会話。

 

『寒くないわよ。で、何を笑っているのかしら?』

 

少し苛ついた口調でサーヴァントに念話で返事をすると、彼女は自室の扉の前を睨みつけた。

霊体化を解き、やれやれ、と肩を竦める。その実体をさらけ出したのは、彼女の契約したサーヴァント。

 

「本当に寒くないのか?それにしても、君もそういう顔をするのだな。昨夜とは大分印象が違う」

 

真っ黒なスーツに身を包んだその姿は、女性にしてはやや背が高い。髪は美しい金色をしており、肩程の長さはあるが、後ろで束ねられている。

 

「私だって、常にああいう態度でいるわけじゃないわ」

 

寝起きの無防備な姿を見られた事への苛立ちを隠そうとはせず、氷継サラは諦めたようにだらだらとベッドから這い出ると、セイバーと向き合った。

 

「もっと粗悪で野蛮な英霊と思っていたけど、考えを改める必要がありそうね」

 

「所詮は人から人に長年にも渡ってきた果てのない語りであろう?私とて、その被害者だよ。まぁ、中には性別まで曲解された英霊もいると聞くが」

 

サラは、自身の呼び出したサーヴァントが実際のイメージと違うと、嫌味気味に言葉を投げかけるも、当のセイバーは軽く受け流した。

嫌味もここまで軽くあしらわれると、サラは余計に苛立ち、口喧嘩でそもそもセイバーに敵うわけがないと後悔した。

諦めた様に、サラはドレッサーの前に座る。もう一度大きく欠伸をし、セイバーの存在を気にしないように身なりを整え始める。

一方、セイバーは部屋の中央にある北欧風のカフェテーブルの椅子に腰かけ、サラの部屋を見渡す。

セイバーは、自身の生前とは違う雰囲気を奏でるインテリアに興味津々の様子だ。

 

「しっかし、どれも私の時代の物より価値としては低いな」

 

「……貴女のレベルで生活していたら、私は破綻するわよ」

 

セイバーの言葉に、サラはムスッと頬を膨らませ、セイバーはそんなサラの苛立ちを知ってか、彼女をからかう様に笑う。

 

「ハハハッ、そうかい。そこまで私を粗悪で野蛮だと言うなら、その辺りの話を聞かせてあげようじゃないか。そうだな、あれはヴァイキングとして戦場を駆け巡った時の話だ」

 

「別に聞きたくないわよ、貴女の話は。それよりも今日、実行するからそのつもりでいて」

 

「……サラがやろうというのなら基本的には指示に従おう。しかし、君が今から行おうとすることは、決して褒められることではないぞ?」

 

部屋の空気が一新された。

先ほどの穏やかな空気とは、訳が違う。

セイバーはじろりとサラを睨みつける。

英霊として、戦士としてのセイバーの鋭い眼光が、サラを自身の主として相応しいのかを見定める。

しかしサラはセイバーに臆することなく、決意を口にした。

 

「私は決めたの。罪も、全て私が背負う。あの子が失った日常は、私が取り返す。その為なら、私は悪魔にだって魂を売り渡す覚悟はある」

 

サラは立ち上がり、セイバーの目を見つめ、彼女に自身を誇示する。

その眼で、定めたければ好きにすればいい、自身が付き従うべきではないと思うのならば、今すぐにでも切り捨てればいい。

氷継サラの発する気迫にセイバーも折れたのか、諦めたように首を左右に振り、降参だ、と両手をあげた。

 

「サラ、いや私のマスターよ。私は、君の剣となり、君の敵を討ち滅ぼし、必ずや君に聖杯をもたらそう」

 

凛としたセイバーの態度に、サラは彼女に戦士の面影をみた。

 

「ありがとう、セイバー」

 

「気にするな。ただ、これは忠告だ。その選択は愚かで、間違っている道のりだ。簡単には通れぬ険しい道のり。君は闇に落ちるかもしれないぞ」

 

「……」

 

「私は、自分を愚かだと後悔したこともある。だが、君はもっと愚かだ」

 

セイバーは、小さく呟き、霊体化してサラの前から姿を消した。

サラの行為は愚かだ。生前、自身の行為を愚かだと、後悔するセイバーのそれよりも。

サラの行為は、古より愚とされてきた行いである。あってはならない。そもそも、ありえてはならないのだ。

製造された個体が、創造主に牙を向けるなどあり得てはならない。

故に、サラの決断と計画は、愚かと言わざるをえない。

あってはならないのだ。『親殺し』などは、決して。

それでも、セイバーはサラを止めなかった。

どれだけ愚かであろうと、彼女が、若き日の自分に似ていたのだから。

強さを求めた。

それが、無謀だとしても。

自身の道は自らこじ開け、その運命を切り開いたセイバーが、歴史から愚と評されようと、自らの道を決断したサラを止めることなど、できはしないのだ。

 

******

 

氷継マナが夢から目覚めて、七分が経過した。

彼女は思考が完全に目覚めているのにも関わらず、ベッドから起き上がる様子はない。

ただ仰向けに寝転がり、白くて華奢な自身の腕で、視界を遮っていた。

時刻は、朝の四時。

季節も相まって、室内は冷えきっていた。

現在の時刻であれば、普段のマナはまだまだ夢の中で過ごしている。昨夜の連続した非現実的な出来事に脳は落ち着くことなく、中途半端な睡眠となってしまった。

まだまだ寝ていたいと願うマナだが、脳はそうはさせまいと、思考が大雨のように降り注ぎ彼女の安眠を拒んだ。

その決定打となったのが、右手に宿る令呪だった。

昨夜、眠りにつく前。

こんなモノは、夢物語だと、必死に否定したのにも関わらず、目覚めと共に視界に入ったそれは、最高で、最悪のモーニングコールとなった。

認めたくない、と幾ら願い、懇願しようと新しい日常は、常に彼女に付き纏う。

 

「助けて」

 

小さく呟いた処で、彼女の声は誰にも届かない。

枕元にある一冊の絵本。

幼少の頃からの、マナにとっての心の支えであるそれについつい手を伸ばし、そのまま胸に抱く。

あり得てしまった非日常に、あり得ない非日常へ彼女は逃避する。

あり得ないとわかっていながらも、絵本に登場する主人公である騎士たる王が、自身を、この日常から救い出すことを願う。

 

「たすけて」

 

そっと、氷継マナは、そっと呟いた。

 

―――コンコン。

 

マナの呟きとほぼ同時に。

彼女の部屋の扉がノックされた。

こんな時間に誰かが訪ねてくる筈もない。

仮にエルザだとしても、彼女のノック音はもっと機械的だ。

この様な愉快そうな音は、奏でられない。

だとすれば今のは、エルザではない。エルザでなければ、わざわざ相手にする必要もない。深く目を瞑るマナだが、どうにもそれが気になって、余計に眠る事が出来なかった。

 

「―――こんにちは。いいえ、こんばんは、かしら?違う、おはよう。ええ、きっとこれね。おはよう、マナ」

 

その声は、ハッキリとマナの耳に届いた。

それも、耳元でその声を、はっきりと知覚した。

 

「―――えっ?」

 

マナは目を開くと、ベッドの傍らには昨夜みた非日常の象徴である、キャスターの少女が立っていた。

困惑した顔を浮かべるマナに対し、キャスターは言葉を投げる。

 

「おはよう、マナ。この時間なら起きていると思ったわ。少し、お話いいかしら?寝られてないわよね?」

 

キャスターは、どこか嬉しそうに話す。

マナにしてみれば昨夜にひと目見ただけだというのに、キャスターはやけに馴れ馴れしい態度だった。

 

「……なにか用なの?」

 

マナは再びベッドに顔を埋め、キャスターに返事をした。

無視しても構わなかった。というより、マナはキャスターを無視するつもりでいたのだ。そもそも扉のノック音がした時点で、マナは外に居たであろうキャスターを無視していたのだから。

そこでマナは初めて理解したのと同時に、驚きの声をあげた。

 

「え?貴女どうやって入ってきたの!?」

 

「それを今更いうの?」

 

思わずベッドから飛び出たマナとは対照的に、キャスターは呆れながらため息をつく。

 

「貴女に言いたいことは一つだけ。それを今から言うわ。私は、その為に呼ばれた様な

ものだし」

 

「何を……言っているの?」

 

意図が分からない、とマナはキャスターを恐る恐る観察してはみるが、キャスターの顔を窺い知ることは出来ない。

深く被ったフードが、キャスターの顔を包み隠しているからだ。唯一確認できるのは、少女らしき口元のみ。

未だキャスターの真意を掴めていないマナを置いていくように、キャスターの少女の口からは、呪文の様に言葉が紡ぎだされた。

 

「前に歩くためには、前を見る。前に進むためには、自分で歩く。歩くためには、歩く決意をする。ゆっくりでも、ゆっくりでも、それを咎める人はいないわ」

 

「い、意味がわからない。貴女は何を伝えたいの?」

 

困惑するマナを無視して、キャスターは言葉を続ける。

 

「人は、雲の様にふわふわして生きていくことは出来ないわ。だって、人は自由ではないのだから。縛られ、閉じ込められている。有限の時間と制限の中で、限られた自由をただ生きる。でも、上限は、無限よ。自分で幾らでも広げられる」

 

キャスターの言葉の意味を、マナは一片たりとも理解できなかった。

いや、正確には理解しようとすらしなかった。

それは、彼女が拒んだ思考だったから。

キャスターは、言う。

自分自身の力で歩け、と。道は、真っ直ぐしかない。その中で、お前は立ち止まり、道の上を歩く障害物が、退くのを待っているだけだと。

それでは幾ら時間があっても、足りるわけがない。

道は増やせる。障害物も越えられる。

そのための努力を、破棄しているお前が、何を望んだところで―――。

―――日常は、再び反復することなどない。

マナは、理解を破棄する。

いきなり目の前に現れた彼女を、マナは否定する。

 

「な、なんなの?いきなり出てきて、言いたいこと言って……お父さんに何か命令されたの?一体何が言いたいの!?」

 

マナは叫んだ。

それでも、キャスターにはマナの叫びなど届いてはいないのか、唯一見える口元はニヤリと歪む。

 

「そう、答えから出すから解けないのよ。学校でもそうでしょう?答えだけ書いても点数は貰えない。方程式も書かないと。答えは与えられるものじゃなくて、見つけるものよ」

 

キャスターはマナに自身の言葉の真意を説くが、彼女には伝わらない。

それは、マナが歩くことをやめてしまっているから。

マナはキャスターの声に応えることはない。

 

「意味が分からない。だから、一体何が言いたいっていうの?」

 

「だから言ったでしょう?見つけなさい、と」

 

可能性という見えないものを、マナはまだ追う事はできない。

そもそも、そのスタートラインにすら立っていないのだから。

まず、マナがすべきことは解き方を探すこと。その後で、解き始める。

氷継マナという、逃げ回ってばかりの人間がすべきことを、キャスターは伝えているのだ。

 

「いきなりは流石に難しいよね。確かに、一方的すぎた。だから、ヒント。それは、ある種の答え。それを、見せてあげる」

 

キャスターは、クスリと笑い。

マナは未だ追いつかない思考で、頭は爆発寸前。

最後に呟いたキャスターの声は、彼女に届いていなかった。

 

「お休みなさい。そして、さようなら」

 

******

 

それは、新しい日常。

ごくごく普通の少女の朝。カーテンの隙間から零れる朝日の光と共に、起床時間を知らせる目覚まし時計のアラーム音。

寝ぼけながらも、鳴り続ける目覚まし時計に手を伸ばし、五月蝿い音を止める。

少女、氷継マナはようやく布団から這い出る事にした。

ふと、先ほどまで見ていた夢を思い出し、頭が混乱した。

眠れずにいた処にキャスターが現れ、彼女が残していった言葉。

自分の本質が抉られた気がして、マナは気分が悪くなったのをはっきりと覚えている。

が、問題はその後だった。

氷継マナは、夢を見た。

それは、キャスターとの会話の後なのか。それとも、それより前なのか。

それがいつ見た夢なのか、マナにはわからなかった。

ただ、その夢はやけに、現実味を帯びていたのを覚えている。それが、『夢』だと、わかっているのにも関わらす。

一面に広がる広大な花畑。美しい高原にあるそれは、漫画の様な夢の世界。

そこに立っているのは、一人の少女で。

その世界は、その少女によって構成されていた。

それは、創られた贋作の世界。

にも関わらず、その世界は本物だった。

マナはそれが夢だとわかってはいるのに、その夢は、現実だという奇妙な錯覚を感じていた。

―――コンコン。

そんなマナの頭の中を整理するかの如く、いつもの機械的なノック音が耳に届いた。

 

「おはようございます。マナ様、お支度の方はお済みでしょうか?」

 

「え、うん。ちょっと待ってて」

 

いつも朝は大慌てのマナだが、この日はやけに落ち着いているという印象をエルザは抱いた。

昨夜のこともあり、落ち込んでいるのかと思い、何か声を掛けるべきかと思案するが、エルザは上手い言葉が見つからなかった。

マナの友人を自称しながらも、そういった人間的な思考が、エルザには難しく思えていた。それでも、この屋敷の使用人達に比べてみれば、彼女は人間という個体に一番近い存在と言えるだろう。

『ホムンクルス』

この屋敷の使用人はエルザを含めてこの様に呼称される、人造生命体。

マナの父親、氷継弦一郎が製造した人の形をした人形。その命は、短命ではあるが生まれ持って魔術回路を持つ。正しくは魔術回路が人の形をしている、といった方が近いだろう。

肉体的にも人間的思考も欠落しているそれは、魔術師にとって動く道具他ならない。

この屋敷の使用人は、いわば歩く弦一郎の魔術礼装と言っても過言ではない。

その中で、エルザは異質だった。

彼女は、人に近い思考をし、人を思うことができる希有な個体だった。

それ故に、外の世界から隔離されたかの様な密閉空間を誇る屋敷で、マナにとって唯一の話し相手になりえたのだ。

 

「おまたせ」

 

ゆっくりと部屋の扉が開けられ、マナが瞼を擦りながら現れた。

 

「……おはようございます。マナ様」

 

「今日は、怒らないの?」

 

「昨夜の事を考えれば、眠れないのも当然でしょう?」

 

「あぁ、ありがとう」

 

エルザはうまく気をつかえた、とニンマリと微笑むなか、マナはキャスターと夢の事を考えていた。

リビングのテーブルには、既に朝食が並べられていた。当然弦一郎も椅子に座り、マナが起きてくるのを待っていたようだ。

 

「おはよう、マナ。調子はどうだい?」

 

「よくないです。それより、キャスターはどこですか?」

 

「キャスター?キャスターがどうかしたのか?それより、マナも早くサーヴァントを召喚しなさい。なに、マナなら触媒なしでも召喚できるだろう」

 

弦一郎の反応を見る限りでは、今朝の事はキャスターの独断だ、とマナは認識した。

しかし、またわからない単語が出てきた。マナは朝食のトーストをかじりながら、チラリとエルザの方を見る。

しかし、エルザも自身の仕事に勤しんでいるのかせっせと動き回り、到底マナの疑問に答えられる状態ではなかった。

エルザが側にいないのなら、この朝食は大変苦しい空気になる。

一刻も早く抜け出そうと、昨日の様にトーストとハムエッグを口に掻き込み、牛乳で流し込む。

 

「マナ……万が一、ありはしないとは思うが、私になにかあれば、ライルの教会にいきなさい」

 

突然、いつもとは違い、重たく冷たい口調で弦一郎はマナに言葉を投げかけた。

この様な父の態度を見るのは久しい、とマナは感じた。

それは、魔術師としての忠告か、父親としての忠告か、マナには理解できなかった。しかし弦一郎が真剣だと言う事は汲み取れた。

 

「え?えぇ、いってきます」

 

父親の態度に、困惑しつつマナは、学校へ向かうべく屋敷を出た。

キャスターの事や父の言葉は気がかりではあったが、今のマナは魔術とは無縁の学校へと逃避をしに、バス停までの下り坂を下っていく。

魔術師は、秘匿に重きを置く。聖杯戦争は魔術師同士の抗争だ。神秘を秘匿するためにも、昼間から魔術やサーヴァント同士の表立った戦闘は避けるだろう。

ならば、昼間の学校は安全だろう、と結論付け、マナはバスへと乗り込むのだった。

 

******

 

氷継マナが屋敷を出て、数時間が経過した。

サラの自室では、退屈そうにセイバーが椅子に背中を預けている。

 

「暇そうね、セイバー」

 

「それはそうだろう。暇に決まっている。元々、サーヴァントという使い魔として現界した身だ。戦わないのであれば、暇に決まっているさ」

 

悪態をつきながら、セイバーはカフェテーブルの上に置かれたティーカップを手に取り、口元まで運ぶ。

 

「ふむ。紅茶は美味いな」

 

「それはどうも」

 

「まぁ、私が一番腑に落ちないのは、未だに迷っている、私のマスターだがね」

 

じろりと、サラを睨みつけると、彼女はばつが悪そうに、目を背けた。

暫くの沈黙の後、サラは本棚の奥から一冊の本を取り出し、テーブルの上に置いた。

 

「全てよ。私が、父を殺すと決めた、理由の全て」

 

サラの表情こそ変わってはいないものの、低い声のトーンで発せられたそれは、感情を押し殺している様だった。

セイバーは数ページ捲ると、興味がなさそうに言う。

 

「私がこれを読んで、何か意味はあるのか?サラの目的が分からないな。同情か?それとも共感?私に何を求めるマスター?何を、私に求めた?私はサラのサーヴァントだ。君の剣になると誓ったのは今朝の事だぞ?それに、嘘偽りはない。それでも私を信用できないというのなら、令呪を使えばいい」

 

「今回の聖杯戦争における、根本的な部分の話でもあるわ。貴女も気づいたでしょう?マナが、普通じゃないって」

 

「違う。話を反らすな。私は今、サラの決意の話をしている。君が欲しいのは、共感か?違うだろう?求めなければならないのは、その先だ」

 

閉じた本を、サラに突きつける。

サラとて、セイバーの言葉の意味は理解している。

実行を前にして、足踏みしていたのは事実だ。しかし、今回の聖杯戦争の最終目的を共有する事は、必然だ。

 

「わかった。私から話すわよ。それで良いんでしょう」

 

「あぁ。勿論だ。必要なのは、サラの目的だ。それに生憎、私は本を読むのが苦手でね」

 

サラはセイバーから突き返された『弦一郎の日記』を本棚に戻し、今回の聖杯戦争の成り行きと、真の目的を、願いを語る。

 

******

 

屋敷の客間では、弦一郎とサラが向かい合う様に、互いが椅子に腰を掛けていた。

 

「ちょっとした質問ですが、スクランブルエッグは、お好きですか?」

 

「なんだ唐突に。そんな事を聞くために、わざわざ呼びつけたのか?」

 

「……まさか、違います」

 

「で、サラ。話というのは?聖杯戦争に関してか?まだ、マナがランサーの英霊を呼びだしていないだろう。開戦していないのだよ」

 

「随分と余裕ですね。マナは召喚用の触媒も用意していないのでしょう?」

 

「あぁ、それならば問題ない。聖杯戦争に必要なサーヴァントは七騎。残り一騎となれば聖杯側から最後の一騎を召喚するよう、圧をかけるさ。その為に今日、ライルのサーヴァントを使い、マナにサーヴァントを召喚させるまでに至らせる」

 

弦一郎は、テーブルに置かれたティーカップに注がれた紅茶を一口飲み、対面に座る娘を観察するように目を細める。

 

「聖杯戦争を始めるために、大聖杯が、強制的に駒を用意するということですか。更に言えば、小聖杯からならリンクも繋がっているでしょうし、召喚のための陣も必要なさそうですね」

 

サラの言葉に、弦一郎の眉間がピクリとしわをよせた。

一方で、サラは澄ました目で、弦一郎を見据える。

 

「一つ聞こう、サラ。なぜ、マナが聖杯たる器だという事を知っている?」

 

弦一郎の声は、重たく。客間の空気を一瞬にして書き換えた。

 

「ええ。私も一つ聞きたいわ、何故、気づかれないと思ったの?」

 

じりじりとした空気が、二人を包んだ。

そこに、親子という続柄は存在しない。

客間の二人を包み込む空気は、親子のそれとはほど遠い。

明確な敵意を持った、魔術師同士の空気だった。

次にでる声は、互いを問う言葉ではないだろう。それは、互いを狙う言葉で、互いを殺す言葉。

弦一郎も、サラも。次の瞬間には、互いを殺す一手を指すだろう。まさに、一発触発の状態だった。

 

「一つ教えてやろう、サラ。師として、父として。ここが、私の拠点だという事を」

 

先に言葉を紡いだのは、弦一郎だった。

 

Spielen(スピリネン)

 

懐から黒色の液体が入った、手のひらほどの大きさの小瓶を取り出し、床に零す。

それは呻きをあげ床を這いずると、徐々に一体の鉄の兵士へと、象っていく。

その光景を、サラはただ見つめている。

 

「どうした?いや、そういえばお前にはまだ見せてなかったな。私の、戦闘用のゴーレムだ」

 

二メートル程の体躯を誇るゴーレムの傍らで、弦一路は己を誇示するかのように、サラを見下ろす。

一方のサラはニヤリと頬を歪ませた。

 

「なにが、おかしい?」

 

サラの態度に、弦一郎は問わずにはいられなかった。

ゴーレムに気圧され、頭がおかしくなったのか、それとも。

 

「ええ、おかしいわ。―――父さんが、この程度だったなんて」

 

サラは、弦一郎を見下した。

父であり、師である弦一郎を、この程度と見下したのだ。

決して、威圧などされてはいない。

彼女は、初めから余裕だったのだから。

サラの傲慢な態度に、弦一郎が黙っているわけもない。

苛ついた表情で、ゴーレムをサラへと向かわせる。

二メートル程の鉄の兵士は、自らの腕部を強大な槍へと変え、その矛先でサラを穿とうと突撃する。

 

Invite(インバイト)

 

サラは、自らの魔術の起動音を唱えた。

右腕を前方へと突き出し、全てを炎獄へと誘う魔術を行使する。

体内の魔術回路が熱を吹き出し駆け巡る。

彼女が身に着けているブレスレットが赤黒く発光し、その指に填めている指輪は黄金に煌めく。

 

「焼き殺せ」

 

サラの言葉と同時に、彼女の魔術が炸裂した。

右腕から放たれるは獄炎の炎。赤黒く燃えたそれは鋭い矢と成って、鉄の兵士へと疾走する。

放たれた炎の矢は突進する鉄の兵士を瞬時に溶解し、飲み込んでいく。

動く足すら失ったゴーレムは悲鳴とも取れる呻きをあげ、崩れ落ちる。

残るのはサラの魔術が生み出した炎の残り香。

 

「使い魔が敗れた時点で、父さんの敗北は決定的ね。命乞いなんていらないわ。さようなら」

 

サラは、魔術回路に魔力を通す。

炎の矢は再び具現し、使い魔を破壊され立ち尽くす弦一郎へと放たれた。

しかし、その炎の矢は弦一郎に届くことはなかった。

炎の矢は弦一郎の目前で、四方へと飛散したのだ。

 

「この程度か。残念だよ、サラ」

 

弦一郎の前には、先ほど溶解した鉄のゴーレムと同様の者が、彼を庇うように仁王立ちしている。その後ろで弦一郎は眉も動かさず言った。

 

「一体のみだ、と言った覚えは無いがね」

 

その余裕はサラの感情を逆撫でにする。

 

「……そんなにも、そんなにも、お母様を、蘇らせたいの?聖杯を使って!」

 

怒りを隠すことなく、サラは感情を向きだしに叫んだ。

弦一郎は対照的な笑みを浮かべ、静かに言う。

 

「いけないか?聖杯戦争の再現が氷継家の願いであろう?私は、それを達成したのだ。それならば、聖杯に掲げる私の願いなど、安いものだろう」

 

「その目的の為に、私に、マナを殺させた」

 

「サラ、自分を責める必要はない。君は間接的に殺しただけだ。私の言われたとおりに、マナを殺しただけだ」

 

「―――許さない」

 

サラの周囲を取り巻く熱量が増大する。

先ほどとは比べ物にならない魔力の塊が具現し、彼女の右腕を渦巻くように炎が湧き上がる。

 

「アンタの、日記を読んだ。狂っていたよ。お母様を蘇らせるためだけに、私達を利用した。マナを、マナを―――」

 

「人の限界はある。死んだ人間を完全に蘇らせるなど、不可能だ。私ができるのは所詮、人間に近い人形ごっこに過ぎない。いけないか?私は自分の最愛の妻を取り戻すために、全てを犠牲にしても構わない。聖杯なら、その願いは叶う」

 

「許さない。私は、マナを救う。お前を殺して」

 

「そうか。なら、サラは私と一緒だな。家族を殺して、家族を守るのだから」

 

「黙れ!お前と、一緒にするな!」

 

跳躍、サラは弦一郎に飛びかかる。

当然それを拒むように、ゴーレムもその巨大な体躯で彼女に襲い掛かる。

 

「邪魔よ!」

 

薙ぎ払う様にサラが右腕を振るう。纏っていた魔力の炎はゴーレムを豪快になぎ倒した。

 

「言ったはずだ。私の領地だと」

 

瞬間、サラは驚愕する。

四方から別のゴーレムが、複数同時に彼女に襲い掛かっていた。

 

「―――なっ」

 

その数は、七体。突如として現れた巨大な群れに、圧力に、勝てる道理などない。

正面のゴーレムに、先ほどと同じ様に炎を纏った右腕を振るう。しかしそのゴーレムが怯む事は無く、七対の巨大な腕をサラへと伸ばした。

眼前に迫る死の恐怖に、サラは思わず目を瞑った。黒ずんだその巨大な腕は、容易に彼女の体を握りつぶすだろう。

 

「―――やれやれ、見てはおれんな」

 

その女性はため息をつきながら、サラに迫る巨大な腕を一閃する。当然のようにそこにいた剣士は、一瞬で七体のゴーレムを鎮圧した。

 

「セ、セイバー……?」

 

サラの目の前には、戦闘用の鎧を纏ったセイバーが、凛とした姿で佇んでいた。

 

「何を呆けている、サラ。さっさと君の役目を果たせ」

 

「わ、わかっているわ」

 

サラは再び、弦一郎へとその右腕を向けた。

魔術によって構成された炎の矢はが弦一郎に直進する。

ゴーレムは全て、セイバーによって沈黙させられており、彼に防御するための手段は残されてなどいない。

そう、彼には。

彼女の放った炎は、またしても弦一郎に触れる事さえかなわなかった。彼の眼前で、サラの魔術は完全に掻き消えたのだ。

 

「……キャスターか」

 

セイバーは舌打ちしながらも、冷静に今の状況を把握していた。

 

「遅いぞ、キャスター」

 

「すみません、マスター。それよりも先ほどの話、本当ですか?」

 

弦一郎の横に、少女……キャスターの姿があった。彼女の魔術によって、サラの魔術はかき消されたのである。

 

「話?なんの事だ」

 

「氷継マナの事です」

 

「……あぁ、本当だ。私の願いは、妻を蘇らせること。その為に娘を一度殺し、彼女の身

体を弄繰り回した。先代や、私の製造したホムンクルスでは器と成り得なかった。しかし、人間のマナならば可能性はあった。そして、成功したのだよ。マナは器として完成した。あとはそこに、魂をくべればいい」

 

「そうまでして蘇った奥様は、本当に喜ぶのでしょうか?」

 

キャスターは悲しい声で、主に問うた。

 

「喜ぶさ、私が喜ぶのだ。妻だって喜ぶに決まっている!そうでなくてはならないのだ!私の人生は、私のしてきた事は一体……一体なんの意味を持つ?後に、後に引くことなど、できはしないのだ!」

 

「娘を犠牲にして喜ぶ親などいません!心が、痛みませんか?」

 

キャスターは悲しそうに言い、目を背けた。

 

「そんなものは捨てた。でなければこんな事、出来る訳がないだろうが!」

 

弦一郎の怒声と共に、三度、鉄の巨人達は立ち上がる。唸り声を上げたゴーレムは、サラ達にその巨大な腕を振りあげる。

 

「セイバー、宝具の使用を許可するわ」

 

「あぁ、待っていたぞ、その言葉!」

 

セイバーが腰に差した剣を鞘ごと引き抜く。その鞘は、豪華絢爛といった装飾が施されているのにも関わらず、どこか禍々しいオーラを帯びていた。まるで生き血を啜る狂人を思わせるそれは、周囲の目を一手に吸い寄せる。

それは、呪だ。人が背負うには大きすぎる呪いを、その剣の担い手であるセイバーと呼ばれる女性は、自らの力と、意思の強さによって制御しているのだ。

セイバーが剣を抜こうとした瞬間、キャスターはその動きを遮るべく魔術を行使する。しかし、セイバーは自身の持つ対魔力スキルによってそれを無効化した。キャスターの魔術はサラにも及び、彼女の四肢から自由を奪うが、彼女の自由を奪っているリング状の拘束具はセイバーによって即座に破壊される。

 

「サラ!」

 

セイバーの声に弾かれるように、サラは弦一郎の前に躍り出る。彼女は魔術を纏った右腕を突き出し、その心臓を穿った。弦一郎は苦悶の表情を浮かべ、キャスターを見た。キャスターは俯いたまま、彼の目を見ようとはしない。

 

「何故だ!何故だ、何故だ、何故だ!貴様も願いを聖杯に委ねる為に召喚された英雄であろう?何故だ!何故私を見殺しにした!」

 

「貴方は、勝手すぎる……」

 

「キャスター、貴様!ふざけ―――」

 

「ふざけているのは貴方よ、父さん。もし、もし天国に行けたのなら、お母様によろしく。それと、私は好きでしたよ。使用人達が作ったスクランブルエッグ。もう、作る事の出来る人は残っていませんけど」

 

サラの炎は、弦一郎の心臓を焼き殺し、彼の命を死へと誘った。

 

「……以外と、あっけないものね」

 

弦一郎の亡骸を見下して、サラは呟く。

初めて人を殺したというのに。肉親を殺したというのに。彼女には感情が沸いてはこなかった。

第一の目的を、長年の復讐を成し遂げたというのに、彼女の心は晴れることは無かった。

寧ろ、逆。底のない奈落へと、石は簡単に転がり落ちる。彼女に、永遠の虚無が襲うのだ。

 

「……ありがとう。でも、やはり貴女は、辛い道を選ぶのね」

 

傍らで、主を失ったキャスターがサラの手を取った。

 

「なんで、ゴーレムの動きを止めたの?それに、貴女は父さんのサーヴァントでしょう?」

 

サラは、疑問を真っ先にぶつける。あの時、自分も含めゴーレム達を魔術によって制止させたのは彼女だろう。それは明白だったが、彼女にはそんなことをする理由がないのだ。他に契約するマスターもいないこの状況で、自らのマスターを裏切る理由が。

 

「そうね、生前のゴタゴタ、って奴かしら?少なくとも、私が彼を手助けする理由はない」

 

「だから、見捨てた?」

 

「……結局私は、自分で彼を殺す事が出来なかった。ズルいわね、貴女にばかり背負わせて」

 

「……貴女、一体どこの英霊なのよ」

 

サラはやけに親しげに話す彼女の素顔が、気になって仕方がなかった。手を伸ばし、その深く被ったフードの中を見ようと試みるが、彼女の手は空を切る。

 

「残念、時間切れよ」

 

後ろに飛び跳ねて、サラの手を躱したキャスターのフードが、一瞬、捲れあがった。

だが、彼女はマスターを失ったサーヴァント。足元から静かに消えていき、顔をしっかりと確認出来ないまま、キャスターはサラの前から消滅した。微かに覗かせた少女の顔は、何処か寂しげな顔を浮かべていた。

 

「……いや、そんな筈は―――」

 

―――ヒィっ。サラの独り言を遮るように、短い悲鳴が静寂に包まれた客間に響き渡った。

 

「な、何、これ……」

 

入り口には、客間の光景を前に顔を強張らせるマナの姿があった。

 

「マ、マナ……」

 

「ね、姉さんが、やったの?姉さんが、父さんを殺したの?」

 

捻り出すように声を出すマナに、そうだ、などとはサラが言えるはずもない。

 

「マナ、まっ―――」

 

サラの言葉を待たずに、マナは一目散に駈け出した。サラは追いかけようとするも、足に力が入らず、その場に座り込んでしまう。

 

「セ、セイバー、追いかけて!」

 

「いいのか?私が追いかけても、逆効果だと思うぞ?それに、妹はサーヴァントも連れていた。私が行っても戦闘になるだけだ」

 

「既にサーヴァントを召喚してしまったの!?……間に合わなかった」

 

セイバーは肩を竦めて、自身のマスターに駆け寄ると、彼女を抱きかかえた。

 

「ちょ、ちょっと、なにするのよセイバー」

 

「なに、心身共にお疲れのマスターを、部屋までお連れするだけさ。それに、今の君にはすることが山ほどある。まずはこの屋敷に住む新しい主として。使用人達をどうにかしないと」

 

「それについては問題ないわ。彼女たちは、明確な意思を持って動いているわけじゃない。唯一人間に近い思考ができるエルザも、当の昔にこちらにひきこんでいるわよ」

 

「ほう、それは仕事が早いな、マスター」

 

セイバーはクスリと笑い、サラをお姫様の様に抱えなおし、屋敷の階段を上っていく。

その光景を、エルザが眺めているのがサラの視界に入り、思わず赤面してしまう。

 

「セイバー、恥ずかしいわ。降ろして頂戴」

 

セイバーはサラの自室に入ると、ベッドの上に部屋の主を放り投げる。

 

「君は、思ったより気に留めていない様だから構わないけど。虚無は一瞬ではない。永遠に、逃れることはできない」

 

「わかってる……わかっているわよ、私は、罪を一生背負っていくつもり」

 

「なら、かまわないが」

 

ベッドに横たわったサラは、程なくして眠りについた。

セイバーは彼女の髪をそっと撫で、天を仰ぐ。

幕は、上がった。月宮市を舞台にした聖杯戦争は、開幕したのだ。




続きは二日後
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