―――時間は遡って、現在の時刻は午前七時三十分。
マナは自身の通う月宮東高校の校門前に到着した。校門はここに通う生徒達で賑わっており、各々友人を見つけては「おはよう」と声をかけ、昨日のテレビの内容などの他愛もない会話をいつもと同じように行っていた。
一方で、マナはそういった輪に混ざる事もなく、昇降口へと足早に進んでいく。
彼女が『友達』と呼べる人間は少ない。
なにせ自分の屋敷の使用人が『親友』なのだから。
『人付き合い』も、彼女が苦手としている分野で、学校では専ら一人で居る事が多かった。
「おはよう、氷継さん」
「……」
氷継という苗字は、この学校にマナしかいない。しかし、朝の校門で声を掛けられるなど、彼女にはあり得るはずのない事だ。
マナは、空耳だと決めつけ無言で歩く速度を速めた。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
男の声だ。彼女に朝から「おはよう」などと挨拶をする変わり者は、あからさまに無視をしたマナを後方からあっさりと追い抜くと、彼女の行く手を拒むように両手を広げ仁王立ちを決め込んだ。
「ううぅ」
進行方向に現れた男に、マナはどうすることも出来ずに足を止めてしまった。
「おはよう、氷継さん。なんでいつも無視をするのさ」
男は首を傾げながら軽い口調で、マナに問いかける。
「べ、別に、無視したわけじゃないよ……。それで何か用?日立君」
「はぁ―――。僕は、おはようと挨拶したじゃないか。それが君の言う『用』だよ」
日立は呆れた顔でため息をついた。
日立一護。彼は、マナのクラスメイトである。
クラスでは、学級委員長を務めるなど、何かと人の輪の中心にいる人物だ。
立ち位置で言えばマナとは対極に位置する続柄である。
そんな対極的な人物である日立は、数週間前から頻繁にマナに話しかけてきていた。
彼の、そういった行動をマナは偽善だと切り捨てる。
「私がクラスに馴染めていないから声をかけてくれているんですよね?無理しなくて結構です」
マナは、ハッキリと言い切ってしまう。
日立がマナに話しかけているのは、クラスの秩序の為だと。
マナがクラスで浮いた存在になれば、自然とそこに予期せぬ膿が溜まってしまう。
日立はクラスの秩序を円滑に維持するために、彼女がクラスに溶け込めるようにと、積極的なアプローチを仕掛けている。しかしマナは尽く打ち砕いてきた。
そもそも、何もない、なかったと考えれば何も起きない。氷継マナという人間がいなくても、クラスの秩序は円滑に回っている。寧ろ、そこに余計な因子である彼女が混ざったならば、それが崩壊する可能性もあるわけだ。自身を認知させない事こそ、自分を守る最大の上等手段なのだから。
「そういうわけじゃない!」
普段の彼は穏やかな人物だが、珍しく声を張り上げる。マナも、そして当の日立本人も驚いたように目を丸くした。何事か、と他の生徒達が彼らに視線を差し向ける。
「すまない。柄にもなく声を張り上げてしまった」
わざとらしく取り繕うような咳払いの後、日立は改まってマナへと、真剣な眼差しを向ける。
「君は、僕の行為を偽善と言うが、それは大変な間違いだ。僕は、君の為にやっている
のではないからね。自分の為に、君に話しかけているんだよ。自分の目的の為に、ね」
目的、とは大きくいったものだと、マナは内心捻くれた思考をした、たかがクラスのハグレ者に声を掛けたところでメリットなど生まれない。
「……やっぱり、偽善よ。自分の自尊心を潤したいだけじゃない」
これ以上話をしても無駄だ、とマナは日立の横を通り過ぎ、昇降口へと歩みだした。しかし強引に腕を掴まれてその足は止まり、急な出来事に思わず小さい悲鳴を零した。
「やっぱりね。僕は、自分の為にやっているといった。それなのに君は、僕の行為を偽
善と言う。それは、少なからず『僕が君に話しかける』という事を悪くはないと受け取っている、と思っていいんだね?」
「……なんでそうなるの!意味わかんない」
日立に掴まれた腕を引き離そうと、マナは腕を上下左右に振り回す。しかし、日立は彼女の細い腕を強く掴み、それを許さなかった。
「だって僕が話しかけても、君は何だかんだこうやって会話してくれているじゃないか」
「それは、日立君がこうやって強引に引き止めるから」
「……でも、嫌じゃない?」
―――唐突に。唐突に、腕を引き寄せられる、マナの鼻の先には日立の顔がすぐ傍まで迫った。人とこんなにも顔を近づけた事はなく、ましてや相手は男だ。体内の血が湧き上がり、マナの顔を真っ赤に染めるのは必然だった。
「……やめてよ」
マナは日立の腕を振りほどき、掴まれていた右手首を摩りながら彼を睨みつける。
「ごめん、やりすぎたよ、ごめん―――それ?」
平謝りしながらも、日立は視線に入った彼女の右手を凝視した。一際目立つそれは、彼の視線を奪っても仕方がない代物だ。
「別になんでもないよ」
マナは、右手を隠すようにするが、日立はそれが気になって仕方がないというように彼女の手を見つめている。彼女が踵を返し歩き出すと、それに並走して一緒に歩き出す。
「それ……刺青かなにか?校則違反だよ」
冗談交じりに言う日立の無邪気な笑顔は、マナを苛立たせるも、先ほどの彼の顔を間近でみたせいか変に意識をしてしまっていた。
「ち、違う。日立君には、関係のない事だよ」
あくまで平然を装いマナは、適当な受け答えをしたのだが、次の日立の言葉で急いでいた足をとめてしまう。
「へー。もしかして、氷継さん魔術師だったりする?」
「―――えっ」
なぜその事を彼は知っているのだと、マナは息を呑んだ。完全に油断していたからである。聖杯戦争について、弦一郎やエルザから散々説明されたにも関わらず、彼女は慢心していたのだ。サーヴァントを無力化するのならば、マスターである魔術師を殺してしまえば手っ取り早い。例え、サーヴァントを召喚していないこの状況であっても、マナ自身がマスターであることには変わりはない。ならば、他のマスターにとってマナは、ただの標的にしか過ぎない。
「どうしたのさ、そんなに目を丸くしてさ」
日立は前屈みになりマナの顔を覗き込んだ。
「……なんで、なんで私が、魔術師だって……」
全身の血の気が一目散に引いていき、眼球が目まぐるしい反復運動を繰り返した。喉奥から乾いていくのをハッキリと認識する。魔術の神秘と聖杯戦争の秘匿に重きを置く魔術師達が、こんな朝早くから殺し合い等するわけがないと、高を括っていた自分の甘さをマナは後悔する。もし仮に、目の前にいる日立が、魔術師でマスターであるならば、自分はもう殺されるしかないのだろう、とマナは恐怖から俯いたまま顔を上げる事ができないでいた。
時間が停止したかのように長く感じられたそれは、マナの死を持って終わりを迎える……等という事はなく、日立一護の恍けた声で切り裂かれるのである。
「え?そんなに驚くことかな?みんな噂をしているよ?氷継さんの家はなんせ山の中だからね、あんな所―――は、失礼だね。あそこにある家は氷継さんの家だけだし、随分と大きいお屋敷だろう?変な噂も立つものさ。あの屋敷では秘密の実験を行っているとか、魔女が住んでるとか―――ま、気分を害したなら謝るよ。そういう与太話はどこにでもあるしね」
「そ、そうなんだ。そっか、そっか―――ふぅ」
マナは、大きく息を吸い込んだ後、自身の勘違いを吐き出す。
物事を決めつけて考える自分の悪い癖に嫌気がさしながら、マナは日立の話に耳を傾ける。自分の家に変な噂話がついて回っているのは彼女自身知ってはいたが、いざ実際に聞いてみると大変ユニークな発想の話が多い。どれも出所不明の信憑性のない話ばかりではあるが、それでも火のないところには煙は立たない、自身の家は事実として魔術師の家系であり、現在、聖杯戦争の最中だという事を言い聞かせるように、マナは思考を飲み込んだ。
「おっと、立ち話も過ぎると遅刻しかねない、急ごう氷継さん。君は、僕の誘いを断るほど僕を嫌っているわけじゃないよね?」
事実だった。彼が言う様に、マナは日立が話しかけてくれることを好意的に受け取っていることは。ただ、それを素直に受け取ることができていないだけ。自分自身の弱さを隠すために、彼女は今日も殻に籠る。変わろうという意識はあっても、実行するのは簡単ではないというのは、変わらない者の言い訳に過ぎない。変化というのは、自分自身の小さな勇気で訪れるものなのだから。
キャスターに言われた言葉を思い出して、マナはほんの少しの勇気を振り絞ってみる事にした。
「う、うん。じゃ、教室に行こうよ」
決して、一緒に行くなどとは言えないのは、彼女がまだまだ殻に籠っている証拠だ。しかしそんなマナの勇気を汲み取ったのか、日立は笑って彼女の手を取り歩き出す。
「まだまだ四十点てとこかな?でも、いいよ。そうやって変わっていけているのなら」
そんな彼の笑顔に、マナは思わず赤面してしまうのだった。
教室に入るなりマナは自分の席である窓際の一番後ろに即座に移動する。同じタイミングで日立と教室に入るのを拒んだのもマナだった。異様なほど人の目を気にするのも自分の駄目なところだと、彼女は、鞄の中身を机にしまいながらため息をつく。
程なくして担任の教師が教室に入ってくると、先ほどまで喧騒にまみれていた教室内は静まり返る。
「切り替えが出来て羨ましい」
生徒達を見てマナはそんな事を呟く。
八方美人とまでいかなくとも。適切な態度を直ぐに切り替える能力は必要だと考えているにも関わらず、どこか他人事のようにマナはぼんやりと窓の外を眺めていた。
「―――隣の学区で事件があったのは、みんな知っているな?もう日が落ちるのも早いし、部活に勤しむのも友達と遊ぶのもいいが、早めに帰宅しろよ。それじゃ、出席取るぞ」
担任の教師の何気ない言葉もマナの耳を横切っていく。
もし、もし本当に日立がマスターだったらマナは確実に標的にされている。最近、やけに話かけてきたのも聖杯戦争が始まる前に接触しておき、色々と利用するためだったのかも知れない。何せ自分はこの聖杯戦争の首謀者である娘の一人なのだから、と不安に駆り立てられる。
「大人しく姉さんの言う通り部屋に籠ってた方がいいのかな」
深いため息の後、ふと視線が斜め前に座る日立に吸い寄せられる。マナが、彼について知っている情報は少ない。彼をマスターと決めつけ徹底的に警戒するという事は、今の彼女には不可能に近い。なにせ、対極的な立ち位置にも関わらず、彼からは自分と近い匂いを感じたからだ。
「……とりあえず今日は、早く帰ってエルザに相談しよう」
と独り言を呟き、マナは変わらない日常を過ごそうとした。
******
「……やってしまった」
氷継マナは、情けない声をあげる。
今朝、決めたばかりの決意を反故にし、彼女は放課後部室に籠ると、部活動に一人取り組み、休憩と称し居眠りをしてしまっていた。当然、辺りは暗闇に包まれており学校内に灯りは存在しない。
「相変わらずというか、やっぱり駄目だなぁ。どうやったら変われるのさ」
何度となく繰り返してきた自責の念を呟きながら、マナは身支度をし始める。時刻は既に七時を回っていた。朝礼で担任が言っていたように最近市内では事件が頻繁に起きており、何よりも聖杯戦争の渦中にいる筈のマナがこうも呑気で居るのは、何をすべきかをわかっていない証拠なのである。
「はぁ……帰ろう」
人工的な光に照らされていない暗闇の校内では、物音一つ立てれば端から端まで音が響き渡るような静寂に包まれていた。扉を開ける音でさえ、その静寂を破る不愉快な音に成り果てる。
人間は学習できる生き物ではあるが、学習しない者もいる。マナの様な後悔ばかり繰り返している人間はその典型だ。失敗を繰り返してから悔やみ、修正を試みようとするのでは遅すぎる。そういった感性の人間は反省を活かせないのだから。
「怖いけど……やっぱり夜の学校っていうのは、結界みたいなものでちょっと面白い」
好奇心は、恐怖心を上回る。現状、最優先すべき感性を選択できない彼女は、好奇心に釣られ昇降口へ真っ直ぐには向かわず、少し探索しようと、昇降口とは反対方向に足を向かわせた時だった。
彼女の視線は、それに奪われる。
廊下の奥、20メートル程の距離に黒衣に身を包んだ影。月明かりに照らされたそれは、マナの目にしっかりと焼き付いた。
間違いなくそれは、サーヴァントだった。
先ほどの好奇心は失意し、潜めていた恐怖心が、足元から一気に這い上がってくるのをはっきりと理解する。
影がゆらりと揺らめいた瞬間。20メートルの距離は一瞬で0になった。瞬きする間もなく、サーヴァントの両手に握られた剣がマナの喉元を掠めた。
「ヒッ」
恐怖で本能的に後退りしたおかげか、それとも目の前にいるサーヴァントが加減をしたせいか、幸いなことにマナには傷一つ傷付いてはいない。しかし、それでも今の状況は氷継マナの死を確定させるものだった。マナの頭に高速で思考が蠢く。
「サーヴァント……殺される……嫌だ嫌だ嫌だ……死にたくない」
行動は的確だった。彼女の逃げるという行為は、至極当然で必然の行動だ。死という恐怖が彼女の原動力になったのだ。
極限的な状況下で、マナはようやく変化するための行動を得た。それでも、相手が悪すぎる。
即座に振り返り、サーヴァントに対して見向きもせずに駈け出したマナだが、黒衣のサーヴァントはあざ笑うかのようにマナを一瞬で抜き去り、痛烈な前蹴りを彼女に見舞った。
「うっ……」
まるで、風に飛ばされた葉のように、マナの体は簡単に宙に飛び上ると二メートル程吹き飛ばされた。
衝撃で息が詰まる。それと同時に痛みが全身を這うようにマナの身体を蝕んでいく。蹴られた痛みも、全身を強打した痛みも。
「死にたくない……死にたくない……」
繰り返す言葉はまるで呪いの様。無意識の内に死がなんたるかを理解しているかのように、マナは死を拒んでいた。ゆらりと立ち上がったマナを見て、サーヴァントは驚きで思わず声をあげる。
「ほう?」
「……みればわかる?ステー……タス、クラス……アサシン」
断片的に記憶している聖杯戦争の知識を脳から引きずり出す。
サーヴァントをしっかりと視認することでマナの脳内に明確な映像としてサーヴァントのステータスが表示される。把握できた部分はクラス名と大まかなステータスだけだが、それだけでも彼女が現実を理解しうる情報には十分だ。
認める。マナは、サーヴァントという異様な存在を認める。そして、理解する。ようやくこれが逃れられない日常なのだと。
現実から目を背けて逃げ回ることしかできないマナは、明確な死を理解して日常を受け入れる。
「それでも、今は逃げる事しかできないけど」
サーヴァントがどれだけ強力で、圧倒的な存在なのかは身をもって理解した。敵わないのならば立ち向かう意味もない。これは、逃避ではない、生きるための逃避なのだ。
「自分にできる事を、やってみるしか」
満ちている。閉じていた道は半ば強制的に開かれた。
マナは、再び振り返り駈け出す。今度は、ただ走るだけではない。閉じていた道に自分の意思を通すのだ。
熱を浴びせられた様な感覚がマナを襲う。無理矢理に開かれた魔術回路に自身の魔力を通したからだ。彼女が、魔術をまともに行使するのはいつ振りだろうか。やっている振りだけ上手くなっていったのは何時からだろうか。魔力を通じて肉体を。そして、決意と勇気をもって精神を。
マナは自身を『強化』する。先ほどよりも力強い踏み込みは、マナ自身が驚愕する程強烈なものだった。その一歩で、アサシンとの距離は大きなものとなる。
「なんだ?魔術は使えないと聞いていたが……まぁいい、仕事をさっさと済ますか」
アサシンはあっさりとマナの背後に追いつくと右手の剣を彼女に振り下ろすが、それは虚空を裂いていた。
マナは跳んだからだ。
強化した脚力によってマナは跳躍する、彼女の狙いは初めから階段まで走り、そこから踊り場に跳躍する事だったのだ。
着地と同時に、骨が軋むような衝撃伝わる。幾らか魔術で衝撃を和らげているとはいえ、体の痛みは癒せない。
「な、なんだ、私だってやればできるじゃないか」
痛みで顔は引き攣っているが、咄嗟の判断と魔術行使の成功は、半端な彼女に自信を与える。『やればできる』と昔から姉に言われたのを思い出し、マナは今まで出来なかったのは、やれないからではなく、やろうとしなかっただけだという事を真に理解する。自分に甘えてきた弱さを握り潰し、マナは再び跳躍する。踊り場から下の階へ若干の助走をつけて飛び込む。
マナは二度目の跳躍を成功させるが、その結果と自信を突き崩すかのように、そこにはアサシンが待ち構えていた。
「面白い事をする」
「うっ!?」
咄嗟に両手を翳す。具現したのは、円盤状の膜だった。マナの魔力によって形成されたそれは、アサシンの放った斬撃を受け止める。
「やった!できた!」
「ほう……流石は器といったところか……そろそろ呼んだらどうだ?」
アサシンは感心した表情を一瞬みせた直後、先ほどより速い速度で右手の拳を突き出す。その軌道は決してマナには解らない。体が一度宙に浮きあがると、そのまま地面に叩きつけられた事実だけがマナが唯一認識した事象だった。
「え……う、ううぅ」
立ち上がる事すら出来なかった。全身をのたうち回る痛みが、マナから立ち上がる気力を奪っている。何とか上体だけを起こしたが、目の前にいるアサシンによって迎えられる死から抗う術はもうない。
「殺す気でいくぞ。はやく呼べ、死す前に」
アサシンは呟くように言葉を吐き捨て、同時に剣を投擲する。マナには、その動作すら視覚することも敵わず、迫る剣の刃先と自身の死を理解して目を瞑った。
―――五度目だ。今日、彼女がそれを満たしたのは五度目だった。閉じきった回路に魔力が満ちる。
そして、彼女は死を破却する。聖杯は呼応するように彼女に力を、理想を授ける。
彼女を守る。彼女の理想。
光。閉じている筈のマナの目に、光が差した。それは、視覚情報ではない、もっと深層的なもので、脳が直接みせた映像。
「―――えっ」
マナは、視界を取り戻す。死は、彼女に届かなかった。代わりにあるのは、理想と希望。
目の前には、彼女を守る青年の背中があった。
「騎士様……」
マナは、その理想を呟いた。
彼女が、望んだ。彼女が、欲した。彼女だけを守護する最強の騎士。
「ふぅ。ようやく来たか。俺の仕事はここまでだが、アサシンのクラスとはいえ俺も騎士の端くれでな。少し手合せして貰おう」
アサシンが駆ける。その刃は、マナの目の前にいる青年に向けられた。
「君は、そこで見ていてくれ」
青年はマナに告げ、身の丈以上ある自身の獲物を構えた。
それは、黄金に輝く槍。
その槍をひと目見れば、誰もが名槍と謳うだろう。
アサシンの斬撃を青年はその槍を持って受け流す。狭い校内の廊下で、身の丈以上ある槍を操り、その技量を魅せつける。
数合打ち合い、アサシンは大きく後退し、青年と距離を取る。
その表情は、先ほどの飄々としたものから、ハッキリとした憎悪に変わっていた。
「……貴様、ランサーの英霊とみたが、まぁそれはいい!だがな!何故、貴様がその槍を持ち得ている!それは、我が王にこそ相応しい者だ!真名を名乗れ!」
「聖杯戦争において、真名が知られることは、致命的だ。申し訳ないがそれに答える事はできない」
ランサーは拒絶を口にする。アサシンは、歯ぎしりをし、再びランサーに剣を振るおうと踏み込む直前、彼の脳に言葉が届いた。
『アサシン、そこまでです。引きなさい、これ命令です』
『―――くっ、だが、目の前に我が王の聖槍を振るう盗人がいるのだぞ!見過ごせるわけがないだろう!』
『アサシン、命令です。令呪を使いますよ?』
『……ちっ』
彼のマスターからの念話によりアサシンはその足を止め、ランサーを睨みつける。
「盗人よ、覚悟しておけ!その命は俺が貰う」
言葉を言い残し、アサシンは霊体化し姿を消した。ランサーは用心深く他のサーヴァントの気配を探る。
「た、助かった?」
怯えたマナの声に、ランサーは慌てて振り向くと、膝をついて彼女と目線を合わせた。
「あ、あの……」
マナは戸惑いつつ、青年の目を見て彼がサーヴァントだとはっきり感じ取る。また自身の魔力が彼と繋がっていることも理解した。
「心配ない、脅威は去った。おっと、まだ自己紹介がまだだったね。僕は、ランサー。
―――問うまでもない。君が僕のマスターだ」
ランサーの微笑みをマナは知っていた。それは、彼女の理想だったから。夢に描いた理想の騎士にマナは笑顔で答える。
「ありがとう、ランサー。助けてくれて」
「当然だ。僕は、君を守る、君だけの騎士といったところかな」
「……私は、マナ。氷継マナ……よろしく。早速で悪いんだけど、私もう体動かないみたい
で、起こしてほしいのだけれど」
「あぁ、了解だ、マナ」
ランサーは、マナを引き起こし抱きかかえる。
「ラ、ランサー?」
「問題あるかい?他のサーヴァントの気配は感じられない。行き先は?」
そういう事じゃない、とマナは赤面する。男の人に抱きかかえられるなど初めての経験だからだ。そんなマナの気を知ってか知らずかランサーは彼女の顔をまじまじと見つめ困惑した表情を浮かべていた。
「い、家。家に帰らなくちゃいけない。場所、場所教えるから、連れて行って」
「了解した」
ランサーは片腕でマナを抱きかかえたまま、槍で窓ガラスを割ると、そこから外に出る為に飛び跳ねた。
夜の街。家屋の屋根をランサーは素早く移動する。
「ランサー、恥ずかしい。降ろしてよ」
「それは出来ないな。もう、君の体は限界なんだろう?」
抱きかかえられている事が恥ずかしいマナの要求は、ランサーにあっさりと拒否され、体の痛みすらも忘れさせる程、マナの心は理想の騎士にほだされていた。
屋敷に近づくにつれて、それは明確なものとなった。
昨日も感じた魔力の渦は、マナとランサーに不快感を与える。
「なにか嫌な感じがする!ランサー急いで」
「了解した。しっかり掴まっていて」
高い敏捷性のステータスを持つランサーは、みるみる内に速度をあげ、数分でマナの屋敷の前まで辿り着く。
膨大な魔力を屋敷内から感じつつも、マナは屋敷の扉を開く。
「サーヴァントが二体……いや、一体か?」
ランサーは、サーヴァントの気配を探る。
しかし、彼の言葉を疑問に感じたのはマナだ。
屋敷にいるサーヴァントはランサーを除いて最低二体でなければならない。元々、キャスターとセイバーがこの屋敷にいる筈だからだ。にも関わらずランサーが一体しか感知できないのは妙だ。
珍しくマナは思考より体か動く。
向かう先は客間だ、魔力を最も感知した箇所。
「マナ、待つんだ!」
ランサーの制止も聞かずマナは客間の扉を開ける。
「―――ヒッ」
それはマナの想像を遥かに超えた光景だった。
それは死へと誘う業火。
その犠牲者となったマナの父親である氷継弦一郎の骸が転がり、その魔力の発生源であるサラと視線が交錯した。
その目は、マナを写した。
マナだけを視ていた。
マナは、恐怖する。弦一郎と同じ結末が自分にも降り注ぐと。
「ね、姉さんが、やったの?姉さんが、父さんを殺したの?」
喉が乾く。
今日、何度目だろう。死への恐怖を味わうのは。通常の人間ならば精神が壊れそうな程の暴力。
とうに彼女の気力は限界を振り切っているのだ。
「う、あぁぁあ」
悲鳴をあげる。乱暴な悲鳴を。
一目散にその場から駆け出すが、直ぐに何かとぶつかり停止する。
「落ち着いてくれ、マスター」
「う、あ、逃げる。逃げてランサー。今すぐ連れてって!」
「あぁ、そのつもりだ」
ランサーは、一瞬客間の中を覗き見た。
黒い鎧を身に纏ったサーヴァントと、悲しい目をした女の姿がそこにはあった。
「……行こう」
マナを抱きかかえ屋敷を飛び出すと、ランサーは凄まじい速度で山を下っていく。屋敷からの追ってが来ないと確信して、ランサーは後方に意識を向ける事はない。追手を出すくらいなら屋敷からこうもたやすく出してくれるとも思えない。
十分程駆け抜け、月宮東高校につく頃には、屋敷から零れる魔力の残滓は、届いていなかった。
「行く先の当ては?」
長い距離を駆け抜けた筈のランサーは、息を乱さず己がマスターに問うた。一方のマスターであるマナは、呼吸を乱し落ち着かない様子。
「き、教会……そこに行けって、父さんが……」
彼女の声に覇気はない。生気を吸い取られたかのように目が曇っていた。
「了解した。場所はこの辺りにあるのかい?」
マナが差した方角を見て、ランサーは頷き駈け出した。
******
そこは神聖というには些か暗い雰囲気を醸し出していた。
マナも先ほどよりは、呼吸も整っており落ち着いた様子だ。
「……来ましたか。待っていましたよ、マナさん」
教会の前では、ここの神父であるライルが彼女たちの到着を待っていた。
「僕達が来るのが分かっていたのか?」
「……師が、君のマスターのお姉さんに殺されたのだろう?知っているよ」
ライルは落ち着いた表情と声で応対し、マナとランサーはシンプルな造りの教会の中へと通される。玄関ホールを抜け、二階の応接室へと案内された。
ライルは革で作られた重厚なソファに腰を下ろし、センターテーブルを挟んで対面にマナが座った。その後ろにランサーが神妙な顔つきで立ち尽くしている。
「……これからどうします?」
ライルは、優しい口調でマナに問う。
なにを?なにが?これから?なにを?
しかし、マナは質問を理解できないのだ。
これから?先を見つけられない。見つけようとしないマナにその問いかけは難しい。
結局、事象が起きてからでなければ彼女は動けないのだ。
「……そうですね、もっと具体的な話をしましょう。今回の聖杯戦に参加するか否かを。一応のルールとして、監督役である私はサーヴァントを失ったマスターなどの保護を行っています。マナさんがここで聖杯戦争から降りるというならば、それはそれで構いません」
「降りる?もう殺される心配はない?襲われる心配はない?」
自分がマスターでなければサーヴァントに襲われる心配もない。魔術師でなければこんな殺し合いの戦争に巻き込まれる道理もない。マナの答えは決まっていた。
これ以上の恐怖など味わえたものではない。
「私の答えは―――」
息呑む。一瞬だがマナは振り返り、自身の背後に立つ彼と視線が交差した。
「仮に、私が聖杯戦争を降りるって、マスターをやめるって言ったら彼はどうなるの?」
素朴な疑問だった。自身が望んだ理想の騎士である彼は一体どうなるのだろうと。
「そうですね、他のはぐれマスターと契約する事が出来れば現界し続ける事も可能ですが、現段階でサーヴァントを失ったマスターはいません。マスターを失えば彼は消滅します。……個人的な意見ですが、マスター権は破棄した方がいいのでは?マナさんには荷が重い。この戦いが終わるまで貴女の安全は私が保証しますよ」
と、ライルは穏やかな笑みと浮かべる。
それはマナにとって待ち望んでいる答えの筈なのに、彼女の心がそれを素直に受け入れない。自分の望んだモノを簡単に手放す者がどこにいる?内心、めんどうくさい女だと自傷する。だが、マナは手放せない。自らの理想の騎士は自身の死を上回る。
「私は……降りません」
「ほう……それは何故ですか?」
普段は見せないであろう顔をライルはした。マナの答えに納得がいかないからだ。
「彼は……私の理想だから。私は、ずっと待っていた、私を奈落から引きずりあげてくれる存在を。それが彼なの。理由はない。でも、確信はしているの。彼こそが私の理想の騎士だって。だから、私は彼を消す事なんてできない。彼を手放す事なんてできはしない」
「……貴女は思っていたより我が強い様だ。貴女の二つの希望は相容れない。だが、結果として相いれなくては存在できない。ふむ、わかった。君の要望は受け入れよう。だが、今後より凶悪な恐怖が君を襲うだろう。それに君は堪え切れるのかい?逃げ出さないと誓えるのかい?」
ライルの問いにマナは小さく頷く。彼女にその自信はない。だが、それよりも自らの死を救済する騎士の背中に心酔し、それに高揚感を抱いたマナは、ある意味でそれは生を実感できた瞬間と言える。
死という恐怖を乗り越えた先には、生きているという実感は彼女に自身の意味を与えたのだ。不安な表情は崩さないマナの肩にはランサーの手が優しく添えられる。
「安心していい、彼女は僕が守る。それが、僕の役割で使命だ」
「……好きにすると言い。だが、無理はしないように。死んでしまえば元も子もない。宿
泊室の場所はわかりますね?そこを使いなさい」
ライルは、話はこれで終わりとばかりに腕を組み、何やら思案している様子だ。そんな彼の姿を見て「ありがとうございます」とマナは頭を下げると、ランサーを伴って応接室を出る。
一旦、教会を出たら入り口から回り込むように迂回し中庭に出る。その奥にあるのがこの教会にある宿泊施設だ。利用者はあまりいない様子だった。
適当な空き部屋に入る、室内は丁寧に清掃されているものの、マナには狭く感じる部屋だ。普段は広々とした部屋に住む彼女からしてみれば、お世辞にもいい部屋とは言い難い。
部屋の角に設置されたベッドにマナは飛び込むように倒れこむ。
「……よかったのかい?また怖い目に合うのは明白だ」
ランサーは扉横の壁に背中を預けるとマスターに問う。彼女は自分で守ると言ったものの敵うのであれば、そもそも彼女が襲われないのが一番だ。
「騎士様が助けてくれるんでしょう?だったら問題ない」
ふて腐れた口調でマナは返答した。彼女の死への恐怖は、『騎士が自分を守る』という理想に上書きされる。
「君は目先の感情しか見えていないのか?僕が君を助ける前に死んでしまうかもしれない。過程を考慮すべきだと僕は言っているんだ」
ランサーの声は穏やかだったが、どこか攻めるような響きを持っていた。それに対しマナは体を一瞬震わせ、歯ぎしりをした後言葉を吐き出した。それは、怒声だ。彼女の深淵の声だった。
「じゃあ、じゃあどうすればいいっていうの!私がマスター権を破棄すれば誰も私を襲わないの?そんな事実どこにもない!そんなの絶対あり得ない!この聖杯戦争を父さんが始めたんでしょ!なのに真っ先に死んじゃったじゃない!姉さんだ!姉さんは私を殺すんだ!」
「それは……そうかもしれない。でも、言い訳にするな。僕にはわかる。君は、望んでいるんだ、誰かが助けてくれることを。でもそれは、とても難しい事なんだ」
ランサーは、マナの中を知っている。彼女の深淵を。そしてそれを掘り起こす。そんな事をすれば彼女が癇癪を起すに決まっている。
「じゃあどうすればいいっていうの!教えてよ!私が何をできるの?私ひとりじゃ何もできない。価値なんて私にはない、私は何にもできない。くずでどうしようもない女だ。何も、何も!できない!周りだってそう思ってる筈なんだ!姉さんだってきっとそう思ってる!学校のみんなだって!私は、くずなんだって私自身が思ってる!魔術の才能だってない!アサシンに襲われて咄嗟に使った魔術だって簡単に駄目にされた。すこしは出来ると思ったけど違った!私はやっぱり何もできないくずなんだ!だから・・・・・・、だから私に価値なんてない!うぅぅ、ぅぅ」
もがく様にマナはベッドの中で呻き声を上げる。
「人の価値は他人が決めるものだ。自分で決めつけるものではない」
「だから!だから言っているじゃない!私は何もできない!何も出来ない私を他人は認めるの?自分の能力の限界なんて自分が一番わかってる・・・・・・」
「それでも君はその限界を破ったじゃないか?結果は確かに良いとはいえない。でもその良し悪しを決められる結果を出した事に意味はある」
「意味なんて、意味なんてない!結果だけ、世界は結果だけで回る!良くやった?頑張った?それだけじゃ何も得られないじゃない!」
「進むのも停滞するのも 決めるのは君だ、マナ。でも、僕は君が道を外せば修正する。それが正しいのかはわからない。でも、道は一つじゃない。自分自身で見つけて進むものだ。僕が提示出来るのは可能性だけ」
「貴方に何が解るの?何で解るの?私の事一番わかっているのは私。なんで私を知らない貴方が私をわかるの?」
「僕は君を知っている、君をわかっている」
「じゃあ、じゃあ……助けてよ……」
マナは泣く。自分の無力さを分かっているから。
「……勿論さ、言っただろう?僕は君を守る騎士だと。でも僕は止まっている人は助けられない。僕が進んでも守るはずの君がいなければ意味がない」
ランサーは言う。『守られる』だけでは駄目なのだと。
「……私は駄目だと思う、成長するのも遅いと思う。それでも、貴方は私を守ってくれるの?」
ランサーはベッドに横たわるマナに目線を合わせて彼女の手を握りしめる。
「あぁ。僕は君を支えよう。だから、勇気をもって進んでくれ」
「……ありがとう、ランサー。いえ―――」
「言い忘れていた。僕の真名だ―――」
二人は同時に言葉を紡ぐ。
―――あぁ、私は彼を知っている。
―――あぁ。僕は君を知っている。
―――彼は私の望んだ騎士。
―――僕は君に望まれた騎士。
―――なら、彼の名は。
―――そう、僕の名は。
「―――アーサー・ペンドラゴン」
そして少女は前をみた。
その眼には漠然とした闇。何も見えない暗闇。
しかし、彼女は前を見た。自分の歩く道を見つける為に、自分のあり方を見つける為に。自分の価値を見つける為に。
続きは二日後