その空間は辛気臭いという表現が実に合っていた。薄暗い室内に趣味の悪い標本、腐敗した人の形をした何か。それらを払いのけながら氷継サラは奥の扉に手をかける。
屋敷の地下にある弦一郎の工房は、部屋の主を失いその意義を損失している。工房の奥ある扉の向こう、その先はサラも知らない未開の地。開拓者として進むサラはセイバーとエルザを引き連れていた。
「本当にこの部屋は嫌いだわ。できれば入りたくなかった」
とサラはつい愚痴を零す。彼女が探し求めているのは、今回の聖杯戦争に至るまでの記録だ。聖杯戦争を引き起こした弦一郎の動機も目的も彼女は把握してはいたが、戦争までのプロセス。つまりは、今回の聖杯戦争の大聖杯の在りかまではわかってなどいない。
「大方の目星はついているのだろう?」
「ええ。でも、問題は場所ではないの。結局、蓄えておくための器……つまりマナがどれほどの許容量を持っているのかの方が心配よ。既に、キャスターが脱落して魂は一つくべられている、早いに越したことはないわ」
そういってサラは開かずの扉を開く。
「―――えっ」
中は驚くほどに簡素だ。六畳ほどの大きさしかない空間。壁一面が真っ白に塗りたくられ、先ほどの工房とは別次元の異空間となっていた。中央に備えられた大人程の大きさの台の上には、鮮やかに彩られた棺が置かれている。
―――あぁ、そういう事か、とサラは息を飲んだ。氷継弦一郎の愛は本物で、彼の熱意は本物で、氷継弦一郎の狂気も本物だったのだ。
サラは、何も言葉を発さずにその扉を閉じる。
「どうしたサラ、何があった?」
「サラ様?」
困惑するセイバーとエルザを遮るように彼女は扉に背を向け辛気臭い部屋を見渡した。
「ここには何もない。何も残ってはいなかったわ。ただ、あったのは届かなかった愛情よ」
「……そうか。で、どうするつもりだ?まさかこの部屋を漁る訳じゃないだろうな?」
セイバーは部屋を一瞥すると苦笑を浮かべサラに問う。
「えぇ、大正解よセイバー。この辛気臭い部屋を漁れば聖杯に関する手記くらい見つかるでしょう」
「なっ、ふざけるな!私は絶対やらないからな!」
壁に背を預けたまま腕を組みセイバーはその場を動こうとはしない。ふて腐れた様子でサラとエルザの作業を眺めている。
埃を被った本棚。古めかし書籍が並ぶ中一か所だけ何回も取り出したのか埃が積まれていない本がサラの目に飛び込む。
「これかしら?」
手を伸ばせば届くという高さではなかった。
それを見ていたエルザは部屋から手ごろな台座を手に取りサラに渡す。
「えぇ、ありがとうエルザ。ところで、マナの様子はどうだった?」
「サラ様、そんなに気になるのでしたら自分で様子を見に行かれてはどうですか?」
「そ、そんな事できるわけないでしょ!?」
思わず声を張り上げた。サラは振り返りエルザの方へと体を捻る。その結果、彼女は乗っていた台の上でバランスを崩し手に取りかけた本は宙に舞い、サラの悲鳴と共に落下する。
「全く、私のマスターはもう少し落ち着いて欲しいよ」
―――ドサ。と落下音は一つ。その正体は古びた分厚い手記の様なものだった。それを落とした張本人であるはずのサラは自身のサーヴァントに抱えられ体を打ち付けずに済んでいる。サラの体が急激に熱を帯びて熱くなる。全身の毛穴が開口し頬を赤く染める。
「―――私は駄目ね、全然。ありがとうセイバー降ろしてちょうだい」
そしてサラは悔しさで唇を噛んだ。
氷継サラは凡人だ。それでも、彼女は天才と言われ続けてきた。
それは、期待という重圧に打ち勝つほどの努力を彼女が繰り返してきたからだ。サラからしてみればマナは恨めしかった。自分とは違う、自分とは違って普通で居られるのを許されたのだから。魔術を早々に諦め、それが許されたマナをサラは羨ましいと思った。自分が幾ら魔術師として努力しようともそれを心の底から賛美する者などいない。褒められたくて、認められたくて、少しでもマナに向けられていた愛情を彼女に振りまくことができたなら。
「―――いえ、それはない。だってあの人がマナに向けていたのは、そんな優しいものじゃない」
彼女は自分の願望も理想も現実で噛み砕く。
それは、受けてはならない愛情だ。醜く、恐ろしいエゴの塊。だからこそ、サラはマナを開放するために聖杯戦争を駆け抜ける決意をしたのだ。彼女の望みはたった一つ。称賛でも賛美でもない。ただ、たった一人の妹を魔術師とは無縁の普通の女の子に戻す事だけ。
当たり前の日常を謳歌してきた彼女を、非日常によって取り戻す事が氷継サラの願い。
「サラ?」
立ち尽くしたままのサラにセイバーは首を傾げるが、それはすぐに杞憂へと変わる。
「何でもないわ。さて、目当ての物これかしら?」
そういって彼女は床に落ちた手記を拾い上げる。それは、氷継家の歴史ともいえる代物だ。事の成り行きから研究の過程および成果まで緻密に書かれている。
「ここにもう用はないわ。二人とも行くわよ」
サラは、数ページ捲りこの本が探していたものだと理解すると足早に地上への階段を駆け上がるべく工房を後にした。
******
―――ここはどこですか?
美しい情景がそこにはあった。
一人の青年は、小さな小さな少女を守る。
一人の少女は、大きな大きな背中を見つめる。
襲い掛かるは、狂気を満ちた謎の影。
青年は、少女を守るべくその槍を振るう。
全ての影を撃退し、青年は笑顔で少女へと振り返る。
そして、少女は彼の胸に飛び込んだ。
これは。ここは。これは、これは、そう。
これはそう、貴方の夢で、貴方の記憶。
それは、私の知っている彼だった。
私の知っている限りの彼だった。
目新しいものなど何もない。
だって、
だって、だって、だって、だって。
―――だって。
それは私の作った彼なのだから。
彼は、騎士王。アーサー・ペンドラゴン。
ブリテンを収めた王。
そして、そして、そして、そして。
私の求める理想の騎士。
私の求めた理想の騎士。
私が、私の、私が、生み出した。
私だけの騎士様。
それが、それが、それが、それが。
それが、私の……
******
「―――うっ」
―――眩しい。それが、彼女の率直な感想だった。窓から差し込む朝日は彼女の瞼の動作を阻害する。すぐ横を向けば夢で見たのと同じ笑顔があった。
「―――あぁ、あれは、あれは夢?なのかな?」
上体だけ起き上がりマナは緩慢な動作を続ける思考で記憶を辿る。
彼女は夢を見ていた。
それは、英霊の記憶。
令呪で繋がれたサーヴァントの記憶を垣間見る事はあり得ない話ではない。
しかし、彼女が見たのは英霊の記憶というよりも、自身の記憶だった。
かつて王としてブリテンを収めた彼の前世の記憶、とマナは感じたにも関わらずその中身は彼女が思い描いた理想の産物。そのズレを彼女は払拭する事が出来ない。
「ねぇ、ランサー。貴方はあのアーサー王なの?」
傍らに佇む彼にマナは問う。ただ、その視線は彼に向けられているものではなく、遠くを見つめていた。
「……僕は、僕は―――」
「―――いや、やっぱりいいよ。貴方はアーサー。私の理想の騎士。それでいい」
ランサーの言葉を遮りマナは思考を結論付ける。知らなくても、わからなくてもいいことだってあるのだと。
ベッドから這い上がり彼女は、ランサーの背中を押した。突然の事に困惑するランサーを無言で部屋の外まで押し出してしまう。
「マ、マナ?一体どうして?」
「如何に騎士様でも着替えを見られるのは恥ずかしいよ」
照れ隠しにマナは俯いたまま小さな声を漏らす。
「―――ああ、気が回らなくてすまない」
「うん、いいのよ、ランサー」
そういってマナは部屋の扉を閉めた。
部屋の外に締め出されたランサーは廊下の壁に背中を預け天を仰いだ。
『貴方はあのアーサー王なの?』
マナの問いが彼の頭を錯綜する。
彼は自分自身が何かを、何者かを重々把握している。彼は、紛れもなく彼女が望んだ騎士そのものなのだ。それに偽りはない。
だが、彼事態は、偽りそのものと言っていい。
ランサーはマナの理想の騎士であり、アーサー王であり、アーサー王ではないのだから。
「僕は、君の一部。強くありたいと願った君の理想。だから、君は強くなれなければならない。本質に気づいているからこそ、そうでありたいと願うのだろう?君が、本当に欲しいのは。君が本当に願うべき、叶えるべきものは、自分を守っていく誰かじゃなく、自分を強くする自分なのだから」
彼の声は彼女には届かない。
だから、だからこそ彼がいる。
「僕の役割は、そう。彼女を強くする事。それこそが彼女の本当の願い。だから僕は、そう。僕のやるべき事はそう。とても、とても簡単で、とても難しい事に違いない」
ランサーは大きく息を吐いた。
それは区切りの深呼吸で、決意の深呼吸。
まもなく部屋から現れるマナに、彼は告げる。
「僕は―――」
何事かとマナは身構えるが、当のランサーはそこから先の言葉を発しない。声どころか体一つ動かさずただ彼女を見つめているだけだった。
「ど、どうしたのランサー?」
耐えかねたマナが思わず訪ねる。身を硬直させていたランサーも彼女の声でふと我に返ったのか慌てて口を開いた。
「あっその……いや、何でもないんだ。その、そう。やはり、あぁそうだ。君は僕の事を知っているだろうけど、僕は君の事をよく知らないからね。その……なんだ」
数秒前の決心は霧となって散り果て、ちぐはぐな言葉を羅列してしまう自分自身をランサーは嫌悪した。
「あ、あぁ……えぇ!ええ、そうよね!そうよね!決めたわ、ランサー!学校には行かないで二人でデートに行きましょう!私は、もっと貴方の事を知りたいの!」
「えっああ、今日は駄目だ。せめて明日、いや、違う。そうじゃなくて!」
「わかった!じゃ明日にしようよ!やったね、じゃあ行くね!言ってきます、私の騎士様」
マナは満面の笑みを浮かべ彼から遠ざかっていく。ランサーの手は虚空を掴み、自身の情けなさに落胆する。
なにが、
なにが。
―――なにが、騎士様だ。
と。彼は、『自分』の弱さを悔やむのだった。
*
薄暗い部屋だった。時刻は朝。だが、この部屋は、その外の明るさ、清々しい陽気さなど微塵も感じる事が出来なかった。
部屋の主はここにはいない。今、ここにいるのは二騎の人ならざる者。英霊だった。
「ほお、貴様も中々に薄情な男じゃな」
女だった。軍服を纏った女は軽薄に笑う。
赤いあかい瞳。その奥はまるで底が図りきれない闇だった。
或は、全てを飲み込まんと炎上する紅蓮の双眸を彼女は宿しているのだ。
一方で、対面する男は無骨に口を閉ざし彼女の言葉を聞き流していた。
「なんじゃ、ものも話せんかアーチャーよ。貴様とて英雄であろう。それでいて、あれを見逃すのか」
軍服の女は傍らに転がるそれを見据えていった。それは少女だった。まだ幼い少女だというにのの体は異様にか細く呼吸する事すら億劫な様子にさえ見える。
だが、常人と違うとすれば、その体だけではない。少女に左手には微かに魔力の鼓動があった。紛れもなくそれは令呪であり、この少女とそれを足蹴にする英雄との繋がりを纏ったものであった。
軍服の女英霊は、アーチャーの反応がないのに対して退屈な顔を浮かべるも、何かを思いついたのか口元を吊り上げる。
「なら、これはどうじゃ?」
女英霊が発した声と同時。彼女は自らのマスターである少女の腸を蹴り上げた。
「―――っ」
短い悲鳴と共に少女の体が宙を舞い、そして床に衝突した。少女は、咳き込むことすら出来ないのか、只苦痛の表情を浮かべているだけだった。
「―――全くを以ってつまらん男じゃなアーチャー。目の前で娘が甚振られ様とも動じぬか」
「私にとっては関係のない事だ。マスターの望みも、お前がここで何をしようとも私には関係ない。私の望みは一つだけだ。その娘が死に、お前がどうなろうと知った事ではない」
「ならば、聞こうじゃないかアーチャーよ。貴様の望みとはなんじゃ?」
「強者との決闘、それだけだ。それ以外は何も望みはしない」
「やはりつまらん男じゃ」
軍服の女英霊は、自ら蹴り上げた少女の首元を掴み引きずるように彼女を抱える。
「ワシは娘と戯れる故、貴様は何処かへ失せるがよい」
虫でも払うかのように彼女を口を鳴らす。
アーチャーは無言で頷き背を向けた。
「そうだ、バーサーカー一つ言っておこう」
霊体化し半ば消えゆく中、アーチャーは口を開いた。
「貴様とて強者には違わないのだろう?その娘をそれ以上傷をつければ貴様も現界する事が危ぶまれるだろう。精々、私と雌雄を決す前に消えぬことだ」
「くっ―――くははははは。面白い事の一つ言えるではないかアーチャー。よかろう、貴様に免じてこの娘を甚振る真似はやめておいてやろう。そろそろ外にも出てみるか」
バーサーカーと呼ばれた英霊は、アーチャーが居た場を睨みつけ高らかに笑う。
そして、バーサーカーのサーヴァントとしての気配も消失した。
*****
今朝の彼女は頗る調子が良かった。
今の彼女を見れば誰もがそう思うだろう。
鼻歌を奏でながらマナは自身の通う学校付近まで来ている。
「でえと!でぇと!明日は騎士様とデート」
謎の歌を口ずさみ彼女は軽い足取りで校門前までやってくると、そこには人だかりができている。
「メイドさんかわいい」
「コスプレかぁ?」
等という雑音がマナの耳を刺激する。
そして、彼女はその人だかりの意味を理解してしまう。
一歩、二歩と後退り。
上手く人ごみに紛れてやりくりしようとした直後だ。
「―――マナ様」
人だかりの中心部から聞きなれた我が友人の声にマナは背筋をピンと張り詰める。
人だかりの視線がマナの背中を射抜き、かきたくもない汗が全身から噴き出るのを確かに肌で感じ取った。
「や、やぁ、エルザじゃない。どうにかしたのかな?」
恐る恐る振り返りマナは声の主であるエルザと視線を交わす。
「どうにかしたかではありません。少しお時間良いですか?」
「えっいや、それは」
マナの答えなど問答無用とエルザは彼女の腕を取り連行する。
「なんだ今のは?」
「あれってお前のクラスの氷継だろ?どうなってんだ?」
そんな学生達の声を受け、また今までの暗い学校生活を送るのかと内心マナは落ち込みため息を漏らした。
「で、何の様なの?」
学校からやや離れた場所で解放されたマナは、口調を少し尖らせてエルザに問う。
「着替え。今日までの分しかないでしょう?だから、学校が終わったら取りに来てほしいのだけど?」
「……嫌よ。姉さんが、姉さんにそうやって言えって言われてきたの?私の、私を殺すためにそうやって命令されたんでしょう!?
「ち、違う!サラ様は貴女の様子が気になっていたから」
「えぇ。えぇ、そうでしょうね!なんせ、私が生きていたら不都合だから。直接私も殺したいに決まっているんだ!絶対にそうだ!」
マナは金切り声の様に声を張り上げ、大きく息を吸い上げ髪を掻き毟った。
恐怖。先ほどの意気揚々とした気分は彼方に消え今の彼女を蝕むのは圧倒的死の恐怖。
思い出したかの様にそれは発現し、彼女を一瞬で闇へと蹴落とす。
「違う!本気でサラ様は貴女の事を心配しているのに!なんでわからないの!」
「―――うっ」
マナは思わず身を硬直させた。エルザにこの様に怒りの感情を込めて怒鳴られたのは初めての事だったからだ。
「……お願いよ、マナ。顔を少し見せるだけでいいから、ね?私も一緒にいくわ。麓のバスの乗り場で待っているから」
涙ながらにエルザは懇願する。マナからしてみれば彼女が嘘をついている様にはとても見えない。ましてや、一番心を許している相手に対してここまで頼まれればそれを無下にできるほどマナは心無い人間ではなかった。
観念したかのようにマナは俯きながら「わかった」と小さな声を漏らす。
「あ、ありがとうマナ。私からサラ様にちゃんと伝えておくから絶対に安心して!」
エルザは笑みを浮かべると駆け足でマナの前から姿を消す。
「はぁ……学校いこう」
マナは朝の気分を削がれそれは急激に角度を変えて暗転した。自然と足取りは重くなり彼女は時計を確認するととっくにホームルームの時間は過ぎていた。
******
教室の扉を開けると中の視線は一斉にマナへと向けられた。一限目が始まるにはまだ時間はある。
「―――うぐっ」
なに?
なに?なに?なに?
その視線の意味も訳も彼女は理解しているし承知している、覚悟もあった。それでも、自身を刺すその視線にマナは戸惑ってしまう。
扉の前で困惑するマナにクラスメイトの女子が声を掛けた。
「どうしたの氷継さん?中に入りなよ?それよりさ、校門にいたメイドさん氷継さんの家のメイドさんなの?すごいね」
「えっうぅあ、そう……です」
困惑仕切りのマナを余所にそのクラスメイトは目を輝かせ彼女に質問を繰り出した。それによって火蓋が切られたかのように、マナを中心としてクラスの大半の生徒が疑問をせめぎ合う。
「氷継さんの家にはいっぱいメイドがいるの?」
「氷継さんの家って広いの?」
「私、氷継さんの家にいってみたーい」
「あうあぅあううう」
脳内にマナにだけ聞こえる破裂音が響いた。この様な経験が初めてだからだ。せめて、一対一で話すならばできたかも知れないがこうも大人数との会話などマナにした事などなく、彼女の思考は停止してしまう。
「はいはい、質問は後にしてあげなよ。氷継さん困っているだろ?それに、もうすぐ一限目も始まるよ。みんな席について」
見かねた日立が助け船を出した。両手を二度打ち付ける仕草と共に声を張る。生徒たちは日立の声を聞くや名残惜しそうに自分たちの席へと散っていく。
「あ、ありがとう」
日立と目が合い小さく感謝の言葉を呟いた。恐らく彼には届いていないだろう、しかし仕草から読み取ったのか日立はマナに向けウィンクを一つしてから自分の席に着いた。
「あう、ビックリした」
マナは安堵し息をスッと吐きだした。
日立以外のクラスメイトに話しかけられたのはいつ振りだろうか。部活でも、他の部員とは必要最低限の会話しかしてこなかったマナにとってこれほど『嬉しい』ことはなかった。
程なくして一限目を担当する教師が教室へと入ってきた。いつもと変わらない退屈な授業を受けた後、空き時間になる度にクラスメイトが自分の元へ大挙する。
家の事から、他愛もない会話まで。
まだまだぎこちない形ではあるが、マナはクラスメイト達と共有していく。
こんな光景を。
こんな日常を。
マナは、望んでいた。
当たり前の様に、当然の様に。
こんな簡単な事がどうして出来なかったのだろうかと、マナは悔やんだ。
*
「―――で、今日はどうするんだい?」
放課後。陽が沈みかけた教室内には、マナと日立の姿があった。他の生徒の姿はなく教室には二人だけだ。
「どうって何を?」
マナは呆けた声をあげて彼へと振り返った。彼女の体は既に教室の外へと飛び出す動作に切り替わっている。日立はそれを受けため息を一つついた。
「なにをって……文化祭の話さ。昨日はあんな事があったからね、少しでも話を進めて行いと」
「あ、あぁそうか。でも、ごめんなさい。私一回家に戻らないといけないから」
「一回家に戻る?変な言い方をするね?」
思わず聞き返した日立と思わず口走ってしまい慌てて口元を抑えるマナ。両者の表情は対極にあった。
「と、ととととりあえず今日は無理だからまた今度ね」
マナは慌ただしく教室を後にする。一人残された日立はただ一人空しく立ち尽くしていた。
******
「……それに賭ける願いなどない。私はただ戦えればそれでいい。戦争でしか自身の存在意義を見出せない野蛮な生き物だ」
彼は、一人呟くように言葉を漏らした。
月宮市に存在するビルの屋上。現代社会を象徴する様なビル群に対して彼の姿は異形だ。
その荒々しい肉体。
二メートル程の体躯にその強靭な肉体を見せつけるかのように上半身は半裸。
英霊として現代に現界した彼に今の風景は似合わない。
「―――英雄?人々は私をそう呼ぶ。ただの戦争の勝者でしかない私を。それは、人として
疑問に思う。人殺しを正義と肯定しているようなものだ。便利だよ、一度その矛先が自身に向けられれば必死の抗うというのに」
苦笑し彼は自身の獲物を構えた。
彼の屈強な肉体に負けず劣らずの大きさを誇る強大な弓。
「だが、それは私にとっては只の賛美だ。私は兵士。私は兵器。ただ敵を殲滅する為の。誇りなどない。私は只命令に従うだけだ」
アーチャーの名を関するサーヴァント、ピロクテテスは弓を引き絞る。
狙いは、遠くとおく離れた山中。
更にその奥。屋敷の外にいる人物まで正確に彼は観る事ができる。
それ程の眼を彼は有しているのだ。
「悪く思うな。なに少しちょっかいをかけるだけだ」
―――放たれた。
数十キロ離れた距離から彼は目標の人物への超遠距離射撃を放つ。
風を斬るように鋭く放たれた矢は合計で十四発。その凶器は数秒で彼女の元へと飛来する。
******
「……遅いですよ」
バスから降りたマナを出迎えたのはエルザの呆れた第一声だった。
「うぅ、そんな事ないよぅ」
頬を膨らませブーブーとマナはふて腐れた表情を見せる。
「さぁ、行きましょう」
最早どちらが従者かわからない。エルザはマナの手を引き屋敷までの坂道を登っていくとそれを遮るように金髪の青年が姿を現した。
「マナ、少しは警戒して欲しい」
ランサーは呆れた顔で自身のマスターの顔を見た。
「うぅ、ごめんなさ―――」
彼女の言葉の途中で突如ランサーは後方へと視線を向けた。
その直後だった。山を揺るがす様な地鳴りが響く。
「な、なに今の?」
「マナ達はここで待っているんだ。様子をみてくる」
ランサーは自身の獲物を構えて屋敷へと駈け出していく。
「エ、エルザ?」
「わ、私にもわからない。サラ様は無事だといいけど……」
二人はそれぞれの不安を口にし、ただ茫然と立ち尽くすしかなかった。
******
「やけに機嫌がいいじゃないかマスター?」
意地の悪い笑みを浮かべセイバーは自身のマスターを眺めていた。
「機嫌がいい?貴女にはそう見えるのかしらセイバー?」
サラは眉間に皺をよせ怒りの表所を露わにする。
「あぁ、見えるとも少なくとも私は楽しい」
ケタケタと笑うセイバーにため息をつきながらサラは父親の工房で見つけた本の続きを読み始める。
「―――なんだ、もっと揶揄えると思ったのに。まぁいい、私は外に行っているぞ」
「揶揄わなくていいわよ!それに、貴女がいたら余計に警戒されるでしょう?大人しくしていてちょうだい」
「やっぱり妹が来るのが嬉しいんじゃないか」
「そんなんじゃないわよ!あぁもう、外でもどこでもいっていなさい!」
「おぉ、こわいこわい」
セイバーは楽しんだとばかりに笑みを浮かべ霊体化し姿を消す。
「あぁ、実に楽しい」
今、彼女の姿は屋敷の外にあった。
屋敷は広い。それを囲むように積み上げられたコンクリート塀は来訪者を威圧する様に高く積みあがられている。唯一の門扉も大変豪勢な代物ではあるが、まるでそれは外界とを区分する監獄の様な圧迫感を醸し出していた。
その塀に背中を預けてセイバーは天を仰ぐ。
「ふふ。ついつい揶揄ってしまう。私に娘はいなかったからな。可愛くて仕方がない。それに―――」
自身の紡いだ言葉を強引に喉の奥へと引っ込めた。これ以上は感傷に浸る意味もない、聖杯さえ掴めばその必要も無くなるのだから。
「あぁ、待っていろ。私は必ずや聖杯を手にしお前を救い出す」
それは、彼女の願い。この聖杯戦争に掲げる唯一の願望だ。
「さて、もうそろそろ着く頃だろう。サラがどういった顔をするか見ものだな」
悪い顔をしてセイバーはまた笑みを浮かべるが、一瞬にしてその表情は無に帰った。
直後、彼女は黒の鎧を身に纏い無粋な飛翔物を弾いた。
轟音。弾かれた飛翔物はコンクリート塀を破壊しそこに大穴を開ける。
「ほぉ、まだ来るか!」
二発、三発、四発、五発。
それらを華麗に回避して見せる。
「弓兵か。余程の腕をお持ちの様だ」
セイバーは即座に相手を見極め、自分の位置では相手の位置を特定する事も出来ないのを理解した。そんな彼女の思考を遮るように弓兵の放つ矢はまだ続く。計十四発の必殺の矢を全て叩き落とし彼女は大きく息を吐いた。
「い、一体何の音よ!」
慌てた声を上げてマスターであるサラが屋敷から飛び出てきた。
「なんのって?敵襲だ。生憎、妹はまだ―――下がっていろ!!」
突如としてセイバーは声を張り上げ、視線は目の前のサーヴァントを睨め付ける。
「ランサー……」
サラは息を飲んだ。黄金の槍を携えた英霊はこちらへと突進してくるのが見えたからだ。
「へぇ、こっちもかなりのやり手の様だ。あぁ、いいぞ。防戦だけではつまらないからな!」
跳ねた。鞘に納めたままの剣を携え剣士は槍兵へと飛び跳ねる。数メートルの間合いを瞬時に詰める為に。無論、ランサーもそれを十分に理解したうえで彼女を迎え撃つ。その槍の長さを生かし接近させまいと鋭い突きをセイバーに見舞う。その回数は一秒間で七回。並みのサーヴァントならば一撃貰うであろう神速の槍捌きだ。それを、セイバーは全て回避して見せ渾身の一振りを見舞った。
セイバーによって振り下ろされた一撃をランサーは辛うじて避けるも追撃を警戒する様に大きく後方へ飛びのいた。
「待ってほしい、こちらに争う意思はない」
「争う意思はないだと?よく言うね色男。思い切り敵意を乗せた槍を繰り出してきたっていうのに」
呆れたようにセイバーは言葉を吐き出した。彼女の言い分通りランサーは未だに槍を構え戦闘態勢を解かない。
「そ、それは……あんな殺気を込められれば誰だって応戦するさ」
「なにいってんだ?先に仕掛けてきたのはお前らだろ?まぁいいよ。争う気がないなら大人しくシテろ!」
二度セイバーはランサーへと突貫する。
「セ、セイバー!やめなさい!」
サラの制止も届かず剣士と槍兵の打ち合いは続く。互いに有利な距離を保とうし、相手に有利な距離を取らせない為の攻撃が果てしなく継続していた。
「やるじゃないか色男。で、そっちのマスターはどうした?まさか命令されたとか?」
「マナに争う意思はない。それは僕も同じだ」
「そうかい、なら私達は互いに争いなど求めていなかったということになるが?」
「初めからそういっている!」
槍のリーチを生かしたランサーの横薙ぎをセイバーは容易く受け流す。
「ラ、ランサー」
息を切らしたマナがその名を叫んだ。
その声に一瞬ランサーは意識を削がれる。それは致命的なものだった。
「おい、歯食いしばれよ!」
貫いた。その一瞬の隙をセイバーが見逃すはずがなかった。すぐさま懐に飛び込むとその鈍器のような剣を振るう。
直後、ランサーの体は地面を離れ重力に抗う事になる。コンクリート塀を破壊し彼はそれに埋もれ、外壁の一部が飛散しそれはマナとエルザに襲い掛かる。
「―――えっ」
突然の事にマナは体が動かなかった。それは、隣にいたエルザも同じだった。ただ、ただその飛散物がやけに遅く見えたに違いない。
「―――っ」
一瞬だった。飛び込んできた飛散物とそれが一瞬にして塵へと変わり果てたのは一瞬の出来事だった。マナは横目でそれをみる、その魔術を行使した人物を。
「―――満足かしらセイバー?一度頭を冷やしなさい。それと貴女の荷物はこれでしょう?」
サラは手にしていた大きめのバックをマナに向けて投げつけた。それは、一人の少女が持つには少し重たくエルザと二人がかりで何とか受け止める。
「貴女の用はそれでしょう?他に用がないなら今すぐ立ち去りなさい」
サラは、語気を強めマナを威圧する様に睨みつける。
「う、うぅうう。ラ、ランサー?」
逃げ場を求めるように騎士の名を彼女は呼んだ。それに応えるように瓦礫の山が崩れランサーが姿を現す。
「僕の方は大丈夫だよ、マナ。それより―――」
そう言うとランサーはセイバーを見据えるが、当のセイバーは既に黒い鎧を外しており戦闘状態を解除していた。
「マスターの指示に従っただけさ」
ランサーの視線を感じセイバーはおどけた口調で言葉を発しはするが眼だけは嘘をついていなかった。またやり合うというなら今すぐにでもといった目力を孕んでいる。
「……マナ、帰ろう。これ以上ここにいても無駄だ」
「う、うん」
ランサーは警戒しながらもセイバーのすぐ脇を通り過ぎていく。勿論、何もない、何も起きない筈なのにその空気は張り詰めていた。
「エルザは下まで送っていきなさい。セイバー、話は中で聞くわ」
サラは踵を返し足早に屋敷へと駆け込み、セイバーはニタニタと笑いながら彼女の後を追った。
屋敷の扉を勢いよく開け直ぐ後ろに自身のサーヴァントしかいないのを確認してからサラはため息交じえながら言葉を漏らす。
「―――で、一体なにがあったのよ?」
「別にランサーが来る前に奇襲を受けただけさ。相手は確認していないが矢による遠距離狙撃だ、ほぼ弓兵の仕業だろう。何者かは分からないが腕はかなりのものと見た。それと、そのアーチャーとランサーは無関係だろうな」
「えっ?無関係ってどういう?じゃあ、なんでランサーと闘ったのよ?」
少しムッとしてセイバーは顔を尖らせる。
「だから、最初はランサーも敵だと思ったんだよ。でも、直ぐに違うってわかったさ、でもさ抑えきれなかったね。自分で言うのも何だがね、根っからの戦好きなのさ私は。それよりも―――」
セイバーの口元がニヤリと歪んだ。嫌な予感がするとサラは足早に自室に向かおうとするも肩口を抑え込まれ彼女の動きは停止した。
「な、なによ?」
「なに?じゃないよ、わかっているんだろう?なんだあの態度は?思わず吹き出しそうになったぞ」
やっぱりとサラは視線を横に流しため息を一つついた。一方のセイバーも予想道理の反応だと笑みを浮かべる。
「もういいじゃない。それより大事な事があるわ。私達は他のサーヴァントとマスターの情報を知らなすぎる」
「なんだ?やっと本腰を入れる気になったか、こちらの所在はバレているのだ行動は早い方がいい」
「ええ、だから頼りたくもない相手を頼ることにする」
と俯くサラに後ろから覆い被さるようにセイバーは彼女の背に体重を預けた。
「……誰かを守るために、救うために戦うのだろう?それは私も同じだ。君が、妹を心の
底から救いたいと願っているから私は君の為に剣を振るう。安心しろ、君のサーヴァントは私だ弱いわけがないだろう?先ほどのランサー相手に私が遅れを取ったように見えたのか?」
「いいえ、貴女ははランサー相手に互角いやそれ以上だったわ」
「そうだろう?ならば前をしっかりと見ろ。不安なんてものは前に進まない者の言い訳だ。得てもいない何かに怯えても仕方がないだろう?それに相対して初めて怯えればいい。まず必要なのは相対するまでに至る道を創る事だ」
セイバーはサラに語り掛けるように言葉を紡いだ。それは、まるで子を手なずける親の様な優しい口調だった。セイバーは、彼女の不安を看破していた。自身のやり方だ聖杯を手に入れる事が出来るのかと、自分のやった事は間違いでは無かったのかと。それを決めるのは今ではなく。全てが終わった後に決まる事だ。まずは、そこまで行かねばならない。その為にセイバーはマスターの背中を押す。
「ふふ。君は実に私好みだ」
スルリと腕を絡ませセイバーは自身の体をよりサラに寄せた。
「……そう。その、ありがとうセイバー。これからも私は貴女に頼りっぱなしになると思うわ」
「任せろといっただろう?私は負けない」
絡んだ腕をそっと掴みサラはもう一度感謝を口にした。
「ありがとう、セイバー」