「全くもー! アンタが寝ぼけたせいでまた遅刻しそうじゃないー!」
「すみません、朝は弱くて……」
「いつものことじゃない!」
「まーまー二人とも」
雄が赴任してきた翌日、登校中の生徒で込み合う通学路を駆けるネギ、明日菜、木乃香の三人は学園へ向けて走っていた。普段と変わらない朝の一時、だがどこか明日菜の機嫌がよろしくない。
そもそも朝から機嫌が良い人間の方が少ないのは事実だが、それを差し引いたとしても期限の悪さが如実だった。一体何があったのだろう、様子を見る限りは明日菜とネギの間で何かが起きたかのは間違いなさそうだが、二人から内容が語られることは無かった。
「よっ、三人とも。おはようさん」
挨拶をしながら、走る三人の横に並走する雄。昨日とは違い、グレーのスーツに濃褐色の水玉ネクタイとお洒落に気を遣った色合いを纏いながら、十代と並走する姿はシュールに映ること間違いなしだ。
「あ、風見先生!」
「風見先生、おはようございます!」
走りながら挨拶をするネギと明日菜、二人の挨拶に元気がいいなと相槌を打つ。
「お兄ちゃん! おはようー!」
「ん、おっす」
「「お兄ちゃん!?」」
木乃香の発した一言に、二人の顔が一斉に木乃香の方へと振り向いた。
笑顔のままの木乃香に対して、雄の表情は特に変化がない。昨日までの雄であれば、恥ずかしいだの羞恥心がだの様々な言い訳を言っていただろうが、完全に割り切ったようで特段反応するようなことはなかった。
雄と木乃香の関係を知らないネギと明日菜は何が起こったのかと、驚きの表情を浮かべながる。まず口を開いたのは明日菜だった。
「こ、このか! 風見先生ってのお兄さんだったの!?」
木乃香とは比較的古い付き合いになる。大概のことは知っていたつもりが、
「か、風見先生! こ、このかさんって妹さんだったんですか!?」
「あー、いや。そういうわけじゃないんですけどね」
ネギも二人の関係に興味津々の様子。
昨日までは普通の教師と生徒の関係だった二人が、一日経って『お兄ちゃん』と呼ぶような関係になれば、興味を持つのも頷ける。ごもっとも、卑猥な意味ではなく、純粋な意味で、だ。
もう一つ、ネギと明日菜、揃って言っていることがほぼ同じである。むしろ二人の方が
(ん? ネギくんの肩に居るのは……)
ネギに対して苦笑いで否定をする雄だが、ふとネギの肩に視線を止めた。昨日見た時は居なかったはずの、オコジョのような生き物がこちらをじっと見つめている。
ネギのペットと一瞬は判断するものの、ほんの僅かに感じる魔力の存在を見逃さなかった。
(ペット……いや違う。僅かだが魔力を感じる。妖精か?)
あくまで予想だったが、この推測は当たっている。
変に探ろうとすると、墓穴を掘ってネギに自身の正体を明かすことになるかもしれない。将来的には明かすタイミングはくるだろうが、それは今ではないと悟り、そっとオコジョに関しての追求を止めた。
「二人ともちゃうちゃう! お兄ちゃん……風見先生はウチの幼なじみみたいな感じや」
「あーびっくりした、このかにお兄さんが居るなんて聞いたこともなかったからつい」
ネギと明日菜が勘違いするのも無理はない。雄の反応にも抵抗が無かったため、事実だと受け取ったところで何の違和感も無かった。
「あれ? でもそうなると昔からの知り合いってことですよね」
「それなんやけど「悪い皆、一発目の授業の準備があるから先に行くよ」あ、お兄ちゃん……はやっ!?」
関係を言い掛けた途端、次の授業がと腕時計を見ながら駆けていく。力強く地面を蹴り、一歩抜け出したかと思うと、ぐんぐんと三人との差を付け、やがて見えなくなった。
「ちょ、風見先生って陸上選手か何か?」
「わ、分からないです……」
明日菜も自慢ではないが、そこら辺の一般人には負けないくらい、自分の脚力に自信を持っていた。現に木乃香が明日菜に着いて行くために、ローラーブレードを着用している。
極めつけは履いている靴が運動靴ではなく、革靴なところだ。そう考えると女性としては速すぎる部類に入る。また学園の距離をそのスピードで涼しい顔をして走りきる持久力に関しても、目を見張る部分があった。
明日菜にばかり目が行きがちだが、十歳にして明日菜のスピードに着いていくネギも相当なもの。ただしネギの場合は魔力の補助に依存する部分が多く、実際の身体能力は十歳の子供とそう変わらない。
(兄貴、今の風見って副担任の行動に何か思い当たるところは?)
(え? と、特にないと思うけど。どうかしたのカモくん?)
カモくんと呼ばれる、ネギの肩に乗っていたオコジョ。本当の名前はアルベール・カモミールであり、雄の推測通りオコジョ妖精だ。
(今の速さ兄貴も見ただろ? 何の補助も無しにあんな事が出来るハズがねぇっすよ!)
普段から常識外れなことが多いのか、ネギを始めとして周囲の人間の誰一人、違和感に気付かない中、カモだけが気付いていた。
もし人より多少速いくらいのスピード、なら話は分かる。しかしカモは明日菜の足の速さ、魔力の補助を受けているネギの速さを考慮しても速すぎだと言いたいらしい。
(えぇ!? で、でも風見先生からは魔力や気なんて微塵も……)
(それが問題なのさ! 逆に純粋な身体能力であの速さだろ? 世界記録保持者もびっくりって話だぜ!)
(た、確かに)
ネギも明日菜の足の速さを知っている。
以前追試のテストを受けてる際に、あまりの出来の悪さをタカミチから指摘を受けて脱兎の如く走り去ったことがあった。
ネギは周囲に人が居ないことから、魔法の杖を使って追いかけたのだが、明日菜は自動車くらいの速度が出る杖での追跡を追い付かれることなく逃げ切っている。
常識的に考えればあり得ない話だが、その明日菜が驚く程のスピードなのだから相当なもの。
「ネギくん、何一人でぶつぶつ言っとるん?」
「わー!? こ、このさかん! な、何でもないですよ!」
「ちょ、ちょっとネギ! アンタ早くしないと完全に遅刻するわよっ!」
「は、はわわぁ!?」
と考え込んでいる内に本業の方を忘れて遅刻寸前。一行は慌てて校舎の方へと駆けて行った。
「えーっと、皆さん僕たち三年A組は京都、奈良へ修学旅行に行くそうで……もう準備は済みましたかー!!?」
「「はーい!!」」
時間は流れて放課後、二日目の授業も難なくこなした雄は帰りのホームルームに参加していたのだが、唐突に始まった修学旅行の話に口をあんぐりとさせたまま手に持っていた名簿を落ちる。落ちた名簿は一番後ろに居た生徒、長谷川千雨の手によって拾われた。
「あぁ、長谷川か。すまない、助かる」
「先生、先生の言いたいことは何となく分かります……!」
「はい?」
名簿を渡す千雨から同情の視線を向けられて、意味が分からずに首を傾げる。挙句の果てには手間で握られそうな勢いだ。プルプルと震える彼女を余所に、クラス全体は大盛り上がり。一端の人間が居たら、動物園の猛獣たちが叫ぶ檻の中にでも入れられた気分だろう。
雄としては予想もしていないタイミングで大声を出されたせいで耳に響いてしまい、驚いて名簿を落としてしまっただけだったのだが、どうやら千雨は彼の反応を勘違いしたようだ。たった一瞬の会話だったのと、ホームルーム中だったこともあり、必要以上に聞くことは無かったが、今の反応は何だったろうかと、尚更首を傾げることに。
(京都、京都ね。行くのは十年ぶり、丁度木乃香と初めて会った時以来か)
京都という単語を聞いていつぞやの出来事を思い返す。
最後に京都に行ったのは、十年ほど前。修学旅行に同行するとすれば、仕事の一環として近衛家に赴いて以来のことになる。前回はほんの数時間の仕事のためだけに行ったせいで、京都観光はせず帰ってきてしまった。
夕方から京都観光をしたところで、回り切れる場所は限られてくる。
「うちのクラスは留学生も多く、ネギ先生は日本が初めて。日本文化を学ぶ意味でも奈良、京都を選択させて頂きました」
「ありがとうございます! いいんちょさん!」
感動のあまりネギはあやかの手を握り始める始末。そんなネギの年齢相応の無邪気な姿に、頬を赤らめながらネギ先生と喜びをあらわにするあやかに『いいんちょのショタコンが出たぞー!』といった突っ込みが飛び交った。その一言があやかの耳に入ったのか、あやかはショタコンではないと必死に否定する。
帰りのホームルームということで生徒たちの過半数のテンションが振り切れていて、雄が赴任してきた当日よりも騒がしい、そして止めるはずのネギも、修学旅行先が京都である嬉しさからうれし涙を流しながら感激していた。
「うわーい! 楽しみだなー京都!! 早く来週がこないかなー!」
喜ぶ姿はやはり十歳の子供、普段の教師としての業務をこなす年齢不相応な傍ら、新鮮で楽しみなことには心の底から喜び楽しむ、年齢相応な姿。雄が赴任して二日目で初めて見るネギの子供っぽい姿に、どこか安心したかのように息を吐く。
「こらお前ら! はしゃぐのは良いけどまだホームルーム中だろ。少し落ち着け!」
おもむろに立ち上がると一旦は場を鎮めようと、割って入った。学校が終わりの時間とはいえ、あまり騒ぎ続けるのも良くはない。そんな雄の姿に、ネギは恥ずかしそうに頭をかきながら教壇へと戻り、立ち上がった生徒たちは各々の席へと戻る。
改めて静寂が戻ったクラスで、締めの言葉を伝えるネギ。丁度ネギが挨拶を終える頃合いを見計らい、教室の入口の扉がガラガラと開かれた。
「ネギ先生、学園長がお呼びですよ」
ネギを呼びに来たのは源しずな。
昨年度にネギが麻帆良学園に赴任した時からネギの指導教員を務めていて、大人っぽいアダルトな雰囲気と、抜群なポロポーションが生徒に人気な教員だ。
「あ、はーい! それでは皆さん、本日も一日お疲れ様でした!」
ホームルームを終わらせると、先ほどのテンションそのままに、ネギは教室の外へと駆けていく。完全に後ろ姿が見えなくなったところを見計らい、今度は教室の中で片付けをしている雄の元へと近づいて来た。
「あぁ、雄先生。実はあなたにもお呼びが掛かってまして、少し後に来て欲しいと学園長が」
「学園長が? えぇ、分かりました」
突然かつ二日連続での呼び出しに、雄は何だろうと考え込む。
もしかして昨日の夜に、寮前で散々暴れまくったことで、誰かから苦情が出ているのかと苦い顔を浮かべた。しかし実際は違うようで、ネガティブな話を考えた雄を悟って、しずなが笑みを浮かべながら否定をする。
「ふふっ、悪い話じゃないみたいですよ。何でもお願いしたいことがあるそうで」
「お願い? 何だろう……」
「ふふっ、赴任したてなのに随分と頼られていらっしゃるんですね」
「ははっ、ありがたいことですよ。こんな新任教師に色々と任せてくれるなんて」
笑みを浮かべる雄だが、また面倒事や突拍子もないことを押し付けるんじゃないかと一瞬不安が頭を過ぎった。とはいえ、行かないわけにもいかず、しずなの言う通りに向かうことに。
「では、お願いしますね」
「はい、分かりました」
しずなは言伝を終えると、教室を後にする。雄が見送ったタイミングを見計らい、一人の生徒がパタパタと雄に駆け寄ってきた。
「あ、おに……じゃなかった。風見センセ、放課後空いているかえ?」
「おお、この……近衛。ああ、学園長に呼ばれた後は特に何もなかったと思うが」
二人揃ってプラーベートでの呼び方が出そうになる寸前で我慢し、会話を続ける。周囲の生徒の何人かの頭にはてなマークが浮かぶも、深くまで詮索してこないことからあまり気にしていない様子だった。
「あんな、今日アスナと修学旅行の準備に買い物行こうと思ってるんやけど……センセも行かへん?」
「修学旅行? んー」
顎に手を当てて、そういえば何も準備していなかったなと思い出す。普段から外出の機会が多い訳ではないため、あまり服のレパートリーは多くない。自由時間には私服で出歩くことになるだろう、それは教員にとっても自由時間であり、流石に制服のまま歩きたいとは思えなかった。
とはいえ、果たして自分がそう教え子と出掛けていいものか、そこだけが不安要素ではあったが、断って残念がる顔も見たくは無かった。
「いいぞ。少し遅れるかもしれないけど、それでもよければ」
「ホンマに? ならアスナにも伝えとくなー!」
嬉しそうに明日菜の元へと戻っていく後姿を見つめながら、雄は教室を後にした。