「はぁ、何故逃げ出してしまったんだ私は……」
雄から離れた後、人の居ない並木の道を、トボトボと歩く。刹那の背後からは悲壮感が漂っていて、後悔の念を感じ取ることが出来た。
反射とでもいうのか。聞き覚えがある声が聞こえた途端に身体は動いてしまっていた。嫌なことがあると身体が拒否反応を起こすのと同じように、彼女の声を聞くと無意識の内に距離を取らねばと、否が応でも勝手に反応してしまう。
「折角背中を押してもらったというのに」
嫌いな訳じゃないからこそ、自身の行動に首を傾げざるを得なかった。かつては共に笑い、共に泣き、共に遊んだ親友だったというのに。昔の関係に戻りたくないと言えば嘘になる。
だが現実は逃げてしまった。逃げてしまったことで、背中を押してくれた雄に対する申し訳なさだけが募る。最も、雄自身はさほど気にしては居なさそうだが、刹那の必要以上の責任感がより一層彼女をネガティブな方向へと導いていった。
「私は一体どうしたいんだ」
雄にも本音をさらけ出したように、木乃香と話をしたい。それは紛れもない事実であり、今でも木乃香のことは親友だと思っている。
ただ刹那の中では、久しぶりに再会した時から木乃香によそよそしい態度を取っている事に対する罪悪感が勝ってしまい、今更話そうとしてもと悪循環に陥ってしまっていた。
加えて今回の京都への修学旅行が重なってしまい、木乃香が関西呪術協会総本山の近くへと立ち寄ることになった。
当然、麻帆良学園が修学旅行に行くという上方は先方には伝わっていて、関西呪術協会の過激派の何人かは場所を問わずに襲ってくる可能性もある。故に木乃香と仲直りをする前に、彼女を守る必要があった。
(私が、私がお嬢様を守らないと!)
必要以上に、責任を背負ってしまっているのは否めない。雄の言う責任感の強さから来る融通の利かなさは、まだ当分直りそうには無かった。
そしてそれは、ほんの一瞬刹那の判断を鈍らせることになる。
「……オン」
「え?」
背後から聞こえる呪文のような声で現実に戻された。
平和ボケしていたのか、白昼堂々学園内で襲ってくることはないと油断していたのか、先ほどまでは無かった気配が背後に現れる。
いつもだったら難なく気付いていたはずの気配にも関わらず、反応が遅れたのは自身の慢心以外の何者でもない。
これが日常生活の油断ならまだ良い、こればかりは相手もプロ。一度背後を取れた上に、ほんの一瞬とはいえども反応が遅れてしまえば、隙を逃すはずがない。振り上げられた右手が、刹那の首筋を襲った。
「しまっ……うぐっ!!?」
夕凪を抜く直前、全身を駆けめぐる電流。高電圧のスタンガンを当てられれば、如何に鍛えた歴戦の剣士とはいえ、抵抗することはかなわなかった。
全身から力が抜け、手の力が入らなくなり夕凪を下へと落とし、場に崩れ落ちる刹那。周囲に人は誰も居ない、つまり目撃者ゼロ。自ずと助けてくれる人間は誰一人として居ない。
まさか自分が一人になるタイミングでも見計らっていたとでも言うのか。視界が霞む、身体が言うことを聞いてくれない、気を上手く練れない。
視界に何者かの足元が映った。映ったところで今の自分には何も出来ない。霞む視界の中、そのまま刹那は意識を手放した。
「お兄ちゃん、これなんか似合うと思うで」
刹那が襲われる少し前。
買い物に来た一行は、それぞれ自身の買い物をしながら店舗巡りを楽しんでいた。木乃香は商品棚に陳列されているTシャツを広げて、後方に居る雄に見せる。
「まーだ選ぶのか? もうだいぶ買ったと思うんだが」
そう言う雄の両手には幾つもの紙袋が握られていた。女性に荷物を持たせるのは如何なものかと、袋の何枚かは木乃香や明日菜が購入した服だが、それを差し引いたとしても雄の買った量は、普通の男性が一回に購入する量よりも多い。
「えー? でも着るもの無いんなら、多めに持っといた方がええと思うけど」
上下セットで考えるのならざっと五、六セットほどである。学生都市ということで、値段は総じて安めのものが多いが、如何せんセット数が多い分値段はかさばる。
諭吉が紙吹雪のように飛んでいくのを見て、お金は儚いものだと再認識させられたのはまた別の話。
「うーん、そこの物差しはよく分かんね。木乃香に任せる」
と、最終的には任せっぱなしになってしまうのは自分のことに対して無頓着だから。私服はだらしなく無ければいいという認識でしかないため、そこまで重要性を感じていないらしい。
「あはは、雄さんも意外にずぼらなんですね」
「普段私服なんてそう着ないしな。だらしなくなければ、くらいの認識なんだよね」
「あー、分かるかも。私もあまり気を遣う方じゃないから」
どの私服を着るか選ぶの面倒なんですよねと明日菜。女性はより身だしなみに気を遣うため、男性よりも服に関しては敏感になる。外を出歩くのに、ヨレヨレのシャツや、ロゴが消えかけている服を着るなんて考えられないはず。
面倒という割には、キチンと着こなしている辺り、かなり気を遣っているんだろう。
「ネギくんもこれなんかどうや?」
「あはは、このかさ~ん」
放課後の限られた時間を、全力で楽しんでいる木乃香を見ている雄の表情は無意識に緩む。
「なんか雄さん。木乃香の本当のお兄さんみたいですね」
「そうか?」
初めて会った時から随分変わった。もう木乃香は一人じゃない、彼女の周りには多くの知り合いが、そして頼れる親友がいる。
「……そうかもしれないな」
一気に大きく成長した木乃香にどこか寂しさを覚えつつ、ネギに服を着せようとする姿を見つめた。人間必ず成長し、やがて年を取って、一生を終える。そのサイクルは誰にでも必ず訪れることであって必然なもの。
……だからこそ儚く思えてしまう。
「? どうしたんですか、哀愁漂った表情して」
「何、ちょっとな。それよりも明日菜が哀愁漂うだなんて難しい言葉を使うとは思わなかったわ」
「なっ!? し、失礼ね! 私だってそれくらい分かるわよ!」
「今日の授業で極寒を『ゴッサム』って読んだのはどこの誰だって」
「うっ!」
痛いところを突かれて思わず口ごもる。担任と違って副担任は自分の担当授業がない時間帯、メインクラスの授業に帯同している。偶々国語の授業に帯同した雄は、クラスの後方で様子を伺っていた。
朗読発表で当てられた明日菜が、漢字の読み間違いをしたことに盛大に吹き出してしまい、クラス全員が大爆笑するといった珍事が起きた。
その内容というのが『極寒』を『ゴッサム』と読むものだった。
「仕方ないじゃない! 読めないものは読めないんだから!」
「えぇ、開き直るのかよ。まぁまぁいいじゃん、クラスの皆を笑顔に出来たと思えば……」
「よくない!」
明日菜にとっては屈辱的な一件であり、顔を真っ赤にしながら否定する。ちょっとからかいすぎたか、ただ明日菜の解答が毎回毎回ツボをくすぐる者が多く、昨日の歴史のテストでは日本に漢字を伝えたのはどのような人々かとの問いに『火星人』と答えるなどユニークな答えばかり。
からかうつもりがなくても話題を出せば自然とからかいに変わってしまうのは、持ち合わせている天性とでもいうのか。
「ははっ、冗談だよ明日菜……ッ!!?」
ケラケラと笑って見せる雄だったが、ふと違和感を覚えて表情を強張らせた。
(この感じは……気のせいか?)
学園の周囲に張られている障壁を魔力、ないしは気力を持つ何かが通過した。魔法関係者の内で学園周辺に張られている障壁を強い気や魔力を持つ人間が通ると、感知できる人間がいる。
その一人が雄だった。壊されるまでは行かないものの、確実に何者かが通ったことは明らか。本来なら麻帆良学園と言う都合上、魔法関係者が来ることは珍しいケースではなく、度々障壁を通過されることはある。
本当に害のないものであれば、雄も見過ごしていただろうが、今回ばかりは違っていた。正直違いなど、感覚で判断する以外の何者でもなく、信憑性は乏しい。
そこを正確に判断できるか出来ないかは、その人の腕次第。雄の場合は正確な証拠があって判断している訳ではなく、彼の長年による経験からだ。合っているのかはどうか断定は出来ないが、否定も出来ない。
周囲の様子にじっと注意を凝らす。
「あ、あの雄さん? もしかして私変なこと……」
(これは……マズイッ!)
周辺にある気や魔力の気配を探っていると、近くに二つの気の点在が見受けられた。何気ない二つの気、それは一瞬の静止の後に、一点がもう片方へと近づいたかと思うと、融合。
否、片方が消えた―――
消えたということは気を扱えない状況になってということ。つまり気絶させれたか、眠らされたか。
最悪、死さえあり得た。
(くそっ、変に悟られるわけにはいかないか)
助けに行こうにもこのままでは助けに行きようがない。両手には大量に買い込んだ服の数々、持っていって破こうものなら着ることは出来ないし、何故あの時買った服を着ないのかと疑問を持たれるかもしれない。一旦誰かに預けようと周囲を見渡す。
ちらりと近くにいる明日菜が視線に入る。態度が急変した雄に慌てるばかりで、現状を全く把握していないようだ。
どうやら自分の口調に対して雄が不機嫌になったとでも思ったらしいが、不機嫌にはなっておらず、単純に誰かが襲われたであろう実態に、思考を張り巡らせているだけである。
が、荷物を預けるには丁度良い。
モタモタしているとネギや木乃香も戻ってきてしまう。考えるよりも先に、身体は動いていた。
「明日菜!」
「ひ、ひゃい!?」
急に声を掛けられたことで、ピクリと身体を振るわせる明日菜。勢いそのままにガシッと両肩を掴むと。
「ちょっと今、やり残した仕事を思い出した! 一旦学園に戻るから、これちょっと預かっててくれ!」
「へ? え? ええっ、ちょっ、ちょっと!?」
ドサドサと一方的に荷物を預け、走り去ってしまう。
「つ、雄さん! ってやっぱり早っ!?」
あまりの速さに思わず目が点になる。今朝も見たが、やはり足の速さは異常なまでに速い。
両手に荷物を抱えている状態では上手く走れず、後を追おうにもぐんぐんと距離を離されてしまう。
案の定、人混みに紛れて姿が見えなくなった雄を完全に見失ってしまった。こうなった以上、下手に追ったところで追いつけない。諦めて雄の走り去った方向を見ていると、買い物を終えたネギと木乃香が戻ってきた。
「あれ? アスナー、お兄ちゃんの荷物持って何しとるん?」
「あ、アスナさん何してるんですか?」
「ネギ! 木乃香! ってちょっとネギ、何でアンタ顔を赤らめてるのよ?」
戻ってきたネギの顔がほのかに赤い。走ってきたからか、いや、それは考えにくい。朝登校する時は涼しい顔をして自分の足にも着いてくる脚力と、体力があるネギがこれくらいで暑がったりするわけがなかった。
だからこそネギに聞いたわけだが、当の本人は慌てたまま、手をバタバタとさせて誤魔化そうとする。
「はぅ!? こ、これには深い訳が!」
「って、そんなことどうでも良かった! 雄さん、仕事を思い出したとかで、預けてどこか行っちゃったのよ!」
「お兄ちゃんが?」
「と、とにかく後を追いかけましょ! 何か急に仕事を思い出したって感じじゃないようにも見えたし」
「わ、分かりました!」
三人は学園に戻ると言い残した雄を信じ、改めて学園への道を戻っていった。