「う……こ、ここは?」
身体に吹き付ける風が刹那の意識を覚醒させる。本来であれば日の当たる場所での居眠りは、至福の一時とも言える。が、今は到底そんな気分にはなれなかった。もぞもぞと身体を動かそうとするも、自由が利かない。先ほどのスタンガンによるダメージはもとより、幹に全身を縛られているせいで力を入れてもビクともしない。
それにどうやらただの縄ではなく、特別な術式を施されたもので、身体から自身の気が吸い取られてしまっていて力が入らない。死ぬことはなさそうだが、少なくとも現状戦えるような状況ではないことは事実。
極めつけは愛刀『夕凪』を襲われた際に落としてしまったこと。持っていれば何とかなったかもしれないが、今は何一つ刹那に抗う手段などなかった。
「ふふっ、起きましたか」
「っ! 誰だ!」
不意に掛けられた声に反応して、周囲をきょろきょろと見渡す。
自分をとらえた人間が近くにいるはず、何のために自分を捉えたのかは分からないが、せめて犯人の意図くらいは確認しなければならない。無差別に人を襲う愉快犯なのか、それとも自分や周辺の別の人間にターゲットがいて狙って襲ってきた確信犯なのか。
ただ、無差別に人を襲う愉快犯なのであればこんなまどろっこしい真似はしないだろうから、推測するに後者である可能性が高い。
やがて空間が歪んだかと思うと、中から一人の男が姿を現した。
「呪符使いか!」
「楽なものですね。捕縛する相手がこんな中学生とは」
中学生の刹那が持ち合わせている力は桁外れであり、学園内の魔法関係者だけで判断しても実力は上位に位置する。不意を付いたとはいえ、彼女の背後を取るのだからそこそこの実力者であることに変わりない。口元以外を隠す不気味な様相、開いた口元がニヤリと歪む。
呪文詠唱を行い攻撃する魔法使いとは違い、術式が施された札を用いて戦う陰陽道の一種。基本的に自らが前線に出ることは少なく、呪符にて召喚した式神、もしくは護衛でついている神鳴流剣士が戦い、後方にて強力な術式を唱えて戦うのが、基本的な戦闘スタイルになる。
「それでもいくら中学生だとしても、神鳴流の使い手とまともにやりあうのは分が悪いですからね。対策だけはさせて頂きました」
刹那は神鳴流の使い手であり、完全後衛タイプの式神使いからすれば正面からぶつかり合って戦うのは危険であり、無謀すぎる。相手は刹那が神鳴流剣士だと分かっていたからこそ、不意打ちで刹那を襲ったと考えるのが妥当か。
一般人が到底知る由もないはずの事実、刹那自身を神鳴流剣士だと知っている者。つまりこの相手は。
「関西呪術協会の手先が何をしに来た!」
刹那はついさっき耳にしたであろう単語をぶつけた。そう、自身を知っている人間が居るとすれば、かつて自身が属した関西呪術協会にいた人間のみとなる。
わざわざ関東の地に何をノコノコと出向いてきたのか、未だ相手の口からは意図が話されていない。身動きを出来ない状態ながらも、常に相手を威嚇し続ける。私に何かをしたところで、絶対に口は割らないと。
「何をしに来たと言われて、口を割る悪者がどこにいます? まぁ、身体も動かないようですし教えましょうか。魔法関係者たちの偵察と、貴方の無力化ですよ」
「な、何っ?」
「幸い、魔法関係者も全員が全員動けるわけではないみたいですし、木乃香お嬢様に所縁のある貴方さえ無力化しておけば、京都で木乃香お嬢様を攫うのも容易になると思いまして」
相手の口から次々と出てくる事実に、目を見開いたまま固まってしまう。自身が狙われるのは立場上仕方のないことだった。だが、最終的な目的は木乃香を攫うことだと伝えられ、動揺の色を隠せない。これでは京都に行けば必ず、木乃香を攫いに行きますと宣言しているようなもの。
その言葉に、嘘偽りの感情は一切込められていなかった。
「ほう、動揺してますね。貴方にとってそこまで大事な存在だったとは」
「くっ……」
仕事に私情は挟むな。
一般世間でも会社に勤めている社会人なんかはよく聞く言葉かもしれない。言葉通りで、仕事中には私的な感情や行動を表面に出すのはやめろとの意味合いになる。私的は感情や行動が、会社にとって不利益を被る可能性もある。
まさに今回の刹那の反応がそれに当たる。動揺をしたということは、彼女にとって大切な存在であると暴露しているようなもの。予想通り過ぎる反応に一層歪んだ笑みを浮かべる姿を見ると、相手が人の不幸や悲しみを楽しむ人間であることが分かった。
雄にも言われたはずだ、表情に感情を出しすぎていると。結局自分の反応で、相手が木乃香を誘拐する理由を一つ作ってしまった。いくら腕が立つといっても、まだ齢十五歳の少女。大切な人間の危機が迫っているというのに、冷静沈着を貫けというのは酷な話だが、現実はそうも言ってられない。
(夕凪さえあれば……!)
不意打ち気味とは言っても、完全に相手に出し抜かれてしまった。夕凪もない、気も上手く練れない。何も出来なければ、一端の十五歳の少女と何ら変わらない。もし何れかが出来れば、多少なりとも反抗が出来ただろう。何も対抗手段が打てない、無力な自分が情けなかった。
握り拳に力をこめ、悔しさをあらわにする。改めて全身に力を込めて縄を引きちぎろうとするも、純粋な身体能力では肉体に縄が食い込むだけで、痛みが増幅するばかり。かといって気も使えない現状をみると、誰かが助けに来るのをじっと待つしかなった。
何人も魔法関係者がいる麻帆良学園だ、いずれ誰かが気付いてくれる。そう淡い期待を抱いたのだが……。
「おっと、誰も助けに来ませんよ。ちゃんと人払いの呪符は貼らせて貰ってますので」
淡い期待は一瞬のうちに壊された。ただの愉快犯ではない以上、何の対策もせずに人を襲うハズがない。刹那が捉えられている林全体をすっぽりと覆うように、張り巡らされた人払いの呪符による結界。これでは一般人も近づけない上に、魔法関係者とはいえどもそう簡単に気付くことは出来ない。
しかも数は一枚ではなく、数枚単位と来たもの。あらゆる方向からの侵入を防げるように張り巡らされているところをみると、事前から準備をしていたのは明確。
用意周到な準備になす術もない。
苦渋に満ちた表情を浮かべる刹那に、一歩、また一歩と歩を進めていく。何一つ情報が分からないことで、得体のしれない恐怖が刹那を襲う。
「くくっ、その表情たまらないですね……!!」
ニヤニヤと気色の悪い口元を隠さないまま、懐から短刀を取り出すと、鞘から刀身を引き抜いた。
「な、何を」
「安心してください、貴方の体を傷つけるつもりはありません。最も今のところは、ですが」
「な……やっ!」
短刀を刹那の制服に当てると、切れ込みを入れてびりびりと切り刻んでいく。ブレザー、ワイシャツと、刹那の上半身を纏う衣服ははだかれ、白い素肌がむき出しになり、さらしだけを残す状態となった。涙目の状態ながらも、毅然とした表情のまま睨みつける。
どんなことがあろうと決して心は折れない。折られてなるものか。強い決意が込められた表情に、ますます相手は調子付き、頬に顔を近づけると舌で舐める。ゾクゾクとした嫌な感触が頬に伝わってきた。
「あぁ、本当にいい表情だ! 今すぐにでも貴方の表情を無茶苦茶にしたいほどに!」
「くっ……この下種がっ!!」
盛大に性癖のネジがぶっ飛んでる。一般世間からしたら完全なセクハラであり、刹那の嫌悪感はマックスに。思わず口から出る言葉が汚いものへと変化するも、そんなことはどうでも良かった。
もし身体の自由が利くのであれば、直ぐにでも殴り飛ばしてやりたい。こんな性根腐った奴にまんまとハメられるだなんて情けなくて仕方なかった。
「まだ自分の立場が分かっていないようですね。なら多少強引にでも……!」
懐をガサガサと探ったかと思うと、また別の呪符を取り出そうとする。掴む手に握られているのは、武装解除の呪符であり、使われればさらしはおろか、下に纏うスカート含めて全て剥がされてしまう。
自分が何をしようとしているのか、本気で分かっているのだろうか。敵に常識を問うのもおかしな話だが、このふざけた性癖は間違いなく常識を別ベクトルで逸していた。
「待て! やめろ!」
「やめろと言われてやめる人間がどこに居ますか。観念することですね!!」
刹那の制止を無視し、再び呪符を使って、今度は身ぐるみ全てを剥がそうとする。ここまで言いようにされて納得出来る訳がない。最後の抵抗と言わんばかりに相手の接近を見計らい、タイミングを合わせて右足を思い切り蹴り上げた。
「───っ!!??」
蹴り上げた右足は、相手の下腹部にジャストミート。ぐしゃりといった鈍い音を立てたかと思うと、後から来る強烈なまでの痛みに崩れ落ちた。言葉にならない悲鳴を上げながらうずくまる相手に、今度は蹴り上げた足を振り下ろす。
「舐めるな!」
振り下ろした先にはうずくまった相手の後頭部があり、見事直撃。気が練れない分威力は半減してしまっているが、非力な女性であっても踵が後頭部に直撃すれば激しい痛みが襲う。
思いも寄らない下と上からの連続攻撃に、痛みを堪えるが、やがて回復すると明らかに怒りの篭もった口調で刹那に詰め寄った。
「ひ、人の好意を無碍にしますか! なら仕方無いですね!!」
落とした呪符を拾いながら、呪文を呟こうとする。
その時だった。
「あがっ!!?」
何とも間抜けな声が聞こえたかと思うと、目の前から姿が消える。変わりに目の前に現れたのは、何者かの腕だった。吹っ飛ばされた相手は飛ばされた勢いそのままに、近くの木に盛大に激突。
刹那の攻撃と合わせれば正に三連コンボ。格闘ゲームさながらの、見事なコンビネーションへ繋がった。相手が刹那から離れたことを見届けると、現れた腕は彼女の身体を固く束縛している縄を解きに掛かる。
解くとは言っても正式な解き方はないだけに、左手を刃物のように見立てて縄に当てる。すると不思議なことに、何をしてもビクともしなかった縄が、いとも簡単に切断されたのだ。
束縛から解放されて自由の身になる刹那だが、まだスタンガンのダメージは残っていて、足腰に力が入らずに地面へと崩れ落ちる。
「おっと」
が、寸前のところで刹那の身体をキャッチし、優しく地面に座らせ、剥き出しになっていた上半身に自らのジャケットを羽織らせた。
「あぶね、ギリギリだったか」
「あ、あなたは……」
「遅れて悪かった。後は俺に任せてくれ」
上半身を隠しながら、現れた人物を見上げる。ぐるぐると腕を回しながら、刹那の前に守るように立つ。
現れた人物とは。
「白昼堂々、うちの生徒に何してくれてんだ」
三年A組副担任、風見雄だった。