「雄さん、お待たせしました。ちょっとお嬢様たちの目を盗んで出てくるのが難しくて……あの、どうかしました?」
「来たか。いや、何でもない。僅かばかりの休息を楽しんでいただけだ」
大河内と話してから待つこと十数分、ブレザーを脱いだ刹那がロビーへと到着した。ソファで座っている俺を見て、不思議そうに尋ねてくるが別段何もなかったことを伝える。
何、最近の女の子はよく分からないよなって話だ。
さて、そろそろ本題を伝えていこう。俺が居なかった間の状況も知りたいし、常にクラスに帯同していた刹那なら分かるはず。
立ち話も何だからと、立っている刹那をソファへと誘導し、向かい合うように対面に座らせた。
「さっさと今回の件も片付けば良いんだがな。関西の誰がやってきているか分からない以上は、迂闊に手出しも出来ないし。ところで、全員が酔いつぶれてしまった件だが……」
「ええ、間違いなく関西の手先によるものでしょう。今日起きた事象は全てそうかと思われます」
「やっぱそうか」
ここに関しては言わずもがなだろう。最初に起きた新幹線での事象は、あくまで様子見の意味合いで送り込んできたんだろうが、その後立て続けに起きた二件はどうか。
「清水寺の二件に関しては、一番最初の新幹線内での様子を見て起こされた可能性も高い。実際、調子づかれている部分はあると思うんだがどう思う?」
一件目の処理にそこそこ手間取っていることから、相手をつけあがらせている可能性もある。またこちら側の戦力を図る意味合いもあったのかもしれない。
「正直、あると思います。親書を呆気なく奪われた挙げ句、事態の収束に三人全員関わってしまったいますから」
戦うことが可能で、今回の件を把握している人間は全部で俺、刹那、ネギくんの三人。クラス内にそれとなく魔法に関係している生徒、もしくは実際の戦場を駆けめぐったこともある生徒が数人見受けられるが、あまりアテには出来ない。
つまりほぼ全員が新幹線内での一件の解決に関わってしまっていた。もしかしたらこちらの戦力を把握され、多くの戦力をかき集められるかもしれない。本来ならこっちの戦力はある程度内緒にしておきたかったが、バレてしまった以上どうしようもない。
ただし、幸いなことに三人揃って本気を見せていないため、相手も戦力を把握しきっているわけでは無いのは事実。実際、俺たちが知らないだけで、協力してくれる人間がいることも考えられる。ネギくんの側にいる明日菜なんかは典型的だ。
「私も雄さんもネギ先生も、本来の実力を出していないことが不幸中の幸いですね。あ、でも雄さんは前に一度……」
「あれくらいなら、見られたところでたかが知れてるよ。戦い方が分かっていると言っても、俺の動きに完全について来れるとは限らないだろ? ま、用心はするけど」
慢心を逆手に取られたら面倒だし、対策は常に考えていく。呪符使いの対応なら前回の件であらかた把握はしているし、問題なのはタイプが違う相手が出て来てしまった場合か。
先方の現有戦力が不鮮明な以上、勝手な判断や決め付けは禁物。常に最悪の可能性は想定するべきだろう。
「すみません、あの時は私が……あぅ」
「いいっつーの、んなこと気にしてないし、今は気にすることでもない」
話の途中で謝罪が入ると共に、見る見る内に表情が暗くなっていく。この真面目娘は未だに自分の失態を引きずっていた。気にするなと頭をポンポンと撫でると、恥ずかしそうに俯く。
「つ、雄さん。私もう子供じゃないんですから……」
「成人もしてないのにどの口が言う。まだ刹那は十分子供だよ」
「う……」
何も言い返せずに押し黙る刹那。年齢的には俺よりも若いし、何より花の十代。俺から見れば年齢的には子供だ。俺もやっていることは子供っぽいが、年齢だけは刹那や他の生徒たちよりも上だ、年齢だけはな。
まぁ、本音を言うと今回の仕事に過去のことを引きずられても困るし、リセットして貰わないといけない。一旦話はこれくらいにして、風呂にでも入れば少しくらい肩の荷は下りるだろう。今なら部屋で休んでいる生徒も多いだろうし、そこまで混んでいないはず。
「とりあえず一旦風呂にでも入ってきたらどうだ? 俺も早目に済ませておこうとは思っているし、後々入ろうにも何かあったら遅くなるだろうから」
どうせ教師陣は早目に済ましてくれと言われるのが目に見えているし、夜以降はおちおち風呂に入っている余裕もない。そう考えると、俺もさっさと済ませておいた方がいいかもしれない。
「そうですね、そうさせてもらいます」
「ん、後でこの旅館中に式神返しの札でも貼って最低限の対策は立てよう。向こうが攻めてくると分かっているなら、対策は立てやすい」
「分かりました。夕食後の自由時間でも大丈夫ですか?」
「了解。時間は空けとくからまたロビーで。他の教師に見つからないように頼む」
小さくこくりと頷くと、足早に去っていく。思った以上に短い話し合いだったが、仕事の話だけをするのが俺の役目ではない。彼女のメンタルケアもするのも、一教師として、年上として大切なことだ。相も変わらず過去の失敗を抱えていたが、いつかは消える。今のうちは好きなだけ悩めばいいと思いつつも、抱え込みすぎないようにフォローしなければならない。
思いのほかにこのポジションは大変で、かつやりがいのあるところだと嬉しく思った。とんとん拍子でのスピード採用だったが、教師という仕事からつまらなかった人生に一筋の光が差し込んでいる。得体のしれない敵からターゲットを守るなど、つらいことこの上ない仕事だというのに、それをどこか楽しんでいる自分がいた。
「風見先生も早目にお風呂は済まして下さいねー」
「はーい、分かりましたー」
ロビーを横切るしずなさんから声を掛けられ、やっぱり言われたかと淡々と返す。
まさかの浴衣姿で登場してくれたが、そのスタイルの迫力は如何に。世の男たちを軽く悩殺するダイナマイトボディに、胸元の空いた浴衣。胸元がきつくて最後まで締められないんだろうが、いざ実態を目にすると凄まじいものがある。
目の保養なんてよく言われるものの、この場合はむしろ逆で目に毒だ。もちろん良い意味で。
別れ際に軽く会釈をし、ソファから立ち上がると、自室に向かって歩き始めた。俺の部屋は、ネギくんの前の部屋になる。角部屋のため、その先に部屋はない。挟まれているわけでもないから、騒音被害に遭う可能性は低い。
また男性教師陣の部屋は端にまとまっている故に、下手に騒ぐことも出来ない……はずなんだが、いやな予感がする。今日は良い、主に明日にだ。
一抹の不安を覚えつつも部屋に到着し、中で着替えを物色する。備え付けの浴衣もあるが、部屋着の着用も許可されていた。旅館の浴衣を着るのは身の丈上合わないことも多く、スウェットなどの部屋着で過ごすことも多いが、今は普通の私服を着た方が良さそうだ。
折角木乃香も選んでくれたことだし、これを脱衣所に持って行こう。
着替えを持って、改めて浴場へと向かった。
「……何の音だ?」
男性専用の脱衣所に入った途端、露天風呂の方から聞こえてくる轟音。
何かと何かがぶつかう衝撃音の他にも床を走る音に、水しぶきがたつような音など、露天風呂にあるものを使ってオーケストラでも奏でているのかというくらいの音が響いてくる。はしゃいでいる子供でもいるのだろうか、家の風呂とは違って広いし、洗い場も広いから騒ぐ気持ちは分からんでもないが……。
他に入る人もいるんだから、最低限の節度は守ってほしいところ。体洗っている時に後ろから突っ込まれたりしたら目も当てられない。衣類を脱ぎ捨て、籠の中に畳んでしまうと、タオルを腰に巻いて洗い場へと続く扉をカラカラと開く。
すると開くと同時に飛び込んできたのは、銭湯特有の湯気だった。
「うわ、すげえな」
洗い場の近くにある露天風呂の周囲は綺麗な石で囲まれていて、如何にもザ・温泉を連想させるものだった。特に湯船に沈んでいる大きな岩なんか、天然温泉そのもの……。
「ん?」
そんなわけない。
何で岩が温泉内に転がっているのか。いくら天然温泉とはいっても、危険防止のために露天風呂の中にある岩の撤去や整備くらいは行っているだろうし、態々岩を転がしていく理由がない。岩が転がっている近くをよく見ると、元々岩があった場所が見るも無残に切り取られている。
石カッターを使った荒い削り面ではなく、何の抵抗もなく切り取られたような痕跡が残っていた。
「何者だ。答えねば捻り潰すぞ?」
聞きなれた声が浴場内に響く。
声が聞こえる方向をみると、見慣れた姿が二つ。一糸まとわぬまま全力で殺気を込める姿の刹那と、あまりのド迫力に身体全体を震わせて怖がるネギくんの姿だった。
端から見るといたいけな少年を襲う、年上の図にしか見えないわけだが、問題なのはそこではなく何で男性専用の湯船に女性である刹那がいるのか。そもそもの問題はそこにある。刹那はショタコンだったのかと一瞬変な妄想が脳裏をよぎるも、まずありえない可能性に直ぐに頭の中から消失した。
「ってアレ、え? ね、ネギ先生?」
凄んだ刹那も相手の姿を確認し、我に返ったかのようにその名前を呼ぶ。片手が湯船に隠れるネギくんの下腹部辺りにあるのは、どこぞのナニを掴んでいるからなんだろう。いくら華奢で小柄な刹那とはいえ、男性にとって大事な部分を握られながら『潰すぞ』だなんてすごまれたら戦慄すること間違いない。
ある程度成長した大人であっても怖がるのだから、相手が十歳の子供相手なら泣き出さないだけいい方だ。変にネギくんがトラウマを持たないことを願うばかり。
ところで俺は出て行って良いんだろうか。刹那は完全なすっぽんぽんの状態だし、成人した俺が行くのは不味い気がするが、事態の収束のたえにも出て行ったほうがよさそうだ。
視線を刹那から外し、二人の元へと歩み寄る。
「す、すいませんネギ先生! あっ……」
素早くネギくんから距離を取ると、左手をみながら刹那は顔を赤らめる。改めて自身の知っている人間、ましてや担任のナニを握ってしまったのだ。今頃全力で羞恥心に駆られているはず。
「いえ、あの! これは、その……し、仕事上急所を狙うのはセオリーで……ご、ごめんなさい先生!」
左手を慌てて湯船に隠した。もはや言葉がまとまっていないし、ネギくんはおびえて言葉を発せる状態じゃないし、このままでは話が進まない。かなり接近しているというのに二人揃って俺の存在に気付いていなかった。近くに落ちている大きめのバスタオルを拾い、横から刹那の裸を見ないように羽織らせた。
「おいおい、ネギ先生相手に何してんの刹那」
「ふぇ、あ、雄さん!?」
不意にバスタオルを羽織らされたことと、俺が現れたことに驚きつつも受け取ったバスタオルで身体を隠していく。
刹那の身体を正面からは断じて見ていない。それは誓っていい。
「はいはい、雄さんですよー。一旦刹那はこのタオルで身体を隠して……で、ネギ先生は一旦こっち側の世界に戻って来ようか」
ひらひらと手を振ると視界に俺が現れたことで多少の落ち着きを取り戻すと、ネギくんの肩に乗っていたオコジョがオラつきながら声を荒げた。
「や、やいてめぇ桜咲刹那、風見雄! やっぱり関西呪術協会のスパイだったんだな!?」
「なっ!? ち、違う! 誤解だ! 違うんです先生!」
「何が違うもんか! ネタは上がっているんだ。とっとと白状しろい!」
ふしゃーっと威嚇をするオコジョに誤解だと伝える刹那。やっぱりただのペットではなくてオコジョ妖精だったかと、ようやく点が線になった。つまり木乃香から魔力が漏れ始めたのは、このオコジョが原因だったわけだ。
「おーおー喋るオコジョとは珍しいな」
「うおっ!? なにしやがる!」
「まーまー落ち着けよ」
ネギくんの肩に乗るオコジョをつまみ上げて、じっと近くで見つめる。オスだとは思うが、ジタバタと抵抗する容姿が可愛い。
「とりあえず、俺も刹那も敵じゃない。一応今回の任を学園長から任されている協力者だ」
横では刹那が夕凪を納刀しながらコクリと頷く。
「……へ? あ、あの風見先生。つまりはどういう……」
まさかの告白に目を点にしながらあっけにとられるネギくんとオコジョ。
とりあえず敵ではないことは伝わったが、現状がよく把握出来ていないみたいだし、しっかりと説明する必要がありそうだ。
「俺はネギ先生のメインサポートを任されていてね。
「わ、私はこのかお嬢様の……「ひゃぁぁああああああ!!?」っ!?」
途中まで言い掛けたところで、脱衣所から木乃香の悲鳴が響くのだった。