「それでは今日はここまでです。皆さん気をつけて帰って下さいね!」
「「ありがとうございましたー!」」
(ん、終わったのか?)
気が付けば赴任初日の授業を全て終え、放課後を迎えようとしていた。
赴任初日と言うこともあり、担当したクラスが三年A組だけだった雄にとって、教師としての仕事を全うしたというには程遠い内容だった。一日の最後に行われるホームルームへと突入し、たった今それも終わった。
思いの外淡々と一日を終えたことに物足りなさを覚えつつも、すぐにまだ初日だからと切り替える。
生徒たちが帰る準備を進めていく中、一番後ろのイスに座っている雄は、自身の手にある名簿の中に、今日一日で気付いたこと、思ったことを手早く書き込んでいく。一日の生徒たちの動きを見て、何となく個性が分かった人間と、まだ分かり切っていない人間と分かれる。
比較的声をかけに来てくれた生徒の名前と顔は一致するようになったが、まだ知らない顔も多々ある。早めに覚えようと意気込む雄だが、何かに気付いたかと思うと不意に声を出して生徒たちを呼び止める。
「あー、皆終わったところ申し訳ない。今日やった歴史の小テストなんだが、何人か赤点に引っかかった生徒がいる。再試組にだけ先に答案用紙を渡しておくから、今日勉強して、今度の追試に備えて欲しい」
一日の流れが早すぎて、すっかり伝えることを忘れていた。
今日は一発目の授業ということで、生徒たちの学力レベルを測るために小テストを実施。赤点だった場合は、別日に追試を実施するとアナウンスをしたが、内容に関しては記述問題を抜いた簡単なものだったため、そう悪い点にはならないだろうと見込んでいた雄。
が、クラスの数人は目も当てられない点数であり、流石に見逃すわけにも行かず、帰りのホームルームで赤点者のみ、追試があることを伝えようとしていた。手元には追試者の答案用紙が握られており、それを見た該当者の中から『うげっ』といった声が聞こえてくる。
「じゃあ渡していくぞー」
答案用紙を持ったまま、各机を回っていく。解答用紙と睨めっこをしながら固まる者、きっと夢だと現実逃避をする者、机に伏せながら折角の放課後が……と崩れる者。
勉強をしていない自業自得なのだが、年頃の女の子の悲しそうな顔を見ると、雄も申し訳ない気持ちになってしまう。机を回りながら順番に答案用紙を返し、最後の一枚を返そうと、該当者の人物に近付く。
「えーっと……神楽坂。全問埋めた努力は認めるが、流石に火星人が漢字を伝えたらマズいだろう?」
「うぐっ……すみません」
明日菜の解答に思わず苦笑いをこぼしながら答案用紙を返した。内容が内容なだけにクラスからはどっと笑い声が起き、本人は恥ずかしそうに顔を赤らめて顔を逸らす。
「うぅ、まさかこのタイミングで小テストがあるなんて」
「ま、今回のテストはあまり気にするな。しっかりと復習して、次一発で受かるように」
「はーい……」
点数が余りにもショックだったのか、意気消沈しながら答案用紙をカバンへとしまう。兎にも角にもこれで全員配り終えたことだ。生徒たちは全員教室で待機している状態だし、一旦お開きにしよう。
手を二度三度軽く叩き、全体に各自自由に行動して良いことを伝えると、徐々に教室から生徒たちが出て行く。
「先生さようならー!」
「センセ、また明日なー!」
「おーう、気をつけて帰れよー!」
教室から出て行く生徒たちの挨拶に、答えていく雄。生徒で溢れかえっていた教室は、数分と経たない間に、ほとんどの生徒たちが居なくなった。
残るのは担任のネギと、二名の生徒だけ。荷物を纏め終わると、ネギの元へと向かう。
「あ、風見先生、お疲れさまです。今日一日過ごしてみてどうでしたか?」
「んー、やっぱり人を教えるって難しいなと。それにしても流石ですね、その年齢でこれだけしっかり教えられるなんて」
「いえいえ。僕も最初からちゃんと出来た訳では無いですから、風見先生もすぐに出来るようになると思いますよ!」
「ははっ、そう言って貰えるとありがたい限りです」
とりあえず初日を乗り越えられたことに安堵の息を漏らす。初日から全く出来ませんでした、ではお話にならない。仕事を与えられた以上、しっかりとこなすことが出来てこそ。半ば無理矢理とはいえ流石に学園長の顔に泥を塗るわけには行かない。
今日の振り返りと言う形で二人で話していると、ふと残っている生徒の一人が声を掛けてきた。
「ネギくんちょっとええか?」
「あっ、木乃香さん。どうしたんですか?」
ネギに声を掛けたのは木乃香だった。ネギに声を掛けたにも関わらず、視線が雄の方へと向いている。彼女の視線に、雄も気付いていて、腕を組ながら事の顛末を見守る。少なからず、彼も木乃香に対して興味を抱いている。
ただそれはあくまで好意という形ではなく、単純に昔会ったことがあるかもしれないからという部分と、学園長である近右衛門の実の孫であるからという部分から来る興味によるものである。
当然木乃香が美少女であるのは揺るぎ無い事実であり、それは雄も分かっていることだが、いくら可愛い、綺麗だとはいってもそれだけで惚れてしまうことは少ない。
内面を悟られないように、平静を保ちつつ二人の会話を聞く。
「うん、ちょっとな。この後って、風見先生と何か予定あったりするん?」
「この後ですか? いえ、特には。風見先生は今日が初日なので、敷地内を見てもらおうと思ってたんですが」
「ホンマに? それならウチが風見先生を案内してもええかな?」
「はい、構いませんよ。実は敷地内に詳しい人が一人付き添ってくれればと思っていたところで……風見先生もそれで大丈夫ですか」
トントン拍子で話が進んでいくものの、ネギと木乃香の話に一切介入しない雄だったが、話の顛末を確認したところでフッと笑う。
「えぇ、正直この広大な土地を一人で出歩くのは気が滅入ると思っていたので」
「そうでしたか。では木乃香さん、お任せしますね」
「はいな♪ アスナ、ごめんな。ウチちょっと帰るの遅くなるわ」
「大丈夫よ。私もちょうど部室に顔だそうと思っていた所だし、ゆっくりと風見先生を案内してあげなさい」
「ありがとな。じゃあ風見センセ、行こか?」
「了解」
ネギと明日菜を残し、雄と木乃香は教室を後にした。何気なく教室を出て行く二人だが、部屋を出たときに雄は何かに気が付く。
立ち止まり、キョロキョロと見渡す。周囲には壁という壁も無ければ、隠れ場所も多く点在する訳ではない。ただの一般人なら隠れていたところですぐに分かるが気のせいか。
「センセどうしたん?」
「あぁ、いや。何でもない」
「?」
雄の行動に疑念を持つ木乃香だが、それもほんの一瞬。雄も必要以上の詮索を辞め、校舎を後にする。
「……」
そんな二人を物陰からのぞく人間が一人。気付かれそうになった時はひやりとしたが、どうやら上手く監視の目をかいくぐることが出来たようで、ほっと胸をなで下ろす。
本人としては気付かれように立ち回ったようだが……。
(敵じゃないみたいだが、少し監視しておくか。取り返しが付かなくなってからじゃ遅いし)
雄にはしっかりと気付かれていた。
もし彼一人での行動であれば、多少強引になったとしても取り押さえに行くことは出来たはず。しかし今回は近くに木乃香がいる、隣に人がいる状態で無茶をして事態が悪化したら元も子もない。
部屋を出たときに感じた気の流れは、強い敵意や殺意ではなく、あくまで雄の存在に対して、警戒しているもので、自身が余程の失態をしなければ危険性は低いものだった。
なら自分が変に身構えても仕方ない、逆に木乃香に気付かれては本末転倒。変に心配を掛けることにもなる。
「どこか行きたいところってあります?」
「ん、特に無いし近衛に任せるよ」
「んー、了解やー♪」
何年も生きている雄にとって、年頃の女性と共に行為は新鮮そのものだった。ましてや自分が学生時代の知り合いの孫と行動を共にしていると考えると、まるで想像が付かない。
「……」
それにしても、あの学園長からどうすればこんな可愛い孫が生まれるのかと首を捻る。パタパタと歩く木乃香の姿は、年齢不相応に幼く見えるが、彼女の見た目は間違いなく大和撫子、一線級の容姿を持ち合わせている。
学園長が自身を持ってお勧めするのもよく分かると勝手に頷いてしまった。
(案外悪くないかも。これはこれで中々)
美少女に先導されるのも悪くはない。パタパタと駆ける木乃香の後を追う姿は、どこか年の近い兄妹を連想させるようだった。