「アスナさんアスナさんー、聞こえますかー?」
周囲を照らす光は街灯のみ。
暗く、不気味に周囲の木々が揺れる中、十歳の少年がオコジョと佇む様子は何とも不釣り合いに映ることだろう。街灯の下に立つネギとカモを街灯が照らし、二つの影が地面へと映し出された。
渡月橋にて
いつまで経っても返答がないことに対し、カモへと確認する。
「あ、あれ? か、カモくんこれってアスナさんからの声は聞こえないの?」
「ま、まぁな」
従来互いの会話が出来ないわけでは無く、パートナー同士の通話用に用いられるツールにはなるのだが、あくまで互いに仮契約カードを持っている状態でなりたつものであり、ネギはまだ明日菜にコピーを渡していない。故にネギから明日菜への一方通行になってしまっていた。カモもネギの質問に対して、バツが悪そうに歯切れの悪い返事をする。
刹那、ネギの携帯が鳴り響いた。着信相手は明日菜からだ。
「もしもし、アスナさんどうしたんですか?」
こんな時間に一体何があったのかと、電話先のアスナへと尋ねる。声を返したネギの耳に聞こえてくるのは、小刻みに聞こえる足音と、微かな吐息。足音のペースの速さから走っているのだろうか、それも一人ではなく複数の足音が聞こえてきた。一瞬強風が受話器に当たったような音が響いたかと思うと、電話先から声が焦りに満ちた明日菜の声が聞こえてきた。
「ネギごめん! このかが攫われちゃった!」
「えぇ!! 誘拐された!?」
「何だって!?」
木乃香が誘拐された事実を聞き、ネギとカモは驚きを隠せない。一体どういうことなのかと続きを伺おうとするネギだが、電波状況が良くないのかどうにも声が聞き取りづらい。
「ちょっと……え? あ、ネギ! 今、雄さんに代わるから!」
「は、はい! 分かりました」
雄に電話を代わるという一言を受け、自然と背筋に力が入る。
今までは年齢は上でも教師としての立場から、普通に接することが出来たが、刹那の口から学園長からも信頼されていると聞いてからは、すごい人だったと分かり、話すことですら緊張するようになった。
「ネギ先生、聞こえるか?」
「はい、よく聞こえます!」
「そうか、今先生はどちらに?」
「今はちょうど渡月橋辺りに、カモくんと一緒に居ます!」
雄に言われるがまま現在地を電話先の雄に伝えると、少しの静寂の後、返事が戻ってくる。
「丁度ネギ先生がいる方角に、敵が向かっている。おそらく木乃香も一緒のはずだ! 厳しいとは思うが何とか足止めをして欲しい! 俺たちも直ぐに向かう!」
雄からの依頼は自分たちのいる場所に来るであろう敵を足止めして欲しいとのこと。どんな敵なのかは雄たちも姿を見たわけではなく、誰も分からない状況。そうは言っても敵が来ることが分かっているのなら、待ち構えるしかない。
臨時用の可愛らしい杖を取り出し、来る敵に備えようとした時だった。
「あ、兄貴アレ!!」
カモが指示する方角、春の夜空に大きく浮かぶ月に、黒い影が映った。初めの内は小さく、月の中に収まっていた影は、徐々に巨大化してをすっぽりと覆い尽くしてしまう。
否、覆い尽くしたのではない。みるみる内にネギの元へと近寄ってきていた。徐々に大きく、はっきりとしてくる影の輪郭。目を凝らして見ていると、人型と思っていた影は、二メートル近い巨大なサルだったことが分かる。
「さ、サル!? 何でこんなところに!」
「で、でっけぇ!」
熊の姿を見た時は驚きを隠せなかったものの、冷静に考えて普通のサルが高々と跳躍するハズもなく、こんな可愛らしいファンシーなサルが居たら大変だ。
すぐに着ぐるみだと分かるネギだが、サルが抱えているものを見て驚愕した。
「こ、このかさん!」
「何っ!?」
「あーら、可愛い魔法使いさん。さっきはどうもおおきに。無事にこのかお嬢様は頂きましたえ」
「ってあ! さっきの従業員の人!?」
先ほど旅館の外へ見回りに行く際に入り口で台車にぶつかってしまったネギだが、目の前にサルのぬいぐるみを被っている人物は何を隠そう、ぶつかった時の従業員だったのだ。
ニヤリと不敵な笑みを浮かべると、そのまま立ち去ろうと地面を蹴る。本来だったら異形の対象として恐怖感を覚えるはずが、着ぐるみという何とも可愛らしい様相に、どうにも敵だという認識が薄れてしまう。だが実態は木乃香を攫おうとしている関西呪術協会の手先である。
一切の手加減は不要。動きを止めるべく着ぐるみの進行方向に対して、練習用の杖を向けて呪文詠唱を始めようとした。
「待ちなさい! ラス・テル、マス・キル、マギ……もがっ!?」
矢先に大量の猿の式神が、ネギに覆いかぶさっていく。一匹だけならまだしも、複数ともなれば対応が出来ない。体中を至る場所に猿が張り巡らし、ネギは身動きが取れなくなってしまう。
近くにいるカモも追い払おうと一匹ずつ式神を攻撃していくも、数が多い。低級式神に悪戦苦闘していると、後ろから刹那や、雄、アスナが走ってきた。
「あぶぶ! に、逃げられました!」
「ちぃ、一足遅かったか! 追うぞ!」
ネギに引っ付いた猿を引き剥がして、逃げた先へと駆け出す一行。
しばし駆けているとようやくその後ろ姿を捉えた。
「あっ、居た! 待てーっ!!」
「ちっ、しつこい人は嫌われますえ」
忌々しげな表情をしながら、先に見える駅の中へと逃げ込もうとする。終電間際の時間帯ではあるが、駅周辺には人っ子一人見あたらない。後を追うように一行も駅へと入っていった。
多少繁華街から離れているとはいえ、人の気配が無い駅はあり得ない。管理している駅員まで居ないところを見ると、行き当たりばったりの誘拐ではなく、事前に綿密な計画を立てていたことが伺える。
「ちょっ、ちょっとおかしいわよ。終電間際にしても誰も居ないだなんて」
「人払いの呪符です! 普通の人では近付けません!」
駅構内の柱や壁に張り巡らされる札が散見された。
逃げ込むことを想定してあらかじめ準備をしていたんだろうが、ここまで大掛かりな準備を一人でやったのだろうか。追跡する中、雄は他にも当事者以外にも協力者が居るのではないかと、考えていた。
正面突破の誘拐は決して不可能なことではない。だが実行するのであれば、あらゆる可能性を想定し、作戦を練る必要がある。そしてそれを成功させるのに、果たして一人だけで実行できるのかと。
もしこの作戦に複数名が関わっているとすると、木乃香を取り返すのに相当手間が掛かることが考えられる。
改札を飛び越えると、既にデカ猿は正面に停車している電車に乗り込んでおり、発車を合図する音楽が鳴り始めていた。
「げっ、このっ!」
「雄さん!」
このままでは乗る前に逃してしまうと悟った雄は、着地と同時に強く地を蹴り、刹那と明日菜のど真ん中を駆け抜ける。風のように地を駆け抜けると、閉まろうとする自動ドアに両手を引っかけ、力任せに開いた。
術式が組まれているのか、通常電車の自動ドアは人が挟まると車掌が操作して開くようになっているが、今回は違う。そもそも車掌が操作しているのかどうかも怪しい。追跡を振り払おうと、ドアは閉まろうとする動作を続け、ミシミシと断続的に力が込められている音が聞こえる。
「っ! 早く!」
ドアを開いているのにも限界がある。両手でドアを開きながら顔だけを振り向かせ、背後にいる三人に声を掛けた。腕が小刻みに震えているところを見ると、相当な力が腕に掛かっているように見える。
転がり込むように乗り込むと同時に、手を離すと勢い良くドアが閉まった。
「間に合った! 前の車両に追いつめますよ!」
電車に乗り込むことに成功した一同は、刹那の言葉を合図に、先の車両へと逃げていく敵を追いかけていく。所詮電車は密室空間、先に逃げたところで行き止まりだ。
ブレーキをかけない限り電車は止まらないし、高速で動く電車から飛び降りようとするのなら、相応のリスクを負わなければならない。人質である木乃香を抱えている状態で、ギャンブルに走るとは思えない。
次の駅に着くまでに何とか、捉えようと前の車両へと追い詰めて行く。
「お札さんお札さん。ウチを逃がしておくれやす」
車両の前方まで追い詰めたところで、相手は一枚の札を取り出し、こちらに向かって投げつけた。投げつけられた札が発光したかと思うと、一気に大量の水が溢れ出す。
「わーっ!!?」
大量の水はみるみるうちに車両を水没させていく。あっという間に車両全体を埋め尽くした水は、ネギたちの行動を制限する。
呪文詠唱をしようにも口を開く度に水分が口の中に進入してくるせいで、まともに喋ることが出来ず。ドアを力任せに破壊しようにも、水中では力を込められずに前に進むのが精一杯。
このままでは数分と保たずして全員窒息してしまう。
「ほほっ、車内で全員死なへんようにな~」
車両間を繋ぐドアの扉から、中の様子を伺いながら笑みを浮かべるデカザル。相手がどうなろうが、木乃香さえこちらの手に渡ればそれでよしと考えているようだ。
自らの野望のためには、手段を選ばない。野望が叶えば、相手の命など知ったことではない。淡々と陽気な京都弁を連ねるところを見ると、頭のネジが何本か盛大に抜けているように見える。
中で追いかけて来た愚か者どもが苦しむ様子をもう少し見てやろうか、前の車両に逃げ込むのを止めて再び小窓を覗き込んだ時だった。
「っ!!?」
不意に背筋を襲う悪寒。
立場的に自分自身が優位なのは変わらないハズだというのに、どうして相手に対して恐怖感を覚えるというのか。瞳の先に映る、相手を震え上がらせるような殺気を込めた視線。
水没する車内でじたばたともがく中、たった一人は何事もないかのように片目だけを開けながら、彼女の視線を射抜く。
(な、何や!? あ、あの男は一体……まさか、
以前、麻帆良学園に偵察に行った弟が、コテンパンにやられて帰ってきたことがある。西洋魔術師だからといって油断するからだと伝えたが、当の本人はボロボロになりながら口を真一文字に結んでそれは違うと否定した。
情報として入ってこなかったとんでもない使い手がいるするから、修学旅行中は注意した方が良いと伝えられたことを思い出す。それがあの男だというのか、もし仮に千景の言う男だったとしたら、木乃香をさらう上で大きな障害になる。
千景は何らかの対策をしてくれたのかと悪態をついた瞬間、目の前のドアがトラックがぶつかったかのように吹き飛ばされた。
「あーれー!」
隣の車両から流れてくる水に流される。それとほぼ時を同じくして、駅に到着した電車は自動ドアが開くと同時に貯まった水が、ダムの決壊のように勢い良く流れ出した。
水の力に流されるだけのネギと明日菜、雄と刹那は体勢を整えて、びしょ濡れになりながらもホームに着地した。
「あーあーびしょ濡れだよ……折角木乃香に選んでもらったのに。よくもやってくれたな、このデカザル女」
雄は濡れて体中に引っ付く服を、鬱陶しそうに絞る。加えて木乃香が選んでくれた私服を何の理由もなくびしょ濡れにされて、多少の苛立ちを覚えているようにも見えた。
「ふん、嫌がらせは諦めて、大人しくお嬢様を返すがいい」
「はぁはぁ、中々やりますな。しかしこのかお嬢様は返しまへんえ」
再び木乃香を抱え上げて、駅から逃げ去ろうとする。
関西呪術協会との鬼ごっこは、まだ終わらない。