「ぐっ……てめっ、俺の身体に何を……!?」
「アンタ、ホンマに甘いなぁ。せやから足下を救われるんやで?」
ニヤニヤと笑みをこぼす千景の前で、突然雄は膝をついて場に崩れた。千景は雄の身体には触れていない、あるとすれば崩れる前、何かしら呪文のようなものを呟いたことくらいか。
とはいえ、目に見える動作に何も対応しない程、雄が油断しているとも考えづらい。ただ現実は胸元を抑えながら、深い呼吸を繰り返す。
(神経毒でも盛られたみたいだ……一体いつ?)
身体が思うように動かない、動かそうと試みるも痺れてしまい全く言うことを利いてくれない。まるで操作も分からないゲームをやらされているみたいだった。
なまじ身体が上手く動かないあたり、ゲームよりもたちが悪い。麻痺により呼吸機能も低下し、通常よりも多くの酸素を身体が欲していた。死ぬまでは至らないみたいだが、これでは戦うことなど到底不可能。仮に戦ったとしたら赤子の手をひねるようなもので、相手にならないのは明白。
退いたら木乃香の誘拐をみすみす許すことになる。
「分からんやろ。そらそうや、何の疑いも無く飲んでくれたからな」
「飲んだ……だと?」
何を飲んだと言うのか、千景の言っている意味がよく分からない。恐らく毒のことを刺しているらしいが、見知らぬ第三者から手渡された飲み物を飲んだ覚えはない。そもそも知らない人間から渡された飲み物を、何の疑いもなく飲むメリットがどこにあるのか。
これだけ関西呪術協会の妨害が激しくなっている中で、知らない人間を信用するほど、雄は落ちぶれていない。今日一日で飲み物を口にした回数は数回。その中に全く知らない第三者から何の疑いも無く、飲み物を貰ったことなどあっただろうか。
ありうる可能性を脳内の記憶から探っていく。考える雄の耳に、千景から衝撃的な一言が発せられた。
「流石に気ぃ付かへんやろ。自分の身近にいる人間から手渡された飲み物に、術式が施されているやなんて」
「お前……まさかっ!」
そこまで言われて気付く。今日飲んだ物の中で、唯一何の警戒も無しに飲んだ物があることに。その事実が受け入れがたいと言いたげな表情を浮かべ、杞憂であって欲しかった事象の現実に、どこか絶望した。
一番最初に訪れた清水寺での出来事だ。クラスの生徒たちと様々な名所を回り、清水の舞台に立ち寄った時に、雄は木乃香からコーヒーの差し入れを貰う。
最初はわざわざ自分のために買ってきてくれたのかと思うも、自分の飲み物を買った時に、偶々サービスでつけて貰ったと言った。このご時世、いくら容姿が優れているとはいえ、サービスで飲み物を渡すようなことは早々ない。タダで貰った時点で多少なりとも何か裏があると疑って掛かるべきだった。
渡されたコーヒーに通常の毒物は入っておらず、液体に特殊な術式を組む。当然何も入っていないのだから、無味無臭。自身が信頼している人から手渡された飲み物であれば、抵抗もなく飲むだろう。
飲んだところで何かが起こるわけではない。だが、術式はコーヒーを介して、雄の体内に進入。体内に張り巡らされた術式を発動させれば、相手を強制的に拘束出来る。内からの術式は効果も高く、相手を無効化するにはうってつけの方法になる。
「……」
歯を食いしばりながら、雄は千景を睨みつけた。
相手の罠にはまったのは完全に自分の認識の甘さからくるものであって、そこに対して別段思うところは無い。しかし今回、木乃香が渡したコーヒーを飲んで、このような事態を巻き起こしている。
罪悪感が全く無いとはいえ、雄に罠が仕掛けられたコーヒーを飲ませてしまったのは木乃香であり、もし木乃香がコーヒーを渡していなければ、雄が相手の術中にハマることは無かった。それに知らなかったとしても、得体の知れない飲み物を雄に飲ませてしまった事実は変わらない。
目標を排除するためなら、関係のない第三者を利用しようとする卑劣さ、腐った根性に猛烈に腹が立った。
「ま、どちらにしてもこれでアンタは動けん。麻帆良学園で一方的にやられた借り、返させてもらうで」
「……」
千景の何気ない一言で、雄の中で何かが切れた。
声を荒げるわけでも、暴れまくるわけでもない。周囲は戦いの音で騒がしいというのに、二人の空間だけは何事もなかったような異常なまでの静けさ。その雰囲気を、近寄ろうとした千景が悟る。
嵐の前の静けさなのか。目の前には無力化された雄が居るだけで、油断さえしなければまずやられることはない。
(なんや? この妙な感じは)
雄を倒すためだけに木乃香を利用し、ここまで追いつめた。彼にとって木乃香の奪還はおまけに過ぎず、今回の全てを雄を倒すことだけに捧げてきた。後は憎き相手に手を下すだけ……しかし、進もうとすると足だけが言うことを利かず、場に止まってしまう。
無力な相手を恐れている、そんなバカな話があるかと自身に言い聞かせるように、足を踏み出した。
「ふふ。今の内にこのかお嬢様を連れて……」
天ヶ崎千草は、階段下で戦う様子を伺いながら逃げるタイミングを図っていた。
既に麻帆良学園側の戦力はほぼ全員手が塞がっている状態で、彼女を相手にする者はいない。近接戦を得意とする相手が居なければ怖いものはない上に、今の内に逃げてしまえば、無事に木乃香の身柄が手に入る。
だが千草は立ちはだかる障害の多さに、もう一人の存在を完全に忘れていた。
「魔法の射手、戒めの風矢!!」
「あぁっ、し、しもた! ガキを忘れとったー!?」
杖をかざし、千草の居る方向に向けて光の矢が一斉に向かっていく。呪文詠唱に時間は掛かるが、その効果は絶大。ネギの存在を失念していた千草は慌てて呪符を使おうとするが、今から展開したのでは間に合わない。
「ひいー! お助けー!」
身を守るための反射行動で、とっさに抱えていた木乃香を自らの前に置き、盾にしようとした。このままでは無関係の木乃香に矢が直撃してしまう。
「あ……ま、まがれ!!」
千草の想定外の行動に、ネギは慌てて矢を別方向へと誘導。間一髪のタイミングで矢が明後日の方向へと逸れていく。攻撃が逸れたことを薄目を開けながら恐る恐る確認する千草と、盾にされた木乃香はその場にしゃがみ込んだ。
流石に木乃香を盾にされてはネギも迂闊に攻撃をすることが出来なかった。無防備な相手を盾にするなんてズルいと、抗議をするネギだが、慌てる姿を見てニヤリと勝気な笑みを浮かべるのは千草だった。この娘がいる限り、ネギたちは自分に手出しを出来ない。
勝気な笑みはやがて狂気の薄笑いへと変わる。
「ははーん、読めましたえ。甘ちゃんやな、人質が多少怪我するくらい気にせず打ち抜けばえーのに」
「こ、このかさんを離してください! 卑怯ですよ!」
ネギの抗議にも耳を傾けず、ひたすらに高笑いを繰り返した。
「全くこの娘は役にたちますなぁ! この調子で利用させてもらいますわぁ」
ネギと千草の戦いだけではなく、周辺にて行われている戦況もあまり芳しいものではない。突如現れた神鳴流剣士と戦っている刹那は、慣れない二刀流の相手にペースを掴めずに悪戦苦闘、そして雄は見てのとおり飲み物を介しての術式で、身体の自由を封じられて動けないでいる。
式神と戦っていた明日菜は露天風呂に居たサルたちに身動きを封じられ、身体を掴まれたまま締め付けられていた。間抜けな顔をしているとはいえ、式神としては強力な部類に入る。ここまで良く戦っていたが、元々つい最近まで一般人だった明日菜にとっては少々荷の重い相手に変わりなかった。
ネギとの一部始終を聞いていたようで、振り向きざまに千草へと問いかける。
「こ、このかを如何するつもりなのよ……」
「せやな。まずは呪文や呪符使て口でも利けんよにして、上手い事ウチらの言う事を聞く操り人形にするのがえーとこやろ」
何気なく発した非人道的な行為は周囲の人間全員の耳にしっかりと聞こえていた。
「な……」
「何ですって……?」
ネギと明日菜は目を見開き、刹那はこめかみに血管を浮かべ、今までにないレベルでの怒りの様相を浮かべている。夕凪を握る手に力が入り、徐々に相手の刀を押し返していく。
「あら……?」
相手である月詠も刹那の異変に気付いたようで、冷や汗をかきながら剣を押し戻そうとするも、徐々に刹那の刀身が自身に迫ってきた。月詠も手は抜いていない、実際に刹那の力が上回っていることになる。今まで終始押され気味に戦っていたというのに、一体何が刹那の力を増幅させたのか分からず、首を傾げるしかなかった。
最後に千景と式神二体を相手にしている雄だけは、先ほどと様子が変わらないまま。ただし千草の一言に対して一瞬だけ身体を揺らして反応を見せる。
其々似たような反応を見せる中、勝ちを確信して油断しきった千草は変化があった周囲に目もくれずに言葉を続けていく。
「ウチの勝ちやな。フフフ、このかお嬢様か。なまっちろいおケツしてかわいいもんや。ほななケツの青いクソガキども、お尻ぺんぺーん♪」
剥き出しになった木乃香の尻肉を数回叩いた瞬間、場に居た何人かの堪忍袋の尾が切れた。
「このかお嬢様に何をするかーっ‼」
「このかに何てことすんのよっ!!」
ブチりと何かが切れる音とともに刹那は目の前の月詠を彼方へと吹っ飛ばし、明日菜は自らを掴んでいた式神の手を振り払い、無防備な胴体にハリセンを一閃。着ぐるみの切れ目から煙が出て、あっけなく元の紙状態に送り返した。
それと同時に二人一斉に千草の元へと駆け寄ってくる。反撃されることを想定して居なかった千草は、あっさりと接近を許す。
二人に加えて手が空いている人間はもう一人、ネギがいる。再度杖を構えると素早く呪文詠唱し、技を発動させた。
「風花……武装解除!」
ネギの魔法が千草を捉え、障壁もろとも服まで消し飛ばす。同じように人質として捉えられていた木乃香の浴衣もきれいさっぱりと消し飛ばしてしまうが、木乃香は目を覚ましていないために気付くことは無かった。
「なあーっ!?」
素っ裸にされたことで、顔を真っ赤にさせながら照れる千草だが恥ずかしがっている暇などはあるはずもない。間髪を入れずに懐へと飛び込んだ明日菜は、ネギが咄嗟に発動させた仮契約カードの魔力を纏ったハリセンを上から下へと振り下ろす。
紙媒体のハリセンとはいえ、無防備な脳天を直撃すれば頭部には強烈な痛みが走る。小気味良い乾いた音とともに、千草の眼鏡がずれる。
「あだーっ!?」
まだまだネギたちの猛攻は止まらない。
(くっ、護符が効かん。こうなったら必殺の……)
更なる大技を出そうと別の呪符を取り出そうとする千草だったが、それよりも早く背後に現れる気配に気付く。だが気付いた時には既に手遅れ、ネギと明日菜が攻撃する隙を突いて背後に回り込んだ刹那は刀を抜き、下から上へと振りきった。
「秘剣……百花繚乱!!」
「ぺぽーっ!?」
強烈な峰打ちを喰らい、攻撃の勢いそのままに地面を二転三転と転がっていくと、近くにある柱に激突してようやく勢いが止まった。千草の手から離れた木乃香は、ふわりと下から吹き付ける風によって、優しく地面に接地した。
周囲にいた猿の式神も残り僅かに対してネギや明日菜、刹那はまだまだ戦える状況にある。
脇腹を押さえながら、よろよろと立ち上がる千草だが諦めているようには見えない。
「くっ……何でガキがこんなに強いんや。千景! アンタは何しとんのや! はよ加勢せん……わぶっ!?」
別に手駒は全て使い切った訳ではない。まだ雄と戦っている千景が残っていたはず。先ほど見た時は雄を千景が追い込んでいた。とっくにケリをつけているとしたら、何で加勢に来ないのか。
途中まで言い掛けたところで、千草の体に衝撃が走る。衝撃の正体を確認すると、その表情が一変した。
「ば、化け物……」
顔をあげて一言、弱々しく呟くのは千景だった。いつもの余裕ある表情は面影すらなく、全身ズタボロにされている。まるでトラウマを植え付けられたかのように酷く怯える表情と、ガタガタと小刻みに震える身体。
到底戦えるようなコンディションではなく、これ以上の戦闘は誰が見たところで不可能。
「お、おい。何があったんや! しっかりしなはれ!」
たまらず場にしゃがみこみ、両肩を掴んで揺らす。ここまで酷くやられるとは思ってもみなかったことだろう。綿密に組まれた作戦がこうも簡単に打ち破られるだなんて、全く想像だにしなかった。
端から見るネギや明日菜も、突然のことに驚きを隠せないでいる。刹那だけはどこか悟ったかのような表情を浮かべながら二人のやり取りを見つめた。
コツコツと階段を降りてくる音が聞こえる。音が大きくなる度にガタガタと、千景の身体の震えが大きくなっていく。その様子を見た千草は、たまらず階段を降りてくる人物を見た。
「おーおー、今のを喰らって意識があるのか。もっと鍛えりゃ良い戦士になるんじゃないか」
「あ、アンタはっ!」
戦いを終え、何事もなかったかのように淡々とした表情の雄だった。