「つ、雄さん!?」
「よっ、明日菜。そっちはもう終わったみたいだな」
あっけらかんとして現れる雄にハリセンを構えたまま、明日菜は驚きの声を上げる。あまりにも場に不釣り合いな雰囲気で現れたことに、若干顔が引きつりつつも表情を変えないように注意する。
呆然と立ち尽くす明日菜とネギ。かなりの苦戦を強いられているのは分かったが、自分たちが千草と戦っているうちにケリをつけてしまったらしい。
(風見先生、確かさっき敵の罠にハマっていたみたいだけど……)
敵の罠にハマったことはネギも知っている。一度は加勢に行こうとも思ったが、刹那や明日菜がそれぞれ別の敵と戦わなければならなくなり、ネギも千草に捕らわれた木乃香を救出する必要があった。
それ故に手助けをすることは出来ずに、千草と戦うことになったものの、問題なのはそこではない。
雄が崩れてから、千景を倒すまでに掛かった時間はごく僅か。罠にハマって、回復するまでの時間を除くと、如何に効率よく相手を倒したかが分かる。それに千景の周囲には上級式神である善鬼と護鬼が守っていたはず。その姿も無いところを見ると、全て倒してしまったようだ。
そして完膚無きまでに倒された千景の表情は、恐怖を見せつけられたかのように、絶望の色に染まっていた。
相手に絶望を与えるほど、何をしたというのか。たった一瞬の出来事故に、ネギも明日菜も何一つ把握出来ずにいた。
「雄さん、お怪我は?」
「大丈夫。多少服が汚れたくらいだ」
身を案じる刹那に、ぐるぐると腕を回しながら問題ないことを伝える。本人の言うように目立った外傷も無く、精々纏った服が湿っているくらいだった。三人の無事を確認すると、倒れ込む千景と歯を食いしばりながら悔しがる千草の方を向く。
「……何が何でも勝とうっつー執念だけは認めてやる。だが、お前のやることはあまりにも品がなさ過ぎだ」
「あ、あんた、ウチの弟になにしたんや!」
「多少おいたが過ぎたんでね。相応のトラウマは植え付けさせて貰った」
雄は睨む千草にも動じずに淡々としたまま話す。彼女からすれば自身の大切な弟が、得体の知れない恐怖に怯えている様子を放って置くことなど出来ない。雄も千景がやったことに対してやり過ぎだと言っているあたり、戒める意味合いが強かった。
術式を組んだ飲み物をあろうことか関係の無い木乃香に渡し、雄に飲ませた罪は重い。間違っていれば雄の生命を奪っていたかもしれない。本人には全くその気も、悪気も無いのにだ。
本来であれば雄とて許していなかっただろう。だが、今は周囲で見ている自らの教え子もいる。沸き起こる怒りを抑え、何事も無かったかのように振る舞った。
「不意打ちをしたまでは良かったけど、喋り過ぎたな。カラクリさえ分かれば、後はこっちの専門分野だ」
「ぐっ……くそ!」
圧倒的に分が悪い。
素っ裸にされた千草に、恐怖に怯え、目が虚ろのまま明後日の方向を見ている千景。刹那に弾き飛ばされた際に掛けている眼鏡を失い、必死に地面に落ちた眼鏡を探す月詠と、満身創痍の関西呪術協会側に比べ、麻帆良学園側はほぼ全員戦える状況。
状況を把握できずに無茶をするほど、思考がままならない訳ではなかった。忌々しげな苦い表情を浮かべると、残しておいた呪符を使い、先ほどとは別の猿の式神を召喚する。千草自身と千景、眼鏡を探す月詠を乗せて地面から飛び立った。
「お、覚えてなはれー!」
「あっ、逃げた!」
「神楽坂さん! 追う必要はありません!」
逃げようとする千草を追いかけようと、明日菜は駆け出そうとするも刹那に止められる。単独での深追いは、後々致命的なミスを生むかもしれない。相手の正確な人数が分からない以上、下手に追う必要もない。
十分に抗えることを証明し、痛手も負わせている時点で連続しての襲撃の可能性は低い。相手とて闇雲に突っ込んでくる能無しの集いではないことは今回の戦いで証明された。
ならその期間にこちらも相応の対策をする必要がある。深追いして戦力を削げる程の余裕はない。
憎々しげに空高く飛び立つ猿のぬいぐるみを見る明日菜だが、肝心な人物を忘れていることに気付く。
「あいつめー……はっ、そういえば木乃香は!?」
「そこにいるよ。ただ奴ら薬がどうとか言っていたし、すぐに確認する必要がありそうだ」
木乃香をさらった事実は変わらないものの、さらった手口は明らかになっていない。先ほど千草がボソリと呟いた一言が、全員の脳裏に残っていた。誘拐の際に何かしらの薬品を飲まされたり、嗅がされたりしていて、副作用が出ることも考えられる。
刹那を筆頭に、慌てて階段の上に寝かされている木乃香の元へと駆け寄った。刹那が木乃香の上半身を優しく起こし、ゆさゆさと肩を揺らしながら安否を確認する。
「お嬢様、このかお嬢様! 大丈夫ですか!」
二度、三度と声を掛けたところでようやく木乃香が反応を見せる。
「ん……あれ、せっちゃん?」
ゆっくりと重たい目蓋を開きながら、視界の先に映った人物の愛称を呼ぶ。十年ほど前、幼き頃の木乃香が刹那に付けた大切な大切な呼び名。大切な親友を見間違うほど、木乃香の目は悪くない。
薄目を開けた状態で刹那のことを確認すると、どこか安心したかのように笑みを浮かべる。
「何か可笑しな夢を見たえ。変なおサルにさらわれてな。けどせっちゃんや皆が助けてくれたんや」
ついさっきまで起きていた出来事を、どうやら夢だと勘違いしているようだった。ネギを含めた魔法関係者からすると、夢だと思って居てくれた方が都合が良かったりする。
ともかく今は魔法関係者がどうだの気にしている暇はない。木乃香の安否を確認することが先決だった。木乃香を抱える刹那が身体の至る所に視線を這わせていくが、外傷は無い。起きたばかりで頭はまだぼーっとしているみたいだが、何かを飲まされたり嗅がされたりすることはなさそうだ。
無事が確認できたことで、ホッと胸を撫で下ろす。大きく一つ息を吐くと同時に、今まで一度たりとも見せたことのない優しそうな笑みを木乃香へと向けた。
「良かった……お嬢様、ご無事で。もう大丈夫ですから」
口からこぼれる偽りのない本心の言葉が、木乃香の心に届く。嫌われているんじゃないか、何度そう思ったことだろうか。
不安だった、怖かった。昔はあれだけ遊んでいた仲だったというのに、麻帆良学園で再会してからは、一切口を利かずに過ごす日々。最も親しい友人であったはずなのに、最も疎遠な存在になってしまった。
歩み寄ろうとしても、頭を下げて逃げられるばかり。何か悪いことをしてしまったのかと思い詰め、考えども考えども結論に行き着かず、心の奥底では悶々とした日々を送っていた。
刹那の一言で全てが逆転した。
「よかったぁ。せっちゃんウチの事嫌ってる訳やなかったんやなー」
自分の疑問が晴れた瞬間、今までため込んでいたものが滴としてこぼれ落ちる。
刹那の笑顔を最後に見たのはいつだっただろう。遙か昔のこと過ぎていつだったかまではあまり覚えていない。ただ刹那の浮かべる笑みは親しみやすく、何事にも変えられない優しい笑み。
それだけはしっかりと覚えていた。
刹那は自身のことを嫌っている訳ではなかった、少なくとも彼女の反応でそれくらいは分かる。刹那のことを一番よく知っているのは、他でもない木乃香なのだから。
純粋に嬉しいといった気持ちが心を満たし、つっかえていたものが取れる。そんな木乃香の微笑む姿に顔を赤らめる刹那は、自身が距離を置いていたことで、木乃香が悲しい思いをしていたことを知った。
立場上、何とも言えない気持ちが混ざり合い通常の思考がままならないまま、抱える木乃香に言葉を伝える。
「え……そりゃ私かてこのちゃんと話し……はっ!?」
思いの外刹那も内心穏やかなものではないようで、話す時の口調が京都弁に変わってしまう。途中までは何気なく言葉を続けて行くも、やがて地が出ていることに気付き、木乃香から距離を取ると頭を垂れた。
「しっ、失礼しました! わ、私はこのちゃ……お嬢様をお守り出来ればそれで幸せ! それも陰からひっそりとお守り出来れば!」
まくし立てたかと思うと、近くに木乃香がいることに恥ずかしさを覚え、口ごもってしまう。地を隠そうとするも隠し切れておらず、木乃香の背後で見つめる雄は刹那の様子に爆笑し、明日菜やネギも刹那の表情の移り変わりに思わず笑みを漏らした。
刹那が自分自身に素直になれないことが分かったからである。
「なのでその……御免!!」
「あっ、せっちゃん!」
雰囲気に耐えきれなくなり、踵を返すと階段を下りていってしまう。後ろを振り向かずに一目散に走り去ろうとするが、階段の中腹に来たタイミングから聞こえる大きな声に足を止めて振り向いた。
「桜咲さーん!! 明日の班別行動、一緒に奈良回ろうねー!」
階段の上から明日菜が手を振りながら声を掛ける。人数不足により六班は解体され、メンバーの刹那とザジはそれぞれ五班と三班に。五班の班長は明日菜だった。
明日菜の声掛けに一瞬呆然と立ち尽くすも、やがて小さく頷き、場を去ってしまう。残された四人は刹那の去った後を眺めながら物思いに浸る。
「ほら大丈夫だってこのか、安心しなよ!」
「でも……」
不安そうに見つめる木乃香の背中をぽんぽんと叩く。木乃香はまた明日になったら刹那が素っ気なくなってしまうのではないかと、杞憂を拭えないでいた。
「ま、大丈夫さ。刹那も恥ずかしいだけだろうし、明日は思い切り楽しんでこいよ」
「お兄ちゃん……うん、そやね」
雄のフォローもあり、木乃香の顔から不安が薄れていく。明日のことは明日になってからと割り切り、改めて前を向いた。が、ここで自身の身体がいつになく肌寒いことに気付く。
「あれ、そういえば何でウチ裸なんやろ?」
「あ、そ、それは!」
いつ服を脱いだのかと、脱いだ覚えがなく首を傾げる木乃香を誤魔化そうと言い訳を連ねていくネギ。
「はっ! 僕いろいろなもの壊しちゃったけどどうしよう!」
それと同時に、ここまでの道中であらゆるものを壊してしまったことで、どう対処しようとネギはオロオロと狼狽える。いくら頭が良いとはいえ、まだ精神年齢は十歳だ。業務のキャパシティが限界を超えてしまっているせいで、どう対処するのが正解なのか、判別が付かない状態でいた。
「……何とか一日目終了、ってやつか」
ボソリと呟く雄の一言が、長かった一日の終わりを告げる。
修学旅行は一日目を終え、二日目へと移っていく。