「センセこっちやでー!」
「んー? おお! こりゃすごい!」
ネギたちと分かれた後、木乃香に連れられるがまま校舎の外に出ること数分。学園全体が見渡せる高台から、麻帆良学園全体を一望する。手すりに寄りかかり、高台に吹き込んでくる春風を全身に受け、靡く髪の毛を手で押さえた。
視線の先に飛び込んできたのは広大なまでの麻帆良学園の敷地と、ヨーロッパを意識したかのような建物の数々、とても一端の学園都市とは思えない造りに思わず、唸らざるを得ない。
ある一種の芸術のようにも見えた。
「これ一日でまわるのはまず無理だろ。というよりこの学園都市の全てを把握してる人っているのか?」
「んーどうなんやろ。ウチも把握してるんは中等部エリアを含めたほんの一部やし、それ以外は広すぎて迷ってまうからなぁ、あまりいないと思うえ」
小、中、高、大を含めた教育機関だけではなく、商業エリアに研究エリア、図書館と、その広さは全国有数。一般的な私立のレベルでは到底成し得ない程の施設の多さ。
麻帆良学園に入学希望をする生徒が多いのも頷ける。
「実はここ、ネギくんが来たばかりの時も案内したんよ。ウチらは途中でおじいちゃ……学園長に呼び出されてしもて、一緒にまわられへんかったけど」
「へー」
雄にとって割とネギがここに来たばかりの時の話には興味があったりする。
修行とはいえ異境の地で教師をやるのは並大抵のことではない。今でこそクラスに馴染んでるが、常識的に考えて十歳の教員は未だかつて前例がない中、どうやって数々の試練に耐えてきたのか、そんな一面を知りたい。
「あぁ、そや。あんまり時間ないんやった。風見センセ、どこか行ってみたい場所ある?」
「んー、折角だし運動部辺りを見に行ってみたいかな」
「ほかほか、ならこっちやえ」
「お、おい! んな慌てなくても……」
パタパタと側に近寄ってきたかと思うと、手を引っ張りながら強引に連れていこうとする。
力は強くないものの、思いもよらないアグレッシブさに驚き、慌てて後を付いていく。こんな学園で男女が、それも生徒と教師が手を繋いでいたなんて事実が公表されたらマズいんじゃないかと思い始める。主に雄の世間体的な部分で。
そんなことはお構い無しとばかりに、グイグイと引っ張っていく。木乃香にとって異性と手をつないぐことはそこまで気にしていないらしく、人の手を掴む力も強いような気もした。
ただ、走り方が若干危なっかしい。運動神経が良くないのか、動きから見ても普段は運動していないことがよく分かる。どこかに小さな石でも転がってたら、いとも簡単に躓くような気がしてならない。
気がするだけで、まさか現実に起こるハズはないだろう、そうポジティブに考えていた雄だったが。
「はよはよ……あっ!?」
「ほら、いわんこっちゃない!」
案の定、ものの数秒でフラグを盛大にへし折ってくれた。小走りで走る先にあったのは地面に埋まった拳大の石。大きさからしても足は引っかけやすく、しっかりと前を向いて歩いていれば気付くであろう、大きさのものだった。
ただ今は雄の手を引いて目的地へと連れて行くことに意識が行き過ぎて、足下の注意が幾分疎かになっていたようで、避けずに石の上を通過。テンプレ通りに踏み出そうとした足を引っかけ、体は前へと投げ出される。
足の筋力があれば踏みとどまることは出来ただろうが、あいにくそこまでの筋力はないみたいだ。それに受け身を取れる体勢でもない、このまま行けば地面に思い切り顔面をぶつけてしまう。
考える前に体は動いていた。勢い良く地面を蹴って体を近衛の前に出すと、足腰に力を入れて倒れないようにして、倒れ込んでくる木乃香の体をしっかりと受け止める。
思いの外ずっと軽い感触を受け止めてすぐ、体に怪我がないかを確認する。パッと見た感じ、どこかに怪我をしていることは無さそうには見えるが……。
「大丈夫か、しっかりと足下見ないと危ないぞ?」
そう伝える雄の姿。
何気ない一言に過ぎないその言葉は、かつて自身にあったことのある人物の言葉と寸分の狂いもなく合致し、過去の記憶を呼び覚ました。
『大丈夫か、しっかりと足下見ないと危ないぞ?』
「あっ……」
『次会う時にはもっと可愛く、綺麗になった姿を見せてくれよ』
―――幼少期の記憶。長い人生の中では幼すぎるが故に記憶に残らない人間もいる。
人里離れた山奥で育った木乃香はいつも一人ぼっちで遊んでいたことを思い出す。
友達を作ることを知らないから、むしろこれが当たり前なんだと勝手に思い込んでいた。別段一人で遊ぶことに対して抵抗も無く、友達が居ないことに対して寂しさを感じることはなかった。
いつものように鞠つきをして遊ぶ木乃香。しかし寂しさを感じなかったとしても、毎回同じ遊びを繰り返していては飽きがくる。両手で鞠の玉を掴みながらじっと見つめ、今度はそれを空高く上げ始めた。
物心が付く前の年齢だ、今までバウンドさせていた鞠を、空高く打ち上げるだけの些細な変化でも、新たな遊びを思いついたと嬉しい気持ちになる。
もっと高く上げられないかと、どんどん力が強くなっていく。当然加減を知る由もないく、最終的に生い茂る草木に鞠が引っかかってしまった。
「あ、ウチの鞠……」
枝に引っかかってしまったことに気付き、慌てて取りに行こうと樹木の根本まで駆け寄る。上を見上げるも彼女の身長の何倍もの高さに引っ掛かっていて、木乃香の身長では到底届かない。
仮に小さな梯子を持ってきて一番上に乗ったとしても、高身長の人間がジャンプでもしない限りは、到底届きそうにもなかった。周囲には自分以外は誰もいない。家に戻れば誰かに取ってもらえるだろうが、今日は大切な話があるから、終わるまで外で遊んでいて欲しいと言われたばかりだった。
とはいっても遊ぶ道具はない。誰かを呼びに行こうにも、待ってて欲しいと言われた手前、呼びにも行けない。
「……」
どうしようかと、しばらく考え込んだかと思うと、何と木に足を掛けて登ろうとし始めたではないか。
幼い木乃香が木に登るのは危険極まりない行為であり、本来なら真っ先に止めなければならない。ましてや履いているのは草履であり、不安定な木のとっかかりに足を引っ掛けた際に足を滑らせたら、軽い怪我では済まない。
「あうっ……」
子供の力ではとっかかりに足を引っ掛けたり、手でくぼみを掴むことすら難しい。自分の全体重を支えきれずに、ずるずると落ちてしまう。
樹木と擦れあったせいで、折角の着物は汚れ、木乃香の頬には黒い土汚れがつく。
「むう」
黒く汚れた頬を膨らませながら、今度は背伸びをしながら精一杯手を伸ばして取ろうとする。取ろうとするがどれだけ頑張っても、身長がゴムのように伸びない限り、届くはずも無い。分かってはいるが諦めきれずに手を伸ばし続けた。
が、それが裏目に出る。
何度か背伸びをしているうちに立ち位置がほんの少しずつ変わり、やがて大きな根が張る不安定な地面へと足を着けてしまった。
「あっ!」
木の根が張った地面は、たとえ気をつけていたとしても、足を引っ掛けて転ぶことが多い。ましてや子供、かつ草履を履いているともなれば、可能性は一気に高くなる。踏みとどまる力もなく、重力に逆らうことなく後方へと倒れ込んだ。
「おっと」
「ふぇ?」
だが地面には倒れ込まず、柔らかい何かが木乃香の身体を受け止めた。何がなんだか分からずに可愛らしい声を出しながらきょとんとしている。
「大丈夫か、しっかりと足下見ないと危ないぞ?」
倒れ込んだ木乃香を場に立たせると、おもむろにタオルを取り出し、顔に付いてしまった汚れを、タオルで優しくぬぐい取る。
「着物は取りようが無いか。君が詠春の娘さんかな?」
「う、うん……おにーさんは?」
身長差を見上げる木乃香。自身より高い存在に、思わずたじろぐ。
「俺? 君のお父さんに仕事の依頼を受けてね。偶々通りかかったら……」
君が居たんだ、とはにかむ。
仕事の依頼という割にはラフなTシャツにジーパンと、到底仕事着とは思えない服を着ている。それに仕事で来ているとはいえ、はいそうですかと信じることが出来ないのも事実。山里離れた場所にあるから人が来ること自体珍しい、逆を返せばそうそう人が来ることは無い。
ましてや身元不明、自身も会ったことの無い人間を信じることなど出来るはずも無かった。
「……」
警戒心マックスの視線でじーっと眺める姿に、思わず男性の方も苦笑いを浮かべるしかない。
「そういえば、枝に鞠が引っ掛かってたんだっけ。よっしゃ、ちょっと待っててくれよ?」
「?」
登ることに悪戦苦闘していた木に近付くと、僅かに出ている出っ張りに手を掛け、半ば力任せに登っていく。その動きたるやもはや猿そのものだった。
「よっ、ほっ!」
取っ掛かりはほぼ無く、四肢を引っ掛けられないため、使っているのはほぼ上半身だけだ。難なく枝まで辿り付くと、胴体部分を掴んで身体のバランスを安定させ、枝の先端に引っ掛かっている鞠へと手を伸ばすが僅かに手が届かない。
丈夫で、そう易々とは折れない胴体部分に比べて枝の部分は酷く脆い。彼も男性の中ではガタいも良く、身長も高い部類に入る。もし枝にぶら下がろうものなら、枝が体重を支えきれず、根元からポッキリと折れてしまう。
(んーどうするか。流石に手を伸ばしても届かない場所にあるし……)
悩んでも仕方ない。
一旦体勢を整えると、鞠の引っ掛かっている枝の根元に手を掛け、雲梯の要領でぶら下がると、振り子のように身体を振ることで遠心力を付けていく。
いくら枝が脆いとはいえ、胴体部分との接続部分は枝の先端に比べて強固になっている。だから簡単に折れることは無い。数回ほど振ったところで、下にいる木乃香に視線を向けて、声を掛けた。
「そこはちょっと危ないかもしれないから、少し離れてて!」
言葉の意味を理解すると、パタパタと落下地点から外れて建物近くまで移動する。これだけ離れていれば例え落ちたとしても、木乃香に危害が加わることはない。
離れたことを確認した後、思い切り身体を振り、鞠に向かって自身を飛ばした。勢い良く飛んだことで、枝に引っ掛かっている鞠を見事に掴むことに成功。
重力に従って地面へと落下していくが、体を新体操選手のように回転させ、地面に両足を着いた。ドンという落下の衝撃音が周囲に鳴り響くも、怪我らしい怪我は見当たらない。
相当な高さから落下したにも関わらず痛むそぶり一つ見せないのは、彼自身の肉体が相当なまでに鍛えられているからだろう。
鞠を持ったまま、木乃香の元へと向かう。
「あっ……!」
先ほどまでの警戒心はどこへやら。
鞠を取ってくれた姿に、パァッと表情が明るくなる。木乃香から見て、目の前の人物は得体の知れない人物であるには変わらないが、自身に危害を加えようとする人間では無いということ。
また悪い人間ではないは今のやりとりで判断することが出来た。本当に悪気があるなら、わざわざ大怪我をするリスクがある方法は取らないんじゃないか、と木乃香の中では一つの結論がついた。
「ほい。これだろ?」
「わぁー! おにーさんありがとなぁ!」
改めて鞠を渡す。
キャイキャイと頬を緩める木乃香の姿に、思わず彼自身の表情も緩んだ。
「まだ少し時間もあるし、俺で良かったら遊び相手になるよ」
「え? ほんまに?」
「あぁ、どうかな?」
「ウチ、嬉しい! おにーさんよろしゅうなぁ」
短い時間ではあれど、人との関わりが全く無かった木乃香にとって、初めての遊び相手が出来た瞬間だった。