異界転生譚 ゴースト・アンド・リリィ   作:長串望

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前回のあらすじ
リリオ、笑顔で切り刻む。
閠、中二病で突っ走る。
おじいさん、見なかったことにする。
の三本でお送りしました。


第七話 亡霊と宿場町

 生きているべきではないのではないかという希死念慮(きしねんりょ)は常々のものだったけれど、恥を理由とした自殺願望は或いは初めてだったかもしれない。

 

 大げさな言い方かもしれないが、まあ、つまるところ、私は中二病もいいところの振る舞いに恥ずかしさのあまり悶死しそうになっているのだった。

 

 こちらの慣習に頷けず待ったをかけたのはまあいい。

 郷に入りては郷に従えなんて言葉もあるが、三つ子の魂百までともいう。

 死とも暴力とも程々に縁遠い社会で生まれ育った私にとって、命の軽さが耐えきれなかったのだ。

 

 だから他人が怪我するのを見た時点でもう、うっ、となってたし、襲ってきた時は害獣としか見てなくて無力化した後は生きてる銭袋としか見ていない視線がこちらに向けられた時も勘弁してくれという気持ちでいっぱいだった。

 いっぱいいっぱいだった。

 この世界の人間がこの世界の人間の理屈でどうこうするのはまあ仕方がないことと目を(つむ)れたというか目を逸らしていたかったけど、こっちに判断を求められたら私としては本当にもうどうしろというのだという他にない。自分の価値観で判断するほかないではないか。

 

 まあ、そのあたりは仕方がない。納得できるように行動するうえで致し方のないことだった。

 

 問題は対処の仕方だ。

 

 もっとこう、あっさりどうにかできただろうに何であんな勿体ぶったというか芝居がかったというか、とにかく恥だ。恥の上塗りだ。恥コーティングだ。

 

 幸い私がこの恥の海に沈んでいるのを見かねてか、老商人は声をかけずに旅路をひた急いでくれたし、リリオの生暖かい視線が気になるは気になるがいつものうざったいくらいのおしゃべりも仕掛けてこないので助かるは助かる。もしも今話しかけられたら殺すぞしか言えない気がする。或いは無言のアイアンクロー。

 

 外界からの情報をシャットダウンして体育座りで心を閉鎖した結果なのか、老商人が急いでくれたおかげなのか、思ったよりも早く宿場町に着いたあたりで、私も気分を入れ替える。恥は恥だが、いつまでも抱えていられるものでもない。切り替えが大事だ。具体的には八つ当たりにリリオにアイアンクローをかましてすっきりした。

 

 それなりに驚かせるようなものを見せたとは思うのだけれど、さすがに長年旅商人をしていて人生経験があるだけに、老商人も気を取り直していたようだ。変わったものを見せてもらったお礼にと、茶屋で名物だという焼き菓子を奢ってもらった。パウンドケーキのようなもので、しっとりとした触感で、甘さは控えめだけれど変わった風味がしてなかなかおいしい。ここらで採れるハーブの類を練りこんでいるのだそうだ。甘みのあるお茶と一緒に頂いた。

 

 相変わらずリリオは健啖で、一切れでも結構腹にたまるこの焼き菓子を飲み物か何かのようにするすると平らげていく。どこに入るのか不思議に思っていると、甘いものは別腹だという。本当に胃袋が何個かあるんじゃなかろうなこいつ。妙な物でも入っているんじゃないだろうかと疑いたくなるような幸せそうな顔で次々と頬張っては飲み下していく。

 

 女がみんな甘いもの好きだというのは幻想だからな。

 私にとって甘いものはイコールでカロリーと糖分でしかなかった。いつも鞄にチョコレートと飴玉が入っていたが、あれは女子力とかではなく単に補給食だ。会社で泊まるときとか便利。ちまちま食べてると、満腹にはならないから眠くもならないし、糖分が切れないから頭も鈍くならない。あとはカフェインがあればいい。

 

 この焼き菓子はそういう意味でいえばいろいろ足りない。糖分とかカフェインとか。むしろお腹にたまって眠くなるのでよろしくない。しかし隣でこの世の幸せなど他にはないといった顔つきでもしゃもしゃ食べているのがいると、まあこういうものなのだろうなという寛容な気持ちで楽しめる。胸焼けしそうになるが。

 

 茶屋で一服して老商人と別れた後、リリオに予定を尋ねると困ったような顔で見上げられた。

 

「えーと、まずは宿を取ろうと思うんですけれど」

 

 言わんとすることは察した。

 昨日あれだけ大騒ぎしたのだから、木賃宿(きちんやど)に泊まるとは言い出しづらいのだろう。

 

 私も文句を言える立場ではないのだけれど、どうしたって生理的に無理だったのだ。そう考えるとどれだけブラックだろうとどれだけ苦痛だろうと現代社会は割と整備されていたのだなあ。コンクリート造りの地獄だ。衛生的ではあるけれど、精神衛生的にはよろしくない。

 

 リリオからしたらどんな箱入り娘のお嬢様育ちだよと思っても仕方がないだろう。

 実際、いくら底辺層とはいえ、ガス代や電気代を払えなくなったことはないし、というか職場にいる時間を考えると基本料金越えるほど使う時間家にいなかったし、野宿なんてしたこともなかったし、この世界から見たら確かに箱入りのお嬢様なのは確かだ。

 

 いままではリリオのやり方を重視しようと思っていたが、趣味のためについてきているのにわざわざ不快な思いなんてしたくない。

 

 なので、適当にゲーム通貨を握りしめて無造作に渡す。

 

旅籠(はたご)で」

「ハイヨロコンデー!」

 

 あんまりやり過ぎるとリリオがお金目当てで行動するようになってしまうので最低限しか渡す気はないが、それでも金で解決できることはしてしまった方が楽だ。

 

 この世界のお金に換金したらいくらくらいになるのかは知らないが、なにしろゲーム通貨には重量値が設定されていなかった。なので倉庫役にほとんど預けていたとはいえ、それなりの手持ちもある。しばらくは困らないだろう。

 

 旅籠は木賃宿と比べると随分清潔で、作りも立派だった。

 受付の人も随分愛想がいいし、従業員も多い。もちろん、リリオがきちんと支払いをしたからというのもあるだろうけれどね。

 

 案内された部屋はきちんと鍵もかかるし、隙間風もない。寝台もきしむことのないそれなりのものだし、まあ問答無用で最高品質の眠りを与えてくれる《(ニオ)の沈み布団》程ではないにしても、普通に横になって眠れる程度の清潔で質のよいものだ。

 掃除もきちんとされていて、好感が持てる。何より鍵のかけられる備え棚があって、荷物を置いておけるのがいい。木賃宿では盗まれた方が悪いくらいの管理だったからな。もちろんこっちだって盗まれる心配はあるだろうけれど、旅籠の方でそういった場合の補償もしてくれるようだ。

 

 まあ《自在蔵(ポスタープロ)》とやらよりよほど使い勝手のいいインベントリのある私には関係ないし、リリオもきちんと貴重品は自分で持ち歩く程度の警戒心はちゃんとあるけれど。

 その警戒心のためか、大荷物を見かねて私の《自在蔵(ポスタープロ)》にしまってあげようかと提案してあげた時も遠慮された。私が持ち逃げすることを心配している、というよりは、そんなあからさまに《自在蔵(ポスタープロ)》を持っていますよという振る舞いをして目を付けられることを警戒しているということらしいけれど。小さく見えても私より旅慣れた思考をしている。

 

 旅籠では木賃宿と違って食事もつくという話だけれど、夕食まではまだ時間がある。やることもないし昼寝でもしようかと思っていると、リリオが鎧を外して身軽な格好になり、貴重品をもってなにやらお出かけの準備を整えている。

 

 何かと尋ねれば、ふふんとない胸を張って、どや顔を決めてくる。

 

「喜んでください、ウルウ!」

「えい」

「この宿場町にばわははあががががやっだああばああああっ!」

 

 どや顔にちょっとイラっと来たのでアイアンクローを決めてやったが、相変わらず丈夫な奴だ。握りしめるこっちの指がつらい。

 

 適当な所で放り捨ててやると、しばらく悶絶したのち、再びどや顔を決めてくる。

 折れねえなこいつ。

 

「よ、喜んでください、ウルウ! なんとこの宿場町には風呂屋があるのです!」

 

 ほう。

 風呂屋ときた。

 

 この前の宿場は本当に街道沿いに何軒か建物があるといった具合だったが、この宿場町はそれに付随して商店や宿も何軒かあり、恐らく()()()()()()()と思われる奥まった宿屋もあったり、十分に町と呼べる規模だった。しかしそれにしても水や燃料などを大量に消費し、専用の施設を必要とする風呂屋があるとは。

 

 正直なところ、えーまことにござるかぁ?という半信半疑な気分ではあるが、しかし半分の期待はある。むしろ今までの経験から期待をかなり低く見積もっておくことで、実際に見た時の感動を増しておくという技術も身に着けているのだ。

 

 この際、風呂屋とは名ばかりのフィンランドよろしくサウナ風呂でも構わない。もちろん期待するところとしては最低限古代ローマのテルマエくらいいってほしいところだが、高望みはしない。町とはいっても宿場町。あくまでも交通の要所にちょっと人が集まってできた程度だ。そこまで大規模な施設は期待できない。混浴くらいは普通だろう。

 

 第一、元の世界においては湯を張って風呂に入ることなど滅多になかった。時間的余裕から言っても、水道代ガス代などから言っても、それはあまりにも非効率的だった。短時間のシャワーで全て済ませていた。それで十分だったし、それで満足していた。体を清潔に保つ以上の意味など求めるものではない。

 

 なのでいま私がそそくさと出かける準備を整え、コンパスの短いリリオの背中をせっつくようにして風呂屋とやらに向かうのは異世界文化に対する学術的興味からくる好奇心以上のものはないのだ。

 

 リリオが案内した風呂屋とやらは、石造りのなかなか立派な建物だった。長い煙突がいくつか伸びていて、そこからは例外なく白い煙が立っている。敷地面積はそれなりにあり、脱衣所などのスペースを考えても、結構な広さの浴場が期待できた。

 

 入口の戸をくぐって中に入ると、珍しく土間のようなものから靴を脱いで上がる仕様になっているようで、まず編み上げの靴を脱ぐ面倒くささから始まった。歩き続けの中では便利なのだが、履いたり脱いだりするのは、少し手間だ。

 

 靴を脱いであがると、向かって正面に受付があり、左右に通路が分かれていた。壁に何かが書かれているが、話し言葉と違って書き言葉は翻訳されていないようだ。微妙に使えないな自動翻訳。

 

 受付でリリオが靴を預け、二人分の料金を支払い、輪になった紐に通された小さなカギを二つ受け取った。別料金でタオルや石鹸も販売しているということだったけれど、手持ちもあるし遠慮しておいた。

 

 リリオが向かって右の通路に進み始める。ということは、多分だけれど壁の文字は「女湯」とでも書いてあったのだろう。となれば逆側は「男湯」か。混浴という線はないようで、少し安心だ。

 

 進んだ先は脱衣所のようで、駅のロッカーのように鍵付きの扉がついた棚が並んでいる。先程受け取った鍵はここの鍵のようだ。リリオが鍵に刻まれた番号の棚を探し、私はそのあとについていく。

 

「えーと、十三番と十四番だから、これとこれですね」

 

 なるほど。

 私は棚の戸に書かれた記号を見て、覚えた。となるとこれに並ぶ数字がそれぞれ十二番と十五番で、という風にざっとあたりを見て、数字の規則を覚える。アラビア数字と同じように十進法で書かれているようで、面倒がなくていい。十個覚えればいいわけだからな。これがローマ数字や漢数字と同じ仕組みだったら、桁が上がったりする度に覚える字が増えて面倒だ。

 

 手早く服を脱いで棚に放り込み、少し迷って、インベントリにつながるポーチは持っていくことにする。他と違ってこれは盗まれたら困る。と考えたところで、そもそもすべての荷物を放り込んでおけば盗まれることがないことに気付き、脱いだ服もインベントリに放り込んだ。

 リリオがこれに慣れるとよろしくないし、なにより人の脱いだ服をインベントリに放り込むというのもなんか生理的に嫌だったのでリリオの分はそのままにしておいた。

 

 服を脱いだリリオは、なんというか、子供だった。

 

 普段も幼いといえば幼いのだけれど、鎧をまとい剣を帯び、きりっとした顔なんかしていればそれなりに少女剣士といった風体なのだけれど、こうしてすっぽんぽんになってのんきな顔なんかしているのを見ると、完全にお子様だった。()()()とは言わないがお子様だった。いったい食べたものはどこに行くのだろうというくらいだった。

 

 石鹸と手ぬぐいを手に、さあ行きましょうと輝く笑みを浮かべるリリオと、その下のあまりにも貧相なスタイルに思わずほろりと来たが、まあ成長期だろうしきっと大きくなるさ。どこがとは言わないが。

 

 自分の髪をまとめるついでに髪をまとめてあげると、何が気に入ったのか、私も色っぽいですかなどと聞いてくるのが哀れで仕方がなかった。君にはちょっと早いよ。

 

 タオルを手についていき、引き戸を開けると途端に湯気がもわっと広がった。暖気が逃げるからという理由で素早く入って戸を閉め、改めて見渡してみると、想像していたよりも立派な作りだった。

 

 というより。

 

「銭湯だね、こりゃ」

 

 タイル張りの床に、さすがにシャワーや鏡はないが、桶や椅子の用意された洗い場。浴槽は大きなもので、こんこんと湯を湛えている。富士山の絵でも書いてあれば立派な銭湯だ。まあ私は銭湯というものにあまり行ったことがないというか行く気もなかったので詳しくはないが。

 

 しかしまあ、予想よりもかなり立派なものだ。ファンタジー警察が見たらいきり立つんじゃなかろうか。

 

「ふふん、どうです。立派な物でしょう」

 

 確かに立派だが何故君が自慢げなのか。

 

 ない胸を張るリリオを無視して、とりあえず洗い場でかけ湯して、汗や埃を落とす。とてとてと寄ってくるリリオにもお湯をかけてやる。シャワーがない代わりに、洗い場専用の湯が張ってあるのだな。なかなか興味深い作りだ。

 他の湯船のように床と同じ高さにあるのではなくて、少し高めの位置にしてある。それを囲むように椅子を並べてあって、足元には排水用らしい溝が見える。面白い作りだ。そして結構な技術力もうかがえる。

 

 てちてちと決して走らず、しかし機嫌の良さを隠しもしようのない速足のリリオの後についていき、ゆっくりと湯船に入る。

 

 うう、と思わず声が漏れる。

 

 しっかり湯船につかるなどどれくらいぶりだろう。この体は今のところ疲れなんかとは無縁なのだけれど、しかしどこか精神にこわばりが残っているのだろう、全身が温もりに包まれるという感覚が、心身ともに心地よい脱力をもたらしてくれた。

 

「………とはいえ」

 

 すっかり脱力できるかというと、そうでもなかったりする。

 

 溜池方式ではなく、お湯が次々供給され、排水されていくという実にぜいたくな作りだから我慢できているが、本当のところは公衆浴場というものは得意ではないのだ。断固拒否する、というほどではないが、しかし正直なところを言わせてもらえれば湯船につかれるという誘惑さえなければ遠慮したかったくらいだ。

 

 だって()()()()()

 

 いや、こういうこと言うのはあまりよろしくない気がするんだけど、正味な話、気持ち悪い。

 

 不特定多数の人間が、そう、なに触ったかもわかんないような不特定多数の人間が出たり入ったりしているお湯に自分もつかるのって相当気持ち悪い。

 なんでみんな平気なのか意味が分からなすぎる。

 私にしたって、これは半分くらいは欲望に負けた結果であって、もう半分くらいは義務感だよ。リリオが来たいっていうから義務感だよ。

 

 正直欲望が満たされた瞬間気持ち悪さが徐々にせりあがってきた感じ。

 

 リリオを丸洗いした時も、あまりにも汚れた状態に耐えきれなかったからであって、正直触ってる間ずっと気持ち悪かった。人間に触るのって正直辛いものがある。大型犬とでも思ってないと途中で心折れそうだった。

 

 これでもし貸し切りとかならまだ大丈夫なんだけど、それなりにお客さん入ってるわけよ。不特定多数どもが。みんなマナーができてるからちゃんとかけ湯もするし、旅人らしく結構汚れた人なんかちゃんと洗ってから湯船に入ってくれるからまだ我慢できてるけど、これでそんなマナー知ったことかってやつらがやってきたら、まあ、出るね。

 湯船から出るっていうか、私の胃の内容物が勢いよく出てくるね。虹色のきらきらで誤魔化せると思うなよ。

 

 まー、そのマナーのできたお客さんたちもね、フランクなわけよ。田舎者特有というか、旅人同士のシンパシーみたいなものがあるのか、ちょいちょいリリオに話しかけてくるし、リリオも楽しそうにおしゃべりするわけよ。そう言うの傍から見てる分には楽しいからいいんだよ。リリオは何しろ陰口とか言わないし基本的にすっきり爽やかな事しか言わないし、聞いていて胸が悪くなるような話題ってないしね。でもそれが私に向いてくると苦痛でしかない。こっちの世界の話題とかわからん、という以前に、話しかけられるのが苦痛。笑顔で対応もできるけど相当なエネルギーを使う。

 

 なのでどうするかというと早々に《隠身(ハイディング)》よ。《隠蓑(クローキング)》使って離れてしまおうかとも思ったけど、そうなるとリリオが面倒くさそうなので、その場で姿を消すにとどめることにした。お湯の中にぽっかりとエアポケットみたいに何もない空間ができたように見えるのではないかと思ったけれど、どうやらそういう不自然な事にはなっていないようで、無事隠れられた。

 

 リリオも私が半透明になったことで隠れたことに気付いたらしく、うっかり話しかけられるようなことはなかったけれど、たまにちらっと向けられる生暖かい視線がしんどい。

 

 なんとかそういった連中が離れてくれて、ようやく《隠身(ハイディング)》も解除できてほっとしたが、正直安らがない。だいぶ慣れてきたリリオでさえ大型犬と認識してるから耐えられているけど、まじめに湯船の心地よさと人間嫌いの辛さが天秤上でファイトし始めてる。辛さがやや優勢。

 

 気分を誤魔化すために、天井に視線を逃がしながら気になったことを尋ねてみた。

 

「こういう施設ってかなり維持費もかかると思うんだけど、採算とれるのかな」

「え? えーっと……」

 

 ああ、いや、うん、そうだよね。一旅人にはわかんないよね。まあ宿場町ってことは公的事業の側面もあるだろうからそっちからお金出てるのかもしんないけど。

 

「ああ、いや、こんなにたくさんのお湯沸かせるのは大変なんじゃないかなって」

「ああ、確かに。近くに川もないですし、水引くのも大変そうですよね」

「ふふふん。気になるでしょう。気になるでしょうとも」

 

 ファンタジー警察も気になるだろうことをぼんやり話していると、なにやら面倒くさそうな空気の人が近寄ってきた。具体的には顔に説明したいと書いてある類の人。

 

「いや、べつに」

「実はね」

 

 聞いちゃいねえ。

 湯船にするりと入り込んでリリオの隣に収まったのは、肉置きの立派な女性だった。太っているという訳ではないが、全体的にむっちりとしていて、隣にリリオを置くと、女性的魅力がもはや暴力と言っていいレベルだ。あまり旅人といった風情ではない。

 

「国の方針で宿場町が作られたときに、衛生向上のためにもこんな公衆浴場の設立も盛り込まれてね、公務員として神官が雇われているのよ」

「はー、神官さんが! じゃあここのお湯もその神官さんが?」

「ええ、ええ、その通り! 風呂の神マルメドゥーゾの神官が祈りを捧げることでお湯を生んでいるのよ!」

「こんなにたくさんのお湯を生むなんて、すごいですね!」

「ふふん、ふふふん、実はね、なんとね、ここだけのお話なんだけどね」

「どきどき、わくわく」

「この私こそ、その風呂の神マルメドゥーゾの神官なのよ!」

「きゃー、すごーい!」

 

 君らノリがいいな。

 

 神とやらの話が出てきて俄然ファンタジーっぽくなってきたと思うべきなのか、突然胡散臭くなってきたと思うべきなのか、あまりにも軽々しい神様の扱いに私は一人首をかしげるのだった。




用語解説

・名物だという焼き菓子
 トーイェ・ファリス。砂糖、卵、バター、小麦粉を等量ずつ使用し、地場で採れる爽やかな香りのハーブを練りこんで焼き上げた焼き菓子。以前は高価な菓子だったが、砂糖などが安価で出回るようになり、庶民の味としても親しまれている。この宿場町のものは砂糖を控えめにして、ハーブによる香りづけを重視したレシピのようだ。

・風呂屋
 以前は風呂と言えば大きな街や、貴族などの屋敷にしかなかったが、最近の政策で街道整備や宿場の設置などに伴い、衛生向上の目的もある公衆浴場が増えている。基本的な設計はその際にできた草案をもとにしており、どこも作りは似ている。

・風呂の神マルメドゥーゾ
 風呂の神、温泉の神、沐浴の神などとして知られる。この世界で最初に湧き出した温泉に入浴し、そこを終の棲家とした山椒魚人が陞神したとされる。この神を信仰する神官は、温泉を掘り当てる勘や、湯を沸かす術、鉱泉を生み出す術などを授かるという。

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