異界転生譚 ゴースト・アンド・リリィ   作:長串望

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前回のあらすじ

これもノルマかお風呂会。
お湯に浸かれてご満悦のウルウであった。


第九話 白百合と辺境子爵

 おはようございます。

 清々しい朝ですね。

 

 などと述懐できるほどに、本当に何事もない一夜でした。

 いやまあ、それが普通と言えば普通なんですけれど。

 

 じじさまの計らいで、私たち《三輪百合(トリ・リリオイ)》は三人で一つの部屋をあてがってもらい、一つの寝台を三人で分け合って休んだのですけれど、驚くほどなにもありませんでした。

 

 最初は、実は少し不安だったんです。

 

 何のかんのと言って、私は辺境貴族です。

 ちゃんと成人したと、辺境から出ることを許されたくらいには、きちんと自制できるようになったことを認められてはいます。

 でもそれは自制しなければ誰かと触れ合うことも危険な生き物ということでもあります。

 実際、お母様と再会したときは制御が揺らいで、癇癪を起してしまったわけですし。

 

 人は簡単に壊れてしまう生き物ですし、私は人を簡単に壊してしまう生き物なのです。

 

 そんな私がお風呂上がりで火照った体をおそろいの寝間着に包んだ二人の姿を見て我慢できるとは思いませんでした。

 絶対ムラムラすると思いました。

 ムラムラするだけならともかくイライラし始めて体力にまかせて朝まで暴れまわるかと思いました。閨的な意味で。

 

 ところがまあ、我慢どころか、別にムラムラもしなかったんですよね。

 それは勿論、二人はとても魅力的ですし、きれいだなあとかちょっとドキッとはしましたけれど、それはいつものことなんですよね。きれいだなー、すてきだなー、かわいいなー、って。

 ウルウに抱き着いても、トルンペートに髪を整えてもらっても、あの時みたいな熱がわいてこなかったんです。

 

 ただ、なんだか。

 なんていうのか。

 

 お腹も満たされて、お風呂でぽかぽかに温まって、柔らかな寝台に三人で倒れこんで。

 なんだか、それだけで、満たされてしまったような気持ちでした。

 くっついたり、お喋りしたり、それだけでなんだか胸の中がいっぱいで、とろとろとなんだか眠気がゆっくりやってきて、それがなんだか少し惜しいような、でもこれ以上なく心地よくて。

 

 だから、きっと、これが。

 これこそが。

 しあわせなんだなあって。

 

 それだけをぎゅうっと抱きしめて、気づいたら朝だったわけです。

 

 こんなに満たされた朝はそうそうないですよ。

 まあ、満たされすぎたせいで寝過ごしましたけどね。

 二人とも私を見捨てて朝の準備完全に整えてから、例の棍棒でぶん殴って起こしてくれました。

 普通に起こしてくれていいんですよ?

 あ、起きなかった。はい。面目次第もございません。

 

 まあ、そのような次第で、どうやら私は、仲間であり伴侶である二人を所かまわず無節操に求めてしまうような肉欲蛮族に成り果ててはいなかったようで、まず一安心です。

 あ、それはそれとして二人に完全にムラムラしないかと言えばそんなこともなく、そういうつもりでそう言う目で見れば、その、なんです、朝からムラッと来てまたぶん殴られました。

 違うんです。

 私は蛮族ではないんです。

 私の身体は蛮族かもしれませんけれど私は蛮族ではないんです。

 ムラッとは来ましたけど。

 ムラッとは来てしまいましたけど。

 

 うん。止めましょう。

 清々しい朝ですからね。清々しく流してしまいましょう。

 

 さて、ちょっと騒々しくはありましたけれど朝の支度を終えて、私たちは食堂で朝食をいただきました。

 モンテート要塞の食堂はなかなか渋くて格好いいのですけれど、窓がなく閉塞感があるのが辛いところです。

 冬場ですし、要塞ですし、立地的に開口部が限られてくるのでもうどうしようもないんですけれど。

 

 さすがに朝から飛竜の炙り焼きをドン、ということはありません。

 ありませんけれど、辺境は辺境です。全体的に量は山盛りです。

 たっぷりの麺麭(パーノ)馬鈴薯(テルポーモ)、豆、塩漬け、酢漬けの甘藍(カポ・ブラシコ)(ラーポ)、うん、この辺りはもう見慣れたものですね。

 

 ただ、かなり奮発してくれたようで、不凍華(ネフロスタヘルボ)の葉をさっと甘酢で和えたものが、目にも嬉しい彩りとなっていました。

 これは冬でも枯れず凍らずの庶民の味方なのですけれど、さすがにモンテートの山の上にはあまり生えていません。

 なので数少ないこれらは発見者が食べてしまうか、かなりの高額で取引されます。

 もしくは、平地ならそこらへんで摘めるようなものにわざわざお金をかけて竜車で輸送することになります。

 ありがたいことです。

 

 不凍華(ネフロスタヘルボ)は食感が面白く、葉はしゃきっとしているようで、噛むと中は粘り気があって、不思議な歯ごたえです。味はちょっと苦みがありますけれど、冬場に新鮮な青物を食べられるっていうのはかなりの贅沢です。

 

 そして宴の翌朝の定番料理が、飛竜の尾を煮込んだ汁物です。

 飛竜の尾はよく動く部位でもありますし、非常に筋っぽく硬いのですけれど、その分、強い味わいがあります。

 これを圧力鍋でしっかり煮込むと、肉はほろりと柔らかくなり、ぷるぷると柔らかな脂身も相まってたまらない美味しさとなります。

 また骨ごと煮込んだ旨味は、韮葱(ポレオ)生姜(ジンギブル)といった本当に最低限の臭い消しだけで調えられ、こってりした宴の料理を味わった翌朝にはたまらなく沁みるものがあります。

 

 この竜尾の汁物でお腹が動き出したところで、お次も辺境でしか食べられない、辺境でもなかなか食べられない、飛竜の食材行ってみましょう。

 

 お皿に美しく盛り付けられた、まるで花弁のように薄切りされた真っ白な何か。

 これ、実は脂なんです。

 塩漬竜脂(ドラコグラーソ)といって、飛竜の脂に香草を揉み込んで塩漬けにしたものを、薄切りにしているんですね。

 もともとは豚や牛の脂で同じようなことをした、塩漬脂(サリタグラーソ)とか、単に白脂(グラーソ)とか呼ばれているものを、飛竜の脂でもやってみたものだそうです。

 暖房の効いた部屋ではすぐに溶け出してしまうので、こうして美しく薄切りにするためには、冷え切った部屋で体温を移さないように気をつけなければいけない、難しい食材です。

 

 この透き通るように美しい脂を、温めた麺麭(パーノ)の上に乗っけてやるとですね、じわっと熱でとろけて、うっすらと透き通っていくさまがまた何とも言えずなまめかしいものです。

 少し硬めの乳酪(ブテーロ)のように塗り広げてやって、ぱくりと頂くと、口の中一杯に飛竜脂独特の香りがふわりと開き、とろりとした脂の甘みと塩気とが舌の上に広がります。

 

 これは麺麭(パーノ)だけでなく、蒸かした芋やに乗せたりしても美味しいですし、汁物に加えるとぐっとうまみが増します。焼き物に乗せると、ぱさぱさした肉でも脂が足されてうまい具合になりますね。

 ああ、もちろん、お酒との相性も良いですね。

 

 あんまり脂っこいのが得意ではないウルウも、自分で量を調整でき、脂としてはさっくりと軽めな塩漬竜脂(ドラコグラーソ)は気に入ったようで、なによりです。

 気に入りすぎて今度白脂(グラーソ)をごそっと買ってきそうで怖いですけれど。

 一度はまると馬鹿みたいに買うのに、かなりの確率で飽きて放置しますからね。ウルウの《自在蔵(ポスタープロ)》はものが腐らないからまあいいと言えばいいんですけれど。

 

 さて、そんな素敵な朝食をたっぷりと頂いているとですね、ええ、なんというか。

 食べるのもそこそこにそわそわと子供みたいに落ち着かないじじさまが熱烈な視線を送ってきて、ばっちゃんに窘められていました。

 

「しかしなあ、プルイーノ」

「しかしもへったくれもありません。子供ではないのですから、お皿の上をかたしてしまいなさい」

「わかったわかった。年寄りにあんまり詰め込ませるな」

「世間でいう年寄りは籠一杯の芋を朝から平らげません」

 

 落ち着かないじじさまに苦笑しながら朝食を済ませ、温かい甘茶(ドルチャテオ)を頂きながらじじさまのお話を伺います。

 まあ、伺うまでもなく、隣のウルウはすでにお察しの様で、目が死んでいます。

 仕方ないんです。

 これが辺境なんです。

 辺境貴族なんです。

 

「マテンステロからいろいろ聞いたんだがのう、嫁どんは」

「旦那様、ウルウ様です」

「じゃったじゃった。ウルウどんは、あれじゃ、若造ンとこの爺を見事()したと聞いてな」

 

 じじさまは非常にいい笑顔です。

 辺境貴族のいい笑顔というのはつまりそういうことですね。

 それにしても山賊の親玉みたいな笑い顔をしています。

 

「わしゃな、あの爺さんが欲しかった。ありゃ良か腕だべ。目ぇばつけよったけんどあン若造が先に持ってってしもうての。惜しかことばした。それを無傷で一本取ったち聞いてわしゃ楽しみんしよったと」

「つまり、辺境名物ってことですね」

「むわっはっはっは! うむ! げに辺境名物よ! リリオもチビの武装女中も随分()()よったち聞きおる、見せてもらわにゃいかんべや!」

「もしかして辺境貴族はこの流れやらないと死ぬの?」

 

 ウルウがものすごく面倒くさそうな顔をしていますけれど、まあ、そうですね、死にはしないにしても大層がっかりするので、お付き合いいただければ幸いですね。

 あったかいお風呂と美味しいごはんのお礼と思って。

 

だば(では)! 早速やるべやるべ! 空ン具合もよか! わしゃウルウどんば貰おうかの!」

「あら、駄目よ爺様」

「おうなんじゃマテンステロ! お前がさんざ褒め散らかしたんじゃ、お預けは酷かろ」

「それはもう、腕は確かよ。でもこの娘は遊びが苦手なの」

「ほほう?」

「もう少し手加減できる相手じゃないと、殺しちゃうもの」

 

 じじさまの笑みが、深まりました。

 空気が軋むような笑顔を笑みと呼んでいいのかどうかは知らないですけれど。

 元来笑いとは威嚇であると聞いたことがありますけど、この笑顔の敵とは対峙したくないですね。

 

「ぬわっはっはっはっは! よか! よか! お前に免じて許しちゃる。誰ぞ適当なもん見繕え!」

「すでにご用意しております」

「仕事が早いのうババアは!」

「クソジジイの面倒を見ておりますと自然に」

「ぬわっはっはっはっは!」




用語解説

不凍華(ネフロスタヘルボ)
 放っておいてもはびこる上に手入れも要らず、わさわさと生い茂る葉は多少苦みがあるものの冬場の貴重な食材としてサラダなどにされる。食感はややねっとりと粘り気がある。
 花を原料にした不凍華酒(ネフロスタヴィーノ)は安価な酒類として家庭で醸造されたりする。
 根を焙煎して煮出した不凍華茶(ネフロスタテオ)豆茶(カーフォ)に似た風味があるとか。
 凍らない特性を持つ乳液を水に混ぜ込むことで凍りづらく、また腸詰(コルバーソ)などに混ぜ込むことで低温下でも柔らかさを保つ手法が古来から見られるほか、集めて煮詰めると弾力を示すことが経験的に知られており、噛む嗜好品として用いられていた。
 また接着剤や目張り、防水用途でも用いられた。

・圧力鍋
 帝国では圧力鍋はあまり一般的ではない。
 ただ、買おうと思えば買えるもので、言わば「専門店や料理好きの人が持ってる特殊な調理器具」のような扱いだ。
 基本的に職人の手作りなので、下手な職人のところで買うのはお勧めしない。

 標高の高いモンテート要塞では加熱調理に必須と言ってもいい。
 普通の鍋の形のものや、大型の大量調理用器具としての圧力鍋も存在する。

塩漬竜脂(ドラコグラーソ)(Drakograso)
 飛竜の脂を香草などと一緒に塩漬けにしたもの。
 北部や辺境、一部東部などでよく見かける脂身の塩漬けを飛竜の脂肪で行ったもの。
 飛竜乗りは貴重な脂肪源、熱源としてこういったものを背嚢に詰めているという。

塩漬脂(サリタグラーソ)(Salitagraso)、白脂(グラーソ)(Graso)
 保存がきき、乳酪(ブテーロ)よりも変質しにくく、貴重な脂肪源として重宝される。
 またビタミンなども多く含み、栄養価は高い。

甘茶(ドルチャテオ)
 辺境の甘茶(ドルチャテオ)は甘い香りのする香草の類を使用したハーブティー。
 北部とはまた異なるブレンドのようだ。
 また甘茶(ドルチャテオ)以外にも不凍華(ネフロスタヘルボ)の根を焙煎して煮出した不凍華茶(ネフロスタテオ)なども良く飲まれる。


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