【完結】紅き平和の使者   作:冬月之雪猫

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第二十九話『救世主』

 ――――その男は音もなく現れた。

 誰が気づく間もなく、彼はドナルドの前に立つ。

 

「久しいな、道化」

 

 第二十九話『救世主』

 

 その顔、その声、その姿に見覚えがあった。

 

「あなたは……、あの時の!」

 

 黄金の髪、真紅の瞳。

 すべてが終わり、すべてが始まった日に出会った男。

 

「あの時の約定を覚えているな」

 

 忘れる筈がない。あの日の出来事だけは忘れたくても忘れられない。

 愛する家族。愛する友。愛する故郷。

 空いてしまった穴は何を注いでも満たされず、だからこそ、手を伸ばし続けた。

 

「砕け、歪み、折れ、捻れ、ここまで破綻した人間は、(オレ)ですら見たことがない。そんな男の行く末など、絶望と破滅の二つのみだと思っていた。だが、貴様は世界を救った」

 

 男は鷹揚に笑みを浮かべた。

 

「貴様が生きていた間に戦争は無くならなかった。テロも横行していた。だが、貴様の死後、貴様の意志を継いだ者達がいた。その意志はやがて、確定していた人類の破滅という運命(シナリオ)を回避する力となったのだ。だからこそ、貴様は後の世にこう呼ばれた。第二の救世主(キリスト・セカンド)と……」

 

 第二の救世主(キリスト・セカンド)

 そのあまりにも恐れ多い二つ名に凛達は目を丸くした。

 

「キ、キリストって……、それって、キリスト教の……」

「そうだ。この男は神の子と同等の存在であると人類に肯定された存在だ。それほどの偉業を為したのだ。星詠みの一族(アニムスフィア)が観測した人理の終焉を覆した世界最大宗派ドナルド教の教祖としてな」

 

 ほぼ全員が吹き出した。

 拳を固く握りしめるドナルドと険しい表情を浮かべるセイバーを除いて。

 

「故に、本来貴様が名乗るべきクラスの名はセイヴァー、あるいはルーラーであった筈なのだ。だが、この地の聖杯は内に潜む悪神によって穢されている。人類の祈りは歪められ、その為に、貴様はキャスターというクラスに押し込められた」

「押し込められたって……。それに、悪神って一体……」

 

 困惑する凛にドナルドは言った。

 

「発端は七十年近く前に行われた第三次聖杯戦争なんだ。聖杯戦争史上、最も混迷を極めた戦い。ナチスや帝国陸軍の介入もあり、聖杯戦争は始まる前から熾烈を極めた。未だ、サーヴァントが揃わない内から帝都で争いが始まり、その激戦にアインツベルンの当主アハト翁も肝を冷やしたみたいでね。当時、彼は二つの選択肢の間で揺れていた。圧倒的なアドバンテージを得られる“裁定者(ルーラー)”を喚ぶか、殺す事に特化した“魔王”を喚ぶかでね。そして、彼が選んだのは“魔王”だった」

「魔王……?」

「“この世全ての悪(アンリ・マユ)”の名で知られるゾロアスター教の悪神さ」

 

 その言葉に凛だけでなく、慎二や桜、バゼットも言葉を失った。

 そんな事、出来る筈がない。その言葉を発しようとして、彼らは前例があることに気づく。ライダーが言っていた。ドナルドが喚び出した孫悟空という男は神霊だと。

 

「もっとも、その企みは失敗に終わった。召喚されたのは、ただ“『この世全ての悪』という役割を一身に背負わされた人間”だった」

「アンリ・マユを背負わされたって……?」

 

 士郎の問いにドナルドは哀しそうな表情を浮かべる。

 凛がそっと彼の背中を撫でた。

 

「文明から隔絶された小さな村で行われていた因習だよ。生贄を見繕い、あらゆる災禍の根源を押し付け、延々と蔑み、疎み、傷つける。その結果、平凡な村人だった筈の彼、あるいは彼女は『そういうモノ』になってしまった。べつに神になったわけじゃない。ただ、そういう役割を押し付けられた人間というだけで……」

 

 ドナルドは声を震わせながら続けた。

 

「“この世全ての悪”という役割を持つとは言え、彼は普通の人でしかなかった。だから、初戦であっさりと敵のサーヴァントに討伐されてしまった。そして――――」

 

 何度も、かれは「そして」と呟いた。

 

「彼は普通の人だった……。だけど、彼は周りから身勝手な願いで“この世全ての悪であれ”という“祈り”を背負わされていた。敗北し、“力の一端”として聖杯に取り込まれた時、聖杯の“願望機”としての機能が働いて、彼が背負わされた“祈り”を叶えてしまったんだ」

「叶えてしまったって……、まさか!!」

 

 慎二はいち早く話の根幹に気付いたようで、青褪めた表情を浮かべた。

 

「――――そう、彼は偽物から本物に変わった。とは言え、既に聖杯に取り込まれている状態だから、外に災厄を撒き散らすような事は無かった。けど、そのせいで聖杯自体が穢れてしまった」

 

 ドナルドは語る。

 

「本来、“聖杯”は根源へ至る為の架け橋なんだ。七体の生贄を捧げ、『 』へと至る道を繋ぐ為の杯。“願望機”としての機能はその副産物に過ぎない。けれど、その両方共が歪められてしまった。今の聖杯は“この世全ての悪であれ”という彼、あるいは彼女の背負う“祈り”のみを叶える為の胎盤でしかない」

 

 それは、臓硯をはじめとした聖杯に近しい人々の情報を手に入れた事で知り得た知識だった。

 ドナルドが話し終えると、言葉を失っている者達を尻目に真紅の瞳の男は言った。

 

「救世主たる貴様が、悪神の妨害を受けてなお召喚された理由を貴様はすでに分かっているな」

「……この世界を救うため」

「その通りだ。この世界は既に詰んでいるからな」

「どういう意味……?」

 

 凛の問いに男は答えた。

 

「言葉通りだ。経過がどうあれ、この地で行われる第五次聖杯戦争の中心には、必ずエミヤシロウがいる。いや……、いなければならんのだ」

「いなければならない……?」

「そのままの意味だ。そこにエミヤシロウがいれば良い。いなければ、世界が滅ぶ」

「衛宮がいなければ世界が滅ぶって……、どういう事だよ」

 

 慎二の言葉に男は言った。

 

「そういう存在なのだ。運命を決定するもの。物語で言うところの主人公というものだ。第五次聖杯戦争そのものが行われない世界では、その役目を他の者が担う場合もある。ある世界では、ジークという名のホムンクルスが担い、ある世界では、そこの(イリヤスフィール)が担い、ある世界では藤丸立香という男が担う。そうした者達が役目を放棄した時、世界は破滅へ向かう」

 

 男はイリヤを見た。

 

「その娘がエミヤシロウを攫った時点で運命は決定づけられた。それこそ、無限に等しい数の世界が滅び去った。存続した世界はガイアによって冬木そのものが滅却された世界のみ。エミヤシロウ。貴様の世界がそれだ」

「……それって、つまり」

 

 ドナルドは崩れ落ちた。凛と慎二が咄嗟に支えようとするが、彼は恐怖に満ちた声で呟いた。

 

「僕がドナルドになる為に冬木を離れたから、みんなが……」

「そんなわけあるか!!」

 

 慎二が怒鳴りつけた。

 

「士郎のせいなわけない!!」

 

 凛が叫んだ。

 

「いいや、その通りだ。貴様が冬木に残っていれば、運命は変わっていただろう。マトウシンジは貴様の命を惜しみ最後の決断を下す事が出来なくなり、トオサカリンとイリヤスフィールも貴様に力を貸しただろう。もっとも、そのシナリオでは貴様は救世主にはなれぬだろうが、一定の幸福を得られた事だろうな」

「黙れよ、お前!! 知った風な口を利きやがって!!」

 

 慎二は男に殴りかかった。明らかに異質な存在であり、手を出す事は死を意味すると分かっていても、自分を抑える事が出来なかった。

 けれど、振り上げた腕をドナルドが掴んで止めた。

 

「……ありがとう、慎二。だけど、彼の言葉は真実だ」

 

 涙を零しながら、ドナルドは言った。

 

「真実なわけがあるか!! お前のせいじゃない!! 仮にお前がいなくて滅んだとしても、それはお前以外の連中が悪いんだ!!」

「その通りよ、士郎!! わたし達が情けなかっただけよ!!」

 

 慎二と凛の言葉に、ドナルドは悲しげに微笑んだ。

 

「藤ねえも……、慎二も……、凛ちゃんも……、みんなも守れていたかもしれないんだ。それなのに……、僕は……」

 

 涙を溢れさせるドナルド。慎二と凛は言葉を発する事も出来ず、ただ彼の腕を力強く抱き締めた。

 

「エミヤシロウ。いや、ドナルド・マクドナルド。ここが貴様の道の果てだ。幾億、幾兆……いや、数える事すら叶わぬ世界が滅び去り、それらの世界の人間達の祈りが貴様を導いた。これより貴様が挑むものは運命そのものだ。産声は既にあがっている」

 

 男は言った。

 

「場所が悪かったな。貴様を導く声を届けた穴は、同時に世界を滅ぼす魔を満たした」

 

 その目は凛を見つめていた。

 

「そのままでは、貴様はアレには勝てぬ。だが、一度転ずれば、もはや貴様には戻れぬ」

「なんだよ……、何言ってんだよ、お前!!」

 

 慎二の叫びに男は嗤う。

 

「この男の固有結界を他者の信仰を具現化するものと、そう貴様らは考えているな?」

「……違うってのか」

「間違っているわけではない。だが、正確でもない。この男のソレは真の救世主たるドナルド教教祖ドナルド・マクドナルドへの覚醒の儀式なのだ」

「覚醒の儀式……?」

 

 慎二の目が大きく見開かれていく。

 

「……まさか、衛宮の固有結界って」

「気付いたか、雑種。そうだ、固有結界を発動する度に、エミヤシロウの中にはドナルド教の信者達の祈りが蓄積していった。この男の能力の真髄はキャスターのクラスに押し込められた事で劣化していた存在そのものを本来の救世主へ置き換えていくというものだ。おそらく、次に固有結界を発動すれば、今度こそ完全に救世主へ覚醒を遂げるだろう。それこそが人類(アラヤ)の意志だからな」

「じょ、冗談じゃないわ!!」

 

 凛はドナルドを抱き締めた。

 

「置き換えられていくって何よ!! 士郎は士郎よ!!」

「だが、それでは世界を救えない。さあ、時は来たぞ、エミヤシロウ。貴様の真価を我に示すがいい」

 

 その直後、大地が揺れ始めた。

 ドナルドは自分を抱きしめる少女を一度だけ強く抱き締めてから立ち上がった。

 

「駄目よ……、やめて、士郎!!」

「頼む……、それだけはやめろ。やめてくれ!!」

 

 ドナルドは縋り付く凛と慎二に0円スマイルを送った。

 はじめは切嗣の夢を叶えるためだった。

 藤ねえと慎二に応援してもらって、そして、この世界で彼らと出会えて、だからこそ、決意が固まった。

 

「―――― 僕は世界を救う」

 

 そして、ドナルド・エクササイズが始まった。




次回、最終話『紅き平和の使者』

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