世界が赤色に染っていた。
少女の目に映るのは、浸る鮮血。
覆う暗闇。
ひとたび暗闇が晴れると、そこには血塗られた風景が満ちていた。
「取り押さえろ!」
「は、離せ!」
「………っ」
赤色の街道で、同様の制服に身を包んだ男達が熟練された動きで暴れ回る男を抑えつける。
男は抵抗を繰り返し、その度に上から掛けられる圧力によって地面に叩きつけられていた。
そんな彼の周囲もまた鮮血や血痕にまみれている。
その全てを伝うと、たった今、手錠を掛けられて抵抗できなくなった例の男が落としたナイフに辿り着いた。
そのナイフから垂れる血液をネルシェンはただ眺めていた。
「ネルシェン!」
周囲に群がる観衆を分けて、一人の小太りな男性が名前を呼んで駆け寄ってくる。
警察に身内であることを明かした彼は警官に匿われていた少女を、包んでいた毛布から奪い取るように抱き寄せた。
「叔父、さん……?」
「良かった。お前は、お前だけは生きていて……本当に良かった」
小太りな男性、アーサー・グッドマンは少女、ネルシェンを強く抱き締める。
彼と接するネルシェンには心の底からアーサーが安堵して、自身を心配してくれたのか、ハッキリと理解出来た。
しかし、同時に彼の言葉に違和感を覚える。
「あれ……。お母さん、お父さんは?ねえ……叔父さん。叔父さん?」
「…………っ」
見渡してみても母も父も見当たらない。
今日はネルシェンの誕生日を祝う為に家族で買い物に来た筈なのだ。
だから、例え離れてもすぐ近くに両親はいる。
実際、その通りではあった。
「…………えっ?」
ぐしゃっ、と嫌な感触が彼女の小さな手に触れた。
見下ろすと彼女の視界をまたも赤色が染め尽くした。
触れたのは血色に染まった服。
水分を吸って、掴んだ時にずっしりと重い感覚があった。
だが、少女の驚愕の元はそこではない。
その服に見覚えがあった。
家を出る時、母が来ていたカーディガンとまったくの同一のもの。
幼い彼女でもすぐに思考が追いつこうとする。
触れた身体を目で追い、顔にまで至ると、瞳孔が次第に広がる。
ネルシェンが自身の身の回りを見遣ると、熱い液体に浸る冷たい肉体が彼女を守るように倒れ込んでいた。
「お……おかあ…っ、おと……っうさん……っ!」
身体が震える。
見間違えようがない。
ほんの少し前まで自分の手を引き、微笑みあっていた両親の命が絶えていた。
当たり前のようにあった暖蘭も幸せも打ちひしがれた。
「あっ……ああっ……!」
否定しようと首を振る。
だが、何度瞬きをしても光景は変わらない。
現実は消えない。
ただ実感だけが彼女を襲う。
そこから目を背けようとネルシェンが周囲に視線を振り撒いた時、再度驚愕した。
さっきから視界に入り込んでいた赤色の景色、それは――殺戮の跡だった。
「ひっ……!」
辺り一面が血で染まり、その中心に彼女はいる。
ネルシェンの周りには横に伏せた屍がノミのように捨てられていた。
誰も起き上がろうともしない。
揺れる気配もない。
風に乗った冷たい血が飛ばされてくるだけ。
ネルシェンがあまりに残酷な光景を焼き付けたと同時、犯人と思われる男が警官達に連行されていく。
さっきまで取り押さえられていた男。
その後に続く警官は血に塗れた包丁を回収していた。
連行される男の口元は―――笑っていた。
「…………っ!」
「うおっ!?ネルシェン!」
『奴』を見てネルシェンは頭の中に疑問を抱える。
それをどうしても直接尋ねたくなった彼女は身を寄せている叔父を突き飛ばし、駆け出した。
アーサーが追い掛けようとするが、ネルシェンが男の元へたどり着くのが早かった。
やってきたネルシェンを見て男は警官と共に強引に静止する。
「―――してっ」
「んん?」
「……ねえ、どうして…お母さんとお父さんを殺したの……?」
絞り出された問い。
彼女の大きな瞳を見遣る男は、その問いに対してゆっくりと口元を歪めた。
笑みを浮かべたままネルシェンに顔を寄せてくる。
「お嬢ちゃんのお母さんお父さんにはね、僕と一緒に死んでもらおうかなって思ってたんだ」
「…………えっ?」
男の返答にネルシェンは目を見開き、唖然とする。
内容を飲み込めないまま男は話す口を止めなかった。
「お嬢ちゃんも大きくなればわかるよ。一人で死ぬのは寂しくて怖いんだ」
「………っ」
息が詰まる。
注視すれば、男の目も虚ろだった。
笑顔は狂気だった。
ネルシェンはだだ、理解が追いつかない。
そんな理由で、たった一人の人間の思想に巻き込まれて何もかもを失わなければならないのか。
「止まるな!行くぞ!」
「………」
「ネルシェン!」
男は連行され、独りになったところにアーサーが駆けつけてくる。
しかし、ネルシェンの表情を目にすると彼の表情も曇る。
「あっ…あぁっ」
「ネ、ネルシェン……」
彼女は何も答えない。
ただ瞳から光を無くしていくだけ。
そんな彼女を見たアーサーは抱きしめ、涙を流しながら自身を責め始めた。
「すまない……。私が、私がいながら……っ!私が弱かった!だからお前を、お前の母さんと父さんを守ってやれなかった!」
「よわ、かった……?」
「あぁ!すまない、すまない。ネルシェン……!」
おそらく気休めの言葉だったのだろう。
ろくに接したこともない叔父だった。
故に仕方の無いことだ。
しかし、この時のネルシェンには彼の言葉が心中に収まってしまった。
自分は弱かった。
だから、理不尽な理由で奪われた。
両親は強かった。
だから、私はこうして一命を取り留めている。
―――弱ければ大切なものが奪われる。守る為には、強くならねばならない。
弱者は踏み躙られ、強者のみが存在を許される。
それがこの世界の仕組み。
それがこの世界の真意。
「あ………っ!」
自我を取り戻し、ネルシェンは自身の身体と顔が濡れていることに気づいた。
両親の強い赤液が肉体に染み込まれていく。
この時、熱い血流が彼女に訴えた。
―――強さを求めろ、と。
それから18年、ネルシェンの手の元に力が宿った。
求めた最高のものではなく、更なる強さを得るための力が――。
「【GND-01 ギルス】。これが、私の機体……」
ラグランジュ3の資源コロニーにて、ネルシェンは機体データが記された端末を放り、イノベイターに普及された新たな専用モビルスーツを眺めていた。
格納庫に収められた
瞳を隠すバイザーに騎士を彷彿とさせるヘルメット。
アヘッドの推進力の10倍を誇るため、大型スラスターを内蔵した肩部は大きく、規格外の加速に耐えるための強靭な胸部の装甲を含めて鎧を纏っているかのような印象を抱かせる。
さらに脚部の裏に二つの大型バーニア、双方の下部に二つの小型スラスター、腰部にも一つの大型バーニア、その両隣に小型のスラスターが二つ。
右腕のドーバーガンやメガランチャーなどの集中された火力も。
非対称にシールドだけを持たせた左腕も、腰部に付属させた武装の何もかもがネルシェンの要望通りに揃えられている。
背部にもある大型バーニア、その下のGNドライヴを二連結したダブルドライヴ、他にも満足のいく内容だ。
しかし、どうしても引っかかる点があった。
「イノベイター共め……」
許容できないわけではないが、明確な嫌がらせを無視するほど寛大でもない。
ギルスのカラーリングはネルシェンにとって忌むしている
「ぐっ……!」
疼く胸をはだけたパイロットスーツから覗くインナーの上から掴む。
右肩から心臓部にかけてある痣のような痕が熱い血流を脈打った。
18年前、路上殺人犯の狂気の刃からネルシェンを覆い、両親は刺し殺された。
その時に被った二人の血液は今も尚、ネルシェンの身体に残り続けている。
彼女を守った証であるように、強者の熱がネルシェンを駆り立ててくるのだ。
「……っ!分かって、いる……っ!貴様らに言われずとも……!」
ネルシェンの鋭い瞳がギルスを睨む。
ギルスの真紅は言わばイノベイターが、否、リボンズ・アルマークがサーシェスの一件に勘づいているがための警告だ。
だが、イノベイターの警告など必要ない。
ナオヤの所在が変わらず不明である以上、イノベイターが掌握していないことを期待して動くなどというリスクを犯しはしない。
今はそれほどの『力』がないのだから。
『フォーリンエンジェルス』の時、ネルシェンは敗れた。
それまではこの世界で思うがままに生き抜くことのできる、とまでは言えなくとも大切なものを守ることができるくらいの強さが、自分にはあると思っていた。
しかし、そんな過信は見事に足元を救われたのだ。
―――『翼持ち』、【ガンダムサハクエル】によって。
あの機体に乗る少女は強者だ。
望むものを自らの力で手に入れることが出来る者。
ネルシェンの求めていた力を持つ者。
その少女に、ネルシェンは淘汰された。
力を以て
今度はありきたりの幸福ではなく、この世界で生き抜くために必要な力を。
無力を理解させられたネルシェンは一度は生きることを諦めた。
しかし、彼女を手駒として必要としたイノベイターは死ぬことを許さなかったのだ。
サハクエルに敗れ、赤黒いGN粒子の影響で左半身が再生治療不可となったネルシェンに義眼、義手、義足を与え、最高質の治療と待遇で動けるようにまでなった。
そして、ナオヤの存在を餌にネルシェンを傀儡としたのだ。
奴らは、否、リボンズは最初にナオヤの生死を握っているとネルシェンを脅したが、当然彼女は信用などしない。
だが、その次のリボンズの言葉が彼女を揺れ動かした。
『別に構わないよ。君が信じないのであれば、処分するだけさ。僕らにとってナオヤ・ヒンダレスは必要ないからね』
『………っ!』
正直なところ、ネルシェンにはリボンズの言葉の真偽は分からない。
イノベイターがナオヤを掌握していないと言い切る判断材料などどこにも存在しない。
それに、リボンズは理解していた。
身体を治しても、ネルシェンはその恩義で服従するような性格ではなく―――『餌』が必要なことに。
そこまで用意周到な人物が果たして嘘を吐くだろうか?
答えは分からない。
故に、ネルシェンは膝を地に付け、
プライドも何もかもを捨て、人であることも止め、ただ機会を待つことにしたのだ。
――この世界で存在することが赦され、思うがままに生き抜くことのできる『強さ』を得る機会を――
こうして、ネルシェンはイノベイターの従順な飼い犬としてアロウズに就任した。
弱い彼女にはそれ以外の選択肢は選ぶことができない。
『力』が、必要だった。
ネルシェンの出会った『力』の象徴―――【ガンダムサハクエル】。
あのモビルスーツを倒した時、あの機体を駆る少女を超えた時、初めてネルシェンは……『強者』となる。
「奴を超越した時、私の求める強さが手に入る。奴に奪われた私の強さを取り返すのではなく、更なる強さ……この世界に君臨することのできる『最強』の称号だ」
血痕の痛みに耐え、再度ネルシェンはギルスを見上げる。
ネルシェンが見定めた『最強』の存在を淘汰するために。
「この機体、例えこの命が尽きることになろうとも乗りこなす……!」
自身に見合わないモビルスーツであることは承知している。
乗りこなす技量などないことも承知している。
ギルスの出力ならば戦闘中に命尽きることなど何の意外でもない。
だが、それでもこの戦いだけは負けてはならない。
敗北の結果、命拾いしたとしてもその先に未来などない。
再戦の猶予すらも。
また失う前に大切な者を、ナオヤの身の安全が保証されない今、猶予に賭ける余裕などないのだ。
だからこそ、勝たねばならない。
敗北はネルシェンの存在価値を無にする。
勝利以外は死と変わらない。
ネルシェンにとってこれは―――最後の機会だ。
「……来たか」
先程放った端末の画面に再び光が点る。
もはや確認する必要もない。
内容がどうであれ、ネルシェンのやることは事前に伝えられたことのみ。
すなわち、『
その他の条件がどれほど悪質だろうと飲むしかない。
寧ろサハクエルと対峙し、戦えることだけで充分。
リボンズ・アルマークの傀儡と成り果てたあの時、この対決の時のみは邪魔は入らないようにだけは交渉させてもらえた。
後は―――刃を交えるのみ。
「ようやく……この時が来た……!」
はだけたパイロットスーツを肩に戻し、チャックを閉めつつヘルメットを掴んで床を蹴る。
無重力のため、制限のない浮遊によって上昇していく。
やがて、ギルスと同じ目線の高さにまで至り、コクピットハッチへと掴み寄った。
そのままヘルメットを被り、ギルスへ乗り込んで端末に触れる。
「……これがあれば奴の本気と渡り合える」
端末に浮かぶ文字。
そこに記されているのは―――【TRANS-AM System】、ビリー・カタギリという技術主任が仕込んだ奥の手だ。
ギルスの出力向上の際にレイ・デスペアには内密に授かった。
ソレスタルビーイング壊滅に同調したことが幸いしたらしい。
なににせよ、ネルシェンは思わぬ収穫に歓喜で震えていた。
「デスペアにその意思がないことを見抜くとは。あの技術屋、中々やる。これで私の邪魔は入らんというわけか」
フッ、と笑みを零しバイザーを下ろす。
操縦舵を握ると全周囲モニターが起動し、格納庫を映した。
そして、ギルスの双眼に青い閃光が宿る。
『ギルス、ネルシェン・グッドマン。出陣する!ぐうっ……!』
大型バーニアから大量のGN粒子を噴き、最大出力で上昇する。
その間、コクピットにかかる負担にネルシェンは堪え、コロニーから飛び出した閃光―――ギルスは一直線に無所属の極秘コロニーへと向かった。
書き溜めが尽きたので次の更新まで暫く期間を空けます。