今僕は白昼夢を見ているのかも知れない。
八月の照りつける太陽や、じめじめとした蒸し暑さも感じているし、頬をつたう汗の感触もはっきりと分かる。
踏みしめた土の感触、目の前に広がる建物もリアルだ。現実と見紛うほどに。
いや、これはもう現実でも良いのかも知れない。
ただ一つ、目の前に浮かぶ喋る兎の人形を除けば。
「おーい聞こえてるか? オレは
やたらフレンドリーに、そして予想外に格好いい声でそう話しかけてくる謎の生命体。いや、生命体なのだろうかこれは。
一つ考えられるとすれば、霧の魔物。
しかし霧の魔物が喋るなんて聞いたこともないし、目の前のこれは襲ってくる様子もない。
「おはよーうのすけ」
「おう、おはよう! 今日もがんばってこーぜ!」
それに魔物だとすれば退治されてるはずだ。なにせここは魔法学園なのだから。しかし通りがかる生徒たちは特に気にした様子もなく平然と挨拶を交わしていく。どうやらこれは日常の光景らしい。
「あー……とりあえず、あなたはなんなのか訊いても良いですか?」
「オレは兎ノ助だ! よろしく!」
「あっハイ。よろしくお願いします」
それさっき聞いた。そして僕が聞きたいのはそう言うことではない。
兎ノ助もそれは分かってはいるようだ。僕の様子を見て苦笑らしきものを浮かべる。
「まー実を言うとオレもオレがよく分からん!」
「なんですかそれ……」
「まあどうだって良いじゃんそんなの! オレは今楽しい! それが一番!」
「そうですねー」
どうやら随分と楽天家のようだ。そうきっぱりと言い切られてはどうしようもないな。かなり気になるのだがこの疑問はおいておこう。
「ところで僕はいつまでココに立っていればいいんでしょう?」
「まーまてそう急くなよ。若いうちからそんなんじゃあっという間に歳くっちまうぜ?」
何とはなしにイラッとくるなこのテンション……。
そんな僕の内心を知ってか知らないでか、兎ノ助は続ける。
「もうすこししたら茶髪ショートのカワイー子が案内役としてくるからさ。それまではオレとおしゃべりタイムだ!」
「さいですか」
「オレからもいくつか説明しといてくれーって言われてるから、とりあえず訊きたいこと有ればどんどん言ってくれ!」
訊きたいことか。
「兎ノ助についてのこと以外は特にはないな……」
「興味を持ってくれるのはうれしいんだがオレは男は守備範囲外だ!」
「黙れ兎」
「いきなりどうした転校生!?」
おっとつい本音が口をついて出てしまった。
「いきなり頭おかしいこと言われたのでつい。失礼しました」
「お、おう……なかなか黒いヤツだな転校生」
なぜか兎ノ助が少し引いていた。
若干空気が淀んだが、兎ノ助が気を取り直したように話し始める。
「こほん。えーとだな、まず魔法学園がなんたるかは知ってるよな?」
「それはもちろん。有名ですしね」
「ならよし。一応言っとくと、魔法使いに覚醒した子供たちが魔法を制御できるように補助し、そして霧の魔物との戦いを覚えるってのが普通の学校と違うところだな。……ところで転校生」
「っ。なん、ですか」
ずいっと兎ノ助が顔を寄せてくる。その威圧感に僕は思わず一歩引いてしまっていた。先ほどまでのヘラリとした雰囲気が消え、得体の知れない感じが押し寄せてくる。
「ここからはマジな話だ。心して聴いてくれ転校生」
ウサギのぬいぐるみの表情が笑顔で固定されたまま雰囲気だけがそっくり入れ替わっている。能面のようなそれからはただただ不気味な感じしかしない。
「魔法使いは大変で、そしてとても危険なものだと言うことを知ってほしい。グリモアは他の魔法学園に比べても安全には気を配っているが、それでも毎年五人くらい、──死者が出る」
平坦な口調で兎ノ助は続ける。
「亡くなってしまった生徒を悪く言う訳じゃないが、えてして彼らは単独行動を好みその結果不測の事態に対応しきれず……といった感じで命を落としている。大昔はどうだったかは知らないが、今は昨日有ったことが今日も同じくそうあるかは分からないんだ」
霧の魔物は人類の意を汲んではくれない。それに霧の魔物の行動パターンや戦闘能力も変化してきている──と兎ノ助は言う。
「つまり、オレが何をいいたいか分かるか?」
死を覚悟しろ、とかそんなことだろうか。
しかし兎ノ助が次に発した言葉は予想を大きく外れたものだった。
「学園生活を精一杯楽しめ!」
「…………。はい?」
「学校生活を満喫し、青春するんだ!」
いや言ってること同じ……。
「ここは学校でもあるからな。部活で汗を流すもよし、同じ趣味の人間と分かり合うもよし、体育祭や文化祭とかのイベントだって大規模で行われるんだ!」
そういえば毎年グリモアの文化祭はここら辺では一大イベントだったな。
「そうして学園生活を過ごす中で、君には絶対にあるものを作ってほしいんだ」
あるもの、か……。なるほど、そう言うことか。
合点がいったというような僕の表情を見たのだろう。兎ノ助が大きく頷いた。
「そうだ、転校生! 仲間を作るんだ! お互い信頼しあい、理解し合い、背中を預けてもいいと思えるような、そんな仲間を作れ!」
独りになるな、と兎ノ助はそう言いたいのだろう。
僕は少し兎ノ助のことを見直していた。なるほど、ただのノリのうざいだけのぬいぐるみではないらしい。
そして兎ノ助は少し声を潜める。
「それとだな、男の転校生には良いことがあるんだぜ?」
「いいこと?」
男の僕にいいこと……なんだろうか。皆目見当がつかない。
「魔法使いに覚醒するのは女の子が多いっていうのは知ってるか?」
「? 知ってるけど」
それがどうしたというのだろうか。
「それはここグリモアでも例外じゃなくて、この学園の男女比は2:8なんだ。つまり……」
兎ノ助は少しためてから言い放った。
「ハーレムだっ!!」
いつの間にかあたりには生徒見あたらず、静謐な空間に兎ノ助の言葉が残響する。
…………はぁ。
「女の子もかわいい子が多くてな? よりどりみどりだぜ? グヘヘ…………。ん? どうしたんだ転校生。そんなゴミを見るような目で……」
見直して損をした。訂正。やっぱりこいつはただノリがウザいエロウサギだったようだ。
と、
「すみません。遅くなりました!」
計ったようなタイミングで女生徒が登場。どうやら先ほど兎ノ助が言っていた案内役が来たようだ。