とある狐の話をしよう。
かつては一匹の狐だった。
仲間とは違う何かを抱えながらも普通に野生に生きる一匹の狐だった。
そんな狐が死の間際に自覚した“超常”によって人間の老婆に憑りつき、〝怪異”となった。
人から人へ移り渡る“怪異”、『羽衣狐』という名の生きた超常となった。
老婆へ憑りついた狐は知恵を得る。
長く生きた人の知恵・知識・経験・思考・思想……
老成された精神を糧に学んだ狐は化け狐。妖狐と呼べる存在になる。
そうして、妖狐に己の知恵をすべて渡したころにその老婆は息を引き取った。老衰だった。
死んだ老婆の身体を抜け出し、次の宿主としたのは孫娘。
老いていた前の身体と違い、若々しく活発な体の持ち主。
当時は超常黎明期。まだ特殊体質が“個性”と呼ばれるほど広がっていない時代に“異能”を得た人間が選ぶ道など二つに一つ。
異能を恐れて、人目に触れぬように振る舞うか。
異能を使い、自分のために使うか。
孫娘が選んだのは後者だった。
「おばあちゃんが私に残してくれた特別な力なんだ!」
狐の力を使い、自分のために好き勝手に使う孫娘。
そのとき狐は善悪を理解しておらず、老婆から託された孫娘のために力をなんの躊躇もなく使っていた。
そんなことをしていれば、当然報いは受ける。
孫娘は、同じ異能を使う者――ヒーローと呼ばれる者に殺されたのだ。
ヒーローが法律による規定もなく、自らの義憤と良心によって行動する時代。
不運にも彼らの行動は時に行き過ぎた結果をもたらしたのだ。
もちろん、世の中の評価は孫娘の自業自得。ヒーローを責める声などあるわけがない。
だが、狐はそんなことは知らなかった。ただ、孫娘を殺された仇を討つことを考えていた。
狐が憑りついたのは自殺未遂の女。
生きることを諦めていた彼女は容易く狐に体を譲って消え去った。
自由にできる体を手に入れた狐は、孫娘を殺したヒーローを狙う。
しかし、容易く討ち取れるようなヒーローではなく、次第に警察にも追われるようになった狐は対抗するために群れを作った。
社会の裏に生きるはみ出し者を集め、力で従えて悪の限りを尽くす。
気がつけば、狐はいっぱしの悪の勢力となっていたのだ。
復讐から始まった悪の栄光。
だが、それも長くは続かなかった。
悪を潰すのは正義だけではない。さらに巨大な悪だ。
「狐の身体能力に怪力。実にいい能力だ。ぜひとも僕の力になってくれるかな?」
狐はある日、複数の異能を持つ“化け物”に襲われた。
圧倒的な力に、狐は本能で理解する。
ヤツは絶対的な“捕食者”で自らはその獲物でしかないと……
本能的な恐怖に狐は瀕死の体を捨てて逃げ出した。
まだ息のある宿主を自分の命惜しさに逃げ出したのだ。
『待って、見捨てないで』
意思などもうないはずの彼女が、最後に腕をこちらに伸ばしていたように見えた。
それを見なかったことにして狐は立ち去ったのだった。
逃げた先の次の宿主は幼い少女。傷ついた狐を案じる優しい少女だった。
その女の子のもとで、狐はようやく善悪を知る。
「人を傷つけるのは良くないことなんだよ? 悪いことはしちゃダメ!」
今までの生き方を反省した狐は、女の子のもとで静かに、穏やかに生きると決めた。
何気ない日々。たわいない日常。
しかし、穏やかな日常は長くは続かなかった。
「やぁ、こんなところにいたんだねぇ。まさか他人に乗り移る能力があるとは思わなかったよ」
『どうして!? どうしてヤツがここに!!?』
狐を追いかけてきた“化け物”によって、女の子の一家は姉を除いて全員が死亡した。
運よく難を逃れた姉に憑りつき、狐も逃げおおせるが、それはつらい日々の始まりだった。
「あんたがこなければ! あんたがいなければ私の家族がこんなめにあうことはなかった!!」
「この疫病神! 妹を返せ! 私の家族を、家を返せ!」
「あんたみたいなバケモノなんかいなくなればよかったんだ!!」
宿主から毎日聞かされる恨み言に狐は次第に精神をすり潰していった。
自分は存在してはならなかった。呪われた存在だと……
心をすり減らしながら続けた逃亡劇は姉が殺害されて幕を閉じる。
目の前にはバケモノと言われた自分とは格の違う本物の“化け物”がいた。
「君みたいな珍しい“超常”は貴重だ。その力を僕のために役立ててもらおうか」
捕らえられ、従うように強制された狐に抗うすべはなかった。
抵抗の意志すら起きぬほど、恐怖に支配された狐は生き延びることと引き換えに“化け物”に有益な人物の褒美として与えられることとなった。
生き延びるために、恐ろしい“化け物”にみじめに『飼われる』こととなった狐。
自らを呪われた存在だと思いながらも、生きることにしがみつく自分の生き汚さを嫌いながら命令に従って過ごすしかなかった。
六代目の宿主は“化け物”の愛人の一人で、人をだまして生きる悪女だった。
狐は彼女から人をだます手段・方法を学んだ。
痴情のもつれであっさり死んだ美女に代わり七代目の宿主となったのは、“化け物”の元で働く女暗殺者だった。
彼女もまたヤツに飼われている者で、妙なシンパシーと同族嫌悪を抱いたが、お互い文句を言えるような立場ではなかった。
密かに人を闇に葬る日々を過ごす。
このときに戦闘技術や破壊工作などを学んでいった。
結局、裏社会で汚れ仕事をこなす女暗殺者はある日任務で深手を負ってこれまたあっさり死んだ。
本人もいずれこうなると思っていたのか、残す言葉もなかった。
ただ、似た境遇の狐に同情したのか、女暗殺者は最後に狐を逃がしてくれた。
最後まで何を思っていたのか知らないまま狐は女暗殺者の元を去る。
そうして逃げた八代目の宿主。
普通の女学生で、裏社会とは無縁の少女だった。
狐に憑りつかれ、事情を説明された少女は死の恐怖に怯えた。
当たり前だろう、ある日突然わけのわからない何かに憑りつかれてそいつのせいで命を狙われるかもしれないのだ。
そうして怯えて、怯えて、怯えて……
彼女は狐を無いものとした。
狐の存在をまるっきり無視し、存在自体を認めない。
たしかにあるものを無いように振る舞うというのは健全な状態ではない。
だが、彼女は死にたくないがために何年も、何十年も続けた。
狐もそれを受け入れた。狐も死たくないという気持ちは同じであったから。
そうして姿も完全に見せず長い時間を過ごしたが、ある日交通事故で命を落とした。
死から逃げ続けた挙句、その死に方はありふれた交通事故。裏社会もなにも関係のないただの事故だった。
どうやっても宿主が非業の死を遂げる己の存在はやはり呪われている。
無能力者=無個性の人間が少なくなり、宿主もなかなか見つからなくなった現在。
今度こそ消えてしまおうと狐は思っていた。
思っていたのに……
『大変だ! ここは動物病院に連絡を……いや、野生動物相手の対応は保健所かな? とりあえず専門家の意見を聞いて対応を指示してもらわないと』
偶然通りかかった“無個性”の少年に狐は憑りついたのだ。
身についてしまった生き汚さはどうしようもないと嘆く狐。
これまでの己の遍歴を語り、呪われた人生を歩ませることを謝る狐だったが、九代目の宿主である少年。
緑谷出久は笑っていた。
「狐さんは無個性の人間じゃないと憑りつけなくて、消えてしまうんだよね?」
「なら、僕は君を救けられて良かったと思うんだ。僕が14年間、無個性だったのは無駄じゃなかった。何の役にもたたない“デク”って呼ばれてきたけれど、君を救けるためにそうだったんだと思えば救われた気がして嬉しいんだ……」
「だから、ありがとう。僕のところに来てくれて、
自らを否定するどころか感謝の言葉すら投げかけてくれる出久に狐の心は喜びに打ち震えた。
ただ、教えられるだけだった。
ただ、力を振るうだけだった。
ただ、ともにあるだけだった。
ただ、ひたすら従うだけだった。
ただただ、存在するだけだった。
それがこうして認められるだけで、こうも心が熱くなるものなのか。
「ハハハ! こんな化け狐を救えてよかったとは、主様は物好きじゃな。こんな、こんな獣畜生と人生を相乗りすることとなったというのに……
妾を救ってくれた恩は返さねばならぬ。これから先、妾の力をすべて主様に捧げよう」
いままで命惜しさに逃げ続けてきた生涯だったが、認めてくれた出久のためならば力は惜しむまいと思った。
この出久のためなら
そんな覚悟を決めた狐は出久にこの力をどう使いたいか尋ねる。
その答えを出久は少し恥ずかしそうに、だが、誇らしげに答えた。
「僕は……僕はヒーローになりたい。どんな困っている人でも笑顔で救けちゃう超カッコイイヒーローに」
「ヒーロー……か。なれるさ、主様なら」
「そう、かな。僕も、ヒーローになれるかな?」
「もちろんであろう! なにせ、主様は妾を救ってくれたヒーローじゃからな!」
『主様の夢を語る顔はキラキラしていて、とても綺麗だった。この夢と笑顔のためなら妾はもう何も怖くない。どんなことでもしてみせる』
こうして狐は一人の少年に救けられ、“乙音”という名を少年からもらった。
一人の少年と一匹の狐が夢を目指して歩き始めた最初の話。
ああ、言い忘れていたが、これは一人と一匹が最高のヒーローになる物語だ。