才槌頭
――大洗女子学園生徒会広報・河嶋桃。
彼女の名前を大洗で知らない者は存在しない。
生徒会の権威を笠にきて、傲慢で自分を恃むところが強く、人を見下し馬鹿にして、協調という言葉を知らない血も涙もない悪魔のような女。というのが大方の桃に対する評価となっている。
つまるところ嫌われ者だった。
「桃ちゃん、私悔しいよ」
何時だったか、桃の親友で同じく生徒会に所属する小山柚子がそうこぼしたことがある。
彼女にとって桃は世間で言われるような悪魔なんかじゃない。ただ妥協を知らず正義感が強い真面目な人なのである。大洗のために桃がどれほど身を粉にして働いているのか、柚子は常々世間に広めてやりたいと思っていた。
だがそれは桃が止めている。桃にしてみれば世間の評価はどうでも良かった。
桃は清浄なものが好きである。逆に清浄ではないものを親の仇のように嫌っていた。
その桃からすれば、自身の行動は大洗を清浄にしているだけのことである。別に私利私欲で行動してなどいない。全ては大洗のために、そして敬愛する生徒会長・角谷杏のためである。
生徒会の権威を笠に着ていると人は言うが、お前らは自分から決まり事を守らないではないか。いくら同じことを言っても暖簾に腕押しなのだから、権威という力を使って何が悪い。そも校則で決められていないことには何も言っていないのだ。
(正義だ。私の行いは正義なのだ)
正義を指して悪の行為と戯言を宣うような戯け者どもの言うことなど、知ったことではないのだ。私は世に誇れる仕事をやっている、と確かな自負があった。
宋代の名臣たちの言行を集めた逸話集『宋名臣言行録』に、宋の宰相を務めた呂蒙正がこういう言葉を残したと記されている。
『水至って清ければ則ち魚なし。人至って察なれば則ち徒なし』
これは、水は清すぎてしまうと魚が住めなくなってしまう。これと同じ話で、どんな小さなことでも厳しく咎めようとすると、人に嫌われて孤独になってしまう。人の上に立つ者は清濁併せ持ち極端にならないよう心掛けるべきだ、という意味である。
この言葉は桃が最も嫌いな言葉だ。
どうして汚いものを許容する必要がある。決まり事を破ることを黙認する者など、それこそ上に立つ者がやることではない。上に立つ者こそ率先して清く正しくあらねばならないと言うのに。正義でなくてはならないのに。
そして自分の正義は、柚子のように分かる人には分かっている。それで良い。分かってくれる人がいるのだからそれで良いのだ。
ある日のこと――。
桃は杏から一つの仕事を承った。
バレーボール部の廃部を任されたのだ。近年目立った功績がなく、部員数は四人。バレーボールは最低五人でするスポーツである。最低限の人数を確保できていないのなら大会での功績を見込める筈もなく、予算の削減ということで廃部が決定したのだ。
そのことを納得させる役目を担ったのが桃なのである。
これに柚子は猛反対した。こんなことを桃に任せたら、またあることないこと桃が批難されてしまう。そんな事は断じて認められない。
誰か別の人にやらせるべきだ、と柚子は強く提案した。
この提案を却下したのは他ならぬ桃である。
気持ちは嬉しい。だが、これは自分の仕事なのだと。
「柚子、何も心配する必要はない」
「でもっ!」
「これは他の者には任せておけん。確かにバレー部の者達には恨まれるやも知れぬ。が、考えてもみろ。今、生徒会への不満は私一人が担っていると言っても過言ではない。だが、もし私以外の者に矛先が向かえば、いずれ会長にも矛先が向けられるかもしれん。柚子、人には役割というものがある。これが私の役割、私の正義だ。安心しろ。会長にも、お前達にも一切牙は向けさせん」
柚子は何も答えなかった。
放課後、体育館で練習しているバレーボール部の下に出向き、かくかくしかじかの話で廃部が決定したのだと、桃はなるべく分かりやすく説明した。
バレーボール部は案の定反発したが、そんなことをされたところで何かが変わることはない。最後には情に訴えられもしたが、桃は仕事に恩情を挟むことなどあり得なかった。このせいで冷徹だと憎まれるのだが、どこ吹く風である。
桃としてはなるべく納得してもらいたかった。強行して後からぐちぐちと言われるのが一番面倒なのである。
なので何度も何度もこれこれこういう事情なのだと、分かって欲しいと説いた。しかしバレーボール部はいつまでも喰いついてくる。
桃には分からなかった。
どうして分かりやすく何度も説明しているのに分かってくれない。決まったものは仕方ないのだから大人しく受け入れろ。どうしてそんな簡単なことが出来ないのだと、桃は内心に憤りがあった。
ついにはこう言い放った。
「その方らがいくら喚いたところで意味はない。私とて暇ではないのだ。いつまでもその方らにかかずらっておるわけにはいかんのだ。もう良い。余計なことを言うな。はい、分かりましたとだけ申せ」
この横柄極まる物言いに、バレーボール部の部長である磯辺典子も頭に来たようだ。反射的な速度で、気付けば桃の胸倉を締めあげていた。怒りのままに強く締めあげるので、桃は一瞬痛みで顔を顰める。
(野蛮な奴め。気に入らないことがあれば直ぐに暴力を振るってくる)
桃は睨みつけてくる典子を冷淡な眼差しで見下ろした。女らしさの欠片もない奴め、少しは柚子を見習ったらどうだ、と余計なお世話の心中である。
大抵の人と衝突する桃だったが、特に武闘派との相性は致命的なのだった。
十秒ほど睨み合っていると、典子が桃を手酷く放して憎らしい気持ちを声に込めて吐き捨てた。
「はい、分かりました!」
納得はしていなさそうだがもう良い。時間もないし、欲しい言葉は受け取ったので一先ずこれで問題はないだろう。
乱れた襟首を正してから、何事もなかったように去ろうとする桃の背に向かって吐かれたのは、呪いのような言葉った。
「お前は人の心が分からない。人は理論だけでなく心でも動く生き物だ。しかしお前は人の心の苦しみを理解しないし、理解しようとしない。今に酷い目に遭うぞ」
桃は典子の言葉をきっちりと聞き取りながら馬鹿馬鹿しいと鼻で笑った。人の心は分かっている。分からないのは馬鹿の心だ。そしてそんな者たちの心など分かる必要は欠片もない。これまで通り、大洗のため、杏のために力を尽くすだけである。
体育館から帰ってきたころには、先ほどの典子の言葉はすっかり記憶の片隅だった。
杏に報告をしてから、直ぐに次の仕事に取り掛かる。
仕事をしている最中、ふと記憶の片隅に追いやった典子の言葉がちくちくと指すように頭の中をよぎる。捨て置いても捨て置いても一定時間が経つとよぎるのだった。
どうしようもないので無視して仕事を続ける。桃が本当の意味で人の心を理解するのはまだまだ先の話であった。
才槌頭――石田三成