二世で偉大なお諏訪様
長閑な空模様だった。喧騒さとは無縁の吸い込まれそうなほど青々しい空だ。涼やかな風が身体全体を撫でていくことの何と心地良いことか。
しかし、エリカの心はどす黒い。空とは正反対に黒々としており、荒々しく煮えたぎっていた。さもありなん。置かれた状況が状況なのだから。
「ちくしょうっ!」
虎が吼えたような怒号であった。
続けて鈍い音が一回、二回と、お世辞にも青空には到底相応しくない。そんな音は止むことを知らなかった。
「どいつもこいつも私を馬鹿にして!」
エリカの足が目前の戦車を蹴る。音の正体はこれであった。己の足に傷がつくことなどまったく勘定に入れず、ただ鬱憤を晴らすためだけに何度も何度も蹴りつける。
荒ぶる心が抑えきれないのだ。抑えきれないがためにこうして外に吐き出されるのである。こうしないと心が耐えきれないのだった。
「ふざけないでよ。この私を馬鹿にしてただで済むと思ってたら大違いよ!」
元は端正で美しい容姿をしていたのだろう。銀色の髪は陽の光に反射して輝きを放ち、切れ長の瞳は人を惹きつけ、笑えばほうっと思わず息をついてしまうようなそんな美女。
けれども、今の彼女にはかろうじてその美しさの面影が見え隠れする程度でしかない。
髪は手入れが行き届いていないのかぼさぼさで、瞳は血走って殺気を所かまわず発している。危うい。最早腹を空かせた野生の猛獣そのままの姿だった。
黒森峰女学園機甲科現隊長――逸見エリカ。
彼女がこうまで変わった原因は、四か月前の世代交代に遡る。
予兆と言うべきものはエリカが副隊長だった頃からあった。黒森峰女学園という名門で、戦車道における名家ではなかった彼女は、嫉妬の対象だった。どうしてあいつ何かが副隊長なんだ。よくある話であり、彼女自身特には気にも留めていなかった。
問題になったのは彼女が隊長になると決まってからである。
エリカの前の隊長である西住まほは人望が篤かった。日本戦車道を二分する名家の出身で、器量よく、能力があり文句なしの統率者である。
そのまほの後をエリカは継ぐことになったのだ。副隊長に就任した時でさえ嫉妬の対象となった。ならば隊長になればどうなるか。
嫉妬が表面化され反発を生み、ついには反エリカ派とも呼ぶべき勢力が誕生する。
これにはエリカも気にしないなどと言ってはいられない。何とか和解しようと奔走する日々が始まった。
だが、エリカのこの努力は全くの無駄だった。反エリカ派は、彼女と一向に和解する気はなく独自路線を歩んでいく。
「だったら力を見せつけて従わせてやるわ」
そっちがその気なら穏便に解決しようなんて止めだ。自分の力を見せつけることで従いたくなるようにしてやる。ここから、正規の道を外れて修羅の道へと突き進むのである。
先ず、自分に反発する人を要職につけず冷や飯を与えた。不穏分子を近くに置いておくわけにもいかないので、当然の処置だ。
続いて他校に片っ端から練習試合を申し込んだ。聖グロリアーナ、サンダース、プラウダ、知波単、継続、マジノなどなど。自分は勝てる隊長なんだと単純な力を示すためであった。
幸か不幸か、エリカは恐ろしく強かった。
向かう所敵なし。内部は分裂し自分に従わない者が多くいる中で連戦連勝。客観的に判断して、前隊長のまほよりも強かった。密かにだが、エリカ自身敬愛するまほを超えたのだという自覚があった。
「どうよ。これで従う気になったでしょ」
権力という力を見せ、武力という力も見せた。これで誰も文句なく、自分に従ってくれるだろうとエリカはほくそ笑んだ。
が、話はそんなに単純に終わらないのである。
反エリカ派は事ここに至ってもエリカに従うことを由としなかったのだ。理由などもう定かではない。
「逸見エリカは隊長の器ではない」
「自分をよいしょする者だけを傍においている」
「ただ強いだけ」
「隊長名代」
そう言って徹底反発を主張したのである。
このことにエリカは大激怒。彼女も彼女で変わらない態度を表明した。
ここまでくるとお互いに意固地になっているだけである。
エリカは自分の力を証明し続けるべく、基礎の練習などよりも対外試合に重きをおいた練習メニューを組んだ。そうして戦い続けた。
ある日のことである。
反エリカ派の一人がこんなことを言った。
「逸見エリカは各所に戦いを挑んでいるけど、大洗には一回も挑んでいない。それは西住みほを恐れているからだ」
西住みほはまほの妹である。もともと黒森峰女学園に所属していたが、とある事情があり大洗に転校。転校先で全国大会に素人集団を率いての優勝という伝説を残した。
エリカはみほを恐れている。
この言葉はエリカの怒りを買うに多額のお釣りが出る。
同門だった時、エリカはみほをライバル視していた。そのみほを恐れている、つまりは自分が劣っているなどと言われて黙っているほど殊勝なエリカじゃない。
「この私がみほを恐れているですって!? 冗談じゃないわ! どうしてみほ如きを私が恐れなくちゃならないのよッ! あんな奴、一揉みに踏みつぶしてやるんだからッ!!」
直ぐにエリカは大洗に電話を掛けて練習試合を申し込んだ。
大洗側は二つ返事で了承し、週の終わりに試合が決まったのである。
早速、大洗との練習試合があることを他の隊員に明かした。
大多数の隊員は全国大会での雪辱を晴らすぞ、と意気揚々であったが、やはり反エリカ派の反応は他と違う。ニヤニヤと嫌らしい笑顔で、エリカに視線を遣っている。
「おやっ? やっとですか、逸見さん。前から私達は大洗との練習試合を進言していたというに音沙汰がないので、よもやと思っていましたが、ふふ、忘れていないようで何よりです」
ねっとりと絡みつくような声音に、エリカはキッと発言者を睨みつける。
その視線も何のその、返ってきたのはこれ見よがしな失笑だった。
反エリカ派は、これでエリカを隊長の座より引きずり下ろせると思っていた。罷り間違っても、エリカが大洗に勝つなどと欠片も思っていない。
と言うのも、黒森峰はまほがいた時に大洗と戦って負けたのである。万全の態勢であるにもかかわらず負けた。ならばエリカなんかが勝てるわけないじゃないか、というのが反エリカ派の意見だった。もし勝ってしまったら、内部を纏めきれないような者が指揮を執り勝ってしまったら、まほが無能のようじゃないか。反エリカ派はまほの信奉者でもある。そんなことは認められないという想いもあるのかもしれない。
ただそんな想いなど知ったことではないのはエリカだ。
だいたい、後継者を選択したのは他ならぬまほなのである。エリカはまほに認められて隊長の座に就いたわけであって、それに盾突くというのは、まほに盾突いているも同然。今に見ていろ、謀反人どもめ、と鼻息が荒い。
「どこまでも私を馬鹿にしてッ! 絶対に吠えずらをかかせてやるわよッ!」
そうして湧き上がる怒りは、戦車へとぶつけられるのである。
見返してやるぞ。私が黒森峰の隊長だということを思い知らせてやる。誰に頭を下げるべきか分からせてやる。
「うおおおおおおおおお!!」
虎が咆哮した。
「……エリカさん」
そんな、自分の怒りを戦車にぶつけ続けるエリカを見守る一人の少女。
この時のエリカは、傍らに寄り添い自分を心配してくれる存在がいることに、全くと言って良いほどに気付いていなかった。
二世で偉大なお諏訪様――武田勝頼