SAO/extra   作:ハマグリボンバー

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1-3 月下のアインザッツ

 

 

 

───いつか、この過ちを笑って話せる日が来るのなら。

 

 

 

 

 

 あすなーと、リビングから私を呼ぶ声がする。

 

 

 力が抜けるその声にどうしたのと返事をしながら、オーブンにパン生地を入れてタイマーを回した。

 

 

───いや、今日のご飯はどうするのかと思って。

 

 

 ひょこりと、栗毛を揺らしながら、岸波白野はこちらを覗きこんでくる。

 

 よほどお腹が空いているのか、その目は期待に満ち、口もやや半開きだ。

 

 まるで子供のようなその姿呆れる。だが、その感情とは反対に頬が緩んだ。そんなにキラキラとした瞳で聞かれれば、誰だって嬉しくなってしまう。

 

 「白野さんがこの前言ってた、焼きそばパンを作ってみようと思って。あとビーフシチュー」

 

 我ながらこの組み合わせはどうかと思ったが、なんとなく、焼きそばパンと麻婆豆腐とロールケーキが好きと言う、好物に一貫性のない目の前の少女に、今日も合わせてあげたくなったのだ。

 

 思い返せば、ここのところ、夕飯は全て岸波白野のリクエスト通りである。別に不満があるわけではないが、些か甘やかし過ぎかと思い直す。─ただ、今日は岸波白野の初めての迷宮区で、特に大変な一日であっただろうから、今日ぐらいは許してあげよう。

 

 

 料理は、自分の為に作るよりも、他人の為に作った方が楽しいものだ。それが、喜んで食べてくれる人であるならば。

 

 

 紅しょうが多めで!と両手をあげる少女に苦笑しつつ、それはまだ再現できてないなぁと返事をした。

 

 

 肩を落とす白野を横目に見つつ、アイテムストレージから、いくつかの食器を取り出す。

 

 全てが時間をかけて探し回った食器だ。否、食器だけではない。この家に置かれた家具の全ては、いくつもの露店を回って買い集めた。

 中でもこの食器は、現実で結城明日菜が好んで使っていた食器に酷似していた。店頭で見つけた当初は、なんとも言えない気持ちなったものだ。

 

 それからというもの、私は食事の度にこの食器を使用している。

 

 

 それは、せめてここが、(アスナ)の帰るべき場所であって欲しいがために。

 

 それは、ここが(結城明日菜)の現実であると刻みつけるために。

 

 

 食器の準備を終えてみれば、それでもオーブンの上に表示された残り時間はずいぶんと残っている。

 いくら、この電脳世界の料理が簡略化されているとは言え、待ち時間も無しに進められるほど時間がかからないものではない。むしろ、火にかけている鍋をかき混ぜる必要がない分、手が空く時間は現実より長い。

 

 

 

───ビーフシチューは初めてだ。勿論、知識としては知っていたが。

 

 

 いつの間にか隣まで来ていた白野が、隣で鍋を見下ろす。

 

 重力に従って垂れる髪が鍋に触れないように、そっと耳にかけ直しながら、その小さな鼻をすんすんと鳴らす。

 

 

 

 「そうなの?アーチャーさんは料理が上手だったんでしょう?」

 

 そんな白野の姿にふと悪戯心が湧いて、適当に返事をしながら、白野の目の前にある鍋の蓋をずらした。

 

 隙間から蒸気が一気に溢れだす。それを顔に浴びた白野は、わっぷ!と叫びながら顔をあげた。

 

 

───アスナ!!

 

 怨めしそうにこちらを見る白野にニシシと笑えば、仕方なさげに息を吐かれる。

 

 

───…確かにそうだが、私はそんなことアスナに伝えただろうか?

 

 

 その言葉に今度はこちらが首を傾げた。

 

 

 はて、私はそれをどこで聞いたのだったか。

 

 「…貴女が言ってないことを、私が知ってるはずないでしょ?」

 

 確かに思い返してみれば、白野の口からそんなことを聞いた覚えはない。だが、白野の反応を見るに、私の言葉に誤りはないようであるし、どこかで聞いたのは間違いないはずだ。ならば、それがいつ、どこで聞いたかなど些末な問題だと結論付ける。

 

 確かに。と白野は頷いた。

 

 

───アーチャーは料理が得意だったが、それに反して彼の料理を食べた回数は多くない。他のマスターに追いつけ追い越せで、それどころではなかったから。

 

 そもそも途中までは仲良くなかったのだ。と話す姿は何処か嬉しそうで。まるで大切な思い出を慈しむように見えた。

 

 「…そう」

 

 その姿を見ていられず、視線を食器へと移す。現実でも使い続けてきたそれは、この世界にある現実の残滓とも言える。

 

 白を基調とし、その円周を縁取るように花柄の装飾が為された食器。

 決して特徴的な模様ではないが、その素朴で美しい絵を気に入っていた。

 

 とはいえ、私が使っている食器は、別に特別なものでもなければ、さほど高価な物でもない。いわゆる量産品の一つであり、気に入ってる模様だって、誰か職人が筆で描いたようなものではない。現実でも、アインクラッドでも、お店に行けば同じものがズラリと並んでいるような、そんな程度の物なのだ。

 

 

 量産品が現実の残滓だなんて格好がつかないと思うが、事実としてそう感じてしまうのだからしょうがない。

 

 

 あぁ。こんな事なら食器棚の奥に仕舞ってあった、─見るからに高価そうな─一点物の食器でも使っておくべきだった。

 

 そうすれば、オーダーメイドした食器が現実の残滓で─とそこまで考えて、やっぱり無いなと息を吐く。

 

 今よりは良いかも知れないが、そこまで考えるなら食器に拘る必要などないし、わざわざオーダーメイドしてまで現実と同じものを使いたいとは思わない。

 

 そもそも、食器棚にあった高価そうな食器は、あくまでも来客用で、両親から使うなと厳命されていた。

 

 

 そこまで考えて、ふと隣に意識をやる。

 

 例えば、白野であればどんな食器にするのだろう。今も、鍋の上に表示されたタイマーを親の仇のように睨み付けている少女が、どんな基準で物を選ぶのか、少しだけ興味があった。

 

 

 きっと突飛で、ヘンテコで、それでいて美しい物に違いない。

 

 

───アスナ?

 

 「えっ──」

 

 突然視界に入り込んだ少女に驚いて、思わず皿を持つ手を放してしまう。

 

 ガシャンと、陶器の割れる音が響く。無数に割れた『それ』はすかさずキラキラと溶けていった。

 

 

 ──あ…。と何も無くなった床を眺める。フローリングは傷一つなく、先程、食器を落としたことすら今では夢のようだ。

 

 

───すまない。驚かせてしまった。

 

 

 眉を八の字に歪め、申し訳なさそうにこちらを伺う白野に、気にしないでと告げる。

 

 

 

 「ごめんなさい。ちょっとぼーっとしてて。」

 

 

 ただ、食器が一つ無くなってしまったのはいかんともし難い。別に一枚無くなったところで困る訳ではないが、一応他のお碗やらなんやらと数を合わせていたこともあるし、またどこかで新しく購入しなくては。

 

 

 

 あぁ、なら丁度良いじゃないか。

 

 

 

 「明日、一緒に買い物に行きましょ。割っちゃったお皿の代わりを買わないと。せっかくだから、白野さんが選んでよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「──だから!どうしてそうなるんですか!!」

 

 

 アスナの悲痛な叫びが、室内に木霊した。

 

 決して広いとは言えない一室に、大人が6人。どう考えても手狭だ。

 

 

 トントントンと、キリトがヒースクリフに視線すら向けず、指先でテーブルを叩く音が嫌に耳についた。

 

 激昂するアスナと底冷えする空気。その中心にいて尚、《伝説》は揺るがない。

 

 それは、どこか聞き分けの悪い幼子に語りかけるように。

 

 「もともと、《岸波白野》の一件は血盟騎士団で引き受けたものだ。アスナ君が血盟騎士団を休団するというなら、《彼女》はこちらで引き取らせてもらう。至極当然の帰結に思うのだが?」

 

 「でも!ここまでは私が!私一人が白野さんと一緒に!」

 

 「これまでの1週間、《岸波白野》と行動を共にしていたのは《血盟騎士団の副団長》だ。《アスナ》という個人のプレイヤーではない」

 

 「でも──!!」

 

 「血盟騎士団の応援も、或いは予定していたローテーションも、断ったのはアスナ君だ。にも関わらず『私一人でやってきたのだから』と言われたら、こちらも困ってしまう」

 

 言葉にならない何かを吐き出すように、アスナは口をパクパクと開閉する。はしばみ色の瞳には大粒の涙が浮かび、歯がカチカチと音を立てた。

 

 渦中の中心にいながら、そんなアスナに気付きながら、未だに言うべき言葉の見つからない私のなんと情けないことか。

 

 カツンと、キリトの指が一際大きな音を鳴らした。

 

 「らしくないな、ヒースクリフ。アンタがそういうことを言うなんて」

 

 ヒースクリフに背を向けたまま、キリトが口を開く。

 

 「──そういうこととは?」

 

 「ギルドメンバーとしての義務とか責任とか、こうあるべきみたいな価値観の押し付けだよ。75層のボス攻略の時に"みんな"が揃うなら、それまで、誰がどこで何をしてても本当は構わないんだろ?」

 

 

 "みんな"。キリトはそんなぼかし方をしたが、要は私のことだ。いや、それもまた正しくない。《コードキャスト》が使えるなら、別に私でなくても構わないのだろう。

 

 「いや、白野くんは片手を失ったのだろう?ならば再度武器の習熟度を上直してもらわなくてはならない。だが、アスナ君のレベルは現在の攻略組の平均よりやや高い程度。《岸波白野》の育成を手伝っていれば、ボス攻略は危険となる。ここは他でもない75層だ。もとより、アスナ君一人に任せることは出来なかった」

 

 そこまで言ってヒースクリフは一度言葉を止めた。

 

 「それにしても、キリト君。──らしくないな、君がそういうことを言うなんて」

 

 らしくない──のだろうか。キリトとの交友の薄い私では判断することはできなかった。ただ、もし本当に普段のキリトが言わないような言葉なら、それは、キリトの考えが変わったとかではなく、言葉の額面とその真意に、少なからず差があるからで。

 

 それはきっとキリトだけではないのだと思う。

 

 胸の内のドロドロとした感情を、願望を、欲望を、別の理由で正当化して、お前は間違ってると叫ぶのは、きっと誰しもしてしまうことで、《生きる伝説》なんて言われても、結局はそう変わらない筈で。

 

 

 「おいおい、さっきから黙って聞いてれば、ちょっと大人気ねぇーんじゃねぇか?」

 

 「君は、《風林火山》のクライン君か。ボス攻略では、いつも感謝しているよ」

 

 「おう。こちらこそお世話になってますよっと。んで、その攻略では、いつも前線を支えてくれてるアンタが、なんだってこんなガキを虐めるようなことをすんだよ」

 

 「…ガキとは?」

 

 「キリトもアスナも、どう見たってまだガキだろーが!いい大人が正論で丸め込んでじゃねーよ!」

 

 「キリト君もアスナ君も、ここでは一介の戦士だ。私はここまで前線を張り続けた彼等の功績と、その経験を深く尊敬している。故に、その発言を子供の戯れ言と切り捨てることはしないし、間違っているのであれば、一人の人間としてそれを正そう。もし、彼等が戦士ではなく、守られるべき子供だと言うのであれば、残念だが攻略から引いてもらわなくてはいけない。これは大人の義務としてだ。──その場合、《岸波白野》は、血盟騎士団と来てもらうことになる」

 

 違うかね?とヒースクリフ。

 

 「どんな言葉で飾っても、やってることは変わんねぇぞ。ヒースクリフ」

 

 「その通りだとも。そして、正しいのは私だ。」

 

 

 ヒースクリフのその言葉で、場は再び静寂に落ちる。頼れる男エギルは、柱に寄りかかり、目をつぶったまま沈黙を守り続けている。

 

 

 

 ……。

 

 

 これは勝ち目がありませんわ。

 

 

 そもそも、この部屋まで来られた時点でどうしようもなかったのだ。想定される反論は、全て回答が準備されていることだろう。

 それに、私とて、私と一緒にいることでアスナが危うくなると言われれば、『アスナと一緒にいたいから貴方とは行かない』なんて言える筈もない。

 

 私はヒースクリフと行くべきなのだ。もっと早く自分から言い出せば良かった。こんなギリギリになるまで、なぜそこに思考が至らないのか。

 

 

 「前に、そんなことばかり言ってたギルドは、2つとも前線から引くことになったぞ」

 

 「なるほど。確かにその通りだ。──だからどうかしたかね?」

 

 未だに続く口論へと意識を向ける。私の為かアスナの為かは知らないが、私を行かせまいとこれだけ必死に反論する姿には嬉しくなる。だが、答えが私の中で答えが出た以上、もはや口論に意味はない。私が割り込んでそれで終わりだ。

 

 

 「そもそも!そうやって白野さんをアイテムみたいに!彼女の意思はどうなるのよ!」

 

「…ふむ。ならば聞こうか。白野くん。ここまでの話を聞いて、君はどう思うのかね?」

 

 

 急に向けられた意識と問いに、僅かに返答を窮してしまう。「アスナとの連携は取りやすい」とか、「キリトの戦い方は勉強になる」とか、「アスナのご飯をもっと食べたい」とか、そんな自分の考えとは異なる言葉ばかり浮かんでは消え、肝心の言葉は、何一つ喉を登ってこようとしない。

 

 

 私がすぐに自分側につくと思っていたのであろうアスナの表情が、徐々に不安に染まっていくのが、余計にそれを後押しした。

 

 

 

 だけど、これは仕方のないことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

──────やめて!!私の為に争わないで!!

 

 

 

 

 

 これにて万事解決である。

 

 

 


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