SAO/extra   作:ハマグリボンバー

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本日二話目


0-7 舞台裏では演者が歌う

 一歩そこに踏み入れば、それだけで意識は切り替わる。

 

 今すぐにコードキャストを使い、悪魔──グリームアイズの動きを止めるのでは駄目だ。

 この鉄の城において、コードキャストには、副作用がある。一度使えば、私は痛みで動けなくなるのだから、使えるのは一度。先に、コーバッツがグリームアイズを諦めてくれなければ話にならない。

 

 

 「総員!突撃!!」

 

 

──このっ!!

 

 

 悪魔の向こう側では、隊列を組み直したコーバッツが、再び突撃を選択していた。

 

 

──予定では、ダメージ覚悟でグリームアイズの背中にソードスキルを打ち込み、ターゲットを私に移そうと考えていたが、どうやらそういう訳にもいかなそうだ。

 

 それでは、どう考えても間に合わない。

 

 

 

 グリームアイズの吐き出した眩い噴気が、《軍》の動きを阻害する。そこに悪魔の巨剣が突き立てられた。掬い上げるような逆袈裟斬り。技術も何もないゴルフスイングのようなそれは、それでも正面に立つコーバッツのヒットポイントを削り切るには十分な威力をもっていることだろう。

 

 悪魔の吐息に毒された男はかわせない。ただ目も見開き、目の前に迫り来る死を眺めることしかできない。

 

 

 グリームアイズの一閃。近くにいただけ《軍》のメンバーを吹き飛ばすほどのそれは、コーバッツを穿ち、その命を奪う───ことはなかった。

 

 

 「……ごっ!!」

 

 むしろ穿ったのは私である。剣の軌道に強引に割り込んだ岸波白野は、その一閃を背に受け、コーバッツに刃が届くよりも先に、吹き飛んだ私が激突した。

 

 名付けて『白野砲』である。ただし敵のソードスキルだ。

 

 

 コーバッツが奇っ怪な声をあげて転がる。この男のヒットポイントが減らなかったのは奇跡に近いだろう。

 

 

 

 3メートルにも届かない待避。出口からは離れ、その上たかが一歩分のそれは、私のヒットポイントの半分を捨て、そしてコーバッツの命を拾った上での成果である。

 

 ジクジクと攻撃を受けた背中が痛む。刃物で斬られる時特有の、体内を冷たいものが通過する感覚は何度経験しても慣れることはない。

 

 

 「なっなんのつもりだ貴様!!」

 

 

 そんなのあなたを助けるつもりに決まっている。避難誘導に従って大人しく迷宮区から脱出して欲しい。

 

 

 ふざけるな!!と騒ぎ続けるコーバッツを押さえ付けながら、グリームアイズを仰ぎ見る。

 

 先程の一撃と、コーバッツが前線から離脱したことで、隊列は瓦解し、喚き声を上げながら逃げ惑っている。

 

 更にその後ろでは、こちらに駆けて来るキリト達が見えた。その姿に頬が緩む。彼らが続いてくれなければ、私の行動は無駄に成りかねなかったから。

 

 

 ならば、一先ずあの悪魔を引き離さなくては。

 

 

 《こっちだ!!バケモノ!!》

 

 

 グリームアイズに向けて大声を上げ、その注意を引き付ける。《威嚇》と呼ばれるヘイトスキルだ。

 私の声に過敏に反応した悪魔は、逃げ惑う《軍》へ振るっていた手を止め、私に向けて咆哮する。

 

 

 「放さぬか戯け!!我々アインクラッド解放軍の邪魔をするな!!」

 

 

 ホントに邪魔だなコイツ!!

 

 未だに悪魔に立ち向かわんする男は、目の前の状況が見えていないかのように喚き続けている。

 

 

──だが、今は付き合ってられない。

 

 

 悪魔がこちらへ向かってくるよりも早く、コーバッツの鎧を強引に掴み、右側に突き飛ばす。

 圧倒的に筋力ステータスの勝る私に、コーバッツは成す術もなく転倒し、ガシャガシャと鎧を鳴らして転がった。

 

 

 《ついてこい!!》

 

 再度の《威嚇》。私が声をあげた瞬間に、悪魔は堰を切ったように荒々しく疾走する。

 

 その巨体に似つかわしくない、正に悪魔のごとき疾駆は、風というよりも、まるで一つの竜巻のようだ。

 

 次に、その刃をまともに受ければ、その時点で私は死ぬ。

 

 

 膝のバネを使って左へ飛び、振り下ろされたギロチンの刃を避ける。次いで、投げたされた勢いのままに全身を石畳に張りつけることで、頭スレスレを薙いだ必殺の刃をやり過ごした。

 

 そこで漸く、私は死から背向けて走り出す。

 

 

───もっと奥へ。もっと引き離さなくては。

 

 

 私が参戦して15秒で、向かい合ったのは10秒に満たず、実際にやりあったのはまだ5秒程度、まだ私は剣すら抜いていないというのに、自分が今も生きている事が奇跡のように思う。

 

 怖い。このまま戦闘を続ければ、いつか死に追いつかれることを理解出来てしまうから。

 

 

 

 ふと、背後に迫る死の足音が、一際大きく響いた。

 

 

───まずい!!

 

 

 振り向きながら、強引にソードスキルを発動させる。下手を打てば、隙を晒すだけの危険な行為だが、四の五の言ってられない。

 

 果たして、私は賭けに勝った。

 

 背後に迫っていたグリームアイズのソードスキル《アバランシュ》。クラディールも使っていたそれが、私の心臓を貫く寸前で、なんとかソードスキルを滑り込ませる。

 

 ガツン!と大きな音を響かせてグリームアイズの持つ斬馬刀をカチ上げる。

 私は相手の勢いを殺しきれず、後ろへゴロゴロと転がった。

 

 素早く、上体を起こし悪魔を見据える。ソードスキル同士をぶつけたことにより発生したブレイクタイムを終え、悪魔はこちらを静かに見下ろしていた。

 

 

───落ち着け。落ち着け。

 

 バクバクと暴れまわる心臓を宥める。私には技術がないのだから、こういう時こそ、最も冷静でなくてはならない。

 

 

 敵を見据え、観察しろ。予備動作を盗み、次の一手を予測しろ。

 敵はバーサーカー(強敵)であってジャバウォック(打倒不可能)ではない。

 なら──勝機は必ず──。

 

 

 グリームアイズの初動はさほど驚異ではない。筋力任せな奴の攻撃は、圧倒的な破壊力を持つ代わりに、必ず大きく振りかぶる。その姿から技の軌道や種類を予測するのは決して難しいことではない。

 だが、そこから繰り出される一撃は生半可な防御を貫通する。私のステータスと装備ではどれ程念入りに防御しても、その防御ごと切り捨てられることだろう。故に、私にGARD(受け)の選択肢はない。そしてそれは、一手欠けたジャンケンで、永遠に負けるなと言われているのと変わらない。

 

 

───であれば、常に先手を取り、奴から主導権を奪い取る

 

 足を前後に開き、腰を落とす。半身を引き、構えた剣は水平に倒しすことで、その切っ先を敵へと向ける。

 

 ふぅ、と息を吐き出し、飛び込むタイミングを伺う。目の前の悪魔は、そんな私を真似するように、ふるるぅ、と先程のダメージ判定のある噴気を吐き出した。

 

 

───あっ、ずるい。

 

 

 これでは、飛び込む事ができない。走り出すタイミングを外された私は、その息の有効範囲から外れるため、更に二歩後退する。──そしてそこに、再び死が迫る。

 

 

 だが、その動きは既に見ている。すくい上げる一撃をステップで回避し、上段に引き絞られた斬馬刀が放たれる前に、その胸の中心にソードスキルを放つ。

 

 

───一歩前へ。岸波白野はこの悪魔と戦える─。

 

 その身にソードスキルを受け、たたらを踏んだ悪魔が、鬱陶しい羽虫を払うように薙いだ刃を、仁王立ちで立つ脚の間へ飛び込むことで回避し──すれ違いざまにその両の脚を切り裂く。

 その巨体を回転させ、叩き付けるように振り下ろされた一撃は、悪魔と背中と共に私が回転することで、誰もいない石畳を破壊した。

 

 

──それはさながら、悪魔の周囲を飛び回る蝿……いや、まるで蝶のように、張り付き、少しずつダメージ与えていく。

 

 

 悪魔は弾かれたように逆回転。裏拳の要領で切り払われる斬馬刀を、これはかわせないと判断し、ソードスキルで弾き上げた。

 

 

 

 再び、ブレイクタイムと私の技後硬直が同時に発生する。─だが、悪魔が弾き上げられた斬馬刀の柄に、左手を添えたのが見えた。

 

 

 

 ───っ!!!

 

 

 

 肉体の硬直が解けるのと同時に、私は躊躇なく敵に背を向けた。片手であれだけの破壊力を持つ悪魔が、両手で剣を持つ。その事実から予想される未来は、あまりに不吉過ぎた。

 

 

 「グォォォォ!!!」

 

 

 その剣が振り下ろされたのは、私が後方へ跳んだのと同時で、

 

 

───その一撃は、正しく破壊と暴力の象徴であった。

 

 

 辺り一体の地形は大きく歪み、石畳は、クモの巣状に破壊された。掠りもしていないはずの私は、ただの風圧で吹き飛び、ヒットポイントを一割程度減らしている。

 

 

 インパクトの瞬間、床を波紋状の振動エフェクトが通過していったことを考慮すれば、あの一撃の凶悪性はその威力だけではなかったはずだ。

 

 

 

 

──未だ立つことが出来ていることを、幸運と捉えるべきか。

 

 

 

 

 だが、既に私の勝利は近い。《軍》の撤退が完了すれば私は逃げるだけでいい。

 

 

 

──これなら、コードキャストを使わずに済みそうだ。

 

 

 そうやって、悪魔を抜いて扉に辿り着く算段を組始めた所で──

 

 

 

 

 

 「白野ぉぉ!!!!」

 

 

 クラインの絶叫に思考が停止した。

 

 

 グリームアイズの向こう側。こちらへ向かって走るクラインを視界が捉える。

 

 

 

 だがなぜ、クラインはあんなにも必死にこちらへ走って来るのか。

 

 

 

 なぜ───クラインの前には剣を抜きこちらへ走る、コーバッツの姿があるのか。

 

 

 

 「おおおお!!!」

 

 コーバッツは雄叫びを上げながら、グリームアイズへ背後から斬りかかる。

 

 コーバッツの一撃は、不意を突く形で、その背中に命中した。ただそれは悪魔の怒りを誘っただけだ。

 

 

 「ゴァァアアア!!!」

 

 

 憤怒の叫びを洩らしながら、悪魔はその斬馬刀を、背後に振り抜く。

 

 横の一閃。コーバッツはなんとか左手に持った盾でそれを防ぐも、その一撃で盾は大きく弾き上げられ──第二撃、再度横に振り抜かれた刃を胴に受け、まるで野球ボールか何かのように水平に吹き飛んだ。

 

 

 

 コーバッツ!!!

 

 

 グリームアイズの相手は一旦クラインに任せる。彼の背後には、キリトとアスナの姿もあったから、万が一ということもないはずだ。

 

 滑り込むようにコーバッツのもとへ駆け寄る。

 

 

 急速な減少を続けていたコーバッツのHPゲージは、丁度赤く染まった辺りで、その動きを止めた。

 

 

 

──なにを考えてる!!!

 

 自分の口から発された声は、想像以上に厳しいものだ。

 

 スタンで動けないコーバッツの口に、回復用のポーションをねじ込みながら、尚もグリームアイズを睨み続ける男の顔を無理矢理こちらに向かわせる。

 

 

 「放せ!我々の邪魔をするな!!」

 

 ここにきて、それでも変わらないコーバッツの発言に困惑する。──なにが、彼をここまで頑なにさせるのか。

 

 

 男は、私の胸ぐらを掴む。その腕は微かに震えていた。

 

 

 「──なんだ…。」

 

 ぼそりと、男はなにかを呟く。

 

 

 「──漸く訪れたチャンスなんだ…、搾取するだけの我々に!ここで、今!!我々が奴を倒さなければ!!──でなければ、俺は…なんのために…!!」

 

 

 

 

 きっと答えは、なんて事ない簡単な話だった。

 

 

 

 《軍》の撤退をコーバッツが許さないと言うならば、コーバッツの撤退も《軍》の有り様が許していなかったのだ。

 

 

 《軍》は今、中下層の治安維持を行っているという。その『治安維持』という名目でなにが行われているのか、私は知らない。

 

 

──それでもそれは、コーバッツには耐えられないなにかだった。

 

 

 《軍》は、いつからそうなってしまったのか。おそらく、初めからそうではなかったはずだ──少なくとも、コーバッツが《軍》に加入するその時までは。

 

 

 少しずつ─そして確実に変わっていくギルドに、男は何も言えなかった。否、何度も何度も苦言を呈し、そしていつの日か諦めてしまったのか。

 

 

 いつしか、男は考えるようになる。

 

 

 『これは、彼等に対する俺達の尽力の対価なのだ。』

 

 

 だから、自分は間違っていないのだと。

 

 

 しかし、加速する《軍》の変化に、《軍》の尽力が、人々からの"見返り"に追い付かなくなったとき──男は、その負債を、来るかもわからない未来で返すと決めた。

 

 

 『我々は、いつの日かこの日々を終わらせる。だから、一般市民が我々に尽くすのは当然の義務なのだ』

 

 

 そう。その筈だ。

 

 だから、これだけ負債を溜め込んだ《軍》が、

 

 

 

 

 

───このままでは死ぬからと、撤退することは許されない。

 

 

 

 

 だから退けと、道を開けろと、目の前の戦士は慟哭した。

 

 

 

───考えてみれば、それは当然の事実だ。

 

 

 《アインクラッド解放軍》。25層で大きな被害を受けてから前線に出て来ていない大規模ギルド。そんなギルドがまた攻略に参加するとして、ぬくぬくと安全な狩りだけをしてきた者の内、誰がそれを希望するというのか。

 そんなのは貧乏くじだ。きっと誰しもが嫌がるはずだ。

 

 

 

───もしもそんな中、自ら志願した男がいるとすれば、

 

 

───それはきっと、どうしようもない義憤に駆られた、

 

 

───どうしようもない、お人好し(大馬鹿者)に違いない。

 

 

 

 

 「そこを退け。《アインクラッド解放軍》に撤退の二文字はない」

 

 

 その身体を、声を、死の恐怖に震わせながら、再度男は繰り返す。

 

 

 

 その男に、私は────

 

 

 

 

 

 「───断る。」

 

 

 

 

 

 何度も聞いた筈の自分の声を、何故か初めて聞いたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 「な──!!」

 

 

 今度は、私が男の胸ぐらを掴む。とはいっても相手は鉄の鎧だったため、押しつけるような形になったが。

 

 

 

───逃げるなよ。コーバッツ。

 

 

 死ぬとわかっていて、何も成せないわかっていて、それでも立ち向かうなど、そんなものは勇気ではない。ましてやコーバッツのそれは、蛮勇でも、義憤でも、義務感でも何でもない。

 

 

 そんなものはただの逃げだ。

 

 

 身を焦がす罪悪感から、これだけ自分を犠牲にすれば逃れられると──他の全てに恨まれても、自分にだけは、赦してもらえるのだと。

 

 それは、あまりに自分勝手で愚かな、現実逃避に他ならない。

 

 

 もしも本当に──赦されたいと思うなら、

 

 

 それは戦うべきだ。その手にある剣は、自決用の刃ではないのだから。

 

 

 

 触れてしまいそうな程の至近距離でコーバッツの目を覗き込む。その瞳は、僅かに揺れていた。

 

 

 

 

 「わ──私に、撤退の二文字は……」

 

 

 

────ある。

 

 

 ないのは、『敗北』だけでなければならない。そして、この鉄の城において、敗北とは即ち『死』である。

 

 

 例え、どれだけ凡庸で、英雄になんてなれなくても、

 

 

 死ななければ、何度でも立ち上がれるのだから。

 

 

 

 

───次の攻略戦には貴方も呼ぶ。鍛えておけよコーバッツ。

 

 

 

 そう言って、あぁ…。と短く告げるコーバッツから手を放す。男の頬を濡らす水滴を、私の手で強引に拭った。

 

 

 

 

───よし!なら早くここを脱出して…

 

 

 

 「白野さんうしろ!!!!」

 

 

 

 アスナの絶叫と同時、目の前にいたコーバッツに引き寄せられる。

 とっさの事に受け身も取れず地面に転がる。回る視界の端に、グリームアイズの斬馬刀を盾で受けるコーバッツの姿が見えた。

 

 漸く回復してきていたコーバッツのヒットポイントは、盾で受けたにも関わらず、その一撃で再び赤へと変色する。

 

 

 

 私は、地面を叩いて身体を弾き、とっさにソードスキルを発動させる。

 

 まずはこの悪魔の攻撃を止めなければ、取り返しのつかないことになる。

 

 

 

───っ!!

 

 

 私のソードスキルが悪魔に届くことはなかった。

 

 ソードスキル。振り切れば紅い三日月を描く私の一閃は、悪魔の胸に吸い込まれ───剣を持ってない左手に掴み取られていた。

 

 

 

───っ!!!

 

 

 再度振り上げられた斬馬刀に息がつまる。

 

 

 

 それが、振り下ろされれば、既に半分もない私のヒットポイントなど、容易く削りきってしまうだろう。

 

 そして、既に限界までヒットポイントを減らしたコーバッツでは、あの一撃は防げない。

 

 

 このままでは私が死ぬ。

 

 コーバッツが盾を持って割り込めば─やはりコーバッツが死ぬ。

 

 

 

 

 そんなもの、どちらも認められない。

 

 

 

 

 

 割り込もうとするコーバッツを蹴り倒し、とっさに大剣から手を放す。そして、

 

 

───コーバッツから投げ渡された片手剣を、振り下ろされた大剣との僅かな隙間に滑り込ませた。

 

 

 

 ガツンッ!と一際大きな衝撃と共に、高速で視界がぶれる。まるで先程のコーバッツの再現だ。その場から水平に射出された私は、床で肌を削りながら減速していく。

 

 

───コーバッツの剣が、悪魔の一撃に耐えきれず霧散する。

 

 

 

 素早く体勢を立て直し、悪魔へと視線向ける。早く助けに行かなければならない。あちらには──まだコーバッツが残っているのだから。

 

 

 

 《こっちだ!!》

 

 

 もはや何度目かもわからない《威嚇》。既に剣はこの手になく、徒手空拳で待ち構える私に──悪魔は頭だけをこちらに向けた。

 

 

 

─────え?

 

 

 その口が、薄紫色のブレスを吐き出した事が、私には信じられなかった。

 

 

 

───避けられない。それが敵の攻撃だと理解できた時にはもうどうしようもない距離だった。私は、『敵の攻撃が外れるかもしれない』なんていう馬鹿げた可能性にかけて、頭を低く抱え込む事しかできない。

 

 

 そこへ、黒い疾風が割り込む。

 

 「はぁっ!」

 

 

 ブレスの軌道に割り込んだキリトが──僅かにその軌道を上へと反らした。

 

 

 ブレスは私の頭上を越え、そのやや後ろに着弾、爆発する。

 

 

 

 その爆風を背に浴びながら、悪魔をみれば、グリームアイズとコーバッツの間にはアスナが立ち、悪魔を挟むようにクラインが刀を構えている。

 

 

 そして、キリトがその勢いのまま疾風の如く悪魔に迫る。

 

 

 

 

 だが、それでは、

 

 

 

───それではアレがくる。

 

 

 

 駄目だ!!そう叫ぶのが余りにも遅すぎた。

 

 

 

 「グォォォォ!!!」

 

 

 

 タロットにおいて、暴力を象徴するその山羊頭の悪魔は、斬馬刀を──両手で振り上げた。

 

 それは、一撃で地形すら変える、超強力な広範囲重攻撃。

 

 

 どうしようもない絶望の未来を──私は幻視した。

 

───死ぬ。皆死ぬ。

 

 

 動けないコーバッツが死ぬ。あの技を知らないアスナが死ぬ。アスナを助けようと走り出したクラインがしぬ。インパクトの衝撃でスタンになるキリトが死ぬ。

 

 

 

───あの一撃で皆死ぬ。

 

 

 

 

 

 

 コーバッツがアスナの前で盾を構えた。

 

 振り下ろされる軌道の正面に立つコーバッツをアスナが引いた。

 

 二人を遠くへ突き飛ばそうと、クラインが二人に向かって飛びついた。

 

 異常に気付いたキリトは、大声を張り上げた。

 

 

 

───なら、岸波白野は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その暴力は、音すら殺す。

 

 

 

 

 紅い閃光は視界を塗り潰し、その破壊は聴覚を殺した。その身体は余りの衝撃に数十メートル吹き飛び、文字通り蹴散らされたアスナ達は、それでも、自分のヒットポイントに僅かなダメージもないことに驚愕した。

 

 

 

 誰しもが、あの瞬間自らの死を確信した。それほどまでに、あの悪魔が放った一撃は理不尽なものだった。

 

 

 

 あり得ないことだ。あの一撃を承けて、僅かなダメージもないなど、決して。だが、この中で、結城明日菜だけは──この規格外を知っていた。

 

 

 

 《──────!!!!》

 

 

 

 『誰か』の声にならない絶叫が部屋全体に響き渡る。それは声だけは出すまいと口を塞ぎ、それでも漏れてしまったような余りに痛々しいものだった。

 

 

 皆がその音の発生源を見る。そこには

 

 

 

 

───徐々に黒く染まる左手を抑え悶える、岸波白野の姿がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───世界から、自分の存在を否定されていく。

 

 自身を構成するデータの1ドット1ドットを、『これは違う。』『お前はエラーだ。』指先から分解されていく。

 

 その様は、この痛みは、まるで自らの腕をシュレッダーにかけているような───そんな正気を疑う痛みだ。

 

 

 痛い。痛い痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。

 

 

 

 

 やめろ。止まれ。

 

 

 あぁ…。朦朧すると頭で、黒く染まった左手を見た。

 

 

───左手だけは、無くしたくなかった。

 

 

 

 

 「グォォォォ!!!」

 

 

 どこか遠くで、猛獣の雄叫びが聞こえる。

 

 

 

 

 「こっち向け───!!」

 

 

 「──!!白野さんの声が────る!!」

 

 

 

 冗談みたいな叫び声を聞きながら、私は僅かに顔をあげる。

 

 

───視界がボヤけて何がなんだかわからなかったが。 

 

 

 

 既に腕の痛みはない。ただ、全身を襲う強烈な倦怠感と、眠気が、もう、立つことを許してくれない。

 

 

 死の足音が迫ってくる。ただ今はそれすら心地いい。

 

 

 

 

───ふと、誰が私の頭を撫でた。

 

 

 「助かった。君のおかげで誰も失わずにすんだ。」

 

 

 朦朧とした意識に、その言葉だけはすんなりと入ってくる。

 

 

 その少年は、私の前に立つ。

 

 その手には──黒と白の二刀の剣があった。

 

 

 その姿に、なんだかとても安心してしまう。

 

 

 

───きっと彼なら大丈夫。

 

 

 

 その姿に、私は紅い外装を幻視した。

 

 

 

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