お正月企画三題噺シリーズ・ネクスト   作:ルシエド

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 お題は『深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ』『胸肉』『旧支配者』

かなこ居ない√


第十一回:永遠に生きる者達は、敗者こそが勝者である

 田村一郎はごく普通の少年である。

 ただ、少しだけ周りの同性より優しい男だった。

 志筑真琴は普通の少女である。

 ただ、周りの同性よりかなり胸の大きな少女だった。

 二人は先月から付き合い始めたばかりのカップルで、互いのためならどんなことでも耐えられるほどに恋し合い、愛し合っていた。

 

「好きなように耐えなさい」

 

 二人を捕らえたのは、『夜』だった。

 夜を形にしたような、形容の大半が陳腐になりかねない美しさの美女だった。

 美しい黒髪と、黒いセーラー服が夜の闇に半ば溶けている。

 

 美しい。

 なのに、怖い。

 ……いや、美しいから怖いのだろうか?

 闇夜の中でも光を捉える魔性の目が、その女性が人間でないことを証明している。

 

「私はこれからあなた達をいじめるから、好きなように耐えなさい」

 

 蜘蛛。

 この女は蜘蛛だ。

 その目に射すくめられた人間は、自分が蜘蛛の巣に捕らえられた虫で、蜘蛛(この女)がつついて遊ぶ玩具でしかなくなったことを自覚する。

 遊んで、遊んで、捕食される。

 

「見える? あそこに観客がいっぱいいるわ。

 私がいじめて、かわいそうだと多くの観客に思われた方は許してあげる。

 でもそうじゃなかった方は、私がもう一度いじめてあげないといけないわね」

 

 嘘だ。

 初音に獲物を逃がす気などない。

 逃げられない場所で食らうか、逃げられる場所で食らうかの違いしかないのだ。

 だが、希望をちらつかされた二人はそれにすがるしか無いのだ。

 

 悲鳴が上がる。

 二人分の悲鳴だ。

 自分の痛みを声にして、一郎と真琴は互いを気遣い合い、庇い合う。

 そして観客がかわいそうな方を選んで投票し、かわいそうだと思われた一郎の方に点が入った。

 

「あら……女の子だから、少し手加減をしてしまったかしら。

 そうね……なら、その分だけ少しばかり助言をしてあげましょう」

 

 初音が真琴の方に助言する。

 そしてまた二人を虐める。

 二人の心が狂い裂けているような悲鳴が上がって、観客が目を逸らし、今度はかわいそうな真琴を選んだ。

 痛み、痛み、痛み。快楽を与える前のアクセントのような加虐。

 それでも常人には発狂級の痛みであった。

 

 そこからは何度も、何度も、真琴の方がかわいそうだと選ばれる。

 初音のアドバイスが最大限に活かされているということは、明白だった。

 

「あの子にした助言を聞きたい?

 あなたがどうしてもと言うのなら……教えてあげてもいいけれど」

 

 一郎は迷ったが、すぐに彼女の加虐の痛みを思い出し、その痛みから逃げるべくその手段を教わった。

 

「同じ痛みを与えられた時、耐える人は立派でしょうね。

 でも、人はそうは思わない。『痛い』と声を上げる方に手を伸ばすの。

 出来の良い子より、出来の悪い子の方が手をかけられ、可愛がられる……

 あなたは我慢していた。あの子は我慢せず痛みをアピールした。違いはそこよ」

 

 二人は何も気付いていない。

 『やり方』を理解したのに気付いていない。

 

 この状況における自己保身は、もう片方への攻撃に等しいのだ。

 痛みから逃げる当たり前の逃避ですら、恋人への加虐になってしまうのだ。

 相手のことを思うなら、恋愛関係を維持したいなら、自分の身を徹底して犠牲にして、痛みを自分に集めるしかない。

 自分に集めて、自分の心が壊れる結末を受け入れなければならない。

 されど当然、常人にそんなことができるわけはなく。

 

 一郎は恋人がずっと自分に痛みを押し付けていたことに気付いてしまった。

 真琴は恋人が痛みを自分に押し付けようとしていることに気付いてしまった。

 二人は自分を棚に上げ、痛みの原因を恋人に求め、競うようにして相手に痛みを押し付けようとし始める。

 

 ゆっくりと、じっくりと、二人は濃厚な感情を吐き出しながら、心を壊し蜘蛛の巣に心を取り込まれていく。

 

「もういいわね。後は任せたわ」

 

「分かりました、初音様」

 

 愛し合う初々しい恋人同士が憎悪と愛でグズグズになっていくのを見ても、初音の心はあまり大きく揺らがない。

 女の方は胸肉が豊満だった。性交で精を集めさせるのに使えばいい。男の方は人を殺して命の糧を得るようにさせればいいだろう。

 心は壊してからが本番だ。

 が、こんなものは退屈しのぎでしかない。

 力を高めるという目的で飾った、少し豪華な退屈しのぎ。

 

 限りなく不老不死に近い存在であり、人間ではどんな武器を持とうとも殺すことができない、神に近い蜘蛛の怪物。それが比良坂初音の正体である。

 その種に固有の名は無いが、強いて言うならば『アトラク=ナクア』といったところか。

 

 生きるために、愉しみのために弄ぶ。

 それが初音の全てだ。

 永遠に生きてしまう自分だから、短命の人間が嗜むような娯楽では足りない。足りないのだ。そんな娯楽では愉悦が足りず永遠に耐えられない。

 人は殺せても退屈は殺せない。

 だから苦しい。

 それは神にしか無い苦悩だ。

 

 生きることがどこか億劫で、面倒臭くて、狂おしいほどの退屈が心を圧迫し、心が平坦になっていく。いつ笑うのが正しいのか、ということすら見失いかけていた。

 強く憎しみで誰かを憎んでも、百年ほどで憎しみにも飽きてしまい、憎しみの代わりになる感情が見つからないことに焦燥を感じる。そして、その焦燥にも飽きるのだ。

 

 比良坂初音は愛を理解できる者であるはずなのに、善と悪の区別がつくはずなのに、永劫が全てを狂わせる。永遠が全てを腐らせる。

 初音を殺せる者は初音の源流にあたる(しろがね)だけであり、(しろがね)を殺せるのも直系にあたる初音だけである。

 

「……はぁ」

 

 じくじくと、じくじくと、心が飽きで錆びていく。

 なんでもいい。なんでもいいのだ。人間を地獄に落として、その精を吸い上げるのも。同種と命をかけて殺し合うのも。代わりがあるならなんでもいい。

 この退屈を殺してくれるなら、なんでもいい。

 だから今は、退屈に殺されないように、宿敵と戦うための力を溜めるなんていう平凡なことをしていくしかなくて――

 

「お前か」

 

 ――退屈にぼうっとしていた初音は、蜘蛛の巣にぽとりと落とされた、ひとしずくの焔に気付くのが遅れてしまっていた。

 

「あら? 招いた覚えがない坊やね」

 

「お前みたいなのが居る限り……俺は、何度でも現れる」

 

 突然現れたその男が、焔を発する。

 焔は一瞬にして延焼し、初音の巣全体を包み込んだ。

 燃やせないはずのものを燃やし、殺せないはずのものを殺す炎は、初音の糸から初音と同じ時を生きる壊れた人間達でさえ、問答無用で巻き込み灰に還していく。

 蜘蛛の神の絶対性が、より強い何かに蹂躙されていく。

 

「……!」

 

 不壊は壊す。

 不滅は滅する。

 不死は死なせる。

 永遠を終わらせ、神を灰に、苦しみを虚無へと還す焔。

 その焔の名は宇理炎。

 不死身の異界ジェノサイダー、『須田恭也』のみが扱える焔であった。

 

「全部消す。全部終わらせる。美耶子との約束なんだ、悪いな」

 

 別宇宙から来たる旧き神も、異界に逃げ込んだ旧き支配者も、等しく殺すジェノサイダー。

 どこかの世界で化物達が生み出してしまった、化物以上の何かになって化物を皆殺す存在となった、世界を渡る虐殺者である。

 それが次の狩場をここに選んだのは一種の偶然であり、初音にとっての不幸であり、同時に喜びでもあった。

 

 奇跡のような来訪に、初音は世界を溶かすような微笑みを浮かべた。

 彼女が得た死の確信は、どこか喜悦に近い。

 死を受け入れる気など毛頭ないが、死を喜ぶ気持ちはある。

 今この瞬間に全力をかけ、全力で挑み、燃え尽きるようにして終われるのなら……それもいいかと、初音は思った。

 

(……(しろがね)。狂おしい退屈が終わるこの救いを、先に貰ってしまうわね)

 

 自分が先に逝くか、宿敵が先に逝くか、その程度の違いしかないだろうという確信もあった。

 

(私も、あなたも、永遠を生きる苦痛こそが罰だと思っていたけれど、終われるなんてね)

 

 死の恐怖、死の絶望、死の忌避感が湧き上がり……それら全てが一緒くたにされて、永劫の退屈が終わることの歓喜に打ち倒された。

 退屈が、生きていたいという気持ちを、生きていたくないという気持ちで押し切ってしまう。

 

(ああ、でも、私がここで終わることで無様な救いを迎えるとして)

 

 不死不滅すらも殺し尽くす、神殺しの焔に身を焼かれ、哀れで醜悪で美しき蜘蛛の化物は思う。

 

(―――私を救うこの男は、一体誰が救うのだろう?)

 

 そして気付いた。

 

 人より遥かに強い初音が、人より哀れで救われない者であったのと同じように。

 初音よりも強いこの男は、初音よりも哀れで救われない者であるのだということを。

 だからか、初音は最後に彼を見下し、哀れみ、同情しながら消えていった。

 永劫の苦しみから初音は逃れ、須田恭也は逃れる気配すら見えない。

 

 異界を渡り、ルルイエを踏破し、怪物の宇宙を全て焼いても……彼の永劫は、終わらない。

 

 今日もどこかで、サイレンが鳴る。

 

 

 




 その時、高みから見下すように異界から恭也を覗いていた怪物と、見上げた恭也の目が合った
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