もしも彼女を、転生させることができると言われたとしても。彼の答えはきっと決まりきっている。
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ
―――井伏鱒二
―――女神転生。
それは、海より深い魔界の底で、空の雲より遥かに多い悪魔の口から、地に満ちる花のような多様さで語られる概念である。
一つ。
それは、女神が人間に転生した存在である。
一つ。
それは、女神が分けた分霊が人間に転生し、死後に女神に還る存在である。
一つ。
それは、人間が女神に転生した存在である。
総じて、人間と女神の境界を行き来する概念がこう語られる。
人は英雄という過程を経て神格への経路を進むこともあるが、女神へと変わる人間は前世が女神であったことも多い。
平凡な娘が女神に転生したならば、二つ疑うべきことがある。
それが女神が人間のふりをしていた可能性、そして悪魔が誘惑をしている可能性だ。
女神転生を語る悪魔は、人の感情を食い物にして、アマラの経路を通り幾多の宇宙へと手を伸ばしている邪悪の権化達である。
「……ふぅ」
かつてレオン・ルイスという名の伝説として君臨した男が、花畑に立つ素朴な墓標の横にゆったりと腰掛けた。
全盛期は遥か昔。
若さは既に失われ、戦いの日々は彼の心身を摩耗させた。
彼の生涯は過去も未来も守るために費やされ、守れたものも守れなかったものも既に想い出になりかけている。
「ただいま」
男は墓標に手を添え、優しく語りかける。囁くような声量だった。
「レオン」
そんな男に、無邪気な少女が語りかける。
「ララか」
「え!? 驚かないの!? せっかく女神になって生まれ変わって戻って来たのに!」
「女神?」
「そう、そうなの。
神様みたいな凄い人がね、私を生まれ変わらせてくれたんだよ!」
人でないものに、人の気持ちは分からない。
死者が蘇る奇跡に感じる歓喜も、死を弄ぶ悪魔に向けられる憎悪も、覆された死に感じる非現実感も、命の価値が貶められたことへの怒りも。
男が見る少女の笑顔は、想い出の中の少女と寸分違わない。
「ちょっと綺麗になったでしょ? 女神になったから」
「いや……俺の想い出の中の、ララのままだな」
「ええー? そこは少しくらい、褒めて欲しかったな」
まるで彼の想い出をそのままトレースするように、ララは男の手を引いて、花のような笑顔で駆け出そうとする。
「ほら、行こ! せっかく私が生まれ変われたんだからさ!」
その少女の胴を、男は眉一つ動かさないまま両断した。
「……な、ぜ」
「俺が今まで見た中で、一番精巧な偽物だった。それは多分、間違いない」
「なら、なん、で―――」
悪魔が被っていた皮が、切断面から剥がれてゆく。
少女の顔を、体を、笑顔を、仕草を、心を、言動を、そっくりそのまま真似る悪魔の皮がグズグズに崩れていく。
その中身であった悪魔でさえ、彼の一閃にて致命傷を受けていた。
騙そうとした悪魔が"信じられない"という顔をして、騙される側だった男の表情は悪魔の所業を一から十まで"信じていなかった"。
「ララを見ても俺の心が暖かくならなかったから、かもな」
どんなに悪辣で優秀な悪魔であろうとも、彼の想い出だけは穢せない。
「本物は埋まってるんだよ、ここに、ずっと」
悪魔が消え去り、男が少女の墓標に手を添える。
「ここで静かに眠ってるんだ。悲しむことも、苦しむこともなく、ただ安らかに」
墓の周囲には、見渡す限り広がるカミツレの花畑。
カミツレの花言葉は『逆境に耐える』『逆境に耐える』。
美しく、綺麗で、どこか優しげな花が風に乗って舞う。
「雨が降っても土が流れることはなく、雪が降っても土が崩れることはなく」
花は美しいだけではない。
花が枯れ、種が落ち、葉が落ちても根は残り、花は大地を固め続ける。
大地の下に眠る誰かを、花の根はいつまでも包み続ける。
「カミツレの根は、彼女の眠りを守り続ける」
男は墓標に背を向けた。
「来年、また来るよ」
けれど男のその心が、死した彼女に背を向けたことは、その生涯で一度もなかった。
さよならだけが人生ならば
また来る春はなんだろう
―――寺山修司