フランスの実家から嘉神川エリーズは別居している夫へ国際電話をかけていた。
「もしもし、エリーズです」
「ああ、私だ」
「……。クロエは、元気にしている?」
「ああ。……それなりに…」
ぎこちない会話が続き、幸蔵は仕事の予定が押しているので電話を切りたくなったが、それをすると修復に苦労している関係が、また破綻してしまうので今は耐える。
「ノエルは、いくつになった?」
「六歳よ」
「そうか…………………。そろそろ、お前も帰ってこないか?」
「お前、っていう日本語、好きじゃないわ」
「……すまん。……なあ、そろそろ、帰ってこないか? ノエルも物心つく頃だろう?」
「………クロエは中学の何年生だったかしら?」
「二年生だ」
「そう………………もう少し、先の方が、いいと思うわ」
「どうして?」
「中学生って一番思春期の気難しい時期でしょう? きっと、あの子は母親のこと、よく思っていないわ。それなのに、ノエルまで連れて私が現れたら、どんな反応をするか…」
「だから、ノエルのことは生まれたときに話しておいた方がいいと言ったじゃないか。それをお前が黙っていようというから…」
「また、お前って言うのね」
「……すまん……。ただ、いい加減、ノエルのこと、妹がいることくらいクロエに教えておかないと、知ったときショックを受けるぞ?」
「だから、そのショックを中学生の今、与えないように考えてるのよ」
「だったら、いつならショックを受けないというんだ?!」
「怒鳴らないでよ」
「………すまん…」
「とにかく中学生には受けとめきれないわ」
「なら、いつなら、いいと言うんだ?」
「そうね……せめて、universitat 大学に入るくらいなら精神的にも落ちついてきて……できれば、クロエにも恋人なり交際相手なりがいて、ある程度、男女のことがわかるようになってからなら、受けとめやすいと思うの」
「……ずいぶん先、なんだな…」
「よさそうな彼氏さんだったら、私が帰国してクロエが不安定になっても支えてくれると思うの。いい男なら、ちゃんと私とクロエの間に立ってくれて仲介してくれるかもしれないわ。それに、その頃ならノエルも大きくなっていて、私とクロエを橋渡ししてくれるかもしれないわ」
「……それじゃあ、お前はクロエの子育てを放棄するんだな?」
「…………。また、お前って」
「ぐっ……、すまん。……」
「もうエリーズって呼んでくれないのね。やっぱり、あの女…」
「彼女は関係ない! ただの秘書だ! それに、もう秘書は置かず、接待の付き添いには別の者を使っている!」
「へぇ……新しい女?」
「男だ!」
「……同性愛に目覚めたの?」
「おまっ…、…ハァ…ハァ…」
幸蔵は血圧が上昇するのを感じて、深呼吸する。
「ハァ…ふーっ……男といっても男子高校生だ」
「……日本は同性愛に寛容な国といっても18才未満は逮捕されたと…」
「だから、そこから離れろ!!」
「あいかわらず短気ね」
「だ、だいたい同性愛に寛容なのはフランスの方だろうが!」
「児童ポルノには日本は、ごく甘よ。勘違いしないでほしいわ。フランスは同性愛者の人権も尊重しているから寛容なの。日本は児童の人権を軽んじているから児童ポルノを放置しているのよ。まったく人権に対する意識のベクトルが違うわ」
「………いい国だな、フランスはっ!」
「話を戻すけれど、たしかに私はクロエの子育てを中断しているけれど、ノエルは一人で育てているのよ。違う?」
「…………。フランスはシングルマザーにも寛容な国だったな……」
「ええ。それに両親がそろって生活しているなら、ちゃんと父親は家族との時間を大切にするわ。あなたみたいに日付が変わってから帰宅して、また早朝に出て行くなんて生活、眠る場所が一つ屋根の下というだけで、別居しているのと同義よ。たしか、午前様というらしいわね。この日本語も嫌いよ。様なんてつけるから、立派なことに思えるのかもしれないけれど、まったく立派ではないわ。午前バカよ」
「すまなかった。つい忙しくて…」
「つい? どうせ、今も、つい忙しいのじゃなくて?」
「……」
「つい忙しいで子供とも遊んでくれない。私とのセックスも二ヶ月もあける。私から求めても、眠いとか、疲れたとか、たまのセックスだって酔っぱらって帰ってきて、ろくな愛撫もなしに押し倒して一人で射精して寝ちゃうなんて最低。オーラルだってしてくれなかった!」
「オ…いや、ワシは舐めるとか、そういう……い、いや、今、会社にいるから、そういう話は…」
「ほら、また会社」
「………」
「日本の男は会社と結婚してるのかしら? 封建的ね。やっぱり革命が必要なのよ。社会が古いわ」
「日本だって維新はあった。それに仕事は仕事だ。仕方ないだろう?」
「維新は侍階級による支配システムの変更にすぎないわ。将軍に仕えていた侍が、皇帝に…テンノウだったかしら? テンノウに仕えるように大政奉還しただけで、仕える相手が変わっただけで仕える意識は残っているから、四民平等になっても仕事に仕えるのよ。仕方ないのシも仕えるよ? あなたたちの頭は仕えることから離れられないのね。自我がないの?」
「じ…、…………………………」
「ほら、そうやって反論に困ると黙り込んで、そのくせ、自分の意見をかえようとしない。封建的で男尊女卑で、女が議論すると、すぐにインテリとか言って…」
「ここは日本だ! 郷に入っては郷に従えと…」
「ここはフランスよ」
エリーズは朝食を終えて、ノエルとソファに座って電話している。ノエルは口喧嘩する母親を心配そうに見ていたが、エリーズは優しいキスを愛娘に送って、議論を続ける。
「そっちは、そろそろ午後の5時よね。もう仕事は終わるの?」
「……いや…、まだ…」
「ほら、やっぱり。どうせ、今夜だって午前様。クロエがかわいそう」
「そう思うなら、お前が…」
「また、お前。次に言ったらノエルと話をさせてあげないわよ」
エリーズが脅すと、ノエルが悲しげな顔をして母親を見上げた。エリーズは人差し指を唇にあててウインクする。
「♪」
大丈夫よ、これは脅し、男と女の駆け引きよ、エリーズは微笑んでノエルの髪をクルクルと指先で巻いて遊ぶ。駆け引きの材料に使われた幼女は髪をもてあそばれて迷惑そうだった。
「あなたが本当に私と娘を大切にしてくれるって確信ができるまでは、戻る気はないわ」
「………。クロエは口には出さないが、淋しそうだぞ?」
「子供を人質にする気?」
「お…、…、いや、…」
お前だって、という言葉を幸蔵は飲み込んで、お互いの気持ちを鎮めるために昔話をすることにした。
「一つ、ずっと不思議に思っていたことがあるんだが、今、訊いてもいいか?」
「ええ」
「あの日、何も言わず出て行った、あの日、テーブルいっぱいに料理を作って行っただろう? あれは、何だったんだ? クロエへの愛情じゃないのか?」
「…は? どういう意味? 文脈の構成がわからないわ。どうして愛情の話になるの?」
「いや、だから、せめてものクロエへの愛情として料理を作れるだけ作って行ったんじゃないのか、って訊いてるんだ」
「違うわ」
「………。じゃあ、何だったんだ?」
「もったいない、ってステキな日本語でしょう?」
「あ、…ああ、……すまん、文脈の流れがわからん。なぜ、そんな話に?」
「だから、もったいないから冷凍食品以外は、すべて料理しておいてあげたの。あなたもクロエも生野菜やお肉を残して行かれても、料理できなくて困るでしょう? 私だって、こんなに長くなるつもりはなかったけど、すぐに戻るつもりもなかったから、何ヶ月か経って帰宅したら冷蔵庫がグロテスクな状態になってるのもイヤだったから、調理すべきものは、すべて食べられる状態にしておいてあげたの。まあ、せめてもの愛情といえば愛情だけど、そういう意味で料理したわけじゃなくて、単に、もったいないからよ。食材が」
「……そう……だったのか……」
「何だと、思ったの?」
「………クロエは、泣きながら全部、食べていたんだぞ」
「全部? 一度に?」
「ああ」
「……バカな子ね…」
「…………」
「じゃあ、そろそろ。また来月にでも電話するわ。あ、今月の養育費は受け取りました。ありがとう。じゃ…」
「あ! 待ってくれ! ノエルと話をさせてくれ。頼む」
「いいわよ。どうぞ」
エリーズが受話器をノエルへ渡した。
「パパぁ♪」
「おお、ノエル。大きくなったんだろうな」
「うん、ノエルもう一人でお着替えできるよ。日本語も半分くらいわかるの」
「すごいな、ノエル。お父さんはうれしいぞ。早くノエルの顔が見たい。ママと、いっしょに帰ってきておくれ」
「ノエルもパパに会いたいよ♪」
「ああ、ああ、きっと、すぐに会える」
幸蔵の声が聞こえていたエリーズが娘から受話器を取り上げた。
「そう言うなら、あなたがフランスに来ればいいでしょ。成田から、ほんの19時間よ。空港まで出迎えるわ」
「し……しかし…」
「仕事が?」
「………、……それに、クロエに黙って、お前たちと会うのは…」
「Au revoir!」
さよなら、と今度こそエリーズは電話を切った。
「ああ~……ノエル、もっとパパとお話したかったぁ!」
「わがまま言わないの」
「う~………ママの方が…」
「親に逆らう子は、ドーバー海峡に捨てるわよ」
「……ごめんなさい」
「よし」
「…………」
「だいたい、あの人は代々続いただけの嘉神川食品という会社の存続に、こだわりすぎるのよ」
「こだわり? ママ、こだわり、ってどういう意味なの?」
「こだわること、拘泥よ。一つのことや、こまかいことにとらわれて心が狭くなってしまうこと。つまり自由じゃなくなるのね。あっ! ノエル、この週末は、いいところに連れて行ってあげる♪」
「わーーいっ! いいとこ! いいとこって、どこ?」
「こだわりのない、自由なところ、何もかも脱ぎ捨てて、人間が生まれたままの姿で過ごせるステキなところよ。そこに行けば、小さなことに、こだわることが、どれだけバカらしくて不自由なことか、よくわかるわ」
エリーズは週末の行楽先が決まったので、楽しそうに準備を始めた。
翌日の9月27日、クロエは中学校から帰宅すると、シャワーを浴びて身体を洗い、控え目な香りの香水を下着にふり、身支度を整えると、この二日間の考えたことを総まとめする。
「………智也が、こう言ってきたら……こう……」
鏡を見つめて、眉毛を少し整える。
「…こう言うと、……こういう反応になりそう……だから、私は、こう…」
男との駆け引きをシュミレーションし、香水の瓶を人物に見立てて机上演習している。
「智也はアルバイトを続けたいはず………だから、父との信頼関係は失いたくない。ここが重要………、たぶん智也は私のことを怒っているはず……、でも、私は中学生……今のところ寿々奈には負けるかもしれないけど、智也の中で私の存在が大きくなるためには、今日は攻めじゃなくて、守り。でないと、智也は、うまく私を切り捨てようとしてくる。だから、私にとっても智也にとっても寿々奈には、まだ気づかせちゃいけない」
ロストバージンで成長した少女は基本戦略を決定すると、高価なフランス製の腕時計を見て、まだ時間があったので嘉神川食品の社長室直通番号へ固定電話からかける。
「はい、嘉神川幸蔵です」
「もしもし、パパ?」
ねだりたいことがあるので、いつもの冷淡な声ではなく愛くるしく甘い声を出すと、幸蔵は勘違いをする。
「ノエルかぁ♪ 一人で電話できたのか?」
「………。誰、ノエルって?」
「ぅっ?! …くっ…クロエか?」
「ええ、クロエです」
甘い声から氷のように冷たい声に変わっている。
「ノエルって誰?」
「……と…、取引先の…」
「取引先の人は、パパって呼ぶの? どんな会社?」
「いや……だから、その、…ノエルというのは、…の…野江…の…」
「フランス語でクリスマスって意味よね?」
「っ………」
「名前の通り、おめでたい会社ね。取引先をパパ? めでたすぎてあきれるわ」
「…じ……実は…、…お、落ちついて聞いてくれ……クロエ……。いや、電話では……今夜、帰ってから二人で話を……、いや、今夜は接待があって……明日…いや、次の日曜に…」
「いいわよ。どうせ、キャバクラ嬢とか、そーゆー汚い女と、娘を間違えたんでしょ。そうね、会社に電話したのなんて、久しぶりだから仕方ないわね」
「……………。キャ…キャバクラじゃない。……その…ノエルというのは、取引先との接待で使うスナックの名前なんだ。キャバクラなんかには行かないぞ! ワシは!」
「スナックとキャバクラに、そんな違いがあるの? 強調するような」
「あ、ああ、スナックというのは、もっと健全な店なんだ」
「へ~ぇ~ぇ……」
「だ、だいたい、クロエは、どうして、そんな言葉を知っているんだ?」
「映画を見れば、舞台設定として出てくるわよ。子供扱いしないでちょうだい」
「す…すまん……。と、ところで、どうして電話してきたんだ? クロエ」
「ええ、本題に入るわ。私も、そろそろ携帯電話がほしいの」
「………。……必要なのか? まだ、早いと…」
「家にママもいないし、パパはスナックでパパしてるし、外出先で私に何かあったとき、警察なり救急車なり、自分で呼べるようにしておきたいの。自分の身は自分で守る。そーゆー風に、育てていただきましたから」
「クロエ………、父さんは…」
「言い訳は次の機会でいいわ。ケータイ、ほしいの。買って」
「………。わかった」
「ありがとう。パパ」
少し甘い声を出して礼を言い、まずは自分のケータイを確保したクロエは次の要求へ移る。
「あと、三上先輩にも社用の携帯電話を一つ、持たせてほしいの」
「彼に? どうして?」
「今どきアルバイトしている高校生なら、ほとんど持ってるのに三上先輩は持ってないから、家庭教師のスケジュール変更があったときとか、連絡が取りづらいのよ。パパの会社で働いてもらうときだって、やっぱり持っていてもらった方が便利でしょう?」
「う~ん……そうだなぁ……便利は便利だが……まあ、経費で落ちるし…」
「お願いね♪」
クロエは要求を受け入れさせると、父親との電話を終える。そろそろ智也が来る時間だった。クロエは鏡を見つめ、深呼吸する。
「すーーーっ………ふーっ……うん、やれる。私は大丈夫」
予定時刻ちょうどに玄関でチャイムが鳴った。クロエは玄関を開けると、智也を招き入れる。
「どうぞ、あがってください」
「ああ…」
智也は普段と同じように、けれど、普段とは少し硬い表情で嘉神川家に入り、一応は家庭教師として振る舞いつつも、クロエの様子を探る。
「学校からの宿題は?」
「もう済ませました」
「……そっか…」
だいたいクロエに家庭教師なんて必要ないんだよな、あの夜のこと、どう切り出してくるつもりかしらないけど、しばらくは調子に乗せておいて弱みを握って家庭教師は減らさせて会社での仕事を回してもらおう、智也は基本戦略を再確認すると、勧められたソファに座った。
「……………………」
「………………」
クロエは立ったまま、お茶を出すこともなく智也を見ている。智也は黙って、部屋の調度品を見ているとはなしに眺め、短いけれど長く感じる沈黙を耐える。
「…………………………」
「…………」
「……………………」
「………私、…」
「……」
「私、智也に謝ります。ごめんなさいっ!」
クロエは深々と頭を下げた。美しくて長い髪がテーブルと智也の膝にかかる。
「本当に、ごめんなさい!」
「……」
「私、どうかしていたんです! 初めて好きになった人に、恋人がいるって知って……イヤな考えばっかり先走って……だから、…あんなこと……ごめんなさい! ごめんなさい!」
クロエは謝りながら智也の膝に涙を落とした。その滴の重さと熱さに、智也は動揺して座り直した。
「い……いや、……オレの方こそ……もっと早くに言うべきだった…」
「ごめんなさいっ…どうか……私こと、嫌わないで……家庭教師だけは……続けてください。お願いしますっ…」
「あ、…ああ、それは仕事だから……続けるから、……泣くなよ? な?」
智也はポケットから今朝も鷹乃が入れてくれていたハンカチを出して、クロエの涙を拭いた。
ほたると正午はウイーンから列車で移動し、ストラスブールにある真昼のアダム園というヌーディスト施設に遊びに来ていた。
「おおっ……ホントに、みんな裸だ……すげぇ…」
「や~ん……、やっぱり帰ろうよ。どうせ学校サボるなら、パリのディズニーランドに行きたいよぉ」
ほたるが後退りして逃げ腰になる。ヌーディスト施設といってもキャンプ場のような雰囲気で、小川を中心にテニス場やアーチェリー場などのスポーツ設備、日光浴のための人工の砂浜とプール、レストランと自炊可能な野外キッチンなどが整えられたリゾート施設で、日本にあるものと変わりはない。ただ、入場客も従業員も全員が裸だった。
「ディズニーは千葉にもあるけど、ヌーディストビーチはフランスとドイツが主なんだからさ。楽しもうぜ♪」
正午はシャツを脱ぎ始める。
「ぅ~………」
ほたるは呻りながら、施設の利用案内を読む。裸になってパスポートを含めた全ての貴重品を預けた後は、サインだけで各施設や食事などのサービスが利用できるようになっていて、まったく冗談でも都市伝説でもなく全裸で過ごすことを提供する施設になっており、驚いたことに自治体からの認可まで受けているようだった。
「……は~ぁ………、更衣室もなくて男女いっしょに脱ぐなんて…」
ほたるはタメ息をつきながら諦めてブラウスとスカートを脱ぐ。
「たはっ♪ うむ、気持ちいいな。外で裸ってのも露天風呂みたいで」
「………露天風呂だって普通は男女別々だもん…」
ほたるは正午が全裸になってメガ社の腕時計も外しているので、自分もプレゼントしてもらったセイコウの腕時計を外し、胸を片手で隠しながらブラジャーのホックを外した。
「う~………おっぱい見せなきゃダメかなぁ……」
「オレがいて脱ぎにくいなら、先に行ってようか?」
「ヤ! ヤダよ、離れないでよ! 他に男の人、いっぱいいるんだよ? ほたる一人に絶対しないで! 襲われたら、どうするの?!」
「利用案内に書いてあったじゃん。強姦は普通にフランス刑法で処罰しますってさ。ナンパは一人に対して三回まで断られたら声をかけるのをやめることってマナーもあるみたいだし、大丈夫だって♪」
「それでも離れないで!」
「わかったよ。ずっとそばにいるからさ。安心して脱いでみてよ」
「……う~………」
ほたるは渋々、ゆっくりとブラジャーを脱ぐ。かなり時間がかかったので、後から来た親子連れが先に脱衣を済ませてしまうほどだった。裸になった母と娘の二人組は脱ぐ前と変わらない平然とした様子でアーチェリー場の方へ歩いていった。
「ほら、あんな小さい子だって勇気あるじゃん♪ ほたるも頑張れよ」
「……、あの子は、まだ恥ずかしいとか、そーゆー気持ちが芽生えてない年齢だもん。小学校低学年か、幼稚園児くらいの」
「唯笑ちゃんの初恋は幼稚園らしいぞ?」
「………」
カナタちゃんの初恋もね、ほたるはタメ息をついてブラジャーを置いた。
「……………………」
「あと一枚♪ あと一枚♪」
「囃し立てないで! バカ正午っ!」
「もったいぶると余計に恥ずかしくなるぞ? すぱっと脱いじゃえよ」
「………………」
ほたるはショーツへ手をかけ、おろそうとするけれど、思い切れない。空は青くて風は清々しい、完全な屋外で、しかも性的関係をもった正午だけでなく、まったく見ず知らずの外国人男性が何人も周囲にいる状況では、ほたるは下着を脱ぐことに強烈な抵抗を覚えて手が動かなかった。
「……………………」
胸も片腕で乳首を隠したままで解放する気にはなれない。まして下半身まで裸になって女性器を人目に晒すことは、とてもできそうにない。
「…う~……………………」
「リラックスして、風呂か、トイレだと思って脱げば?」
「………………………」
ほたるは数センチ、ショーツをさげてみた。下着が股間から離れ、外気が陰毛と女性器をくすぐってくる。猛烈な羞恥心を覚えて、ほたるはショーツを元に戻した。
「無理……脱げない…」
「脱げないなら、脱がそうか?」
「近づいたら叩くから」
「そばにいろって言ったじゃん」
「ほたるから半径1メートル以上離れて、5メートル以内にいて!」
「つかず離れず衛星のようにと♪」
ほたるをリラックスさせようと、正午はふざけて衛星のように、ほたるの周囲を半径3メートルの軌道で回転する。全裸なので、とてもバカみたいな姿だった。
「…バカっ…正午っ…」
ほたるが怒りでプルプルと震え、おかげで羞恥心は相対的に心の中で減ったけれど、やっぱり脱げない。
「…………り……利用案内には……服、着てちゃダメって書いてなかったよね?」
「まあ、書いてなかったけど、北極で裸になるな、って書いてないのと同じくらい自明の理だから書いてないんだと思う」
「……………………」
ほたるが胸を隠したまま、躊躇っていると、また正午はふざけてみる。
「野ぁ~球~ぅ♪ するな~ぁら♪ こういう具合に…」
「っ! ほわちゃんパーンチっ!」
ほたるは正午を殴って、脱ぐのをやめた。
「トップレスだけで限界っ! パンツは脱がない!」
「ほわちゃんパンチ、久々にくらったぜ」
正午は真剣に嫌がっているので、ほたるを全裸にすることを諦めた。
「ま、いいんじゃない。パンツ着てるくらいで退場にはされないだろ」
「……バカ正午……」
ほたるはショーツ一枚になり、他の全ての荷物を預けると、やはり強い不安に襲われた。
「……ねぇ……正午くんは怖くないの?」
「何が?」
「だって、パスポートもないんだよ?」
「盗らないだろ、施設の人は」
「そーゆー問題じゃなくて、日本まで何千キロもあって、一番近い住所だって、ほたるの寮なんだよ? オーストリア国境あるんだよ?」
「もはや国境も衣服も必要ない♪ 人類は、あらたな段階に立つ」
「………ホント……バカ正午」
ほたるは仕方なく正午の隣を歩いていく。正午の持ち物は利用案内のパンフレットと駅で買ったフランス語の旅会話集だけ、ほたるは使い慣れたドイツ語の辞典とショーツ一枚だけだった。ストラスブールはドイツ国境に近く、歴史上何度もドイツ領となったことがあるので、ほたるが覚えつつあるドイツ語が通じるのが唯一の救いだったけれど、受験英語以外の外国語ができない正午がフランスの大地を全裸で歩いているフットワークの軽さは驚異的だった。
「正午くんって、すごいのか、アホなのか、わかんないよ」
「うむ、両方だ」
「………は~ぁ…」
「つまり、すごいアホだ♪」
「真・ほわちゃんパンチが生まれそう……」
「とりあえず何か食べようぜ。そしたら、落ちつくって」
正午は飲食ができる施設を物色する。
「ちゃんとしたレストランから、ワイルドな店まであるんだなぁ」
「……ワイルドなのって、どんなの?」
「ああ、ほら、あっちでやってる。キャンプファイヤーを自分たちで熾して、肉とか、魚とか、調味料もつけないで焼いて食べるって。原始的な体験ができるんだな。面白そう♪」
「…………」
ほたるは火を囲んで全裸で肉を手づかみしている白人の男女を見て、タメ息をついた。
「ヨーロッパの人ってアフリカとかに憧れるのかな?」
「アフリカっていうより、ここに書いてあるけど、ヌーディズムそのものが一種の思想っていうかさ。ナチュラリズムの一つで自然に還ろうって理念があるらしいな」
「ふーーん……クジラ獲るなっていうのに?」
「それは別の思想だろ。ベジタリアンとかさ。ヌーディズムなら食べられるものなら、食べるんじゃないかな。まあ、全裸でクジラを捕まえられるとは思えないけど」
「原始人だって最低限の服は着てたと思うよ。毛皮とか」
「そうだよなぁ。一応、ヌーディズムの用語では、服を着ない人をナチュラル、服を着てる人をコーディネーターって言うらしい」
「じゃあ、今は正午くんはナチュラルで、ほたるはコーディネーター?」
「そうなるな。このコーディネーターめ♪」
「バカ正午………………、ねぇ、なんだか、ほたるたち、みんなに見られてない?」
ほたるは胸を隠したまま、顔を伏せる。
「さっきから、ほたるたち目立ってるよ。みんな、こっちを見てクスクス笑ってる」
「まあ……そりゃ、目立つだろ。ほたる一人、パンツはいてるから」
正午は周囲の白人たちの視線を受けとめて、肩をすくめて微笑を返した。
「もともとアジア人なだけでも髪の色とか目立つのにさ。ほたるパンツはいて、おっぱい隠してるから」
「だって………」
ほたるは恥ずかしくて顔をあげられないけれど、他の来園者たちはクスクスと笑ったり、ほたるのことを同伴者と何か話したりしている。バカにされたり嘲っている様子はなくて、ただ優しく見守ってくれてたり、そっとしておこうという結論でまとめてくれているみたいだが、こちらの人間は会話にともなうジェスチャーが大きいので、ほたるは解りたくないのに何を言われているか、解ってしまって余計に羞恥心が湧いてくる。
「ぅ~……ぅ~……ほたる的にはパンツ一枚で外を歩いてるだけで、もう大事件なんだからね……。こっち見ないでよ」
「みんな堂々としてる中で、ほたるだけ恥ずかしがってるから余計に目立つさ。修学旅行の風呂で水着だったら目立つだろ?」
「……修学旅行は女湯だもん……混浴じゃないもん」
「おっ♪ 修学旅行で混浴は、すごいな。う~ん……うちの校長、アホだから採用してくれないかな。校長も、いっしょに入ってくるぞ? 生徒と交流するために」
「そんな案が万が一採用されても、りかりんちゃんが怒って、お母さんが市議会で問題にしてくれるから出発前に廃案になると思うし、もしも実行されても女子は全員水着きるよ」
「いや、カナタなら裸で…、あ、……ごめん」
正午が付き合っていたカナタの名前を出したことを謝ると、ほたるはクスクスと笑った。
「いいよ、別に。気をつかってくれなくても。うっかり自然に出てきちゃっただけでしょ。うん、カナタちゃんなら混浴に挑戦して男子を困らせるかもしれないね。逆に男子だって海パンで入浴するかも。たぶん、ケンちゃんなら恥ずかしがって、お風呂にも入らないかも」
「たはっ♪」
「……。ご飯、どうするの? どこで食べる?」
「あれに挑戦するか?」
正午がキャンプファイヤーで肉を炙っている来園者を指した。さきほど、アーチェリー場へ行ったはずの母娘が今は火を囲んでいる。6才くらいのフランス人形のような可愛らしい全裸幼女が焼いた肉へチョコレートをかけて母親に怒られていた。会話がフランス語なので、ほたると正午には理解できないけれど、だいたいの雰囲気で、もったいないから食材を無駄にせず、食べきりなさいと母親が叱り、幼女は泣きながらチョコかけ肉を食べている感じだった。
「たはっ♪ あの子、トラウマになってバーベキュー嫌いになるかもよ」
「唯笑ちゃんと三上くんがいたら、もっとスゴイ料理にしてフランス人に日本を誤解させちゃったかも」
「そうだな♪ 今度、みんなで遊びに来たいな」
「……。それは唯笑ちゃんの裸も見たいってこと?」
「う~………、まあ、ほたるは正直は美徳だと思える?」
「はいはい。どうせ、男の子がエッチなのは知ってるからいいよ。いっそ卒業旅行は澄空学園のみんなとも合同で、ここに来たら、すごいことになるね」
「それは、また………」
正午が想像してみる。めでたく卒業した仲間たちでの旅行が真昼のアダム園だったなら、ほたると正午に加え、智也や翔太、もしかしたら健、そして何より女性陣は彩花や唯笑、鷹乃、つばめ、もしかしたら巴も、そしてカナタと果凛に葉夜あたりが全員全裸の全力全開だったら、どんな宴になるのか、その光景は絵として想像を絶した。
「正午くん、ほたるの冗談を本気にして変な想像しないのっ!」
「うぐっ…」
正午は勃ちかけていたところへ、ほわちゃんパンチを受けて現実へ引き戻された。
「たははっ…」
「ほたるのバージン、誰がもらったの?」
「はい、オレっす」
「ちゃんと責任とってよね」
「わかってるって♪ ……あ~……けど、真剣な話、ほたるとオレって結婚するのかな?」
「………。正午くんは、したいの? したくないの?」
「したいか、したくないかって言われると、………したくないことはない。けど、二人とも大学あるし、卒業後だろ。ほたるは、したい? したくない?」
「う~……………………まだ、ウイーンに来たばっかりだもん。だいたい正午くんと付き合って、まだ一ヶ月だし。……その一ヶ月だって、ウイーンと日本で離れ離れ。なんだか付き合ってるって実感ないよ」
「実感かぁ………」
「こっちに来てから、ぜんぜん連絡もなくて、ほたる捨てられたかと思ってた」
「たはっ♪ しようと思ったんだけど、いっそサプライズで会いに行こうって考えてからは、あえて連絡しなかったんだ」
「バージンあげたのに放置されたから、超ヤリ逃げされたって思ったんだよ?」
冗談っぽく言ってあげてるけど、本気でヤリ逃げだって思ってたもん、どうせ二学期が始まったらカナタちゃんとヨリを戻して、ほたるのことなんて忘れちゃうって、なのに来てくれたのは、超感動だけど、本当にカナタちゃんとは、どうなってるのかな、ほたるは隣を歩く正午の横顔を見つめる。
「さっき、正午くん、ほたると結婚したくないことはない。って否定の否定で答えてくれたけど、それはバージンの責任をとってくれるってことで、ほたるが結婚してってお願いしたら、してくれるってこと?」
「…う~……まあ……そーゆーこと、かな…」
「じゃあ、カナタちゃんがバージンの責任とって結婚してってお願いしてきたら、どうするの?」
「あいつとは別れたのに、その状況は無くない?」
「カナタちゃんが、すっごく素直になってお願いだから結婚してって泣きついてきたら、どうするの?」
「あいつは、そーゆープライドの低いことは……」
言いながら正午は誕生日にカナタが泣きついてきたので最後の一回ということで関係をもったことを思い出した。そのわずかな表情の変化を、ほたるは見逃さなかった。
「カナタちゃんのバージンと、ほたるのバージン、どっちも重いね?」
「………どっちかというと、ほたるの方が大切っぽい」
「カナタちゃんは捨ててもいいってこと?」
「……。言い方は悪いけど……カナタは、そーゆーのこだわらない…かも……っていうか、ほたるは捨てにくい」
「ほたるは捨てにくいの? ……どこが?」
「ほたる的ギャグさえ言わなければ、可愛い♪」
正午は茶化そうとしたけれど、ほたるは追求する。
「ほたるは捨てにくくてカナタちゃんは捨てやすかった?」
「………こだわるなぁ……、カナタとはケンカ別れで捨てたわけじゃないし…」
「だから、カナタちゃんが捨てないでってお願いにきたら?」
「……………………お願いに来ても、ほたるを選ぶ」
「捨てにくいから?」
「……可愛いから」
「………………」
好きだから、じゃないんだね、ほたるはオンリーワンではなくてナンバーワンにすぎない我が身に諦観を抱いた。
「ありがとう。正午くん」
ほたるを捨てにくいのは、ほたるがケンちゃんに捨てられた子だから二度も捨てられないだけだよ、もしも、ほたるとトトちゃんの立場が逆だったら正午くんの隣をトトちゃんが歩いてるかもしれない、そのもしもは無いし、もしもを言い出したらきりがないよね、ほたるは考え込むうちに乳房を隠していた腕が疲れてしまい、いつのまにか乳首を晒して歩いていることに気づいた。
「……」
ほたるは再び隠しつつも、そろそろトップレスに慣れてきた自分に驚いた。
「………」
慣れって怖いなぁ、みんなトップレスだから、ほたるも平気になってきちゃったかも、これが慣れる時間もなしで、みんなが服を着てるのに、ほたるだけ裸とかで教室とか校庭だったら、その日の夜には自殺してるかも、ほたるはタメ息をついた。
「…………」
でも、裸を見られたから死にたいって気持ちも、ケンちゃんにフラれたとき死にたいくらい悲しかったのと同じで、だんだん時間が経つと、薄れていって平気になるかもしれない、今みたいに慣れるかも、そう思うと人間って自分では大問題って思ってることも実は小さな小さなことなのかも、ほたるは重ねてタメ息をついた。
「オレと……結婚したい?」
「………え?」
「ずっと黙って……タメ息ついてるから……オレ、空気読めてない?」
「ううん、ぼーっとしてただけ。お腹空いちゃった♪」
「ああ、飯にしよう。で、どうする? 原始人風か、レストランか」
「ほたる、ちゃんとしたレストランがいいなぁ」
「んじゃ、あれにしよう」
二人は丘に建てられたレストランへ入った。ほたるは入口で出迎えてくれたウエイトレスが全裸ではなく正式なメイド服を着ていたので、後退った。
「…しょ…正午くん…、ここって服を着てないとダメなんじゃ…」
「あ~……」
正午も戸惑ってウエイトレスに身ぶり手振りで問いかけると、笑顔でレストラン内はスタッフのみ制服を着ています、とフランス語で答えてくれた。なんとなく言われたことがわかった正午が店内を覗くと、お客は全員が全裸だが、ウエイトレスやコックは制服を着ている状態だった。
「大丈夫みたいだ。たしか、スタッフは火傷とか、衛生上の問題があるときは制服を着てるって、どこかに書いてあったから。入ろうぜ、ほたる」
「…う……うん……。でも、…落ちつかないなぁ…」
「ほたるはパンツはいてるじゃん♪」
「……バカ正午…」
ほたるは落ちつかない気分でテーブルへ案内される。本来ならノーネクタイやジーンズというだけで入店を断られそうな格調高いレストランなのに、お客が全裸なので激しい違和感がある。ほたるは身を隠すように着席すると、はやばやとナプキンで胸を隠した。
「はぁぁ……気が変になりそう…」
「え~っと、メニューは……ラ・カルトゥ……スィル・ブ・プレ」
正午が拙い発音でメニューをください、と頼んでいる。ウエイトレスが優雅にメニューを渡してくれ、にこやかに微笑み、ほたるが恥ずかしがっている様子なので余分に大きめのナプキンを用意してくれて前かけのように首の後ろで結んでくれた。
「だ…Danke schon.」
ほたるはドイツ語で礼を言い、乳首が隠れたので気持ちが落ちついた。
「ふーっ……食欲が飛んでいっちゃいそう」
「注文、どうする? オレは何でもいいけど、ほたるは?」
「ほたるも正午くんが決めたのでいい」
「んじゃ…」
正午は旅会話集とメニューを見比べながらフランス語を使ってランチコースを頼んだ。
「食べ終わったら、あそこでピアノ弾いてくれよ♪」
「ぅ~……」
ほたるはレストランの大きな窓から見える野外音楽場を見下ろして緊張する。丘の麓にある野外音楽場はギリシャの集会場を模した造りで、半円形の客席が丘の斜面にそって並び、低い位置にステージがある。そこにピアノや管楽器、打楽器が備えつけられていて自由に使っていい状態になっている。今もバイオリンやチェロを四人の女性が息を合わせて奏でていた。もちろん、四人とも全裸で、それを聴いている人たち数十人も裸だった。
「……やっぱり、弾かないとダメ?」
「そのために、わざわざストラスブールまで来たんだからさ。頼むよ。たんなるヌーディストリゾートなら百以上あったけど、ピアノが屋外で自由に弾けるのは、ここだけだったんだからさ」
「…………外でピアノを弾いてみたいって気持ちは、前からあったけど……裸はイヤだもん」
「パンツはいたままでいいって♪」
「……は~ぁ……」
ほたるは前菜のサーモンサラダをタメ息といっしょに飲み込んだ。
「……美味しい」
「うまいな♪ セ・テクセラン」
フランス語で料理を褒めた正午は、うっかりフォークを落としてしまった。
「おっと…」
床へ手を伸ばしてフォークを拾うと、テーブルの下から、ほたるの両脚が見える。ほっそりとした形のいい脚は何にも隠されず、指先からショーツまで鑑賞することができる。正午は食欲よりも強い欲望を覚えた。
「たはっ…」
「正午くん…、何を見てるの?」
「ほたるの脚、キレイだなって。テーブルクロスの中で見ると、なんかエロい」
「……………………」
ほたるが赤面して怒った。
「バカ……、エッチっ」
下着一枚で立派なレストランに入って食事していることが、ほたるは恥ずかしくて仕方ない。お尻をおろしているイスの直接的な感触も、丸出しの背中やナプキンで隠しているだけの胸の頼りなさも、ほたるたちが裸なのにウエイトレスは制服を着ていることも、どれも非日常的で旅の恥はかきすてという言葉を思い出してみても、やっぱり心臓が速く動いてしまう。
「……はぁぁ…」
ほたると正午はテーブルマナーを守ってフランス料理を食べている。二人とも無自覚ではあるけれど、育ちの良さが自然に身から出ていて、服さえ着ていれば通常の高級レストランでも遜色ないカップルだった。周囲のお客たちも西洋人らしく板に付いたテーブルマナーで食事を進めているけれど、全員が全裸という異常な空間が非現実的なのに、ほたるの肌が空気に触れている感触は現実的で恥ずかしい。ほたるは乳首にあたるナプキンの摩擦に感じて身じろぎした。いつのまにか、乳首が勃っている。誰にも気づかれないよう、ほたるはナプキンでのガードをあらため、しっかりと胸を隠した。
「はぁぁ…これ……夢に見そう」
「いい夢じゃん♪」
「最悪の悪夢だよ。たぶん、夢の中で裸なのは、ほたる一人っていう夢になると思うもん。で、どんなに服を探しても無いの。恥ずかしくてお店から逃げ出しても、外でも笑われるの。逃げて逃げて、逃げまくる、そーゆー悪夢を見そうで怖いよ」
ほたるは主菜の肉料理を口へ入れた。
「………美味しい」
「なんだかんだ言ってるけど、慣れてきたじゃん」
「バカ正午。カナタちゃんが…、またカナタちゃんの話、してもいい?」
「お互い裸なんだし、遠慮なくどうぞ。リアル腹を割って話そう♪」
「……リアルに割ったら切腹だよ。バカ」
「で、カナタが、どうしたって?」
「カナタちゃんがバカショーゴって言いたくなる気持ちが、ほたるにもわかってきたってこと」
「うむ。それはオレとの付き合いに慣れてきたってことだな」
「………バカ」
「たはっ♪」
「あ、あの人たち、もう演奏やめちゃった」
ほたるは野外音楽場で弦楽器を奏でていた四人がステージから去ったので少し残念そうに言う。
「ここから見てるだけでも、巧そうな人たちだったから、ちょっと聴きたかったのに」
「ピアノ以外も興味あるんだ?」
「うん、もちろん」
「ジャンル的にはクラッシックがメイン? バンドとか、軽いのは?」
「う~ん、基本的に電気を使ってないのが好き。エレキギターとか、うるさいのは……ちょっと。正午くんはカナタちゃんと、よくバンドのライブに行ってたね?」
「ああ、まあ。けど、あれはカナタに誘われて行ってる感じだったから、ほたるがクラッシック好きなら、そっちのコンサートでもいいや」
「………こだわりがないのが、いいのか、悪いのか……どっちでもよさそうだね?」
ほたるはデザートを食べ終わると、服装以外は大満足の昼食だったので、マナー通りナプキンは折りたたまずテーブルにおいておく。普通ならチップも置くところだったけれど、今は1ユーロも持っていない。せめて、ウエイトレスに正午から聞いたフランス語で礼を言ってレストランを出た。
「うーーんっ、美味しかったぁ♪」
「ちょっと休憩しようか」
「うん」
満腹でピアノを弾く気にはなれないので、ほたるは休憩に賛同したけれど、正午が芝生の上で寝転がったので戸惑う。
「裸なのに、そんなとこに寝ちゃうの?」
「だって、みんなやってるし」
正午の言うとおり、他の来園者も芝生に寝そべっている。中にはシートを敷いている人もいるが、ほとんどは肌で芝生の感触を楽しんでいるようだった。
「でも、虫とかに刺されない?」
「毒性の強い虫は駆除してあるってさ。蟻にアレルギーがなければ大丈夫だって書いてあったし、農薬も害のない有機系のものしか使ってないって」
「……配慮があるのが、すごいっていうか……裸で過ごすために本気で環境の管理してるとこの徹底ぶりが、こっちの人っぽい…」
ほたるは科学的に安心したので芝生にお尻をおろした。ゆっくり背中もつけて寝転がってみる。
「あ~……」
「気持ちいいな」
「うん……これは、初体験……」
ほたるは背中で大地を感じて目を閉じた。正午が手を握ってくる。恋人らしい配慮が嬉しいけれど、自然な行動ではなくて配慮しようと意図して行われた感じがしたので、ほたるは湧いてきた疑問を隠さずに訊いてみる。
「こーゆー恋人っぽいこと、カナタちゃんともしてた?」
「ん~~……あいつとは恋人っていうか、よく遊ぶ友達って感覚だったからなぁ」
「………」
それカナタちゃんが聞いたら、心で泣いて顔で笑うよ、ほたるは握ってくれている手をそのままに目をあけて正午を見つめた。
「学校でカナタちゃんと、どうしてる?」
「どうしてるって、あいつとは、もう別れたから、どうもこうもないけど?」
「でも、同じ学校だから廊下でも教室でも会うよね。何か話してる?」
「まあ、挨拶くらいはしてるけど、ほたるがイヤなら無視する」
「ううん、無視なんてしないであげて」
「ほたるがそういうなら……」
「挨拶して、ちょっとは会話もしてあげてる?」
「いや、オレに馴れ馴れしくするなって言っておいた」
「………かわいそうだよ」
「そうだけど……、ケジメだろ? ほたると付き合ってるのに、カナタと仲良くしたら、やっぱりさ……。ほたるとのこと、まだ明確には言ってないし……」
「ほたると付き合ってること、カナタちゃんに言ってないの?」
「新しい彼女ができたとは言った。けど、ほたるとは言ってない。言うと、ほたるとカナタの関係が悪くなりそうで……、言った方がいいなら、言うけど……。カナタってさ、ほたるのこと気に入ってるっていうか、あいつ、交友関係広いようで実は狭いし、その中で、ほたるは大事っぽい感じだから……、ほたるとオレが付き合ったこと知ったら、ショックを……まあ、あいつならショックも軽いかもしれないけど……なんとなく言わない方がいい気がして……。もちろん、ほたるが言ってほしいなら、オレから言っておくけど……、秘密の方がいい気がして……ごめん。まだ、言ってない」
「いいよ。言わないで………少なくとも、まだ……」
正午くんの判断にしては、それは正解だと思う、カナタちゃんって、ほたるのこと他の友達より好きでいてくれるみたいだから、そのほたるが裏切ってるって知ったら、すごく傷つくと思う、モデルしててプライドも高くて、なのに正午くんのこと本気で好きなカナタちゃんだから余計に深く傷つくよ、ごめん、カナタちゃん、ごめん、ほたるは遠く日本にいるカナタのことを想った。
「オレとカナタは、ゆっくり他人になるつもりだけど、ほたるとトトは、どうなってる? こっちに来てから連絡とかあるのか?」
「うん、一回だけね。トトちゃんから手紙が来て、ウイーンの生活には慣れた? 私は彼氏ができましたぁ♪って内容の。ふふ…、彼氏さんとのプリクラが貼ってあって、どこかで見た人に似てたよ。ふふ…」
「あ………あいつは……どこまで空気読めないっていうか……最悪っていうか…」
「トトちゃんを悪く言わないで。知らないだけだから」
「知らないって言ってもさ………。で、その手紙に、もう返事したのか?」
「うん、ごく普通に。ドイツ語が難しくて大変だけど、なんとか元気だよ、って」
「いい加減、もう無知は罪だろ? 知る権利っていうか、トトには知る義務がないか?」
「ダメだよ。言っちゃ」
「けど…」
「何年か、ううん、もっと何十年かして、トトちゃんとケンちゃんが結婚して子供が産まれて、その子供が……うん、あの子くらいになったら。ボンジュール♪」
ほたるは話しながら、たまたま通りがかって目が合った6才くらいのフランス人形のように可愛らしい全裸幼女にフランス語で挨拶されたので、拙い発音のフランス語で返事をして手を振った。全裸幼女は手を振ってくれたけれど、いっしょにいた母親へフランス語で、どうしてあの人だけパンツをはいてるの、と問いかけている様子で、ほたると正午にも雰囲気で意味が通じた。
「やっぱり目立ってるな」
「………いいもん! ほたるはシャイでナイーブな日本人でいいもん!」
いっしょにいた母親が娘を叱りながら、彼女はシャイでナイーブな人なのでしょう、と教えていたのがわかったので、ほたるは拗ねた。
「話を戻すよ。トトちゃんに言うのは、もっともっと先の話っ! もしかしたら一生言わないかも……」
「そっか……まあ、ほたるが、そういうなら、それでいいかな。どうせ、トトのやつ飽きっぽいから、半年くらいで別れるかもよ? 卒業まで保たなかったりして♪」
「人の不幸を望まないのっ」
「ほたるは本当に優しいな」
「……褒めてもパンツ脱がないからね」
「たはっ♪」
「なんかピアノ弾きたい気分。元気のいい曲っ♪ うん、ベートーベンの英雄!」
ほたるは立ち上がって野外音楽場へ向かった。ちょうど誰も演奏していないので観客席も人が少ない、ほたるはパンツ一枚でステージへあがった。正午は最前列の中央へ座る。
「よっ♪ 待ってました!」
「バカ正午……」
ほたるはピアノの前に座ると、気持ちを整える。鍵盤を見て集中する。
「…………………………………………」
指が動き始める。
「やっぱり神業クラスだな……」
音楽のことがわからない正午にも、ほたるの演奏が素晴らしいことはサッカーを知らなくてもワールドカップが高校生リーグとは段違いであることが見てわかるように、ほたるの指の動きと音で理解できた。それは正午以外の来園者も同じで、さきほどまでまばらだった観客席が一人、また一人と増えていく。
「………」
ほたるが一楽章を終えて観客席を見ると、かなりの人数が集まっていた。
「………………………」
恥ずかしいと思うから恥ずかしいの、平気、みんなほたるのおっぱい見に来たんじゃなくてピアノを聴きにきてるの、こんな小さなアジアのおっぱいに、フランスのおっぱいに慣れてる人たちは目もくれないから、大丈夫だよ、ほたる、ほたるは自分を励ましてピアノに集中する。日本でも入賞の常連とはいっても常勝であればあるほど、緊張していた。けれど、曲さえ始まれば、緊張も臆病も消え去る。ほたるは演奏を再開した。さらに聴衆が増え、また一楽章が終わる頃、さきほどヴァイオリンやチェロを奏でていた四人がステージに昇ってきた。
「Salut!」
ハーイっ、と親しげなフランス語で挨拶されたけれど、ほたるは意味がわからず順番を譲るべきかと思い、席を立とうとしたが、ほたるの肩に触れて席に座っているよう伝えられた。さらに、フランス語で合奏してもよいか、モーツアルトなら何が弾けるか、と問われる。半分も意味がわからないし、曲名もわからないけれど、一人の女性がピアノを弾いて最初の一小節を奏でてくれると、ほたるも曲名がわかった。
「はい、それなら弾けます」
「Oui」
肯定的な返事があり、五人が合奏する。その合奏の途中でも、欠けていた楽器を操れる人が一人、また一人と参加してくる。にわかオーケストラができあがると、さすがに音の調和が乱れてくる。すると、指揮者が現れ、ほたるたちを導いてくれる。
「……………………」
ほたるは指揮棒を見上げ、合わせる。けれど、どうしても、指揮者が男性だったので指揮棒よりも、その下の棒が気になってくる。ほたるが集中を乱していると、ヴァイオリンを弾いていた女性が、そっちの棒はト短調で揺れてるわ、上の棒を見ないとね、この曲はヘ長調でしょ、と冗談を飛ばしてきた。音楽用語が混じった冗談だったので、ほたるは理解できた気がしてクスリと笑った。
「ふふ♪」
音楽とジョークは世界共通だよね、ほたるは再びピアノと指揮棒に集中する。指揮者は全裸であっても、ふざけているわけではなく真剣な指揮で、まるで見えないタキシードを着ているような威厳があった。気づいてみれば、他の楽器を演奏する人たちも、自らステージへ挑むだけあって、その楽器の演奏について研鑽してきた気配が伝わってくる。
「……」
すごい、みんな、すごい、やっぱり本場なんだ、ほたるは演奏者たちだけでなく、聴衆にも新しい刺激を受けた。今まで演奏してきた日本でのコンクールは、みんな自分の子供や友達の演奏を、あまり音楽もわからずに聴きにきていて、雑然とした感じがあった。ひどいときは、ケータイの着信音が鳴ったり、連れてきた子供の泣き声が響いたりしたけれど、今は6才の全裸幼女でさえ、静かに聴いている。自分の子供だから聴きにきたわけでも、友達だから応援しにきたわけでもなく、美しい音楽だから聴きたいという純粋な意志を感じた。たとえ、観客席の全員が全裸であっても、まるでドレスとタキシードを着て王立の音楽ホールにいるような品格が伝わってくる。本物の紳士と淑女たち、その聴衆のレベルの違いが、ほたるを奮い立たせた。
「……」
聴かせたい、みんなに、ほたるのピアノを聴いてほしい、みんなに感動してほしい、こんな気持ち、初めてだよ、ほたるは今までにない熱を込めてピアノを弾き、指揮者に合わせ、楽曲の演奏に全ての神経を注いだ。曲が終わり、万雷の拍手が湧き起こった。
「「「Bravo!」」」
「「Bravo!」」
「みんな……みなさんの……、Ich freue mich auch.Das hat mir viel Spab gemacht.最高に」
こちらこそ、楽しかった、とドイツ語が口をついて出た後、ほたるは立ち上がり一礼すると、おもむろにショーツをおろした。静かに堂々と、ほたるは一糸まとわぬ姿になると、もう一度、頭を下げる。今はむしろ、下着をつけていることが恥ずかしい。この紳士と淑女たちの前で自分を隠すことが非礼であると心の底から想い、そして裸になった自分を見てほしいという衝動のまま、ステージで全裸を晒した。
「Felicitations!」
おめでとう、と指揮者が祝福してくれた。
「「Felicitations!」」
「「「Felicitations!」」」
「「Ich gratukiere!」」
フランス語だけでなく、ほたるがドイツ語を解すると知って、おめでとうの言葉を次々に、みんなが贈ってくれる。おめでとう、おめでとう、ほたるは生まれ変わった気分で祝福を浴び、両腕をあげて応える。
「ありがとう! みんな、ありがとう!」
ほたるは晴れがましい気分で手をふる。そして、あらたなヌーディストの誕生に、みなが拍手と祝福を贈ってくれていた。
「Cest magnifique.」
指揮者が、素晴らしい、と讃えて、ほたるを抱きしめてくれる。ほたるも西欧風の抱擁に慣れているので抱き返した。
「メルシィ」
ありがとう、と覚えたてのフランス語で礼を言う。二人とも全裸なので抱き合うと、ほたるの腹部にト短調で揺れていた下の指揮棒があたるけれど抵抗感はなかった。他のメンバーとも抱き合い、交遊を深めたけれど、しばらくして正午が何をしているか気になり、不意に客席の最前列を見ると、同伴者は居眠り中だった。
「……正午くん…」
おそらく、ほたるの演奏が佳境に入る前くらいから、睡魔の誘惑に負けていたらしくだらしなく爆睡している。
「はぁぁ…」
ほたるは残念で少し恥ずかしかった。自画自賛になるけれど、あれだけのオーケストラ演奏で感動せずに眠りこけられる文化程度の低さが淋しい。これだから、日本のクラッシック音楽のレベルは成長せず、ほたるのように留学しなければ一流の技術を身につけることができない。他の聴衆が心から称賛してくれたのにくらべて自分の連れあいが居眠りしていたことは強く遺憾だったし、まわりの人々も曖昧な笑みを浮かべて正午の寝顔を見ている。
「機中泊のあとに、車中泊だもんね……」
ほたるは前々日は飛行機のシートで一泊し、前日はウイーンからストラスブールまでの列車で眠った正午の疲労を考えれば納得できなくもないので、正午の弁護をドイツ語でしようかと思うけれど、やや構文が複雑になるので、すぐに発語できない。
「ぁ…えっと…er…」
彼は、と言いかけた瞬間、ほたるの身に最悪のタイミングで不幸な出来事が起こった。ぬるりと生温かい感触を股間と内腿に感じる。
「…っ…」
ほたるは気持ち悪さで自分の股間を見ると、経血が垂れて脚を汚していた。
「ぅ……………………」
女性ヌーディストの大きな悩みである月経が最悪のタイミングで始まり、ほたるの表情で周囲の人々も気づいてしまい、ほたるの股間に注目が集まる。
「「「………」」」
ベテランの女性ヌーディストでもばつが悪いものなのに、まだ初心者にすぎない東洋の少女が多人数の前で脚を汚してしまったことを、どうフォローすべきか周囲が戸惑い、その空気が伝染する。ハンカチでも持っている者がいれば、そっと渡してくれたかもしれないが、あいにくと全員が全裸でポケットなどはない。ほたるの心傷が深くならないうちに、そばにいた女性が物陰へ連れだそうとする。けれど、ほたるは自分で乗り切ろうと、あがいた。
「あれ?」
ほたるは内腿に垂れた経血を指で拭き取ると、何かわからないという表情をして、その赤い血を正午の男根へ塗りつける。ジグザグな線を描いて血を塗りつける東洋人に周囲は魔術的な気配を感じたけれど、ほたるの狙いは違った。
「えへっ♪ フランクフルトっ、なんちゃって」
ほたるは正午の男根をフランクフルトに、自分の経血をケチャップに見立てて、ほたる的ギャグで乗り切ろうとしたが、周囲は水を打ったように静まりかえる。
「「「「……………………」」」」
「ぁ…、えっと、ほら? フランクフルト・ソーセージ♪」
ほたる的ギャグが滑りやすいのは経験しているので習慣的に二度も言ってみる。おまけに脱ぎ捨てた自分のショーツを拾って、包み紙に見立てて正午の男根を軽く巻いた。
「フランクフルト一本、3ユーロ♪」
「「「「……………………」」」」
「……えへっ…」
ほたるは背中に汗の玉ができるのを感じた。滑った、滑ってしまった、最悪のジョークで軽蔑されてる、ここに集まっている紳士と淑女たちに、こんなジョークを言ってしまった、もうダメ、ほたるは眠り続ける正午をおいて逃げ出したくなった。けれど、次の瞬間、野外音楽場が揺れるような爆笑がおこった。
「「「「GAHAHAHAHAHA!!」」」」
「…ぅ…」
うけた、うけてる、ほたるも笑った。通じてる、ほたる的ギャグが世界で通用してる、ほたるは嬉しくてギャグを連発する。どれも次々と、うける。うける。クラッシック音楽を鑑賞することにおいて紳士と淑女だった人たちだが、やはり全裸を趣味とするヌーディスト、下品な冗談も笑って楽しめる懐の深さがあった。かのモーツアルトもスカトリックな発言を繰り返していたし、美しい音楽を生むのも人間なら、経血や大便を垂れ流すのも人間だった。ほたるは調子に乗って日本で暖めてきたギャグを試してみる。
「私、オーストリアのウイーンから来ました♪ あ、そうそう、コアラのいるところ、って、それはオーストラリアやがなっ! ややこしいなぁ、いっそドイツみたいに東西統一しよったらええのに。って、どんだけ距離あるねんっ! 地球みんな統一されるわ! ええやん、ジョークで統一されたら、ほんまに平和や♪ 平和って、ええは、えーわ、へーわ」
もろに日本語のジョークを言って、しかも自分で解説する。
「これはね、平和と、ええは、へーわ、をかけてるの♪ ええはグッド、ドイツ語だとGut!の意味なんだけど。似た感じのジョークで、Eじゃん、Gじゃん、Fじゃんってのがあるの。これはアルファベッドにからめて…」
ほたるは饒舌に熱意たっぷりに語り、ついにはピアノも使って、ほたる的ギャグの弾き語りを始める。ほとんどが日本語を理解できないと面白くないジョークだったけれど、全裸幼女を連れていた母親が日本語に堪能だったらしく、同時通訳してくれたので、ほたる的ギャグの弾き語り公演は夕日が沈む頃まで続いた。
「おあとがよろしいようで♪ Einen schonen Tag.かっぺ・ムカツク♪ でんでん太鼓ぉ~ぉ♪」
このあとも、よい一日を、と締めくくり拍手をくれる観客に手を振ってステージをおりる。侍の国から来た全裸芸人に惜しみない称賛が贈られた。
「はぁぁ♪ 楽しかった」
ほたるは眠っている正午に近づく。爆睡していた正午は途中で一度は目を覚ましていたけれど、ステージで行われていたのが、ほたる的ギャグの弾き語りだと気づくと、二度寝していた。おかげで、下の指揮棒はフランクフルトになったままだった。
「もお、正午くん、そろそろ起きてよ」
「ん~……」
「起きないとフランクフルトを食べちゃうよ」
「ん~? もう夕飯に……」
寝ぼけ眼の正午は起きあがると、ステージを見た。
「……ウイリアム・テルか……あの母親、すげぇ自信だな」
ほたるが退場したステージでは、全裸幼女が頭にリンゴをのせられて母親が射る矢を硬い表情で待っていた。弓を構えて母親は冷静に狙っているけれど、全裸幼女は少し震えている。矢が放たれ、見事にリンゴを射抜いた。拍手が湧き起こり、母娘がありもしないスカートの裾をつまんでお辞儀している。
「たはーっ……こっちの人って、やること気合い入ってるなぁ」
「うん、すごいね。見ててハラハラしたよ。あ、夕日が沈む」
ほたるは肌寒さを覚えた。太陽が傾くと、さすがに全裸では寒い。けれど、他の来園者たちは慣れているのか、あまり寒そうにしていない。ほたるが腕を抱くと、正午が小さな肩へ腕を回して抱きよせてくれる。
「正午くん、あっちの丘から夕日を見ない?」
「ああ、いいよ。けど、オレって長いこと寝てたんだな。昼寝のつもりが、夕方になってる」
二人は野外音楽場を離れて、人のいない丘を目指して歩く。
「疲れてたんだよ。飛行機のあとに長距離列車だもん」
「そーだなぁ、ちょっとダルかった」
「………。本当に、来てくれて、ありがとう。正午くん」
「そんな風にストレートに言われると、……たはっ♪」
正午が照れて笑った。
「正午くんのおかげでホームシックもドーバー海峡まで流れていっちゃったよ。どばーって」
「………」
「だからね、どばーっ、と、ドーバー海峡まで…」
「いや、説明はいいから」
伊波が耐えられなかったのは実は浮気心というより、このセンスだったりして、中学からの免疫があるオレらでも疲れるからなぁ、正午はタメ息を隠して、ほたるのお尻を撫でた。
「あんっ♪」
ほたるは裸のお尻を撫でられて可愛らしい声を漏らして身をよじった。ほたるが正午を見つめる。丘の上は二人きりで、肌寒い風が吹いているので裸の身体を寄せ合っている。
「すごいね」
「……何が?」
「こんな風に夕日を、こんなところで、正午くんと見てる。すっごい運命の確率だよ?」
「ああ、そうだな。のんちゃんに言わせれば世界はシュレディンガーだらけでラプラスは大変だってことになるな」
「ふふっ♪ ねぇ、あの沈む夕日に何か叫んでみて」
「……何を?」
「何でもいいよ。正午くんが叫びたいこと」
「ん~………、とくに、ない」
「たはーっ……。じゃあ、ほたるが叫ぶ」
ほたるは正午から離れると、ストラスブールの夕日に叫ぶ。
「ケンちゃんのバカっ!!!」
遠くの山々まで響きそうな澄んだ大声だった。
「トトちゃんのアホぉっ!!!」
「ははは♪」
「裏切り者っ!!! 死んじゃえバカっ!!! 本当に死んじゃえとは思ってないけど、豆腐の角で頭打ってみろっ!!」
ほたるの声は湿っぽくない。思ったことを思ったまま叫んで笑った。
「あーーっ、すっきり♪ うん、これでおしまい。ほたるの初恋は、今、ここで、こーゆー風に完結しました♪」
「そっか、よかったな」
「だから、もう一つ、叫びます」
「……どうぞ?」
正午が促すと、ほたるは夕日ではなく正午に向かって叫ぶ。
「正午くんっ!! 大ぁ~好きっ!!!」
「………ぐはっ……ほたる……可愛いな、お前」
正午が面はゆくて目をそらした。
「正午くんっ! エッチしよ!」
ほたるが叫んで抱きついてくる。受けとめた正午はキスをして、ほたるを抱きしめる。もう言葉は必要なくなって、衣服を脱ぐまどろこしさも無く、もってまわった愛撫や前戯もなしで、ただ赤裸々に情熱と本能に身を任せて、女と男が大地の上で一つになった。