「智也が浜咲だったら」   作:高尾のり子

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第16話

 

 

 翌朝、智也は鷹乃が制服を着ていたので問いかける。

「鷹乃、……学校、行くつもりか?」

「ええ。………。昨日、叔父から電話があって…」

「ああ、昨日の電話、叔父さんからだったのか」

「長く学校を休んでいるけど、どうしたんだって……叔父のところへ担任から問い合わせがあったみたい」

「そっか。……学校では三上鷹乃じゃなくて寿々奈鷹乃だもんな。けど、大丈夫か? 無理なら、休んでもいいんだぞ?」

「……たぶん……大丈夫。……智也が、いてくれるなら…」

 鷹乃が不安げに胸元とスカートの裾を押さえた。その動作で智也が察して、スカートをめくった。

「ノーパンか♪」

「ィヤっ……」

 鷹乃はスカートをめくられて抗議しつつも抵抗しない。屋内なので智也にしか見られないという安心感からだったが、顔は赤くなり薄い化粧が栄えた。スカートの中は何も着けていない上、陰部も剃毛されていて見応えがあった。

「ホント、可愛いな、鷹乃。けど、いいのか? ノーパン登校で」

「だって……智也が、ずっとノーパンで登校しろって……」

 鷹乃が恥じらいつつも夫の命令に忠実なので智也は嬉しくなった。

「一応、鷹乃の下着も持って行こう。ノーパンがつらくなったら、言ってくれ」

「うん…」

 鷹乃の肩を抱いて家を出ると、彩花に出会った。

「よっ、よぉ。彩花」

「おはよう。智也、……、お化粧なんて、覚えたんだ? ふーん…」

 彩花がしげしげと鷹乃を観察すると、人見知りをする子供のように智也の背中に隠れた。その仕草で彩花は感じ取りたくないことを感じ取った。

「まさか、寿々奈さんにエッチなことしたまま登校させるつもり?」

「ぅっ……なぜ、わかる?」

「二人の顔色を見ればわかるのよ。バカ」

「唯笑には言うなよ」

「言うわけないでしょ」

「トモちゃーん! 彩ちゃーん! 鷹乃ちゃーん! おはよーぉ!」

 今坂家の前から唯笑が走ってくる。

「うわーっ♪ 鷹乃ちゃん、すっごいキレイ!」

「ぃ…今坂さん……そんな大声で…」

 遠慮のない唯笑の称賛で、ますます鷹乃が顔を赤くてして智也に抱きつく。

「早く行きましょう。遅刻するわ」

「ああ」

 二人が歩き出すと、彩花と唯笑も駅まではついていく。

「智也、浜咲学園の校則的に、そのお化粧、オッケーなの?」

「大丈夫だろう。りかりんと黒須も軽くやってるし。澄空学園はダメなのか?」

「まーね。生活指導でうるさいのがいるから」

「桧月さんと仲良く話すのやめて」

「「………」」

 彩花が黙り、智也も黙って鷹乃に謝る。

「ごめんな。さ、オレらは下り線だから」

「トモちゃん、鷹乃ちゃん、バイバイーっ!」

 唯笑たちと別れて浜咲駅方面へのシカ電に乗り込むと、雅と歩に出会った。

「よぉ、うるわしき後輩ども」

「おはようさん、アホな先輩と、その恋人…、…えらい化粧、似おてはりますやん…」

 歩が鷹乃を見て驚き、雅も目を見張った。

「これは、また、ずいぶんと美しく……。ですが、…あの…、校則違反ではないでしょうか?」

「このくらいなら大丈夫なはずよ」

「そう…ですか…」

「鷹乃と同じポニーテールだから違いが際立つな」

 智也が鷹乃と雅を見比べて頷く。

「化粧してる三年生とナチュラルな一年生だと、ホントに大人と子供だなぁ……」

「「……………………」」

 見比べられて二人は居心地悪そうに身じろぎする。さらに智也はクロエを思い出して脳内で比較する。三人とも雰囲気に似たところはあるけれど、高校三年生、一年生、中学二年生と年齢が下がる分だけ、当然に子供っぽくなり、やはりクロエとの一夜が大きな間違いだったと思い知った。

「オレは、やっぱり、こっちだな。断然」

 智也が鷹乃へキスをすると、歩も動いた。

「うちは、当然、こっち」

「「人を宝物を選ぶみたいに……」」

「最高の宝物だからな」

「やね」

 歩が雅にキスをして、智也も鷹乃へのキスを繰り返すと、周囲の乗客が静かに動揺しつつ、日本の将来を憂う。浜咲駅に着いて鷹乃は女子トイレへ入り、キスで乱れた化粧を直すと待ってくれていた智也と学校への坂道を登る。いのりと一蹴が前を歩いていた。

「おい、いのり、ちゃんと前を見ろって」

「ん~……ふにゅ~……」

 いのりは眠たそうに目を閉じたり半眼にしたりしながら歩いている。ときどき電柱に当たりそうになるのを一蹴が守っていた。

「ったく、ネボスキストのくせに、夜中まで起きてるからだ」

「だって……イッシューがエッチしばらく…しないって……」

「そっ、そーゆーこと道で言うなよ!」

「道ぃ? まだ、部屋じゃ…」

「寝ぼけるな! 起きろ!」

「ん~…、…だって、エッチ、やっと…してくれたのが……1時でしょ……それから、いち……にぃ…」

「思ってること口に出すなって! 超絶ネボスキストっ!」

 いのりの朝の弱さに手を焼いている一蹴へ智也が声をかける。

「よォ、色男。夕べは何発、やったんだ?」

「っ…先輩、そーゆーこと道で……、………」

 一蹴は抗議しようとしたが、鷹乃の顔に見惚れてしまった。いのりが敏感に察知して一蹴を抓る。

「イッシューっ!」

「痛っ…」

「なに見つめてるの?! 先輩に失礼だよ!」

「ォ、オレは別に……、っていうか、寝ぼけてたくせに……」

「そーゆーのは寝ててもわかるの!」

 いのりが嫉妬したので鷹乃は一蹴へ注意する。

「気をつけなさい。私もジロジロと見られるのは落ちつかないわ。…キャっ?!」

 鷹乃は不意に尻を撫でられて小さな悲鳴をあげた。

「落ちつかない理由があるからな」

「智也……」

「うらやましいか、少年。オレの女は、いい女だろ」

 智也は自慢しながら鷹乃の胸と股間へ手を入れる。下着をつけていない鷹乃は敏感なところを指先が擦れるダイレクトな刺激を受けて真っ赤になった。

「と…智也……ィ…ヤよ。こんなところで…」

 こんなところ、と鷹乃が言ったのは校門前だった。一蹴が智也に意見してみる。

「あの……先輩……、ちょっと、いいですか?」

「替わってやらないぞ。触りたいなら、自分の女を触れ」

「そっ、そーゆーことじゃなくて! 彼女さんイヤがってるじゃないですか! やめてあげてください!」

「子供が何を言う♪」

「こ…子供とか、関係ないですよ! 先輩は変態ですかっ?!」

「男が女に欲情するのは変態じゃないぞ」

「そーゆーことでもなくて!」

「イッシュー……」

 いのりが恋人の無駄な努力をやめさせる。

「寿々奈先輩、口では嫌がってるけど本気で嫌なら別れるから。あれは、ハイレベルな男女の楽しみ方なの。……わ…、…私だって……いろいろ……」

 いのりは迷い、それから一度しかない人生なので積極的に生きることにする。

「ふにゅっ!」

 一蹴の手をつかみ、自分の胸に押しあてた。

「ぃ、いのりっ?!」

「ぇ…えへへ……新しい技。逆ふにゅっ、なの……」

「逆ふにゅっ、って……」

 一蹴がふにゅふにゅとした胸の感触を校門前で味わっていると、登校してきた翔太が元キャプテンとして後輩の頭を叩く。

「おい、何をやってるんだ。鷺沢」

「な、中森キャプテンっ?! こ、これはっ…」

 言い訳する一蹴から翔太は智也へと視線を移した。

「三上の悪影響か……。お、寿々奈さん、やっと登校してくれたか。って、校門で何をやってるんだか……。もう夏も終わったのに、この暑さ。なんとかならないのか…」

「中森は人目を忍ばないといけないからな。うらやましいか?」

「うらやましくない。オレの彼女は世界最高だからな」

 翔太まで悪影響を受けて恋人自慢を始めたところへ、正午が登校してくる。

「なにこれ? 今日、なんの日? 愛を叫ぶ日?」

「「「「「……………………」」」」」

 ようやく全員の気分が冷却されたのでチャイムが鳴る前に教室へ入った。午前中の授業が終わり、午後からは文化祭準備のために自習となる。智也はクラスメートたちに気づかれないように鷹乃へショーツを渡した。

「オレ、実行委員の仕事があるからさ」

「うん……」

 受け取った下着を鷹乃はポケットに入れて女子トイレの個室で身につけると教室へ戻った。ノーパンで、ずっと智也の隣にいる状態と、下着をつけて智也から離れるのでは、まったく気持ちの落ちつきが替わる。鷹乃は何気なく教室を見渡した。

「……」

 しばらく不登校していたので勝手が分からなくなっている。とくに文化祭でクラスが何をするのか、自分は何の係りなのか、まったく分からない。そんな鷹乃の様子に気づいた翔太と健が近づいてきた。

「寿々奈さんはオレらと同じ企画を担当してもらうことになってる」

 もしも寿々奈さんが登校してこなくても穴があかないようにって健の配慮でね、翔太は凝ってもいない自分の肩を少し揉んだ。

「企画……、そう。……それで、何の企画をするの?」

「一応、喫茶店ってことになってるけど、まあ、食べ物屋なら何でもアリだ」

「何でも……」

「あ、もちろん、食べられる物限定っ! 彼氏にも、そのへんは厳重に言っておいてくれよ」

「智也はクラスのことは、ほとんど関わらないつもりらしいわ。実行委員の仕事だけするって言っていたから安心していいはずよ」

「その安心の裏を突かれそうで……まあ、いいか…。今年は寿々奈さんがついているんだから、マークしてくれるだろ」

「ええ、食べられる昆虫だけ選ぶように言っておくわ」

「おいっ!」

「冗談よ」

 そう言って微笑した鷹乃の笑顔に翔太と健が見惚れる。鷹乃が化粧をしていることに健も気づいた。

「寿々奈さん……なんていうか、その……すごく……キレイになってる…ね」

「………。そーゆーことは不用意に言うものじゃないわ」

「ご、…ごめん、…つい、……思った……まま…」

「健、その病気は治せよ。それにしても、寿々奈さんが冗談を言うなんてな。三上の影響かな?」

「……そうね。そうかもしれないわ」

「肯定されるとは……、思わなかった。ホントに変わるな……付き合う相手によって人って、こうも変わるのか……」

 つばめ先生と付き合ってるオレは、影響し合ってるのだろうか、つばめ先生の言動がオレに似たり、オレの言動が、つばめ先生に移ったりしてるのか、自覚がないだけで、いつのまにか…、翔太が考え込むと鷹乃が催促する。

「それで? どうするの?」

「あ、ああ。とりあえず、健のバイト先のルサックってファミレスで研修させてもらうことになってるんだ。それで色々覚えて食材も提供してもらえるみたいだから、それなりの喫茶店にできると思う」

「ずいぶん本格的なのね」

「やるからには本気でやるのさ」

「そう、それは、いいことね」

 鷹乃が了承したので三人は学校を出る。その途中で果凛と擦れ違った。果凛は鷹乃を見つけると声をかけようとして迷い、それでも用件があるので呼び止めた。

「すっ…寿々奈さん、少し、いいかしら?」

「ええ」

「三上くんは、どこか知ってる?」

「……。智也に何の用かしら?」

「…………」

 どうして、いちいち彼氏に近づく女子を警戒するの、私は桧月さんや今坂さんと違って趣味は悪くないのに…、果凛は思ったことを一欠片も表情に浮かべず答える。

「学祭の委員のことで情報伝達があるからです。他意はありません」

「そう。智也なら美術室にいるはずよ。どうして、同じ委員なのに、そんなことも知らないの?」

「ごめんなさい。私、学校以外にも、いろいろとあって欠席がちだから」

「そうだったわね。ご苦労様」

「ありがとう。じゃ」

 果凛は鷹乃たちと別れると美術室へ向かった。ドアをノックしようとして中から猥談が聞こえてきたので、その手が止まる。いのりと智也、それに拓が高校生らしく性行為について熱く語り合っている。

(…イッシューのは…)

(…標準だな。鷹乃は…)

 果凛は美術室に入って同じ空気を吸うことになるのがイヤになり、踵を返して廊下を歩きながら頼めそうな人を探し、たまたま見つけた一年生の一人に声をかける。

「あ、ちょっと、あなた」

「はい。私に何かご用ですか?」

 三年生に呼び止められた雅は長幼の序をわきまえた返事をした。

「ぶしつけなお願いで申し訳ないけれど、学祭の実行委員のことで伝達してほしいことがあるの。あそこの美術室にいる三上って三年生に」

「はい……わかりました」

 雅は見えるところにある美術室へ、どうして自分で行かないのか疑問に思ったが、三年生からの頼みなので疑義を呈さない。果凛から伝達事項を聞き取り、正確に記憶した。

「ごめんなさいね。面倒ごとを頼んで…」

「いえ。三上先輩なら存じ上げております。お気になさらず」

「……知ってるの……、大丈夫? 変なことされそうになったら…」

「それも大丈夫です。あの方には口では勝てませんが、試合なら勝てます」

「そう……よく知ってるみたいね……じゃ、頼んだわね」

 果凛は雅と別れ、葉夜からもらった手紙を読み直す。かなり難解な文章ではあるけれど、要するにクラスで喫茶店をするなら、葉夜がアルバイトしている店を参考がてらに見に来てほしい、という内容だった。果凛が校門を出ると待機していたジイヤがリムジンのドアを開けてくれた。

「ありがとう、ジイヤさん」

 乗り込んでから行き先として葉夜の手紙にある店を告げると、制服の上着を脱いで秋物のコートを着る。ほとんどの生徒は守っていないが原則として学校帰りに飲食店へ寄ることは禁止されている。母親が市議会議員をしている手前もあって果凛は簡単な欺瞞工作をして、ならずやの前に立った。まだ、午後の早い時間なので客は少ない。

「あっ♪ りかりんちゃんっ! 来てくれたんだね! ピーーッス♪」

「ピース♪ 学祭の準備、サボって来ちゃった。ていうかさ、のんこそ、学校は?」

「ん~~っと、……卒業は、できると思うよ?」

「あははっ…」

 生温かく微笑んだ果凛は案内された席に座る。葉夜が勧めてくれた紅茶と洋菓子を口にした。

「美味しい。さすが、のん。いい店、発見するね」

「あ、カナタちゃん!」

 葉夜が同じく招待状を送っていたカナタの姿が外に見える。駆けよっていった葉夜が店内に連れてきた。

「カナタも、誘われていたのね」

「…まあ…ねン…」

「………」

 果凛が今までに聴いた中で最低に元気がない、まあねン、だったけれど元気がない理由を訊いても教えてくれない。さりげなく元気づけようとしても、機敏に察知してプライドの高さから拒絶されるので、果凛は腫れ物に触るような慎重さで普段通りの対応をする。

「すっごく美味しいよ。とくに、このキュービック・カフィーニ、のんのお勧め。私も勧めるわ」

「…ふーーん……じゃあ、それ…」

 ぼんやりとカナタは飲物も選ばずに窓の外を見たりケータイを触ったりしている。何度もメールチェックしている様子から、誰かからのメールを待っているのだとわかるけれど、わからないフリをして果凛はフォークをおいた。

「………………………」

「……………」

 会話がない。しても続けられないとわかってしまう。正午のことは、ほぼ禁句、仕事のことも盛り上がらないし、カナタは不調に陥っている。正午以外の誰かに恋をしているのかとも思うけれど、恋の病にかかった少女とは、また雰囲気が違う。

「……………………」

「……………………………」

 カナタはキュービック・カフィーニを食べ終えると、簡単な感想だけ言って財布を出した。

「…帰るね…。のん…、りかりん…、バーイ…」

「「…うん…、またね」」

 珍しく異口同音した果凛と葉夜は店を出て行ったカナタの姿が見えなくなると、心配そうな顔をした。

「ねぇ、カナタちゃん、どうしちゃったの?」

「……さあ? 私にも、…さっぱり……」

「ショーゴくんのことかな?」

「それも当たりのような、外れのような……カナタ、話してくれないから」

「りかりんちゃんにも秘密なんだ……」

「話したくないことなら、無理に問いつめてもカナタの場合、無駄どころか逆効果……」

「そーだね……」

 葉夜も打開策を打ち出せないまま食器を下げていると、一蹴が駆け込んできた。

「遅くなりましたっ! すぐ着替えますっ!」

 店に駆け込んだ勢いのまま、事務所に駆け込み、急いで着替えてフロアに出てきた。

「ハァっ…ハァっ…ま、間に合った…」

「イッシューくんは、えらいね♪」

「ハァ…遅刻を気にしない…ハァ…のんちゃんが変なんだって…ハァ…ハァ…あっ、いらっしゃいませ。失礼しました。ごゆっくり」

 一蹴が客である果凛がいることに気づいて頭を下げて私語をやめるけれど、葉夜は続ける。

「りかりんちゃんはお友達だから大丈夫だよ。ね?」

「はい、どうか、おかまいなく」

 果凛は反射的にお嬢さまモードで応え、余計に一蹴が緊張した。今は果凛以外の客はいないので一蹴はテーブルを拭いてまわる。その姿や顔形、そしてネームプレートのSAGISAWAと、葉夜が呼んだイッシューという名前から、果凛は古い記憶を刺激されていた。

「………」

 まさか……でも……、あのときの少年……、たしか、……あの事故の後……鷺沢という家に養子へ……イッシューが一蹴なら……、果凛は切なさに胸を痛める。果凛が正午に想いをよせる前の隼人に求婚した想いの、その前の想い、果凛にとって正真正銘の初恋といっていい相手とアルバイトのボーイは、よく似ている。よく見れば額に傷痕がある。あの事故の痕かもしれない。

「……」

「お客様、ボクに何か?」

「あっ…」

 果凛はじっと見つめていたことを自覚して取り繕う。

「ごめんなさいね。つい」

「…つい?」

「なかなかハンサムなボーイをおいている店だと思って見惚とれていましたの」

「っ…、ボ…ボクは…別に…」

「冗談ですわ。ふふ」

 年上らしい余裕を繕いつつ、そろそろ仕事の時間なので席を立った。

「のん、また来るね」

「うんっ!」

 小気味よい返事をした葉夜に微笑みを送った後、果凛は一蹴にも声をかける。

「また、来てもいいかしら? 鷺沢一蹴さん」

「もっ、もちろんです! …、でも、…どうして…ボクの名前…」

「ふふ」

 果凛が微笑みながら一蹴の胸を指した。

「あっ、そっか。これを見たから…」

「私は花祭果凛、りかりんって呼ぶ人もいるわ。私も気に入ってるから、そう呼んでくださいな。それでは、また、ごきげんよう」

「はっ…はいっ! ご、ごきげんにょう!」

 焦った一蹴が変な発音をしてしまったことを後悔しているうちにリムジンは走り去っていく。一蹴はタメ息をついた。

「はぁぁ……すっごいお嬢さま。……でも、あのリムジンって、どこかで……、というか、毎朝、見てるよな…」

「りかりんちゃんは、のんたちと同じ浜咲学園だよ」

「じゃあ、あのお嬢さまだったのか……花祭…先輩……、なんてキレイな人なんだ。…はじめて…近くで見た……」

 一蹴は売り出し始めの現役モデルと間近で会話した余韻に浸る。肌といい、髪といい、手入れのレベルが庶民とは違う。制服の上に羽織っていたコートも上質さも、そして残り香までも華麗すぎて孤児院育ちの一蹴には遠い世界のできごとだったかのように思える。まして、幼児期に何度か見つめられていたことなど思い出すはずもなかった。

「…………………………………」

「イッシューくん、ぼーーっとしてるとダメなんだよ?」

「ぅっ……のんちゃんに言われた……」

 反省した一蹴がアルバイトとして真面目に働き、六時を回る頃になり、いのりが拓と来店した。夕食時なので喫茶店といっても軽食を提供しているので忙しい。いのりは小さく手を振ってくれたけれど、一蹴は拓のことが気にかかった。同じ浜咲学園の制服を着ている拓の物腰や、いのりの態度から先輩だと思える。いのりと拓は文化祭の準備のことや音楽の話をしているようで、とくに音楽の話は一蹴には聞こえてきても理解できない。

「………………………」

 なんだよ、なんで、こんな気持ちになるんだ、なんか落ちつかない、ざわざわする、なんなんだよ、いったい、いのりはその先輩と何しに来たんだよ、いのり…、一蹴は初めての少年らしい嫉妬心を自覚できずに、ざわつく気持ちを持て余している。代わりに葉夜が忙しい中、絶妙なタイミングで仕事の合間をぬい、話しかけた。

「こんばんわ。イッシューくんの彼女さん。ん~~っ……そっちの君は、どこかで見たことあるねぇ。ん~~っ…どこかなぁ…」

 葉夜が拓の顔を見て悩む。拓も既視感を覚えていた。

「オレもっす。オレも、どこかで……、………年上っすか?」

「うん、三年生。君は?」

「二年っす」

「そっか……でも、思い出せないよ。ごめんね」

「いえ、オレもっすから。オレは川本拓。たまに外でギターとか弾いてるっすから、それを見てくれたのかもしれないっすよ?」

「あっ、思い出した!」

「おっ♪ やっぱ、オレの旋律はハートビートにメモリーズオンされてるっすね!」

「ううん。生徒指導室で、いっしょに怒られたよね。授業サボるなって先生たちに♪」

「ぅっ……そういえば…………そのとき、隣にいた先輩かも……。そっか……あんときの先輩か……ってか、先輩が電波なこと先生に言うから説教が長引いて…」

 拓が気落ちしていると、一蹴が葉夜を呼んだ。

「すいません、のんちゃん! 3番さんのオーダーお願いしますっ!」

「は~いっ!」

 葉夜が仕事に戻り、いのりと拓は二人で簡単な夕食を済ませる。

「美味かったっ! うん、美味かった! オレんちの弁当も美味いけど、この店も美味い!」

 拓は絶賛した後、席を立った。

「んじゃあ、オレは帰るよ。送りは彼氏さんでオッケーだよね?」

「はい」

「じゃ」

 拓はワリカン計算で支払いを済ませて店を出て行く。いのりは一蹴のバイトが終わる時間まで待って店の外で合流した。

「イッシュー、お疲れ様♪」

「うん……ああ…」

「今日も忙しそうだったね。ホントお疲れ様です」

「ああ……、…さっきの、先輩は? 実行委員か何か?」

「うん」

「ふーん……」

「………」

 イッシュー、ちゃんと嫉妬してくれてる……ごめんね……試したりして……、いのりは寄り添って一蹴の腕に抱きついた。

「ぃ、いのり?! ひっ…人が見てるだろ?」

「このくらい普通だよ~ぉ……えへっ♪ 疲れてるイッシューの身体、帰ったらマッサージしてあげるね」

 三上先輩が考えてくれて、川本先輩が演ってくれたけど、やっぱりイッシューには悪いしね、ちゃんとお詫びしないとね、ふにゅっ! いのりは抱きついている一蹴の腕に乳房を強く押しあてた。

「だ、だから、人が見てるって! 逆ふにゅっ禁止!」

「じゃあ、人が見てないとこ、イッシューの部屋、早く帰ろう。お腹空いてるよね、何が食べたい?」

 私? 私は後だよね、いのりちゃんはデザートで、もちろんイッシューが私を前菜にしたいっていうなら帰ってすぐに♪ いっそテイクアウト、手づかみで歩きながら食べるのもいいよね、そこの公園なら人も少なそうだし……いのりが胸をときめかしているのを気配で感じた一蹴は疲労感を強くした。

「たはーっ……今日は忙しかったから疲れてるんだ。コンビニ弁当でもテキトーに買って帰るからさ。いのりも帰ってよ」

「ぇ……? ……」

「……」

 そんな残念そうな淋しそうな顔されてもさ、毎晩……ていうか、今日は午前中に保健室でもヤったじゃん、一蹴は最寄りのコンビニへ入ろうとしたが、いのりは引き止める。

「ダメだよ。栄養のバランスが悪いから!」

「そーだけど……」

「私が作るから待ってて。すぐっ! すぐ作るから!」

「……たはーっ……」

 結局、いのりの勢いに負けてアパートへ帰ると、いのりは手早く料理をしながら、風呂を沸かしてくれる。夕食と入浴が終わると、いのりは恋人の身体に擦り寄った。

「イッシュー……大好き」

「………。疲れてるから…」

「……………」

 いのりは物欲しそうな目で一蹴を見つめる。

「イッシュー……」

「……っていうかさ。昨日だって、ここに泊まったんだから。さすがに連泊はまずいだろ。同棲してるみたいに近所から思われるかもしれないし」

「同棲………」

 いのりが憧れる表情をしたので一蹴は慌てる。

「まっ! まだ高校生なんだから! 絶対ダメだぞっ!」

「……う~……」

「駅まで送るから。今日は帰れよ。な? 明日、また……するから」

「ホントっ? ホントにホント?」

「ホントだって。……それに、…男は、あんまり連発すると薄くなるっていうか……力が出なくなるんだ。今夜、しなきゃ、その分、明日は余力あるからさ」

「……うん……わかった。……しっかり充電してね♪」

「………ああ…」

「私も充電♪」

 いのりは一蹴に抱きついて頬擦りする。

「じゅ~~っ♪ でーーーんっ♪」

「…………」

 こういうとこは可愛いけど、これから付き合ってる間、ずっと毎日みたくエッチ求められるのか……、っていうか妊娠とかマジで気をつけないと二人とも高校卒業できなくなる、一蹴はタメ息を隠して、いのりの頭を撫でる。

「どう? 充電完了?」

「うん」

「じゃ、駅まで送るよ」

「ありがとう、イッシュー」

 二人で駅まで歩き、いのりは改札口の前で、また充電を求める。

「いのり、人が見てるって!」

「今晩の分、充電が必要なの」

「さっき、したじゃないか」

「もう少しだけ」

 いのりはシカ電が来るまで一蹴から離れず、たっぷりとした後ろ髪を引かれるような足取りでシカ電へ乗り込む。いのりの長い髪の一本一本まで、その毛先までが一蹴を求めているような余韻を漂わせながら、動き出したシカ電から見えなくなるまで一蹴を見つめ、見えなくなっても一蹴がいた方を見つめたまま、自分が降りるべき駅につくまで一蹴を想っていた。

「……イッシューとエッチしたかったなぁ……ちゃんとジェラシーはしてくれたのに」

 智也に相談して初歩的な嫉妬心のテストをして、一蹴の自分への想いは確かめたけれど、あまり激しい嫉妬はしてくれなかった。拓との演技は、本気で一蹴に嫌われると悲しいので、かなり拓と距離をとって会話していたからか、二人の関係が同じ実行委員の先輩後輩だとわかると、一蹴はあっけなく納得してくれ、少し物足りない。

「イッシューも………もう少し激しく……、お前はオレの女だぁ、って怒って、ガバっ! とか抱きしめてくれてもいいのに♪」

「お前はオレの女だぁ♪」

 いのりは改札口の影に隠れていたカナタに抱きつかれて驚いた。

「キャっ?!」

「おかえりっ♪ いのっち!」

「……カナちゃん……」

 いのりは抱きつかれた手を振り解こうとして、やめた。抱きついているカナタの瞳の色は、病んでいると言ってもいいほど現実から目をそらしている。いのりが電話とメールだけで相手をして、なるべく会わないようにしていたら、こんな夜中まで駅で一人で待っていたという行動も病的で、抱きついている手を振り解いて冷たくあしらったら、完全に病気になるか、自殺するかもしれない。いのりは嫌悪感と吐き気を自制して、抱きつかれたまま歩く。

「カナちゃん……、うち、来る?」

「うんっ! 行く♪」

「そっ……」

 幼稚園児みたいな素直な返事……まあ……こんな遅くまで出歩いて、夕べも家に帰らなかったから、パパとママの手前、カナちゃんが同伴してくれる方が、言い訳が楽だから……いのりは自分を慰めるために功利的に考える。陵家に着くと、カナタのおかげで怒られずに済み、逆に父がカナタの身を心配してクルマで送ろうか、それとも泊まっていくかい、と余計な気をつかってくれ、ある程度予想していたけれど、カナタは泊まることになった。

「いのっち♪ お風呂、いっしょに入ろっ♪」

「………うん…そう……だね」

 お風呂の中での方が、気持ち悪さ、少ないし、シャワーで流せるし……いのりは同性の体液や唾液の不快感を軽減できる入浴中の行為を消極的に選び、カナタと裸になる。

「いのっち~♪」

「ほら、洗ってあげるから、抱きつかないでおとなしくする」

「あんっ♪ くすぐったい♪」

「くすぐったくても、すぐに、よくなるから。おとなしく感じて…」

 さっさとイって、さっさと寝てよ、いのりは心も身体も、何も感じないように、何も記憶しないように、すべてオフにして人形になる。カナタと夜を過ごして朝を迎えた。

「おはよ♪ いのっち♪」

「……」

「もう朝ですよ、ネボスキストさん♪ ネボスキストにキス一つ♪」

 カナタがキスをしても、いのりは何も反応せず、ゆっくりと起きあがると乾いた唇から細い声を漏らした。

「…イッシュー……に……会…」

「え~……今日は、アタシと♪」

 カナタは押し倒そうとして、やめた。

「いのっち? 大丈夫?」

「……イッシューに…」

「………」

 カナタは抱きついていた手を離した。一蹴の名をつぶやいている瞳の色は、病んでいると言ってもいいほど現実から目をそらしている。このままカナタが肉体的な結びつきを求めたら、完全に病気になるか、自殺するかもしれない。昨夜はカナタが壊れかけていたけれど、今はカナタより、いのりが壊れかけている。一夜で、わずかばかり理性を取り戻していたカナタは性欲と愛着を自制して、いのりを自由にした。いのりは解き放たれると、ふらふらと長い髪を揺らしながら一蹴を求めていく。

「…イッシュー………イッシュー……イッシューは、……どこ……?」

 朝なので探すまでもなく一蹴は通学路を歩いている。いのりは恋人の胸に抱きついた。

「イッシュー!!」

「うわっ?! って、いのり! 朝から何だよ?!」

「充電……充電させて…でないと、私、何をするか、わからない」

「何をするか、って……? …充電って……?」

「イッシューううぅ……イッシューぅぅ……」

 いのりはギュッと抱きついて一蹴の胸に顔を擦りつける。

「いのり、それで充電になってるのか?」

「うん、でも、もっと充電したい」

 いのりは唇を一蹴に向けてキスを求める。

「いのり、ここじゃ……みんな見てるし…」

「イッシューぅぅ………」

「……わかったよ、じゃあ、こっち」

 いのりに切望されて一蹴は諦め、通学路から少し離れた路地に入り、誰も見ていないことを確認してからキスをする。

「ほら、充電、完了した?」

「もっと、もっと、充電が必要なの」

「いのり……何か、あった?」

「………」

 いのりが苦しげな目をして、それでも話せないという表情になると、一蹴は優しく抱きしめた。

「オレに何とかできることなら、何とかしてあげたい。いのりはオレの恋人だろ?」

「……うん。……」

 いのりは抱き返して、嬉し涙を零すと、気力を取り戻した。

「もう大丈夫。充電できたから」

「そっか」

 いのりと一蹴は手を握り合って登校する。二限目が文化祭準備のために自習になると、いのりは体調を崩したような仕草を見せて一蹴に頼む。

「イッシュー……ちょっと気分が悪いの。保健室までついて来てくれる?」

「……」

 それってウソだろ、夕べしなかったからエッチしたいだけなんじゃないのか、一蹴の問いかける視線を感じて、いのりは可愛らしい照れ笑いをした。

「お願いっ、イッシュー」

「……。わかったよ。でも、他の人や先生がいたら諦めてくれよ」

 いのりと一蹴が保健室を訪ねると、誰もいなかった。

「誰もいないね」

「……そうみたいだけど……」

 一蹴が躊躇っているうちに、いのりは恋人の前に跪くと、ズボンのチャックを開け、まだ勃起してくれていない男根へキスをして、口に入れる。

「ぅぅ……あんまりされると…また、すぐにイきそうに…」

 若き青少年は刺激されると、すぐに勃起してくれる。一蹴が逃げ腰になると、いのりは愛撫を止めて、ポケットから厚手のコンドームを出した。智也から教えられた通常の三倍は厚いコンドームは男性側の感度を鈍らせ、射精を遅らせてくれる効果がある。教えられてもドラッグストアで買うのが恥ずかしかったので、智也から定価の980円から割増しの1500円で買い受けたコンドームを一蹴と試してみる。

「友達に聞いたんだけど、このコンドームだと男の子の強さが増すんだって」

「ふーん……」

 なんか黒くて、怪しいけど、ちょっと強くなった気もするなぁ、一蹴は恋人が口ではめてくれたコンドームを濡れた膣へ向ける。いのりはフェラチオしながら、自分のクリトリスも指で自慰していたので、もう準備はできている。いつ、誰が戻ってくるかわからない保健室なので二人とも時間をかけずに終わらせることでは一致していた。いのりは一蹴に背中を向け、ベッドに両手をついて後背位で突かれる体勢になり、一蹴も応じて挿入する。

「はぅん…」

「痛かった?」

「ううん、気持ちいいよ。もっと、して」

「痛かったら、言って」

 一蹴は最初は遠慮がちに、それから次第にピストン運動を早めていく。

「あっ! あんっ! いいっ! んんっ!」

「…ハァ……ハァ……」

 すごいな、このコンドーム、いのりは感じまくってるのに、オレの方は余裕ある、一蹴はピストン運動のために息を荒げつつも、厚いコンドームのために性感が少ないことに驚きつつ、男子高校生らしい好奇心と男性らしい満足感を覚え、いのりを激しく突いた。

「ああっ!! あんっ!! あんっ!!」

「ハァ…ハァ…いのり、あまり…ハァ…大きな声を…ハァ…」

「だって、あっ! あんっ! 一蹴が…あんっ!!」

 いのりはベッドについていた両手を支えられなくなり上半身を崩して、シーツを汗と涎で濡らしながら、三度もオルガスムを迎えて失神するような悦楽の心地で眠りに落ちてしまった。

「ハァ…ハァ…」

 あれだけ激しくやったけど、オレの方は、まだ出してない、まあ、ここのところ連日連夜だったからチャージも少なかったのもあるだろうけど、すごいな、このコンドーム、最強じゃないか、ヤバっ?! 誰か来る! 一蹴は人の気配が近づいてくるのを感じて、勃起したままの男根を慌ててズボンに片付け、いのりの着衣も簡単に直して毛布をかけた。素早く気分が悪くて横になった女生徒と、その心配をする男子という構図を作り、人の気配を迎える。保健室に入室してきたのはカナタだった。カナタは具合が悪いというより、昨夜の睡眠不足を解消するためにベッドを求めてきたという様子だったが、いのりと一蹴を見つけると複雑な表情をした後に、それを隠して一蹴に微笑みかけた。

「あ……アホイッシューと、いのっち。ハーイ♪」

「ど…どうも、です」

「いのっち、どうしたの? 具合悪いの?」

「ええ、まあ、ちょっと」

「ふーん……」

 いのりの安らかな寝顔を見つめたカナタはベッドに腰かけた。

「あとはアタシが見ててあげるから、アホイッシューは授業に戻れば?」

「……。でも…、自習だし…」

「保健の先生が戻ってきたら、バレるよ、二人がしてたこと」

「っ?!」

「簡単なことだよ、ワトソン君♪」

 カナタが得意そうに指摘する。

「アホイッシューの汚れたズボンの前と、そこに落ちてる、いのっちのパンティーとコンドームの殻、でもって室内の匂い。そして、そもそも女の子が本当に気分が悪い時は、多くの場合で同性に付き添われてくるものだからね。男女で来ること自体が怪しいの。……」

 そういえば、ほたるも彼氏と、ここに来てシーツ一枚で誘ったとか言ってたけど……、カナタは胸に痛みを覚えたけれど、それを完璧に一蹴から隠した。

「さ、行った、行った! いのっちが起きるまでアタシが責任をもって見守るから。そのコンドームの殻だけ持って行っちゃいなさい」

「……じゃあ、お願いします」

 一蹴はカナタに、いのりを託して保健室を出て行く。カナタは二人っきりになると、しばらく寝顔を見つめてから、隣に潜り込む。

「…ん~……イッシューぅ…」

「ネボスキストだね♪」

 カナタが頬へキスをすると、いのりは嬉しそうに微笑み、また眠る。カナタも隣で添い寝する。途中で保健の教師が二人を見つけたけれど、同性なので怪しいことをしているわけではないと一般的な思い込みで判断して放置した。いのりは添い寝してくれているのが一蹴だと感じながら、二時間ほどして、やっと目を覚ました。

「ん~……イッシュー?」

 いのりが呼びかけると眠っていたカナタが目を開けた。

「っ?! カナちゃん?!」

「おはよ♪」

「なっ、なななっ?! どうして?! どうなってるの?!」

「交代したの♪」

「こ、交代って?!」

「選手交代、フォワード、鷺沢一蹴選手から黒須カナタ選手に♪ さぁ~、ここからが試合本番です」

 カナタが攻め始めると、いのりは抵抗も虚しく翻弄された。カナタが満足する頃には、いのりの瞳は現実を見なくなった。

「いのっち………、そんなにイヤ? ……アタシと……」

「………………………」

 いのりは答えず、電源を失ったアンドロイドのように四肢を投げ出して天井を見るともなく見ている。そこへ保健の教師が戻ってきた。

「あなたたち、もう元気になったなら、いつまでもベッドを占領するのはやめなさい」

「はーい♪ いのっち、そろそろ行こ」

 カナタが抱き起こそうとすると、いのりは顔色を曇らせ、唐突に吐いた。カナタが驚き、保健の教師はステンレスバッドを持ってきてくれる。いのりの嘔吐が終わると、保健の教師らしく後を片付けてくれ、いのりの様子を見る。

「熱は無いようね。今日は、もう帰る? 早退の連絡は…」

「イッシュー……」

「一週??」

「イッシュー……に……会わないと……わたし……何を…」

 いのりが壊れかけているので、カナタは一蹴を呼んだ。すぐに一蹴が駆けつけると、いのりは教師が見ていることもかまわず、抱きついてキスをした。

「イッシューっ!」

「いのり……どうか、したのか?」

「…………。充電、して」

「充電って、さっき…」

 いつのまに放電したんだよ、一蹴は教師の視線が気になるので、いのりを保健室から連れ出して音楽室に導く。運良く、どこの授業でも使っていなかったので二人きりになれた。

「いのり、充電充電って言うけど…」

「………」

 いのりは一蹴にギュッと抱きついて離れない。しばらくして落ちつくと、いのりは音楽室に鍵をかけてから裸になった。

「さっき、わたしだけでイッシューはイってないよね。ごめんね、わたしだけ…」

「いや、それはいいけど……。そんなことより、いのり、何か悩んでないか? オレに言えないことなのか?」

「……うん……言えないの……、でも、イッシューが大好きだから、イッシューがいてくれないと、わたし、もうダメになる、ダメダメ、ダメ女になるよ」

「………」

 そのネタは縁なのに、ホントにダメダメになりかけてる、一蹴は理由はわからないまま、いのりを慰めるために、恋人の求めに応じることにした。もう何度も学校で性行為を体験したので、鍵のかかる音楽室なら防音もあり、もはやスリルよりも安心を感じつつ、裸になって抱き合った。

「どう? 充電、できた?」

「うん、ありがとう、イッシュー」

 いのりの瞳が現実を見るようになり、主に一蹴を見ながら微笑みをつくった。

「心配かけて、ごめんね。イッシューのおかげで急速充電完了♪ 満タン充電♪」

「そっか、よかった」

「満タンだよ、おまんこに満タン充填♪ 発射オーライ」

 いのりは音楽室だからなのか、ほたるが何度か見せてくれた珍妙なポーズをとって、ほたる的なギャグを放ってきた。

「いのり………おやじギャグは、やめて……それも、濃くて低いのは……それだけは、ほたるさんから引き継がないでくれよ」

 ほたるさんが恋人に捨てられたのって、ほたる的ギャグが主な原因じゃないかな、いのり変なテンションになってるけど、ホントに大丈夫なのか、一蹴は何度も急速充電と急速放電を繰り返して、いのりの脳が異常加熱していることに気づいた。

「いのり、今日は帰る?」

「え…、でも、文化祭の準備が…」

「それなら先輩にオレもいっしょに謝りに行くからさ。今日は家で休めよ。な?」

「………イッシューも……家に来てくれる?」

「……、ああ、行くよ」

 一蹴は陵家にあがれば、またセックスを求められる予感がしたけれど、甘んじて応じる覚悟をして、智也の教室を訪れる。昼休み中の智也は鷹乃と弁当を食べていた。

「あの……三上先輩、ちょっと、いいですか?」

「ああ、どうした?」

「いのりが具合悪いみたいで、今日の文化祭の準備は欠席させてやってください」

「そうか。わかった」

「すんません」

「ごめんなさい」

 いのりと一蹴が頭を下げると、智也は一般的な先輩らしく答える。

「いや、気にするな。大事にしろよ」

「はい、ありがとうございます。失礼します」

 一蹴が教室を出ようとすると、果凛が声をかけてきた。

「一蹴くん♪」

「あ、花祭先輩」

「今日はバイト、出るの? 行けたら、私も行こうかな♪」

「いえ、今日は、ちょっと……」

「そう。それは残念」

 果凛は本当に残念そうにタメ息をつくと、教室を去る二人を見送り、もう一度、タメ息をついてから、今度は気が進まない様子で智也と鷹乃へ近づく。

「ちょっと、よろしいですか。三上さん」

「ああ、どうかされましたか、果凛女王陛下」

「そのような呼び方はやめてください」

「それが用件か?」

「……。いえ」

「ご用件は? クイーン・果凛」

「………。今日の文化祭の準備も、わたくし都合が悪いので欠席させてください」

「ああ、お前がオレに話しかけるのは、それだけだからな。近づいてきた時点で、わかったぞ」

「っ、わかってるならっ…」

 果凛はタメ口で文句を言いかけて、冷たいお嬢さまモードに戻る。

「御迷惑をおかけします。何卒ご容赦を」

「ああ、容赦してやるから深く感謝しておけ。……………………」

 智也は立ち去る果凛の背中を見ながら、少し考え、それから怒鳴った。

「おいっ! ちょっと待て!!」

「……」

 果凛は振り返ると、お父様にも怒鳴られたことないのに、という顔をしたが、智也は二度も怒鳴った。

「お前っ! さっき、鷺沢に、行けたら行こうとか言ってたな?!」

「それが何か?」

「なんで仕事で文化祭の準備を休むお前が鷺沢のバイト先に行けたら行くんだ?!」

「そ………それは……」

 果凛が、しまった、という顔をすると何度もモデル業のために文化祭実行委員の仕事を肩代わりしてきた智也の怒りが強まる。

「お前、ふざけんなよ!!」

「………。わたくしのことを、お前、お前と気安く、呼ばないでくださるかしら?」

「うるさい!! お前がダメなら、御前だ! 果凛御前! 巴御前並みかお前は!」

「…………澄空幕府初期に実在した巴御前を飛世巴さんとかけ合わせるのは、巴御前とわたくしに対して極めて失礼です」

「オレみたいな小理屈で煙に巻こうとするな! 文化祭の仕事は割り当てられて、お前だって引き受けたんだろ?! サボるな!!」

「ですから、それは……仕事が…」

「じゃあ、なんで鷺沢んとこに行けたら行くんだ?!」

「だから……それは……、撮影は都内で三時から……終わって帰ってきても夕方で、……文化祭の方は……間に合わないけど……、もしも撮影が早く終わったら……彼のバイト先で少し休憩……できたらって…」

 かなり苦しい言い訳だと果凛本人がわかっているので声に覇気がない。

「オレだってバイトに入るのを減らして準備に時間を費やしてるんだぞ。他のみんなだって、そうだ」

「………」

 果凛が申し訳なさそうに、それでも軽蔑している智也に謝るのはイヤだという風に身じろぎする。今回ばかりはクラスメートたちも果凛より智也を支持している雰囲気だった。

「…わたくしは……」

 果凛は助け船を求めるようにカナタを見たけれど、ぼんやりと窓の外を眺めているだけで、自分のことは自分で解決しなさいという普段のカナタの姿勢ではなく、果凛に起こっていることに気づく余力もなく自分の心の平行を保つだけで精一杯という様子だった。ただ一人だけ果凛に味方してくれる男子がいた。

「女の子を、そんな風に、怒鳴るのは感心しないな」

 健だった。

「伊波、お前は……。トトの次は、花祭か?」

「そんなんじゃないっ!」

「いやいや、今ので好感度は3ポイントはあがったぞ。果凛ルートが開けた」

「ふざけるなっ!」

「ふざけてるのは、そっちのお嬢さまだろ? なんで文化祭サボってモデルするくせに、時間つくってカフェなんだよ? ふざけてるって思わないか、伊波でも?」

「それは…………」

「伊波くん、ごめんなさい。……ごめんなさい、私、もう行かないと……ごめんなさい」

 果凛は健とクラスメートに謝って教室を出て行く。残された健と智也は対峙したまま、対峙する原因が消えたので虚しくなった。

「たはーっ……、もう、どうでもいい。たいした仕事じゃないしな」

 智也は果凛の分担だった業務をチェックし始める。健も何も言わずに自分の仕事へ戻った。

「鷹乃、オレは美術室に行ってから、ばかりんの仕事もしてから、帰る」

「ばかりん?」

「果凛の新しいアダ名だ。本人の前で言うなよ」

「それはアダ名ではなくて悪口よ。まあ、でも、今回ばかりは彼女の言い分はおかしいわね。けど、それに彼女も気づいたのだから、それでいいんじゃないかしら?」

「オレは、どっちかというと、あいつと仲直りしたいんだが、軽蔑されてるからな♪」

「………。私は、あなたに親しい異性が多いのは……うれしくないわ」

 鷹乃がつぶやいたことを智也は微笑で受け流して、教室であることもかまわずキスをする。

「友達と彼女は、別ものだ。彼女は鷹乃だけだ♪」

「……智也、……。今夜、帰ってくるのは早いの? 夕食は?」

「たぶん、遅い。夕食も作業中に食べると思うから」

「わかったわ」

「じゃ」

 智也は鷹乃と別れて美術室へ行く。拓が一人で作業を始めていた。

「お、かなり進んでるな」

「はいっ」

「じゃあ、オレ、女子の委員から仕事を押しつけられて行かなくちゃいけないとこがあるから、行っていいか? あと、姫も体調不良で欠席だそうだ」

 智也の問いに、拓が右手を出した。

「喉が渇いたっす」

「川本、日本の水道水は安全で文化的な味わいがするぞ?」

「そんな最低限な……、先輩の分も働きますから、120円分以上に! オレ、一人なんっすよ!」

「うむ……まあ、いいか」

 智也は拓に小銭を渡して美術室を出て、生徒会室へ入る。智也の顔を見て生徒会長たちが警戒して構える。

「な、…なにか、用かな? 三上くん」

「そんな第一種警戒態勢に入らんでも、仕事をしに来ただけだ。ばかりん…花祭さんが欠席する分、オレが来たんだけど、何をすればいいんだ?」

「そ…そういう……ことか、……それだけ?」

「そーゆーこと、それだけだ。安心してくれ」

「では、このチケットをもって藤林高校の生徒会へ行ってくれたまえ」

「わかった」

「他校とのチケット交換なんだから、くれぐれもトラブルを起こさないように頼むよ」

「わかってるって」

 智也は受け取ったチケットを持ってシカ電に乗り、藤林高校の門をくぐる。校門で生活指導の教師に声をかけられたが、用件を告げると問題なく生徒会室へ入れた。

「ちーーすっ、浜咲学園からお届け物でーす」

「智也っ?!」

「トモちゃんっ?!」

 生徒会室には先客がいて、それが顔見知りだったので三人は驚いた。

「彩花っ?! 唯笑っ?! どうして、ここに?!」

「それは、こっちのセリフよ。でも、そのチケット、つまり、そーゆーことね」

 彩花たちも澄空学園の文化祭チケットを持っている。

「そういえば、お前らも学祭の委員になったとか言ってたな」

「うんっ、トモちゃんも頑張ってるんだね♪」

「智也、チケットに変なことしてないでしょうね?」

「してない。オレはプライベートで忙しいんだ。三年になってまで子供みたいに学祭で遊んだりしない」

「トモちゃんのプライベートって?」

「ぅ……えっと…」

「鷹乃ちゃんのことだね♪」

「あ、ああ、まあな。鷹乃と遊ぶだけで忙しいからな」

「智也ぁ~、墓穴掘ってるとこ、背中押して穴に落としてあげよっか?」

 クロエのことを知っている彩花が智也の背後にまわって死に神のように囁いた。

「彩花、お前…」

「あとでオゴってね♪」

「くっ………」

 120円じゃ済まないだろうな、彩花の場合、くそっ、金もってること知ってやがるからな、智也の苦悩とは別に、唯笑は藤林高校の生徒会室と彩花と智也、それに自分を見回して楽しんでいる。

「すごいね、すごいね!」

「なにが、すごいんだ? 唯笑、普通の生徒会室だろ」

「だって、だって、浜咲学園に行っちゃったトモちゃんと、澄空の唯笑たちが、こんなとこで再会できるなんて、すっごいよ?」

「たまたまだろ? 両方とも学祭の委員で、それぞれの高校のチケットもって、しょーもない親善会議に来たって、だけだ」

「あうぅ~、すっごい確率だと思わないの? トモちゃんは浜咲学園の制服で、唯笑たちとは違うのに一つ校舎に来て座って会議して、しかも三人とも関係のない藤林高校で会ったんだよ? こんなこと奇跡だよ」

「奇跡か………、まあ、そーゆーのを奇跡っていうと、生きてること自体が奇跡だけどな。お前らと幼馴染みなことも、唯笑とオレが進学校に受かったことも♪」

「ひどっ! トモちゃん、ひどいよ!」

「いやいや、奇跡だ。高校入試で、あと一問、あと一点、足りなかったら、もしかしたら、オレも唯笑もバカ公立の藤林に来てたかもしれないぞ? いや、そっちが現実世界で、今が奇跡の起こった平行世界なのかもしれないぞ。うむ、不可能を可能にかえた男だ、オレは」

「智也、大きな声でバカ公立とか言わない」

 すでにチケット交換と各高校文化祭の今年の特色を紹介していく会議は始まっていて、しかも彩花たちは進学校の制服を着ているので、学力のことを口にすると、どう言ってもイヤミになる。本当に、あと一点足りなくて澄空や浜咲に入れなかった生徒もいるかもしれない状況での、智也らしい不用意な発言だった。

「わかったわかった。けど、まあ、人間の運命なんて、そんなもんさ。リアルにオレと唯笑が藤林で彩花だけ澄空って可能性もあったろうし。いや、それが一番、確率論的には確からしい結果かもしれないぞ?」

「トモちゃんと唯笑が同じ学校に……」

 唯笑が藤林高校の制服を着て通学する自分と智也を想像する。

「そーゆー高校生活も楽しかったかも。……でも、彩ちゃんがいないのは淋しいなぁ」

「彩花がいないと静かでいいぞ♪」

「智也っ!」

 あまりに私語を続けている三人へ、綾園学院高校から来ていた観島香月が注意する。

「そこの三人、静かにしてくれませんか」

「「ごめんなさい」」

「悪いな」

 智也たちが素直に謝り、香月は綾園学院の今年の目玉であるカレー屋台について語るのを再開するが、すでに香月一人で長々と喋っている。

「……………………」

 この藤林に唯笑と二人だったら、どうなったろうな、むしろ離れた彩花に惹かれたりしてな、どの道、こいつらに中学のとき惹かれたのは、思春期の気の迷いみたいなもんだろし、そんなことで付き合うの、別れるの、してたら、今の白河や飛世みたいにイヤな関係になってだろうし、やっぱりオレは鷹乃と付き合って正解だよな………クロエのこと以外は……智也が物思いにふけっている様子なので、カレーの歴史に興味がない彩花と唯笑はヒソヒソと私語を続ける。

「トモちゃんと彩ちゃんと、みんながいた中学みたいな高校生活だったら、よかったのに」

「来年は、もっとバラバラよ。唯笑ちゃんは短大、私は看護大学、もちろん就職先も」

「え~……さみしいなぁ…。いつまでも、いっしょにいたいよ」

「ん~……就職先をいっしょにするなら、病児保育をする保育園に、私は看護師として、唯笑ちゃんは保育士として就職すれば、いっしょになれるね」

「うんっ、それいい!」

「でも、やっぱり、いつかは別々の人と結婚していくのよ」

「ん~…………彩ちゃんと、いっしょの人と結婚できたら、いいのにね」

「あはははっ…」

 彩花が空笑いすると、智也が反応した。

「この国の法律を呪え。そして、アラブにでも行け」

「智也こそ、おフランスにでも行かれたら、いかが?」

「それ以上、言うとオゴらないぞ」

「なに食べようかな。ね、唯笑ちゃん、智也が奇跡的な確率で、藤林で会えた記念に、夕ご飯オゴってくれるって! なにがいい?」

「お前っ…」

「ホント、トモちゃん?!」

「オゴるとは言ったが、夕飯とは……」

「現代社会で習ったけど、フランスって電力の大部分を原発でまかなってるらしいね」

「…それが、どうした?」

「爆発したら大変だね♪ それも連鎖で」

「………ワックだぞ」

「ルサックね」

「……たはーっ……」

 智也は気力が無くなったので机に伏して眠ることにした。彩花と唯笑に揺り起こされる頃には夕日が沈み、親善会議も終わって、智也たちの手元には各高校の招待チケットが残されている。

「こんなもん、郵送で交換すりゃいいのに」

「トモちゃん、今年こそ唯笑たちの学祭に来てね♪」

「行くと、自分とこの学祭をサボることになるんだぞ? 同日開催だから」

「う~……、どうして、毎年、碧海祭と奏雲祭は、同じ日にするのかなぁ……他の高校は、ちょっとズレるのに」

「ま、校長でも呪っておけ♪ オレは拝んでおこう」

「私も拝んでおくわ。智也が来てたら、何をされたか、わかったもんじゃないもの。さ、行くわよ。いつまでも他校の校舎に残ってるのもあれだから」

 彩花たちは藤林高校を出ると、桜峰まで移動してルサックに入った。

「いらっしゃいま…せ…、三上、それに…」

「中森、お前、ここでバイトしてたのか」

 智也は出迎えてくれた翔太がルサックの制服姿だったので少し驚いたが、翔太はあきれた。

「お前、自分のクラスのやってること把握してないのかよ」

「うむ、オレは実行委員だからな♪ より、大局的な支点に立っている」

「足元が見えてないって、ことじゃないか。寿々奈さんだって、ここで研修してるのに、まさか、それも知らないのか?」

「……知らない……マジで?」

「ほら」

 翔太が指すと、ちょうど鷹乃は別の客から注文をとっているところで、智也たちには気づいていない。

「まずい……、彩花、唯笑、別の店にしよう」

「ふ~ん♪ Eじゃん、べつに。やましいことないし」

「彩花ぁ…」

「じゃあ、ここがダメならフランス料理のレストランがいいな。夜景のきれいなホテルレストラン、行ってみたいな♪」

「………」

「三上、寿々奈さんに会うのが、まずいなら、喫煙席へ案内しようか? 彼女、ホールのこっち側担当だから、まあ、まず喫煙席へは行かないだろうから」

「ナイスっアシストだ、中森」

「誉めてくれるのは、いいけど、変なとこにシュート決めるつもりじゃないだろうな?」

「いや、なにもやましいことはない。たまたま、飯喰いに来ただけだ、マジで」

「なら、コソコソする方が後難ありそうな気がするんだけど……ま、こちらへ、どうぞ、お客様。喫煙席、3名様入りま~す!」

「忙しそうだな」

 店内は夕食時なので、ほぼ満席に近い。智也たちは案内された一番奥のL字型のソファ席に座った。唯笑を真ん中に、彩花と智也が左右に座る。昔っから危なげな唯笑を守るように座るのは彩花と智也の習慣だった。

「ご注文がお決まりになりましたら、こちらのボタンでお呼びください」

「中森、なんで学祭の研修がファミレスなんだ?」

「本格的な模擬店にするって健と寿々奈さんが張り切ってるんだ。彼女、意外に凝り性なんだな。フロアとキッチン、両方のことを覚えようと頑張ってくれてる」

「ふーん…」

「じゃ、オレはキッチンメインだから、こっちのフロアには別の女の子が来てくれると思うから」

 翔太は短期研修ではないアルバイトのマミに、頼みます、という視線を送ってからキッチンへ入る。客たちの歓談でなごやかなフロアと違い、キッチンは戦場のように忙しい。翔太が割り当てられた仕事をしていると、健が入ってきた。翔太と目が合い、視線で会話する。

(三上が女の子二人と来てるの、翔太、知ってる?)

(ああ、別に何でもないそうだから、騒ぐなよ。ここは学校じゃないんだから)

(わかってる。確かめただけだよ)

 健と翔太の心が繋がる、サッカーで培ったアイコンタクト技術を活用して声も出さず、1秒で意思疎通を済ませた。健も仕事場であることを心得て、あえて智也たちには近づかず他の客への対応をする。ちょうど、また新しい来客があり、家族連れが入ってきた。ファミレスに似つかわしい、両親と幼い女の子の三人が禁煙席を求めて鷹乃に声をかけた。

「禁煙席を頼むよ。三名。あと、子供用のイスと」

「はい、すぐ……に…、お持ちします」

 声をかけられた鷹乃は、見知らぬ男性と、記憶の中にある母親、そして自分と似た顔つきの幼女の組み合わせを見て、声をうわずらせたけれど、なんとか自制した。

「禁煙席、3名様入りまーすっ!」

 決められた手順の仕事をすることで動揺を抑え込む。鷹乃は幼児用のイスを持ってきて幼女に座りやすいように設置する。

「はい、どうぞ。気をつけて座ってくださいね」

「うん、ありがとう、お姉ちゃん!」

「……」

 一瞬、妹に言われたような錯覚がして感情が乱れそうになったけれど、メニューを男性へ差し出して説明することを優先する。

「ご注文がお決まりになりましたら、こちらのボタンでお呼びください」

 鷹乃は店員として不自然でない範囲で、母親を見る。目は合わなかった。どこか、ぼんやりとした様子で、鷹乃が鷹乃だということに気づいていない。

「コラっ、鷹乃」

「っ?!」

「勝手にボタンを押すんじゃない、鷹乃、やめなさい」

 自分の名前を口にされて驚いている鷹乃に誰も気づかず、男性は娘がボタンを押しているのをやめさせる。子供らしく何度もボタンを押してフロアの店員たちの注意が集まっている。男性は申し訳なさそうに謝ってくれる。

「すまない。また、あとで呼ぶから今のはキャンセルに」

「は、はい…」

 もう、これ以上、ここに留まる理由はないので鷹乃は三人家族から離れた。

「……………………」

 そう、そこが、あなたの新しい居場所なの、そこに、新しいタカノちゃんもいて、やり直してる、そーゆーこと、鷹乃は無表情を保っている自分に感心した。

「…………………………」

 アメリカにいる父と違って、母は遠くはないと聞いていたけれど、こんな風に再会したのに、私、落ちついているわ………もっと、取り乱したりするかと自分でも思っていたのに、研修中ということを差し引いても、こんなにも………そう、そうね、あの人も、新しい居場所を見つけていて、私も、新しい居場所を見つけている……私は、もう、寿々奈鷹乃ではなくて、三上鷹乃だもの、前に進んでいるのよ、私も、お母さんも、前に、でも、やっぱり、見ているのは、つらいわ、鷹乃はマミに声をかける。

「ごめんなさい、マミさん。こっちのフロアと担当を替わってもらえませんか?」

「いいけど、いいの? 煙草の匂い」

「苦手ですけど、ちょっと苦手な知り合いがお客さんにいて……」

「そういうこと、ある、ある♪ いいよ。その人が帰ったら、言って。それまで替わってあげる」

「すいません、勝手を言って」

 鷹乃はマミに礼を言って喫煙席を担当する。すぐに片付けられていないテーブルを見つけて駆けより、皿を持ちあげようとしたとき、智也と唯笑を見つけた。

「ぇ…………」

 智也と唯笑は二人でソファに並んで座り、楽しげに食事をしている。まるで恋人のように親しい雰囲気と肩を並べ合った二人の距離を見て、鷹乃は蒼白になった。

「……………………」

 実の母親と突然の再会をしたことで波立っていた心が、さらに激しく揺すられ、加熱されて心の鎧が解け落ちて、剥き出しになった。唯笑が鷹乃の視線に気づかず、ごく自然に智也の口元についたソースを拭いたと

き、鷹乃の世界が歪んだ。視界が曲がり、足元がゆれて平衡を保てない。よろめいた鷹乃をトイレに行って戻ってきた彩花が支える。

「店員さん、大丈夫ですか? あ…寿々…」

「……もう……イヤ…」

 もはや鷹乃には彩花と三人で来ていたという事実を認識する冷静さもなく、泣きながら店を飛び出していく。健と翔太が気づいた。

「「寿々奈さん!!」」

 その声で智也と唯笑も気づいたが、遅い。健が鷹乃の後を追った。

「翔太、あとを頼む!」

「いや、ま……」

 待て、お前が行くと、さらに最悪に話がややこしくなる、と言いたかったが間に合わず、健の背中が小さくなっていく。翔太は重いタメ息をついて、智也の前に立った。

「なあ、三上」

「鷹乃に気づかれた?」

「………。とりあえず、殴る!」

 翔太の拳が決まり、鈍い音がフロアに響いた。店員が客を殴っているという光景に店内が静まりかえる。

「痛っ……」

「彼女、泣いてたぞ」

「……三人で…飯……喰ってただけだろう………めんどうな女だな……ホント……」

「っ!!」

 翔太が手加減無しで殴ろうとすると、智也は防御して腕で受けとめた。

「痛いって! わかってるから、そうカリカリするな!」

「三上っ、お前は……、もう、いい!! 勝手にしろ!!」

 翔太も店から出て行く。

「ト…トモちゃん、大丈夫? ……唯笑の……せい?」

「唯笑のせいじゃない。大丈夫だから泣くなよ。お前に泣かれると、つらい」

「「………………」」

 唯笑と彩花が困った顔をして智也から距離をとった。

「鷹乃ちゃんを大事にしてあげて……ごめんね、唯笑たちが、わがまま言ったから…」

「唯笑……」

「とりあえず、智也。ごめん、と、そろそろ追いかけた方が、よくない? それでも好きなんでしょ、あの、めんどうすぎるヤキモチ焼きなイルカ娘が」

「ああ。悪いな、彩花、唯笑」

 智也は財布から五千円札を抜いて彩花に渡し、とりあえず店の外に出た。

「鷹乃が、行きそうなところ、か。……右か、左か……海の方か……」

 海岸を見渡したけれど、鷹乃の姿はない。先に追っていった翔太と健も見つからない。

「くそっ……ケータイ、持ってないからな。鷹乃は」

 とにかく智也は周囲を走り回ることにした。

 

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