同じ頃、智也は浜咲学園の教室で、カナタの鋭さと、ほたるのうかつさに辟易していた。
「ごめんなさい、三上くん! ごめんなさい!」
「もういい……白河のうかつさと、黒須の魔力なら、どうせ、遅かれ早かれバレたことだ」
「強姦魔が開き直った♪」
「………。オレは、ときどき黒須を殴りたくなる。加賀は、ならないか?」
智也に声をかけられて、カナタと同時に事情を知った正午は肯定してくれる。
「なるなる。いつか、口喧嘩でオレはカナタを殴るかも。グーで、容赦なく」
「ぶーーっ♪ 女を殴るなんて最低ね、ショーゴも智也も、見下げ果てたよ」
三人とも本気で話してはいない、ほたるだけが本気で智也に謝っているけれど、それさえ話題の一部だった。
「カナタの挑発ってムカつくからな。こっちに余裕がないときだと、マジでグー入れるかもよ。うん、気をつけた方がいいぞ」
「アタシは、こんなもの持ってますよ? 殴られる前にビリビリって。電気ショックでバカショーゴのバカが治るといいね」
カナタが携帯しているスタンガンを見せて、電気の火花をちらつかせた。
「きゃっ…」
火が苦手なほたるが後退る。
「カナタちゃん、どうして、そんなもの持ってるの?」
「うん、まあ、モデルとか女子高生で兼業してるとね。いろいろあるのよ」
「そんなもの持たなくても、加賀くんが守ってあげなきゃ。なんのための恋人なの? しっかりしてあげなよ」
「オレは24時間は働けないし、女子トイレや女子更衣室にも入らない。たまにはカナタと口喧嘩して夜道を別々に帰ることもある、ってことだよ。伊波だって24時間は無理だろ?」
「それは、そうだけど……、そんなことより、三上くん、本当に、ごめんなさい」
「もういいって。どうせ、黒須がカマかけて巧く聞き出したんだろ、なんとなくわかるからいい」
「うん、智也わかってるね。ほたるがさ、すごーぉく暗い顔して悩んでるみたいだったしね。アタシの大切なほたるがだよ? 聞かずにおれますかっての。ね、ほたる。ちゅ♪」
カナタがふざけて、ほたるの頬へキスをした。
「イヤ…」
ほたるは普段よりも強い動作でカナタから逃げる。
「もう、ふざけるの、やめてよ、カナタちゃん」
「ふざけてないよ、本気だよ♪ ほたる愛してる♪」
「カナタちゃんには加賀くんがいるでしょ!」
「ほたるは健と、どうなの? やってる?」
「やッ……やってるって? な、何の話?」
ほたるが赤面して動きを鈍らせると、カナタは豹が子鹿を捕らえるように、ほたるの両肩を抱いた。さっき、やや本気で嫌がられたのでキスはしないで、耳に息を吹きかける。
「ふーーっ♪」
「はゆぅ!」
「わかってるくせに、カマトトぶっちゃって」
「カマトト……、トトちゃんは、オカマになってないね」
ほたるが同じ中学だったけれど、澄空学園に行ってしまった飛世巴の名前を出して誤魔化そうとしたけれど、カナタには通用しない。
「彼氏のアパートに、ちょくちょく泊まり込んでるよね。もう、やりまくり?」
「っ…、へ、…変な言い方しないでよ、カナタちゃん、ひどいよ」
「ひどくないよ? 普通のひやかしだよ?」
「ひやかしてる時点で、ひどいの!」
「中学生じゃあるまいし、もう高校も三年生なんだからさ。ほたると健も、そろそろ夫婦?」
「ふッ…、……ないもん! そんなことないもん!」
「ウソウソ♪ 一人暮らしの彼氏んとこ泊まってるのに、ないなんてありえ…」
「ホントだもん! ホントに、そーゆーことはないもん! ケンちゃんは紳士だから、そーゆーことしないもん!!」
ほたるが涙目で怒鳴ると、カナタも反省してふざけるのをやめる。
「……ないって……ホントに?」
「…ぅぅ………ホントに…」
「それは、それで……どう、思う? ショーゴ……」
「伊波のイは、インポのイ?」
「「バカっ!!」」
ほたるとカナタの同時攻撃で正午は沈んだ。見事なコンビネーション攻撃を見て、うるさそうに聞いていた智也もクスリと笑った。
「このバカは、ここに沈めておいて。ほたると健、付き合い始めたのクリスマスからだよね?」
「……うん」
「となると、平均なら春休み、遅くても夏休み中に何かあるのが普通だけど……ホントに何もないの?」
「……き……キスはしてるもん!」
「何回くらい?」
「………7回……」
「一日に?」
「い………一日って………今までの全部で7回だよ」
「それじゃ、ほたる、アタシとしたキスの方が多いじゃん♪」
「………。カナタちゃんのバカ」
「きゃはは♪」
「そう言うカナタちゃんは、どうなの? いっつも加賀くんとふざけてるばっかりで、いい雰囲気になってるの?」
「さあ?」
「白河が知らないだけで、オレの前でさえ、こいつらエロエロだぞ」
「やん、智也のバカ。ほたるにバラしちゃヤダ♪」
「黒須は白河と加賀にフタマタかけようとしてるからな」
「まあねン♪」
「たしか、お前らのファーストって中三の花火大会に行った後、だったよな?」
「ショーゴが喋った?」
「お前が喋ったのかもよ?」
「お前?」
「黒須」
「ま、いいや。アタシが喋ったのかもね。ってわけだからさ、アタシとショーゴなんてファーストが中三なわけ。ちょっと、ほたると健、遅すぎない?」
「ファーストキスはしてるもん!」
「ほたる、話の流れ、読めないフリするのやめようね。ファーストはファーストエッチのこと、カマトトぶるのも可愛いけど、しつこいと友情レベル下がるよ」
「うう…………、…う~……」
「ほたるだってさ、わかってて健の部屋、泊まってるんでしょ? ね、正直に答えてみなよ?」
「うーーっ………そりゃ、ほたるも……わかってるよ。……男の子の部屋に泊まったら、そーゆーことになっても覚悟しなきゃって思ってる。けど、ケンちゃんは紳士だから、そーゆーことしてこないの!」
「オレは紳士じゃないからな」
「智也は狼だもんね。健は癒し系の草食動物♪ 紙とか食べるかな?」
「ヤギかよ」
「めぇー♪」
沈んだままの正午が誰も復活が遅いのを気にしてくれないので、コミカルに啼いてみたが、やはり誰も相手にしてくれないので、倒れたまま起きない。
「オレと違って伊波は、いいヤツなんだろうさ。あんま気にするなよ、白河」
「うん……」
「健がボウヤなのは見ればわかるけど、鷹ちゃんも智也の家に行くなら行くなりの覚悟、ちょっとはしてたはずなんだけどね。お嬢さま育ちのりかりんだって、そーゆー知識はあるよ? 男の部屋に行くってさ、そーゆーことじゃん。とくに、夕飯までいっしょにいたら、何かあるのが普通で、なかったら逆に変♪」
「ほたるとケンちゃんは変じゃないもん!」
「じゃ、頑張ろうね。夏休みは、まだまだ始まったばっかり♪」
「う~………カナタちゃんのエロオヤジぃ。そーゆーことは大切にしたいの。あんまりザクザク言わないでよ。カナタちゃんと加賀くんだって中一で会ってから、そーゆーことになるのに、三年もかけたくせに、ほたるをバカにしないでよ」
「バカになんかしてないよ。優しく見守ってるの♪ 心配だなぁって」
「む~……カナタちゃんだって最初はドキドキしてるの加賀くんに隠して接近してたよね?」
「…さ、さあ?」
カナタは想い出話をされて、少しだけ頬を赤くしたけれど、あまり動じないので、ほたるは追加攻撃する。
「あの頃、加賀くんは女の子よりバスケに夢中で全国優勝までしたから、カナタちゃん試合の応援に行って、いっつもドキドキしてたの、ほたるも彩花ちゃんも、のんちゃんも、みぃーんな知ってるよ」
「……」
「ははっ、あの頃の黒須は、そういや、可愛かったな。まだ初々しかった」
智也がクスクスと笑うので、カナタは爪先で智也の膝を蹴った。
「カナタちゃんと加賀くんだって三年もかかったんだから、ほたるとケンちゃんも同じくらい想いを大切にしたいの」
「じゃあ、ほたるは、あと二年、健を待たせるんだ? 童貞のまま、二十歳ね」
「う~……そーゆーわけじゃ……」
「おい、黒須。そろそろやめてやれよ。だいたい白河は、その気で泊まり込んでるのに、決断してないのは伊波の方だろ?」
「ふふン♪ 決断力溢れる男だもんね、智也は」
「……自制心が足りないだけだ」
「自覚があるのは、いいことだよ?」
「やっぱ………黒須って殴りたくなるな」
「アタシは智也の自制心を鍛えてあげてるの♪」
「カナタちゃんと付き合ってる加賀くん、えらいね。よしよし」
ほたるが倒れたままでいる正午の頭を撫でる。
「さすが、姉妹。静流さんに撫でられてるのと、同じ感じだ。……しかも、…」
正午が視線を上に向けると、ほたるのスカートの内部が視界に入った。
「いい眺め…うぐっ!!」
カナタが倒れている恋人の上に立った。
「おまっ……うぐう……アバラ折れるかと…」
「ほたるを見ていいのは、アタシだけ♪ ね、ほたる」
「ケンちゃんだけだもん!」
「ねぇ、ほたる。今晩、アタシの部屋に泊まりにおいでよ」
「ヤダっ! カナタちゃん絶対変なことするもん!」
「するからさ、おいでよ」
「だからヤダって言ってるのに、ほたるの話を…」
「唇は話すよりキスをするために、神さまが作ったんだよ?」
カナタが怪しい目つきで、ほたるを見つめると、素早く捕まえた。
「キス、しよっか?」
「やめてよ」
「やめない♪」
「うぐうぐ! カナタっ! オレの上で何をしてる?!」
「絨毯は話すより踏まれるために、人間様が作ったんだよ?」
「誰が絨毯だ?!」
「クスッ…くくっ、あっはははははっ!」
智也が大声で笑った。
「笑い事じゃないよ、助けてよ。カナタちゃん本気だよ、ううっ!」
「アタシは、いつだって本気♪」
「加賀くん、いいの?! こんなことさせて!」
「それはいいから! さっさとドけ! 重いっ!」
「喋る絨毯より、空飛ぶ絨毯がよかったよね。ほたると二人で世界の果てまで飛んでいきたい♪」
「お前なぁっ! マジで重いって!」
さすがに正午が怒って腕立て伏せの要領で立ち上がると、カナタはバランスを崩して倒れそうになる。
「キャッ?!」
尻もちをつきかけたカナタを立ち上がりかけの正午が捕まえて支えると、机の上へカナタを押さえつける。
「お前にはテーブルかけになってもらう♪」
「ううっ…お前?」
「テーブル黒須だ♪」
「クスっ、く、くだらん。白河並みに、くだらないな、加賀。はははははっ」
「ほたるはくだらなくないもん! 面白いもん!」
「バカショーゴ重い!」
机に押しつけられたカナタが文句を言っても正午はやめない。
「さんざん人を踏みつけやがって」
「だ…だって、ショーゴが、ほたるに色目使うから……ひどいよ、…アタシだけを見ていてほしいのに…」
カナタが涙を浮かべて泣き声をもらすと、ほたるは悪いことをした気になってしまったけれど、正午は無視する。
「ウソ泣きはいらないし、ほたるちゃんに色目使ったのはお前だろ?」
「お前?」
「テーブル黒須」
「変なアダ名を定着させようとするなァ! 女の子を腕力で押さえつけるな!」
カナタが暴れて脱出しようとすると、正午は身体を重ねて押さえつける。
「いい機会だから、ほたるちゃんの前でもキスしてやる」
「バカショーゴ! エロショーゴ、やめろぉ!」
「やめない♪」
「ほたるっ、助けて! ほたる以外にキスされたくないよ!」
「…………。加賀くん、やっちゃってください。ほたるのこと、忘れるくらいに思いっきり」
「あ~んっ、ほたる~ぅ…」
テーブルクロス代わりに机へ押しつけられたカナタが助けを求めながらも諦めてキスを受けようとしたときだった。開いていた教室の出入口から香菜が入ってくると、まっすぐ四人のところへ来た。
「…何を……ヘラヘラと…」
香菜の声は小さくて聴き取れないけれど、腹の底から絞り出しているような低い声だった。
「……せない……」
「「「「…………………」」」」
「…よくも…」
香菜はイスの背を持つと、それを振り上げた。
「死んでしまえっ!!」
叫ぶと同時に、振り上げたイスを智也へ叩きつける。
鈍い音が響いて、智也は頭を打たれていた。
「三上っ?!」
「智也っ?!」
「三上くんっ?!」
「……………………」
打たれた智也は何事もなかったように香菜を見るけれど、その頭から血が流れて、顔の半分が赤く染まる。
「まだ生きてるっ!」
香菜が再びイスを振り上げて智也を打とうとするのに、智也は一度目と同じように防御姿勢もとらず、逃げようともしない。
「バカっ三上っ!」
正午が香菜を取り押さえる。
「離してっ!!」
「三上を殺す気かよっ?!」
「許せないっ! この人がっ! のうのうと息をしてることが許せない!!」
「暴れるなって!」
正午の腕の中で、まだ智也へ攻撃しようと香菜がもがいている。小柄な身体なのに、意外なほど強い力で暴れている。
「くうぅっ! 離して!! 鷹乃センパイが、どんな想いでっ! あなた達に何もわからないっ! 私は、こいつを殺してやるの!! だから、離してっ!!」
「落ちつけって! キレんなよ! 三上も逃げろよ! おいっ!」
「………」
智也は逃げもせず、血を拭きもしないで香菜を見ている。香菜が歯ぎしりして罵る。
「死んでよ!! いっそ自分で死んでよ!! ケダモノっ!」
「……………………」
「死なないなら私が殺すわっ!」
喚き散らす香菜の前に、カナタが静かに立った。
「君はカナちゃんだっけ? 鷹ちゃんの後輩だよね。でも、いい加減にしなよ」
カナタは狂犬をならすブリーダーのように香菜の頭を撫でる。
「君の気持ちは、さっきの一撃で十分に智也へ…」
「汚い手でっ! 触らないでっ! あばずれっ!」
「……」
カナタは冷たい目をして香菜の頬を思いっきり叩いた。
「うくっ!」
「言っていいことと、言うと怒られること、あるよね?」
「この男がしたことはっ! 殺されてもいいことっ!! 離してっ!! 私はっ!!」
香菜は叩かれても、まったく怯んでいない。
「ねぇ、よく考えようよ。これは鷹ちゃんと智也の問題で…」
「離してっ!! このっ!!」
香菜が正午の腕を噛んだ。
「痛っ?!」
思わず正午が力を抜いた。
「うわあああっ!」
正午の拘束から抜け出した香菜はカナタを避けて、智也へ素手で襲いかかろうとする。
「うああっ!!」
「はい、そこまで」
「あぐっ?!」
香菜は急に意識を失って倒れた。
「バカ智也、殺されてやる気?」
カナタは使用したスタンガンをポケットへ戻してタメ息をついた。
「おとなそうな顔してキレると何するかわからないのは、ほたるの彼氏といっしょね」
「痛てぇぇ……咬みちぎられるかと思った」
正午の腕に歯形が残っている。
「三上くん、すごい血…」
ほたるが青ざめた顔でハンカチを差し出してくれるが、智也は邪険に手を払った。
「オレは平気だ」
「バカ智也。罰がほしかったのはわかるけど、鷹ちゃんの後輩を前科者にする気?」
「………。オレは転んで、イスに頭を打ちつけた」
「ずいぶん、盛大に転んだんだね。頭って、血いっぱい出るよ。ちゃんと手当てしなよ」
カナタは自分の前髪をかきあげて、子供の頃に受けた傷の痕を見せる。
「頭の傷はアタシも経験あるからさ。そのままだとズボンまでクリーニングしないとダメになるよ」
「………平気だ…」
どくどくと流れている血は智也のシャツを赤く染めている。骨までは折れていなくても浅くない傷だった。
「舞方のフォロー、頼めるか?」
「いいけど……、どうしよ? コンセントに触って感電したことにする? ショーゴ?」
カナタが倒れている香菜への対処を正午と相談し始めると、智也は教室を出て行く。ほたるがあとを追った。
「三上くん、どこ行くの?」
「……帰る…」
「でも、怪我の手当て…」
「自分でする。悪い、一人になりたい。ほっといてくれるか?」
「………、うん…」
ほたるは智也を心配しながらも、香菜も心配なので教室に戻った。なんとなくカナタと香菜は相性が悪そうで、余計に問題が大きくなりそうな気がする。
「カナタちゃん、スタンガンって、どのくらいで目が覚めるの?」
「個人差が大きいよ。気絶しないヤツもいるし、でも、そろそろ…」
カナタの予想通り、香菜が目を覚ました。
「………ぅぅ……」
「起きた♪」
「ほたるが話すから、カナタちゃんたちも帰って」
「「……………………」」
カナタと正午はお互いを見つめ合うと、黙って教室を出て行く。ほたるは目覚めた香菜を抱き起こした。
「香菜ちゃん、大丈夫?」
「…………私……」
香菜は倒れたイスに着いた血痕を見て、状況を思い出した。
「……………」
「……。………」
ほたるは言葉を選ぼうとして、選びきれず、黙って香菜を抱きしめた。
「……私……」
香菜は声をあげて泣き出した。
夜、ほたるからの電話を受けていた彩花は深刻な顔をしていた。
「そう……、そんなことが……」
「三上くんは彩花ちゃんには知られたくないって言うけど、もう、ほたるだけじゃ……もう…、どうしていいか…」
電話の向こうで、ほたるが泣いている。
「ごめんね、ほたるちゃん。うちのバカが迷惑かけて」
姉か、母親が言うように彩花は身内として智也の不始末を謝り、ほたるを慰めてから電話を切った。
「………智也の…バカ…」
窓から隣の三上家を見ると、智也の部屋は暗いが、リビングの電気がついている。あいかわらず、窓の鍵はかけられたままだった。
「とりあえず、正面から」
彩花は外に出て三上家の玄関から入ろうと、チャイムを鳴らした。
「……………………」
しばらく待ってもドアは閉まったまま、もう一度、チャイムを鳴らしたけれど返答はない。
「…………」
彩花は合い鍵をポケットから出すと、鍵穴を見つめる。
「…………………………」
入ってくるなと拒否しているのに、合い鍵を持っているからといって押し入るのは好ましいことではない、けれど、このまま智也と会わずに帰ることもできない。彩花が迷っていると、ケータイが鳴った。
「もしもし?!」
「はおっ♪」
「……………………」
この世界で、この挨拶を愛用している人間を彩花は一人しか知らない。
「ちょっと、ヒッキーに聞いてほしい話があるの♪ でも、絶対秘密にしてほしいの♪」
「…………」
飛世巴は普段でもテンションの高い声を、かつてないほどのハイにして語ってくる。電話越しでも巴の笑顔が見えそうで、彩花はタメ息をついた。
「トト、まずは私のことをヒッキーって呼ぶの、やめようね」
「いいじゃん♪」
「…」
彩花は瞬時に電話を切った。
けれど、すぐにケータイが鳴る。仕方がないので受話する。
「もしもし」
「いきなり切らなくてもいいじゃん♪ どーーぉしても今夜、聞いてほしい話があるの♪ ね、お願い♪ 私たち親友でしょ♪ ね♪」
「親友っていうなら、ほたるちゃんにでも…」
相手をするのが面倒になった彩花は言いかけて、このハイテンションの巴が今のほたるに連絡を取るのは、まずいと思い直して、深いタメ息をついた。
「ほわちゃんとこ、何回かけても話し中なの♪ ね、お願い、聞いてよ♪ 聞いて♪ だけど、絶対秘密にしてね♪」
うっとうしいくらいのハイテンションになっている巴の声は語尾が完全に弾んでいる。風船とスーパーボールと幼児を遊戯室に押し込んだような弾み方で、沸点をむかえた巴の吐息が電話越しに湯気を伝えてきそうなほどだった。
「話すなら、さっさと話して。こっちは忙しいの」
智也の様子を見たいけれど、二回チャイムを鳴らして返事がなかった。しばらく時間をおいてから訪ねようと思ったので時間を潰すには悪くない、と自分に言い聞かせて彩花は桧月家の玄関まで戻った。
「で、どんな話?」
「私ね♪ 私ね♪ 初恋かもしんない♪」
「……。そう、おめでとう」
思ったより、まともな話だったのとハイテンションの理由がわかったので彩花は素直に祝福した。
「よかったね。トト」
「うん、ありがとう♪」
「相手は、どんな人?」
「それが最初は落ちついてるから大学生かなぁって思ったんだけど、同じ高校生なんだって♪」
「トトには落ちついた人がいいね」
「ちょっと♪ それ、どーゆー意味よ♪」
「そのままの意味。で、出会ったのは、どこ?」
「ルサック♪ 彼はバイトくんなの♪」
「普通っていえば、普通ね」
「私が演劇の練習終わって、一人淋しーーぃーーく食べてたら、優しくコーヒーのお代わり持ってきてくれて♪」
「そりゃバイトなら持ってくるでしょ」
「でね♪ でね♪ 帰りに雨が降って困ってたら、やさしーぃーーーく傘をさしてくれて駅まで送ってくれたの♪」
「それ、ただのナンパじゃん」
「違っうよ♪ 違っうよ♪ あーゆーのが本当の優しさっていうの♪ ナンパとかじゃ、ぜんぜんなくて自然な優しさ♪ 彼すっごい癒し系でね♪ ちょっと話しただけで、ホント彼の優しさっ、伝わってくるの♪」
「………」
まあ、恋する乙女のハイテンションは仕方ないかな、彩花は諦めて巴に話を合わせてやる。
「トトも高校最後の夏に、やっと春が来たんだね。頑張って、ファイトだよ」
「えへへへ♪ 実は、もう頑張っちゃった♪」
「……。告白したの?」
「うん♪」
「さすが…トト…」
「えへへへ♪ えへへへ♪ えへへへへへ♪ 告白した勢いで、キスまでしちゃった♪ きゃはーーーっっ♪」
「……」
巴の嬌声で彩花は耳が痛くなった。
「トト、うかれるのは、いいけど、ちょっと速すぎない?」
「そっかな? やっぱり、そっかな? でもでも、そんな雰囲気になっちゃったんだもーーん♪ 私、思わず目なんか閉じちゃったりしてさ♪ え、これって、演劇じゃないの? リアル? リアルキス? やーーん、どーぉーーしよ♪ 超電撃っ! まだ、お互いのことぜんぜん知らないのに! これって運命? 運命? じゃじゃじゃっじゃーーん♪ じゃじゃじゃじゃーーーん!!」
「…………………………」
なんて、うっとうしい。
「もう、ベートーベンもビックリだよ♪ ああ、新世界♪ この夏は私にとって新世界になるの♪ 愛の夢♪ 超絶技巧大恋愛!」
「…………」
お前もう電柱にでも喋ってろよ、って相川くんなら言いそう、彩花は女友達として少しだけ巴のために忠告してあげることにした。
「トト、あんまり軽率に彼の部屋とか、行っちゃダメだよ? そんなさ、会って間もないのにキスとかしちゃう男って、危ないといえば危ないよ? ね? 恋は盲目って言うから気がつかないだけで、もしかしたら彼、他にも彼女とかいるかもよ?」
「そーーんな人じゃないって♪ ホント癒し系! すごく純粋な目をしてるの♪ それに私っ、私っ、キャハ♪ 彼になら……キャハっ♪ あげちゃってもいいかな? いいかな?」
「…………」
「ね、何をあげるのって訊いてみて」
「………。何をあげるの?」
「キャハっ♪ っとね、………………………私の……………………………………………………………バージン♪ キャーーーーッ♪ 言っちゃった♪ 言っちゃった♪ イっちゃった♪ キャーーーーッ♪」
「……………」
たっぷり間とか、貯めとか、要らないから、彩花は軽い目まいを覚えた。もう忠告なんて無駄だってわかる。
「ロストバージンは17才ってカッコいいよね♪ やっぱ、18才より17才のロストがステキよね♪ キャハ♪ 誕生日まで、あと何日かな? キャハっ♪」
「………」
あんたもう今夜にでも彼の部屋、行けばいいよ、彩花は電話を切った。
「まったくもう、ホントに時間の無駄だったわ」
彩花は痛くなった耳を軽くほぐして、また外へ出た。三上家を覗くと、さきほどと同じようにリビングの電気だけがついている。
「智也ぁーーっ」
呼びかけながらチャイムを鳴らしたけれど、智也は出てこない。
「もう……」
彩花は庭へ回ってリビングのガラス戸をノックする。
「智也ーーぁ! 返事くらいしてよぉーーっ」
やや強めにガラス戸を叩く。
「智也ーーーっ!!」
それでも返事がない。
「……………………………」
ほたるから頭を強く打たれたと聞いている、急に彩花はイヤな予感がしてきた。
「ちょっと智也っ!! ホントに返事くらいしてよ!!」
やはり返事はない。彩花は玄関へ駆け戻ると、合い鍵を使った。鍵は開いて、チェーンロックはされていなかった。
「あがるからね!! 智也!」
彩花は靴を脱ぎ捨てると、まっすぐリビングに向かった。
「っ! 智也っ?!」
智也はリビングの中央に倒れていた。しかも、智也の周囲には赤ペンキの缶を倒したような大きな血だまりができていて、智也の顔から生気が失われている。
「智也っ!! 智也っ!」
駆けよった彩花が呼びかけても返事をしてくれない。すでに体温はなく、抱き起こしても反応がない。
「…そんな………でも……」
智也が死んでいるなんて信じられない、信じたくない、彩花は智也の胸へ耳をあててみた。
「………、……生きてる。弱いけど…」
心臓の鼓動と呼吸の音が、かすかに聞こえた。
「どう…しよ……どう……きゅ、…救急車!」
彩花はポケットからケータイを出した。
「え、…えっと……110が警察だから……あれ、ど、どっちだっけ? 119が消防……救急は? ……199?」
頭が混乱して、とても簡単なことがわからなくなってくる。指が震えて、うまくボタン操作ができない。目が涙で溢れてケータイが見えにくいし、智也の血で指がぬめってボタンを押し間違えてしまう。
「ああもう! もう!」
これが悪夢なら、そろそろ覚めてよ、彩花は7回も失敗してから救急車を呼んだ。
「智也っ! 智也! ちゃんと救急車呼んだから!! ねぇ! 智也!」
呼びかけて揺すっても起きない。
「っ……あんまり揺すったら……ダメなのかな……」
救急車はすぐに来ると言われたけど、まだサイレンさえ聞こえない。
「早く来てよ!! 智也が死んじゃうっ! どうしたらいいのよ?! どうしたら……ハァっ…ハァ……私が……私が落ちつかないと…………、どうしたら……そう……気道確保と……えっと…呼吸……心臓マッサージ……」
看護師を目指していても、いまだ高校生に過ぎない。けれど、学校の避難訓練のときに習った救急救命は覚えていた。
「心臓……弱いけど動いてる……息が……浅くて……」
彩花は必要だと判断すると一瞬も迷わず、智也へ唇を重ねると息を吹き込んだ。何度か人口呼吸を繰り返すと死んだような顔色が少しだけ回復してくる。彩花は救急車が来るまで人口呼吸を続けながら、額の傷口を強く押さえていた。
五時間後、彩花は小さな診療所のベッドで眠る智也に付き添っていた。結局、渋滞のために救急車が三上家に到着するのに30分もかかった上、近くの高速道路であった玉突き事故のせいで大きな病院への受け入れが難しくなり、たまたま入院設備を残して救急指定も受けていた小さな診療所が受け入れてくれていた。
「私がAB型でよかったね」
輸血用の保存血も用意していなかった診療所で、彩花は自分がAB型であることと以前に従姉妹へ骨髄移植する際に、あらゆる検査で肝炎ウイルス等の問題がなかったことを医師に告げ、すぐに献血を申し出ていた。
「もう少しで死んじゃうところだったって。感謝しなさいよ、バカ」
話しかけても智也は起きない。呼吸は安定しているけれど、まだ顔色は良くない。彩花からの献血だけでは足りなかったけれど、医師は数日の入院で自然な回復がはかれると言っていた。
「頭を打たれて、バカが、もっとバカになったかもよ?」
検査の結果、脳には問題がないと言われている。単純に傷口からの出血量が多かったことでの出血性ショックを起こしかけていたとのことだった。
「……………………智也………」
眠っている智也の身体に自分の血が流れていると想うと、さっきまで死んでしまうのではないかと心配した気持ちと重なって、従姉妹の伊吹みなもへ骨髄移植したときにも感じなかったほどの強い愛しさが生まれてくる。
「……………………………」
彩花は眠っている智也にキスをした。
「……………………。このくらい、……いいよ…ね。………私がいなかったら、死んでたんだよ、バカ」
「お前……」
智也が目を覚ましたので、彩花が驚く。
「っ、智也っ?!」
「お前なぁ……寝てるからって、そーゆーことするのは、準強制わいせつだぞ」
「だっ、だって……寝てると……思って…」
「だから、寝てるからって……アレ?」
智也は病室を見回して、不思議な顔をしている。ほとんど入院患者を受け入れていない診療所は四人部屋だったが、智也と彩花しかいない。他のベッドはシーツもかかっていない。
「どこだ? ここは……、オレは家で寝たはずだけど……いつのまに…」
「…………………あきれた。寝たつもりだったなんて……ホントに……バカ」
彩花は智也の身に起こったことを説明した。
「本当にあと一歩で死ぬだったのよ」
「そうか………」
智也は状況を理解して考え込んだ。
「………………………。痛っ…」
「大丈夫? 頭、痛いの?」
「…あ、…ああ、ズキズキする。……くっ…」
「7針も縫ったから、痕も残るだろうって……でも、脳にまではダメージはなさそうだって。……けど、あんまり痛いなら先生、呼ぼうか?」
「いや………それより……」
「それより?」
「お前は……誰だ?」
「っ! ……まさか、……智也…」
「智也って……オレの、……ことか?」
ぼんやりと智也は自分の手を不思議そうに見つめている。まるで、自分のことが自分でわからないという様子だった。
「………そんな……、……記憶喪失…」
「なんてな♪」
ぼんやりとした顔を作っていた智也がニヤリと笑った。
「かかったな♪ 一回やってみたかったんだ。病室で起きてオレは誰だっての。セオリーだもんな」
「…………………………」
彩花は少なくなった血の全部が頭にのぼってくるんじゃないかと思うほど怒った。
翌日、ほたると唯笑が智也の病室を見舞っていた。花をもらっても智也が喜ばないことを二人ともわかっているので、トマトジュースと鉄分補給の栄養スナックを買い込んで病室に入ると、智也は懲りずに言った。
「お前ら、誰だ?」
「「……………………」」
「オレの親戚か? なぁ、オレの名前、知らないか? わからないんだ。自分で…」
「トモちゃん………、そのネタ、彩ちゃんから、もう聞いてるから無駄だよ」
「三上くん、どうして、こんなときでも、ふざけていられるの?」
「どんなときでも、オレはオレらしくありたいからだ♪」
「「……………………」」
「トマトジュースって、オレは吸血鬼か…ぅ…」
見舞いの品を見ようとした智也はベッドから起きて、よろめいて唯笑の胸をつかんだ。
「っ! トモちゃんのバカっ! エッチ!」
「わ、悪い! わざとじゃない! わざとじゃないぞ! 起きようとすると低血圧になるんだ! 信じろ!」
「信じられないよ! トモちゃんのバカっ!」
「三上くん………むかしむかし、あるところに狼が来たぞ、狼が来たぞと村へ…」
「ああ、知ってる。月を見ると狼になる少年の話だろ」
「「……………………」」
「まあ、オレは元気だから、そう心配するな。いちいち見舞いになんか、来なくていい」
「……トモちゃんの…バカ。せっかく来てあげたのに…」
「ホントだよ、こんなことならケンちゃんとのデートに真っ直ぐいけばよかった。ほたる、もう行くからね。あとは唯笑ちゃん、よろしく」
「うん♪ 唯笑一人でいいよ。お昼から、また彩ちゃんも来てくれるって言ってたから。ほたるちゃん、デート楽しんでね」
「ありがと♪ じゃ」
ほたるは唯笑にだけ手を振って診療所を出ると、健へ電話をかける。
「もしもし、ケンちゃん」
「あ、…うん……もしもし、ボクだけど…」
健の声には勢いがなかった。
「ごめんね、ケンちゃん。もう三上くんのお見舞い終わったから、すぐ行くよ。今、どこ?」
「ああ……ボク、先に藤川へ出てたんだ…」
「そっか、じゃあ、すぐに行くね」
「あ、…いや、…ちょっと…」
「ん?」
「……………………、ほたる…」
「なぁに? ケンちゃん、ひょっとしてデート、2時間も遅らせたから怒ってる?」
「いや、そうじゃ…ないんだ。それは、もう、ぜんぜん、いいよ。ちゃんと、ほたる事前に連絡してくれたから。あ、けど……あの香菜ちゃんが怒ってイスを振り回すなんて、いったい、あの男は、どんなひどいことを寿々奈さんにしたんだよ?」
「それは……………………、………」
「寿々奈さんだって、ひどい落ち込み方してるしさ。いったい何があったのか、ほたる知ってるんだろ?」
「うん……知ってるよ…」
「……ボクには教えてくれないの?」
「………ごめんなさい、ケンちゃん。ケンちゃんだけじゃなくて、誰にでもだけど、教えると鷹乃ちゃん、もっと落ち込むと思うし……ほたるが鷹乃ちゃんの立場でも、誰にも知られたくないこと……だから、…ごめんなさい」
「ほたるが謝ることないよ。アイツが悪いんだろ」
「……三上くんには三上くんの事情もあるし、反省もしてるから」
「でも…」
「デモはね、メディア良化隊が粛正するの。ね、ケンちゃん、これ以上、このことは気にしないで。お願い」
「……………………」
「じゃ、今から藤川に行くね。遅くなったお詫びに…」
「待って! 藤川じゃなくて、…えっと……」
「ん?」
「えっと……………………、……登波離橋、…うん、登波離橋で会おう」
「……いいけど、……どうして? 今日のデートは藤川の予定…」
「話があるんだ。大事な話が」
「………それって…わざわざ、あの橋でしないと、……いけない話なの…?」
「ごめん。ボクも、すぐに行くから。たぶん、ほたるの方が早いと思うけど、すぐ行くから、待ってて。ごめん」
「……………………」
ほたるは、とてもとてもイヤな予感がした。
三日後、伊吹みなもは智也の病室を訪ねていた。
「おっす♪ 智也さん」
「………。お前、誰だ?」
「バカみたいに何度、そのネタやるんだか。彩ちゃんから聞いてるって」
「彩花のこと知ってる……って、やっぱり、お前、誰だよ? っていうか、男? 女?」
智也は勝手にベッドサイドのパイプイスに座った人物に見覚えがなかった。真夏なのに軍隊のような厚底のブーツを履いて、やたら大きなリュックを足元におろしている。今どき野球部員でも無い限りしないような短いスポーツ刈りと、日に焼けた顔、小柄な身体は少女っぽいけれど、動作や言動は男子を思わせる。ブーツを脱ぐと、パイプイスの上にアグラをかいて座った。
「やっぱ、日本の暑さは違うね。タクラマカン砂漠とはさ。湿度が高くて空気が重いよ」
カーキ色の厚い上着を脱ぐと、タンクトップ姿になる。それで男ではなく、女の子だと、やっとわかる。ノーブラの胸元が汗に濡れていて、奇妙に魅惑的だった。
「……………まさか……みな……みなもちゃん?!」
「他の誰に見えるっての? やっぱ、脳に傷、ついた?」
「って、わかるかよ! 変わりすぎだっての! ツインテールはっ?! あの可愛いツインテールは、どこいったんだ?!」
「あんな髪型で旅行してたら、襲われるっての。この男のカッコでも智也さんならわかってくれると思ったのにな」
「病気が治ってから、世界旅行に出るとか言って、入学して二ヶ月で高校中退したよな? あれから、彩花から話は聞いてたけど、ホントに世界旅行してるのか?」
「ああ、してるしてる。一応、この一年でユーラシア大陸は、そこそこ見てきた。土産話いっぱいあるぞ」
「………いや、各国の話より、なんで男っぽくなったのかを聞きたい」
「だから言ってるじゃん。女の子一人で旅行してると思われたら、一晩も無事に済まないって。だから、これもんよ」
みなもは似合わない付け髭を見せてくれた。
「日本人って西アジアの方に行くと、年齢以上に若く見られて髭でもつけてないと男の子だと思っても拉致して売られそうになるからさ。さすがに、この髭つけてターバン巻いてると掠われないで済むぜ」
「………、カッコだけじゃなくて雰囲気も男になったのか……もったいない……。めちゃ可愛かったのに…」
「お前は天然の女ったらし癖、まだ治ってないんだな」
「………ああ……もったいない…………、まさか、こんなになって帰ってくるなんて……こんなことなら出発を止めるんだった……」
「人を自分の娘みたいに言うなっ♪」
「だいたい、なんで高校中退までして世界旅行に……」
「だから、言ったじゃん。人生短いんだぜ。オレに言わせれば、よくみんな元気な身体してるのに、毎日毎日、家と電車と学校の繰り返しで飽きないね? オレはさ、病室から、やっと解放されて、たしかに学校は楽しかったよ。でもさ、高校にあがっても中学と何も変わらない生活が待っててさ。家と教室、家と教室、毎日友達とテキトー喋って終わり、これをまた三年も繰り返すのかと思ったらゾッとしない? 病室で手紙かいてるのと、教室でメール打ってるの、たいして変わらないじゃん」
「……だとしても高校くらい卒業してから出発すりゃいいじゃん……いいだろ。って、お前の喋り方が伝染したじゃないか!」
「あははあははっ♪ んで、智也さんは、なんで入院してんの?」
「…………カッコ悪いから言いたくない」
「んだよ。帰国して彩ちゃんに電話したら入院してるって聞いて、速攻で来てやったのに秘密かよ。一応は心配してやったんだぞ」
「悪い。けど、かなりカッコ悪いから、忘れてくれ。怪我はたいしたことないから、すぐ治るしさ。頼む、忘れてくれ。ユーラシア大陸を回ってきたカッコ良さに比べると、本気で恥ずかしくなってきたから、頼む。オレの失敗を知らないでくれ」
「はいはい」
みなもが肩をすくめて負傷の理由を訊くのを諦めると、ちょうど彩花が入ってきた。
「ぅっ……何、この匂い…」
「あ、彩ちゃん♪」
「………あなた……誰?」
彩花も初見で、みなもが誰だかわからなかった。
「オレだよ、オレ。伊吹みなも」
「……………………女の子?」
「一応な」
「……………この匂い……何?」
「悪い、しばらくお風呂に入ってないんだ。ごめん。っていうかさ、日本の湿度だと汗がこもってベタつくけど、砂漠じゃサラサラで気にならないんだぜ。匂いもしにくいし」
「…………智也、この子、ホントに、みなもちゃんなの?」
よろよろと彩花はよろめいて智也にすがった。
「ああ、そうみたいだ。泣くなよ、母さん」
「だって、私のみなもちゃんが……みなもちゃんが……ああ、なんてこと、こんな子に育てた覚えはないわ。お父さんがいけないのよ! 外国になんて行かせるから!」
「母さんだって反対しなかったじゃないか」
「だって、こんなことになるなんて」
「コラ! 勝手にオレの両親になるなよ、バカ夫婦。そういや、お前ら、くっついたの? もう、リアル子供できた?」
「「………………みなもちゃん………」」
とても悲しい顔をして二人は夫婦の演技をやめると、首を横にふった。それは二人の関係についての否定というより、みなもの成長を否定したい気持ちをこめた動作だった。
「あのね、みなもちゃん。リアル両親に会う前に、どこかの銭湯に行って、できればスカートも買ってから、帰宅してあげて。叔母さんと叔父さん、きっとリアルに泣くから。っていうか、私も泣けそう」
「この髪型でスカートなんか合わないって」
「ウィッグか、エクステンションでも買って……無理よね、こんな短さじゃ…」
「っていうかさ、オレ、もう現金もってないぜ。三日、食べてないし」
「………」
「いやぁ♪ 航空券って高いね。タジキスタンなら、いい家が買えるくらい」
「みなも、飲むか?」
チャン付けをやめて、呼び捨てにした智也がトマトジュースを差し出すと、美味そうに飲み干した。
「ごっちっす!」
「なんて、はしたない……みなもちゃん、お家に帰る前に日本の作法を思い出そうね。女の子の作法」
「え~っ…」
「郷に入っては郷に従え、世界旅行で学んでるよね?」
「…ぅ~ん……」
「はい、思い出してみようね。みなもちゃんなら智也に再会したら、こう言うの。お久しぶりです、智也さん。なんとか無事に帰ってきましたけど、日本にいた智也さんが怪我で入院なんてバカですね♪」
「おいっ!」
「ま、バカな智也はおいておいて。ホントに銭湯へ行きなさい。お金あげるから。あと、女の子の服はリュックに入ってるの?」
「売ったよ、ウクライナで高く売れた」
「………、路銀にしたんだ…」
「おかげで羊のステーキ、お腹いっぱい食べられたよ」
「ちょっとだけ語尾がマシになったきてるね。あとは一人称はオレじゃなくて、みなもって自分で自分の名前呼ぶのよ。そこ大切」
「前は平気でやってたけど、一人称自分の名前って、なんか頭悪そうじゃん?」
「いいの! もう少しレクチャーしてあげるから、こっち来なさい。智也はおとなしく寝てるのよ」
彩花は年下の従姉妹を修正するために連れ出して、ユーラシア大陸に置き忘れてきた女子として大切なことを色々と思い出させてから、伊吹家へ送り届け、それなりの親子の再会を見とどけてから、また智也の病室へ一人で戻る。
「あ……」
診療所の玄関まで来て、詩音と出会った。
「…双海…さん?」
「桧月さん、……ごきげんよう」
「……」
二人はクラスメートではあっても友人ではない。おまけに詩音の背後には、鷹乃と香菜がいた。ほたるから聴いている話で、詩音から紹介されなくても鷹乃と香菜だとわかってしまった。
「なにしに……来たの?」
「お見舞いです。三上さんは病室ですか?」
「………。智也に会わせるわけにはいかないわ」
彩花が玄関を塞ぐように立った。
「なぜ、会わせていただけないのですか?」
「なぜって当たり前でしょ!! その子はっ! 智也を殺そうとしたのよ!」
彩花に指弾されると、香菜は小さな身体をより小さくした。苛烈な彩花の視線から詩音と鷹乃が間に立って後輩を守る。
「そのことも含めて、お詫びに来たのです。中に入れていただけませんか?」
「…………。ダメよ」
彩花は少し考えて、ささいな復讐をすることにした。
「お詫び? ごめんなさいで済む問題だとでも思ってるの? 智也は死にかけたのよ。あと少しで本当に死んでいるところだった。それを、謝って許されるとでも思ってるの?」
「「「…………」」」
「許されるはずないでしょ」
「では、香菜さんに、どうしろというのですか? 桧月さんは」
「………。今、智也の両親が警察に行ってるわ」
「「「……………………」」」
警察という単語を聞いて三人が緊張している。まだ海外にいる智也の両親には連絡していないけれど、ウソは効いている。どうせ、智也が許してしまうことはわかっているけれど、せいぜい肝を冷やしてやりたいと彩花は智也から学んだ虚言術を駆使する。
「その子のしたことは完全な殺人未遂でしょ。裁きを受けて当然じゃない」
「………、ですが、香菜さんは…」
詩音は反論に困った。彩花が鷹乃と智也のことを、どこまで知っているのかわからないので香菜が暴れたことの理由を説明していいものか、判断できずに困っている。
「智也の両親は海外赴任だけど、とても偉い人よ。だから、うんと重い刑罰がくだるよう、警察に圧力をかけてるわ。もちろん、学校にも」
「………。日本の警察機構は賄賂を取らない優秀な警察です。縁故で罰をかえることは、まずありません」
「そーだと、いいね? でも、双海さんは海外ばっかで日本のこと、詳しいわけじゃないでしょ。それに、海外でも無かった? 警察の不公平ってさ」
「……………………」
「ふふン♪ 浜咲学園って校長が、すごくアホなの有名よ。寄付金次第で暴力生徒の退学なんて簡単に融通してくれるくらいアホ。っていうかさ、普通の校長でも退学になるだけのこと、してるよね。その子」
いじわるく彩花が微笑むと、詩音は頬を硬くした。
「三上さんは鷹乃が来たといえば、お会いになるはずです。そこを通してください」
「…………、実力で通ってみれば?」
「……………………」
詩音は見舞いの花束を左手に持ちかえると、彩花へ近づき、軽いけれど素早い肘打ちを放った。けれど、肘打ちは彩花の右手によって受けとめられる。それでも詩音は第二弾の攻撃として、肘を受けとめられたまま、裏拳を放つ。
「ぇっ?!」
詩音は裏拳さえも受けとめられて、驚いた。
「ふふン♪ あなたが肘打ちから裏拳のコンボを十八番にしてることは知ってるのよ。前にシカ電で痴漢を撃退してるとこ、見てたから」
「くっ……私の秘密を…」
「孫子曰く、敵を知り己を知れば百戦して危うからず、ってね」
「………………。それを言うならば、桧月さんは事情を詳しくご存じでないのです。香菜さんを警察に訴えるというなら、三上さんの立場も危うくなる事情があるのです。知らないなら、引きなさい」
「…………………………知ってる」
彩花は掴んでいた詩音の腕を離した。そろそろ潮時だと、道を譲った。
「智也の病室は二階。案内してあげるわ。ついてきなさい」
「………、ありがとうございます」
彩花は三人を智也の病室へ導いた。智也は四人が入ってくると、さすがに困って態度を決めかねる。それは鷹乃と香菜も同じで沈黙が病室に漂いかけたが、詩音が挨拶をはじめた。
「お見舞いに参りました。お怪我の方は、いかがでしょうか?」
「………、ああ、こんなのたいしたことない。ぜんぜん平気だ」
「ウソ、死にかけて、今も立ち上がると貧血でしょ」
「彩花……」
「7針も縫われた額の傷も、残るだろうって言われてるしね」
「三上さんが元気そうで何よりです」
詩音は彩花を無視して、香菜を視線で促した。
「………………、………、……」
香菜は謝ろうとして、頭を下げかけるけれど、逆に智也を睨み、何か文句を言おうとして、それも思い止まり、結局は黙ったまま、感情の高ぶりで涙を零した。見かねて詩音が話を進める。
「この通り、香菜さんも反省しておられます」
「は? その子、まだ、一言も謝ってないけど?」
「……」
詩音が彩花を睨み、彩花が詩音を睨み返す。どうにも二人の相性は最悪のようで再び一触即発の雰囲気になりつつあるのを、智也が制した。
「オレは転んでイスに頭をぶつけたんだ。舞方が謝ることなんて、なにもない」
「智也っ!」
「彩花は黙っていてくれ。これはオレと…、……オレの問題だ」
「…………」
彩花が黙ると、ずっと話さなかった鷹乃が口を開く。
「あなたが香菜のことを……そういうなら……私も、…………許しても……いいわ」
「……………。いや、……別に、オレと舞方のことを、……君とオレの問題に、交換条件として……もらおうとは思っていない」
「……、そう…………許さなくても、いいの?」
「……………………」
智也が黙ると、鷹乃が少し苛立って口調を早める。
「あなたは私のことを好きと言ったわね?」
「……ああ、言った」
「………。でも、あなたは私の何を知っているというの? どこを好きだというの? あなたが話しかけてくるようになったのは、ほんの先月のことよ。私はあなたのことを、よく知らないわ。そのくらいに、あなただって私のことを深く知らないはずよ! なのに、どうして私のことが好きだなんて言えるの?! お互いのことを深く知りもしないのに好きだなんて、いい加減な気持ちじゃないの?! 教えて頂戴!」
「……………………、たしかに、オレは君のことを、深くは知らない。でも、好きだ。これは本当だ」
「それって………そんなの納得……いかないわ」
「納得か………、納得いってもらえるといいけど………結局、オレは君の外見に惚れたのだと思う」
「外見? 見た目だけの話なの?」
「きっかけは廊下ですれちがったとき、可愛いなと思った。それだけ……ああ、それだけだな。可愛いから、好きになった。話しかけてみて、また、好きになった」
「ウソよ。私は憎まれ口を叩くわ。好かれるはずないわ」
「面白いものも、オレは好きになる。二度目に話しかけたとき、君はオレに、あなたなんて磨り潰したコオロギでも食べていればいいのよ、と言った。あれは面白かった」
「バカじゃないの」
「ああ、かなりのバカだ」
「…………ふざけるなら、帰るわ」
「ふざけてない。本気で鷹乃が好きだ」
「……ぬけぬけと……言うのね……」
鷹乃はタメ息をついた。そして、智也を睨む。
「いいわ。あなたが私を好きだと言って、付き合いたいというなら、許せないこともあったけれど、それでも前向きに考えてあげてもいい」
「……」
智也は意外だ、という顔をしたけれど、鷹乃は睨むのをやめない。
「ただし、一つだけ条件があるわ」
「……。どんな?」
「……………………………」
問われた鷹乃は即答せず、戸惑って詩音と香菜を交互に見つめ、彩花へは邪魔そうな視線を向けた。
「…ぃ…言いにくいことよ……二人きりにしてちょうだい」
鷹乃の願いを三人とも黙って聞き入れ、退室した。病室が静かになった。
「それで、どんな条件をクリアすれば、オレは君と付き合える?」
「………………条件は……クリアするとか……そういうものでは…ないわ」
「………前に言ってた蓬莱山とかは、存在しないから。せめて達成可能なことにしてくれよ。月の石も人類全体としては可能だが、オレ個人としては不可能に近いぞ」
「すぐ調子に乗るのね」
「言いにくそうだからさ」
「言いにくいわよ! 少し黙って待っていなさい!!」
「……………………………………………………………………………………」
「……………………」
鷹乃は下を向くと、つぶやいた。
「……ないわ」
「?」
「…………、ないのよ」
「………。白ドルピィ君のキーホルダーが?」
「っ! 違うわ! バカじゃないの! ないって言ったら生理に決まっているでしょう!!」
鷹乃が顔を真っ赤にして怒鳴った。
「わ、私はね! かなり正確に来るのよ! それが無いの! もう三日も遅れてるわ! だ、だから! 妊娠してるのよ! そのくらい高校生ならわかるでしょう?! ど、どうしてくれるのよ?! それよ! それを答えなさい!! い、今すぐでなくていいわ!! 三日だけ時間をあげる!! どうしたらいいか! あなたが考えなさい!! 私は考えたくないわ!! あなたのせいよ! 私はイヤがっていたのに! あなたがムリヤリ! だから、これは全部あなたのせいなの!! あなたの責任よ! さあ! 考えなさい!! どうしてくれるのか! 三日だけ待ってあげるわ!!」
そこまで言い募ると鷹乃は病室を飛び出した。廊下には詩音と彩花、香菜が待っていて、その表情で鷹乃の声が廊下まで響いていたことがわかってしまい、鷹乃は誰とも口をきかずに走っていく。三人とも追うことができなかった。
「……鷹乃センパイ……」
「…鷹乃……」
「…智也…」
「……………………。桧月さん」
「……なに?」
「これ、お見舞いの品です。……渡すタイミングが、つかめず……今もタイミングではないと思うのですが……もう、帰りますし……どうぞ、お納め下さい」
「そ……そう……、ありが……とう。生けておくわ」
彩花は詩音から花束、香菜からは果物の盛り合わせをもらった。
二日後、彩花は隣の窓を見つめながらタメ息をついていた。
「どうするつもり? おバカさん」
彩花の問いは智也へ聞こえていない。もう退院した智也は家にいるが、あまり彩花とも話していない。一人で考え込んでいる様子だった。
「…………………ふーー…」
もう一度、彩花がタメ息をつくとケータイが鳴った。着信表示は唯笑。
「もしもし、唯笑ちゃん?」
「夜遅くにごめんね、彩ちゃん」
「ううん、まだ、ぜんぜん平気♪ どうしたの?」
「トモちゃんは元気?」
「ああ、うん、まあまあ、みたいね」
唯笑には詳しく事情を話していない。まだ、転んで頭をぶつけたと思っている。
「そっか。……」
「智也のこと以外で何かあるの?」
「うん、ほたるちゃんのこと」
「ほたるちゃんが、どうかしたの?」
まさか、ほたるが唯笑にまで事情を話したのかと彩花は不安になったけれど、違った。
「……ほたるちゃん………彼氏さんと別れちゃったんだって」
「ウソっ?!」
「ホントみたい……だって、泣いてたもん」
「ってことは、ほたるちゃんから別れたんじゃなくて? 向こうから?」
「うん……急に別れてくれって……。クリスマスにプレゼントしてあげた12万円もする腕時計まで返されたって」
「理由は? なにかあったの?」
「…………彼氏さん、他に好きな人ができたからって………ひどいよ…」
「……ひどい……話ね」
「さっきまで、ほたるちゃんといっしょにいたんだけど、ものすごく落ち込んでるの。ホントに可哀想だよ」
「そう…………そっか…」
あっちも、こっちも大変ね、彩花はタメ息を隠した。
「でも、まあ、フタマタかけて付き合うよりは、ずっとマシって考え方もあるよ」
「う~っ……彩ちゃん、ちょっと冷たい…」
「そう? そうかも……ごめんね」
「ね、彩ちゃん、唯笑ね、考えたんだけど、ほたるちゃんを慰めるパーティーしたら、どうかな?」
「………失恋会? それって、……慰めになる?」
「そうじゃなくて! 彼氏さんのこと考えるから暗くなっちゃうの! ぜんぜん関係ないパーティーをして楽しく過ごせば、ほんの少しでも、ほたるちゃん元気になってくれないかなって……ダメ、かな?」
「う~ん……そのパーティーの名目にもよるかな? たしか、ピアノのコンクールが近かったはずだけど、激励会っていうのもねぇ……ほたるちゃんを主役にしちゃうと逆効果だと思うよ」
「へへ~ん♪ それについては唯笑に名案があるんだ」
「どんな?」
「ほたるちゃんと一番仲の良かったトトちゃんの誕生日が、もうすぐなの♪」
「ああ、なるほど、それなら、ほたるちゃんが主役じゃないから…」
「それにね。この前、藍ヶ丘駅でトトちゃんちのお婆ちゃんに会ったら、今年の誕生日もパパとママは仕事で、お婆ちゃんも旅行だから一人にしちゃうから可哀想かなって言ってたの」
「うん、いいね。家の人いないなら騒げるし」
「盛り上がったらさ、オレンジジュースかけとかまでしたら、ほたるちゃん呆れて元気になってくれないかな?」
「……。その案は却下だけど、全体としてはいいかも…あ…、でも…」
でも、たしか、あのアダ名大魔神には彼氏ができたばっかりで、タイミング的には悪いかもしれない、彩花は唯笑に言おうと思ったけれど、窓の向こうで智也が顔を出しているのに気づいた。こちらを向いて何かを相談したそうにしている。
「ごめん、唯笑ちゃん、ちょっと用事」
「うん、じゃ、バイバ~イ♪」
「うん、バイバイ♪」
唯笑との電話を途中で切って、窓を開ける。
「うかない顔ね、智也」
「……当然だろ」
「当然の報いね」
「……………………」
「そっち行っていい?」
「……。ああ」
彩花が窓から乗り出すと、智也が手を貸してくれる。
「よいしょ♪」
「………」
智也がイスに座ったので、彩花は窓からそのままベッドへ座る。
「それで? 私に何か用なの?」
「ちょっと訊きたいことがあるんだ」
「なんとなく想像はつくけどね」
「じゃあ、前置き無しで訊くが………お前だったら、今、妊娠したら、どうする?」
「想像通りの質問だけど、難問ね」
この二日間、彩花も考えてきた問題だったので、それほど間をおかず問題を整理する。
「まずさ、私だったらの前提に、もう一つ、前提が要るのよ」
「……どんな?」
「いったい誰との子供なのか、って前提」
「なるほど」
「他にも前提というか、条件は、いくつも考えないといけない。けど、至る結論は二つに一つ、堕ろすか、堕ろさないか、きつい答えね」
「…ああ…。……他の前提や条件は?」
「誰との子供なのか。その誰かさんを、私は好きなのか、好きになれるのか、大嫌いなのか………、たとえ好きでも相手も高校生なのか。このことを話して両親は、どう思うのか。看護婦になりたいって私の夢は、どうするのか? 堕ろしておいて看護婦で人助けなんて方便を使うのか? それとも、産んでから勉強しなおすのか、夢を諦めるのか。いろいろ考えちゃうね」
「……………………鷹乃は、オレを、どう想ってると思う?」
「…………。そんなの、私は彼女じゃないから答えてあげられない」
「……だよな………」
「でも、あんまり好かれてるとは思えないよ」
「………ああ…」
「結論から考えるって方法もあるね。堕ろす、堕ろさない、どちらにしても、その後、どうするのか。堕ろさなかったら、産まれてくる。産まれてきたら、どうするの?」
「………育てるか……最悪、捨てるか、だろ?」
「そうね。でも、子供だけを捨てるか、母子ともに捨てるか……まあ、つまり男として逃げちゃうか、ね」
「母子ともに…か…」
「堕ろした場合でも、捨てるってことを男は選べるよね。ついさっき入ってきた最新情報だけど、ほたるちゃん、彼氏に捨てられたって」
「っ?! 本当かっ?!」
「伝聞だけど、唯笑ちゃん情報だからウソってことはないと思う。唯笑ちゃんの勘違いって可能性はあるけど、ほたるちゃん本人から聞いてるらしいから、いくら唯笑ちゃんでも勘違いじゃないと思うよ」
「……白河と………、……あのバカップルが破綻するとは……」
「人の気持ちなんて、うつろいやすいものね。彼氏が別の人を好きになったからだって」
「………………」
「男はさ、簡単に堕ろすの、堕ろさないのって言うけど、精神的ダメージも大きいものの、身体だって女の子によってはダメージが大きくて、次の妊娠がしにくくなったり、妊娠できなくなったりするのよ」
「………妊娠できなくなると、女ってダメージ、どのくらい大きい?」
「う~ん……………智也はさ、男の子の部分が交通事故とか病気で無くなっちゃったら、ショックどのくらい大きい? たぶん、そのくらいじゃないかな?」
「…………………………」
智也が深刻な顔で考え込んだので、彩花は話題を変えてみる。
「ほたるちゃんと彼氏さん………してたのかな?」
「白河の話だと、無かったらしい……」
「そう…………それなら、まだマシかな…」
「………。鷹乃はさ、考えたくない、オレに考えろって言ったよな。あれって、オレの結論をそのまま採用するってことなのか?」
「そんなの私に訊かれてもわからないよ。でもまあ、そーゆーことなんじゃないの?」
「………オレが産んでくれって言ったら、オレと結婚するつもりなのか?」
「だから、私は彼女じゃないからわからないし、そんな簡単に結婚とか出産とか、できないよ。だいたい、二人とも高校生で、どうやって養っていくつもりよ? 自分と子供を」
「……………そうだよな」
「リアルに考えると、やっぱり堕ろしてくれ、が正解じゃないの? あの子としてはさ、智也が堕ろせっていうから、堕ろすしかなかった。自分のせいじゃない、自分は悪くないって想えるし、決断して罪悪感を背負ってほしいってことじゃないの?」
「けど、それで産めなくなったら……」
「………。そんなに確率の高いことじゃないよ。ほとんどは後遺症なんて残らないはず」
「……………………堕ろさなかったら、いつごろ産まれてくるんだ?」
「そんなことも知らないの……十月十日って言うから、来年の五月か、六月ね」
「……一応、高校は卒業できてるのか……」
「智也は卒業できても、彼女は退学になるでしょうけどね」
「……………………」
「堕ろすしか無いよ。現実的に」
「………………」
「でもさ、堕ろすのにも、お金がいるの知ってる」
「………いくらくらい?」
「ざっと10万円から15万円くらいじゃないかな。あてはあるの?」
「……バイトを見つけて働いて……あとは小遣いの前借りで…」
「お金が用意できる頃には堕ろせる時期は過ぎてそうね」
「……………………」
「ふーっ……私に感謝しなさい。智也のお母さんから毎月送ってもらってる生活費とは別に私と唯笑ちゃんが智也の面倒をみてくれてる分、ってことで毎月5000円お小遣いとしてもらってるの」
「なに? そんな話、オレは知らないぞ! オレの小遣いだって5000円なのに! 彩花と唯笑は自分の家からだってもらってるだろ?」
「だぁーから、智也の御世話をしてる分♪」
「余計な御世話だ!」
「話を最後まで聞く」
「………」
「私も唯笑ちゃんも軽く掃除とか炊事、たまにしてあげてるけどね。だからって、もらうつもりもなくて、ずっとプールしてあるの。それをさ、今回のことに使っちゃえば?」
「……そんな金があったのか……」
「ちなみに、今回の入院費用も、そこから出てます。おかげで智也の両親には今のところバレてないよ。どう、感謝した?」
「拝みたくなるほど」
「じゃあ、拝んで♪」
「……南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
智也が手を合わせて彩花を拝んだ。
「ありがとうな、彩花。考えが少しは整理できた」
「どういたしまして」
彩花が時計を見ると、そろそろ日付が変わりそうだった。
「もう、こんな時間。じゃあ、おやすみ」
「ああ、おやすみ」
智也は窓を渡っていく幼馴染みを見送ると、鍵をかけずに窓を閉めた。