翌日の放課後、かおると唯笑は澄空学園の教室で泣き続ける巴を慰めていた。
「ぅっ…うっくっ…ヒック…」
「トトちゃん……」
「トト、泣けるだけ泣けばいいよ」
かおると唯笑は二人で巴の背中を代わる代わる撫で、健と別れた傷心をいたわっている。秋の終わりで日暮が早く、そろそろ暗くなりかけている。巴は二時間近く号泣して、顔を洗うと笑顔をつくってタメ息をついた。
「たはーっ………にしても、見事なまでに私も遊ばれたわね」
「トトちゃん、そんなことないよ。そんな言い方しないで…」
「トト、自棄になるのは、やめなよ。余計に自分が可哀想になるから」
「わかってる。ありがと」
巴は深呼吸して背伸びをすると、記憶を振り払うかのように頭を振った。
「はぁぁーー………一応さ。私も、彼も、本気で好き合ってたって実感はあるけど。でもさ、客観的にというか、よそから見れば、ホント見事なまでに一夏の恋に踊って、ヴァージンあげちゃって、はい、さようならって、絵に描いたようなバカな痴話ネタよね」
「否定してほしいの?」
かおるが問うと、巴は自嘲気味に微笑んで否定的に首を振った。
「自分で、わかってるから。それに、もう彼への気持ちは、さっきの涙といっしょに流したから、もう平気♪」
「トトちゃん、えらいね」
「あんたはトミーへの気持ち、いい加減に処理しなよ? ヒッキーは、そーゆーとこも、しっかりしてるんだから。見習わないと」
「あうぅ……、唯笑はトモちゃんが幸せそうだから、それでいいの」
「ねぇ、トト。もう気持ちの処理ができたって言うから訊いてみたいんだけど、一ついい?」
「いいよ♪」
「あの伊波くんって、トトと付き合う前は、トトの親友と付き合ってたって話。トトは、やっぱり、知ってたの?」
「………。その話…ね……」
トトは遠い目をして、ここから見えないウイーンへ視線を向けた。
「知ってたわけでも……知らなかったわけでも、ないよ」
「なにそれ? 答えになってないよ」
「だからさ、イナが私に声かけてきたときには、知らなかった……というか、気づかなくてさ」
「じゃあ、いつから気づいてたの?」
「………まだ、気づいてない、というか………、今、質問されて、懸念が確信に変わった感じ」
「それって自分で自分に気づかないように、考えないように、自己暗示かけてただけじゃないの?」
「ぅ……まあ、自己欺瞞といえば、自己欺瞞だけど……、だって、お互い、好きって確認したら、イナってば、速攻で前の彼女に、もう付き合えないって伝えたみたいで、フタマタ期間は、ほとんどなかったし」
「それ以前に、彼の顔に見覚えなかったの? 親友の彼氏でしょ?」
「ほわちゃん、私に彼の写真とか見せてくれなかったし、名前も教えてくれてなかったから」
「それって……親友?」
「……一応、親友。……今でも、私は、そー思ってる。…………まあ……なんとなーく、ほわちゃんがケータイの待ち受けに設定してた男の子が、たぶん彼氏で、しかも、イナに似てるなぁ、とは思わないでもなかったような、あったような。でも、確信なかったし、私だって、ほわちゃんから盗ろうとしたんじゃなくて、偶然に出逢って、偶然に恋におちて、それでイナが決めたことだから、文句があれば、ほわちゃん、言ってくるって思ったけど何も言ってこないし……、まあ、私だって、結局は三ヶ月で捨てられたんだから。ほわちゃんは半年で、ヴァージンもあげてないはずだから。……イナ、童貞だったし」
「……。ま、捨てられた女同士って最大公約数はあっても、その一応親友さんの方には、盗まれたってマイナスの符号がつく分、どうあっても不等式のままでしょうね」
「うぐ……ほわちゃん、ウイーンに行ったきり………冬休みには帰ってくるかなぁ…」
「仲直りしたいなら、とりあえずエアメールでも書けば? もちろん、近況に失恋のことも書き加えてね♪」
「……傷の舐め合いしろって?」
「そーそー♪ ペロペロぉって♪ そーしてるうちに、新しい気持ちに目覚めるかもよ?」
かおるがふざけて胸を揉んできたので、巴は手で払った。
「気持ち悪いこと言わないでよ。私と、ほわちゃんは、どんなに仲が良くても、そーゆー親友じゃないの」
「うん、うん、男を通して姉妹になっても、そっちのケはないってね」
「そーゆー意味の姉妹にもなってないはずだから」
「彼が童貞だった確信あるんだ? フリしてただけかもよ」
「イナは、そんな器用じゃないよ。っていうか、男が童貞のフリして何のメリットがあるの?」
「さあ♪」
「ったく……」
「まあ、でも、傷の舐め合いって意味じゃなく、その親友さんには彼と別れたこと、伝えておく方がいいよ。一生、ウイーンにいるってわけじゃなし、いつか、近所の駅とか、コンビニで、ばったり出会ったとき、思わず無視しちゃったら、お互い淋しいでしょ? 伝えなかったこと、後悔するよ?」
「……それは……そうだけど……」
「ほたるちゃんと仲直りしたいって、トトちゃんの顔に描いてあるよ♪」
唯笑が巴の顔に、ほの字を指で書きつけた。
「ぅ~………」
「決まりだね♪ はい、唯笑のレターセットあげる」
唯笑がカバンから便箋と封筒を出した。可愛らしい猫キャラのレターセットを押しつけられて巴が驚く。
「今書くの?」
「善は急げ。今坂唯笑の今は今書くのイマだよ♪ ナウ・ゴーイング・ライト♪」
「……たはーっ…………、唯笑ちゃん、その英語、たぶん、間違ってるよ」
巴はタメ息をつきつつも、微笑み、ペンを握った。
翌週の日曜日、いよいよ文化祭も終わり、受験一色となるべき時期だったが、鷹乃も智也も進学しないので、鷹乃がクロエの勉強を見ていた。
「そこ、スペルが間違ってるわよ」
「ぁ…」
クロエは書き損じた単語を消して、書き直す。
「これでいいですか?」
「ええ。クロエは、ときどき、英語にフランス語が混ざってくるのね」
「つい……」
「センター試験にはフランス語での受験という選択肢もあるけれど、高校受験は、浜咲も澄空も英語のみよ。気をつけなさいね」
「はい」
クロエと鷹乃は台所のテーブルで仲良く中学の教材を進めている。智也はリビングのソファに寝転がりながら、嘉神川食品の社史を読んでいたが、喉が渇いたので台所へ入った。
「英語か……、今でこそ、国際語だけど、ちょっと前まではフランス語が国際語だったんだぞ。知ってるか?」
「はい♪」
「そうなの?」
「ああ」
「ちょっと前って、いつ頃のことなの?」
「去年です♪」
冗談を言ったクロエの頭を智也が小突いた。
「それはクロエちゃんだけだろ。だいたい、100年くらい前まではフランス語が世界標準の言語だったんだ。だから、1945年のポツダム宣言や日本国憲法の草案は英語だけど、1905年の日露戦争の終戦処理はフランス語で行われたんだ。ロシア語でもなく、戦勝国の日本語でもなく、解釈の違いが生じたときはフランス語の原文に戻って議論されるようになってた。日露に講和を勧告したのはアメリカ大統領なのにも関わらず、当時の国際標準だったフランス語が採用されてたんだ」
「「へぇぇ……」」
二人とも知らなかったので素直に感心してから、不思議に思う。
「智也って、どうして色々なことを覚えているのに、期末テストの成績は悪かったの?」
「うむ。興味がないことは頭に残らないからだ♪」
「威張って言うことじゃないわ」
「ホントに。クスクス…」
クロエが笑ったので、鷹乃も笑った。智也は麦茶を飲むと、ネクタイをしめた。
「オレはバイト、行ってくる。夕飯には戻るようにする」
「いってらっしゃい。ご苦労様」
「ごめんなさい、父の人使いが荒くて……日曜日なのに…」
「子供が、そーゆーこと、気にするなよ。オレはオレのバイトだから行ってるんだ。イヤだったら、行かないさ」
智也は二人に軽く手を振って家を出る。すぐに嘉神川食品のビルに着いた。休日なので裏口から入り、社長室のドアをノックした。
(三上くんか? 入ってくれ)
「失礼します」
智也が入室すると、幸蔵は決裁していた書類を置いて、問いかける。
「クロエの様子は? どうしている?」
「……」
仕事の話で呼び出したんじゃなく、それが訊きたかったんだなぁ……まあ、これで時給がもらえるなら、オレ的にはオッケーだけど、智也はネクタイをゆるめて答える。
「元気にされてますよ。ちゃんと学校にも行ってるし」
「そ、そうか。……ワシやエリーズ…、妻のことは、何か言っているかな?」
「いえ、何も」
「……そうか…」
「………」
「で、クロエは、どうしている?」
「……」
その質問、さっきも、したのに……、まあ、いいや……、智也は丁寧に答えることにした。
「鷹乃と気が合うみたいで、今も宿題をやってましたし、ちゃんと食事も摂ってます。まあ…ちょっと、好き嫌いが激しくて、とくに野菜類が不足してる感じはありますけど、そのへんも鷹乃が工夫してバランスよく作ってますから大丈夫です。ご安心ください、社長」
「そうか。………すまないな。君にも、君の彼女にも迷惑をかけて…」
「いえ…」
少なくとも鷹乃は自ら進んでやってることだし………、智也は居心地の悪さを隠して幸蔵と向き合っている。幸蔵は金庫から紙幣を出してきた。
「これはクロエの食費や、もろもろに。一日、一万円で足りるかね?」
「………。一日、三万で♪」
「わかった」
「ぃッ! いや! 冗談っすよ! 一日一万で十分おつりがきますって! クロエちゃん、そんなに食べないし! 泳いでた頃の鷹乃じゃあるまいし!」
「だが、君たち二人の迷惑料を考えていなかった。一人一万円ということでクロエを大事にしてやってほしい」
「……社長…」
「三上くんと彼女さんにとっては、いわば新婚生活に邪魔が入っているのと同じことだろう。そーゆー意味も込めて、受け取ってくれ」
「……、そーゆーことなら……」
智也は厚みのある封筒を受け取って、ポケットに入れると気持ちを切り替える。
「それで、社長。今日は、オレ、何をすれば?」
「ああ、そうだな。田原食品と競合しているエリアの調査を続けてくれるか? とくに飲食店への仕入れ状況を」
「わかりました」
「学校やクロエのことで疲れているだろうから、そんなに気張らずにやってくれ。田原食品は伸びてきているといっても、まだまだ小さな会社で、たまたま伸びているだけかもしれないから」
「はい。疲れないように頑張ります。じゃ、行ってきます」
智也はビルを出て、調査エリアの飲食店へ向かう。何軒も嘉神川食品が食材を納入している飲食店を回るうちに、千羽谷商店街でキュービックカフェに入った。
「嘉神川食品の三上です。店長さんはおられますか?」
「テンチョーなら屋上でタバコ吸ってるよ」
厨房にいた湊都子が教えてくれたので智也は屋上へあがりつつ、倉庫や厨房に置いてある仕入れ品を流し目でチェックする。だいたい、仕入れの傾向がつかめたので、もう店長と話をする必要はなくなったが、それでは失礼なので屋上へ出ると、田中一太郎へ声をかける。
「嘉神川食品の三上です。店長さん、ご入り用のものはありませんか?」
「ああ、ご苦労さま。とくにはないよ。あ、そうだ。ライ麦粉を1ケースとバルサミコ酢を1ダース、頼むよ」
「毎度ありがとうございます。すぐに手配します」
智也は頭を下げて一太郎から離れ、社用の携帯電話で配送センターに連絡を入れると、屋上から降りる。厨房を抜けて、フロアに出ると、顔見知りに出会った。
「よぉ、三上」
「お、加賀か、……」
智也は正午が連れていたエリーズを見て、知らない顔だったので訊く。
「その外人のオバちゃん、誰?」
「ウイーンで知り合った人なんだけど、日本語しっかり理解しているから、オバちゃんとか言うと……」
「正午ちゃんの友達なら、一回だけは許してあげるわ」
エリーズが微笑すると、智也は面影に既視感を覚えた。
「それは、どうも。で、お姉さんはオーストリア人なんですか?」
「いいえ、フランス人よ」
「フランス人……」
その目の色………、絶対、クロエと関わりある人だ……、智也はエリーズとクロエの関係を探ることにした。
「オレも、いっしょに座っていいか? それともデートの邪魔か?」
「デートじゃないから、気にしなくていいし、学校のみんなに余計なこと言うなよ」
正午はイスを智也にすすめた。
「加賀にフランス人の知り合いがいるなんて意外だな。どうして、知り合ったんだ?」
「運命よ♪」
エリーズが怪しく微笑んだ。
「ね、正午ちゃん」
「まあ、運命といえば、ベートーベン。ベートーベンといえば、おやじギャグ。そーゆー感じで、いつのまにか、エリーズとは知り合いになったんだ」
「ふーん……加賀に年上趣味があったのは意外だな」
「そーゆーんじゃないから、学校で余計なこと言うなよ」
「わかった、わかった」
座っている智也の隣に一太郎が現れ、営業スマイルになった。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか?」
「……。そうっすね。とりあえず、ビール♪」
「ビールですね」
「いや、冗談ですって。コーヒーで」
「はい」
しっかりと売上を確保した一太郎が消えると、智也は正午とエリーズの関係を探る。
「それで、エリーズさんは、どうして日本に?」
「正午ちゃんに会いたくて飛んできちゃったの♪」
「「……」」
智也と正午は目を合わせ、それから正午がタメ息をつく。
「たはーっ……。そういえば、ノエルちゃんは元気にしてる?」
「ええ」
「……。エリーズさんはフランス人だそうですけど、嘉神川クロエってハーフの子を知ってますか?」
「え? ……ええ、クロエなら私の娘よ。どうして、あなたが知って…、…ミカミ……って、あの……ミカミ…」
それまで陽気に話していたエリーズの顔が凍りつき、まるで浮気がバレた主婦のような顔になる。
「……に……日本語の…意味が、……よく、わからないわ…」
「そーゆー顔じゃないですよ」
「…………。べ、別に、正午ちゃんとは、そーゆーんじゃないわよ。誤解しないでちょうだい。ね、正午ちゃん?」
「だから、さっきから、そー言ってるのにエリーズがフザけるから三上が誤解するんだって。で、クロエって? 他にも娘さんいるの?」
「…ええ……まあ…。ね、正午ちゃん、そろそろ出ましょう」
「でも、まだ、オレのコーヒーが残って…」
「いいから出ましょう。じゃ、ミカミさん、クロエには余計なことは言わないでちょうだいね。あの子、気難しい時期だから」
「……言えないから言わないっすよ。……たはーっ……」
智也がタメ息をついているうちに二人が店を去り、智也も出ようかと思ったけれど、都が注文したコーヒーを持ってきてくれたので、あげかけていた腰をおろした。
「………」
今の感じだと、加賀とクロエの母さん、ちょっと何かあるけど、二人とも遊びって感じだな、っていうか、加賀は迷惑そうだったし、まあ、オレが黙っておけば………、智也はコーヒーを啜る。漠然とクロエや鷹乃のことを考えていると、店にスーツ姿の女性が入ってきた。女性は厨房にいた一太郎に声をかけている。
「田原食品の田原です」
「あ、ご苦労さまです」
「あいかわらず店長さん、男前ですわね」
「それは、どうも」
「先日のお話ですけれど、どうでしょう? 必ず嘉神川食品より1円安く納品いたしますから」
「うーん……、そーゆー売り方は好きじゃないかな。田原さんのところも悪くないけど、うちのメニューには嘉神川食品の麺が合うからね。でも、新しいメニューを開発するときには田原さんの品も試してみることにするから」
「そうですか。わかりました。また、お邪魔いたします」
女社長が立ち去ると、一太郎の表情を見ていた智也は目が合い、目をそらしたけれど、一太郎が笑顔で近づいてくる。
「聴いてた?」
「……、はい…まあ…」
「必ず1円安く、だそうだよ?」
悪戯っぽく微笑む一太郎に智也は嘉神川食品の一員として応える。
「価格につきましては、上司と相談してみます。なるべく、ご期待に添えるように」
「添わなくていいよ。っていうか、期待してないから」
「ぇ?」
「無理にコストダウンして品質をさげられても困るからね。今のままでいい。うちは、そーゆー店なんだ。田原さんのところは安価なアメリカ小麦を使ってるけど、嘉神川さんのところは国産小麦とフランス小麦だからね。うちの料理には合うんだ。何より、早くて安いのがいいなら、牛丼屋に行けばいい。だろ?」
「……。ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします」
礼を言った智也はコーヒー代を払って、店を出る。すぐに別の飲食店に入り、またご用聞きをして回る。歩き疲れて休憩したくなった頃、ならずやの前でウエイトレス姿の葉夜に呼び止められた。
「あ、トモヤ君♪」
「よう」
「ピーーースっ♪」
「ウォー♪」
「? どうして、うぉお? なの?」
「平和の反対だからだ」
「……それは……とっても残念……。まことに遺憾の意を表明してイカンですよ」
「ほたる的ギャグだぞ、それは……」
「だって、トモヤ君が、こんなに平和なのに、Warって言うんだもん。Love&Peaceでいこうよ」
「ふっ、のん。お前は見えていない。愛は戦争でもある。カフェだって戦争だ。のどかな喫茶タイムの水面下では1円を争うビジネス戦争が展開されている。ということで、のん、店長に紹介してくれ。うちの会社の小麦粉製品を仕入れてほしい。ここの仕入れ先は、どこだ? パスタとか、麺とかの」
「えっとねぇ、ここはお店を始めたときから、田原さんとこから仕入れてるの」
「そうか。じゃあ、オレのことは信頼できる優秀な同級生で、来春から働く会社でアルバイトしてるけど、そこの小麦粉製品は高品質で高い信頼性をもっているから、のんとしても是非、この店で使ってほしいからオレを連れてきたと、言ってくれ」
「……………」
葉夜が目を見開いて智也の顔を不思議そうに見る。パチパチと瞬き、首を傾げた。
「ぇ……えっと、……のんがトモヤ君を…連れてきたの?」
「そうだ。忘れたのか?」
「…ぅ………………………あ、あのね。のんの世界とトモヤ君の世界が違う気がするの」
「当然だ。のんとオレは別々の小宇宙だ。だが、今ここで交わっている。そして、これから、のんは店長にオレを紹介する。すると、もっとビックバンだ♪ 新たな可能性が生まれる。無限大だ♪」
「……で……でも………、……………………ウソは……よくないよ。また変なクスリを売ったみたいに……のんを巻き込まないでほしい。のん、……あんまり迷惑なことされると真っ黒な気持ちが胸の中に…」
葉夜が言いにくそうに告げると、智也は真面目な顔で葉夜を見つめて両肩へ手をかけた。
「悪かった。正直に話そう。聞いてくれるか?」
「………うん」
「オレは進学しない。けど、今年も就職難だ。今、アルバイトしている会社で、うまくすれば来春から社員にしてもらえるかもしれない。それで、そこの会社の製品をアピールして回る仕事をしてるが、ちょうど、この店はライバル企業の製品を使ってるらしい。もしも、そこに売り込むことができれば、オレは大きな成功を社長に報告できるんだ」
「………トモヤ君のヌシに?」
「そうだ。雇い主に覚えめでたい。だが、のんの利益にもなる。うちの製品は田原食品より高品質だ。あそこはアメリカ産の小麦を使っているが、うちは国産とフランス産だ。こだわりのあるカフェなら、きっと違いに気づいてくれる。そして、そんな仕入れ先を紹介したとなれば、のんのヌシののんに対する評価もあがる」
「のんのぬしののん……?」
「のんの、ヌシの、のん、に対する評価だ。何より、うちのパスタは美味いぞ。きっと、のんのヌシも気に入ってくれる。どうだ? 紹介してくれないか? ウソは一つもついてない。オレを信じろ。そして、オレを信じる、お前を信じろ」
「…………」
「頼む。いい感じに就職して鷹乃と幸せになりたい。本当に、のんにとっても悪い話じゃない。だから、な?」
「……………………」
葉夜は智也の目を見つめ返し、確かめるように肩に触れている智也の手に自分の手を重ねた。
「………信じる。けど、一つだけ質問していいかな?」
「ああ」
「そーゆー話なら、どうして最初から言わずに、いかにもウソなことを、のんに擦り込もうとしたの?」
「ぅ……………………む、……それは、まあ……反射だ」
「パブロフ?」
「そうだ。のんが本当は頭いいのに、あえて不思議系な少女なのと同じに、ついオレはオレで口からウソが出てくる困った性分なんだ。ウソが出てくるか、不思議が出てくるか、それだけの差だ。お前とオレは似た者同士だ。な、同志よ♪」
「……。ふっ…フフ…」
「ふっ、はははは♪」
「……たはーっ…」
葉夜が嫌そうにタメ息をついて肩におかれたままの手を払おうとしたとき、智也は背後から果凛にハンドバックで頭を叩かれた。
「痛っ…」
「わたくしの友人に手を出さないでくれますかしら?」
「り…、りかりんか。お前もここに…」
「りかりんちゃん♪ ピーーースっ!」
「ピース♪ また、来ちゃったわ」
葉夜に笑顔を向けた果凛は、智也には冷たい表情を向ける。
「わたくしのことを、親しげに呼ばないでくれますか?」
「悪かったな。ご令嬢。で、のん、さっきの件、頼む」
「うん、じゃあ、二人とも、中へ、どうぞ」
葉夜は智也を厨房へ、果凛を客席へ案内する。葉夜が智也を田中二太郎に紹介しているので、フロアにいた一蹴が果凛に対応した。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「ええ。いつもの♪」
「はい、ならずティーとキュービック・カフィーニですね。かしこまりました」
「ねぇ、一蹴くん」
「はい?」
「この前に言ってた悩み、そろそろ私に話してみない? りかりんクリニックは、いつでも悩める少年の来院をお待ちしてますわ」
「………。……」
一蹴は少し悩み、それから時計を見て答える。
「遅い時間でも、りかりんクリニックは受けつけてくれるのかな? バイトが終わって、それから、いのりに会ってから………、かなり遅い時間に」
「夜の11時くらい?」
「やっぱり、ダメですよね」
「ううん、時間外だけど、いいわよ。特別に夜間診療もしてあげる」
「ホントに? ………でも、やっぱり悪いかも…」
「気にしないで。むしろ、その時間の方が空けやすいわ。待ち合わせ場所とかは、この前に教えたメールにお願い」
果凛は涼しげに微笑み、午後のティータイムを楽しむと都内のモデル事務所へ出勤する。今日はレッスンだけで撮影はないけれど、一応のこと事務室に顔を出すと素人モデルの荷嶋音緒に出会った。
「あら、こんにちは。NEOさん」
「あ、KARINさん、こんにちはです」
二人とも芸名で呼び合って挨拶する程度の仲だったけれど、音緒が水着姿だったので何かの撮影だというのがわかり、果凛が問いかける。
「NEOさん、頑張ってるわね。何の撮影?」
「えっと………、その………てへへっ♪」
音緒が照れて水着姿を恥じらうのを可愛らしく思った果凛は優しく微笑む。
「別に言わなくてもいいのよ。ちょっと訊いただけだから」
「い…いえ、その……、………ちょっとしたTVのCMです」
「あらっ♪ すごいじゃないっ! 出世したわね」
「いえ、そんなこと………ごくローカルな小さな企業のCMで……しかも、……その、他のモデルさんが抜けた穴を埋めるのに……」
「抜けた穴……? もしかして、カナタの?」
「あ、はい。KANATAさんの」
「……そう。カナタってば、連絡もなしに消えたから………。何のCM?」
「田原食品のマカロニです」
「食品会社の………、それで水着?」
「はい、お鍋の中で、私とマカロニが煮られてる映像だそうです。コンセプトはマカロニの穴と少女が抱えた心の闇、だって。……ちょっと、変ですよね。クスっ♪」
「それって、アートディレクターは、もしかして二階堂さん?」
「はい、あの花祭議員の賞を受けた二階堂達郎ディレクターだそうです」
「………。NEOさん、仕事自体は、いいと思うけど、あのディレクターには気をつけた方がいいわよ」
「え……そうなんですか?」
「ええ、18歳未満でも容赦なく、って話だから。マネージャーに撮影中も終わってからも離れないようにお願いしておいた方がいいわ。あと、撮影で水着を脱がされそうになったら、はっきり断らないとダメよ」
「ありがとうございます。気をつけます」
「うん、こーゆー情報は大事だから。常にアンテナ立ててないと、気づいたら変な撮影されちゃうから」
音緒に先輩モデルとして忠告をした後、果凛はレッスンを受け、シャワーを浴びてから携帯電話を見ると、一蹴からメールが入っていた。メールを送り返して待ち合わせ場所をルサック桜峰店に決めると、ジイヤに頼んで移動する。
「ジイヤさん、いぎたないけれど少し眠らせてもらうわね。着いたら、起こしていただけますか」
「はい、お嬢さま。どうぞ、お休みください」
ジイヤは運転席から操作して後席のシートをリクライニングする。一蹴と会う体力を温存するために果凛は目を閉じて身体の力を抜いた。
「お嬢さま。お嬢さま」
「ん……、もう着いたの?」
「はい」
「つい熟睡しちゃったみたいね」
このままベッドで眠りたいほどの睡魔と疲労感を頭を振って追い払う果凛の様子をジイヤは心配する。
「すでに11時です。あまり夜更かしされてはお身体に触ります」
「わかっていますわ。でも、これから会う友人は大切な方なの。ごめんなさい、ジイヤさん」
「……」
「お父様とお母様、今夜は皇居の園遊会よね? そのまま都内に宿泊される予定の…」
「はい」
「……私も少し遅くなるかもしれないわ。でも、心配しないでちょうだい」
「このまま控えておりますので、何かありましたら、ご連絡ください」
「………はい」
果凛はリムジンを降りると、ルサック桜峰店に入る。
「いらっしゃいませ。1名様ですね。…ぁ…」
「待ち合わせですの。…ぁ」
果凛はウエイターが見知った顔だったので少し驚いたけれど、よく考えれば健がルサック桜峰店でアルバイトしていることは碧海祭のときに知っていたはずなので、ここを待ち合わせ場所にした自分の不覚を悔いた。しかも、巴を捨てて鷹乃に迫ったことは校内で有名なので否応なく耳に入っている。なるべく会話したくない男子だった。
「花祭さん、こんな時間に……待ち合わせって……」
「………」
この人がいることを失念していたわ……くっ……学校で余計なことを言われるのは……、果凛はしかめそうになる顔を平静に保つ努力をしながら、健への口止め方法を考える。それほど苦労せずに戦術を閃いた。
「伊波くん、こんな時間までアルバイトしていて大丈夫なのですか?」
「ぅ……ごめん、学校にはナイショにしといて。マミさんが…いや、他の人が休んで、急に店長に頼まれて……。いつも深夜帯に入ってるわけじゃないから」
「そーゆーことなら仕方ないですわね。黙っていてあげますわ」
「頼むよ」
「わたくしも伊波くんが人に頼まれて深夜まで働いているように、人助けで男の子と待ち合わせしたの。変に勘ぐったり、詮索しないでもらえると助かるわ。お互いのために、ね」
「うん、わかったよ。じゃあ、お席の方へ案内します。お待ちの方は禁煙席に?」
「ええ……」
果凛は視線で一蹴を探し、待っていた一蹴と目が合った。健もサッカー部の後輩を見つけて軽く驚いた。
「待ち合わせって鷺沢と?」
「……。詮索しない約束ですわよね?」
「あ、ああ。ご、ごめん。ほ、他のスタッフに案内させるよ。注文も」
健は他のスタッフに声をかけ、果凛たちの応対を頼むと自分はキッチンへ入っていった。
「……たはーっ…」
果凛は小さくタメ息をつくと、一蹴と向かい合って座る。
「遅くなって、ごめんなさい」
「ううん、こっちも来たとこだから。でも、さっきのウエイター、どこかで見た気が……」
「そうなの?」
「りかりんと話してたような…」
「気のせいよ。知らない人だったわ。それより本題の方が大切じゃないの?」
「あ、うん」
一蹴と果凛はドリンクバーを注文してから、本題に入った。
「悩みっていうのは……まあ、……いのりのこと、なんだ」
「彼女さんの?」
「うん……」
「さて、どんな悩みなのかな? 忌憚なくお話あれ」
「うん……………………」
「………♪」
果凛は一蹴が話せる気になるまで待つという態度で紅茶を一口飲む。
「…………。………」
「………♪」
「……………………り……りかりんに、……」
「私に?」
「……りかりんに、こんなこと、相談していいのか、わからないけど……その…」
「どんなことでも、話してちょうだいな。がっちり受けとめて、いっしょに考えてあげるからさ。さくっと話してみなよ? ね?」
「じゃ………じゃあ……、その…」
「……♪」
「……………………、ど……どこから話すべきか……」
「どこからでも♪」
「………えっと……いのりと付き合いだしたのは……夏からなんだけど……」
「うん。それで?」
「……ぃ……いのりと………ふ……深い仲なんだっ」
「ふーん…、まあ、言いにくいこと、かな? でも、今どき珍しくないことだから、遠慮しなくていいのに」
「ぇ……、でも……、りかりんに、こんなこと、言うの。恐れ多いっていうか…」
「私は神さまじゃなくて人よ。恐れることはないぞよ♪ 祟りも、呪いもないから」
「そ、…そっか。……そっか。……りかりんほどの美人なら……」
「一応さ。言っておくと、そっち方面の相談でも乗ってあげられるけど、私も未熟にして、そのあたりのことは知識でしか知らないのよね。言ってる意味、わかる?」
「あ……うん…」
「なにかな? その複雑な表情」
「ぃ、いや、べ、べつに…」
「まあ、いいわ。そっち方面で一蹴くんが少しだけ私より先輩なことは、認めるわよ。でも、りかりん情報のデーターバンクには知識だけでも、いろいろ入ってるのよさ。きっと、悩める少年に答えてあげられるはず。さ、続きをどうぞ」
「……うん……、いのりと……してること……」
「率直に、どうぞ。セ…セックスでしょ?」
果凛は周囲に客がいないことを確かめてから、話が焦れったいので明言してみせたけれど、いざ発音するとなると処女らしく噛んでしまったので、かなり恥ずかしくなり、顔が赤くなるのを抑えきれなかった。
「……………………」
「……………」
「黙らないの。変な雰囲気になるじゃない。わっ、私たち三年生になると、けっこう周りに経験済みの子いるから、そんな珍しくないから。ま、まあ、でも、一蹴くんが一年生にして、すでに済みなのは、ちょっとビックリだったけど。で、話の続きは?」
まさか、彼女が妊娠してるかも、っていうドロドロのネタじゃないよね……、果凛はもっともポピュラーな悩みである可能性も考え、少し胸が重くなった。
「いのりとのセックスが………多すぎるんじゃないかと……」
「………たはーっ……なるほど、なるほど」
果凛はタメ息をついて肩をすくめた。
「そーゆーことあるよね。仲良きことは美しきかな、とは、いうものの。ついつい、若さにまかせて…。で、多いって、どのくらい?」
「………3回くらい」
「ああ、多いね。週に3回だと、二日に1回の計算で…」
「違うよ。……週じゃなくて、………一日に3回平均なんだ」
「……………………。それは、ちょっと多すぎない?」
「だから、相談してみようかな、って……ごめん」
「私に謝ることじゃないけど。とにかく、一日に3回平均は多すぎっ。もっとさ、勉学とか、スポーツとか、アルバイトとか、打ち込むことあるでしょ?」
「できれば、……そーしたい…」
「そーしなきゃダメっ! あのさ、一日に3回って、一日三食の朝昼晩じゃないんだからさ。いくら、若くて元気で男の子が、そーゆーことしたい気持ちが有り余る時期だからっていっても節度ってものがあるでしょ。彼女を欲望の処理に使ってない? はっきり言って、一蹴くんにはガッカリだよ」
「ま、待ってよ」
「女の子はさ、もっと大切な存在だよ? 彼女が拒まないからって…」
「違うって! オレじゃなくて! いのりがしたいって言うんだ!」
「……………………。………彼女さんが?」
果凛の問いに、一蹴は黙って頷いた。
「いのりから求めてくるんだ。……………………だいたい、平均で一日3回。……多いと5回くらい」
「……………………」
「ちょっと多い……っていうか……、疲れるというか……」
「…そう……」
果凛は疲れた様子の一蹴を見る。もともと、ならずやで会うようになった後から徐々に一蹴の様子が変わり、ずいぶんと疲労しているように見えたのが心配で相談するように持ちかけたのだけれど、今の一蹴は疲れきっている。アルバイトの後に、いのりと会ったはずで一日3回が本当なら、ルサックに来る前に済ませていると思われる。それを裏付けるように一蹴のシャツからは長い黒髪が一本、はみ出ている。とても長い髪は一蹴の胸元から肩へ、さらに首に巻きついてから背中へと消えている。
「………。彼女さん、今は?」
「オレの部屋で寝てるよ」
「放ってきたの? それで私と会ってるのは…」
「大丈夫。いのりは寝たら朝まで絶対に起きないし、起こさないと昼まで起きないから」
「………。低血圧なのかな……」
「わからないけど、ネボスキストなことは前からだから気にしてないけど、一日に何度もセックスを求められるのは、ちょっと……もう、オレ、どうしていいか……はあぁぁ…」
一蹴が疲れたタメ息をついてテーブルに伏した。
「もう……いのりが何を考えてるか……、どうして……あんな風に……、……はぁぁ…」
「………一蹴くん………、…………」
女の子から、一日に3回って……ちょっと異常じゃ……でも、こーゆーことって個人差が大きいから…………けど、男の子なら彼女ができた嬉しさで、つい、何回も、っていう話は聴くし、アンケート調査とかだと男子なら毎日オナニーしてる人が25%、毎週なら60%で逆に一ヶ月もオナニーしない男子は3%以下らしいけど………女の子は習慣的にオナニーする人が20%以下で月に一回でも30%以下、オナニーしたことない人が20%程度いるくらいに女の子は、そーゆー衝動と縁遠いはず…………私だって今まで2回くらい、そーゆーっぽいことしたことあるけど毎日どころか習慣にしようって気には………あ、でも女子の中でも1%は毎日オナニーする子がいるって回答もあったらしいし……けど……彼女さんから求めてセックス平均3回……多いと5回……個人差というよりは異常…………カナタもセックス好きそうだったけど、いくら何でも平均3回はなさそうだったし、寿々奈さんだって飛世さんだって………いくら気持ちいいからって…………、果凛は何とアドバイスすべきか言葉が出てこない。一蹴が力なく笑った。
「やっぱり、りかりんから見ても、おかしいよな……いのり…」
「………そんなことは……」
「りかりんの沈黙の長さでわかるよ。それくらいは」
「………、えっとさ、さくっと訊いちゃうけど、二人のプレイって普通のノーマルなことしてるの?」
「……。まあ、たぶん、このくらいなら普通かなぁ、って範囲かな」
「そう………、って、私ってば何を訊いて……」
「ううん、わかるよ。いのりとオレ………回数的には異常だよな……やっぱり…」
「………。どうして、彼女さん、そんなに求めてくるの? 理由は訊いた?」
「したいからだって。気持ちいいし。男と女は交わるのが正常で、とか。なんか、かなり強固な信念をもっててアダムとイブが、どうとか、神さまが求める行為だから、とか、必然の運命とか、いろいろ」
「男と女……まあ、それは、そーだけど……、あ、避妊は? そんなに何度もしたら妊娠するでしょ?」
「そこだけはオレが、ちゃんとするから」
「それは、えらい。ちょっと見直した」
「でも、もう、疲れたんだ……正直、いのりの顔を見るのが苦痛なときもあって………、こうやって、りかりんと話してると、なんか安らぐっていうかさ……」
「一蹴くん………」
「こんなんで……いのりと、やっていけるのかなぁ……はぁぁ…」
一蹴はタメ息をついて時間を見ると、すでに日付が変わっている。果凛も時刻に気づいた。
「ちょっと、すぐには、いいアドバイスをしてあげられそうにないわ。ごめんなさい。また、次回ということで、いいかしら?」
「もちろん。オレの方こそ、ごめん。こんな時間まで付き合ってもらって」
「気にしないで。また、連絡ちょうだいね」
「ありがとう。せめて、リムジンまで送るよ」
一蹴は深夜であることを意識して、果凛を一人にせずジイヤに引き渡した。ずっと待機していたジイヤも大切な令嬢を一人で帰さなかった一蹴を多少は評価しつつ、それでも時間が時間なので苦言を呈する。
「一蹴様。これからは今少し早い時間帯に、お約束くださいますようお願いいたします」
「すいません」
「ジイヤさん……、ごめんなさい」
果凛は二人に詫びてからリムジンに乗る。すぐにジイヤが花祭家まで運転してくれ、広大な庭を通り、大きな玄関から屋敷に入った。
「ただいま」
「おかえりなさいませ、お嬢さま」
梅子が出迎えてくれる。
「遅くなって、ごめんなさい。梅子さん」
「ご夕食は、いかがいたしましょう?」
「ミルクを一杯お願い。シャワーも浴びてきたの。もう遅いから眠るわ」
「かしこまりました」
梅子がカップに牛乳を注いで持ってきてくれるまでに果凛は部屋で着替える。ナイトドレスを着て、牛乳を受け取る。
「ありがとう。もう二人とも休んでちょうだい」
「では、おやすみなさいませ」
梅子が姿を消し、果凛は一人になると窓を開けた。心地よい夜風が入ってくる。
「……………………月がキレイね」
大きな月が庭を照らしている。もう梅子とジイヤは使用人部屋へ下がっていて、この広大な屋敷には果凛しかいない。
「…………なんだか、目が冴えてしまったわ……」
眠ろうとベッドに身体を横たえたけれど、眠気が訪れてくれない。
「………」
もう牛乳は飲み干してしまったけれど、もう少し何か飲みたい。もう一度、梅子か、ジイヤを呼びつけるのは気が引ける。
「不便なものね」
使用人を呼ぶのも気が引ける時間帯であり、自分一人で地下一階の食料庫から飲みたいものを探そうにも、どこに入っているのか、知らない。
「たはーっ……」
果凛はタメ息をついて寝返りを打った。
「……………………」
一蹴との話を思い出した。
「……………………一日3回って………お医者さんに診せた方が……、でも、健康といえば、健康……そーゆーことをするのが男と女っていう理屈は間違ってもないし……」
また寝返りを打って考え込む。
「……たはーっ………………」
果凛は寝返りで乱れたナイトドレスの襟元から乳首が出ているのに気づいて、直そうとしたけれど、なんとなく自分の乳首を指先で触れた。
「……………………」
いつになく乳首は勃起していて硬くなっている。指先で触っていると、さらに硬くなり軽い快感を覚えた。
「………………………………」
やめようかな、とも思いつつも、どうせ父も母もいないし、ジイヤと梅子も眠っているので果凛は右手をナイトドレスの股間にあてた。
「……………………」
布地の上から股間を擦っていると、だんだん身体の芯が熱くなってくる。
「……………ハァぁ………」
果凛はナイトドレスの裾をあげ、下着をズラして指先を直接に股間へ滑り込ませる。
「んっ………」
静かな部屋に、果凛の吐息と指先が肉襞を擦るチュクチュクという音が響く。
「……………………」
一蹴くん……………って、私、何を考えてるの………彼には付き合ってる子が……、果凛は妄想を押し留めたけれど、熱くなった身体は鎮まってくれない。一蹴のことを考えるのをやめても、指を動かすのは止められなかった。
「……んっ………ハァぁ……ハァぁ……」
お兄様………でも、吉祥寺さんにも、ちゃんとしたフィアンセが……、果凛は自慰行為の妄想に使う対象を遠慮しながら選んでいく。
「……ショーゴくんなら……カナタもいないし……」
さっきまで会っていて実は初恋の相手だった一蹴は憚り、次に好きになった吉祥寺隼人も遠慮して、カナタが放棄したかのように何も告げずに投げ出した正午を、果凛は自慰の妄想対象に決めた。
「……。私ね……実は、ずっとショーゴくんのこと………好きだったんだよ?」
天井に向かって独白して気分を高める。
「ずっと言えなかった。……だって、カナタは大事な友達だから」
果凛は天井に思い浮かべた正午へ語りかけ、恥ずかしそうに目を伏せた。
「こんなにエッチな私を見て……どう思う? ………ショーゴくんのこと……考えたら……私……熱くなって……止められないの……ねぇ? ショーゴくん……ショーゴくんが好き……大好き…ハァぁ……んっ…」
快感の波が訪れてくる。
「ぁぁ………」
小さな喘ぎ声をあげて、果凛はオルガスムを迎えた。
「ハァぁ……、……………………」
下着を乱したまま果凛は、まどろみに身をまかせる。
「………………………………。たはーっ………一人エッチなんて……」
そろそろ眠ろうと思い、果凛は起きあがって濡れた股間と指を拭こうとして、蚊に気づいた。よりによって2匹の蚊が果凛のクリトリスと大陰唇に留まっている。
「やだっ!」
パシっ!
「はうっ?!」
果凛は股間を叩いて呻いた。
「ううぅぅっ…うぅぅ…痛ぁあい…くぅううぅ…」
自分で叩いた股間を押さえて身体を丸くする。デリケートなところを勢いよく叩いた自分の愚かさを怨みつつも、叩いた手を見ると2匹の蚊が張りついていた。
「まったく、なんてところを……」
潰れた蚊は吸い取った果凛の血も弾けさせて死んでいる。
「………人類に対する、いえ、私に対する挑戦ね。明日、ジイヤに頼んで庭から一掃してもらうから。一族郎党皆殺しよ」
果凛は起きあがって窓を閉めると耳を澄ませる。浸入したのは殺した2匹だけのようで羽音はしない。窓から見える庭園に宣言する。
「わたくしを辱めた罪、毒ガス攻撃で報復いたしますわ。虫けらども、せいぜい今夜限りの命を楽しみなさい。あなたたちは明日の月を見ることはないわっ! ………たはーっ……って、何をバカなことをハイテンションで、演じてるのかしらね、私は……」
急に虚しくなったので果凛は部屋を出るとトイレに入って手を洗う。洗い終えて部屋に戻る途中で、果凛は股間に痒みを覚えた。
「うっ………」
痒みは歩く度に増してくる。刺されたクリトリスと大陰唇が痒くて疼いている。
「くぅ……」
くねくねと果凛は千鳥足で歩きつつ部屋に戻るとベッドに倒れた。
「あああっ、もう! 最悪っ!」
痒くても掻くわけにもいかず、果凛はベッドで悶える。
「うぅぅ……痒いぃ……」
せめて股間を押さえて、軽く擦る。
「ぁあぁ……痒っ…ぅぅ…」
果凛は刺されたところを確かめてみる。
「………」
刺されたクリトリスは赤く腫れ、右側の大陰唇も刺された部分が膨らんできている。
「ホントに、なんてとこを………痒っ…」
そっと優しく指先で掻くと、果凛は喘ぎ声をあげた。
「あぁぁ……気持ちいい……」
痒いところを掻く快感と、クリトリスを刺激する快感の相乗効果で果凛は目線を彷徨わせ、ヨダレを零してしまった。
「………くっ…。私としたことが……」
ヨダレを拭いて果凛は戒めるように股間を軽く叩いて痒さを忘れようとする。
「……………………。ぅぅ……くぅぅ……やっぱ、痒いぃぃ!」
ガマンしようと思っても痒くて痒くてジッとしていられない。
「うぅぅ…ぅぅ…薬もらうにしても……こんなとこ刺されたなんて梅子ちゃんに言えないし…」
いつも蚊に刺されても梅子に薬を塗ってもらっているので、薬だけもらうということをしたことがない果凛は、どこを刺されたかを言わずに薬を渡してもらう方法を考える冷静さも無くして、身もだえした。
「ハァ…ハァ…痒すぎ……これは……もう、……拷問よ…」
果凛は起きあがると、部屋の中をウロウロと歩き回る。それで気が紛れるかと思ったけれど、痒さは身体から離れてくれない。
「ぅぅ…くぅ…くっ…」
よろよろと机に手をつき、無意識に股間を彫刻が施された机の角に押しあてる。
「ハァ…ハァ…痒っ…うまっ…」
ほどよい形の彫刻された机の角に果凛は押しあてた股間を擦りつけて痒みから逃れようとした。
「ぁハァ…ハァぅ…くぅ…ぁあ…」
擦りつけると痒みが少し治まるけれど、やめると痒くなってしまう。
「ああぁ…ハァぁあ…んぅぅ…」
擦りつけ続けるうちに性的な快感も高まってきて果凛は開き直って二度目の自慰に浸ることにした。
「ハァぁ…ハァぁ…ショーゴくっ…かゆっ…うまっ…」
机を正午だと思って抱きつき、股間を擦りつけ、腰を振る。
「ああぁあっ!」
すぐに快感の波が高まり、果凛は机を愛液と唾液で汚した。
「ハァ…ハァ…ハァ…」
思いっきり擦った股間は痒さは消えたけれど、少し痛い。
「…ハァ……ハァ……ふーっ……」
果凛は机から離れてベッドに倒れた。
「……ハァ………………………」
目を閉じ、このまま眠ろうとしたが、すぐに痒さが再燃してきた。
「………くっ……もう、…」
仕方がないので指先で軽く掻く。
「………んーーっ……」
やはり掻くと、たまらない快感が湧いてくる。
「ぁあんっ…はぁぅ…かゆっ…うまっ…」
果凛は両脚を開いて股間に両手を入れ、思う存分に掻いた。
「はぁぁぁぁ……」
蕩けた声をもらして自慰を続けているうちに、外が明るくなり始め、ようやくウトウトと眠りかけた頃、ジイヤが起こしに来た。ドアがノックされ、声が響いてくる。
(お嬢さま。おはようございます)
何度目かのジイヤの声で、果凛は目を開けた。
「…ぇ…もう…朝…」
いつもなら一人で起きているのに、ジイヤが起こしに来るということは起床の定刻を過ぎている。果凛は起きあがると身体の重さに気づいた。
「……夕べ……5回は…」
後半は正確に覚えていないけれど、少なくとも5回は自慰に耽ったおかげで身体に強い疲労感が残っている。股間は痛痒いけれど、それよりも汗の匂いが気になった。
「ジイヤさん、シャワーを浴びている時間はありますか」
(わずかですが、学校には間に合うかと思われます)
「ありがとう。朝食は半分ほどにしてもらっておいてください」
(かしこまりました)
ジイヤの気配が消えると、果凛は隣室でシャワーを浴び、すぐに身支度をして食堂へ降りた。
「「おはようございます。お嬢さま」」
「おはよう。ジイヤさん、梅子さん」
果凛は家族のいない広い食堂で朝食を終えると、すぐにリムジンへ乗った。ジイヤは安全運転で浜咲学園へ向かう。果凛は座ると、すぐに眠気を覚えて睡魔に身を委ねた。
「……すーっ……」
「………」
ジイヤはバックミラーに映る果凛が眠りながら無意識で股間を掻いていることに気づいたけれど、見なかったことにする。もともと短い浜咲学園のスカートで座ったまま股間を掻くと捲れあがって下着が見えてしまっている。赤信号で停車したときにジイヤは備えつけの毛布を果凛の膝へかけた。
「お嬢さま。到着いたしました」
「ぁ……ごめんなさい。眠っていたのね」
果凛は校門に横付けされたリムジンから降りると校舎へ向かう。途中で、いのりと一蹴に出会った。
「……ん~っ…」
「コラ、いのり! だから、歩きながら寝るなって! また、電柱に当たるぞ!」
「…ん~っ…、…だってぇ…」
いのりは重い瞼を開けたり閉じたりしながら、手を引いてくれる一蹴に抱きついて甘える。
「イッシューぅ……学校に行く前にぃ……もぉ一回しよ♪」
「目を覚ませって! もう学校だから!」
「う~? ……じゃあ……私、熱があるみたい……保健室に、いっしょに…」
「保健の先生にも顔を覚えられてるだろ?!」
痴話っぽいことを言い合っているので果凛は咳払いしてから声をかける。
「おはよう、一蹴くん、陵さん」
「っ、お、おはようございます!」
一蹴が慌てて、いのりが抱きついているのを引き離して挨拶を返した。
「ぅぅ、痛いよぉ」
「だから、目を覚ませって。みんな見てるから」
「いいよぉ♪ だって、イッシューと私は世界の運命…」
「仲がいいのですね。遅刻しないようにね」
果凛は眼を細めて一蹴に視線を送ると、すぐに昇降口へ向かった。平静を装っているけれど、かなり股間が痒い。痒くて痒くて仕方ない。内股気味で歩き、上靴に履きかえて女子トイレに入り、個室のドアを閉めると、スカートをあげ、下着の上から陰部を擦った。
「あ~……痒いぃ……ああ~……」
人目を憚ることなく股間を掻いて気持ちよさに身もだえする。
「…はぁあぁ……」
生温かい吐息を漏らして果凛は股間を擦る。
「んぅぅ~……」
擦るだけでは満足できなくて掻いた。
「ぁああぁ………ふーっ」
ある程度、満足するまで掻くと高級腕時計で時間を確かめ、着衣を整えて教室に入った。
「…………………………」
平気……耐えられる……授業中は、授業に集中する……、果凛は自己暗示をかけて痒みを抑えようとしたけれど、やはり15分もすると痒さが再燃してくる。
「……くっ…」
「センター試験に出題されたことはありませんが、とりかえばや物語は平安文学の…」
つばめの授業は果凛の耳に入らない。
「古文では一度、出題された同一作品の一定範囲は二度とセンター試験で出題されないという傾向がありますから、過去に出題されていない作品を読み込んでおくことは…」
いよいよ受験が追い込み期に入っているので、つばめも熱心に授業をしているけれど、果凛は痒み耐えるため、内股に寄せた膝を擦り合わせて、わずかに身じろぎすることで誤魔化そうとするけれど余計に痒さが増してくる。
「……ぅ~……ぅ…」
思わず呻き声をもらしてしまい、果凛は口を手で押さえた。
「……」
小さな声だったし授業中なので、誰も果凛を見ていない。
「………」
ちょっとだけ……ちょっとだけなら……、果凛はスカートのポケットへ手を入れると、何食わぬ顔で股間を掻こうとしたけれど、うまく届かない。
「……………」
ん~~っ……ダメっ、届かない……くぅう……痒っ……痒すぎっ……、果凛はクラスメートたちが自分を見ていないことを再確認してから、耐えきれずポケットから出した手をスカートの裾をたくして股間に入れた。なるべく授業を聴いている姿勢をかえずに、指先で股間を掻く。
「…………」
はぁぁ……気持ちいい……掻いてることって、なんて気持ちがいいの……、果凛は蕩けて吐息を漏らしそうになり、左手で口を押さえた。
「………」
私ってば、なんてことを授業中に……でも、やめられない……んぅぅ……、果凛は机で下半身が隠れていることを確認しつつ、少しだけ脚を開いて指先をクリトリスまで届かせる。一番掻きたいところを、そっと擦った。
「……………」
ああっ……いいっ……、果凛は喘ぎ声をあげそうになり、左手の小指を噛んで耐えた。
「………」
いい……気持ちいい……ハァ……ハァぁ……、果凛が股間を掻いていることにクラスメートたちは気づいていない。果凛は左手の小指を噛みながら、授業を聴いているフリをしつつ、クリトリスを掻いた。
「……………………」
はぁぁ……はぁぁん……、痒いところを掻く快感に、さらに性的な快感が混ざってくるのを自覚したけれど、やめようという理性の声は、感覚の気持ちよさに押し流されて果凛は指を動かし続ける。
「………………………………」
んぅ…んぅぅ……んんっ……、果凛は絶対に喘ぎ声だけはあげないよう、血が出そうなほど小指を噛みながら自慰を続けた。ほとんどのクラスメートたちは、つばめが珍しく受験に役立ちそうな授業をしてくれているので集中していたけれど、まったく受験する予定のない智也が果凛の所業に気づいた。
「……」
りかりん、何してるんだ? 気分でも悪いのか………っていうか……アレって、まさか……、智也は見ていることを果凛に気づかれないよう、電源を切ったケータイ電話の液晶画面に果凛の姿を反射させて見ることにする。
「……………」
りかりん……あいつ、オナニーしてんのか……マジでか? あいつに限って……、智也は映った果凛の姿に目を疑ったけれど、ちょうど智也の席からは果凛の机の下も見える。果凛は右手をスカートに入れて、左手で声を押さえつつ、平静な顔をしているけれど、頬が赤く肩が震えている。両脚の爪先が少し反り、ふくらはぎも緊張している。智也の知る限り女性がオルガスムを迎えるときの反応としか思えない様子だった。
「………」
「……………………………」
あぁあっ……やっと、おさまって…………、果凛は掻きたいだけ掻いて、額に汗を浮かべ、息を吐くと智也が見ていることに気づかず、ハンカチで汗と手を拭いた。
「…………」
「………」
りかりん、あいつ、欲求不満か………って、オレまで反応して、どうする? 智也は無自覚に勃起していたことに気づいて、ズボンのポケットに手を入れて男根の方向を変えて誤魔化した。
「………」
思わず勃ったじゃないか……まあ、オレも欲求不満だよな……クロエが家に来てから鷹乃と一回もヤってないし……だからって、鷹乃とクロエが一つ屋根の下にいるのに、オナニーするのもバカみたいだし……、智也は鷹乃へ視線を送る。
「「……」」
どうしたの? ヤりたい。今? 今、というアイコンタクトが瞬時に成立した。鷹乃は少し困った顔をしたけれど、強い否定は返ってこない。智也は挙手して立ち上がった。
「先生」
「何ですか?」
「サボります」
「……。ご自由に」
つばめは出席簿を開いて三上智也の欄に早退のマークを書く。智也が鷹乃も連れ出したので寿々奈鷹乃の欄にもマークを加えて、教室を出て行く二人に声をかけることさえ煩わしいというように授業を再開した。
「センター試験の選択肢において…」
つばめは何事も無かったように授業を続行する。果凛も冷静になって、自分がしたことを振り返って、ゾッとした。
「………」
なんてことを……私は……………、果凛は冷や汗を流した。
「……」
このままじゃ……とにかく、この痒さを、なんとかしないと……、果凛は再び痒みが襲ってくる前に冷静な対処法に気づいて、挙手した。
「先生。よろしいですか?」
「何ですか?」
「少し気分が悪いので保健室へ行きたいのです」
「どうぞ。誰か付き添ってあげなさい。保健委員は…」
「一人で大丈夫です」
「そうですか。チャイムまでに戻ってくれば、早退にはしません」
つばめは果凛の顔色をみて、それほど重い病状ではないと判断したので一人で行かせる。果凛は立ち上がると、一礼して教室を出る。廊下は授業中なので誰もいなかった。
「……ああ、もう、また痒くなってきちゃった…」
誰も見ていないので遠慮無く股間を掻きながら廊下を歩き、保健室に着いた。
「保健の先生が、いませんように」
果凛の祈りが通じたのか、養護教諭は在室していなかった。
「ラッキー♪ どこを刺されたのか、訊かれなくて、すむ♪」
果凛は薬品棚に駆けよると、虫さされの薬を探した。
「虫さされ……痒み、痒み、と……あった!」
お目当ての薬を見つけ、股間に塗ろうとして思い止まる。早く塗りたいけれど、このまま保健室の真ん中でスカートをあげてショーツをおろすようなことはできない。もしも、養護教諭が戻ってきたり、他の生徒が入ってくるようなことがあれば、今日まで築き上げてきた果凛のイメージが壊れてしまう。はやる気持ちと痒さを堪えて、果凛は保健室の奥へ行くと、ベッドの一つにあがり、カーテンを閉めた。
「ふーっ……これで心置きなく…」
果凛はスカートをあげて裾を咥え、ショーツを膝までさげて、虫さされの薬をクリトリスと大陰唇に塗りつけた。
「これで、やっと…………………んっ? ……んんんっ?!」
痒みがおさまってくれると思ったのに、薬を塗った途端、猛烈な痛みが生じて果凛は驚いた。
「うぐぅぅうう…」
声を上げずにはいられないほどの痛みが股間に張りついている。まるで灼けた鉄をクリトリスに接着されたような灼熱痛が果凛を苛み、悲鳴をあげさせた。
「あああぁあぁあっ! いたあああああっ!! ヒッひいぃいいぃ!!」
「「?! ………」」
一番奥のベッドで抱き合っていた智也と鷹乃が驚いて、カーテンを開けたけれど、果凛は激痛でベッドに倒れ込み、気づいていない。
「ひいいぃっぃいいい!」
果凛の股間は昨夜から掻き続けたせいで、敏感でデリケートな粘膜が、血の滲むくらいになっていた。そこに虫さされの薬が染み込み、股間を炎で炙られるような痛みとなり、果凛は悲鳴をあげながら苦し涙を流している。
「ひぃっ! ひいいいっ! 死ぃいい!」
「おい、りかりんっ?! 大丈夫か?!」
「花祭さん、どうしたの?!」
智也と鷹乃に声をかけられても果凛は尋常でない痛みのために転げ回って苦しみ、血迷って手近にあった消毒液を股間にかけた。消毒液は虫さされの薬よりも強烈にしみた。
「ぎゃあああああああああっ!!」
「「………」」
智也と鷹乃が絶句するほどの形相で果凛は叫び、クリトリスが焼け落ちそうな痛みで失禁した。
「ハァヒィっ! ハァヒィぃい!」
その失禁が幸いにして、薬品の苦痛を洗い流してやわらげてくれる。果凛は本能的な焦りで吹き出している自分の尿を手に受けて、股間を洗った。
「はああぁあぁ…ぁあぁ……うぅぅ…」
「「………」」
「ぁあぁあぁぁ…」
果凛は失神しそうな虚ろな目をして、酸素の足りない魚のように口をパクパクと開閉させ、両手で受けた自分の尿で無心に股間を洗っている。放尿が終わってもピチャピチャと陰部を擦っている。
「ぁあぁ…ぁあぁ…」
「花祭さん……そんなに痛いなら…」
洗っても、まだ痛む果凛の股間に、鷹乃は薬品棚から選んだ生理食塩水をかける。鷹乃は生理食塩水のボトルが無くなると、果凛を立たせて水道の蛇口へ導き、ホースで充血した股間に水をかけてやった。
「ハァ……ハァぁ…」
「大丈夫? まだ、痛む?」
「…へ? ……誰? ………す……寿々奈さん? ……どう……して…?」
まだ状況がわかっていない果凛はヒリヒリと痛む股間が鎮まるにつれ、鷹乃を見上げていた顔を伏せた。
「……」
「……。花祭さん、大丈夫?」
「………ええ……」
果凛は濡れたショーツを引きあげて、鷹乃に問う。
「………いつから……見て……たの?」
「…………。花祭さんが悲鳴をあげたところから…」
「そう………」
果凛は鷹乃と目を合わせず、乱れた制服を直しながら、鷹乃以外の気配に気づいた。視界の端にいた智也と目が合う。
「……」
「……」
智也も何と言っていいか、躊躇い。目をそらした。鷹乃が二人の間に入る。
「花祭さん、いったい、どうして?」
「………。……別に……」
「でも…」
「寿々奈さん、お願いがあるの」
「なにかしら?」
「あなたは、ここで何も見なかった。……私に会わなかった。……そーゆーことにしてほしいの。お願い」
「それは、もちろん……」
「……ありがとう」
「オレにも、そのお願いは適応されるのか?」
智也が問うと、果凛は戸惑ったけれど、答える。
「ええ……お願いするわ」
「じゃあ、条件がある」
「……………………。どんな?」
「智也、そんなことを言うなんて、ひどいわ」
「まあ、黙って聞けよ。鷹乃も、気になるだろ。いきなり保健室に入ってきて、いったい、何が、どうなって、なにをしてたのか。それを知らずに黙っているのは、けっこうな苦痛だぞ。オレと鷹乃にとって。痴的好奇心が満たされず、気になって、しょうがない。だから、条件は二つ、どうして、りかりんは保健室に来て、何をしてたのか。それは、授業中にオナニーしてたことと関係あるのか。それを正直に教えてくれること」
「っ……。見て……たの?」
「まあな」
「……………。あれは……」
「条件を満たしてくれるなら、絶対に他人に言わない。誓う」
「………………。もう一つの条件は?」
「りかりんのオレへの絶交を解いてくれること。オレは友達との約束なら、守ろう。でも、オレを軽蔑してる女との約束は、いつ破ってもいい気になりそうだ♪」
「……人の弱みにつけ込むの? それで友達って、言える?」
「うむ。りかりんはオレが鷹乃にノーパン登校とかをお願いしたのを軽蔑してるよな。まあ、そーゆーのが理解できないなら、できないで、しょうがないけどな。でも、オレは、りかりんが授業中にオナニーしても軽蔑しない。まあ、したかったんだろう、若さゆえの過ちだろうと、思うことにする。そーゆー趣味って人それぞれだろう? だから、そのことで軽蔑するのを、そろそろやめてくれないか?」
「…………。……わかったわ」
「サンキュー♪」
「で、りかりんがオナニーしてた理由は? 彼氏か誰かに求められてか?」
「………。違うわ」
「智也、花祭さん、言いたくなさそうよ」
「う~ん……まあ、言いたくないならいいけどな。けど、誰かに脅されてしてるとかなら、友達として協力するぞ」
「ずいぶんと……お優しいのですわね。私はあなたを軽蔑してたのよ? それとも、何か罠でもあるのかな」
「ないって。言ったろ、友達に戻りたいだけだって。人に心底から軽蔑されてるのは、けっこう心地悪いもんだぞ。とくに中学からの友達に無視されるのは残念の極みだ」
「……………………。………わかったわ。………だから、さっきの私のこと、絶対に誰にも言わないって約束してちょうだい。誰にも、よ。桧月さんや今坂さんにも、絶対に」
「わかった。鷹乃も、それでいいよな?」
「ええ」
「じゃ、りかりんが着替えるだろうし、オレは先に出てる」
智也は軽く手を振って保健室を出て行った。