「智也が浜咲だったら」   作:高尾のり子

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第27話

 

 翌々日の3月5日、ほたるは昨夜遅くまで都内でピアノ演奏の録音をしていた疲労から昼過ぎまで正午の部屋で眠っていた。

「……ん~っ…………」

 眠りながらピアノを弾く夢を見ているようで、ほたるの指はピクピクと動いている。その様子が可愛くて見ていたカナタと正午は静かに笑った。

「「ほたる可愛い」」

 ほたるは全裸で眠ってるし、カナタと正午も全裸だった。

 ピロロロ♪ ピロン♪

 不意に正午のケータイが鳴った。

「ショーゴ、ケータイ、うるさい。ほたるが起きちゃうよ」

「ああ。………」

 正午は着信表示を見て悩んだ。着信は音緒からだった。

「………………………」

「ショーゴ、誰から?」

「……音緒ちゃん」

「っ……」

 カナタが青ざめて身震いした。数日前の記憶が蘇り、泣き出しそうな顔になる。

「カナタ、そんなに音緒ちゃんに、ひどいことされたのかよ?」

「……ぅ~っ………ぅぅ…」

 うまく言えないカナタに代わって、ほたるが起きて答える。

「正午くんがカナタちゃんを相手にする気がないってウソをついて、ひっぱたいて、ゴミ捨て場に押し込んだりしたのが、ひどいことじゃないと思う?」

「………。音緒ちゃんは、そんなことするような子じゃないと思うけど……」

「じゃあ、カナタちゃんがウソつきなんだ?」

「………そーゆーわけじゃないけど……。あ、着信が…」

 受話しないでいると、着信音が止まった。

「たはーっ……」

 正午がタメ息をついていると、メールが来る。

(やっと仕事オフになったよ。どこか遊びに行かない?)

「音緒ちゃん………」

 正午の顔に未練が浮かぶ。そして、どうやって、ほたるとカナタのことを告げようかと悩み始める。ほたるは正午に任せておくと、ろくな結果にならないと経験的に理解している上に、すぐにウイーンへ戻らなければならない身なので、短期決戦で臨む。

「その子、ここに呼ぶよ」

 ほたるは正午からケータイを取り上げると、メールを打って部屋に呼ぶ。すぐに音緒が一階のエントランスからチャイムを鳴らしてきた。

「……ほたる、どうしたらいい?」

「部屋にあげて。あとは正午くんは、ほたるに言われたことだけして。他は何も言わなくていいし、しなくていいし、あの子に謝る必要もないから。っていうか、軽い気持ちで女の子と遊んだ正午くん、けっこう悪いしね。謝って許されようなんて甘いよ」

「…………………」

 正午は黙って嵐が過ぎ去るのを待つ小動物のように身を小さくした。再びチャイムが鳴る。

「ごめん、どうぞ! 入って!」

 正午が遠隔操作して一階の玄関を開ける。ほたるは音緒の私物として置かれているバスローブを羽織って、音緒の私物と思われるキャラ物のスリッパを履くと、明らかに音緒の私物であるキャラ物のマグカップに作り置きのコーヒーを注いで啜る。すぐに、エレベーターで上がってきた音緒がドアをノックした。

「じゃ、カナタちゃんと正午くんは、奥で待ってて。なるべくなら玄関先だけで勝負つけるし」

 ほたるは玄関に向かい、扉を開けた。

「いらっしゃい」

「っ?!」

 ほたるを見た音緒は不意打ちを受けて驚いた。しかも、ほたるが着ているバスローブもスリッパも、持っているマグカップも音緒のお気に入りの品で、何より羽織っただけのバスローブは前が開いていて、ほたるの胸や股間が丸見えだった。

「………あなた、誰? ここ、正午くんの部屋よね?」

「私は白河ほたる、ここは正午くんの部屋♪」

 いけしゃあしゃあと答えて、ほたるは不敵に微笑む。カナタが受けた仕打ちを、しっかり音緒に仕返してやるつもりだった。

「どういうことッ?!」

 音緒はカナタを追い出したときとは立ち位置が逆転している不意打ちで頭に血が昇り、敵意を剥き出しにした。

「どういうことって? その質問は♪ どうして、ほたるが、ここにいるのか、それとも、どうして、ネオちゃんが呼ばれたのか、どっちを聞きたい? それとも両方? 両方にしよっか♪」

「………っ!!」

 音緒は平手打ちを放った。ほたるは予想していたので持っていたマグカップで平手打ちを受ける。

 ガシャンっ!

 マグカップは平手打ちをくらって壁に叩きつけられ、バラバラに砕け散った。中に残っていたコーヒーが音緒の衣服と、ほたるが着ている音緒のバスローブを汚した。

「あ~あ~♪ 濡れちゃった」

 ほたるはバスローブを脱ぎ捨てて全裸になり、脱ぎ捨てたバスローブで床を濡らしているコーヒーを足で拭く。

「破片、危ないから気をつけてねェ♪」

 ひどい顔してるね、ネオ………そりゃ、そうだよね、ドアを開けて彼氏の部屋に別の女の子がいたら、おまけに裸だったら、しかも、自分がやったのと同じ作戦だもん……、ほたるは誰もケガをしないようにマグカップの破片を隅に置いた。

「じゃ、ネオ。もう、正午くんの部屋には来ないでね? わかったよね?」

「………。正午くんは、どこッ?!」

 音緒は部屋にあがろうと押し入ってくる。ほたるは冷たい声で応じた。

「正午くんなら、奥にいるけど、もう、ネオの負けだよ? ね、去り際ってあるよね。今なら正午くんにとって、いい想い出の遊び相手に変われるかもしれないよ。でも、これ以上、しつこくすると思い出して笑っちゃう女に…」

 ほたるの話を最後まで聞かずに音緒は部屋にあがる。

「正午くんっ!! どういうこと?!」

「………ごめん…」

 正午は謝るなと言われていたのに謝った。謝られて音緒は自分の敗北を悟らされる。しかも、正午は全裸で、その背後にはカナタまでいた。

「KANATAっ?! なんで、あんたがここにっ?!」

「ひぅっ…」

 カナタは怒鳴られて正午の背中に隠れた。

「どういうことっ?! どうなってるの?!」

 音緒が鬼気迫る表情でヒステリックに叫んだ。ほたるが全裸のまま、正午の隣に座る。

「だから、言ったのにね。クスクス♪」

 滑稽だね……笑えるくらいに………怒りすぎて鼻水垂らしてるし、ぶるぶる震えて……こうなると、ホントみじめ……もしも、ほたるがケンちゃんに、こんなフラれ方したら生きていけなかったかも………でも、カナタちゃんにした仕打ちは許せない、こてんぱんにやっつけて思い知らせてあげる、ほたるは売春婦のような手つきで正午の男根を撫でた。

「出番が終わった脇役は、そろそろ退場してくれないかな? あ、でも、観客がいる方が興奮するかも♪」

「正午っ!! どういうことっ?!」

「……ごめん……」

「はァっ?! 私よりっ?! このNEOより、そんな地味な女がいいっていうの?! それに、どうしてKANATAまでっ?!」

「……地味……」

 ほたる地味かなぁ……まあ、派手じゃないことは認めるけど……、ほたるはタメ息をつきながら、音緒を冷笑する。

「なんか勘違いしてるみたいだけど、ほたるは音楽界じゃ有名人だよ。今度、CDも出るし。ネオってさ、モデルもCMも歌も女優までやってるらしいけど、どれも中途半端の消耗品らしいね。何か一つでも日本一ってのあるの?」

 紛れもなく日本一のピアノ少女が実力と自信に裏打ちされた自慢話をすると、駆け出しの芸能人にすぎない音緒は威圧された。ほたるの話がホラではないことが雰囲気で伝わってくる。

「くっ………、KANATAっ! あんた、どうして、ここにいるの?!」

 勝てそうにないと悟った音緒は、ほたるからカナタに矛先を変える。これまで以上に激しい声と睨みで音緒が凄むと、カナタは小さな悲鳴と小水を漏らした。

 じょわじょわっ……

 カナタは内腿とベッドのシーツを濡らして震える。音緒が嗤った。

「プっ…また、もらして。よっぽど懲りたみたいね。そんなに私が怖い?」

「ひぅぅ…ぅぅ…」

「正午っ! そんな小便女の未練にいつまで付き合ってる気っ?!」

「音緒ちゃん……」

 怖ぇぇぇ……音緒ちゃんって怒ると、こんな怖いのか……、正午は助けを求めて、ほたるを見る。ほたるは萎えている正午の男根を玩びながら命令する。

「正午くん、カナタちゃんのおまんこ舐めてキレイにしてあげて。足も」

「………。イエス……マイ・プリンセス」

 怖っ……ほたるも怖ぇぇ……、正午は命令を実行することにした。啜り泣いているカナタの小水で濡れた内腿を舐めて慰める。

「ぁ…ぁぁ……」

 か細い声でカナタは喘いだ。

「正午っ!!」

 音緒が怒鳴り、ほたるが雪のように冷たく嗤う。

「だから言ったのに。クスクス♪」

「あなたっ! 正午に何をしたのっ?! クスリか何かっ?!」

「ううん、ただの愛。それだけ」

「ふざけないでっ!」

「ふざけてないよ。ほら、正午くん、カナタちゃんに入ってあげて。よく見えるように」

「イエス・マイ・プリンセス」

 正午は小水ではなく愛液で濡れてきたカナタと座位で交わる。ほたると音緒から男根がカナタの膣に出入りする様が見えるように動いた。

「よかったね。カナタちゃんの勝ちだよ」

「ぁ…アタシの…ハァっ…勝ち……? ハァっ…ハァっ…」

「そう、カナタちゃんの勝ち」

「っ……ぁ…ああっ!!」

 カナタは強烈なオルガスムを迎えた。全身に電流が走るような激しい快感だった。負けたと思った相手を前にして、正午と交わり、ほたるに勝利だと諭されると、いい知れない喜びが身体の奥から突き抜けてくる。カナタは潮を吹いて幸せそうに蕩けた。

「ぁぁ…ハァ……ハァ……ショーゴ、大好き……」

「……。ああ、オレもカナタが好きだ」

「ショーゴ……」

 愛おしくカナタが正午にキスをする。音緒が顔を歪めて、ほたるを睨んだ。

「あんた何っ? 正午の何なの?! 私の邪魔して何の得があるっていうの?!」

「私も正午くんの恋人だよ。だから、ネオの邪魔しないと超損するかな?」

「はァァ?!」

 音緒がバカを見る目で、ほたるを睨む。ほたるは言葉だけでなく行動で示した。キスをしているカナタと正午の間に入り、三人でキスをする。さらに、射精して萎えている正午の男根をカナタと二人で舐め始めると、音緒も状況を少し理解した。

「……3P……」

 女子高生として聞いたことのある言葉だったけれど、実際に見るのは初めてだったし、一夫一婦制の文化圏で育った者として強い嫌悪感を覚える。

「………そっか。……そーゆーこと……」

 なんてプライドの無い女ども……KANATAも、この女も……フタマタかけられて、それでもいいなんて………正午も私一人より、どうせなら、二人ってこと……質より量なんて、くだらない男……もう、どうでもいい……でも、許さない、この仕返しは……、音緒は三人でのセックスを見せつけてくれている状況を逆手に取ることにした。ケータイを出して三人の痴態を撮影する。

 カシャっ♪ カシャっ♪ カシャっ♪

 全裸で交わる三人を撮って、せせら嗤う。

「この私をこけにしてくれたお礼、しっかりさせてもらうよ」

「「「……………………」」」

「さ、この写真、どうしよっかな? インターネットに流してあげようかな? それとも買う? 一枚100万円で300万円なら、売ってあげてもいいよ。あ、あと、この写真も♪」

 音緒は四日前に撮った玄関先で失禁して泣いているカナタの写真を見せる。

「これは傑作だから一枚200万円かな。どうする? ネットで世界中にバラまかれたら、三人の人生、終わるよ?」

「…音緒ちゃん……」

「正午くん、これで、この女の本性がわかった?」

 ほたるが起きあがって音緒と対峙しようとしたけれど、カナタも立ち上がった。

「ごめんね、NEOちゃん。こいつバカだから君を傷つけたよね」

 カナタは立ちながら自分の財布を取った。財布から紙幣を全て抜き出す。

「これ、とりあえず50万くらいあるから。あと、残りは明日にも振込から、それ消してね」

「なっ………」

 音緒は多額の現金をカナタから突きつけられて驚く。何より、さっきまで自信を無くして震えていたカナタが今は以前のように余裕と自信をもって音緒を憐れんでくる。

「全部で500万、ちゃんと払うから」

「………モデル辞めたのに、なんで、そんなお金があるわけ?」

「さあ♪」

「……………」

「ホントごめんね。ショーゴって、すごくバカだから。美味しそうなエサがあると、すぐ寄っていくの。飼い主として、噛まれた人に謝るよ。だから、慰謝料として500万」

「……私をバカに、……してるの?」

「うん♪」

「っ!」

 音緒がカナタを平手打ちする。

 パシンっ!

 叩かれたカナタは瞬時に打ち返す。

 パシンっ!

 お互い、一発ずつ叩き合った二人の足元に一万円札が紙吹雪になって舞い落ちた。

「……………………」

「……………。ふざけないで! このNEOのバージンが、そんなに安いわけないでしょ。五億っ! 五億もってきなさい! でなきゃ、この写真バラまいてやる! 3Pやってるインモラル超バカな姿も、小便もらして泣いてるとこも! 世界中にバラまいてやる!!」

「五億かぁ……ちょっと、明日には無理だし、もったいないかな」

「カナタちゃん、こんな子のバージン、5万で十分だよ」

 ほたるが部屋の隅から置いておいたMDウォークマンを持ってくる。録音機能のあるウォークマンを操作して、さっきまでの音緒の発言を再生する。

(…さ、この写真、どうしよっかな? インターネットに流してあげようかな? それとも買う? 一枚100万円で300万円なら、売ってあげて…)

「なっ………」

 音緒が絶句し、ほたるが微笑む。

(…このNEOのバージンが、そんなに安いわけないでしょ。五億っ! 五億もってきなさい! でなきゃ、この写真バラまいてやる! 3Pやってるインモラル超バカな姿も、小便もらして泣いてると…)

「アイドル、続けたいんだよね? ネオ」

「…………」

「こんなに裏表の激しいアイドルだってファンが知ったら、どうなるのかな?」

「…………あんたたちの写真だって…」

「ケータイの写真なんて画素数低いし、パソコン通しても、よっぽどじゃないと顔わからないし」

 ほたるは健との写真を翔太にケータイの待ち受けに設定してもらった経験から音緒が撮った写真に、それほど大きな威力はないと踏んでいる。実際、今の音緒のケータイは30万画素程度だった。

「ほたるの、このMDは自分でピアノの録音する用に買ったやつだから、音いいよ。ネオの声、しっかりわかるはず。歌も女優もやるんだよね? これからも」

「……………………。……いくら、払えばいいの?」

「お金なんていいよ。ただ、ゴミ捨て場に頭っから突っ込んでくれたら、消してあげる。もちろん、その写真も消してね」

「……………………写真は消してあげてもいいわ」

「アイドル、続けたい? もう、辞めちゃう? 悪役女優なら、できるかもね」

「このッ!!」

 音緒が逆上して平手打ちする。ほたるも同時に応戦した。

 パパッシンッ!

 二人の平手打ちが0.1秒の差もなく、お互いの頬を打つ。ほたるの左頬を音緒の右手が打ち、音緒の左頬を、ほたるの右手が打つ、まるでボクシングの一場面のような鋭い一瞬だったけれど、双方の威力には大きな差があった。

 ドタンッ! ゴロゴロっ…

 音緒は平手打ちというより、強烈な右フックをうけたボクサーのように吹っ飛び、床を転がった。

「必殺、ほわちゃんビンタ♪」 

「「……ほわちゃんパンチより………」」

「うん、パンチは遊び。ビンタは本気。ほたるの握力、ハンパないからね」

 ほたるは毎日何時間もピアノを弾いている手を見せて微笑する。顔や体格に似合わず前腕の筋肉だけは水泳をやっていた鷹乃や薙刀をしている雅よりも強靱そうだった。

「正午くん、次に浮気したら、こうなるしね?」

「……ぃ、…イエス・マイ・プリンセス」

「NEOちゃん、完全に気絶してるよ……頭、打ってないかなぁ…」

 カナタは脳震盪を起こして意識を無くし、軽く足を痙攣させている音緒を憐れんだ。叩かれた頬は真っ赤に内出血してきている。これでは一ヶ月はモデルの仕事はできそうにない。

「腫れも、ひどいし……。右から撮影してもらえば、大丈夫かな?」

「カナタちゃん、ケータイ取り上げて」

「あ、そうそう」

 カナタは音緒のケータイを拾い、自分たちの写真データーを消していく。ほたるは消去されたことを確認してから、さらに強靱な握力でケータイを折った。

 バキっ!

「翔たんに聞いたんだけど、データーって表面的には消えてもアクセスできなくなるだけで電子情報は媒体内に残ってるんだって。だから、ちゃんと」

 ほたるは折ったケータイを正午が飲んでいたマグカップのコーヒーに浸ける。音緒が正午用に買ったマグカップだった。

「処分しないとね」

 ほたるはMDのデーターも消してから、正午に命令する。

「じゃ、ゴミ。捨て来て」

「……ゴミって……」

「カナタちゃんは、この子にゴミ捨て場に押し込まれたんだよ?」

「…………でもさ……」

「正午くん、ちゃんと罪を自覚しようね。正午くんは、この子を捨てるの。ほたるとカナタちゃんに加えて、もしかして三人目もオッケーかなぁ~、なんていう甘い希望的観測と自己欺瞞で、ここまでの事態を招いた責任として、ちゃんと捨てて。捨てた後味の悪さを噛みしめて、もう二度と、女の子と軽い気持ちで遊ばないって学ぶの? わかった?」

「………わかったよ……」

 正午は音緒を担ぐと、ほたるとカナタに付き添われ一階のゴミ捨て場に降りた。

「あの辺に投げ込んで」

「…………」

 正午は気絶している音緒をゴミ山に寝かせた。ほたるが折って濡らしたケータイを投げ捨てる。正午は強い後悔と反省の念を覚えた。

「音緒ちゃん………ごめん……」

「もう浮気しちゃダメだよ」

「ショーゴのバカ」

「…………。あのさ、このままだと音緒ちゃん、凍死とか、しない?」

「「……………………」」

 三月とはいえ、かなり寒い。音緒が目を覚ますのが遅ければ正午の懸念は現実になりそうだった。

「正午くんの優しさは小さな長所ではあるけどね。……まあ、凍死は困るし、起こしておこっか」

 ほたるは自分の手形がくっきり赤く残って腫れている音緒の頬を指でつつく。

「ぷにぷにぃ♪ お前のホッペをこうしてくれる♪ ぷにぷにぃ~♪」

 音緒が起きないので、ほたるは指でつつくだけでなく、頬の肉をつまんで引っぱる。正午が可哀相に思った。

「ほたる……そんなことしたら……かなり痛いんじゃ……。それ、唯笑ちゃんが猫にやってた……」

「カナタちゃんもやってみる?」

「うん♪」

 カナタも音緒の腫れた頬を玩ぶ。

「「ぷにぷにぃ~♪」」

「……カナタ……ほたる……」

「正午くん、女の子って残酷だね。普段なら絶対にできないようなことなのに、嫉妬がからむと、こんなにも平然と、ひどいことができるよ? むしろ、楽しいよ?」

「………ごめん……ほたる……カナタ……ごめん…」

「うん、わかれば、よろしい」

「ショーゴはバカだから、わかるの遅いしね」

「……ごめん……オレが悪かった……だから、もう…」

「あ、起きそう。ハーイ♪ NEOちゃん」

「ぅぅ……」

 音緒が目を覚ました。ゴミの中から三人を見上げると、自分が置かれた状態が理解できていく。猛烈に痛い頬と、壊されたケータイ、ゴミの匂い、悔しくて涙が滲んだ。

「ぅぅ…、くぅっ…」

「じゃぁね、バーイ♪」

「MDも消してあげたからね。安心してアイドル頑張って♪」

「……音緒ちゃん……ごめん……」

 最後の言葉を残した三人が居なくなると、音緒は悔しさの余りゴミ袋を引きちぎって泣いた。

 

 

 

 一週間後の3月12日、クロエは妹に呼ばれて幸蔵が入院している病院に向かわなければならなかったけれど、すぐに駆けつける気持ちになれず、書店で時間を空費していた。

「……意識が戻ったなら……別に私が会わなくても………」

 気持ちの整理ができないでいるクロエは書店を歩き回りながら、CDコーナーで足を止めた。

「インモラル・インパクト……英語で、不道徳な衝撃、ねぇ…」

 本日発売されたNEOの歌唱CDを手に取る。

「……………………」

 あまり興味は湧かなかった。むしろ、先行予約を受付しているという18歳の天才ピアニストのCDに期待を覚える。

「ウイーン……クラッシック音楽の本場……」

 今の気分を晴らすのに勇壮なピアノオーケストラを聴きたいと思ったけれど、発売は二ヶ月先だった。クロエはCDコーナーを離れ、写真集の棚に近づく。

「……14歳の少女が抱えた心の闇……………一条秋名……」

 自分と同じ世代の若年カメラマンが撮ったという写真集を手にとって開いてみた。

「……………………」

 一見して陰鬱で残酷な小動物の死体などが撮られている。

「…………………………………………」

 けれども、なぜか閉じて置こうという気になれず、パラパラとページをめくる。

「……………帰りに買って……、とりあえず、用事を済ませて……」

 病院へ向かう気になったクロエは書店を出て、すぐに病室を訪ねた。軽くノックするとノエルが扉を開けてくれる。

「お姉ちゃん♪」

「……ノエル、……あの人の様子は?」

「今は眠ってるの」

「そう……」

 ようやく集中治療室を出た幸蔵はベッドに横たわっている。安らかに眠っている様子でクロエは少し安心した。エリーズ亡き今、自分はともかくノエルが親無き子になるのは不憫でならない。幸蔵が回復することをノエルのために祈っていると幸蔵が目を覚ました。

「……ん……」

「パパっ♪」

「……ノエル………。ク……クロエ……」

 幸蔵は意外にも離別宣言された娘がいることを心から嬉しく思い、顔を歪めた。

「……来て……くれたのか……」

「ええ」

「………クロエ……」

「…………」

 何と言うべきか、わからないクロエは黙り込み、幸蔵もノエルに話しかける。

「ママは、どうしてる?」

「ママは……わからないの……バイクで出かけてるから」

「そうか……」

「………」

 そうか、じゃないわよ………死んだのよ、あなたの妻は………その子の母親は……もう、死んでるのよ……二人とも知らずにいるなんて………でも、やっと目を覚ましたところで妻が死んだことを知らせるなんて……できない………、クロエは行方不明であるエリーズのことは話題にせず、あえて無理やりに別の話題をふる。

「三年生を送る会、うまくいったわ」

「……そうか……」

 意識が戻ったばかりの父親に学校行事のことを告げてくる娘に、どう返していいか、わからず、幸蔵は力なく微笑んだ。

「それじゃあ、私は」

 クロエが立ち去ろうとすると、ノエルが淋しそうに呼び止める。

「お姉ちゃん……」

「………。言っておくことを忘れたわ。幸蔵さん」

「……クロエ……」

「あなたの娘は辞めたけれど、ノエルの姉は始めることにしたわ」

「クロエ………ありがとう」

「お姉ちゃん……」

「困ったことがあったら、いつでも来てちょうだい、ノエル。困ってなくても遊びに来ていいのよ」

「うんっ! ありがとうっ、お姉ちゃん!」

「じゃ、明後日の卒業式の準備があるから。また、……ここにも来るわ。ノエルのお父さんのことも………一応、心配だから」

「クロエ……すまない…」

 幸蔵は病身を震わせて、嬉し泣きした。

 

 

 

 3月14日、卒業式を控えた朝、鷹乃が朝食を作るのをクロエとノエルが手伝っていた。

「そろそろ智也を起こしてくるわ。目玉焼き、お願いね」

「はい、ママ」

「はい、鷹乃お姉さん」

 クロエは三上家の台所で慣れた手つきでフライパンを扱い、ノエルも補助をする。四人分の目玉焼きを作って皿に並べていると、鷹乃と智也が降りてきた。顔を洗った智也は眠そうにアクビをしながら制服を着ている。

「ふぁぁぁ……今日で最期か」

「そうね。この制服に袖を通すのも、これでおしまいね」

「いや、たまにエッチするとき、着てほしいから残しておいてくれよ。浜咲の制服は、そそる」

「……。智也、子供の前で、そーゆーことを言うのはやめてちょうだい」

「フフ♪ 夫婦の仲がいいのは、いいことじゃないですか? 夫婦も目玉焼きも冷めているより熱い方が美味しいですよ」

「クロエまで……ノエルちゃんも、いるのよ」

「え? そーゆーこと、よくママも言ってたよ。赤ちゃんはコウノトリが投下するわけでもキャベツ畑でもない、とか」

「「「……………………」」」

「でも、パパは、そーゆーこと言うんじゃないって」

「夫婦の片方に常識があってよかったわ。嘉神川のお父さん、回復してる?」

「うんっ! 来週には退院できるって」

「そう、よかったわ。さ、そろそろ食べないと遅刻よ」

「「「いただきます」」」

 四人での朝食に違和感はなかったけれど、途中で急に鷹乃が顔を曇らせた。

「………」

「ママ? 大丈夫?」

「…ええ…何でもないわ。…ちょっと、フラっとした、だけ……目まいかしら…」

「鷹乃、大丈夫か? どうせ、卒業式だけなんだから、休むか?」

「…いえ…、…叔父と叔母も見に来てくれるから…」

「そうか。でも、ホントに大丈夫か?」

「ええ、大丈夫、もう治ったわ」

「……ダイエットとか、しすぎるなよ」

「してないわ。ちゃんと健康な体重を維持してるから」

 そう言いつつも鷹乃は目玉焼きを半分まで食べて、タメ息をついた。

「ごめんなさい。やっぱり、食欲がないわ。智也、食べてくれる?」

「おう」

「せっかく作ってくれたのに。ごめんなさい、クロエ」

「ううん。それより、ホントにママ、大丈夫なの?」

「ええ。さ、そろそろ行きましょう。卒業式に遅刻はカッコ悪いわ」

 三人が家を出るのをノエルが見送ってくれる。

「いってらっしゃい」

「ノエルも四月からは小学校に通わないとね」

「お姉ちゃんが行った学校がいいなぁ~」

「藍ヶ丘第一小学校よ。公立だから、普通に入学すれば、そこになると思うわ」

「っていうか。ノエルちゃんって今は不登校児扱いなのか? もう何ヶ月も」

「だって、ママが…」

「智也。ホントに遅刻するわよ」

「おう」

 智也たちが道路に出ると、すぐに彩花と唯笑に出会った。

「おはよう、智也、鷹乃さん、クロエちゃん」

「おはよう、トモちゃん、鷹乃ちゃん、クロエちゃん」

「よぉ」

「おはよう、桧月さん、今坂さん」

「おはようございます、彩花さん、唯笑さん」

「お前らと会うのも、これで最期だな♪ 達者で暮らせよ」

「トモちゃん……、唯笑たち卒業しても、ここから通学するよ……」

「オレも、ここから通勤するけど、時間帯が変わるからな♪ これで、最期だ♪」

「ぅぅ……なんで嬉しそうなの?」

「バカだからよ。ね、智也?」

「彩花、お前、どういう流れで、そうなる?」

「男子一人に、女の子4人でハーレム登校なんて状況が、今日で最期になることを認識できないバカってこと♪ 社会人になったら、この状況、いくら払っても無理よ」

「ぐむっ…、……けど、無理ってことは、ないぞ。社会人ならキャバクラで複数指名すれば可能だ」

「へぇぇ♪ 18歳未満のいる店あるんだ?」

「いや……それは、知らないけど…」

「っていうか、奥様、旦那さん、なんだか、いかがわしいところに行く気ざますわよ」

 彩花がおどけて鷹乃に耳打ちすると、智也は鋭く睨まれた。

「帰りが遅い日は注意するわ」

「い、いや! 誤解だって! バーは行くけど、キャバクラは行かないって!」

「………バーには行くね」

「バーは健全っぽいところなんだって」

「幸蔵さんも、そんなことを言ってました。でも、そういうことが積み重なると、夫婦に取り返しのつかない亀裂が生じるんですよ」

「クロエまで………、誓って言うが、オレは鷹乃を愛してる。神に誓う、アラーとヤハウェと天照大神とオーディンとガンダムに!」

「そんな安売りバーゲンみたいな神様より、私に誓いなさい。どうせ、智也も無神論者でしょう? 神なんて婚姻届の用紙より軽いわ」

「おっ、うまい♪ 神と紙をかけた鷹乃的ギャグだな?」

「誓うの? 誓わないの?」

「誓います。ザーメン」

「「「……………………」」」

「トモちゃん、ザーメンって何?」

「そっ、それはだな…、ほ、ほたる的ギャグっだ!」

「ほえ?」

 意味が分からない唯笑の袖をクロエが少し引いて耳打ちする。

「ドイツ語でSamenはフランス語ではspermeですが、日本語に直訳すると…」

「待て待て! おい、唯笑! お前らの電車、もう来るぞ! 走れ!」

「唯笑ちゃん、行こう」

 彩花が唯笑を連れて行く。智也は今日で最期になる二人の澄空学園の制服を見送りながら、タメ息をついた。

「たはーっ………おい、クロエ、唯笑に余計なこと言うなよな」

「フフ♪ では、私も行ってきます」

 微笑みながらクロエは中学校へ向かっていく。智也と鷹乃の二人になった。

「…………………」

 藍ヶ丘駅に向かいながら、鷹乃は難しい顔をして黙り込んでいる。

「鷹乃、マジでキャバクラとか行かないし、バーは普通のとこだからな?」

「……………え?」

「だから、変な店には行かないってことを…」

「ああ、その話……………」

「怒ってるんじゃないのか?」

「行ってないなら、それでいいわ」

 藍ヶ丘駅から浜咲駅まで、二人で最期の登校をする間も、学校に着いてからも、鷹乃はタメ息をついたり、何かを深く考え込んでいる様子で智也は心配したけれど、すぐに卒業式が始まってしまった。教師が卒業生の氏名を呼び上げている。

「本条理人っ!」

「はいっ!」

「あんなヤツ、いたっけ?」

 智也は出席番号が近い翔太に話しかけた。

「呼ばれてるからには、いたんだろうさ。オレもサッカー部と同じクラスになったヤツ以外は、さっぱりだ」

「ま、何にしても今日から生徒と教師の関係じゃなくなるな。おめでとう♪」

「おうよ。これで、思いっきりデートできるぜ!」

「心底嬉しそうだな」

「当然♪」

「月岡海っ!」

「はい…」

 呼ばれた海は校長の待つ壇上へあがる。一礼すると校長が卒業証書を手渡してくれる。

「卒業、おめでとう」

「…ありがとう…ございます…」

 海は卒業証書を受け取ると、ごく普通に壇上を降りるけれど、ほたるの姿を卒業生の列に見かけて、胸を痛めた。

「っ………」

 どうして……あの子が………ウイーンに留学したんじゃないの………助けて……清孝……俊一……、海は顔を伏せて席に着いた。海たちのクラスが終わり、教師も入れ替わって、つばめがマイクの前に立つ。

「伊波健っ!」

「……はい……」

 ほたると別れ、巴とも別れて、鷹乃に断られて、望と付き合っていたのに、突然の交通事故で恋人を喪った健は無気力に壇上へあがった。

「………」

「礼をせんか!」

 かつて、この生徒に殴られたことのある校長が不機嫌そうに小言を言うけれど、健は立っているだけで形式上の礼をしない。

「ちっ……」

 校長は舌打ちして、卒業証書を突きつけ、健も駅前でチラシを受け取るような動作で高校を卒業した。

「加賀正午っ!」

「イエッサー♪」

「……」

 つばめは変な返事をした正午を、じっとりと睨んだけれど、今日で教師の指導を聞かなくてもよくなる正午は軽い足取りで壇上にあがると、校長と対峙する。トラブルを起こす気はないので形式上の礼をした。

「卒業、おめでとう」

「バーイ♪」

 卒業証書を手にすると、ニヤリと笑い、校長に永遠の別れを告げた。

「中森、翔太っ!」

 つばめが万感の想いを込めて翔太の名を呼んだ。

「はいっ!!」

 翔太も胸を熱くしながら誰よりも高らかに返事をする。

「…」

「…」

 一瞬、つばめと翔太は見つめ合い、翔太は壇上へと向かう。

「卒業、おめでとう」

「ありがとうございます」

 校長に対しては、とくに思うこともなく卒業証書を受け取った。

「三上智也っ!」

「はいはい」

 もう卒業する智也は何も思わなかったけれど、つばめや校長たちは、この生徒が起こした数々のトラブルを思い起こして、やっと卒業してくれることを安堵とともに送り出す。呼び上げが男子から女子にかわった。

「沖田慶子っ!」

「はい」

 男子と同じく、あいうえお順に呼ばれていく。

「黒須カナタっ!」

「は~いっ♪」

 軽く返事をしたカナタが軽く壇上へあがると、他の生徒とは違う軽い紙質の暫定卒業証書を渡される。二学期のほとんどを出席していないカナタは春休みに補講に出なければ、正式な卒業証書がもらえず、来年度も三年生になる身分だった。

「卒業、おめでとう」

「できたらね♪」

 補講にも来年度にも出席する気のないカナタは、あえて恭しく戴冠する王族のように暫定卒業証書を受け取った。

「白河ほたるっ!」

「はいっ!」

「あいつ、何でいるんだ?」

 智也が他の生徒も思っていることを翔太に問うと、あきれられた。

「朝のHRで、つばめ先生が説明してたじゃないか。ウイーンへの留学をもって、二学期以降も出席したと見なして卒業式に招待したって。あのアホ校長にしては、粋な計らいだと思うぜ」

「ただ単に白河の栄誉に預かりたかっただけじゃないか」

「そうだとしても、嬉しいだろ。みんなで卒業するのはさ」

 智也と翔太が話しているうちに、ほたるが壇上に登った。

「卒業、おめでとう」

「ありがとうございますっ!」

 元気よく返事をして、ほたるは180度回転すると、体育館に響き渡る大きな声で叫ぶ。

「私はぁ~っ! 浜咲学園が大好きだったよぉ!! 卒業しても、大好きだよぉ!! ありがとう! 先生っ! みんな!!」

 大きく手を振って学校全体に感謝の念を表している。ほたるの絶叫は式次第にないハプニングだったけれど、少しずつ起こった拍手は大きくなり、ほたるは祝福された。拍手が終わって、智也が翔太に言う。

「あいつ、実は目立ちたがりなんじゃないか?」

「三上と、同じくらいにな」

「オレは……目立ちたがりだが、あいつは、むっつり目立ちたがりだ」

「……なんだよ、それ」

「寿々奈鷹乃っ!」

「はい…」

 鷹乃が重い足取りで壇上へ向かう。翔太が心配した。

「彼女、元気ないな。三上が何かしたのか?」

「いや……思い当たることは無いんだけど……」

「まさか、ノーパンとか強制してないだろうな?」

「ほたるはノーパンだよ♪」

「アタシも♪」

 壇上から戻ってきていた二人が見えそうで見えないギリギリまで翔太と智也の前でスカートをあげる。見えそうで見えないので冗談なのか、本当なのか、わからない。

「お辞儀すると、後ろから全部見えちゃうのに、ぜんぜん騒ぎにならかなったね」

「アタシたちのおまんこ見られるなんてショーゴ以外、生涯最後のチャンスだったかもしれないのに」

「ここから壇上って遠いしね。あ、でも、カナタちゃん、濡れてる♪ 興奮した?」

 ほたるがカナタのスカートに手を入れると、カナタも入れ返す。

「ほたるも濡れてるじゃん♪」

「さっすがに全校生徒におまんこ見せてると思うと、すっごいドキドキするね」

 かなり興奮したらしい二人は、お互いの性器を触り合っている。翔太と智也からはスカートに隠れて見えないけれど、クチュクチュと生々しい音は聴こえてくる。

「あん♪」

「いい♪」

「「……………………」」

 翔太も智也も後で恋人に怒られるとイヤなので相手にしないことにした。鷹乃が校長に苦痛そうな表情で一礼している。

「卒業、おめでとう」

「……がとう……」

 鷹乃らしい礼を言ったけれど、卒業証書を受け取ると、そのまま座り込んでしまった。

「おい、君?」

「……ぅっ……」

 鷹乃は顔を伏せて震えている。校長は感極まった女生徒が泣きかけているのかと思ったけれど、違った。

「うえぇっ!」

 鷹乃が吐いた。

「けほっ…けほっ…ううっ…うぇ…」

 普通の吐き方ではなく、それほど吐瀉物は無いのに吐き気が長く続いて立てない。周りの教師と智也が立ち上がった。

「鷹乃っ!」

「…ぅぅ……」

 鷹乃が首を横に振っているけれど、それほど意味はない。慶子が嗤いながら冷やかした。

「つわり? 妊娠してるんちゃう?」

 慶子の声が鷹乃の耳にも届き、口元を押さえながら睨む。その目線の深刻さで、誰もが慶子の言葉を事実ではないかと思い、鷹乃も妊娠を自覚しかけていた。コンドームによる避妊も100%ではないし、一月になってからは、もう卒業も近いという油断から避妊せずに性交したこともある。生理も遅れていた。智也が妻に駆けよった。

「鷹乃、大丈夫か?」

「…ええ……」

 鷹乃は智也に抱き支えられて壇上を降りると、保健室へ向かう。その二人の様子も妊娠という言葉に真実味を持たせてしまい、教師たちは最期までトラブルを起こす智也のことを本当に今日で最期にしてほしいと思いながら、見送った。

「野乃原葉夜っ!」

「のんだよ♪」

 やや遅刻していた葉夜は呼び上げには間に合った。

「花祭果凛っ! 本日、欠席です」

 卒業要件を満たしているのに卒業式に欠席した生徒には呼び上げだけが行われ、あとで卒業証書が送られることになっている。

「以上、32名」

 つばめが担当する呼び上げを終えた。

 

 

 

 六時間後、仲のいい卒業生同士でルサックに集まることになっていたので、澄空学園からは彩花と唯笑、かおる、巴が到着していた。さらに浜咲学園から、ほたるとカナタ、正午、葉夜が合流すると、一気にかしましくなりウエイトレスをしている相摩希はタメ息をついた。

「卒業式か……うかれてトラブルにならないといいけど…」

 このところ人手不足になっているルサックは今夜も忙しくなりそうだった。吐き気が治まった鷹乃と智也が来店してきた。

「あっ、トモちゃん!」

「よぉ」

「鷹ちゃん、大丈夫なの?」

「ええ……健康よ」

 カナタの問いに、鷹乃は含みのある言い方をしたので勘の鋭い女子の何人かは、鷹乃の妊娠を確信した。さらに、つばめと翔太、そして健が来店したので場の空気が微妙に変わる。ほたると巴は健を見ないし、健も顔を伏せている。かおるや彩花が気をつかって無関係な話題をふって盛り上がろうとするけれど、どうしても空気が重い。智也は文句を言いたかったけれど、身重かも知れない妻がトラブルに巻き込まれるのはさけたいので健の方は見ないようにする。正午も何か言いたいけれど、よく考えると、ほたるとカナタに永続フタマタをかけているので、やぶ蛇になってもイヤなので黙っている。健は空気の重さを感じて席を立った。

「やっぱり……ボク…帰るよ」

「待てよ。健」

 翔太が呼び止める。

「いいから、座れって。な」

「…でも…」

「デモは機動隊が鎮圧するんだ。言論の自由は無い♪ オレが幹事だ。な、いいだろ、みんな?」

 幹事と連絡係をした翔太に、誰も反対はしなかったけれど、賛成もしなかった。智也が空気を変えようと話題を提供する。

「おい、中森。そろそろ発表しろよ。そこの、20代中頃の女性は、誰の何だ?」

 つばめが歳のことを言われて智也を睨む。

「あなたたちの先生です」

「さっき卒業した♪」

「正式には3月31日まで、あなたたちの先生です」

「つばめ先生は、ずっとオレたちの恩師ですよ。そして、オレの……」

 翔太がアイコンタクトで許可を乞い、つばめもタメ息で認めた。

「オレの恋人なんだ」

 翔太の宣言で場が盛り上がる。拍手と歓声があがり、囃し立てられる。カナタと智也がけしかけた。

「「キスっ! キスっ!」」

 ほたると巴も悪のりする。

「「キッス♪ キッス♪」」

 さらに、正午と唯笑、かおるも便乗した。

「「「キッス♪ キッス♪ キッス♪」」」

「ちょっと、やめてくれよ、お前ら…」

 翔太が騒ぎを静めようとするけれど、あまり効果がない。どんどん声が大きくなる。希がウエイトレスとして注意しにきた。

「他のお客様のご迷惑になりますので騒がないでください。ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」

 さっさと食べて、さっさと帰ってよ、希はウエイトレスとして失礼でないギリギリのラインまで冷たい態度で騒いでいた高校生に釘を刺して立ち去る。その背中を健が見つめていた。

「…………」

「ほら、怒られたじゃないか。あんまり騒ぐなよ。とくに、三上、黒須さん」

「「………。キッス♪ キッス♪」」

 懲りずに智也とカナタは小さな声で囃し立てを再開する。ほたると巴も乗った。

「「「「キッス♪ キッス♪」」」」

 だんだん声が大きくなる。

「おい、やめろって。また注意されるから」

「翔たん、たぶんキスするまで、みんなやめないよ? ねぇ?」

 ほたるが小悪魔のように微笑む。カナタと智也が邪神のように嗤った。

「「「「キッス♪ キッス♪」」」」

「お前ら………」

 翔太が恋人を見る。つばめはタメ息で許可した。

「……」

「……」

 つばめと翔太が軽く唇を重ねる。

「「やったーーー♪」」

「「うひょーーーっ!!」」

「「「キャーーーーっ♪」」」

 冷めている鷹乃と彩花、健以外の全員が歓声をあげたので店内に響き渡った。希がズンズンと怒りながら歩いてくる。

「お客様っ! 他のお客様に迷惑ですっ!!」

「すいません」

 代表して翔太が謝り、希は背中を向けて去っていく。健が望と同じ希の姿を食い入るように見つめていた。

「…………」

「もう、二度と騒ぐなよ。まったく……おい、健? どうした?」

「…………何でも……ない」

「翔たんと先生、いつから付き合ってたの?」

「それは……」

「私たちの話よりも、今日の主役は卒業生である皆さんでしょう。本当に、おめでとう」

 つばめは話題を替えてほしいので卒業生を祝う。

「無事に卒業できて何よりです」

「アタシ、まだ、だよ」

「黒須さんも、ちゃんと補講に出席してください。国語の課題も…」

「中退でいいよ」

「………」

「中退、おめでとう、って、言ってごらん。南」

「先生をつけなさい」

「中退するから♪」

「カナタちゃん、ふざけてると怒るよ」

「や~ん♪ ごめんなさい、ほたる。南先生、中退残念賞ください」

「中退するのは自由ですが、残念賞を贈らない自由もあります。卒業すれば卒業証書を送りますよ」

「オレと鷹乃のことも、一応、発表しておくぞ」

 智也が自分たちのことを告げる。

「実は秘かに入籍して、すでに鷹乃は三上鷹乃だったりする。あと、妊娠してるかもだ♪」

「ほぇぇええっ?!」

「「「キャーーー♪」」」

 唯笑をはじめ、とくに女子が歓声をあげた。翔太は慌てて希の方に頭を下げておく。

「おい、いい加減にしろって」

「ああ、キスはしない。見飽きただろ?」

「そーゆー問題じゃなくて……とにかく、始めよう。なにか注文しないと、あのウエイトレスに、また怒られるぞ」

 翔太がメニューを開くけれど、女三人寄ればかしましいの如く、なかなか決まらないどころか、雑談ばかりしている。翔太がメニューを自分に向けた。

「もう、オレがテキトーに、みんなで食べられそうなもの頼むからな」

「うん、翔たん、お願い」

「中森、カラアゲは忘れるなよ」

「はいはい」

「翔太くん、カラアゲのつけ合わせのレモンは大盛りで」

「つばめまで……つけ合わせ、大盛りって…」

「「あ♪ 呼び捨てにしたぁ!」」

 ほたるとカナタが目聡く反応してくる。

「静かにしろって。もう、注文するからな。すいませーーん!」

 翔太が希を呼んだ。

「ご注文がお決まりでしょうか?」

 希は怒った笑顔で端末機を構える。翔太はメニューを指した。

「これとこれ、それに、これ、あと、これのレモン大盛りって、できますか?」

「できません」

 迷惑な客に対して希は冷たく答えた。翔太が困る。

「……。つばめ先生、できないって」

「では、レモンティーをティー抜きで」

「つばめ……あとで買いに行くから。ここは諦めて。カラアゲは3皿頼むし、3皿とも、つばめがレモン取っていいから」

「翔太くんが、そう言うなら」

「以上で、よろしいですか?」

「はい。あと、人数分のドリンクバーを、いち、に、さん、しぃ、ご…」

「「「ビール♪」」」

 智也とカナタと正午が声を揃えた。

「許可しません。常識で考えなさい」

 つばめが常識を口にした。

「ドリンクバーは13名様分ですね」

 長くなりそぉ……ドリンクバーも時間制限つけてほしい……とくに、こういううるさい客は……、希はタメ息を隠しながら端末機を入力していくけれど、健の視線を感じて睨み返した。

「………」

「………」

 目が合った健は涙を滲ませて見つめてくる。

「………」

「…っ…ぅっ…」

 滲ませた涙が溢れて、頬をつたった。涙が止まらないようで、幾筋も頬を流れ落ちていく。

「ぅぅ……望……」

「希です。……あの子が死んで悲しいのは、あなただけじゃないんです。私、彼氏もいますから、そんな目で見られると迷惑です。やめてください」

 仕事中の希は切り捨てるように言って背中を向けた。残された健が泣き続けるので、場の空気が木星の重力のように重くなる。

「…ぅぅ…くっ…」

「そういえば……イナの彼女って、さっきのウエイトレスに似た感じだったかも。また、浮気でもしてフラれた?」

「……違う……望は…ぅっ…ぅぅ…」

 健の泣き方が尋常ではないので、彩花が噂話を思い出した。

「学校でウワサになったけどさ。さっきのウエイトレスさん、一つ下の学年の相摩希っていうらしいけど、双子の妹がいて、くりそつだったの。それで、ときどき入れ替わって学校に来てらしいけど、ちょっと前に交通事故で亡くなったって話。………イナミくんの彼女だったの?」

「…うぅ…」

 健が泣き声を返答に代えた。

「そっか。ご愁傷様」

「いい気味ね。ヒグラシみたいに泣いて暮らせばいいのよ」

 鷹乃が嘲ったのを彩花が怒る。

「いくらなんでも、その言い方は無いでしょ? 人が死んでるのよ」

「………。亡くなった人に言ったわけではないわ。そこのボウフラ以下のゴミに言ったのよ」

 鷹乃が何を言っても健は泣いているばかりで空気が重い。

「男のくせに、メソメソと、みっともない。気分が悪いわ。帰りましょ、智也。クロエたちも待ってるわ」

「そうだな」

 智也がテーブルに千円札を置いて立ち上がった。

「トモちゃん、鷹乃ちゃん、帰っちゃうの?」

「ああ、悪いな。できれば鷹乃を安静にしておきたいし、お前らの顔も見られたから、もう帰る」

「そっか。バイバイ、トモちゃん、鷹乃ちゃん」

「おう」

「またね、今坂さん」

 他のメンバーとも別れを交わして智也と鷹乃が姿を消した。健が力なく立ち上がる。

「ボクも……帰るよ」

「健、もう少し……すまん。逆効果だったみたいだな。また、部屋に行く」

 親友を励まそうと思って呼んだけれど、いつのまにか、つばめとの仲を見せつけただけに終わってしまった翔太は朝凪荘に行っても同じ結果になりそうで、健の背中が見えなくなると深いタメ息をついた。

「ふぅぅ……」

「イナミくん、相当きてるね。お医者さん、行った方がよくない?」

 彩花も心配している。

「私、ちょっと見てくる」

「ヒッキー、やめとけば?」

「じゃあ、トトが行く? 未練あるなら…」

「ないない。ヒッキーのために言ってるの。ろくなことないよ、イナに関わると。顔と性格は、いいからさ、つい惹かれちゃうけど、ろくな男じゃないよ。ね、ほわちゃん」

「え? ……さあ♪」

 ほたるは何もコメントしない。彩花は席を立った。

「やっぱり、見てくる」

「あらら……」

 巴は彩花が出て行くと深いタメ息をついた。

「たはーっ………ヒッキー、苦労すると思うなぁ」

「彩ちゃんなら大丈夫だよ」

「彼に少しは学習機能があることを期待したら?」

 かおるが言い加える。

「それに、トトと違って望さんとは浮気じゃなくて終わったわけでしょ」

「だから、余計によ。………私、弟が死んだから少しはわかるつもりだけど、交通事故って、いきなりなのよね。病気とも浮気とも違ってさ。ある日、突然、いなくなる。永遠に。あれって、こたえるのよ。まして、付き合ってる恋人だったら………たぶん、一生忘れられない。理想化されるし、生きてるうちにフったり、フラれたりする方が、ずっと傷は浅いよ。何年経っても想い出すよ、これから、ずっと」

「彩ちゃんなら大丈夫だよ。看護婦さんだもん」

「来月から、やっと看護学校に行くだけでしょ。まあ、でも、ヒッキー、ああいう母性本能をくすぐられるタイプに弱いのかも」

「トトが、それ言う?」

 かおるが笑って、少しは場の空気が軽くなる。希が注文された品を運んできた。

「ご注文は、以上でおそろいでしょうか?」

 健がいないので希はウエイトレスとして模範的に給仕してくれた。かおるが遠慮がちに声をかける。

「ぶしつけな質問なんだけど。妹さんが亡くなられたの、どんな事故だったの? ……さしつかえなければ、教えてくれない。その後のこととか」

「……。ニュースでも少し流れましたけど、踏切事故です。望が踏切が開くのを待っていたら、後ろから無免許運転の軽トラが来て……。最悪ですよ。無免許運転だったから、自動車保険もおりなくて、たった3000万円の強制保険からのお金だけ。運転してた男は逮捕されて、もともと無一文の麻薬の密売人でしたし、今はお父さんたちが裁判の用意をしてるの」

「裁判? その逮捕された男を?」

「違います。その軽トラは、ある魚屋さんの軽トラで、業務中だったから使用者責任があるとかいうことで、他の遺族と連絡を取り合って慰謝料の裁判をしようって」

「大変ね」

「もう、いいですか?」

「ええ、ごめんなさい」

「では、失礼します。ごゆっくり、お召し上がりください。でも、もう騒がないでくださいね。騒いだら、ゆば…」

 希は何か言いかけて途中でやめ、キッチンに戻っていった。注文したときよりも人数が減ってしまったので食べるのに苦労しつつも、ある程度の食事が終わると、つばめが席を立った。

「いつまでも教師がいては、煙たいでしょう」

 つばめは少し多めに紙幣をおいた。

「ご卒業、おめでとう。また、風の向くことがあれば、会いましょう」

「オレも…」

 慌てて翔太も自分の分を財布から出して、つばめを追いかける。

「アタシたちも帰って、エッチしようよ♪ ほたる、ショーゴ」

「そうだね」

「そうだな」

 カナタ、ほたる、それに正午が席を立つ。三人とも少し多めに紙幣を置いていった。テーブルに現金がバラバラに置かれたままになっているので、かおるが集めて数えると、もう十分な額に達していた。

「私たち、おごってもらっていいのかな?」

「いいんじゃない。っていうか、残り者って感じで、ちょっとムカつく」

 巴が言い、唯笑が見当違いの返答をする。

「残り物には福があるっていうよ。でも、もうお腹いっぱいで、食べられないね」

「そーゆー意味じゃなくて……ああ、もう! むかつくから、花火やろうよ! のんっ!」

「いいね♪ ファイナル・ミッションだね」

「そうよ、藍ヶ丘第二中の魂は永遠に不滅なんだから!」

「私、その中学じゃないよ」

「いいから、いいから」

「こんな季節外れに花火なんか、売ってるの?」

「あるある。海岸沿いのコンビニに行けば、あるんだって、これが」

「じゃ、ちゃんとワリカンで計算して私たちも払って、残ったお金で花火代にしよ。でもって、四人で思いっきり楽しそうな写真を撮って、さっさと帰っちゃた連中に送ってやるの!」

「うん、それいい!」

「「決まりだね♪」」

 唯笑と葉夜も賛成してルサックを出ると、コンビニで花火を買い、海風を浴びながら季節外れの花火大会を満喫する。楽しい写真を何枚も撮って花火が終わると、しんみりと砂浜に座った。かおるが目を閉じる。

「いい風ね」

「ちょっと寒いけどね」

「夏なら徹夜ミッションだったね」

「唯笑、もう眠いよ」

「じゃ、そろそろ…」

 かおるは腰を上げ、見知らぬ男二人が近づいてくるのに気づいた。いかにも不良という感じの二人組だった。

「おっ♪ なんか、女の子がいっぱいいるな」

「ホントっすね。可愛い子ばっか」

「「「「……………………」」」」

 四人とも誉められて嬉しいとは思わない。砂浜には他に誰もいない。叫んでも人家まで届きそうにない。おまけに、智也も健も、翔太も正午もいない。無防備に女子だけで夜中まで遊んでしまった自分たちのうかつさを呪う。かおるが不良二人組を睨んだ。

「何か用?」

「オレらと遊ぼうぜ」

「お断りよ」

「いいよ♪」

 葉夜が快諾した。かおると唯笑が驚くけれど、巴も受け入れる。

「私も、いいよ。唯笑ちゃんたちは帰りな」

「トトちゃんっ?!」

「トトっ?!」

「2対2。もう席はないの。乗り遅れたね」

「トトっ! 自棄になるのは…」

 かおるが叱ろうとすると、巴は耳元に近づいて囁く。

「唯笑ちゃんを連れて帰って。のんと私なら、なんとか大丈夫」

「……トト…」

「ファイナル・ファイナル・ミッションはカラオケにゴーっ♪」

 葉夜がノリのいい女子高生を演じると不良二人組も嬉しくなってのる。

「「ゴーだぜッ♪」」

「じゃ、カラオケやってる間に、お互いの親睦を深めるとして、千羽谷の商店街まで行こうよ。安いカラオケ屋さん知ってるし。まあ、もしも、その気になったら、ホテルもあるし。もしも、よ、もしも♪」

 巴は下手に断ると砂浜で襲いかかってきそうな雰囲気があった二人組から、かおると唯笑を離脱させ、葉夜と駅に向かう。巴と葉夜はアイコンタクトを交わしながら、時計とシカ電の時刻表を見比べ、不良二人組にねだる。

「私、喉かわいちゃった♪ コーラね」

「のんはパイナップルジュース♪」

「へいへい。って、コーラはあるだろうけど、パイナップルジュースなんて自販機にあるかなぁ」

「オレもタバコを……」

 不良二人組の注意が自分たちから逸れるタイミングをシカ電の発着に合わせて作り、巴と葉夜は千羽谷とは逆へ行くシカ電に駆け込み乗車する。

(あっ! あいつら!)

(おいっ!!)

「「バイバーイ♪」」

(待て、コラっ!)

(ざけんなっ!)

 追いかけても、すでにシカ電の扉は閉まり発車していく。葉夜が親指を立てた。

「ラスト・ミッション♪」

「成功っ♪」

 葉夜と巴はハイタッチして笑い合った。

 

 

 

 

 

     高校卒業から18年後

 

 

 清孝は湊都子と、ならずやに来店していた。

「いらっしゃい」

 カウンターから田中静流が挨拶してくれた。清孝と静流は同じ千羽谷大学卒業の同期生だったけれど、お互いに面識はなかった。

「お二人様ですね」

「いえ、待ち合わせなんです。…あ……俊一…」

 清孝は約束より早く着ていた俊一を見つけ、その隣に有沢りかのがいたので困った顔をした。

「俊一、今日は大事な話だって言ったろ」

「ああ、オレも大事な話があるから、ちょうどよかったんだ」

「お前も?」

「ああ、オレ……こいつと、…りかのと結婚しようと思う」

「っ?! いや、ちょっと、待て! じゃあ、海は?!」

「だから、海のことは清孝に頼もうと…」

「勝手なことを言うなよ、オレは都子と結婚するから………海のことは…お前に…」

 言いながら、自分も同じ勝手なことを言い出していることに気づいて清孝は語尾を弱めた。

「今日は、オレが……大事な話ってことで、俊一を呼んだんだろ? オレの話が先じゃないか?」

「……そうだな……すまん……」

「…………。オレは都子と結婚しようと思ってる」

「………なら、海は?」

「………………。都子は妊娠してるんだ」

「っ………」

 俊一が頭を抱えて叫ぶ。

「りかのも妊娠してるんだっ!」

「っ……」

「裏切り者っ!」

「お前だって!」

「海に何て言うんだっ?!」

「…………もともと、無理だったんだ。三人で……なんて……、実験は失敗だった。そういうことだ」

 清孝は席を立った。まだ飲んでいないコーヒー代を置いて都子と店を出る。自動車で移動して約束してある不動産会社を訪ねた。

「市井です」

「あ、はい、市井様ですね。こちらへ、どうぞ」

 スーツ姿の智也が応対してくれる。

「こちらなど、いかがでしょう? 3LDKで、お子様が産まれても十分に広いかと」

「そうだね。他のも見せてくれる? できれば、貯金して一戸建てを買いたいから、しばらくは安いところでガマンしようかと思ってるんだ」

「はい、では、少し小さめですが、ここなどは?」

「いいね。現物を見られる?」

「はい、澄空市内ですので、すぐに」

 智也はサングレイス澄空に清孝を案内し、都子が気に入ったので賃貸契約は成立した。二人の客を見送った智也は会社に戻って書類を作り、今日の仕事を終える。

「終わったァァ!」

 残業はしない主義を心がけているので、すぐに自宅へ帰る。藍ヶ丘の三上家へ帰ると、郵便受けをチェックして、ニヤリと笑った。家に入って妻に声をかける。

「とうとう加賀と白河が入籍するってよ。結婚式の招待状が来てる」

「そう。………」

 鷹乃は夕食の準備をしながら考え込んだ。

「………………………」

 それでは……黒須さん………20年近くもフタマタされた後に……捨てられて……それとも愛人に……ずっと平等に扱っていたのを……片方だけ入籍なんて……、鷹乃が表情を曇らせていると、妻の思考を読んだ智也が招待状を見せる。

「ほら」

「加賀正午……加賀ほたる……加賀カナタって、……」

 招待状は連名で来ていた。印刷されている写真があり、試し撮りらしいウエディングドレス姿は、ほたるとカナタの二人で、正午を挟んで座っている。

「……重婚……あの人たち、国籍でも変えたの?」

「ふふふ♪ クロエと同じだ」

「クロエと? やっぱり、黒須さんを愛人にして…」

「そーゆーところじゃなくて、三上クロエと同じやり方さ。ちゃんと、加賀カナタとしても戸籍に入る、養子縁組だ」

「養子縁組って……誰が親で? 誰が子なの?」

「白河と加賀は9月生まれだろ。で、黒須は10月生まれだから、加賀と白河が結婚して黒須を養子にするんだ。何年か前に相談されたから、この方法を教えてやったのを、とうとう実行したみたいだな」

「………呆れたわ……法律上は可能でも……そんな方法……私たちがクロエを養子にしたこととは意味が、ぜんぜん違うわよ」

「ま、クロエが三上クロエだったのは、ほんの数年だったな」

 智也はテレビ棚に飾ってあるクロエの晴れ姿を見る。写真の中でウェディングドレスを着た塚本クロエは幸せそうに微笑んでいた。

「クロエ、大丈夫かしら……」

「クロエなら大丈夫だろ。何と言っても正妻だし」

「………愛人がマンションの隣にいるのよ。子供まで」

「りりん、だっけ? 変な名前だな。でも、その家って代々母子家庭なんだろ。意地になって一人でも育ってるって、ここに怒鳴り込んできたときは、かなりビビったなァ。いっしょにいた婆ちゃんメチャ怖かったし。ってか、怒鳴り込むならバカ志雄のとこにしろよなぁ」

「代々母子家庭なんて……望んでそうなったわけでもないでしょ」

「けど、そーゆー運命なのかもな。でも、クロエにだって子供いるし、負けないって♪ クロエの子供だから、オレらの孫だもんな。オレら、すでに、爺さん、婆さんだぜ?」

「……」

 返事をしたくない鷹乃が黙っていると、智也が追い打ちする。

「婆さんや♪」

「………」

「婆さんやーぁ、夕飯、まだかいのぉ?」

「………次に言ったら、カラアゲの油をかけるわよ?」

「…怖っ……テレビでも見よ」

 智也はテレビをつけた。

(…今日午後、澄空市の路上で元アイドルの荷嶋音緒さんが刺殺される事件が発生しました。逮捕された力丸紗代里容疑者によれば、荷嶋さんといっしょにいた飛田扉さんを刺殺しようとして、あやまって荷嶋さんを刺したとのことで、飛田さんを襲った理由は18年前の交通事故で家業だった鮮魚店が倒産することになり、当時、飛田さんが従業員をしていたことと関係があるようです。また、力丸容疑者の父親も飛田さんが関係する交通事故で死亡しており、神奈川県警では詳しい動機の解明を急ぐとともに、いっしょにいた飛田さんが麻薬を所持していたことから、現行犯逮捕し、飛田容疑者と力丸容疑者の双方から事情を聴取しているとのことです…)

 智也は缶ビールを開けた。

「何年も前の交通事故の恨みで……か……、こだわりすぎだろ。……この、荷嶋NEOってさ。けっこう売れた歌手じゃなかったか?」

「そうだったかもしれないわね。でも、たしか、覚醒剤か何かで、五年ほど前、芸能界を辞めたんじゃ?」

「そんなニュースもあったなぁ。芸能界なんて、ろくなもんじゃない」

 智也は時計を見た。すでに夜9時を過ぎている。

「おい、ちょっと、遅いんじゃないか」

「すぐ、できるわ。あなたの好きなカラアゲよ。揚げたての方がいいでしょ?」

「そうじゃなくて、帰りが遅すぎる」

 智也は年頃になる実の娘の帰宅が遅いことを怒った。

「あの子も、もう高校生なんだから、そーゆー日もあるでしょ」

「高校生だから、心配なんだ」

「そうね♪ あなたが私を襲ったのも高校生の頃だったわね」

「ぐっ……。まさか、彼氏とか、いるんじゃないだろうな?」

「さあ♪ そこまでは知らないわ。でも、男友達と、いっしょみたいよ。たしか……稲穂信一くん」

「なんだ、その怪しげな名前は。男は狼なんだぞ、ちゃんと9時には帰るように言っておけよ」

「……。ふふっ♪ ふふふふっ♪」

 鷹乃が笑い続けるので、智也が怒る。

「なにが、可笑しいんだ?」

「そうやって娘を心配する姿を見てると、今が幸せなんだって、思っただけよ」

 鷹乃は美味しそうなカラアゲをテーブルに置いた。

 

 

 

  「智也が浜咲だったら」 fin

 




とても長くて、登場人物も多い二次作品に、お付き合いいただきありがとうございました。
これにて完結となります。

また、他にも何か投稿するかと思いますので、機会があれば、読んでやってください。
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