「智也が浜咲だったら」   作:高尾のり子

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第7話

 翌日の朝、正午は三上家で宿題を写していた。

「できた!」

「オレもできた!」

 いっしょに写していた智也も同時に完成している。二人とも鷹乃の解答を手本にして、丸写しにはせず、ある程度オリジナルな答えを書き込みつつの作業だったので、徹夜になっていた。

「お疲れ様、二人とも。朝ご飯、できてるわよ」

 鷹乃が朝食を用意してくれている。三人で朝食を摂り、正午が一番に席を立った。腕時計を見ている。

「オレは、そろそろ出ないとな」

「加賀はチャリ通だからな。オレらはシカ電で行くから、まだ余裕あるけど、…お、その腕時計、やっぱり、白河はお前に託したのか」

「まあねン♪ それだけじゃないぞ、実はオレと、……あ、…」

 ほたると遠距離恋愛していることを自慢しようとして、カナタには相手が誰だか教えないことにしたのを思い出して、考える。

「………」

「実は、なんだって?」

「いや……、…実は……というか、とりあえず、というか…」

 正午は腕時計を外すと、ポケットに入れた。

「もらったのは、もらったんだけど、やっぱり学校のみんなにはオレが持ってること、秘密にしようかと思って。……ほら、いろいろ、あっただろ?」

「ああ、そうだな。白河が伊波に送った時計を加賀がもってるとなると、いろいろ勝手な噂が流れるだろうしな。さすがに黒須も、いい気分はしないだろうし」

「ああ、それなら、大丈夫♪ カナタとは別れた」

「まだ、ケンカ中か……まーどうでもいいけどな」

「どうでもいいから、スピードモンスターのことは秘密にしといてくれ。その代わり、三上と寿々奈さんが同棲してることも言わないからさ」

「オレと鷹乃は……まあ、そうだな。それも、大っぴらに言わない方がいいな」

「じゃ、オレは、そろそろ行く。ごちそうさま、寿々奈さん」

 正午が先に出発し、鷹乃は朝食の後片付けをする。智也は宿題をまとめようとして、正午が宿題のワークブックを忘れていったことに気づいた。

「まったく、あのお坊ちゃんは…」

 文句を言いながら正午の分もカバンに入れて、出発の準備を整えた。

「行こうか、鷹乃」

「ええ」

 二人して玄関を出て、駅へ向かう。すぐに彩花と唯笑に出会った。

「おはよー♪ トモちゃん、鷹乃ちゃん」

「よう」

「おはよう、今坂さん」

 鷹乃は唯笑に挨拶を返して、彩花の方は見ないようにする。彩花も鷹乃を相手にせず、智也に近づいた。

「智也、おはよう」

「よう、彩花」

 挨拶を返した智也の腕に鷹乃が腕をからめた。まるで、これは自分のものよ、と主張する子供のような露骨さで、彩花はうんざりした気分になる。

「ねぇ、智也。あの魔法陣、なによ?」

「ああ、あれはな、とある外国の強力な魔術師に描いてもらった。対悪魔用の進入禁止表示だ。いいセンスだろ?」

「いいセンスというか、触ったら本当に火傷しそうな気配がするくらいリアルね」

「うむ、恐ろしい魔術師だ。気をつけた方がいい。彩花の学校にいるぞ」

「…あいつか……あの帰国子女…」

 彩花は詩音のことだと、すぐに悟った。

「まあ、どうでもいいわ。そろそろ電車が来るから、これだけ渡しておくよ」

「おう」

 智也は生活費の入った封筒を受け取ってポケットに入れる。彩花と唯笑は澄空学園の方へ行く電車に乗り、智也と鷹乃は反対のホームへ渡った。

「これ、鷹乃に渡しておく。メイン食費だから、ここから出してくれ」

「ええ、わかったわ。これで一週間分ね」

 鷹乃は受け取った封筒を大切そうにカバンに片付ける。すぐに二人が乗るべき電車もホームに入ってきたので乗り込んだ。朝の満員電車ゆえに鷹乃と智也は身体が触れ合うくらいの距離で立つ。智也が吊革をもち、鷹乃の背中を抱いて安定させる。

「…あ…ありがと…」

「鷹乃って……ホント可愛いよな♪ いい女だ」

 鷹乃の耳元で囁いたけれど、すぐ隣の乗客には聞こえている。

「暑苦しっ」

 すぐ隣に乗っていた木瀬歩が智也に聞こえるように言い放った。電車の中でイチャつく先輩への軽い警告だったが、逆に智也を挑発することになる。

「鷹乃」

「……………」

 鷹乃は呼びかけられ、見つめられて、その視線の意味を理解できるくらいに智也と時間を過ごしてきている。少し迷ったけれど、目を閉じた。

「「………」」

 智也が鷹乃へキスをする。

「っ…」

 歩が顔を赤くして、目を背けた。

「なんちゅー…バカップルや…」

「どうかしたのですか?」

 歩の隣にいた藤原雅が問うと、歩は顎で示した。

「……あきれた……、……なんと見苦しい……」

「あんたの古風な喋り方も、ビミョーやけど、あいつらの先進的すぎる行為も、あきれ大賞もんやで」

「先進的という言葉の使い方を間違っています。ただの野蛮で下品な猿です。目が穢れました」

 雅も顔を赤くして目をそらしながら、言い放った。雅の声は大きかったので、周りの乗客にも聞こえ、もともと高校生カップルの電車内でのキスをこころよく思っていないので無言で同意している。さすがに鷹乃が居心地悪く感じ、続けていたキスをやめようと少し引いたけれど、智也は続けようという意思を背中に回している腕の力加減で伝え、それが伝わった鷹乃は拒否せず、身をまかせる。

「……………ほんま……バカップルや……」

「……犬畜生でも、場をわきまえるでしょうに……………。いい加減になさい!!」

 耐えきれなくなった雅が威厳のある声で怒鳴った。

「公衆の面前でっ! 破廉恥な!! 恥を知りなさい!!」

 祖母譲りの叱り方は苛烈で、さすがに智也もキスをやめると雅を見る。

「先輩に向かって容赦ないな、君は」

「あなたのような猿を先達とは思いません!! 汚らわしい! 同じ学校の制服を着ているかと思うと吐き気がします! 猿は猿らしく山にでも入っていなさい!!」

「猿か……だが、神は知恵の実を食べるなとアダムにいった」

 智也独特の話のそらせ方をされて、免疫のない雅が勢いをそがれた。

「? ……だから何だと言うのです?!」

「もしも、アダムが知恵の実を食べていなかったら、恥を知ることもなかった。神の思し召しは、仲良きことは美しきかな、隠さず見せろということではないか?」

「っ…………」

 聖書の内容を知っている雅は思わず考え込んでしまう。たしかに知恵の実を神の命じるままに食べていなければ、人は今でも楽園にいて、裸で過ごし、包み隠さず暮らしていたことになるけれど、そのようなことを神が望むでしょうか。蛇のそそのかしに惑い、アダムを誘ったイブは愚かな女であり、その女に誘われた男も愚か、ちょうどパンドラの箱と同じく、いつも女が愚かなことをして厄災を招く、けれど、この男の言い様が正しいとは私には思えないのに、理屈にはなっている。

「アホちゃうか! 屁理屈を言うんやない!!」

「そ、そうです! 屁理屈を言うのはやめなさい!」

「屁理屈も理屈。表現の自由だ♪」

「そんなもんは自由やない! 公然わいせつや!」

「そうです! 穢らわしい!」

「公然わいせつってのは、キスくらいじゃ成立しないぞ。だから、みんなバカップルのキスを内心で不愉快に思いながらも、見て見ぬフリして諦めるんだ。これぞ、内心の自由♪ 釈迦の諦観♪」

「どこまでアホやねん! 不愉快に思われてる思うんやったら、せんかったらええやろ! ドアホ!!」

「したいから、した」

「あんたは子供か?!」

「うむ、純真な子供心だ」

「邪念だらけやんか!」

 歩と智也のかけ合いが漫才じみてきたので、雅は無視して鷹乃に問いかける。

「あなたは、そのようなことで良いのですか? 恥を忘れ、道理に背いて、売女の如く浮き名を流して生きていくことを心やましく思わないと?」

「……………………。そうね」

 鷹乃は雅の視線を受けとめて、見つめ返した。

「子供のあなたにはわからないわ。いつか、わかるかもしれないけれど、永遠にわからないかもしれない。わからない方が幸せかもしれない。でも、今の私は幸せだと思っているし、もっと幸せになれるよう努力しているわ。その有り様が、あなたの目に醜く映るとしても、私にとって、どうでもいいことよ。孤児が餓えて死んでいると知っていても、私たちはお昼ご飯を美味しく食べられるでしょう? それと同じよ」

「……それと……これとは……」

「同じよ、みんな無神経だもの。とくに他人の不幸と痛みには。それとも、あなたは一つも不幸なことがなく育ってきたの? とてもキレイな人生なの?」

「わ、…私はっ…。私だって……それなりの苦労は…」

「あなたの不幸に私は興味ないわ。だから、私のことに口出しするのもやめてくれないかしら。……いいえ、あなたの口出しも、あなたの不愉快も私にとって恋人の求めるキスに応じることに比べたら、芥子粒ほどの意味もないこと。あなたは私にとって、どうでもいい存在、捨てた子供と同じ」

「っ……。話が……違います…」

 雅が返答に困っているうちに、浜咲駅に到着した。降車した後の、人の流れで雅と歩は智也たちから遠ざかり、それ以上の口論にはならないけれど、二人とも忌々しさが残る。

「ホンマ腹立つわ!」

「………」

 雅も無言で同意しながら、学校へ続く坂道を登る。

「女も女や!」

「あの人は水泳部の主将ではなかったでしょうか?」

「ああ、せや。この前まで男を寄せ付けん感じやったよーな気がするのに…」

「すっかり手込めにされたということでしょう。所詮、くらだない愚かな女だったということです。男と似たような意味不明の理屈を並べて…」

 言い捨てる雅を同じように登校中だった舞方香菜が呼び止める。

「今、言ってたのは鷹乃センパイのことなの?」

「「………」」

 歩と雅が振り返ると、香菜が睨んでいる。交友関係が広くて友人の多い歩が、一学期の記憶をたぐり香菜が水泳部だったことを思い出した。キャプテンの悪口を言われて怒るのは理解できるけれど、歩たちにも理由はある。

「ああ、せや。あの淫乱女のことや」

「っ…」

 香菜が頬を硬くした。

「なんぞ文句でもあるん?」

「今すぐ取り消してください」

「そー言われてもなぁ、藤原さん」

「そうですね。私たちは根拠なく愚弄していたわけではありませんから、評価をあらためるつもりはありません」

「………。何も知らないくせに……」

「あなたこそ、知らないのではないですか。あの女の本性を」

「せや、あいつ、電車ん中で男とからんどってんで。みんなが白い目で見てんのに、チューしてアハンウフンイチャイチャと…っ!」

 歩は言い終わる前に、香菜から頬を叩かれた。

「痛っ! なにさらんじゃっ?!」

「すいません。手が勝手に」

 香菜は謝ったけれど、本質的には謝っていない。歩の顔が怒りで真っ赤になる。

「ざけんなーっ!」

 叩き返そうとする歩の手を香菜は素早く避けて、右手に持っていた「美味しい紅茶の淹れ方128通りと129の応用」というぶ厚い本で歩の顔を叩く。鈍い音がして、歩は鼻血を吹きながら倒れた。

「木瀬っ?! いきなり何をするのですかっ! この狼藉者!」

「淫乱女なんて言葉、センパイに使っていいと思うの?」

「だからといって暴力をっ!」

「あなたも同罪だけど、取り消すなら、見逃してあげる」

「誰がっ!」

 売られたケンカはすべて買い取る雅が、本を持っている香菜に対抗するため、扇子を抜いた。

「高そうな扇子ね」

 香菜が無防備に接近すると、雅は本を持っている右手を痺れるほど強く扇子で打つ。本は地面へ落ちたけれど、次の瞬間には香菜が左で強烈な肘打ちを雅のみぞおちへ決め、そのままコンボで裏拳で顔面を叩く。歩と同じように鼻血を吹いた雅はみぞおちを打たれた苦痛で足に力が入らず、うずくまった。

「ぅぅ……ぅ…」

「藤原さん……くそっ!」

 歩が手で血を拭いて香菜を睨む。

「お前なんぞ! 薙刀があったら一瞬で倒したるのに!」

「…………」

 香菜は打たれた右手を少し揉むと、落とした本を拾って埃を払い、もう二人に興味はないとばかりに背中を向けた。その態度に歩は息ができずに苦しんでいる雅を支えながらも怒鳴らずにはいられない。

「不意打ちしよって! 卑怯もん!」

「………」

「正々堂々勝負せんかいっ!」

「……。登波離橋」

「はぁ?!」

「放課後、登波離橋の下にいなさい。遊んであげる」

「登波離橋やな!」

「逃げてもいいのよ」

「あんたこそ! 絶対きぃや!」

「ごきげんよう」

 罵る歩に、肩をすくめて香菜は立ち去った。

 

 

 

 登校したカナタは教室には行って、すぐ正午を見つけた。正午は自転車で坂道をあがってきたので息を切らして休んでいる。

「…………」

 カナタは少し観察したけれど、新しい彼女らしき女子は正午のまわりにいない。一人だけ気の弱そうなクラスメートの女子が正午の前に座っているが、それは単に席順から、その女子の席であるだけで正午とは関係ない。

「……………………」

 カナタが黙って正午へ近づくと、座っていた女子は席をゆずるように立ち上がった。カナタと目を合わせることなく、たんに用事があるので立つだけ、カナタに席をゆずったわけではないので、お礼を言ってもらう必要もないです、という態度で教室を出て行った。

「…。ハーイ、ショーゴ♪」

「ああ、おはよ」

 微塵の屈託もない挨拶を返した正午は、二秒ほど考えてカナタと恋人関係を解消したことを思い出したが、無視する必要もないと考え、いつも通りに前席へ座ったカナタに立ち去れとは言わない。その正午の思考過程をカナタはすべて見透かした上で、単刀直入にせめてみる。

「で、ショーゴの新しい彼女は、どこ?」

「……。さあ♪」

 はぐらかした正午の反応から、この教室内には彼女がいないとカナタは察した。もしも、彼女が教室内にいるなら、こうしてカナタが普通に接してきた時点で正午は距離を置く対応をとったろうし、カナタが教室内を見回しても視線をぶつけてくる女子も、逆に不自然に目をそらしている女子もいない。葉夜は遅刻のようで、まだ登校していないし、果凛とは目が合ったけれど、いつも通りの自然なアイコンタクトが返ってきただけだった。

「……」

 りかりんのあれが演技なら、超一流の女優になれるけど、りかりんが彼女ならショーゴが何か言うはず、カナタは立ち上がって正午の背後へまわった。

「……………………」

 ちっ、どうしてかな、こんなアホなヤツなのに抱きつきたくなるよ、カナタは男の背中を見つめて胸を痛めた。悔しい、好きでいることが悔しい。

「………………」

 カナタが正午の背中を見つめ続けていると、智也が教室に入ってきて、ワークブックで正午の頭を叩いた。

「痛っ…」

「忘れ物だ」

「あ!」

 せっかく完成させた宿題を忘れていたことに気づいた正午が智也に礼を言う。

「サンキュー。やばかった」

「ホントにお前はアホだな。他にも大切なこと忘れたりするなよ。お、黒須。なんだ、もう仲直りしたのか」

 智也が正午のすぐ背後にいたカナタを見て二人の仲が修復されたのだと思ったが、正午が否定する。

「してない。こいつとは別れた」

「と言ってるから、そーゆーことみたいよ♪」

「お前らのケンカは、いつものことだから、どうでもいいけど、ケンカしすぎじゃないか?」

「カナタがケンカを売ってくるからだ」

「アタシは薄利多売がモットーなの♪」

「お前らなぁ………ま、いいや。ちょっと黒須に相談があるんだ。鷹乃と加賀には秘密で」

「なんでオレには秘密なんだ?」

「加賀は口が軽いし、うかつだからな」

「ぅ………」

「ちょっと黒須を借りるぞ」

「それはオレのものじゃないから、好きに持っていってくれ」

「黒須、ちょっといいか?」

「いいよ♪ アタシはショーゴのものじゃないらしいから、好きにして」

「……。お前ら、仲いいな。ちょっと相談なんだが…」

 智也とカナタは正午から少し離れて離す。

「鷹乃の誕生日が明後日なんだ」

「なるほど♪ 話の先は読めたよ。どんなプレゼントが女心を熱くさせるか、ね?」

「察しがいいな。でも、物は決めてるんだ。ただ、それのサイズがわからなくてさ」

「う~……ってことはリング?」

「頭のいい女だな」

「もっと褒めて♪」

「顔もいいな」

「もっともっと褒めて♪」

「調子に乗りやすいな」

「もっともっともぉっと褒めて♪」

「殺しても死にそうにないな」

「もっともっともぉ~っと褒めて♪」

「オレは話を先に進めたい」

「鷹ちゃんにナイショで鷹ちゃんの指のサイズが知りたい?」

「……本当に頭のいい女だな」

「まあねン♪ じゃ、始業式の後にでも鷹ちゃんに会いにいくよ。完全にピッタリは無理だけど、だいたい合うくらいはサイズを特定してあげる」

 カナタはこころよく引き受けた。そして始業式が終わると、果凛に話しかける。

「ハーイ♪ りかりん」

「はいさ」

「ちょっと、りかりんの指輪を貸して」

「……何に使うの?」

「智也が鷹ちゃんにリングをプレゼントするんだって。そのサイズ合わせ。ちなみに、これはサプライズだから、秘密」

「それなら仕方ないわね。これ、お爺ちゃんの形見だから無くさないでよ」

 果凛は少し心配そうに遺品をカナタに預けた。受け取ったカナタは図書館へ行き、手相占いの本を探し始める。本棚を巡り、雑学のコーナーに着くと、いのりに出会った。

「あれ、いのっち?」

「っ?!」

 いのりは不意に呼ばれて、驚き大慌てで読みふけっていた「ナゾナゾ大百科」を背中に隠した。

「な、なに、カナちゃん…ど、どうして、ここに?」

「アタシも図書館くらい使うよ。それより、いのっちは何を隠したのかな?」

「な、なんでも、ないよ!」

 いのりは背中に隠した本を見られないように本棚と背中を密着させる。長い髪が周囲を覆ってくれるので見ようとしても見られないようになった。

「ふーーん♪ なんでもないのかぁ♪」

「うん、なんでもないの」

「じゃあ…」

 カナタは周囲を見回して本棚に囲まれている自分たちが他の生徒から見えない位置にいることを確認すると、いのりの胸を揉んだ。

「きゃっ!」

「図書館では静かにしてください♪」

「だって、カナちゃんが…」

「うん、なんでもないよ。なんでもないことだから、気にしなくていいよ」

 と言いつつ、いのりの胸を楽しむ。いのりは両手で「ナゾナゾ大百科」を背中に隠しているのでカナタに抵抗できない。ネタ本を知られることは絶対に避けたかった。

「いのっち♪ 愛してる♪」

「……………………そーゆー冗談はやめて……ショーゴ先輩とは、話せたの?」

「ひどいこと言われた。くすん」

 いのりの胸を楽しみながら、カナタは泣き声をつくる。

「何を言われたの? って、おっぱい揉むのやめてよ」

「他の男子に向かって、もうオレの女じゃないから好きにもっていけって……ぐす…」

 カナタが目を潤ませ、いのりに抱きついた。

「カナちゃんに……そんな、ひどいこと……」

「もう、アタシなんてショーゴの言うとおり、その男子に好きにされちゃった方がいいのかな…」

「そんなバカなこと言わないで」

 いのりは本を隠すのをやめて両手でカナタを抱き返した。

「そんなことしたら、カナちゃん、もっと傷つくよ。冗談でもそんなこと考えないで」

「……いのっち……やさしいね…」

 カナタが顔を近づけてキスをしようとしてくるので、いのりは顔をそむけた。

「そ! それとこれとは違うから! 私に変な慰めを求めないで」

「一回だけ」

「……」

「一回だけ、チューしたら元気もらえるから。ね、お願い」

「……………………」

 いのりは困った顔をして、周囲を見る。誰も二人を見ていない。

「………こーゆーこと……これで最後にしてよ…」

「いのっち♪」

 カナタが後輩に唇を重ねる。

「ぅっ…」

 いのりは舌を入れられて呻いた。軽いキスしか覚悟していなかったのに、カナタは深くて長いキスをしてくる。逃げようとしても髪ごと頭を捕まえられてキスから逃げられない。

「ぅぅ……ぅ…」

「ごちそうさま♪」

 やっとキスが終わった。カナタは頬を少し赤くして、いのりは少し青ざめている。

「………」

 やっぱり気持ち悪い、いのりは口に残った同性とのキスの感触を不快に感じ、口を漱ぎたくなった。今すぐ唾を吐き出して、うがいしたいけれど、図書館の床に唾を吐くことも、キスの相手の前で唾棄することも憚られて、いのりはハンカチで唇を拭くフリをしながら、飲み込まずに溜まっていた二人の唾液をハンカチへ染み込ませて誤魔化した。

「ありがとう。いのっち♪」

 カナタは気が済んだようで、雑学コーナーから手相占いの本を借りると、いのりに投げキッスをしてから図書館を出ると、鷹乃がいる教室へ入る。

「ハーイ♪ 鷹ちゃん」

「……その呼び方、できれば、やめてほしいわ」

「検討しておくね。ちょっとさ、お願いがあるんだけど」

「何かしら?」

「最近、アタシ、手相占いにこってるの。ちょっと占わせて♪」

「つまらないことをしているのね。占いなんて何の科学的根拠もないわよ」

「風水には建築学的な合理性があるって最近になってわかったよね。漢方にも医学的効果があるって見直されてる。いつか、手相占いにも確率論的な評価が証明されるかもしれないよ? それを否定できるほど、鷹ちゃんは今の科学が完璧だと言い張るの?」

「………。……屁理屈がうまいのね」

 言い負かされた鷹乃は手を出した。カナタは手相を見るフリをして自分の指との太さの違いを目算する。

「うーーん……生命線は長いね………家庭運は…」

「聞きたくないわ」

「え?」

「黒須さんが占うのは勝手よ。でも、その結果を私は聞きたくないの。黙って占って結果は教えないでちょうだい」

「……それはまた……ずいぶんと面白味のない……」

「どうせ、あることないこと、面白おかしく言い募るでしょ。聞きたくないわ」

「きゃは♪ ご名答」

「ふざけた人ね」

「まあまあ、そう言わず、ちょっとこのリングをはめてみて」

 カナタは果凛から借りてきたリングを鷹乃の指へ通してみる。

「この指輪は何なの?」

「占いのアイテム♪ う~ん、ちょっとキツいかな。無理にはめると抜けなくなりそう。鷹ちゃんって指輪は9号くらい?」

「知らないわ。そんなもの買ったことないもの」

「そっか。はい、占いおしまい。占いの結果は聞かないってことでいいの?」

「ええ」

「ホントに?」

「ええ」

「……。いいことがあると、いいね」

 カナタは指輪と手相占いの本を持つと、やや離れた場所で鷹乃とカナタのやりとりを見ていないフリをしつつ、南つばめと交際をはじめた翔太をからかっていた智也に耳打ちする。

「智也、だいたいわかったよ。アタシよりワンサイズ上くらい」

「……それってLとか、M?」

「………。智也って指輪を買ったことないの?」

「ない」

「いつ、買うつもり? 今日の放課後なら付き合ってあげてもいいよ?」

「頼む」

「んじゃ、鷹ちゃんに見つからないように藤川の広場に集合ね」

「悪いな。加賀とケンカ中なのに」

「いえいえ、どーぉーせ、あのアホは、もうしばらく臍を曲げたままだから、いいよ。じゃ、二人バラバラに藤川へ」

「おう」

 智也はカナタと翔太から離れ、鷹乃に話しかける。

「今日もバイトだから帰りは遅くなる。悪いけど、鷹乃は先に帰っててくれ」

「わかったわ。………黒須さん、あなたに何を話していたの?」

 しっかりと内緒話をしていた雰囲気は知られていたようで問われたが、智也はウソつきのベテランとして動じない。

「ああ、中森が教師と付き合い始めたこと、なるべく知られないようにしないとマズいってことと、その対策を考えようって話だ」

「そう。そうね。教師と生徒なんてバレたら問題だもの」

 鷹乃は納得して帰り支度をする。智也はバイト先の嘉神川食品へ行くフリをして、藤川に行き、カナタと合流した。

「智也って、無計画にお金をつかうって彩っちが文句言ってたけど、今日の予算は、いかほど?」

「3万ちょい。バイトで貯めた」

「ふーん♪ 彼女のためにバイトねぇ。熱いねぇ、カッコいいねぇ」

「もっと褒めろ」

「ヤダ♪」

「………」

「3万ってことは、ファッションリングが、せいぜいね。誕生石は九月だからサファイヤかぁ……石つきで3万以内のがあるといいね」

「ああ」

 智也は相談相手にカナタを選んだことを正しい人選だったと確信しつつ、宝石店に入ろうとしたが、カナタが止めてくる。

「智也、このランクの店に、10万円以下のリングはないよ。あっちの店がベスト」

「さすがだな。よく加賀と来るのか?」

「さあ?」

「あいつはボンボンだからな。ねだれば高いの買ってくれるだろ?」

「……。一応さ、ケンカ中だから、あのアホのことは思い出したくないわけ。Ok?」

「わかった。加賀の話はしない」

「よしよし」

 カナタは安価な貴金属店へ智也を案内して、予算内で買えそうなサファイアリングを探し始める。すぐに店員が近づいてきた。

「彼女さんにプレゼントですか?」

「「……」」

 店員が二人の仲を勘違いしていると気づき、智也とカナタは目を合わせ、照れもせずに答える。

「まあねン♪」

「まあ、そんなとこだけど、予算は3万円で」

「では、こちらのリングなど、いかがでしょうか? 彼女にお似合いですよ」

「「…………うーん……」」

 示されたリングを見てカナタと智也は鷹乃をイメージしてみる。店員はカナタをイメージしているので、少し似合わない気がする。

「もうちょっと、落ちついたデザインがいいかな♪」

「では、こちらは、いかがでしょう?」

「うん。はめてみていい?」

「どうぞ」

 カナタは指輪をしてみる。自分で見つめ、それから智也に見せる。わざわざ鷹乃と同じようなポーズまで取ってみせるところが、芸能人だった。

「どう? 私に似合うかしら?」

「ああ、いいと思う。これにしよう。サイズは、どうだ?」

「サイズも、これでいいと思うから決まりね。29800円♪ バイト代でのプレゼントなら、いい値段」

 思ったより早く予算内で良い品が見つかり、指輪を買って店を出ると、カナタが小悪魔の微笑みを浮かべた。

「お腹空いた♪」

「………。おごれと?」

「相談料、モデル料、口止め料♪ 予算は3万ちょいだったよね? つまり、ちょい余ってる」

「……。鷹乃って、ああ見えて嫉妬深いから、あんまり他の女と店に入ったりするの、避けたいんだが……」

「鷹ちゃんにはバイトって説明したのに、今すぐ帰るとつじつまが合わないね」

「時間つぶしなら、いくらでも…」

「暇つぶしでゲーセンに貢ぐのと、ステキな相談相手にお礼をするの、どっちが大切?」

「………」

「今後も女心について相談したいことが、できるかもしれないね?」

「……。ワックでいいか?」

「ヤダ、アタシの健康美が損なわれる」

「………。澄空駅前に福々亭ってラーメン屋があって、美味いらしいぞ」

「ラーメン………ラーメンって気分になれる?」

 カナタは九月一日の真夏並みに降り注ぐ日光を見上げた。

「たしかに、暑いな…」

「どうせ、澄空に行くならシナモンって喫茶店が美味しいらしいよ」

「わかった。黒須には恩もできたし、恩は利子がつかないうちに返しておく」

「うむ♪」

 満足そうに頷いたカナタは智也と澄空へ向かった。

 

 

 

 雅と歩は登波離橋の下で、薙刀を持って香菜を待っていた。

「くそっ、いつになったら来るねん! 遅いわ!」

「これは兵法かもしれませんね」

「………、巌流島かっ?!」

「そうです。わざと遅刻して私たちを苛立たせ、そこに隙を見出すつもりなのでしょう。ですから、あまり苛立っては、相手の思うつぼです」

「姑息な奴っちゃ! 朝も不意打ちしよって、卑怯もんが!」

「…………。ですが、木瀬。あの者が現れたとして、私たちが二人がかりで、しかも薙刀で叩きのめしたりするのは……やや卑怯な気がするのですが…」

「ん…………んーーっ……2対1で、あいつが素手やったら、せやな……単なるイジメかもしれん………ほんでも、あいつは水泳部やから河を使って攻撃してきよるかも!」

「……………………。どんな?」

「そ、そら、……潜水とか」

「……………。もしも、あの者が素手で現れたら、薙刀を一本貸してやり、1対1で勝負するというのは、どうでしょう?」

「せやな。どうせ、薙刀やったら、うちらが負けるはずあらへんねん。ほな、どっちがあいつと勝負するか、先に決めとこか。ジャンケンで」

「そうですね」

 雅と歩がジャンケンを始めようとしたとき、周囲の異変に気づいた。

「……木瀬……」

「こいつら……なんやねん…」

 二人がいる登波離橋の下を左右から包囲するように、外国人が近づいてくる。それも二十人くらいの大人数が、包囲網を狭めるように二人を囲んできている。その全員が棒きれや鉄パイプを持っていて、顔には敵愾心が見てとれる。

「木瀬……どうしたら、……よいでしょう…」

「そ、……そんなこと……うちに訊かれても…」

 雅と歩はお互いの背後を守るように背中合わせになった。

「わ……私たちの武器の方が、長いのです……なんとか……」

「せ、せやけど……この人数相手に……」

 外国人たちは何か怒鳴り散らしながら、二人を囲んでいるが、英語でもない言葉を聞き取ることはできなかった。ただ、激しい怒りだけが伝わってきて、背中を合わせている二人は背筋に冷や汗が流れるのを感じた。そんな二人を、せせら笑うように外国人たちの背後から香菜が呼びかけてくる。

「鷹乃センパイを侮辱した罪、身体で払ってもらうね♪ お姉様、お願いします」

「この二人が鷹乃を」

 香菜の隣には詩音がいた。冷たい仮面のような顔で雅と歩を見ると、氷のような微笑をたたえた。

「私は一度、日本人をとことんイジメてみたかったのです」

「はい、こっちのソバカスは関西弁で、こっちの赤いのは武家風ですよ。どちらも典型的な日本人♪」

「それは楽しみですね。どんな声で泣くのか」

「……う……うちらに……なにする……気やねん…」

「ひ…卑怯者……こんな大人数で…」

 歩と雅が抗議すると、詩音は仮面の微笑を冷笑に変えた。

「この方々はペルー人労働者です。日々、低賃金重労働に耐えながら本国の家族へ仕送りし、日本の製造業を底支えしているというのに、いつも差別を受け、簡単に使い捨てられてしまうことを不満に思っていらっしゃいます」

「そ、そんなこと! うちらに関係ないやん!」

「関係ないと思っている、その傲慢さ………。この方々には、お二人が外国人を差別する団体の会長と副会長の娘だと言ってあります。差別と低賃金は、すべて、その架空の団体が悪いと。その怨みは二人に向けなさいと」

「「っ………」」

 ようやく歩と雅を包囲して怒鳴り散らすペルー人たちの怒りが殺気を感じるほど激しいことに合点がいった。

「う……うちらに……何する気…や…」

「殺さない程度に、手足を折って顔を潰して……あ、その前に日本人を代表して、ご奉仕させましょう。人種は違っても、男と女、ODAを身体で払ってください」

「「ひぃっ…」」

 雅と歩は背中を合わせたまま、ずるずると座り込んで震えた。まだ16歳の二人は激怒する外国人たちに囲まれて、心の底から恐怖して腰が抜け、抱き合って怯えることしかできなかった。

 

 

 

 鈴は買ったばかりのバイクでアルバイト先のシナモンへ飛び込んだ。

「ヤバッ! ギリギリ!」

 出勤時刻ぴったりにタイムカードを打刻して、更衣室のない狭い事務所でライダースーツを脱ぐ。タオルで汗を拭いてから、可愛らしいシナモンの制服を着ると、フロアへ出た。

「鈴ちゃん、2分遅刻よ」

「遅くなって、ごめん」

「3番テーブル、オーダーお願い」

 すぐに交代を待っていたアルバイト仲間から引き継ぎを受けてテーブルへ向かった。

「ご注文はお決まりでしょうか?」

「おすすめピザとトマトのパスタ、オレンジペコのアイスティー、あと、抹茶ミルクフラッペ」

 カナタが楽しそうに注文すると、智也が文句を言う。

「そんなに喰うのか。太るぞ」

「だって、ここのピザとパスタは美味しいらしいよ。半分は残して智也に食べさせるから、太らないし」

「おまっ…、……オレはアイスコーヒー。以上で」

 抗議が面倒くさくなった智也は諦め、鈴は注文を復唱する。

「はい、おすすめピザとトマトのパスタ、オレンジペコのアイスティー、抹茶ミルクフラッペ、アイスコーヒーですね。コーヒーの銘柄はアメリカンでよろしいでしょうか?」

「ああ。ブラックで」

「はい、かしこまりました。抹茶ミルクフラッペは食後の方が、よろしいでしょうか?」

「………」

 カナタは駐輪場に駐まっている鈴のバイクを見ていて答えない。本来なら従業員は建物の裏側に駐めることになっているが、遅刻しそうだったので表に駐輪している鈴のバイクは新品らしく夏の日差しを反射して輝いている。それを見つめるカナタの目も好奇心で輝いていた。

「おい、黒須。かき氷は食後の方がいいのか?」

「あ、うん。食後で。……、あのバイクって、お姉さんの?」

「はいっ」

「カッコいいね」

「はいっ。…、あ、いえ、それほどでも…」

 嬉しくて思わず笑顔になった鈴は赤面して、接客モードに戻る。カナタは好ましく想って微笑んだ。

「別に謙遜しなくていいじゃん」

「……そうですね。褒めてくれて、ありがとう。お二人は浜咲の生徒さんですか?」

「まあねン♪ ここって澄空の縄張りみたいね」

 カナタは他の客を見て、自分たちの制服が目立っていることに気づいた。学生客のほとんどが澄空学園の制服を着ている。他校の生徒はカナタと智也だけだった。

「縄張りということはないですが、もしも、からまれたら呼んでください。一喝してやりますから」

「あははっ♪ お姉さん、カッコいい」

 笑うカナタに一礼して鈴はオーダーを厨房へ通しに行く。智也は宝石箱を開けて買ったばかりの指輪を確かめる。

「鷹乃、喜んでくれるかな」

「誕生日にリングをもらって喜ばない女の子がいるとしたら、くれた男のことを嫌いか、金属アレルギーか、ね」

「まあ、そうだろうけど……」

「………」

 カナタは智也の額に残る傷跡を見つめた。

「香菜ちゃんにやられた、その傷。それ、きっと残るね」

「ああ……、鷹乃には悪いことしたから…」

「けど、今は付き合ってるんだし、ぜんぜん結果オッケーなんじゃない?」

「………ああ、…まあ…」

「香菜ちゃん、キレると怖いよね」

「…………。加賀と黒須って、初めてのとき、どんなだった?」

「セクハラな質問♪ ショーゴの話はしない約束だったよね」

「あ、悪い」

「まあ、いいよ。アタシも想い出したし。ん~……あれはねぇ、みんなで行った花火大会を途中で二人、抜け出して、部屋に戻って、アタシから誘ったかな♪ シャワー浴びて熱くなった身体を冷たいフローリングに、ころんと寝転がって、ちょっと上目遣いにショーゴを見つめたら、限界きたみたいで襲ってきた♪」

「それで襲われなかったら、完全に脈無しだな」

「……。意外と奥手だよね」

「中三だからな。むしろ、黒須がすごすぎる」

「彩っちが同じことしたら、襲った?」

「………。たぶん、欲望に負けるな」

「唯笑ちゃんが同じことしたら?」

「唯笑は、しそうにない。っていうか、唯笑がしたら頭の病気になったのかと思って心配する」

「ふーーん♪ 智也の中で、唯笑ちゃんは絶対的に純真な女の子なんだ♪ へぇぇ♪」

「なんだ、そのニヤニヤ笑いはっ!」

「別に♪」

 カナタは笑ったまま、鈴が運んできてくれたパスタとピザを食べ始める。智也もピザを一切れ、頬ばった。

「美味いな」

「うん、美味しい♪ ふふっ♪ 智也は唯笑ちゃんを、そーゆー風に思ってるわけだ。ふーん♪ へぇぇ♪」

「だから、なんなんだよ、そのニヤニヤは!」

「べぇつぅにぃ♪ うん、パスタも美味しい」

「………………」

「唯笑ちゃんは、いつまで経っても純粋なんだよね?」

「…………ムカつくなぁ……」

「唯笑ちゃんがエッチに男の子を誘うなんて、ありえないよね? きて、トモちゃん。唯笑を大人にして。やさしく色々して、トモちゃん」

「唯笑を汚すなっ!!」

 智也の声が大きかったので店内で目立ってしまったのに、ストレートな怒りを見せた智也の反応が面白くて、カナタはからかうのを続ける。

「唯笑ちゃんは汚すと怒るのに、鷹ちゃんは汚したんだ?」

「お前は、どこまでムカつくことを…………」

 智也は拳を握った。けれど、さすがにカナタを殴ろうとはせず、無視を決め込む。

「……………」

「彩っちに誘われたら襲うし、鷹ちゃんは誘われなくても襲う。なのに、唯笑ちゃんは誘ってくることも想像しちゃいけない♪ 汚れなき少女」

「……………………」

「いつまでも子供のまま♪ 大人の女になんか、ならない。エッチなんて絶対しない。そんなこと考えない。可愛い可愛い唯笑ちゃんは、いつまでもいつまでも、オレの幼馴染み。だから、彩花が好きになってくれてデートに誘ってきたけど、唯笑ちゃんを傷つけないよう、どっちも選ばなかった。そっと大切に…」

 カナタは顔面へ冷水を浴びせられた。智也は空になったグラスを置くと、カナタの襟首をつかむ。

「男だったら、とっくに殴ってる。女でも、あと一言しゃべったら殴る」

「っ…………………………、………ごめん」

「……。さっさと喰えよ。帰るぞ」

「ごめん、………ごめんなさい」

 カナタが本気で謝っているので、智也も冷静になった。

「もういい。…………タオルか、何か借りてくる」

「あ、いいよ。そんなに濡れてないから」

 もともと、グラスには半分も水は残っていなかった。少し顔と胸元が濡れただけで、手元のナプキンで十分に拭き取れる。

「………ごめん、智也……」

「もう、いいって……オレも、悪かった」

「……………ごめん……」

 拭き終えたカナタは冷めかけたパスタを口に運ぶ。美味しいとは思えなくなってしまった。

「………」

「黒須……何か、苛ついてることあるのか? さっきのは、八つ当たりだろ?」

「……………………別に……ないよ」

「いや。オレや加賀の堪忍袋の緒を読み違えてキレるまで、からかうのは黒須らしくないぞ」

「………ショーゴの話はしない約束」

「……………………」

 なんとなく苛ついている原因がわかったので、智也は追求をやめる。カナタは半分まで食べたパスタの皿を智也へ見せる。

「……もう、アタシ、お腹いっぱい。……食べてくれる?」

「ああ」

 平均的な男子高校生なら、カナタの使ったフォークを手に取ることにも緊張するところだったが、彩花や唯笑とも似たようなことをしてきた智也は気がつきもせず、パスタを平らげる。ピザも無くなるタイミングを見計らって、鈴が抹茶ミルクフラッペを運んできた。

「抹茶ミルクフラッペです。以上で、ご注文はおそろいでしょうか?」

「ああ」

「……、よ、…余計なことかもしれませんが、……女の子には、優しくしなさい。…いえ、してあげるべきです……」

「見てたのか…」

「……、店内でケンカは困ります……いえ、その……そうじゃなくて……」

「店員するのか、お姉さんするのか、選べよ。何が言いたいんだ? 遠慮無く言ってもいいぞ、店員A」

「……。稲穂鈴……Aじゃない」

「で、稲穂さんは何が言いたいんだよ、オレに。いっとくけど、ケンカ両成敗って言葉もあるし、そもそも会話、全部は聞こえてないだろ?」

「そ、…そりゃ、私は他人だけど……、女の子に水かけるなんて……」

「で?」

「……………………。さ……さっきまで指輪をプレゼントしようとして、いい雰囲気だったのに、ちょっとした口喧嘩で別れるなんて、きっと二人とも後悔する! 青春は短いんだ! やり直しはできないんだ! ケンカなんてやめなさい! もったいないから!」

「「……………………」」

 ああ、このお姉さん、思いっきり勘違いしてるよ、智也とカナタは呆れつつも少し愉快になった。おかげで暗澹としていた気持ちが軽くなり、智也は立ち上がると、指輪を出してカナタの前に膝をついて捧げる。

「もらってくれないか。カナタ」

「トモちゃん、本当に、いいの?」

「もちろんさ、カナタ!」

「トモちゃん!」

 カナタも智也も立ち上がり、ワシっと大げさに抱き合った。とても、バカらしい芝居だったのに、鈴は一組のカップルを修正できたと思い、目を潤ませる。

「うん、うん、そうでなくっちゃ」

「稲穂さん、ありがとう♪」

「お姉さん、ありがとうね♪」

「そんな、私は何も…」

「ううん、お姉さんのおかげ!」

「ああ、オレたちの結婚式には、きっと呼ぶよ!」

「うん、絶対きてね! すぐ結婚するから!」

「ま……ちょっと待った! そんな性急な! もっと慎重に考えなさい」

 鈴が抱き合う二人を引き離して諭す。

「二人の気持ちはわかった。でも、世の中には、もっと知らなくちゃいけないことが、いっぱいあるんだ。まあ、落ちついて。慎重に。愛し合うって言っても、まだ二人とも若い、っていうか、子供、セックスだって軽々しくしちゃいけない」

「セッ……やだっ♪」

 カナタが両手で顔を隠して身体をクネクネさせて恥ずかしがるフリをすると、智也は爆笑しそうになって同じく両手で顔を隠して鈴に背中を向けた。その姿を見た鈴は深く感動した。

「か……」

 可愛い、なんて純真なカップル、うん、うん、やっぱり恋愛は、こうでなくっちゃ、それなのにセックスなんて露骨な単語を使った私はなんて無粋なんだ、反省しなくっちゃ、きっと、この二人はキスだって、まだしてないかもしれない。でも、訊きたい、二人のファーストキスの話があるなら、知りたい。

「け…、結婚なんて言ってるけど、二人はキスくらいしてるの?」

「っ…」

 カナタは顔を隠したまま、フルフルと首を横に振った。意識して耳を赤くしてみる。

「ア…アタシは………だ、だって、恥ずかしいもん!」

「くっ…」

 お前、それ、どんなキャラだよ、智也は腹がよじれるかと思って、立っていられなくなり、恥ずかしがる少年という風に座り込んだ。鈴は自分のせいで二人が強く意識して背中を向け合ってしまったことを反省して、事態の収拾に入る。

「私が悪かった。まあ、落ちついて。席に座って」

「「は、はい」」

 カナタは恥ずかしくて智也とも鈴とも目を合わせられないという演技をしながら、席に座る。座り方もキュッと膝をそろえて内股気味に腰かけ、両手は本能的に防御に入る少女という気分で股間に入れつつ、そのために腕が胸をよせて強調されることも楽しむ。智也も初めてのデートで緊張している男子中学生のように落ちつかない座り方をする。二人ともチラチラとお互いを見つつも、目が合いそうになると慌ててそらす演技をしながら、アイコンタクトを送る。

「……」

 おい、いつまで、このくだらん演技をするんだ、という智也の問いに、カナタはスプーンでかき氷を食べる仕草だけで、食べ終わって帰るまで、と伝える。カナタは食べ終えると、紙ナプキンにメールアドレスを書き、智也が会計を済ませるときに、そっと鈴へ手渡した。

「もし、よかったらメールほしい。お姉さんに、いろいろアドバイスしてほしいし、バイクのことも訊きたいから。……迷惑かな?」

「きっと送るから。もう彼とケンカしないように」

「うんっ」

 カナタは鈴に手を振って別れた。店から出て、しっかりと距離をとると、路上で大笑いする。

「くっははははっ!!」

「きゃはははははっ!」

 ひとしきり笑って、まだクスクスと笑いながら、涙を拭く。

「あーっ、可笑しい♪」

「可笑しすぎだ! 店ん中で吹かなかったのが奇跡だっての!」

「面白いお姉さんだったね」

「黒須だって誰だよ、あのキャラ! あ、あたしは、だ、だって恥ずかしいもん、って! どこの処女だ?!」

「あのお姉さん、きっと処女だよ、絶対」

「そうか? 二十歳超えてる感じだったぞ」

「だから、イキ遅れなの♪ 賭けてもいい。絶対処女。しかも妄想激しいタイプね。実体験ないくせに、恋愛のことばっかり考えてる脳内乙女。下手すると三十路バージン行くよ、あれ」

「ひでぇ……メルアド渡しただろ? まだ、からかうつもりか?」

「ヒマならね♪ けど、智也だって、あのキャラなに? もちろんさ、カナタ、とか。オレたちの結婚式には、きっと呼ぶよ、って浮かれバカ、どこから来たの?」

「電波だ、電波、ビビっとな。カナタ♪」

「トモちゃん♪」

「カナタ!」

「トモちゃん!」

 呼び合って、大きく両手を拡げる。

「「ワシっ♪」」

 もう鈴はいないので抱き合う演技は軽めに、身体を離して肩を抱く。

「アホね」

「うむ、アホだ」

 二人が離れて澄空駅へ向かおうとしたとき、彩花と唯笑が反対車線の歩道から見ていることに気づいた。彩花は不愉快そうに、唯笑は戸惑いながら、道路を渡って二人に近づいてくる。

「どうして、カナタちゃんがトモちゃんのこと、トモちゃんって呼ぶの?」

「やっぱり、そこなんだ? 話すと長いよ? 聞く?」

「手短に聞かせてもらえると、うれしいかな。どうせ、バカなことでしょ?」

 彩花が持っていた買い物袋を重いので歩道においた。

「お前らこそ、こんなところで何をやってるんだ?」

「文化祭の用意、っていうか、ここ、澄空の通学路だし、居て当たり前」

「唯笑、学祭の委員になったんだよ。トモちゃん」

「唯笑が臭いのいいになった?」

「むーっ! 変な言い方しないでよ!」

「格助詞をはぶいて喋るからだ。日本語は正しく使え」

 智也と唯笑が、じゃれるのを見てカナタはタメ息をついた。

「三人よると、かしましいね。あいかわらず」

「オレは女か?!」

「とりあえず、手短に話すとさ。智也が鷹ちゃんにナイショで指輪をプレゼントするのに付き合ってあげて、そこ喫茶店で休んでたら、アホっぽい店員が恋愛道を語るから、からかってたの。その演技の延長で抱き合っただけ、そーゆーこと」

 カナタの手短な説明で彩花は納得した。

「ああ、あのシナモンのウエイトレスね」

「有名なの?」

「澄空学園内だと、かなり有名。カップルで行くと、必ず観察してくるらしいよ。最悪の場合、とち狂ったアドバイスしてきたり、エッチな話してると教育的指導されたりするから、かなり評判悪いよ」

「うわぁ……変な方向に情熱を持て余してる……、まさにイキ遅れ……、面白っ、やっぱメルアド教えてよかった♪」

「それより、智也。指輪を買ったなんて、どこに、そんなお金があるの?」

「秘密だ」

「………。教えないと生活費も渡さないよ。不明朗な会計は、お母さんに報告します」

「バイトだ!」

「……ふーん……いくらくらいの指輪?」

「別に、お前に、そこまで教える必要無いだろ!」

「……ま、いいわ。唯笑ちゃん、そろそろ委員会はじまるから、行こ」

「うん、トモちゃん、鷹乃ちゃんによろしくね。カナタちゃんも、ショーゴくんにもよろしくね」

「ああ」

「またね、唯笑ちゃん、彩っち」

 カナタは神業的な演技力で屈託なく唯笑に微笑み、手を振ってから彩花たちと別れる。もう智也はカナタと行動をともにする必要はなかったけれど、少し気になるのでカナタの隣を歩く。

「……。今日は、悪かったな。余計な買い物に付き合わせて」

「別に、悪くもないし、余計でもないんじゃない? ごちそうしてもらったし。あ、ごちそうさま♪ 美味しかったよ」

「おそまつさま」

 カナタは目的もなく歩き、智也も真っ直ぐ帰るには、まだ早いので夕暮れをカナタと散歩する。気がつけば、登波離橋の上だった。

「ほたるってさ、ここで告白して、ここでフラれたんだって」

「……そうか……」

「この橋、呪われてるらしいよ」

「どんな呪いだ?」

「ここで告白したカップルは必ず別れる」

「……くだらない、……無限くだらないな」

「でも、ほたるには効いた」

「アレは伊波が悪いだけだ」

「……そーゆーことにしておきますか、トモちゃん」

「まだ、続けるのかよ」

「好き♪」

「………呪われるぞ」

「呪いは一人につき、一回かな?」

「………………。加賀と、仲直りしたら、どうだ?」

「余計な御世話」

「……、………。……そろそろ、オレは帰るけど、家まで送ろうか?」

「いい。ここで、別れよ。登波離橋で♪」

「イヤな話題の後に、選定するなぁ……」

「うん♪ 呪いよ~ぉ、トモちゃんに憑け~ぇ♪」

 カナタが怪しく指を蠢かしてふざける。

「アホか」

「アホね」

「じゃあな」

「バーイ♪」

 登波離橋で二人は別れた。

 

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