「智也が浜咲だったら」   作:高尾のり子

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第8話

 

 

 登波離橋の下で、雅と歩はドラム缶に入れられ、泣き震えながら抱き合っていた。殺さない程度に痛めつけると言っていたのに、やっぱり完全犯罪のために殺されることになり絶望していた。ドラム缶の外から、詩音の声が響いてくる。

「やはり日本の流儀なら、女子高生はドラム缶にコンクリート詰めが正しい片付け方ですよね」

「はい、お姉様♪」

 香菜の声もする。もう雅と歩は怯えきって言葉は出せず、涙と嗚咽だけを零している。不意にドラム缶が倒され、転がされる。

「やっぱり、このまま河に流して海に還ってもらいましょう。ペルーのみなさんもコンクリートを作ってもらうのは手間ですから、運が良ければ竜宮城にでも助けてもらえるかもしれません。せいぜい、お祈りしてください」

 楽しそうに転がしているのは詩音のようで声が弾んでいる。雅と歩は転がされて上下入れ替わり、もみくちゃにされながら今度は海に流されたら、どんな死に方をするのか考えてしまう。

「さてと。香菜さん、そろそろ許してあげましょうか? さっきから、泣き声が絶望的になっていますし、もう十分に反省しているでしょう」

「お姉様が、そういうなら、とりあえず今日は許してあげてもいいかな……」

「では」

 詩音がドラム缶の蓋を外して雅と歩を引きずり出した。しばらくぶりに外の光を見る二人の目がまぶしくて痛い。涙と汗で、ずぶ濡れになった二人は仮面のように冷たかった詩音の顔が少しは緩み、周囲で怒鳴っていたペルー人たちも穏やかになっていることに気づくのに、5分ほどかかった。

「ひっく…ぅぅ…お、…お許しくださるのですか…」

「う…うちらを……欺したん? ぐすっ…」

「欺したのではありません。教育的指導です」

「「………」」

 とにかく助かったのだと、雅と歩は抱き合って、また泣いた。

「ふふ♪ 怖いものでしょう。よくわからない言葉を話す異国人に周り囲まれて、助けもなく孤立する気分は、とてもとてもイヤなものでしょう?」

 詩音は満足そうに生粋の日本人2名の頭を撫でると、ペルー人たちにスペイン語でお礼と解散を告げた。香菜は薙刀を拾うと、雅と歩のお尻を軽く叩いた。

「いつまで、腰をぬかしてるの? そろそろ立って」

「ひぃっ…」

「ほんなこと……言われても…」

 よろよろと二人は支え合いながら立った。言われる通りにしないと、香菜が機嫌を損ねそうで怖い。詩音はイジメたいだけイジメて、雪辱をはらしたように何かすっきりとした顔で、むしろ、もう雅と歩には優しい笑顔を向けて気づかってくれるのに、香菜は別のことで苛ついたようで、顔が怖い。

「二人とも河に飛び込んで」

「そ、そんな…ご無体な…」

「もう…許して…くれたん…ちゃうんですか?」

「バカね。そんなカッコで帰ったら家の人に何があったのか、訊かれるでしょ。河で洗って、家の人には友達が河にはまって溺れかけたから助けたって言うの。わかった?」

「「……はい」」

 言われたとおりに二人は嘉神川で涙と汗、ドラム缶のオイルで汚れた制服を洗った。

 

 

 

 夕方、鷹乃は三上家で夕食の用意をしていたけれど、電話が鳴ったので戸惑う。

「……でる……べきかしら」

 同棲はしているけれど、電話応対するのには戸惑いを覚える。もしも、智也の両親からの連絡だったら、何を言えばいいのか、よくわからない。けれども、電話のベルは鳴り続ける。なにか、重要な用件なのかもしれない、鷹乃は受話器をとった。

「もしもし……み…三上、です」

「登波離橋」

 沈んだ重い声だったけれど、聞き覚えがある。

「……香菜?」

「…はい……声だけで、ちゃんをわかってくれるんですね。鷹乃センパイ」

 少し声が明るくなった。

「どうかしたの? 香菜が、ここに電話してくるなんて。登波離橋が、どうしたの?」

「………いました」

「誰が?」

「三上センパイと……あの女、……黒須カナタ」

「………。智也はアルバイトに行っているはずよ? 見間違いじゃないの?」

「私、こう見えて目はいいんです」

「…………。眼鏡をしていなかった?」

「伊達です」

「………………。黒須さんと何をしていたの?」

「わかりません。けれど、唇の動きを読んだ感じだと………見間違いかもしれませんが、あの女、三上センパイへ、好き、って告白したかもしれません。そう見えました。言われた三上センパイは、いい返事をした風ではなくて、すぐに二人は離れましたけど、はっきり断ったようにも見えませんでした」

「……それで、わざわざ私に教えてくれたの?」

「はい。……すいません」

「いえ、ありがとう。………香菜、…香菜は元気にしている?」

「はい。元気ですよ」

「そう、…よかった…。…詩音は? 詩音とは、会ってる?」

「はい、お姉様とは毎日」

「…………。詩音も元気そう?」

「はい、とても」

「…そう……もう、切るわね。お鍋をかけているの」

「お騒がせして、すいません」

「ううん、……また、何かあったら連絡してちょうだい」

「はい」

「じゃあ」

 鷹乃は電話を終え、夕食の準備を整えると、智也の帰宅を待った。

「…………………………………………」

 何もせずに待つ、テレビもつけず、じっと座って智也の帰りを待っていると、昔のことを思い出してしまった。ある日、帰ってこなくなった父親は、その日が来る何ヶ月か前から、だんだん帰宅が遅くなっていた、仕事だといって、家にいる時間が減っていた、それと比例して母は苛立ち、鬱になっていた。

「……………………………………」

 九時過ぎに、玄関からドアの開く音がして智也が帰ってきた。

「ただいま」

「おかえりなさい。……」

「お、美味そう♪ 鷹乃って料理うまいよな。いただきます」

 手を洗った智也はテーブルにつくと箸を持った。

「どうして……私に、ウソをつくの?」

「いきなり、何だよ?」

 智也が箸をとめて、鷹乃についているウソを思い返す。今日の放課後はバイトだと言ってカナタと買い物をしていた。そうか、彩花がチクったな、智也は舌打ちを隠してとぼける。

「オレが、どんなウソをついてるって?」

「黒須さんと会っていたでしょう」

「ああ、買い出しにいかされたとき、たまたまな。そんなことで深刻そうに問いつめてくるなよ」

「…………。黒須さん、あなたに好きだって言ったはずよ」

「ああ、あいつはトトと同じで演技派だからな。ときどき、そーゆーバカみたいなこといって男をからかってくるんだ。いちいち気にしない方がいいぞ」

「………………それだけ?」

「それだけだって、そんな深刻になるなよ」

 智也は席を立って鷹乃を抱きよせる。ウソは突き通す、ウソはウソで塗り固める、上塗りして真実を覆い隠す、智也はウソつきのプロだった。

「鷹乃、オレが好きなのはお前だけだ」

「……智也」

 鷹乃が疑うのをやめたので、智也はキスをする。ついでに、胸を揉む。服を脱がせて、また抱きしめる。食欲の前に性欲を満たす流れになりかけたけれど、抱きしめられて抱き返していた鷹乃の手がズボンのポケットが異様に膨らんでいることに気づいてしまった。

「これは、なに?」

「……」

 しまった、という顔を智也は浮かべてしまった。鷹乃がポケットから宝石箱を出して、顔を硬くする。

「これは、なによ?」

「………」

 思いつけ、オレ様、なんか、言い逃れる方法を、まだ早い、明後日じゃないとダメだ、智也は高速で思案するが、いいウソが思いつけない。黙っている智也に対して、鷹乃が苛立って問いつめてくる。

「黒須さんからもらったのね!」

「………、そーゆーことじゃない。それは……まあ、……それだ」

 なんだそりゃ、もっと、いいウソをオレに、神よ。

「なにそれっ?! どういうこと?!」

「…………それのことは、10日後に話すから、今は…」

 智也は宝石箱を取り返そうと鷹乃の手首をつかみ、誤魔化すためにキスをしようとする。

「今は、それのことは忘れておいてくれ」

「イヤよ! 説明して! 黒須さんからもらったの?!」

「………」

 黙って鷹乃を押し倒そうとしたけれど、激しく抵抗される。

「誤魔化さないで! 黒須さんから高価な物を送られたんでしょう?! 白河さんの時計みたいに! 答えてよ! でないと、開けるわよ!」

「開けるな」

 腕力では智也の方が強い、抵抗されても宝石箱を奪い返すことはできた。けれど、鷹乃は疑惑でいっぱいになり、涙を溢れさせると智也から離れて二階へ駆けあがっていった。

「……たはーっ……」

 智也はタメ息をつき、宝石箱をテレビの上においた。二階にあがると、鷹乃が使っている部屋のドアをノックする。

「入るぞ」

 開けようとしたが、中から鍵がかかっていた。

「…………。鷹乃、あれは黒須からもらったものじゃない。ちょっと事情があってオレが持ってるけど、その説明は10日ほど待ってくれ、な?」

 穏やかに話したけれど、ドアからは啜り泣く声しか返ってこない。

「鷹乃、あれはテレビの上においておいた。やましいことは一つもないから、な? ちょっとだけオレに時間をくれ」

 それでも返事がない。結局、その夜は鷹乃が部屋から出てくることはなかった。

 

 

 

 翌朝、鷹乃は制服を着て部屋を出ると、智也に声はかけず、朝食も作らず、そのまま学校へ向かった。昇降口で靴を履き替えてから、カナタの下駄箱を見ると、まだ登校していないことを確認し、その場で待つ。しばらくしてカナタが果凛と登校してきた。

「ハーイ♪ 鷹ちゃん、おはよ」

「………」

 挨拶を返さず、腕組みして険しく睨む鷹乃の反応で、カナタは事態の全容をほぼ正確に推察した。はは~ん、アタシが昨日、智也と会ってたことを誰かから聞いたね、でもって智也はリングのことは説明しなかった、だから、納得できないでアタシと直接対決しようってわけね、にしても嫉妬深いって智也が言ってたけど、ここまでストレートとは、からかい甲斐があって面白そう、カナタは親指を軽く舐めて微笑んだ。

「怖い顔して、どうしたの? 鷹ちゃん」

「人のものに手を出すのは、やめてくれないかしら?」

「ん? 何のこと?」

 カナタが空とぼけるのを、隣の果凛が肘でついて諫めてくる。果凛には借りたリングを返したときに昨日のことは話している。果凛もカナタと同様に鷹乃が怒っているわけを推理していたので、からかうのはやめなさい、というニュアンスを込めていたが、カナタは無視して靴を履き替えながら、鷹乃に挑発的な態度を取る。仕草の一つ一つを可愛らしくして、見ているのが男だったら見とれるような艶っぽい動きで腰や胸を強調する。靴を床へ置くときには、わざわざ見えそうで見えないくらい短くしているスカートのお尻を鷹乃へ向けて、脚線美と腰の細さを見せつけ、立ち上がると左手で髪をかきあげ、ほのかで上品な香水の匂いを漂わせる。当然、鷹乃が見とれるようなことはなく、むしろ本能的な危機感を刺激されて苛立ちを強くした。

「鷹ちゃんが何を言ってるのか、アタシ、ぜんぜんわからないんだけど? ふふ♪」

「…………。はっきり言えば、加賀くんと不仲になったからって、智也にすりよるのはやめてということよ。節操無しのドロボウ猫。きっと、加賀くんも、あなたのそーゆーところに嫌気がさしたのでしょうよ」

「……………………………」

「カ……カナタ、冷静に…」

 果凛は今ほどカナタが怒っているのを見たことがなかった。怒りに顔を歪めているわけでも、怒鳴ったわけでもないけれど、肩から発するオーラで果凛にはわかってしまう。煮えたぎって蒸気爆発しそうなほどの怒りが感じられた。

「誰が節操なしだって? もう一回言ってみなよ?」

 カナタが鷹乃の襟首を掴んだ。

「あなたよ!」

 鷹乃もカナタの襟首を掴む。

「ちょ、ちょっと、二人とも冷静に!」

 果凛が仲裁しても二人の耳へ入っていない。夏服が破けそうなほど、襟首を掴み合って視線をぶつけている。ただ、カナタも弱くはなかったけれど、先月まで全国クラスの泳力をほこっていた鷹乃の膂力は圧倒的で、気がつけばカナタの身体は持ちあげられ、爪先が床から離れていた。

「ぅぅ……ぅ…」

 首が絞まり、息が苦しい。悔しい。つまらない誤解で罵られたことも悔しければ、一度も正午からリングなんてプレゼントされたことないのに、智也から愛されているくせに、信じようともせずに、不確かな疑惑で自分を責めてくることも悔しくて腹立たしくて許せない。なのに、力負けして無様に吊り上げられてしまった。もう容赦なんてしない。

「このっ!」

 思いっきり鷹乃の腹部へ膝蹴りを入れた。

「くっ…」

 なのに、鷹乃は少し呻いただけで動じない。カナタの膝に鉄を蹴ったのかと思うほど硬い腹筋の感触が残っている。だったら、これで、カナタは常に持っているスタンガンで気絶させてやろうとしたけれど、その手を香菜につかまれた。

「いつも同じ手段で勝てると思うの? ドロボウ猫」

 香菜はスタンガンをカナタの手からもぎ取ると、持ち主に試した。

「あぐぅっ?!」

 電撃を受けたカナタの身体が痙攣する。鷹乃はカナタを床に落とした。

「香菜、どうして…」

「この女は卑怯ですから鷹乃センパイが心配だったんです。私も一度、このスタンガンにやられてますから」

「カナタっ! 大丈夫っ?!」

 果凛が気絶したカナタを抱き起こして、香菜と鷹乃を睨む。

「なんてことするのよ?!」

「花祭センパイ、正当防衛ですよ。先にスタンガンなんて出したのは、そこの小便タレでしょ? だらしないユルい女」

 香菜がスタンガンをあてたのが、股間だったのでカナタは下着とスカートを失禁で汚していた。それを嗤った香菜に、果凛が熾烈な怒りを向けた。

「こうまで友人を侮辱されては私も黙っていられません」

「じゃあ、わめけば?」

 香菜はスタンガンを果凛に向けて構える。その構えに隙がない。

「………………………」

「どうしたの? 花祭センパイ、さっきの勢いは、どこに?」

「くっ…」

 果凛も簡単な護身術は習っているが、どうも本格的な護身術を短期で身につけていそうな香菜がスタンガンを持っているのに、対抗できる技がない。智也をイスで殴り殺しかけた件から場数を踏んできている香菜に気圧され、果凛の腰がすくむ。

「………」

「ほら、どうしたの? お祭りお嬢さま、口だけ女なの?」

「香菜……もう、いいわ。やめてちょうだい」

「……。はい」

 鷹乃に言われると香菜は矛を納める。果凛も争う気を無くした。

「カナタ……」

「気絶している黒須さんのこと、お願いしてもいいかしら?」

「…ええ」

 果凛は校門で別れたばかりのジイヤを携帯電話で呼び戻してカナタを連れ帰る。思わぬ大きな事件になってしまい半ば茫然としている鷹乃の手首を香菜が握った。

「ちょっと来てください。お話があります」

「え…ええ……でも、授業が…」

 とっくに朝のHRが始まり、そろそろ授業という時刻だったけれど、香菜は手首を引いて鷹乃を水泳部の部室まで連れ込んだ。

「香菜、話って?」

「どうして、三上センパイなんですか?」

「………どうしてって……どうしてかしら、そうなってしまったのだもの……仕方ないわ」

「やっぱり、そういう成り行きだけの……。それなら…」

 香菜が顔を近づけてくる。

「ちょっと目を閉じてください。鷹乃センパイ」

「ええ……こう?」

 素直に目を閉じた鷹乃の唇にキスをされる。鷹乃が目を開けて、表情を曇らせる。

「……………………香菜………」

「好きです、鷹乃センパイ」

「………、……今ので……気が済んでくれた?」

「……………………」

「もう、これっきりにしてちょうだい」

 そう言って、部室を出ようとする鷹乃の前に香菜が回り込んだ。

「私は本気ですっ」

「……………。………、香菜………」

「鷹乃センパイ」

 もう一度、キスをしようと迫ってくる香菜を押しとどめる。

「やめて、香菜」

「……どうして?!」

「どうしてって………、……言わなくてもわかるでしょ? 常識で考えなさい」

「わかりません! どうして、あんな男っ?!」

 押しとどめられた香菜が押し返して鷹乃をロッカーまで追い立て、避けられないようにして強引なキスをする。

「ぅっ…」

 鷹乃は唇を割って入ってこようとする香菜の舌を拒絶して顔をそむけた。

「香菜、本当にやめてちょうだい」

「イヤです」

 香菜は顔をそむけた鷹乃の頬や耳にキスをしながら、鷹乃の制服を乱してくる。

「香菜っ! 怒るわよ!」

「鷹乃センパイ………抵抗しないで。……抵抗したら、こう、ですよ?」

 香菜がスタンガンを鷹乃の首筋にあてた。さきほど、その威力は見ているので鷹乃は身を硬くする。

「わ……私を脅迫するの……?」

「大好きです……鷹乃センパイ……」

 鷹乃の身体へのキスを続ける香菜はスタンガンを捨てて、お互いの制服も床へ落として一線を踏み越えようとする。胸にもお腹にも、下腹部へもキスをしながら、鷹乃の下着をさげようとして、上から降ってくる涙に気づいた。見上げると、鷹乃が大粒の涙を次々と零している。

「……鷹乃センパイ……」

「あなたまで………香菜まで、力尽くで……私を………」

「………。だって、……だって、あの男だって同じことをして鷹乃センパイを手に入れたじゃないですかっ?! どうして、私じゃダメなの?! こんなに鷹乃センパイのこと愛してるのにっ?! 私、鷹乃センパイのためだったら! なんだってします! 誰だって殺します! だから……だから、……だから、そんな風に泣かないで……泣かれたら……泣かれたら……」

 香菜は下着を脱がせるのをやめた。

「どうして……私じゃ……ダメ……」

「そんなこと……小学生にだってわかるはずよ。香菜は、わかりたくないだけ」

 陵辱をやめてくれた後輩を鷹乃は抱きしめて諭す。

「生き物は男と女、オスとメスで交配するのよ。もしも、私が男に生まれていたら、慕ってくれる香菜と結ばれたいと想うわ。その逆でも。でも、現実は二人とも女よ」

「そんなこと気にしないっ!」

「気にしなさい」

「………」

「香菜は、どうして男性が嫌いなの? 私も、嫌っていたから……今でも嫌いなところは多いけれど、……それでも、受け入れるべきよ。世界はそうなっているし、それに背いては幸せになれないわ」

「…………」

「香菜、私は、あなたにも真っ直ぐに歩いてほしいの。目を覚まして、香菜。それとも、それほどまでに男子を嫌う、理由があるの?」

「……………………、はじめて好きになったのは保育園の保母さん、二人目は六年生の班長さん、三人目は文芸部の副部長さん、そして、四人目は鷹乃センパイです」

「…………」

「男の子を好きになんてなったことない。なり方もわからない。いつも、好きなるのは同性です。それでも、私に男を強制するの?」

「………ええ、そうしなさい。はじめはイヤでも慣れるものよ。泳ぎだって、香菜はみるみる上達したわ。はじめは抵抗があっても、男性にだって慣れるはずよ」

「……………………………………」

「あなた、詩音にも甘えているでしょう? あれも、やめなさい」

「………………お姉様は、…………私に優しいのに…」

「詩音は優しいわ。でも、香菜と同じではないはずよ。それは、わかるわ」

「……でも…」

「詩音の優しさに、甘えるのもダメよ。やめなさい。いつか、あなたが傷つくわ。それだけでなくて、詩音も傷つけるかもしれない。香菜が、詩音を苦しめるのよ。自覚しなさい。それは罪よ。まして、あなたが本当に好きなのは私でしょう。さっきのことで確信したわ。あなたは詩音が優しいから、詩音を私の身代わりにしている。それは、とても失礼なことよ。わかるわね?」

「………………………………………………」

 うなだれた香菜は部室を出て行った。

 

 

 

 ジイヤが運転するリムジンの中で気絶していたカナタは目を覚ました。

「うう……痛っ…」

 無意識的に電撃を受けて痛む股間を押さえ、それから状況を思い出していく。果凛が心配した。

「カナタ、……大丈夫?」

「…………………。あの二人は? ……こうやってクルマで送られてるってことは……アタシは負けたんだ……」

「負けたって……そんなこと…」

「……………………」

 カナタは黙り込んで果凛に背中を向けた。

「カナタ、…大丈夫なの?」

「………。大丈夫」

「……………」

 そうは見えないけれど、こう言い出したら聞かないから、果凛は同情しないように努めながら、慰めていると気づかれないように慰めてみる。

「ショーゴくんとうまくいってないの?」

「…………」

 カナタは車窓を見つめていて答えない。

「……。ねぇ、カナタ、余計なことかもしれないけど…」

「余計だから言わなくていいよ」

「……………………」

「降ろして」

「でも……着替えも…」

「降ろして。ここでいい」

「……………………。ジイヤさん、クルマを停めてください」

 果凛がリムジンを停めさせると、カナタは一人で歩き出した。果凛が後を追うのを拒否して、一人歩きしているうちに涙が溢れてくる。それを手の甲で拭きながら歩き続けて、いのりの家に着くと携帯電話で後輩に連絡をとる。ちょうど、一時間目と二時間目の休み時間なので、いのりは受話してくれた。

「もしもし、カナちゃん?」

「うん……」

「どうしたの? 泣いてるの?」

「………うん」

 ほんのわずかな声だけで、いのりが心配してくれたのが嬉しくて嗚咽が込み上げてきた。

「ぅ……ぅっ……ひっく…」

「カナちゃん、どこにいるの? 学校?」

「いのっちの……家の前…」

「私の家? わかった。すぐ行くから、待ってて」

 いのりは言葉通りに駆けつけてくれて、陵家の門扉の影に隠れていたカナタを見つけてくれた。

「どうしたの? 何があったの?」

「ぅっ…、うっ…うわーん!」

 小学校からの付き合いがある後輩に泣きついたカナタは小学生のように泣きじゃくりながら今朝あったことを話して泣き続けた。

 

 

 

 六時間目の授業が終わり、鷹乃は智也の席を見つめた。とうとう智也は学校に来なかった。鷹乃はカナタと諍い、香菜を諭してから授業に参加したけれど、智也は登校してこなかった。

「……………………」

 鷹乃が黙って智也のイスを見ていると、翔太が声をかけてきた。

「彼氏は休み?」

「………知らないわ。あんな人…」

「ケンカ中か」

「…………。他人のことに、いちいち口出しするのはやめてくれないかしら? 死体に群がるハエみたい。気分が悪いわ」

「それは、また、きつい喩えで…」

 オレがハエなら、寿々奈さんは死体ってことになるんだが、指摘したら叩かれそうだな、翔太が肩をすくめていると、鷹乃はキッと睨んだ。

「他人のことにまで口出しするなんて、いい気なものね」

「……そうかい?」

「ええ、そうよ。南先生が可哀想」

「オレは彼女を………大事にしてるつもりだけど?」

「まるでわかってないようね。どういう経緯で付き合いだしたのかは知らないけれど、教師と生徒よ。どれだけ危険な関係かわかっているの?」

「………あと、半年で卒業だしさ」

「その前に発覚したら南先生はクビよ。そんな状況なのに、他人のことに気を回している余裕が中森くんにあるってことは、南先生の気苦労も絶えないわ。………結局、女ばかり損をするのよ」

「……。寿々奈さんの持論は肝に銘じておくよ」

 翔太は降参したというように両手をあげたポーズを取ると退散していく。帰りのHRが終わり、鷹乃は荷物をまとめると学校を出た。

「…………………………………」

 まっすぐ三上家へ帰る気になれず、とはいえ水泳部に顔を出す気もなく、もちろん、叔父の家へ帰る気にもなれない。どこへ行くあても、何をする気力もなく、街を歩いているうちに公園のベンチに腰を落ちつけた。

「……………………」

 木陰のベンチから、太陽が傾いていくのを眺めていると、わけもなく切なくなってきた。

「………いっそ、死んでしまいたいわ………こんな人生……。何もいいこと……なかった……」

 潤みそうになった目元を瞬きで渇かすと、足元を歩いているアリに気づいた。

「……………………あなたたちの世界も大変そうね」

 せっせと働くアリたちを見つめて鷹乃は微笑んだ。

「あなたは、幸せ?」

 アリは質問に答えなかったけれど、鷹乃が代返する。

「大きな収穫物を見つけたときなんて、それはそれは興奮しますよ。それを仲間に報告するときの達成感といったら、最高です」

 代返に対して、さらに質問する。

「でも、疲れないの?」

 さらに代返。

「夜よく眠れば、すっきりです」

 さらに語る。

「いいわね。私は夕べ、よく眠れなかったわ」

 話しかけていたアリが行ってしまったので、別のアリを同一人格とみなして話を続ける。

「どうして眠れなかったんですか?」

「いろいろあるのよ、人間には。あなたたちは恋愛なんて……ああ、そうね。女王様一筋だったわね」

「はい、女王様にお仕えするのが僕たちの幸せです」

「いいわね。生まれ変わることがあったら、私もアリになりたいわ」

 一人で問いかけ、一人で答え、結論は女王アリになりたい、という淋しい少女が、そこにいた。鷹乃は昆虫学者のような集中力でアリとの会話を続け、夕日の傾きが木陰をなくして顔を紫外線が焼くようになって、公園内を少し移動した。別の日陰になるベンチを見つけて座り、アリを探す。

「………いないわね。アリさん」

 アリの代わりにベンチの裏から人の気配がした。ツツジの繁みに誰か隠れている。鷹乃が気になって覗くと、澄空学園の制服を着た女子と、浜咲学園の制服を着た男子が抱き合っていた。

「こんなところで、よく恥ずかしくないものね。あきれ……」

 あきれようとして、昨日の朝、シカ電で智也とキスをして乗客たちに白眼視されたことを思い出した。ちょっと考えれば、公園の繁みに隠れた二人を、朝のラッシュ時に堂々とキスをした鷹乃が批難することは滑稽だと気づける。

「……………」

 鷹乃は静かに離れようとして、男子が健であることに気づいた。健たちは鷹乃が見ていることに気づいていない。

「トト、まずいって、こんな場所で…」

「いいじゃない。誰も見てないよ」

 キスをしたり、健を押し倒して上に乗ったり、巴は夏の公園を楽しんでいる。

「誰か来るかもしれないしさ」

「きゃは♪ いっそ、私は世界中に宣言したいよ。イナが好き♪ イナも私が好き♪ 今度さ、誰もないとき舞台でやってみない?」

「トト……」

「それともイナがサッカー辞めたなら劇団に入らない? 相手役の男優になってよ。私もイナ以外に告白したり、抱きついたりするの。演技とはいえ、つらいから♪」

 目立つのが好き、他人に見られるのが好き、それも生の視線が一番好き、そんな巴が微笑みながら、健の上で興奮しているのを見ると、鷹乃はタメ息を隠して空を見上げた。空は見えずに樹が視界に入り、セミの交尾を見つけた。

「…………………………」

 そうね、ヒトもセミも変わらないわ、それに夏も短い、ちゃんと次の世代に続くといいわね、鷹乃はセミを祝福し、再び視線を健と巴に落として考え込む。

「……………………」

 あなたたちは、まだ妊娠しない方がいいと思うわ、せめて、あと三ヶ月くらいは交尾をひかえた方が賢明よ。受精が11月くらいなら卒業まで隠し通せるでしょうし。

「トト! そろそろボクっ…うう…」

「やん、私まだ…ハァハァ…」

「離れてくれよ、トト、やばいって! 着けてないからさ…ぅくっ…トト!」

 健が逃げ腰になっているのを見かねた鷹乃はツツジの繁みに押し入った。がさがさと音を立てて他者が近づいてくる気配に健と巴が動きを止めて息をひそめる。鷹乃はまっすぐ二人のところへ姿を現すと、スカートのポケットからコンドームを出して、投げた。

「あげるわ。ちゃんと使いなさい。後悔するのは、いつも女よ」

「「………………がとう」」

「じゃあ」

 鷹乃は背中を向けて立ち去ると、公園を出て、三上家へ向かった。

「………」

 別れよう、今夜、智也が納得のいく返事をしてくれないなら、絶対に別れよう、そう決意して三上家のドアを開ける。

「………ただいま」

「お帰り、鷹乃」

「…何してるの?」

 鷹乃は台所で何か作っている智也に問いかけた。

「見て、わからないか?」

「……………………」

 智也が作っていたのはケーキで、まっ白な生クリームにイチゴが六つ、ロウソクが18本、中央のチョコレートプレートには「鷹乃おめでとう」の文字。

「………こ…こんなもので機嫌を取ろうなんて無駄よ!」

 鷹乃が顔を赤くして言い募る。

「だ、だいたい! 私の誕生日は明日なのよ! 間違ってるわ! 誕生日を間違えるなんて最低よ!」

「まあ、あと三時間あまり残ってるから、フライングになるけどな」

 智也は九時過ぎになっている時計を見て、少しだけ残念そうにテレビの上に置いたままになっていた宝石箱を手に取った。

「開けてみて、くれないか?」

「………これ、黒須さんに、もらったものじゃないの?」

「これはオレが鷹乃にプレゼントするために、黒須の意見を参考に買ったものだ。昨日バイトにいったというのはウソで、黒須と買い物していたのが事実だ。で、証拠が、それ」

「……………………」

 相手の言葉を確かめるように鷹乃は宝石箱の包み紙を破り、箱をあけると小さなサファイヤのリングが現れた。

「……私の誕生石……、でも、……でも、あなたは夕べ、10日も待てって言ったわ……話が合わない」

「明後日まで待ってくれってオレが言ったら、どんなに鈍い女でも、それが自分の誕生日だって、気づかないか?」

「……期限日の設定が…ウソ……だったの?」

「まあねン♪ それに、9月14日が加賀の誕生日だからな、黒須がらみでのオレへの疑いが少しは晴れてくれるかと期待したんだけど、さすがに鷹乃は加賀の誕生日なんて知らなかったわけで、その部分ではウソは成功しなかったけど、こいつが鷹乃への誕生日プレゼントだってことは気づかれなかった。その意味でウソは成功♪」

「………、……バカ……みたい」

「そっか。まあ、オレはバカだから…」

「違うわ。バカみたいなのは、私よ」

 鷹乃は嬉し涙をこぼして泣いた。

「これじゃ……私、……ホントに……バカみたい…よ。一人で怒って……苛ついて…」

「泣くなよ。誕生日だろ」

 智也が完成したばかりのケーキへ火をつける。

「ほら」

「うん」

 うながされて鷹乃は18本のロウソクを豊富な肺活量で一息に消した。包丁でケーキを切る前に鷹乃はもう一度、智也の手作りケーキを見つめた。

「ありがとう。……でも、ケーキが作れるなんて意外よ」

「ああ…うん、まあ、…な。味は期待しないでくれ」

 智也が散らかった台所を背中で隠した。何度か失敗したようで焼き損ねの失敗作が積まれている。鷹乃がケーキを切りながら、智也に問う。

「今日、学校に来なかったのは、どうして?」

「夕べなかなか寝られなくてな。朝方に寝たから起きたら昼過ぎだった。オレを放置していったのは鷹乃だろ?」

「ごめんなさい、だって…」

「怒っていたからな」

「もう、それは言わないで」

 鷹乃は指にはめたリングへ視線を落とした。

 嬉しい、素直にそう想える。

「鷹乃こそ、こんな時間まで何してたんだ? まあ、結果的には完成が予定外に遅れたから、ちょうどよかったんだけど」

「いろいろ……考えていただけよ」

「オレと別れようとか?」

「……そんな気持ち、もう、どこかへ行ったわ」

 切り分けたケーキを小皿において智也へ差し出すと、自分の分も置く。昨夜、夕食を食べ損ねて以来、何も食べていないので胃も泣いていた。

「いただきます」

「どうぞ」

 智也は作り上げたケーキが鷹乃の唇に吸い込まれるのを、少し不安そうに見つめる。味わって飲み込んだ鷹乃がケーキを再確認するように見る。生クリームと苺のケーキは内部も三段重ねになっていて、生地の間にも生クリームと苺のスライスが入れられている。鷹乃は、もう一口、食べてみる。

「………これ、ホットケーキ?」

「やっぱり……わかるよな」

「ホットケーキを三枚焼いて、重ねたの?」

「ちゃんとしたケーキも焼いてみたんだけどな………まあ、うまくいかなくてさ。母さんが残した料理本だけがヒントだったから」

 彩花や唯笑を呼んで習うってのは、事態を悪化させただろうしな、智也は自分もケーキを食べてみる。やっぱりホットケーキの味だった。

「ごめんな、ちゃんとしたケーキじゃなくて………買いに行こうかとも思ったんだけど、出ている間に鷹乃が帰ってきたら、さっさと荷物をまとめて帰られそうでさ。家から離れる気になれなくてな。まあ……気に入らないなら今からでも買ってくる」

「ううん、美味しいわ。とっても」

「無理に喜んでくれなくても…」

「本当よ。だって、もう食べてしまったもの」

 鷹乃は一つめのケーキを話ながらも、食べ終えていて、二個目にとりかかっている。

「そうか。……ホットケーキは誰が作っても不味くはならないからな」

 智也は安心したようで冷蔵庫からビールとジュースを出すと、鷹乃にジュースを注ぎ、自分はビールを飲む。智也自身は男性らしく甘い物は嫌いではないが、好きでもないので一つ食べたきり、あとは鷹乃が食べてくれるのを見つめるだけだった。

「……………」

 可愛らしい唇にケーキが吸い込まれていくのを見ていると飽きない。まる24時間ずっと食べていなかった鷹乃は残さずケーキを食べてくれた。

「ごちそうさま」

「お粗末さま。クリームが顔についてるぞ」

 智也はウソをついて鷹乃の頬へキスをする。

「智也はお腹空いてないの?」

「オレは焼け焦げたケーキの焦げてない内部とか、失敗した生クリームとかを、さんざん食べたからな。もう、甘い物は三ヶ月は要らないって気分だ。それに、食欲より、もっと魅力的なものがあるからな」

 そう言ってキスをすると、鷹乃の口は甘かった。キスを終えると、鷹乃は顔を赤くして智也に抱きついた。

「好き」

「鷹乃」

「大好きよ、智也。今、本当に智也のことが好き。今日まで私、智也のこと好きになろうって意識してきたけれど、今は自然に想えるわ。私は智也のこと好きになった。こういう気持ちなのね。恋って」

「鷹乃、うれしいこと言ってくれる」

 キスを続けて、服を脱がせる。

「あん、智也」

「17歳の鷹乃は今が最後だな♪」

「そうよ。その最後も智也のものよ」

 微笑んで上着を脱がされる鷹乃は脱ぐときに感じた自分の汗の匂いに戸惑って慌てた。昨夜は夕食だけでなく入浴もしそこねたので匂いが強い。その上、放課後は歩き回ったので背中や胸はベタついているし、饐えたような匂いが両腋からする。

「待って、先にお風呂…」

「そうだな。鷹乃、ちょっと臭いな。くすっ……鷹乃学祭の委員になった♪」

「っ…そんな風に言わなくても…」

 鷹乃は恥ずかしさと怒りで顔を赤くして智也の手から逃げようとしたけれど、押し倒された。

「まあ、でも惚れた女の匂いだから、これはこれで慣れたら好きになれるかもよ」

「い…イヤ…」

 鷹乃は嫌がったけれど、腕を押さえつけられ、胸と腋を舐められる。

「しょっぱいな。ケーキを食べたのに甘くない♪」

「やめて……ねぇ、私が嫌がってるのに、やめてくれないの?」

「やめない」

「ひどいわ」

「ひどいのはオレと黒須を疑った鷹乃の方だろ。だから、これは罰だ♪」

 そういって鷹乃の後頭部で両手首を交差させると、ポニーテールの髪で巻きつけ、髪ゴムで固定した。

「イヤ……見ないで…、舐めないで…」

 毛深いわけではないけれど、二日経つと鷹乃の腋は5ミリほど毛が伸びている。髪と同じ日本人らしい黒に、背中や肩は日に焼けているけれど日の当たりにくい腋の肌はまっ白で、とても目立つのが猛烈に恥ずかしくて鷹乃は涙で目を潤ませた。

「お願い……電気を消して」

「そんなに恥ずかしいか? じゃあ、こっちも脱がせてみるぞ」

「っ、イヤ! お願いだから、お風呂に入らせて、そこは絶対イヤよ、智也、やめて」

「やめない」

 智也はスカートをまくり、下着を脱がせていく。鷹乃は脚を閉じて抵抗を試みたけれど、両手が使えないので虚しく下着は引き下ろされてしまった。

「脚の力を抜けよ」

「イヤよ、やめて。お願い」

「ダメだ。これは罰だって言ったろ。宝石箱一つで、まさか、あそこまで怒られるとは思わなかったぞ♪」

「っ…そ、…それは悪かったわ。でも…」

「脚、開けよ。オレの女だろ?」

「………………」

 鷹乃は目を閉じて、顔を伏せ、言われるとおりにした。

 

 

 

 翌朝、いのりは隣で眠っているカナタを揺り起こした。

「カナちゃん、学校」

「………」

 カナタは覚醒したけれど、いのりのベッドから起きようとしない。

「カナちゃん……学校、行くのイヤ?」

「………イヤ…」

 カナタが昨日遭った事件を考えると、登校を嫌がるのも仕方ないと思える。いのりは優しく背中を撫でてあげる。

「うちのお母さんも、お父さんも、もう出勤してるから誰もいなくなるけど、いい?」

「……………………、………うん……ごめん…」

 カナタは布団に潜り込み、また眠ってしまう。いのりはシャワーを浴びてから、制服を着て学校へ向かった。

 

 

 

 昼休み、果凛は登校してこないカナタのことと、仲良く教室でまでキスをしたりする鷹乃と智也のことを見ていて、怒りを抑えかね苦言を呈することにした。木陰で弁当を食べ終えている二人に仁王立ちで話しかける。

「いい気なものですわね。三上くん、寿々奈さん」

「花祭、…いきなりケンカを売ってくるなんて、どうした?」

「花祭さん…………」

 鷹乃は身に覚えがあった。それを今思い出したという様子に果凛が怒りをより強くした。

「カナタにあれだけのことをしておいて、お忘れになるなんて、よっぽど浮かれていらっしゃるのですわね」

「……私は…………」

「オレは話が見えないんだが、どうせ鷹乃が黒須にケンカを売っても、あいつなら闘牛士のごとくからかって終わりだったろうが? それも織り込み済みでリングの買い物に付き合ってくれる女を選定したつもりだったぞ」

「三上くん、闘牛士だって失敗することはあるわ。かわし損ねて鋭い牛角で心臓を突き刺されることも。カナタが今日、登校してきてないこと、二人とも気づいてもいないなんて許せません」

「花祭さん、私、黒須さんに謝りたいの」

「すっかりお忘れで恋人と寛いでいらした方が、どれほど謝罪の念をもっていらっしゃるか、私には計りかねます」

「おい、花祭。そーゆーイヤミな喋り方するなよ。鷹乃が黒須に何を言ったって言うんだよ?」

「お教えしましょうか」

「やめて!」

「そうですわね。三上くんに教えられたくないでしょうね。あんなひどいこと言えるなんて人格を疑いますわ」

「いいから、教えろよ。オレも怒るぞ、花祭」

「イヤ、聞かないで!」

「寿々奈さんは、こうおっしゃいました」

 果凛は持ち前の演技力で昨日の鷹乃を演じる。

「加賀くんと不仲になったからって、智也にすりよるのはやめてということよ。節操無しのドロボウ猫。きっと、加賀くんも、あなたのそーゆーところに嫌気がさしたのでしょうよ」

「っ…」

「……それだけか? それだけで黒須、そんなに怒ったのか?」

「三上くん、カナタのこと鉄人か何かと勘違いしてない? 怒ったのではなくて、ひどく傷ついたのよ。見ていられないくらいだったの」

「たしかに、加賀とはケンカ中みたいだが、……そうか、あいつは悩んでるのか……悪いことしたな」

「…私が……悪いの」

「そうよ。あなた最低です」

「おい、花祭!」

「だって、そうでしょ?! 人を傷つけておいて、そのことを忘れて、のんびりランチ?! 許せないわ!」

 果凛が鷹乃の左手を飾るリングを睨む。

「ステキなリングね。ねぇ、カナタは寿々奈さんの指のサイズを確かめるため、占いを装って話しかけなかった?」

「っ…」

「そうよ、そのとき。あなたと三上くんのために、あなたに気づかれないように、さり気なく。そーゆー気づかいを踏みにじって、そのくせ、それを忘れてる」

「わかった。黒須にはオレから謝っておくから、もう鷹乃を責めるな」

「智也……」

「オレの読み違いが原因だったんだ。黒須と買い物に出かけて見つかったら、鷹乃が怒ることは織り込み済みだった。けど、黒須がダメージを受けるのは読み切れなかった。だから、オレの責任だ」

「そーゆー論法は三上くんらしいけど、今回は寿々奈さんが謝るべきよ。それだけでなくて、桧月さんが言っていたけど、寿々奈さんと三上くんが付き合うこと、私も気に入らないわ」

「花祭……」

「寿々奈さんは、男をダメにするタイプよ」

「なっ…、勝手なこと言うな! 付き合う相手はオレが決める! なんで、彩花や花祭に口出しされなきゃいけないんだ! オレが一回でもお前らが付き合ってる相手に文句いったことあるかっ?! どうだっていいだろ?! いちいち口出しするな!」

「三上くん……」

 桧月さんの名前を出すと過剰反応するくらいには想ってるわけね、果凛は複雑な気持ちになって矛を納めた。

「とにかくカナタを傷つけたことは事実よ。その責任は二人にあるわ。私が言いたかったのは、そのこと」

「わかった。善処する」

 果凛が立ち去ると、鷹乃は申し訳なさそうに顔を伏せた。

「ごめんなさい。私のせいで…」

「別に、オレに謝らなくてもいいさ。それに罰なら昨日、済ませた♪」

「っ…、…あんなに恥ずかしい想い、もう二度と御免よ…」

 鷹乃は夕べされたことを思い出して身震いした。

「まあ、黒須のことはオレが考えるから、鷹乃は気にするな。鷹乃に気にされたり謝られたりすると、黒須は余計に事態を悪化させるタイプだ」

「そうなの?」

「ああ、そーゆー奴だ」

「………黒須さんのこと、よくわかってるのね…」

「中学からの付き合いだからな」

「…………、……やっぱり、あなたが黒須さんに謝るとき、私もついて行くわ」

「オレはたぶん、黒須に会いには行かないぞ」

「そうなの? じゃあ、どうするの?」

「加賀に話しかけてケンカの原因を……まあ、原因はオレたちが目撃したわけだが、あの二人のケンカなんて、花火みたいなものなのに、いつまでも継続してる原因を加賀から探って、仲直りさせよう。それが事態の根本的解決になるだろう。ということだから、オレは女と会ったりしない。加賀と会うだけだから、心配しなくていいぞ」

「そう……」

 鷹乃が視線を落として返答していると、いのりが二人の前に現れた。

「先輩方にお話があります」

「うおっ…髪、長っ!」

 智也の第一声に、いのりは出鼻を挫かれかけたけれど、かなり怒っているので智也を睨みつけた。

「なんだよ、その呪い殺すような目は……。にしても、髪長いなぁ……それ座ったら地面に着かないか?」

「私の髪のことは関係ないんですっ!! 寿々奈先輩っ! よくカナちゃんを傷つけておいて平然としていられますね! あなた最低です!」

「あなたは……誰なの? 一年生?」

「一年の陵いのりです!」

「そう………香菜には言うべきことを言っただけよ。それで香菜が傷つくとしても、その傷から彼女は彼女自身の力で立ち直るべきなの。陵さんが私をどう思おうと、撤回はしないわ」

「なっ………、……それ、本気で言ってるんですかっ?!」

「当たり前よ。あなたと香菜が、どういう関係なのかは知らないけれど、そもそも女同士で恋愛や性的な接触をするなんて論外よ。メスのショウジョウバエみたいで気持ちが悪いわ。それに気づきなさい」

「っ! ……………」

 どうして知ってるの、いのりはカナタとの肉体関係を知られていることに戦慄し、鷹乃が根本的な誤解をしていることには気づかないまま、フラフラと茫然自失のていで二人の前から立ち去る。フラフラと歩き、長い髪を大きく揺らしていると、廊下で一蹴と出会った。

「いのり、顔色が悪いけど、大丈夫?」

「…イッシュー………」

 すがるように恋人に抱きついた。

「ねぇ、イッシュー。私、どうしたらいいの?」

「どうって……どうかしたのか?」

「私………」

 どうやってカナちゃんを元気づけよう、カナちゃんに立ち直ってもらおう、でも、その過程でカナちゃんの欲求に応えて肉体的に慰めてあげるのは耐えられない、いのりはノーマルな気持ちで一蹴に求める。

「イッシュー……キス、して」

「…こ……ここで?」

 昼休みの廊下でキスを求められ、一蹴は慌てた。いのりは目を閉じ、求めている。何か思いつめている様子で、閉じた目蓋が涙で潤んでいる。ここでキスに応えないのは一蹴も男として情けないと思い、仕方なく軽いキスをすると、それを通りかかった雅と歩が見ていた。

「「………」」

 雅と歩は廊下でキスをするカップルを目撃して、何か言いたそうな顔をしたけれど、彼女たちらしくなく黙って目をそらせると廊下を歩いていく。

「なぁ、うちらの感覚がおかしいんやろか? もう時代は、電車やろうと廊下やろうとチューくらい当然なんかな?」

「……わかりません。でも、……私たちが古風なのは確かでしょう。木瀬も伝統的な言葉遣いをして、周囲から浮いているでしょう。私もです」

「いや、うちの関西弁は……」

 歩は言おうとした言葉の続きを、教室から出てきた香菜と目が合ったので飲み込んだ。香菜は不機嫌そうな顔をしていて、歩も雅も出遭ってしまったことを深く悔やんだけれど、もう遅い。

「「……」」

 二人とも目を伏せ、廊下の隅を歩み去ろうとしたけれど、香菜が呼びかけてくる。

「無視しなくてもいいと思わない?」

「…す、…すんませんです……こ、こんにちわっす」

「か、香菜様におかれましては…ご、ご機嫌うるわしく…」

「ご機嫌は、うるわしくないよ。うるわしくしてもらおうかな♪」

 香菜は雅のポニーテールを撫でると、少し考え、決めた。

「ちょっと付き合って。水泳部の部室まで」

「「…は……はい」」

 行きたくないけど、逆らうのは怖い、雅と歩は暗い気持ちで香菜に言われるまま、水泳部の部室に入った。香菜が鍵をかけると、二人とも身体が自然に震えた。

「そんなに怖がらなくても、今日は痛いことも怖いこともしないから安心して♪」

「「………」」

「二人とも、キスってしたことある?」

「な…ないです」

「ご、ございません」

「そう♪ じゃあ、してみて」

「「え? ……………………」」

 ここには女子が三人しかいない。香菜の言ったことが理解できなくて歩と雅は困惑した。

「あの……うちら……女同士ですけど…」

「で?」

「いえ………、その……せやから……キスと言われても…」

「木瀬……逆らっては……また…」

 恐怖対象に対しては絶対的服従をすることで生きてきた雅が歩の反論を諫めた。

「雅ちゃんは賢いね。歩ちゃんも見習った方がいいよ?」

「……は、…はい…」

「じゃあ、ゆっくりキスしてみせて」

「「……………………」」

 歩と雅は青ざめた顔で見つめ合うと、仕方なく目を閉じた。二人ともファーストキスな上に、したいわけではないので唇が接触するのに30秒もかかってしまった。

「「ぅっ…」」

 歩と雅の唇が重なる。すぐに離れたいけれど、ゆっくりと命令されたので二人とも忠実にキスを続ける。

「………」

 キモいわぁ、なんで、こんなことせなあかんねん、鳥肌が立つちゅーねん、歩は腕が痒くなった。

「…………」

 気持ちの悪い、なぜ、このようなことを、背筋が寒い、本来キスというものは好き合っている者同士がすべきもの、きっと、あの許婚とのキスも木瀬とのキス同様に寒気のする不快なもの、雅は蒸し暑い部室で身震いした。

「……、こ、こんで、ええでしょうか?」

「んーっ♪ そうね。気持ち悪そうね」

「……………………」

 決まってるやん、うんざりやわ、歩が腕を掻き、雅も震える。

「二人は同じ薙刀部なんだよね?」

「「は…はい」」

「……お互い、どう思ってるの?」

「どうって……」

「どうと言われましても、ただ同じ部に所属しているというだけのことです」

「ふーん♪ でも、この前、抱き合って泣いてたよね?」

「あれは……」

「あんな怖いこと……うちら殺されるかと……思て……」

「なるほど♪ ま、いいわ。じゃあ、私から一つ、命令ね」

「「……………………」」

「朝練の前と、放課後の練習後、二人は60秒間見つめ合って、その後、お互いの長所、いいところを三つ、言い合いしなさい。これを一週間、続けるように。あ、ケータイは持ってる?」

「うちは持ってますけど……」

「私は……持ち合わせておりません」

「歩ちゃん、いいケータイもってるね。カメラ付きなの?」

「はい♪ 先週、買うたばっかりなんです! 撮ったデータもメールで送信可能なんですよ」

「いいね。私もママにねだって新しくしてもらおうかな♪ とりあえず、お互いに言い合った三つの長所、メールにして私に毎日送信しなさい。いい、わかった?」

「「……はい」」

「じゃ、とりあえず、今、やってみなさい」

「「……………………」」

 逆らうという選択肢はなく、二人は見つめ合う。心の中で60秒を数え、それから長所を探してみた。

「……ふ……藤原さんは、薙刀の達人や……」

「き……木瀬は……何事も、はっきりと言う、裏表のない人です」

「い、いつも凜として……武士みたいでカッコええ……」

「誰とでも仲良くして、友人も多く……羨ましいです」

「頭も良うて美人や」

「流れるような、とてもキレイな髪をしています」

 言い合ううちに、気恥ずかしくて二人は目をそらしていたけれど、なんだか、暖かい気持ちになれていた。

「うん、うん♪ じゃ、一週間、続けるのよ」

 香菜は楽しそうに微笑んだ。

 

 

 

 翌日の昼休み、鷹乃は顔を真っ赤にして羞恥に耐えていた。

「ひどいわ……、こんな風にされていたら、私、銭湯にも行けない」

「基本的にオレんちの風呂に入るわけだからいいだろ♪」

「……誰か来る前に、下着を返して…」

「大丈夫だって、白河が留学してから音楽室を使うヤツはいないから」

 誰もいない音楽室で、智也は赤面して涙目になっている鷹乃にキスをして、背中に手を回すとブラジャーも外した。器用に夏服の袖から手を入れてブラジャーも奪い取ると、ピアノの中に隠してしまう。

「さてと♪」

「……私を……どうする気…?」

「加賀が黒須と仲直りする気になるよう、ちょっと仕込むのさ」

 智也は小さなチューブをポケットから出すと、何かの塗り薬を指に出した。

「それは……何なの?」

「のんが中国から取り寄せた媚薬だってさ♪ 秘密のエッチな気分になる薬だ」

 智也は指に着けた薬を鷹乃のスカートへ手を入れると、塗りつけた。

「あんっ…」

「のんの説明だと、だんだん塗ったところが熱くなってきて、エッチしたくてたまらなくなるそうだ。どうだ? 効いてる?」

「わ……わからないわ……。そ、そんなものを私に塗って、どうしようというの?」

 鷹乃は否定しつつも塗られた部分が熱くなってくるのを感じて、その効果に怯えた。智也は微笑すると、鷹乃に深いキスをする。

「…んっ…………ハァ……ハァ…」

 鷹乃は身体が熱くなり動悸が高鳴るのを感じた。

「効いてるな。さすが、のん。恐ろしいヤツだ」

「ハァ……こんなクスリを私に塗ったことと、黒須さんのことに、どう関係があるっていうの? あんっ!」

 鷹乃は制服の上から智也に身体を撫でられて、喘いだ。下着をつけていないので胸や尻を触られるとダイレクトに感じてしまう。

「このクスリを加賀にも分けてやるんだ♪ となると、思春期の男子としては、絶対に試してみたくなるだろ? 媚薬って言っても誰にでも効くわけじゃない。ある程度、恋愛関係がないと効かないらしい」

「…こ……こんな効果が……誰にでも効いてたまるものですか……ハァ……ハァ…」

 鷹乃は人肌が恋しくなって智也に抱きついた。抱きつけば、股間の熱と餓えが癒えるかと思ったのに、ますます強くなってしまう。

「このクスリをもらった加賀は、黒須と仲直りして試してみようと思うはずだ♪ ということで、加賀を呼んでくるから鷹乃は、よく効くクスリだってことを証言してくれ。うん、その顔なら百聞一見に如かずだ」

「そ……そんな…」

「加賀の前で、服は脱ぐなよ。じゃ、おとなしく待っててくれ」

 智也は音楽室を出て行ってしまった。

「…ハァ………ハァ……」

 鷹乃は一人残されて熱くなった身体を持て余しつつも、言われた通りに待つことしかできない。三分ほどして、ドアのガラスに人影が二つ現れたので、やっと来てくれたと思ったのに、人影は智也たちより小柄な女子と男子が一人ずつのカップルだったので鷹乃は急いでピアノの下に隠れた。

 カップルが音楽室に入ってくる。

「夕べ、ほたるさんからエアメールが届いてね。このピアノ、私が自由に使っていいって。校長先生にも許可がおりるよう手配してくれたんだって♪」

「よかったな、いのり」

 ぜんぜんよくないわ、どうして今日なの、今なの、鷹乃は留学したクラスメートのタイミングの悪さを呪いながら、ピアノの下で熱い息をひそめる。いのりと一蹴は鷹乃に気づかず、ピアノの前に来ると、いのりが着席した。

「ほたるさんの魔法の音に、少しでも近づけるよう頑張るよ。イッシュー」

「オレもサッカー頑張って、来年こそ予選突破しなきゃな」

「ふふ♪ 二人で頑張ろうね」

 夢いっぱいの一年生が囁き合い、ピアノを弾く前にキスをする。

「イッシュー……」

 いのりは軽いキスだけでは物足りず、一蹴の唇を吸った。

「んっ…」

 ああ、やっぱりキスは男の子とするものだよ、いのりは唇から爪先まで細胞の一つ一つが悦ぶのを感じた。昨夜もカナタを慰めることを強いられた身体が本来の相手とすべき男性と触れ合うことで奥底から高鳴っている。いのりは我慢できずに舌を入れて一蹴と深いキスをする。

「っ……」

 い、いのり?! 一蹴は引っ込み思案にみえる少女の積極的な行動に驚いた。けれど、よく思い出してみれば、同じクラスになってから声をかけてきたのも彼女だったし、花火大会に誘ったのも、教会で恋人になるよう導いてきたのも、いのりの方だった。

「ハァ……イッシュー…」

 いのりはキスを終えても、またキスを求め、着席したまま一蹴に足をからめて、舌もからめる。その舌の動きが、やたら巧くて慣れていることに一蹴は童貞として気づかなかったけれど、いのりの積極性は止まらない。

「イッシュー……ハァ…大好き、……イッシューだけが大好き…」

 もうイヤ、カナちゃんとはしたくない、女同士なんて気持ちが悪い、たとえ、カナちゃんが男の子だったとしても、それも、もっとイヤ、イッシューじゃなきゃイヤ、イッシューとしたい、イッシューとしか、したくない、今ここで、イッシューと一つになって、もう今夜はカナちゃんに帰ってもらう、うん、そうだよ、今日で終わりにする、イッシューと一つになったから、イッシューを裏切れないからって説明してカナちゃんに、わかってもらう、カナちゃんを傷つけるかもしれないけど、もう私も限界だから、イッシューが好きだから、いのりは思いつめてキスをしながら黒いストッキングと下着を脱いだ。

「…イッシュー……私と一つになって…」

「ぃ、いのり?!」

「お願い」

「だ…だって…、…ここ学校で……いつ、誰が来るか…」

「大丈夫、ここには私しか、入らないはずだから」

 いのりは鷹乃の前に衣類を脱ぎ捨てながら、一蹴に抱きついた。

「お願い、イッシュー」

「いのり……。っ! だ、誰か来る!」

「えっ?!」

「いのり! 隠れて! こっち!」

 一蹴は智也と正午が入ってくる気配を察知して、いのりを掃除用具入れのロッカーに導いた。

「いくら、のんちゃんでも、そんなクスリはありえないだろ?」

「ホントだって。百聞一見に如かずだ」

 智也と正午が音楽室に入る。

「おい、鷹乃?」

「いないじゃん」

「鷹乃?」

「……………ここに……いるわ」

 呼ばれて仕方なく鷹乃はピアノの下から現れた。

「なんで、そんなとこに?」

「…………」

 鷹乃は黙って、脱ぎ捨てられた一年生の衣類と、掃除用具入れロッカーの戸から、はみ出ている長い髪を智也にだけ伝わるようアイコンタクトで示した。それで智也は不測の闖入者があって鷹乃が隠れたことに気づいた。

 鷹乃を抱いて囁く。

「ごめんな」

「ひどいわ…」

 鷹乃は抱きつくと、熱い吐息を漏らした。もう身体がどうにかなってしまいそうなほど熱い。ただでさえ、興奮していたのに、いのりと一蹴の盛り上がりを見せられて、もう気が気でない。

「ハァ……智也……、帰りたい。……智也の家で、しましょう」

「鷹乃………。えーっと、加賀、まあ、見てわかる通り、かなり効くだろ?」

「あ、……ああ…すごいな…」

 正午は鷹乃の様子を見て効果を信じ、床に落ちている衣類を見て勃起した。

「す…寿々奈さん、…もしかして、ノーパン?」

「っ…」

 鷹乃が息を飲んで智也の背中に隠れると、智也は正午を睨んだ。

「これは、たぶん、あそこのロッカーに隠れてる誰かのパンツだ」

 智也が指摘するとロッカーが揺れた。正午が振り返っている隙にピアノへ隠した鷹乃の下着を取り出して、後ろ手に鷹乃へ渡す。鷹乃は急いでポケットへ入れた。

「加賀、これ。分けてやるから黒須に試してみろよ。絶対、効くぞ」

「ええー……カナタとはケンカ中、っていうか……別れたような感じだしさ」

 試したいけど、ほたるはウイーンだし、今さらカナタってわけにも、正午は試す相手がいないことを悩みながらも、とりあえずクスリは受け取る。

「いい加減、黒須と仲直りしろよ」

「オレとカナタのことに、口出しするなよ。別に、いいだろ。三上には関係ないんだからさ」

「お前、黒須の、こういう姿、見てみたくないのか?」

 智也が言いながら鷹乃の背筋を指でなぞった。

「あんっ!」

 鷹乃は甲高い声をあげると身震いして仰け反る。正午は生唾を飲んだ。指先で触れられただけで息を乱している鷹乃の内腿が濡れているようにも見える。

「ちょうど、加賀の誕生日が、すぐだろ? ケンカ中でもさ、オレに誕生日プレゼントをくれ、とか言って部屋に呼べよ」

「けどさ…」

「プレゼントは、お前だ、お前がいい! って言えば、…いや、黒須はお前って言うと怒るから、君だ、でな。一発仲直りしろよ」

「んーーっ……まあ、考えておく。……誕生日か……」

 たしか、ほたるの誕生日が9月25日だったよな、あと二十日あまりか、正午は智也の思わくとは別のことを考えながら、もらったクスリは大事にポケットへ入れた。

「で、三上。これは、どうする?」

 正午は落ちている衣類を指した。

「ああ、このパンツとパンストは落とし物として職員室に届けておく♪」

「ダメっ!!!」

 ロッカーから声が響いてきた。呪い殺すような声だった。

「どうやら、持ち主がいるらしい♪ 触らずにおいておこう。触ったら呪われそうだ」

「みたいだな」

「智也…ハァ…そんなもの、いつまでも…ハァ…見ていないで私を見てちょうだい。…家に帰らなくても……保健室なら…」

「早退して家に帰ろう。今の鷹乃を、これ以上、他のヤツに見せたくないし、保健室でも静かにしてる自信、ないだろ?」

「うんっ…なら、早く帰りましょう」

「わかった。わかった。じゃあな、加賀」

「いいよな、三上のところは仲が良くて……」

「だから、お前も仲直りしろって」

「わーーったよ、わーーった」

 三人が音楽室から出て行くと、いのりはロッカーから飛び出して落とし物を拾うと、啜り泣いた。

「っ…ひっく…ぅっ…ぅうっ…」

「いのり……」

「ぃ……イッシュー……私のこと……軽蔑……してる……よね」

「そんなこと……って、いうか、もしかして、いのりも先輩らが言ってたクスリ、使ったのか?」

「……………………………………………。うん! そう! 知らずに、渡されて! 気がついたら! わけがわからなくなって! 早絵ちゃんから恋のクスリだって聞いて!」

 ごめん、早絵ちゃん、いのりのウソに使わせて、イッシューに淫乱だって思われたくないから、いのりは都合良く解釈してくれた一蹴に感謝しつつ、早絵に謝りながら、着衣を整えた。

「もう大丈夫、変な気持ちは治まってくれたから」

「そっか。よかった。一時は、どうなるかと思ったよ」

「うん……ごめんね……イッシュー」

「いのりが悪いわけじゃないさ。でも、そんな変なクスリが学校で流行ってるとしたら、問題だなぁ…」

「わ、私は、もう絶対使わないよ!」

「そうしてくれると、ありがたいな。もう、あんな、いのりは見たくないから」

「っ………………………そう…だよね……」

「ああいうことは、まだ早いしさ。もっと大切にしようよ」

「うんっ! イッシュー、ありがとう!」

 いのりは嬉しい気持ちと、苦い気持ちを半分ずつにして涙目で一蹴に抱きついた。

 

 

 

 放課後、いのりは帰宅するとカナタに告げる。

「今日は帰ってね。カナちゃん」

「ぅ~……………………いきなり、いのっちが冷たい」

「帰ってよ」

「……やっぱり、迷惑?」

「迷惑」

「……………パパとママ、怒ってる?」

「何も言わないけど、迷惑してるし、カナちゃんのパパとママだって心配してるでしょ?」

「あいつらは放任主義だから」

「………パパとママのこと、あいつらって言わないの」

「いのっちの家ほど、いい関係じゃないんだよ? ね、アタシ、淋しいよ?」

「もう、だいぶ立ち直ってるよね?」

「ううん、いのっちがいてくれないと、泣いちゃう♪」

「………。今日ね、ショーゴ先輩と、その友達が話してるの偶然、聞いたの」

「盗み聞き?」

「…………………。偶然」

「で?」

「ショーゴ先輩、友達からエッチな気分になるクスリ、もらってたよ」

「へぇぇ……。誰に試すつもりだか。っていうか、めちゃ怪しいじゃん。効くわけないよ」

「偶然、見たんだけど、すごく効くみたいだよ」

「ふーーん……バカショーゴ、そんなの何に使うつもりなんだか。ま、新しい彼女の攻略がうまくいかないからクスリに頼るって感じかな。情けないヤツ」

「お話を聞いてる感じだと、やっぱり新しい彼女さんなんていないんじゃないかな。その友達と親しそうだったけど、そんな話なかったし、それにクスリはカナちゃんに試すつもりみたいだよ?」

「……………………ふーん…」

「ショーゴ先輩、自分の誕生日にはカナちゃんと仲直りしたいみたい」

「……何を根拠に?」

「そんな話、してたから」

「ふーーん…」

「でね、考えたんだけど、カナちゃんもショーゴ先輩も素直になるための魔法があるのだ♪」

「ピアノでも弾くの?」

「それは、ほたるさんにしか無理な魔法。カナちゃんが使うのは時間魔法」

「タイムスリップでもするわけ?」

「うん、そう♪」

「……………頭、打った? 激しく」

「違うよ。カナちゃんとショーゴ先輩が付き合い始めたのは中学でしょ? だから、中学生の気分に戻るの」

「どうやって?」

「まだ、藍二中の制服、持ってる?」

「持ってるけど……っていうか、いのっちの考えてること、わかった。それ、ただのコスプレじゃん。なんちゃって中学生とも言う」

「あの頃の気持ちに戻るの! ジャンプするの!」

「ヤだよ、高三にもなって。恥ずかしすぎ♪」

「その恥ずかしい気持ちがカナちゃんを可愛くするの! カナちゃん恥ずかしい気持ち忘れすぎ! エッチになりすぎ!」

「う~………そうかな?」

「ショーゴ先輩も、きっと可愛いカナちゃんを見たら考え直すよ。それに、男の人って女の子には、ウブでいてほしいって願望があるから」

「いのっち………いつのまに、そんな大人に…」

「カナちゃんが、いろいろ変なことするからイヤでも考えさせられるの。あと、私に変なことするのも、今日でおしまいだよ」

「え~っ………」

「ショーゴ先輩との仲直りに全力投球するの!」

「………………全力投球して、また、ダメだったら………いのっちに甘えていい?」

「………………………………………………。精神的にのみ……」

「物理的にも甘えたい♪」

「そーゆーこと考えてないで、ちゃんと男の子を好きになるの! もう帰って! カナちゃんが帰るまで私、イッシューのところにいるから! カナちゃんが今夜、帰らないならイッシューのところに泊まるから!」

「あ…」

 カナタは置いていかれ、やもえず帰宅した。

 

 

 

 一週間後、智也は拉致監禁されていた。

「ぅぅ……眠い……」

 頭の奥が眠気で満たされている。動こうとして、柱に縛りつけられていることに気づいた。暗い倉庫のようなところで埃と黴の匂いがする。

「…絶望的に……眠い…」

 たしか、学校で鷹乃と放課後を過ごしているときに、のんが現れて喫茶店のバイトで習った秘密の紅茶を淹れてくれて、その直後に急激な眠気に襲われたはず、だった。

「おはよう、智也くん。ピース?」

「……」

 やっぱり、お前か、智也は自分を拉致監禁した犯人を特定した。

「これは何の秘密ミッションだ?」

「智也くん、のんの名前、変な秘密に使ってない?」

「ぅっ………………」

「この頃ね、学校で知らない男の子まで、のんに注文してくるよ? あのクスリ、分けてくれ、いくらでも払うって。のん、お金持ちになるチャンスかな?」

「……どうだろうな?」

「でもね、のん、身に覚えがないよ。だからね、調査したんだ」

「………」

 加賀が喋ったな、智也はうかつな友人を恨んだが、よく考えると身から出た錆であることにも気づける。問題は葉夜が、どのくらい怒っているか、だった。

「いろいろと事情があってな。黒須のためだったんだ。すまん、のんの名前を勝手に借りた。許してくれ」

「カナタちゃんのため?」

「ああ、そうだ。長い話だが、説明する」

 智也は事情を説明した。

「すっごいね。すっごい秘密ミッションだよ、智也くん♪」

「そうだろ。だから、悪かった。縄を解いてくれ」

「ん~……でもね、のんは知りたいよ。智也くんは、そのクスリ、どうやって手に入れたの? 本当に効くの?」

「……………………」

「のんはね、やっぱり怒ってるよ。でも、すっごい秘密のクスリの秘密を知れたら、嬉しいよ。嬉しくて怒らなくなるよ?」

「……………………喋らないと、どうする?」

「この秘密基地はね、ちょっとだけ雨漏りするよ。その雨漏りの滴を智也くんの顔に当たるようにして、何時間でも何日でも待つよ」

「……それ、地味に最悪な拷問じゃないか……かなり精神的に効くって拷問だ」

「秘密、教えてくれる?」

「…………なぁ、のん、ナマチューの秘密は、知るとガッカリするかもしれないくらい、幽霊の正体見たり枯れ尾花って話だろ?」

「うん、ナマチューは、あんまり期待して見ると、がっかりするかもしれないね」

「あのクスリも、そうかもしれないぞ?」

「……………う~ん………でも、やっぱり、のんは知りたいよ。女の子をドキドキさせる秘密のクスリなんて悪の組織に渡ったら大変だよ。のんが、こっそり解析してワクチンを作るよ」

「ウイルスじゃないぞ」

「どんな秘密なの?」

「……………………」

「のんはね、知りたいよ? 本当に知りたいし、怒ってるよ? のんがエッチなクスリを売ってるってウワサ、とっても遺憾だよ?」

「わかった。オレが悪かった。秘密を明かそう。約束するから、縄を解いて明かりをつけてくれ」

 葉夜は電灯をつけ、鎌で縄を切ってくれた。

「ここは……そうか、のんの家の蔵か……」

「うん、正解」

「………」

「約束だよ」

「わかってる。あのクスリはオレが作った」

「すっ…すっごいね! すっごい秘密だよ! 智也くん博士だね!」

「まあな♪」

「秘密の作り方を、のんにも教えて!」

「………」

「約束だよ」

「聞く前に、自分の身体で試してみないか?」

「…………のんに?」

「ああ、ちょうど今も持ってる」

 智也はポケットから小さなチューブを出して葉夜に見せる。

「これを、……まあ、デリケートな部分に塗るわけだ」

「デリケートなところって?」

「女の身体で一番、秘密な部分だ」

「………………そーゆーこと、のんは聞きたくないよ」

「そうだろうな。だから、とりあえず、今夜一晩、これを貸してやるから自分に使うか、使わないか、よく考えて判断してくれ。話は、それからだ」

「……………ダメかな」

「……」

「智也くん、のんを巧く煙に巻くつもりだね?」

「くっ……さすがに賢い……」

「ピーース♪ のんは秘密、すぐに知りたいよ。約束だよね?」

「…………………………わかった。実に、くだらないし、聞くと、つまらないが、それでもいいな?」

「うんっ」

「これはロート製薬のメ○ソレータムと近江兄弟社のメ○タームを5:5で配合した手作り媚薬だ。が、媚薬といっても、それを教えずにアソコへ塗ってもヒリヒリするだけで興奮しない。基本的にプラシーボ効果しかない」

「偽薬なのかな?」

「そうだ。さすが、医者の娘」

「ピース♪」

「女ってのは伊弉冉尊の神話でもあるように、エッチに男を誘うのはタブーになってるが、実は性欲は弱くない。ところが、社会的な抑圧で貞操観念を身につけている。それを媚薬って言い訳で解放すれば、まあ、それなりに好きな相手の前なら自由に興奮できるわけだ。たぶん、これを強姦とか嫌いな相手に使われても、一切効かない。つまりは…」

「ウソだね♪」

「そーゆーことだ」

「智也くん、悪いね」

「まあな♪」

「お仕置きが必要だね」

「………、喋っただろ?!」

「三時間、反省しようね。水滴の刑♪」

「オレが素直に受けると…」

 智也は抵抗しようとしたが、手足に力が入りにくいことに気づいた。

「……まだ、薬の…」

「筋肉を動かしにくくなる薬だよ♪」

「おまっ…、それ、量を間違ったら呼吸停止で死ぬんじゃ?」

「大丈夫、秘密の計量はバッチリ確かだから」

 葉夜は動きの遅い智也に手錠をかけると蔵の奥に再び縛りつけ、水滴が顔に落ちるよう天井を細工すると、微笑んだ。

「女の子は、もっと大事にしようね。鷹乃ちゃんも、他の友達も、ね?」

「…………わかったから、オレの気が狂う前に解放しろよ!! これ、マジで拷問で使われてる方法なんだからな! 地味に最悪に効くんだぞ!」

「ピーーース♪」

「葉夜様、マジで頼むぞ! 解放しにくるの、別のことに気を取られて忘れたりするなよ! 一晩放置とかありえないぞ!」

「のんだよ♪」

「のん!」

 智也は閉まっていく蔵の扉を見ながら、ある程度、反省した。

 

 

 

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