3月5日追記
見直したら設定が矛盾したり文書が気に入らなかったため書き直しました
小戸禊。それが僕を示す名前という名の記号であった。それ以外に僕を示すことのできる情報を僕は有していない。目をつむり、思いかえそうとも脳裏に思い浮かぶ最も古い記憶はぼんやりとした二年前の大橋近くの砂浜での記憶であった。砂浜で仰向けに倒れる僕を誰かが見下ろしている。薄く開いたまなこから見えるのは二つの輝き。かすかな感覚の記憶が僕が何か喋っている事を示していたがあの時、何を話していたかは靄がかかったように思い出せない。
その次に思い出せたのは病院での記憶。目を覚ますと仮面をつけた大赦の職員たちが複数人で僕の目覚めを待ったいたようだ。自分が誰かもわからず動揺していた僕はすぐにやってきたお医者様の質問にこたえ、そこで僕が記憶喪失であることが判明した。発見時の様子から海難事故でのショックによる記憶喪失だと予想された。病院のベッド傍の名前の書かれていない本来、名前が書かれてあるべきネームプレートがやけに印象的だった。名前がないのは不便だろうと大赦の人から小戸禊という名前が暫定的につけられたが、その後身寄りが見つからなかったことから僕の名前は少なくとも分かるまでは小戸禊になった。
その後、一緒に海岸で倒れていた乃木園子との面談が行われた。初めて見る彼女は衝撃の一言であった。左目以外の全身が包帯や病院着に包まれ、見えているのは左目と口元だけという有様。記憶喪失だけで済んでいる僕に対して酷く重い症状であった。話して見るが結局彼女も僕を知らなかった。
彼女は大赦で祀られる存在であったためか普段は誰も見舞いに訪れることもできないらしかった。それを示すかのように、病室はいたるところにお札が張り巡らされ、病室の中に鳥居は設置され、病室自体が一つの社の様であった。しかしどういうわけか僕だけはそんな彼女との面談が許された。少なくとも検査と身元捜索までの間、僕は病院に入院することなった。その間は毎日のように彼女の病室に訪れた。大赦直営の病院であったため病院内にいる患者は僕と彼女だけであったため自然と彼女に会いに行くことが日課となった。
僕の退院が決まるまでの半年間、左目以外満足に動かせない園子とは多くのことを話した。通っていた学校でのこと、小説を書くことが趣味であったこと、ぼーっとしていることが好きなこと、そして今は会えなくなってしまった二人の友達のこと。一人は讃州の方に引っ越して、もう一人は遠くに行ってしまったらしい。二人目のことを話す時の彼女の目を見ていれば言わずともどうなってしまったのか察してしまった。それ以来彼女の友人について聞くことはなかった。
病院にいる頃はいろんな事をした。園子の体が不自由なためできることは少なかったがそれでもできることはあった。映画やドラマなど見ることは体がうごかせなくとも一緒にできることだった。元々創作が趣味であった彼女にとって様々な作品を見て感想を交換したりし、毎回独創的な視点から語られる彼女の感想は僕にそれまでになかった視点をを示してくれた。映像媒体以外で言えば囲碁や将棋を始めとするボードゲームも多く遊んだ。体が動かせない彼女でも声で指示してくればコマは問題なく動かせたためよくやる遊びになった。
春になると包帯だらけの園子を車椅子に乗せて二人だけの花見をした。彼女は口では何も言わなかったが包帯だらけの自分を見られるのは抵抗があったのだろう、だから桜を見に行く時間を遅くして夜桜を二人で見た。病院から少し歩いたところにある小さな公園の桜は名所のものと比べれば貧相な桜の木であったが、二人で見たそれはとても綺麗なものに思えた。
花見から少し経った五月、晴れて僕は病院を退院することが決まった。元々病院にいたのは体には記憶以外の異常はなかったが身元が分からなかったための処置であったが五月から大赦が身元保証人になるために問題ないとの判断だった。そこからは迅速だった。あっという間に讃州中学への編入が決まり、僕の通学が始まった。
それからは大赦が用意したマンションから学校と園子のいる病院を往復する生活が始まった。それから一年が経とうとしている四月の現在に至る。
四月も中旬に入った木曜日、僕は園子のいる病院へ自転車を飛ばしていた。一年間通い慣れた道にはもう間違える様な場所はなく、30分ほど飛ばしているとこれまた見慣れた病院が視界に入ってくる。病院に入り、彼女専用となっている病室に入る。あいも変わらずものものしいお札と鳥居の設置された病室で彼女はいつものようにベッドの上にいた。こちらに気がつくと彼女はその痛々しい包帯姿とは裏腹に呑気な声が発される。
「あっ! みーちゃん。今日も来てくれたんだね〜」
「うん。今日も来たよ。迷惑だった?」
「ううん、もちろんそんな事ないよ」
「そっか。ならいいか。今日はね…」
こうして会うたびにそれまであったことを彼女に話すのが僕たちの恒例行事であった。学校での生活は病院の外にあまり出られない彼女にとっては新鮮なのか話題の弾むものであった。僕の学校生活を聞いている時のほころぶ顔を僕は嬉しく思い、つい饒舌になっていた。
「わっしーも元気そうだった?」
「うん。元気そうだったよ? クラスが違いからそんなに接点はないわけだけれども」
話しているうちに話題は東郷美森のものになっていた。東郷美森。園子が神樹館小学校にいた頃のクラスメイトだったらしい。その時の名前は鷲尾須美というものだったらしいが写真を見たところ間違いなく本人だと園子は言っていた。元々東郷のことに気がついたのは僕が学校でのことを見せようと写真を撮って彼女に見せていたことが原因であった。たまたま撮った写真の中で勇者部の面々が写り、その中の東郷に園子が気がついたのが始まりだった。その時の彼女の慌てようは酷いものだった。大赦の職員たちに合わせてくれとせがむ様子が鬼気迫り、少し怖かった。しかし結局は園子が折れて終わってしまった。それからは僕を通して彼女の事を聞く程度に抑えていた。
「そっか〜。わっしー元気なのか〜。みーちゃんはどう?」
「学校の方は問題ないよ。授業もついて行けてるし。でも記憶の方はさっぱり」
「やっぱり思い出したい?」
「どうだろう? 思い出してもやっぱり今の僕とは違う人だから混乱するのかな? そう考えたらどっちでもいいかなって最近は思えてくるよ」
僕の言葉を聞いた園子は少し悲しげに眉を下げた。
「もし記憶を思い出しちゃったら、やっぱりみーちゃんはそっちでの生活に戻っちゃうのかな?」
「どうかな。今の学校もあるし記憶を思い出してもしばらくはこのままかなって。もし家族がいるのなら会いたいって思うかもしれないけど」
「じゃあじゃあ。もし家族が見つかったらみーちゃんはもうこっちには来てくれないの?」
「どうしてそうなるのさ。君の調子が良くなるまではずっと来るよ」
「えへへ〜、そっか〜。ならまだしばらくはこのままでもいいかなって」
嬉しそうに園子ははにかむがその言葉はあまり嬉しいものではなかった。
「そんな事冗談でもいうべきじゃないよ。早く治して一緒に学校とか行きたいって言ったのは園子じゃないか」
少し語気の強くなった言葉に面食らったのか園子は目を丸くして聞いていた。そして言葉の意味を飲み込んで笑みを浮かべた。
「そうだったね。やっぱり早く治して学校、一緒に行きたいね」
それは二人の共通の希望だと僕は信じていた。しかし出会って二年、園子の容体は悪くなることはなかったが一方で良くもなっていなかった。この病室の中の時間はまるで停滞しているかの様な錯覚をいつも僕は感じていた。
「でもその前にお役目を果たさないといけないね」
そして話題は『お役目』に移った。神樹様からの予言により、もうすぐバーテックスという敵が海の向こうからやって来ることが分かった。そのバーテックスと戦う勇者の役割を果たすため通常は穢れのない乙女が複数人選ばれるらしい。しかし今回その選ばれたものたちの中に僕も含まれていた。検査の結果、僕には神樹様の勇者となる資質が異常に高かったとのこと。そのため大赦の方から僕にその勇者の役割を果たす様にお願いがあった。元より危険こそあるが僕の身元や学校での生活の世話をしてくれる大赦からのお願いを断ることも難しいこともあったが、それ以上に重体の園子も同じように資格があることを聞かされ、僕は自分が出る代わりに園子はお役目から外しように交渉し、結果そうなった。
「本当に良かったのみーちゃん? 本当ならみーちゃんはやらなくてもいいことなんだよ?」
「いいんだ。知ってしまった以上放って置くこともできないし、僕がやりたいって望んだことなんだ」
大赦と交渉したことは園子には話していなかった。変に気を使わせてしまうと思ったし、それ以上に彼女には自分のことに集中してほしいとも思っていたから。
「だから任せてほしい。絶対無事に帰ってまた来るから。約束するよ」
「うん分かった。みーちゃんがそう言うなら信じるよ。約束だね」
彼女からの全幅の信頼から来る目線はどこか気恥ずかしくて思わず顔を逸らしてしまう。そんな僕の様子が面白かったのかクスクス笑う声が園子の口から漏れる。
「じゃあ、明日も学校があるから今日は帰るよ」
「うん。また来てね〜」
そう切り上げて僕は家路へと帰った。これから始まる勇者としてのお役目、きっと大変なことだろうけどきっと無事に戻って園子の元へ帰る。それだけが僕の願いだった。
禊の帰った園子の病室。それまであった楽しげな雰囲気はなくなり、沈黙が部屋を支配していた。沈黙を破ったのは病室を開く扉の音であった。
入室したのは大赦の仮面を被った女性であった。最初禊が戻って来たのかと視線をそちらに向けた園子であったがすぐにがっかりした顔になる。仮面の女性は膝をつくと神さまにするように礼を行い、それを終えると口を開いた。
「乃木様。本当にあの少年をこちらの味方として信頼してもよろしかったのでしょうか。もしものことがあれば今世代の勇者たちに甚大な被害がもたらされる危険も…」
「大丈夫だよ〜。二年間みーちゃんを見て来たけど、やっぱりあいつとは違う人、みーちゃんはみーちゃんだと私は思ってるよ」
「しかしあれが演技である可能性も」
「もしそうなら今私はここにいないと思うけどな〜。もしみーちゃんがその気だったらいくらでも機会はあったわけだし」
禊を危険視する大赦の職員とかばう園子。両者の意見は平行線の一途であった。
「私を信じて。もしみーちゃんがひどいことをするならその時は私が直接止めに行くからね?」
言い終えると合計二十三体の精霊が園子の周りに顕現する。精霊が増えるほど強化される勇者システムにおいて二十三体の精霊を所持することはその強さを直接的に表していた。
「承知いたしました。大赦としては小戸禊を身柄を乃木園子様に一任する事とします。くれぐれもよろしくお願いします」
「うん。いつもごめんね先生」
先生。その言葉に一瞬大赦の女性は動きを止めるが、話を終えるとは部屋を退出した。また一人となった園子は唯一動く左目を天井に向け思索する。
「きっと大丈夫。私はみーちゃんを信じてるから」
遥かな空の向こう側。十二体の絶望の頂点たちがその時のために完成しようとしていた。完成していく姿が刻々と時間が迫っていることを表していた。
ただ彼女を守りたいと思って戦いに身を投じた。それがきっと僕を支えてくれた彼女への助けになると信じていたから。でもこの時は何も理解していなかった。僕がここにいる理由、何のために生まれたのか。僕がいることそれ自体が彼女を傷つけるとはかけらも思わず、ただ身勝手な思い込みだけで僕はそこにいた。僕は知ることになった。ただそこに居る。それだけのことがどれだけ罪深いことになり得るのか。
文章力が不安定なので最後まで一応読んで欲しいと思ったり