小戸禊は勇者であったか?   作:加賀崎 美咲

11 / 17
第3話 僕が君にあげられるもの

 退院予定の当日、禊は担当医に呼び出されていた。初老の担当医はいくつかのレントゲン写真を並べつつ、硬い表情で説明を始めた。

 

「小戸さん、落ち着いてよく聞いてください。何回かのお役目によってあなたの体には重大な負担がかかっています」

「それは直ぐにどこかが悪くなるという事ですか?」

 

 昨日の夜、満開を行なった全員が何処かしら体調を崩していることを思い出した禊は遅れて自分にもやってきたのかと一人納得しようとしていた。しかし医者の表情は晴れやかなものではなかった。

 

「いえ、何処かが悪くなるのではなく、お役目の負担によって肉体そのものが大きな負担を受けることになってしまい、命に関わると思われます」

「つまりこれ以上、お役目を果たすと死んでしまうと?」

「そう受け取って貰って結構です」

 

 変身することが自身の命を削るという事実に少なからず動揺するが直ぐに落ち着きを取り戻す。

 

「そうですか。でも大丈夫です。もうお役目は終わったのでこれ以上負担がかかることも無いはずです」

「そうでしたか。それは良かったです」

 

 もうお役目が終わったことを禊に伝えられ、初老の男性は安心した様子を見せる。そのやり取りを終えると禊は所定のやり取りを終え、退院を終わらせる。平日の午前中ということもあって勇者部たちは来れず、友奈などからは退院の時に来れないことを謝罪するメールがSNSアプリのNARUKOから来ていたのを禊は確認していた。

 まだ入院が長引く美森に軽く挨拶を終えて禊は病院を後にする。病院を出ると初夏の生温かい風が禊を包んだ。外の風景に目を向けると太陽は真上に少し至らない位置にあり、昼前であることを克明に表していた。

 中途半端な時間に退院してしまったなと禊は思ったが、これから学校に向かっても授業が終わり、部活動の時間にもこれまた中途半端な時間に到着する事に気がつく。

 ふと、目に入ったバス停の停車駅が園子の病院に近い所を通る事に気がつく。ちょうどバスが来たこともあり、禊は躊躇うことなくやって来たバスに乗る。考えてみればあの病院へ向かうのにバスを使うのは初めてのことだった。

 乗っている途中、周囲の建物より高く、まるで天に伸びるように建つ一軒のビルが目に入る。気になり、持っていたスマートフォンで検索してみるとゴールドタワーという名称の建物らしい。そのままバスは進んで行き、禊は目的地のバス停で下車した。

 見慣れた道を歩き、少しすると見慣れた病院にたどり着く。中に入り、彼女の病室へ入る。相変わらず、ものものしいお札や鳥居を無視してベットにいる彼女の元へ歩く。しかし近づいても反応がない。まさかと思い、顔を覗き込んでみると身を瞑り、穏やかな寝息を立てていた。

 

「あれ? こんな時間に昼寝かな? まあしょうがないか」

 

 間が悪かったと思いつつ、禊の表情は柔らかいものであった。禊のために用意された折りたたみの椅子を病室に備え付けられた収納から取り出して座る。禊は入院中暇だろう、と友奈が持って来た植物図鑑をカバンから取り出して読み始める。

 しばらくしていると本に描かれたひまわりの向こうから可愛らしいアクビが聞こえる。

 

「ふぁー……。あれ? みーちゃん、来てたの?」

 

 少し寝ぼけた様子で何度か見えている左目を瞬きして園子はいつの間にか来ていた禊を発見する。

 

「うん、今日が退院の日だったからね。時間があったから来たんだ。君は寝てたみたいだけど」

「私が寝ることが好きってみーちゃん知ってるでしょ? 今日もいいお昼寝日和だよー」

 

 全身のほとんどが動かない不自由さを感じさせない穏やかな声が禊の耳を撫でる。ほかの誰と話すときとも違う優しさを含んだ表情で禊は質問する。

 

「気持ちよさそうに寝てたけど、どんな夢を見てたの?」

「見てた夢? ……うん」

 

 聞くと園子は笑みを深くする。少し照れくさいのか、困ったように眉を少し下げ、でも嬉しそうに園子はぽつり、ぽつりと話し出す。

 

「……綺麗な海辺をね、歩いてる夢。濡れて少し硬くなった砂浜を鳴らしながら、寄せてくる波を踏んだり、回ったりして波のリズムで踊る夢。珊瑚礁が綺麗でね、……えへへ、少しメルヘンかな?」

「そんなことはないよ。誰だって、見たい夢を見ればいいよ」

 

 恥ずかしそうに語った園子を見て、話を聞いて少し、本当に少しだけ後悔した。園子の見た夢は動かない体で砂浜を歩く夢。今は叶わない夢なのだ。体が動かないこともあるが、彼女はこの病室から出ることが許されていない。二重の意味で叶わない夢、それを語らせた事を禊は後悔した。

 そこで一つ、禊は思い出す、勇者のお役目を行う者たちは大赦からそれなりの対価を得られという事。もしかしたら。そんな思いが禊の思考を満たし、方法を考える。

 変に期待はさせたくない。だから今は黙っておく。

 

 もう一つ、気になっていたことを聞く。入院していた時、見たあの夢。勇者の装束を身に纏い、樹海で戦っていた園子と美森によく似た少女ともう一人の赤い少女。あの三人の夢というには明瞭すぎるあの映像。美森は園子を知らなかった。でも園子は美森を知っていた。禊は事実を知りたいと思った。自然と表情が硬くなるのを感じる。

 

「……ねぇ、園子。もしかして園子は今まで勇者だったことがある?」

 

 その質問をした時、禊の見た園子の表情は今まで見たことのないものであった。驚き、不安、悲しみ、焦り、恐怖、いくつもの感情が眼に映されては変わっていく。震えた声で園子は禊に問う。

 

「みーちゃん、何かを思い出したの?」

「ううん。ただ、意識がなかった時に見た夢で君が戦っているのを見たんだ。もしかしたら吸収したバーテックスの記録か何かを見たのかなって」

 

 後から聞いた話ではあるが満開をした禊の満開特性はあの黒い球体によってバーテックスを吸収する様な力があるらしい。そのため吸収したレオ・スタークラスターの記録を見たのでは、というのが禊の予測であった。

 長い沈黙があった。園子は考え込む様に瞳を下におろし、禊と視線が交わらない。長い沈黙を破ったのは禊であった。

 

「ねぇ、園子。どうして何も答えてくれないの?」

 

 返答は沈黙であった。―そして

 

「ごめんなさい、みーちゃん。今は話せる勇気が無いの……。だから……、だから少しだけ、待っててはくれないかな?」

「それは……」

 

 視線が交わる。申し訳なさと悲痛を含んだそれが禊を貫く。それ以上、禊は問い詰める気にはなれなかった。

 

「分かったよ、もうこの話はやめよう。園子が気の向いた時でいいから、いつか聞かせて欲しい」

「ごめんね、ごめんねみーちゃん」

 

 禊は立ち上がり、園子の側へといく。動かない彼女の左手をそっと両手で包み込む。

 

「いいんだ、僕は君を追い詰めたいわけじゃ無いんだ。ただ本当のことが知りたくて、でもそれが君に痛みを与えるなら、もういいんだ」

 

 精一杯の笑顔は何処かぎこちない。禊の中を後悔が巡る。

 

 違う、僕は君にそんな顔をして欲しかったんじゃない。ただ本当の事を知りたいだけなのに、どうしてこうなってしまうの?

 

「ごめんね、園子。今日はもう帰るよ」

「気をつけて帰ってね、みーちゃん」

 

 気まずくなり、禊は逃げ帰るように園子の病室を後にした。通い慣れた道はどうしてか今日は長く感じた。

 

 それから数週間が経った。

 

 学校は夏休みに入り、蝉の声とうだる暑さの中、勇者部は通常営業であった。美森も退院し、風の眼帯姿や樹のスケッチブックを用いた筆談も見慣れた頃、部室の中で禊は悩み、うなだれていた。

 かれこれ数週間、悩んでいた様子の禊であったが、心配する友奈や風に何かあったのかと聞かれても大丈夫の一点張りで話そうとしない。今日もため息が口から漏れる。

 ただ一人、禊以外に現在、部室内にいた夏凜はついに痺れを切らした。

 

「禊! あんたねぇ、いつまでそうしてうだうだと悩んでるのよ!」

「いいんだ、心配しなくていいよ。ほっといて」

 

 答える禊の声に覇気はない。そんな禊の態度に夏凜は更に苛立ちを重ねる。

 

「あんたがそんなに暗いと友奈も風も東郷も樹も、みんな心配してんのよ。なんかあんのなら相談しなさいよ」

「そんなこと言ったってこんな事、人に相談しても……」

「それを決めるのは本人じゃないわ。それにいつかの借り、今日返させてもらうわ。勇者部五箇条、悩んだら相談、あんた達が決めた事でしょ?」

 

 浮かない顔の禊と自分で言っていて恥ずかしくなったのか、赤くなった顔の夏凜の視線が交わる。結果は禊の根負け。勇者部の五箇条を引き合いに出され、夏凜が勇者部に入った時のことを引き合いに出され、そして自分の態度がみんなを困らせることを引き出され、禊は諦めが自分の中でつくのを自覚する。

 

「……分かったよ。話せばいいんでしょ」

「そうよ、最初っからそうすればいいのよ。だいたいあんたなんか変よ、この間の戦いかららしくないっていうか」

 

 夏凜から見て、この数週間の禊は違和感を覚えるものであった。夏凜の知っている禊であれば、相談を誰かに行っただろうし、悩みを一人で抱え込もうとするとは思えなかった。

 

「そうかな? そうかもしれない。これまで悩むことも無かったから、少しナイーブになってるかもしれない。夏凜ちゃん、聞いてくれる?」

「うだうだ言ってないで、ドーンと私に任せなさい」

 

 自分の胸を叩いてアピールする夏凜が禊には頼もしく思えた。少し勇気を貰えた禊は少しづつ話し始めた。

 

「友達を不本意に追い詰めて、傷つけちゃったんだ。会いに行って顔を合わせるのも辛くて、もうすぐ彼女の誕生日で祝いたかったけど、このままじゃあそれも難しくて、どうしたらいいのかな?」

 

 話し始めると素直な言葉が禊の口から流れていく。聞いて夏凜は困った。友達との仲直りなんてどうしたらいいかという悩みは友達の少ない夏凜には難易度が高かった。今度は夏凜が頭を抱える番になった。

 大見得を切った以上、分からないと答えるのは夏凜自身のプライドが許さなかった。だから夏凜は自身の経験を生かすことにした。

 

「誕生日なら祝ってあげればいいじゃない。誕生日を祝われて嫌な奴はいないわよ」

「夏凜ちゃんもそう思うの?」

「そ、そうよ! 祝われたら嬉しいのよ! そのまま仲直りも一緒にやれば無敵よ! 完成型の言葉に嘘はないわ!」

 

 後半、自分の思いを聞かれて少し早口になり、喋りに訳の分からない言葉も混ざっていた。しかし一生懸命な夏凜の言葉は、勇気は確かに禊に届いていた。

 

「そっか……。誕生日、祝われたら嬉しいのか」

「あんた、私の誕生日の時はあんなに強引だったのに、そんなことも分からなかったの?」

「そういえば、僕の誕生日を祝ってもらった記憶ないかも」

 

 唐突な禊の発言に夏凜は驚く。

 こいつ自分も祝ってもらったこと無かったのに私の時はあんなに盛り上がってたの?

 そんな感想が夏凜の頭をよぎった。

 

「はぁ⁉︎ あんた誕生日いつよ?」

「確か10月の11日だよ」

「確かって何よ、自分のことでしょ?」

「僕、2年前からの記憶がなくてさ、見つかった日なんだよ10月11日って」

 

 さらに夏凜は混乱する。禊が記憶喪失である事実に驚き、普通記憶がないことをこんなにも軽く言うものなのだろうかと疑問を持ち、そもそも見つかった日を誕生日にするのはおかしくないかと眉をひそめる。というかその日はたしか大橋の……?

 おかしい所だらけの禊経歴に怪訝になる夏凜をよそに、禊の表情は晴れやかであった。

 

「そうか、そうだね。ありがとう、夏凜ちゃん。どうしたらいいか、多分だけど分かったよ。相談に乗ってくれて、ありがとう。少し行く所が出来たから行ってくるよ」

 

 そう言うと禊は部室を後にした。

 一人置いてかれる形となった夏凜は呆然とするほかなかった。それぞれの助っ人から帰ってきた風達が見たのは夕暮れの部室で一人呆けた夏凜であった。

 

「あれ? 夏凜一人? 禊のやつはどうしたのよ?」

「禊のやつなら用事で帰ったわよ」

 

 風達が帰ってきて夏凜はどうしたものか悩んだ。そもそも自分たちは小戸禊の何を知っているのだろうか? 考えてみればそれほど多くのことをよく知らない事に夏凜は気づいた。悩んだら相談という言葉が脳裏をよぎったが勝手に個人のことを話すことに抵抗を覚えた。だから今度、本人に話させよう。夏凜はそう決意した。

 

 

 場面は変わって、少し遅くなった時間、日はすでに落ち、電灯が夜道を照らしていた。そんな時間に禊は大赦の本部がある施設に来ていた。よく顔を合わせる、といっても禊からすれば大赦の仮面をつけているため素顔を知らないが、大赦の神官と対面していた。

 

「……と言う事でそれを行えるように手配して欲しいんです」

 

 禊の嘆願を聞いていた神官は頷いた。

 

「嘆願、了承致しました。まだ正式な返答は出来ませんが、勇者様の嘆願であれば恐らく通ると思われます」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 

 嘆願が通ると聞かされ、禊は喜ぶ。禊は軽い足取りで帰路に立つ。

 禊の帰った後、一人になった神官は一人、必要な書類の作成に入った。遅い時間の作業であったためか、神官はらしくもなく、独り言を呟く。

 

「しかし皮肉なものだ。祀られている園子様を禊様が外へ連れ出すなんて。やはり神に近くなってしまうと私たちには理解が及ばなくなってしまうのか?」

 

 言い終えてから、失言に気づいた神官は周囲を見回す。当然、周囲には誰もいなかった。

 でも彼は見ていた。彼は聞いていた。アレの一部になった以上、彼はこの四国の全てを同時に見て、聞いていた。表情もなくただ見下ろして。

 神樹の中の奥底。小さな腫瘍が人の形を成そうとしていた。

 

 

 八月も終盤。8月30日。学生達は夏休みが終わることを嘆く頃、しかしてここの時間は止まっていた。

 

 窓もない病室、時間の流れも曖昧なこの空間にいた園子にとって、時間の流れなど無意味なものであった。朝の時間になれば目が覚めて、体が動かないため何をするでもなく一日が終わり、また眠くなって、目が覚めたら次の日。誰も訪れない病室は静かだった。

 内臓機能の停止した園子にとって固形物など二年間口にしておらず、食事と称して出てくるのは栄養の点滴。まるでループする曲のような毎日。出来るなら逃げ出したかった。どうして自分がこんな目に会わなければならないのだろうか。でも選ばれたのは私なのだから仕方がないという思いでそんな気持ちを隠して目をそらす。

 そんな繰り返しを壊してくれるのは頻繁にやってくる禊であった。彼が来る毎回が楽しかった。彼が来てくれば、その日あったことを話し、笑っていられた。

 

 でもそんな日々は唐突に終わってしまった。壊してしまったのは私だ。あの日からおおよそ一ヶ月、禊は訪れていなかった。

 園子は自嘲する。真実を知っていたのは私。真実を話さなかったのも私。結局、自分のために真実を隠して一番大事なものを失ってしまった。優しさか、利益か判断しかねるが事実を隠す大赦と自分。そこにどれほどの違いがあるのだろうか。

 唯一動く左目がベットに備え付けられた台の上に置かれた時計を見つける。可愛らしいオルゴールをモチーフにしたそれは禊が持ち込んで置いていった、このものものしい部屋から浮いたものであった。

 時計の示す時刻は23時。8月30日も、もう終わりであった。一人の時間のまま、園子の誕生日は静かに終わろうとしていた。

 

「もし勇者に選ばれなかったらわっしーやミノさんに祝ってもらえたのかな? もし本当のことをみーちゃんに話せていたら祝ってもらえてたのかな?」

 

 後悔の言葉がとめどなく溢れた。自然と涙が生きている左目から溢れ、感覚のない頰を伝って行く。少女のすすり泣く声が病室に響く。でも自分に泣く資格なんて無いと必死に声を押し殺す。

 普通の幸せなんてもうわたしには無い。

 現実から目をそらすように、必死に目を閉じて園子は寝ようとした。寝てしまえば、こんな気持ちを感じなくて済む。好きだった寝ることさえ、今は逃げるための苦しい手段であった。

 

 必死に寝ようとする苦しみの中、突如病室の扉が開く音で静寂が破られた。

 

 園子は驚いて、涙で滲んだ視界で病室の扉に視線を向ける。

 そこにいたのは禊だった。

 

「迎えに来たよ。園子」

 

 最後に見たのとは違う、ぎこちなさの無い優しい顔をした禊がそこには居た。

 

「みーちゃん? どうして来たの?」

 

 思ってもみなかった訪問者に園子は言葉に詰まる。

 そんな園子の様子に禊は微笑む。

 

「だって今日は君の誕生日でしょ? 」

 

 そう言って禊は病室の中に入る。

 

「来ないでみーちゃん。こっちに来ないで欲しいの」

 

 動かない頭を必死に動かそうとする。分かってていても泣いた顔なんて見られたくなかった。でも禊はそんなこと知らないとばかりに歩調を変えず、園子の側にやってくる。園子はぎゅっと瞳を閉じる。優しく涙が拭われる感覚がまぶたの上を歩く。

 

「ちょっとバランスが悪かったらごめんね?」

 

 小さく謝る声が聞こえると次に瞳を閉じたままの園子が感じたのは浮遊感であった。驚き、目を見開くと目の前に禊の顔があった。背中と膝の裏に腕を回され、抱き上げられる。園子を抱き上げたまま禊はベットを後にする。

 密着し、胸に触れる耳が禊の鼓動を伝える。それと一緒に別の早鐘を打つ錯覚の鼓動を園子に伝えた。

 一歩、一歩と歩き、病室と廊下の境界にたどり着いた、二年間、渡ることのなかったその境を禊は何ともなく超えて行く。

 廊下に出ると禊は準備してあった車椅子に園子を乗せて進む。

 

「じゃあ、行こっか」

「え? でも私外に出たらダメで……」

 

 そこで園子は気づく。本来であればいるはずの大赦の職員や病院の関係者が誰一人いない。そのまま禊は園子を乗せた車椅子を押して病院を後にする。

 病院を出て海岸線沿いの道を進んで行く。不思議と誰にも会わず、無言のまま二人は進んで行く。綺麗な鈴虫の鳴き声だけが聞こえていた。

 

 それなりに長い時間をかけて、気がつけば園子は波の音を聞いていた。そのまま砂浜に進みもうすぐ波打ち際というところで始めて禊は車椅子を止める。

 園子の視界いっぱいに入っていたのは満点の星空と静かに波が押し寄せる海だった。

 言いたい事は沢山あった。でも園子は何も言葉を発さず、静かに目に入るものを眺めていた。気がつけば涙がまた頰を伝っていた。でも今度は違う意味を持った涙だった。

 2年ぶりに見た星空と海はどうしようもなく綺麗でただ無言が心を代弁していた。

 

「お誕生日おめでとう、園子」

 

 祀られ、崇められ、自由を失った少女を連れ出す事。それが禊なりの誕生日祝いであった。

 

「夢の中の砂浜とは少し違うけど、どうかな? 良かった?」

「うん、うれしい。凄く、凄く、凄くうれしい」

「ならよかった」

 

 心の底から安心したと声が言っていた。

 

「それからこれも。ここじゃあサンゴ礁は見られないから」

 

 そう言って禊は肩に掛けたカバンから紙袋を取り出す。紙袋から取り出したものを広げて園子の首にかける。

 首にかけられたものを園子が確認するとそれは赤い珊瑚のネックレスであった。

 凪いだ優しい海、病室からは見られない外の風景、満点の星空。禊なりに園子の見た夢を叶えてあげたい。そんな願いが込められていた。

 禊に車椅子を支えられながら、園子はゆっくりと話し始めた。

 

「ごめんね、みーちゃん。いつかは話さなくちゃいけないのは分かってるの。でも話したらきっと今まで通りでは誰もいられなくなる。そう考えたら怖くなって、何も言えなくて逃げてた」

「うん」

 

 優しい声で禊は答える。

 

「でもきっとそれは、そうしてるだけで誰かを傷つけるなんて私、思ってなくて」

「うん」

「だからね? みーちゃん、もう私は本当のことを話さないことをやめるよ」

「無理はしなくていいよ。 もし園子が勇気を持てないなら、園子が勇気を持てるまで何時までも待ってる」

 

 振り返らず園子は続ける。

 

「だからね? 勇気が欲しいの」

「どうしたらいい?」

「ぎゅっとしてほしい」

 

 何も答えず、禊は後ろから園子を抱き締める。もう感じられなかった鼓動が聴こえる。

 今ここで生きてることを禊の鼓動を通じて園子は感じる。自然と嬉しさで口角が上がって行くのを感じる。

 

「もう大丈夫。ありがとう、みーちゃん」

「もういい?」

「うん」

 

 名残惜しそうに抱きしめていた腕を離し、元の姿勢に戻る。

 姿勢を直し、二人は星空と凪いだ海を静かに眺める。もう見られないと思っていたものをまた見られた、禊と共に見られた事に園子は胸が温かくなるのを感じていた。

 

 叶わないと思っていた夢が叶った。来て欲しかった人が来てくれた。もう祝ってもらえないと思っていた誕生日を祝ってもらえた。たくさんの勇気をもらえた。

 だからきっと大丈夫。もう逃げない。それが勇者たちを苦しめるとも、みーちゃんを苦しめてしまうとしても、真実を伝えないことだけはやめよう。もしみーちゃんが苦しむなら一緒にその苦しみも分かち合おう。もうほとんど何も残ってない私にあげられるものぜんぶを彼にささげよう。私がそうしたいからそうする。みーちゃんは受け入れてくれるかな?

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。