小戸禊は勇者であったか?   作:加賀崎 美咲

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第7話 僕の名前は小戸禊

 人類とバーテックス、その300年続く戦いは最終決戦を迎えていた。小戸禊の能力により勇者の経験とシステムをその身に宿したバーテックスは人の形を手に入れ、新たなる種として確立された。無限の個体増殖を繰り返すバーテックス達は質でも量でも勇者達を圧倒している。

 神世紀300年10月11日、蛇遣い座のバーテックス、オヒュカス・バーテックスであり、記憶も想いも失った小戸禊は勇者システム搭載型バーテックスを率いて人類への侵攻を開始した。

 圧倒的な敵の出現、身を犠牲にすることを強いる勇者システムへの不安から人類を守護するための勇者達は戦うことを躊躇し、戦う意思を示せず勇者へ変身できずにいた。戦えずにいる彼女らを後ろに下がらせ先代勇者、乃木園子は人類を守りため、大切な人を取り戻す為ため単身、決戦に身を投じる。

 戦いの中、勇者システムと人間の様に連携するバーテックスに園子は圧倒され、遂には撃墜される。しかしいくら挫けようとも乃木園子は諦めない。体の機能を供物に捧げながら何度も立ち上がる。

 身を犠牲にしながらも人類を守るため、禊との明日を手に入れるために諦めない園子の勇姿は勇者部全員の心を動かす。それぞれの理由、それぞれの明日のために勇者達は立ち上がる。もう戦いを恐れる少女は無く、守るために戦う勇者の姿がそこにはあった。

 そして小戸禊と乃木園子は対峙する。かつての記憶を全て失い、守りたいと思った園子に力を振るう。胸の奥に何故か湧き上がる温かい身持ちを握りつぶしながら。園子は己の槍と満開の力を振るう。例えどれだけ困難であろうとも諦める事はもう思うはずはなかった。

 一方戦場から少し離れた上空、小戸禊の本来の人格であり、神樹の力を一部強奪して顕現したオドは戦場を俯瞰しながら、自身の生みの親である天の神が顕現しようとしていることを察知していた。

 勇者とバーテックスの戦いは第二局面を迎えようとしていた。

 

 神樹を滅ぼすため、飛行する鳥の様にV字に隊列を組んだバーテックスが樹海化した四国の空を侵攻する。悠然と進むバーテックスに待ったをかける赤い影が一つ。勇者部の一番槍は迷うことなく、バーテックスの集団に襲撃を仕掛ける。

 

「勇者部部員、三好夏凜ここに参上! 神樹様にたどり着きたいならまずは私たちが相手よ!」

 

 小回りが利く二本の日本刀で先頭のバーテックスに仕掛ける。しかし連携を獲得したバーテックスにそれは効かない。先頭のバーテックスは素早く一段下がり、次に並んでいた二体のバーテックスが手にした大剣で攻撃を防ぐ。さらに三段目に並んだバーテックスがワイヤーを射出し、夏凜を搦めとる。

 

「ちょっ、そんなの聞いてないわよ!」

 

 絡め取られた夏凜を狙って、左腕が狙撃銃に変化したバーテックスが砲撃を繰り出す。あわや一人目撃墜というところで待ったがかかる。バーテックスの放った砲撃は正面から飛来した狙撃によって相殺される。夏凜を縛っていたワイヤーも飛来した数本の小刀によって断ち切られ、夏凜は再び自由を得た。

 突出していた夏凜を風がたしなめる。

 

「夏凜、一人で前に出過ぎない! あいつら今までの奴らとは大違い。全員で連携しながら戦うわよ」

「わかったわ、指示を頂戴、部長!」

「任せなさい。全員、お互いを守りながら戦うわよ!」

「了解!」

 

 みんなの声が重なる。一人ではなく、みんなで。勇者達は強大な敵に立ち向かっていく。まず飛び出したのは友奈であった。

 

「勇者パンチ!」

 

 友奈の拳が空中のバーテックスを捉える。強化された膂力と精霊の力を組み合わせ、敵を吹き飛ばす。敵を吹き飛ばし、攻撃の反動でその場に静止する。空中での制止をバーテックスは見逃さず、速やかに迎撃しようと小刀を構えたバーテックスが殺到する。迎え撃とうとする友奈の足元をワイヤーが走ると同時にスマートフォンにメッセージが入る。

 

『友奈さん。私のワイヤーを足場にしてください!』

「ありがとう、樹ちゃん!」

 

 一度振り返り、樹に礼を言った後、友奈は空中に蜘蛛の巣の様に張り巡らされたワイヤーを伝って走る。空中を泳ぐように飛ぶバーテックスとの機動力の差が埋まる。ワイヤーの上を走り、時には反動を利用することで弾けるように飛ぶ。空中を地面を走る以上に変幻自在に移動し、敵を翻弄しながら、友奈は敵を殴り抜けていく。

 協力技を用いて勢いづいた友奈を狙撃銃のバーテックスは見逃さない。変幻自在の機動力で砲撃が当たらないないのなら面での制圧を行えばいい。計、二十体のバーテックスが空中に隊列を組み、同時に砲撃を繰り出し、一面の空間を塗りつぶす様に火砲の光が視界を埋める。

 

「そんな攻撃、女子力の前には無力!」

 

 風は精霊の力を発揮する。地面に突き刺した大剣はその大きさを変える。精霊の力を成しこまれた大剣はみるみる大きさを変え、巨大な壁にその姿を変え、迫り来る砲弾を全て受け止める。砲撃を終え、弾丸の補充を行うバーテックスに夏凜が迫る。

 

「今度こそ仕留める!」

「援護するわ、夏凜ちゃん!」

『細かいのは任せてください!』

 

 身軽な身のこなしを生かし、バーテックス達の狙撃銃に形を変えた左腕を半ばで切り落としていく。夏凜を迎撃しようと殺到した拳を強化したバーテックスを美森が正確に頭を打ち抜き、間に合わないものは樹がワイヤーを伸ばして侵攻を阻止、網の様に広げて一つにまとめていく。

 

「これで一網打尽よ!」

 

 バーテックスが網によって一まとまりになったところで風が巨大化した大剣の持ち手の部分を蹴り飛ばし、大剣はその圧倒的質量でバーテックスを押しつぶす。そして神樹に迫りつつあったバーテックスが一掃された。その様子を見て夏凜がぼやく。

 

「ねぇ、風。今までずっと気になってたんだけど、何で女子力を込めたらパワーアップするのよ」

「女子力はね、私の決めゼリフなのよ! 要は気合と根性よ!」

「思ってた以上に女子の華やかさが無かったわ!

 

 狙撃銃のスコープを覗き込んだ美森は結界の外から迫り来るバーテックス達の応援を確認する。

 

「夏凜ちゃん、みんな薄々感じていたわ。それより敵、第二陣来ます!」

「ようし! あんた達覚えときなさいよ。第二ラウンドも気張っていくわよ!」

「了解!」

 

 一度、集合し仲間の無事を互いに確認する。いつ終わるのかもわからない戦い、それでも勇者達の顔に迷いの表情はない。冗談を言い合えるくらいには気力も満ちていた。勢いは衰えず、それぞれの武器を持って悠然と敵に立ち向かう。その姿は紛れもなく勇者と呼ぶべきであった。

 

 勇者部が奮戦する一方、禊と園子の戦いも苛烈を極めていた。オヒュカスの能力を駆使し、同胞であるバーテックスと繋がり、指示を出す一方で接続した繋がりからエネルギーを補充し続ける禊。満開を繰り返し、体の機能を幾つも供物に捧げながら、戦闘能力そのものを強化していく園子。両者の戦いは長引けば、長引くほど互いが強くなり、千日手の様相を示し始めていた。戦いの中、園子は諦めることなく禊への呼びかけを続ける。

 

「もう戦うことをやめよう、みーちゃん! どうして痛みを消したいと思うのに戦うの⁉︎ 一緒に帰ろう?」

「お前たち人類さえいなければ、痛みは生まれなかったんだ! 300年前の因縁はまだ終わらず、続いているんだ!」

 

 槍の射出に伴う問いに、黒い球体によるすり潰しの返答。押し問答は続いていく。

 

「お前たち勇者、人間がいなければ、今、僕らが感じている痛みは生まれなかったんだ! みんなは苦しんでるんだ! 何も悪いことなんてしてないのに! だから痛みを消して僕は仲間を痛みから救う!」

「それで戦っても、みーちゃんもみんなも苦しむだけだよ! 戦いを止めれば誰も傷つかずに済むよ! それだけでいいんだよ!」

「勇者がそれを言うのか! 僕らは止まれない! そういう風に作られたんだ! それ以外の生き方なんて僕らは選べない!」

 

 憎悪が拳に乗って園子の方舟を中破させる。破壊された箇所を槍を添え木の様に用いることで飛行能力を維持する。

 

「思い出して、みーちゃん! あなたはそんな生き方をしてなかった! 私と一緒にいてくれた! 戦い以外の生き方も選べてた! あなたの意思で!」

「嘘をつくな! 僕にそんな記憶は無い!僕はオヒュカス! 最後のバーテックスだ!」

「違う! あなたは小戸禊! 思い出して、みーちゃん!」

 

 幾度となく、二人は互いの攻撃をぶつけ合う。その時、樹海の中からいくつもの枝が伸びる。伸びた枝は園子を援護する様に禊の足に絡みつき、動きを止める。

 

「神樹が直接、僕に介入するか! 消えろ!」

 

 黒い球体を発生させて、絡みついた枝を切り離す。しかし足に絡みついた部分の枝はまだ残っていた。瞬間、禊は足に熱が走るのを感じる。まるで血管に溶かした鉛が流れ込むような感覚が全身を巡る。熱は全身を包み、体の中の何かがその熱に反応する。自分の中に別の誰かが出現する圧迫感、体が裂けるような痛みが全身を走る。しかし不思議と痛烈な痛みより妙なも心地良さがある。

 

「僕に何をした! あぁ、気持ち悪い、何だこれは!」

「神樹様の援護? でも今なら!」

 

 突如行われた神樹による謎の援護。それは禊に不思議な影響を与え、動きを鈍らせる。それを千載一遇のチャンスと見た園子は果敢に突撃を繰り出す。捕縛用の槍を展開し、禊の体を何ヶ所か貫通、地面に縫い付ける。

 

 地面に立たせられる様に禊は地面に縫いつけられる。縫いつけたことを確認して方舟から降りて園子は禊の前に立つ。両手で操作していた槍を切り離し、勇者装束の補助を受けながら足で立って、園子は両手で優しく禊の頬に触れる。

 絶体絶命だと禊は思った。全身は自由を奪われ、黒い球体は神樹の流した熱のせいで思うように発生させることができない。彼女がこのまま手に触れた頬を思いっきり捻じ曲げれば頚椎が折れて自分は死ぬ。

 仲間達を救うために立ち上がったがここまでのようだ。初めての実践にしてはよく奮闘した方だろうか?諦めて園子に向き直って禊は驚く。今、いつでも己を殺せるはずの勇者、敵は涙を流している。

 

「ねぇ、みーちゃん? どうしても戦うことをやめられないの?」

「僕はバーテックス、人類を滅ぼすために戦う天命を受けている。それ以外の生き方をする自由なんて最初から無い」

 

 繰り返すように禊の返答は同じものだった。天命に逆らえば、逆らったバーテックスは命を終える。選択の自由など最初からなかった。

 

「違うよ。あなたは小戸禊。あなたは自分の生き方を自分で選んでた人。私たちの二年間、あなたは確かにそこにいて、今もこうして私の前にいる」

 

 不思議な響き、そんな呼称で呼ばれたはずがばいはずなのに、記憶が無いはずなのに、耳をなぞる音がなぜか懐かしい。理解できない感覚に混乱し、声が震える。

 樹海から伸びたか細い枝が両足に絡みつく。そこから暖かい感覚が流れ込む。知らない記憶、知らない思い出が脳裏をよぎる。包帯に包まれた少女と己が向かい合う。

 

 ―はじめまして。私の名前は乃木園子。あなたの名前は?

 ―分からない。何も思い出せない。僕は誰?

 

「小戸禊? それは何? 僕の名前はオヒュカスで、君なんて知らない」

「何度でも言うよ。あなたの名前は小戸禊。大赦はあなたを汚土を禊ぐための存在として使い潰そうと考えて、名前と言う名の呪いをあなたに掛けた。でもそれは違う。最初にあなたの名を呼んだのは私。あなたは隠世から帰ってきた神さまと同じように小戸の地で禊がれた存在。過去を捨てて生まれ変わった人、未来のために生まれ変わって欲しいってと願って、私は呪いをあなたに掛けた。みーちゃん、あなたはどちらを選ぶの?」

 

 ―あなたの名前は小戸禊。素敵な意味があるあなたの大切な名前。

 ―小戸禊。僕の名前は小戸禊。そうか、僕は小戸禊なんだね。

 

 禊の中で眠っていた赤い花が花開こうとしていた。一度は摘み取られ、失われた花。しかして土壌を変え、静かに生まれ変わった存在を見守っていた。

 二人の様子を見下ろしていたオドは鼻で笑う。

 

「くだらない。そんな呼びかけが何になる? 俺たちは定められた存在。選ぶ自由なんてない」

 

『選ぶのはお前だ。もし、お前がそれを選んでくれるのなら、アタシも園子も須美だって、きっと、お前を助けるよ』

 

 優しい声が禊に届く。かつて禊を導き、助言した声が禊の中から聞こえた。聞いたはずがないのに知っている二つの声。記憶も、心も、言葉も、何も覚えていなくても、体の感覚がそれを覚えている。

 天の神は非創造物の反逆を許さない。全身を走る刻印が血の様に赤く光り、禊の意思とは関係なくその両腕を動かす。尋常でない力が腕に刺さる槍をへし折り、両手が園子の首を掴む。意思とは関係なく、万力の様な力が園子の呼吸、血の巡りを遮る。園子の体が浮く。

 少しすれば命が散る。そんな危機的状態の中、園子は優しく禊に微笑みかける。

 

「選んで、みーちゃん。私はあなたを信じてる」

 

 何もしなくても、この眼前の勇者は生き絶える。バーテックスであれば喜ぶべきだ、使命を果たし、創造主である天の神に作られた恩義を返せる。喜ぶべきだ。今、頭の中の記憶はそう答えていた。

 迷うことなどないはず。勇者を殺せ!記憶はそう叫ぶ。

 

 ―そんな訳が無い。

 

 記憶の声を否定する。必死に言う事を聞かない両腕を離そうと動かす。これは違う。望んでいたことはこれじゃない。涙が止まらない。止めて。違う。感情が叫ぶ。僕が望んでいるのはこれじゃない。こんな事じゃない。必死に体に下される神の詔に逆らう。

 

「違う……、違うよ。神さま、お願いだ、もうこんな思いをするのはたくさんだ! お願いだ。誰か、助けて! 僕はもう、戦いたくない!」

 

 バーテックスは戦うため、敵を滅ぼすために作られた存在。それが戦うことを否定した。繋がり、心を共有し、禊の感情を受け取ってしまったバーテックス達は混乱し、動きが止まる。

 今、この時に同胞の中から生まれた感情、言葉にバーテックスは存在意義が揺さぶられる。

 あの個体は何を言っている? それはなんだ? 何故そう願う? 答えの帰ってこない疑問ばかりがバーテックスの繋がった心を占めていく。得られない答えを求めてバーテックスたちは禊の元へと飛んでいく。

 

「あれ? バーテックスたち、どこを見てるの?」

「みんな、一ヶ所に向かって飛んでいく?」

 

 戦っていた勇者たちは突然動きの止まったバーテックスたちに困惑する。どのバーテックスも侵攻していたはずの神樹には見向きもせず、先ほどまで戦っていた勇者たちを無視して、一点を向いてその方向へ飛んでいく。敵の唐突な行動に困惑した勇者たちもそれを追いかけて跳んでいく。

 

 禊と園子の時間は止まっていた。もう戦いたくない。はっきりと禊はそう叫んだ。その願いを受けてなのか、神樹の根が足元から伸び、禊に刻まれた刻印をなぞっていく。刻印を塗りつぶすように体から牡丹の花が咲いていゆき、刻印が放っていた熱が抜けてゆく。それの同時に体を縛っていた力が消えていく。足元から牡丹の花が咲き乱れ、二人の足元を包んでいく。園子の首にかけられていた両手が離れる。

 浮いていた足が地に着く。十数秒の間首を絞められ、体のバランスが崩れる。崩れ落ちようとする園子に禊は慌てて両手を伸ばす。腕を伸ばし、抱きかかえる。

 

「えへへ、やっとみーちゃん捕まえた。みーちゃんの鼓動、温かいね」

 

 抱きかかえ、その体温が伝わる。それなのに鼓動が伝わらない。心臓が動いていない。そう、小戸禊はこの他でもない、園子の鼓動を知っている。たとえ記憶がなくても、思い出を失っても、体が、感覚が、感情が、それを知っていると禊に伝える。

 園子の首に掛けられた赤いサンゴの首飾りが目に入る。確かに誰かがそこにいた証、小戸禊がかつてそこにいた証があった。

 

「……そうだ。僕は君を知ってる。もう記憶なんて何も残ってないけど、それ以外の全てが伝えてくる。でも分からないんだ僕が誰なのか、思い出せないんだ」

「いいよ、私を使ってみーちゃん。あなたならそれが出来る」

 

 生まれ、与えられた力を振るう。心が繋がる。繋がった感覚から彼女の記憶や思い出が流れ込んでくる。彼女の思い出、そして禊の知らない彼女と禊の思い出がいくつも浮かんでくる。

 

「あっ! みーちゃん。今日も来てくれたんだね〜」

「うん。今日も来たよ。迷惑だった?」

「ううん、もちろんそんな事ないよ〜」

「そっか。ならよかった。今日はね……」

 

「それで帰って来て、こっちに来たの?」

「うん。やっぱり勇者に選ばれたよ」

「ごめんね。みーちゃんに負担をかけてばかりで……」

「いいんだよ、気にしないで。少なくとも、何もしないのは嫌だったから」

 

「気持ちよさそうに寝てたけど、そんな夢を見ていたの?」

「見てた夢? ……うん、綺麗な海辺をね、歩いている夢。濡れて少し硬くなった砂浜を鳴らしながら、寄せてくる波を踏んだり、回ったりして波のリズムで踊る夢。珊瑚礁が綺麗でね、……えへへ、少しメルヘンかな?」

「そんなことはないよ。誰だって、見たい夢を見ればいいよ」

 

「ねぇ、園子? どうして何も答えてくれないの?」

「ごめんなさい、みーちゃん。今は話せる勇気がないの……。だから、だから少しだけ待っていて欲しいの」

 

「だからね? みーちゃん。もう私は本当のことを話さないことをやめるよ」

「無理はしなくていいんだよ? もし君が勇気を持てないなら、勇気が持てるまでいつまでも待ってるから」

「だからね? 勇気が欲しいの」

 

「……ねえ園子」

「みーちゃん、そいつ言うことに耳を傾けないで! 大丈夫、何があっても私はみーちゃんの味方だから……」

「僕は君たちを殺すために作られたの? 君の体がそうなっているのは、君が二十回以上満開したのは僕と戦ったから?」

 

「待ってよ……、待ってよ、みーちゃん! 私を一人にしないで!」

 

 二人の思い出が園子を通じて共有される。園子を通して禊は失っていた二人の記憶を取り戻していく。思い出し、涙が頬を伝う。抱きしめ、支える腕に力がこもる。

 

「……まただ。僕は君を傷つけて、また君から奪った。そんな事、欠片も望んでなかったのに……」

「もういいの。もうそんな事はもうどうでもいいの。ただいまって言って? 私をもう二度と置いていかないで」

「もう……、もう絶対に君を一人にしないよ。ただいま、園子」

 

 禊の言葉に園子は安堵する。思い出を共有してもう隠す意味もないのだろう。園子は胸の奥に秘めていた思いを口に出す

 

「みーちゃん、私ずっと怖かった。いつか君が本当のことを知ったら、どこか遠くに行っちゃうんじゃないかって思ったら、本当のことが何も言えずにいた。だって左目と口くらいしか自由にならない女の子だよ?そんな子と好きで一緒にいようなんて思って貰えるか不安で、怖くて」

 

 園子の胸の内を聞いて禊はそれを否定する。自身の記憶などなくても、感覚と思いが、その言葉を否定して禊の言葉を作る。

 

「そんな風に言わないでよ。僕はいつだって君に逢いたいからあの病室に行ってたんだ。記憶を取り戻したいって思いもあったけど、それ以上に君が僕の理由だった。例え、君がどんな風になっても僕は間違いなく君に添い遂げるよ」

 

「ほんとう?」

「ほんとうだよ」

「ほんとうに?」

「ほんとうだよ。例え君が嫌と言っても、もう絶対に離さない」

「……うん!」

 

 もう離さない。その思いだけを込めて禊は園子を抱きしめる。今、確かに感じるこの体温だけは何の嘘偽りないここにいる実感を禊に与える。園子は思う。取り戻すために再び戦いに身を投じ、確かに取り戻せた。今度は守れた。

 二人を祝福するように牡丹の花がいくつも咲いていく。二人を取り囲んだ無数のバーテックスは感じる。繋がった心から禊の思いが直に伝わってくる。

 優しい感情、愛しいと思う心。今まで感じたことのない心地よさを人を滅ぼすための兵器たちは追体験していく。あそこにいる勇者は滅ぼす敵のはず。しかし、誰もこの感情を消すために動きたいと行動しようとはしなかった。

 行動できず、ただじっと眺めているだけのバーテックスたちに禊は振り向く。ただ素直に思いの丈を心から直接でなく、己の言葉に変える。

 

「ねぇ、みんな? 僕生まれて来てよかったよ。確かに生きてると苦しいこともあった。でも今、僕が感じてるこの嬉しい気持ちもここにいなかったら感じることはなかった。きっとそれが根を張ってここに生きるってことなんだと思う」

 

 目的を与えられて作られたバーテックスが自身でここにいたい理由を持った。確かに今、小戸禊はこの地に生きる一つの命となった。

 しかしそれを許さない者もいる。苛立った表情のオドがそこにいた

 

「めでたい再開のとこ悪いがもう時間切れだよ。俺たちはそんなもん選べないんだよ」

「オド? 君は何を言ってるんだ?」

 

 禊の疑問に答えるように空が大きく変わる。神樹の結界の天井である星のない空を裂くようにそれは現れた。巨大な八咫鏡。天の神の顕現体であるそれは直接、この世に出現していた。バーテックスに任せず、天の神自らが人類を攻撃するという意思表示であった。

 鏡が光り、大量の光の矢が降りしきる。数えるのも馬鹿らしくなる数千の矢は神樹の樹海へ降り注ぎ、樹海内にいた全て、勇者もバーテックスも関係なく攻撃していく。バーテックスは大剣を持ったバーテックスが同胞を守ることで攻撃を防ぎ、勇者は精霊のバリアが攻撃を防ぐ。思わず禊も黒い球体を展開して、園子と己を守る。いくつもの光の矢が結界にあたり、少しづつ削ぐように結界を破壊していく。結界を維持するために神樹の力が使われる。矢が当たれば、当たるほど結界の内側に張られていた樹海の根が枯れていく。そして赤い影が結界の中を走った。

 

 それは一瞬のことであった。降り注ぐ光の矢。その光景に気を取られていたことは誰も責めることはできないだろう。気づけば禊の目の前にはオドがいた。胸に痛みが走る。視界を下に下ろす。胸から腕が生えていた。違う、胸に腕が刺さっていた。

 

「……え?」

「悪いな兄弟。それ、返してもらうわ。お前が戦えないって言うなら、もうそれは俺の役目だ」

 

 胸を貫く腕から体に満ちていた力が流れ出るのを感じる。纏っていた白い鎧が解除され、着ていた学生服が露わになる。体の力が抜け、崩れ落ちる。胸に空いた穴から止めどなく血が流れる。

 

「みーちゃん! 大丈夫⁉︎ ねぇ、大丈夫だよね⁉︎」

 

 力が抜け体が崩れ落ちる。園子は反射的に槍をあるだけ射出し、オドを牽制する。槍を放たれたオドは大きく後ろに飛び、バーテックスとしての白色の鎧を纏っていた。バーテックスとしての立場が禊からオドへ移った証であった。

 空中に飛び上がり、オドは右手を向け。黒い球体を放って二人を消そうとする。少し残念そうにオドは呟く。

 

「さようなら、兄弟。お前がそっちに着かなかったら、こんな事にはならなかったんだがな。だがこれが俺たちの生き方だ。これ縛られてるんだよ、俺たちは!」

 

 吐き捨てるような台詞と共に視界が黒で染まっていく。物体の強度に関係なくねじ切る黒い球体が二人に迫る。どうやってもこのままでは回避しようもない。もう力が抜けていく体を引っ張って禊は園子を庇うように抱きしめる。

 その時、咲いていた牡丹の花たちが黒い球体に呼応するように光る。その赤い光は神樹から、そして今まさに二人を消そうとするオドの内側の両方から発していた。

 突如現れた光と共にオドは困惑と胸の痛みを感じる。

 

「何が起こっている。今更なんだって言うんだ!」

「二人はやらせない! アタシの大事な仲間をもう誰も傷つかせない!」

 

 少女の声がオドの内側から響く。止まることのない胸の痛み。オドは、園子は、禊はこの声を知っている。忘れるはずがない。バーテックスに心を知るきっかけを、小戸禊が生まれるきっかけを作り出した勇者を。

 禊の中に残留していた因子とオドと一体化した魂がオドの接収によって今ひとつに戻った。神樹の後押しを経て、失われた肉体が神樹の力を使って再構築される。

 先程オドが禊の胸を貫いたのとは逆に体の内側から腕が突き出る。その腕が纏うのは赤い勇者装束。白色の鎧に牡丹の花が咲く。突き破って、飛び出て、彼女は園子と禊を守るように着地してオドに向き合う。

 

 確かに自身の両の足で立った後ろ姿を二人は見た。忘れるはずがないその後ろ姿を二年の時を経て二人は再び見つめる。二年前に見た時とは少しだけ変わっていた。三人の中で一番低かった背は伸び、短く後ろでまとめていた髪は女性らしく背中まで伸びていた。でも変わらない屈託のない笑みで彼女は振り返る。

 

「ただいま、園子。助けに来たよ」

「ミノさんなの? 本当に?」

 

 忘れるはずもない。初めてできた友達の顔を忘れ得るはずがない。それでも思わず聞いてしまう。消えてしまったと思っていた存在が今、こうして自身の目の前にいる。奇跡と呼ばずして何と呼べば良いのだろう。

 再開を喜んでいたかったが状況はその時間を与えてくれない。銀は正面を飛ぶオドに向きなおる。こちらも二年ぶりの再会。向き合う互いの表情は親しいものに向けるものではない。

 

「まさか、俺みたいに神樹の力で肉体を再構築できるとはな。何をしに来た?お前たち人間はこれから滅びる。今更一人増えたところで神には勝てない」

「2年前の借り、利子も付けて返させてもらう。須美も園子も禊も全部アタシが守る。もうお前に好きになんてさせない!」

 

 白色の鎧と牡丹の花が激突する。2年前の再開であるように両者は持てる全てを出し切って戦う。自身が神樹に近づいた事により獲得した高い親和性に加え、禊のために用意された最新型の勇者システムを纏い、銀は戦う。癒着こそしっかりとしたものではないが、元来の攻撃力の高さはより磨かれ、オドに接戦する。

 

 二人の戦いが白熱する中、バーテックスたちはそれに見向きもしなかった。見上げるものと見下ろすもの。その二つに分かれていた。

 見上げるバーテックスたちは見た。神樹の結界に阻まれながらもこちらを攻撃し続ける天の神を。どうやら天の神にとってバーテックスたちが樹海の結界の中にいることは気に止めるようなことではないようであり、どこかのバーテックスはそれを悲しいと思った。一体がそう思えばオヒュカスによって編まれた心の伝達網を伝って全体にその思うが広がっていく。

 見下ろしたバーテックスたちは見た。先ほどまでオヒュカスとして全体を牽引していた個体は胸に空いた穴から止めどなく血が流れ、その命の灯火が消えようとしていた。同胞を守ろうと立ち上がり、戦った個体が寸分違わない同一個体に胸を貫かれ、敵であるはずの勇者に介抱されていた。消えゆくその命、命が失われることを悲しいとどこかのバーテックスは思った。一体がそう思えばオヒュカスによって編まれた心の伝達網を伝って全体にその思いが広がっていく。

 

 園子の悲痛な声が樹海内に響く。それを嘲笑うように天の神は攻撃の手をやめない。神樹の全てを薙ぎ払うように極光が天から降り注ぐ。人々を守るため、神樹は結界を広げて内側を守る。降り注ぐ極光が結界を削り、少しづつ神樹の力を削っていく。広がっていた神樹の枝は枯れ始め、神樹の残り少ない寿命を示していた。

 

 神樹の寿命と言う名のタイムリミットはもう残り僅かであった。

 

 息も絶え絶えになりながら、禊は空を見上げていた。

 少しづつ薄くなっていく神樹の結界。ぶつかり合うオドと銀。このまま見ていれば結界は破れ、降り注ぐ滅びの光は神樹諸共、人間も、バーテックスも、世界も終わらせてしまうのだろう。

 視界の端からさらに駆けつけて来たバーテックスたちが目に入る。一緒にやって来た勇者たちは胸に穴を開けた禊とそれを介抱する園子を見て驚愕し、側に駆け寄る。

 

「禊くん⁉︎ 大丈夫⁉︎」

「友奈ちゃん、あの傷はまずいわ。樹ちゃん、ワイヤーで止血できる?」

『任せてください!』

 

 ワイヤーを伸ばし、胴に巻きつける。包帯のように巻かれたワイヤーではあるが、すでに足元はおびただしい量の血によって赤く染められていた。それでもなんとか助けようと風が両手で傷口を抑える。それでも禊の顔は血の気がなくなり、白くなり始めていた。上空にある神樹の結界も破れ始め、少しずつ漏れ出した光が樹海を焼く。反応が薄くなり始めた禊に風は焦りを感じ、呼びかける。

 

「ちょっと! 禊! 何に死にそうになってんのよ! 誰も欠けさせないわよ! みんなで生き残るのよ!」

「風! まずいわ、神樹様の結界がもう持たない! とりあえず、禊をどこか安全なところに運ばないと」

 

 焦る気持ちとは関係なく、無情にも神樹の結界は破れる。結界を貫通した熱量が空を焼きながら地上に迫る。このままでは全滅になってしまう。勇者たちは覚悟をもう一度決める。誰からと言うことなく、溜まった満開のゲージを消費しようと立ち上がる。

 

 それと同時に、勇者たちの先を行くようにいくつもの白い影が上空へ飛び立っていく。白い影の正体はバーテックスであった。神樹を滅ぼすために集結したバーテックス数万体が天の神の放つ光と神樹の間に集結する。それぞれが全身を大きく開き、隙間を埋めるように広がる。迫っていた熱量はバーテックスという壁によって阻まれ、神樹を守る。炭化し、力尽きた個体が落下し、流れ星のように樹海に降っていく。

 突如行われたバーテックスたちの行動に戦っていたオドと銀は困惑する。

 

「お前たち、何をやっている。お前たちが守っているのは敵なんだぞ!」

「……バーテックスが神樹様を守ってる?」

 

 誰に命令されたわけでもない、自発的に行われたバーテックスの行動は神樹を守る。勇者たちと禊はただ下からその光景を見つめていた。敵であるはずのバーテックスが神樹を守る。誰もが何が起きているかを理解できずにいた。禊を除いて。

 彼らの選択を禊は嬉しいと思った。痛いと感じる声が聞こえた。苦しいと感じる声が聞こえた。しかしそれらを感じていても諦めようとする声は聞こえなかった。

 

「みんな……、それを選んでくれるんだね。……なら、もう後僕ができるのはこれだけか」

 

 禊は少し悲しそうに自身の空いた胸に手を当てる。禊は知っている。この状況を、勇者とバーテックスが世界を守るためにその身を削いでいく状況をどうにかできる手段を。空いた手で樹海の根に手を触れる。

 

「……神樹様? 僕の声が聞こえるかい? ……このままじゃあ、君も、僕も、みんなも消えて無くなってしまう。それだけは嫌なんだ。だから神樹様、僕を使え。僕を君が生きるために使え!」

 

 肺もほとんど潰れているはずなのに禊は力強く宣言する。本来の製造目的の一つ、神の養分として使われる新人類としての力。器である禊にはその力があった。それを天の神のためでなく、敵である神樹に自身を生かすために使えと禊は言う。

 禊の言葉に答えるように樹海全体が光を放つ。自身と神樹とが繋がり出したのを禊は感覚を通して感知する。体が光り始め、それを見ていた周囲は驚愕する。明らかに禊に起きていることは無事で済むことのようには見えなかった。園子には取り戻した禊がまたどこかへ行ってしまうような気がした。不安で声が震える。

 

「みーちゃん、何をしてるの! やめてよ。もう、いなくならないって約束したよね!」

「あはは……、ごめんね園子。また君との約束、破りそうになっちゃった。でも大丈夫、僕は一度神樹様と一つになる。一つになってみんなを助ける。その後必ず、君の元に帰る。必ず帰るから信じてくれるかな?」

「怖いよ、帰って来られる保証なんてどこにも無いんだよ? ……でも、信じてるから、絶対帰ってくるって信じてるから。それまで、みんなでここを守るから」

「ありがとう、園子。風部長、みんな、僕が帰ってくるまでの時間稼ぎをお願いしてもいい?」

「分かったわよ、信じてるから絶対帰ってくるのよ?」

 

 

 周囲の誰も、禊がいなくならないいう言葉を信じていた。それを見て安心した禊は瞳を閉じる。自身と神樹の境界が曖昧になっていくのを感じる。曖昧さに身を委ね、意識が落ちていく。そこで禊の意識は途絶えた。途絶える直前、禊は願った。

 

「また、みんなに会いたい。そんな未来が僕は欲しい」

 

 周囲は禊を見ていた。禊が目を閉じると石が割れていくように体に亀裂が入っていく。バーテックスとして生まれた小戸禊がその製造目的を果たし、その命が朽ち果てる。

 でもそれは終わりでは無い。世界を存続させるためにその身を使い、小戸禊という命は花が朽ちるように土に還っていく。

 

 完成された神の養分である禊を取り込んだ神樹はその姿を変える。大樹であったその体を崩し、広がっていく。広がり続ける神樹は四国を包んでいた結界を超え、結界の外である炎の海へ広がっていく。樹木は火に触れてしまえば燃えて無くなる。しかし広がる神樹はその炎を塗りつぶす様に広がる。天の神が生み出した炎の海の領域が神樹のものに塗り替えられていく。それまであった神樹と天の神の力関係が逆転し、神樹が広がっていく。広がり続け、炎の海であったそこは小さな苗が芽吹く土地に変わっていた。後に残ったのは空に鎮座する天の神と地に広がった神樹であった。

 バーテックスとして生まれた小戸禊という存在は消え、その命は世界の礎となった。

 




次回最終回です

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