小戸禊は勇者であったか?   作:加賀崎 美咲

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最終話 小戸禊は勇者になる

 禊の体は土に還り、その遺骸は神樹の糧になった。禊を取り込んだことで神樹はその力を大きく増す。神樹はその形を大きく変えていく。大樹であったその本体は形を変え、新芽の芽吹く大地へと姿を変えていく。芽吹く大地は広がり続け、結界の外の炎の海である天の神に支配された大地を禊ぎ、ただの土地に変えていく。奪い返すのではなく、禊いでいく。それはその土地が神の支配から解放され、どちらの神にも属していない大地になった証だった。

 小戸禊を一部に変え、その心を受け止めて神樹は答える。炎の海であった外界が元の大地に戻り、その土地に神樹を構成する神々が溶けていく。

 どれほど天の神が抵抗しようとも、大気に溶けた神々がバリアを張って大地を守る。

 穢れのない大地が広がり続け、ついには炎の海はその姿を消した。遠い空の向こうから見れば地球という星が命の芽吹かぬ死の星から新芽が芽吹こうとする命の星へと生まれ変わっていく。神の加護などない、ただ命に満ちた星へ。

 

 変わっていく星に思うことはそれぞれ違った。

 勇者たちは初めて見えた本物の星空を綺麗だと思った。それまでの樹海の空には星は一切存在していなかった。生まれて初めて見る夜空は胸が詰まるほど美しかった。

 バーテックスたちは初めて触れた大地を綺麗だと思った。命が芽吹き、広がる大地はどこまでも命を内包していた。直に触れ、大地が脈動し、命が鼓動することを確かめる。未熟な情緒で理解する。これは美しいものだ。禊に繋がり、変われた者たちは一様にそう思った。

 

 そしてそれを良しとしないものが二つ。困惑と怒りの表情をしたオドと未だ攻撃を続ける天の神であった。おどの絶叫が響く。

 

「なんだこれは、こんなことあっていいはずがない! 神が支配を自ら投げ捨てる? 挙げ句の果てに星と一体化して無に還る? ふざけるな、そんな事させるものか!」

 

 翼を広げ、オドは急加速する。樹海の最奥に未だ残っている神樹の本体を潰すために空を裂いていく。それに追いつく花が二つ。蓮子と牡丹。満開を展開した園子とそれに乗った銀がオドに追いつく。槍を射出し、銀が飛び出し、上からオドを叩く。黒い球体を防御のために展開し、迫り来る無数の槍を防ぐ。戦斧の力を解放し、それを推進力に空中を駆け下りながら銀はオドに迫る。

 

「みーちゃんがやってることの邪魔はさせない!」

「どうしてまだ戦う! もう戦いは終わっただろう!」

「黙れ! まだ俺が残っている。天の神が残っている。ならまだ戦いは終わらない、終われないんだよ、俺は! そうじゃなければ生かされない命なんだよ!」

 

 振るわれる銀の戦斧をオドは殴り飛ばす。止まるわけにはいかない。戦うことを定められた生き方を行わなければ命が途絶えてしまう。現に逆らったバーテックスたちは少しずつその命を終えようとしていた。体に刻まれた天の刻印が体を蝕んでバーテックスの命を枯らす。選択の余地は無かった。生きるために戦う。それをオドは選ばされる。

 言葉は平行線をたどり、意味のない拳が交わる。

 

 最後残された天の神。それは止まることなく攻撃を続けていた。光の槍、光の矢。十二星座のバーテックスを模した攻撃がいくつも大地に向かって降り降ろされる。迫り来るそれを星と一体化しつつある神樹がバリアを張って防ぐ。

 そして最後に放たれた最後の攻撃、業火を周囲に放ち続ける太陽が空から落ちてくる。太陽はバリアに触れ、落下を一度止める。しかし太陽は消えることなく落下を続ける。太陽に触れたバリアが軋み始める。如何に大きく力を増そうと神樹と天の神では地力に大きな差がある。そして今、神樹は星と一体化するためにそのリソースを大きく割いていた。そのため、バリアでも防ぎきるのにも限度があった。今、神樹以外で動けるものは僅かしかいない。しかし動かないものは一人もいなかった。

 

「私たちが時間を稼ぐ。満開!」

 

 五つの花が大きく空に咲く。もう誰も散華による欠損を恐れてはいなかった。五つの花が空に飛び上がり、迫り来る太陽に全力で正面から受け止める。天命に逆らい、消えかけているバーテックスたちが見上げていた。

 

「勇者は諦めない!」

 

 それは誰が発した言葉か分からなかった。何故なら皆がそう思っていたから。今更、誰が言ったかなんてどうでもいい事だった。

 絶望などしない。勝てるかも分からないなんて、諦める理由にはならなかった。世界を守るため、勇者たちは奮闘する。

 

 二つの戦い。守ろうとする地の力と滅ぼそうとする天の力がぶつかり合う。神樹と一体化した禊はそれを見て、感じていた。体はとうに失っている。それでも戻らなくてはならなかった。戻りたかった。

 

「みんな守ろうと必死に戦ってる。でも、どうしたらいい? ここから出来ることは何?」

 

 禊には自身が何が出来るか分からなかった。周囲を見渡してもそこは何もない。神樹と一体化したために感覚が二重になっていた。片方の感覚は結界内の様子を伝え、みんなの戦いを禊に教えていた。もう一つは元からあったはずの感覚。しかしその感覚は禊に何も伝えず、重力も上下もない、空間にいるようだと禊に教えていた。

 目を開く。その両目が見たのは何もない空間ではなく、いつも禊が夢に見ていた水底の世界を映していた。一つだけ、それまで何もなかった暗い水底に一つだけ変化があった。水の底、何もなかった地に芽が葉を出そうと芽吹き始めていた。

 

「ずっと、お前を見ていた。お前の誕生、そして今日までの成長と選択を」

 

 誰もいないはずの水底で禊にかけられる声があった。禊が振り返る。禊を挟んで二つの空間が広がっていた。片方は見慣れた夢の中の水底。そしてもう一つは山桜がいくつも咲き誇り、澄んだ海の上を橋が伸びていた。伸びた橋は瀬戸大橋によく似ていた。その橋の中心、一人の少女が禊を見て立っていた。

 禊を見て立つ少女に禊は見覚え、正しくはよく知る少女の面影があった。

 

「君は園子の何?」

「私はかつて、乃木若葉であった存在、その記憶。神樹が見てきたそれらは今もここにいる」

「乃木って事は君は園子のご先祖様?」

「そうだ、私は乃木若葉。かつて勇者としてこの地を守った六人の一人。神樹様が見てきた情報がここにはある。神樹様は全てを覚えている」

 

 言い終えると風が吹き、咲いていた山桜の花びらが橋を包むように舞う。舞っていた花びらが集まり、人の形を成していく。風が落ち着くとそこには幾人もの少女たちがそこにはいた。それぞれが勇者の装束、もしくは巫女服を纏っていた。歴代の世界を守るために命を賭した少女たちの記憶、樹海の記憶が形を成して禊と対峙していた。

 その中には幼い美森や園子、銀の姿もあった。今も戦う勇者部のみんなの姿もそこにはあった。彼女らの姿を借りて神樹は禊へ問いかける。

 

「小戸禊。お前によって私達は変わった。守りの存在であった神樹は消え、これからお前たちはお前たちだけの力で歩む事になる。そのための下地として神樹は星そのものになり、人が生きていくだけの恵みを生み出すことが最後の役目になる」

「神樹様が星と一つになって僕らは生きていく? でも天の神はどうするの? あれをどうにかしないと皆が消えてしまう。勇者部の皆も、バーテックスの皆も、園子も!」

「あぁ、だから私達がお前に問う事は一つ。小戸禊、お前はどうやって彼らと戦う? 必要であればこの生太刀を貸そう」

 

 そう若葉は問いかけると自身の腰にさした日本刀を禊に差し出す。それに倣うようにいくつもの勇者の武装が禊に差し出される。それぞれが神に抗うため、勇者に与えられた力であった。強大な天の神、それに抗うのには力が必要である。ここにはその歴史の全てがあった。強大化した神樹の力であればいくらでも作り出す事は可能であろう。

 一つ、一つ目を通していく。いずれにも物語があり、守るために戦った無垢な少女たちの戦いの記憶。一体化した事で彼女らの感情が禊に流れ込んでくる。

 過程は様々であった。しかし一様に世界を守りたいと思う気持ちは同じだった。その上でみな、禊に自身の力を貸そうとしていた。

 

 一つ、一つの戦うための力を見終えて、禊は若葉に向き直る。

 

「答えは決まったか? それでは、お前はどれを選ぶ?」

 

 禊の返答は首を横に振る事だった。禊は答える。

 

「戦う力だけではダメなんだ。僕はみんなを救いたい。勇者も、バーテックスも、神樹様も、オドも、天の神も、全て助けたいんだ。だから戦う力だけではそれが叶わない」

 

 禊は歩き出し若葉たちの横を通り抜け、咲いていた山桜の枝の一つに手を伸ばす。手を伸ばすと山桜は禊に答えるようにその枝の一つを自ら切り離す。切り離された枝はそっと伸ばされた禊の両の手のひらに落ちて、そこに収まる。手の中の枝を大事そうに抱えながら禊は彼女らに振り返る。

 

「戦う力はいらない。僕が欲しいのは救う力。生まれてきて、たくさんの事を知ったよ。嬉しい事、悲しい事、取り返しのつかない事、いくつもあった。痛みがいくつもあった。それは悲しくて、寂しくて、だから僕はそれを癒してあげたい。穢れを禊ぐ力が欲しいんだ。そのために僕は勇者になりたいんだ。ここで生きていたいんだ!」

 

 禊の答えを聞いて少女たちはうつむく。それは彼女らの戦いそのものの否定であった。人類を守るために戦った彼女らに対し、禊はそれではダメだと言う。戦うだけではどちらかが消えるだけ。だからこそ、禊は戦うための力でなく、救うための力を求める。

 

 禊の言葉を聞いて少女たちは黙ったままでいる。

 

「フフッ……、アーッハッハッハ!」

 

 沈黙を裂いたのは他の誰でもない、乃木若葉その人の笑い声であった。たしなめるように横から注意する声がかかる。

 

「もう、若葉ちゃん! せっかくいい感じの空気だったのにどうして最後まで我慢できなかったですか! 禊くんポカーンってしてますよ! どうするんですか、この空気を!」

「いやあ。すまん、ひなた。でも私たちが残した思いが、どうか生きてほしいという願いがこうして実を結んで、敵であるはずのバーテックスだった彼がこうして願ってくれるんだぞ? どうして嬉しくない?」

「それでどうして笑っちゃうんですか! ここでしっかり彼を送り出しておけばいかにも初代勇者っぽさを演出してカッコいい若葉ちゃんでフィニッシュだったんですよ!」

「そもそも、彼を試すこと必要自体が不要だったろう?」

「あーもう! 若葉ばっかりズルいぞ! タマだってなー、カッコいいセリフの一つも言いたかったんだぞう! リーダーだからってセリフのひとりじめはズルいぞ!」

「タマっち先輩ってば! みんなで話したらまとまりがないって話になったから若葉さんに任せようって話になったんでしょう?」

「……まあ、その乃木さんが思いっきり空気をぶち壊した以上、どっちでも一緒だった訳だけど?」

「ぐんちゃん! 若葉ちゃんだって嬉しいのを我慢して途中まで頑張ってたんだよ! もう台無しだけど、そこはちゃんと見てあげないと!」

 

 急にそれまで黙っていた少女たちは堰を切ったように好き放題に話し始めた。禊は彼女らを見ながら呆然としていた。手元の神樹の枝が慰めるように発光していた。ひとしきり、話せたことに満足したのか、若葉が音頭を取って全員が黙って禊に向き直る。

 

「お前を試すような真似をしてすまない、禊。しかしこれで皆の同意も得られただろう。禊、私たちは今日までのお前の全てをこの神樹の中から見てきた。お前は敵であるはずのバーテックスでありながら、命が失われることを悲しいと感じ、人と共に生きていたいと願った最初の個体。戦うことでは世界を救いきれなかった私たち勇者にとっての新たなる可能性。共存の可能性だった」

「僕が可能性?」

「そうだ。戦う以外の道をお前は私たちに示した。人と同じように感じる。それまではなかったそれに私たちは賭けた。そしてお前は見事に人間とバーテックス、両方を救うことを願ってくれた。どうかただ生きて欲しいと願った私の思いに応え、それ以上の未来を提示してくれたお前に私は感謝したい」

「僕はそこまで考えていないよ。ただ傷ついていくみんなを助けたいと思って、そのみんなには人もバーテックスも入っていて、それだけだよ。僕はそんな大した奴じゃないよ」

「いや、違う。白鳥歌野から始まった勇気のバトンが幾人にも受け継がれ、そして終着点でお前と言う実を結んだ。他でもない、戦う以外の道を選んだお前だからこそ、そんなお前だからこそ、私たちは託したい。」

 

 言い終えると若葉は両手を差し伸べる。戦うための力の象徴である生太刀はなく、少しの土とそこに芽生えようとする小さな新芽がそこにあった。生まれ変わった神樹の全て、それがそこにはあった。前へ歩み、両手を禊の両手に重ねる。そっと手を開き、手の中の新芽は禊に譲渡された。受け継がれた神樹の枝とこれから芽吹こうとする新芽が禊の両手の中にあった。

 

「これからの未来をどうか頼む。大丈夫だ、不安になるかもしれない。しかしお前は一人ではない。それは他の誰でもないお前自身が知っているはずだ。」

 

 託したいものを託し終えると歴代の勇者と巫女たちは桜の花びらに戻っていく。託されたものをそっと禊は抱きしめる。神樹に蓄積されていた者たちも思い、記憶が禊の中を通り過ぎていく。

 その中には禊自身の記憶もあった。失われた記憶をもう一度体験していく。

 神樹が覚えていた禊の記憶が禊の前に立つ。

 

「さあ、思いだそう僕。僕の思い出を持って、ここからもう一度始めるために」

 

 初めて見た蒼い空。初めて出来た友達。勇者部との思い出。園子との日々。そして未だ天の神に束縛されるもう一人の自分自身。全てが禊には大事なものだった。記憶の禊は笑う。

 

「結局のところ、僕らは最初から神樹様に祝福されていたんだよね。そうじゃなきゃ、バーテックスが四国の中にいて樹海化が起きていなかったことはおかしいだろう?」

「そうか、そうだよね」

「誇るといいよ。僕らは神樹様に直接人間だって認められていたんだ。だからもう何も恐れるものは何もないよ」

「大丈夫。もう忘れない。僕はもう一度また園子に逢いたい。行こう、神樹様。大事なもの全てを救いに」

 

 

 神樹の中、満たされていた思いの全てが禊を中心に集っていく。全てを救うために、もう一度立ち上がるために。

 

 場面は変わり、樹海の中。いくつもの力がぶつかり合っていた。

 天の神の放つ極点の太陽を防がんと勇者たちは奮闘する。数回の満開を繰り返し、それぞれが体の一部の機能を欠損し続けている。もう目が見えない者、もう耳が聞こえない者、症状は様々であったが少なくとも今まで通りの生活は困難であろう。それでも彼女たちは満開を繰り返す。待っていてくれと言った彼を信じて。恐怖は勇気に打ち砕かれる。

 同じように戦い少女が二人。もう一本の普通の樹木のサイズにまで縮小した神樹を消そうと迫るオドとそれを止め、禊の帰りを待つ園子と銀。何度も力が激突する。

 

「邪魔をするな!」

「踏ん張れ、園子! あと少しだ!」

「分かってるよ、ミノさん!」

 

 迫る黒い球体、オド自身を何度も撃ち返し、追い払い、園子と銀は奮闘する。その表情に一点の曇りすらない。迷い一つない彼女らにオドは苛立ちを募らせる。

 

「何故そうまでして、アイツを信じられる! 何もない、命すら借り物のアイツを!」

「私が知ってる! みーちゃんはもういなくならない、私をもう離さないって!」

「同じ小戸でもお前とアイツはやっぱり別人だよ! それが分かってる私らが信じないでどうする!」

「分かったような口を利くな!」

 

 戦斧を振るう銀を拳でなぎ払い、加速力をかけて体当たりし、園子を方舟ごと神樹の近くに叩き落とす。衝撃で方舟から投げ出され、園子は神樹の近くにまで転がっていく。痛む体を起き上がらせると怒りに満ちた表情のオドが目の前にいた。

 オドは片手を掲げてその先に黒い球体を生み始める。

 

「もういい、俺ごと神樹もお前も消してやるよ!」

「園子、避けろ!」

 

 銀の叫びが遠くから響く。しかしそれと同時に黒い球体に園子も神樹も、オド自身も飲み込まれる。心中のように三つの存在が重力の加圧に押し潰されようとしていた。

 

「園子は消させない! 神樹様も、君もだ!」

 

 禊の声が樹海の中に響き渡る。樹海の中の芽生え始めていた新芽が光を放ち始めた。芽生え始めていた新芽は光を放ち続けながら成長し、その芽が成長していき、樹海を埋め尽くすように向日葵の花が咲いていく。園子の感じていた重力の加圧が少しずつ弱まっていく。弱まっていき、そして激しい荒波のような力は凪いでいった。

 黒い球体が消え、神樹の前には座り込む園子とオド、そして園子と神樹を守るように、オドに正面から向き合う禊がいた。その身にはもう白色の鎧も、中途半端に生まれた蒲葡の鎧もなかった。纏うは黒い勇者装束。禊が神樹の勇者として認められ、加護を与えられた事を表していた。禊が纏って咲いている花は天に向かって開いていく花。彼が天の側にも目を逸らさない事を表していた。

 オドは問う。

 

「今更、何をしに来た? 神樹の加護を受けて俺たちを滅ぼしに来たか?」

「全てを救いに戻ってきた」

 

 言うや否や、オドは幾つもの黒い球体を放って禊を潰しながら、距離を開ける。迫るそれらに禊は手をかざしていく。光がいくつも生まれ、敵意を禊いでいく。禊がれた力は方向性を失い霧散していく。オドを追いかけるために少し浮き上がり、一度禊は園子に振り返る。そして笑って言う。

 

「ただいま、園子」

「おかえりなさい、みーちゃん」

「行ってくるよ、みんなを止めに。それがきっとここに僕がいて、神樹様に背中を押されて、みんなに帰る場所を守ってもらって僕が出来る、僕が一番やりたい事だから」

「うん、行ってらっしゃい、みーちゃん」

 

 園子に送り出され、禊は飛び出す。飛び出してオドを追いかけて空を飛行する。その途中で天の神の攻撃によって焼け焦げ、命が消えかけている幾つものバーテックスを見つける。

 

「大丈夫、みんな。今、僕がみんなを助けるよ」

 

 地に伏す彼らをに向けて手をかざしていく。バーテックスたちが光に包まれ、体の傷が禊がれていく。すぐに動ける状態ではないが、少なくとも命を失うことはない。それを確認するとオドを追いかけて禊は飛んでいく。

 オドを追いかけて、禊は落ちてくる太陽の近くまで来る。追いつかれ、オドは禊を迎撃する。空中で二人の拳がぶつかり、離れていく。ふり返り、もう一度二人は激突する。幾度もぶつかろうとも禊はその都度、自身とオドを禊いでいき、互いの傷を癒していく。何度も傷つけ合おうとも、傷を癒すことで戦う事を否定する。

 

「なぜ俺を癒す? お前自身だけを癒していればいずれはお前が勝つだろうに! 何故そんな無駄な事をする!」

「助けたいんだ、何もかも! 君も!」

 

 必死に新たに創造された自身の力を振るい、自身とオドの両方を守ろうとする禊。その必死な様子にオドはかつての三ノ輪銀の輝き、人の放つ眩い輝きを見出す。自身から分離し、発生した禊がそれを放つ事でオドの怒りは露わになる。

 

「何だそれは! どうしてお前がそんな風に輝ける! 何でだ! 俺と同じ存在だろ? お前は!」

「違う! 僕は小戸禊だ! 確かに僕は十三体目のバーテックスとして生み出された。でも今、僕の生き方を選んでいるのは僕だ! 他の誰でもない、僕自身だ!」

 

 思いを込めた禊の拳がオドの纏う白色の鎧を砕く。バーテックスとしての象徴であったそれが砕け、オド自身が露出する。翼を失い、浮力を失ったオドが地に向かって落ちようとするところで禊が抱き抱えてそれを支える。オドを、かつての自分を抱きしめて禊は言う。

 

「僕らは人を滅ぼすために生まれた。それは確かに事実だよ。でも僕の生き方は僕が決める。僕がそうしたいから、みんなとの未来を僕自身が欲しているから。その気持ちは確かに僕が生きてきたからこそ得られたものだよ」

「いいよな、そう言う生き方。そういう人間の生き方はきっと輝いてるよな。そうだ、告白しよう。俺はそういう人間の生き方、生き様に憧れた。神に決められた生き方しか選べない俺では見ることしかできないそれに」

「選べるよ、僕は君で、君は僕だ。でもそれでいて僕は僕で、君は君だ。同じ生まれの僕がこうして今ここにいるのは君がいたから。でも今はもう僕らは別の存在。君は君が生きたいように生きればいいんだよ」

 

 抱きしめていたオドを禊はその体を包んでいた天の神の刻印と言う名の呪いを禊いでいく。オドを始めに、それはバーテックスの伝達網を伝わってバーテックス全体に広がっていく。バーテックスと天の神の繋がりが断たれ、それぞれが一つの独立した命へと生まれ変わっていく。

 樹海に広がった向日葵がその命の誕生を祝福するように咲いて光を放っていく。小戸禊と言う名の土壌にバーテックスと言う名の命の種が花を芽吹かせていく。新しい命として旅立っていく、それが禊が彼らに与える祝福だった。

 

 一つ、一つの向日葵が放つ光が天から降る太陽に向かって集っていく。集まった光は太陽を包み込む。光は禊の祝福。それは絶える事ない炎の熱をなだめ、祓い、禊いでいく。生まれた太陽は少しづつ小さくなり、そして形を維持できなくなって崩壊した。崩壊した太陽から小さな熱が飛び出し、空を駆けていく。それはまるで向日葵の花が空に咲いたようであった。

 拮抗していた太陽が消えた事で勇者たちは地に降りていく。地に降りて一息つき、樹海が向日葵に満たされ、空の一点に戻ってきた禊がいることに気づく。

 押し花が趣味であった友奈はそれを見て、向日葵の花言葉を思い出す。輝き、愛の告白。

 そして向日葵はその本数で花言葉を変える花。999本あれば、その意味は何度生まれ変わっても貴方を愛すること。

 一度は存在が分離して生まれ、記憶をなくし敵になり、それでも自信を取り戻し、今度は神樹の力によって勇者になって何度も園子の元へ帰る。そんな禊の在り方を示しているようであった。

 

 オドとバーテックスを天の神の呪縛から解き放ち、禊は地に降りていく。遠くからは園子の方舟に乗った園子と銀が禊と勇者部に合流する。

 

 禊に放され、オドが仰向けに倒れて星空を眺める。その表情は初めて見る星空に遠い星を想像する子供の様であった。そんなオドに禊は安堵するとふり返り、彼を待っていた勇者たちに言う。

 

「ただいま、みんな」

「おかえりなさい!」

 

 禊の言葉への返事に皆の声が重なる。やっと戻ってきたのだと禊は実感する。

 

「神樹様の中で今までの勇者たちに会ってきたよ。いろんな事を託された。そのために今やらなくちゃいけないことがまだある」

 

 そう言って禊は上空にいる天の神を見上げる。天の神は神樹に満ちた星を再び炎の海に戻すためにかつて放った天沼矛を再び放とうとしていた。あれが放たれてしまえば、神樹も星もどうなってしまうか誰にも分からなかった。だからこそ止めに行かなくてはならなかった。

 そして皆の顔を見て禊は確固たる言葉を紡いでいく。

 

「神様を説得してくるよ。だから、これで最後、みんな待ってて」

 

 皆を置いて飛び立とうとした時、禊の腕が掴まれる。振り返ると園子が腕を掴んでいた。

 

「一人じゃないよ、みーちゃん。みんな一緒だよ」

「そうだったね。一人じゃない。みんな一緒に行ってくれる?」

 

 

 禊の言葉に皆が頷く。

 

「行こう、みんなで!」

 

 全員で園子の方舟に乗り、空へ飛び立っていく。ぐんぐんと方舟は空を駆け上がり、登っていく。迫り来る勇者たちに天の神も黙ってはいない。持てる全ての力を振るい、勇者たちを打ち払おうとする。降り注ぐ光の矢、大矢、強烈な音、小さな太陽、幾つもの障害が立ちはだかる。

 

「勇者部、ファイトー!」

 

 園子の方舟から勇者部と銀が飛び立ち、それぞれの方法で方舟を攻撃から守る。

「勇者部、五箇条! 一つ、挨拶はきちんと!」

 拳で払い、

「一つ、なるべく諦めない!」

 狙撃して撃ち落とし、

「一つ、よく寝て、よく食べる!」

 巨大化した剣で防ぎ、

「一つ、悩んだら相談!」

 ワイヤーで方舟を包み、

「一つ、なせば大抵なんとかなる!」

 増やした日本刀で迎撃し、

「これが人間のたましいってやつだ!」

 炎を纏った戦斧を振って道を作る。

 全ての障害を障害を乗り越え、禊を天の神まで送り届けることを終えて方舟は消え去っていく。

 

「行って、みーちゃん!」

 

 道を作ってくれた皆を一瞥すると禊は天の神に届く。

 その手が神に触れる。触れた手から神の一部が流入する。激しい憎悪、怒り。負の感情が噴出し、禊の中を染めていく。しかし禊はそれに染まらない。自信を染めようとする憎悪を払い、禊いでいく。それでも憎悪を現す神に両手で触れ、自分が心の中で思うことを伝える。

 

「神様、僕は生まれてきたことが嬉しいんだ。今ここにいて、明日を生きようって思えるんだ」

「君の怒りがが分かったよ。人は間違いを起こしてしまう生き物だ。でもその間違いを乗り越えて正しく生きていける生き物なんだ。だから信じて欲しい。君たちが生み出した人間は今もこうして生きているんだ」

「生きたいんだ!人として、ここにある命を持って、明日を生きたいんだ」

 

 生まれて感じたことを言葉にして禊は思うの丈を神にぶつける。禊の光が大地に根付いた神樹の向日葵から伸び、天の神を包んでいく。

 

 それでいいと一柱の神は思った。生まれた命が生まれたことに感謝し、生きていたいと願う。それは生み出した命が意味を持って生きるということ。人を生み出し、育てる神はその願いを否定することはできなかった。禊の存在を認めた神々は次々と天の神から離れていく。

 複数の神の構成体であった天の神が崩れていく。離れた神々は流れ星のように地に落ち、星と一体化しつつある神樹に合流して無に帰っていく。

 天の神が崩れ落ち、空にあった鏡が崩れ、神の持っていた悪意だけが形を残す。悪意はそれでも人を滅ぼそうと天沼矛を地に放つ。

 

「下には行かせない!」

 

 禊は手を伸ばし、地に落ちていく矛を光で包む。禊ぐ力によって大部分が削がれる。そのまま落ち、神樹の生み出すバリアが矛を防ぐ。轟音と破砕音を出しながら、何重もの層になったバリアを破りながら矛が落ちていく。星を一つ炎の海に変える矛はそれだけ強力なものであった。神樹の後押しを受けた禊をもってしても完全には消し去れない。後一手、最後の一手が足りていなかった。

 そしてその最後の一手はもうすでに打たれていた。急激に神樹がその力を増し、大地に根付いた向日葵がその光を強める。急激に神樹が力を強めた原因がわからず禊は見えるところ全てを見渡し、それを見つけた。

 

 大地に残し、星空を見上げていたオドがいた。その身体は樹木のようになり、人の形を保てないでいた。救ったはずのオドが平常ではないことを理解した禊が叫ぶ。

 

「何をしているのオド⁉︎ どうして君が⁉︎」

 神樹と同化し始めたオドの声が神樹を経由して禊に伝わる。それだけ彼が個体としての独立を失っていることの証だった。

 

「お前がしたことと同じことをしてるだけさ。お前は器、つまりは肉体だ。なら魂の部分であるはずの俺でも同じことができるはずだ」

「でも、どうして? 君はそんなことをする理由はないはずだ」

「お前の記憶に触れ、お前の言葉を受け取って思ったんだ。もしかしたら、俺も変われるんじゃないかって。だからこうしてやってみた」

 

 オドの魂という御霊を失ってオドの体は元の神樹の一部に還っていく。体のほとんどは植物に戻り、魂だけが神樹の一部になり始めていた。

 

「なあ、禊。俺は今まで選ぼうとはしなかった。でも今はこうして、これを選んでお前たちを守っている。これが人間らしく生きてるってことなのかな?」

 

 その言葉は不安そうだった。初めて聞くオドの声に禊はただ肯定する。嬉しいことだった。選ばなかった片割れが自身と同じように思い、同じように行動してくれたこと。それはきっと人間らしい行動なんだと禊は思った。

 

「きっと変われるよ。守ることを選んでくれた君が何よりの証だよ」

「そっか……、なら思い残すこともないか。なぁ禊? もしまた俺が生まれ変わることがあるのなら、また会えるといいな?」

「うん、僕もそう思うよ」

 

 天沼矛が強化された神樹のバリアに弾き返され、天の神の残った悪意は禊によって禊がれた。神樹はこれ以上自信を必要ないと感じ、完全に変化の移行を完了させる。神樹が星と一体化し、その存在は星と言う名の巨大な無に帰っていく。

 神樹が消失したことで樹海化は維持できなくなり、強制的に解除される。向日葵の花が舞い、世界が最後の神樹の光に包まれる。

 

 光が収まると禊は波のさざめきを聞いた。起き上がるとそこは大橋の近くにある砂浜、かつて園子に出会い、いつか二人で行った砂浜であった。

 

「みーちゃん? そこにいるの?」

 

 声が聞こえた。振り返ると砂浜にへたり込んだ園子を見つけた。驚いて園子の元へ駆け出して、禊は気づく。体が動かず、病院のベットから離れられなかった園子が弱々しくも己の力で体を起こしていた。

 

 

「園子、どうして身体が? どうなってるの?」

 

 禊の口が動く。本人の意思とは関係なく言葉が紡がれていく。それは消えゆく神樹の中に残ったオドの最後の思考。

 

「俺を形作ってた神樹の一部だけどさ。もう神樹が星と一体化して大樹がないせいで帰る場所がないから、お前たちの体の欠損に使わせてもらったよ。どうせ禊が帰る場所にお前たちはいるわけだし、なら悲しいことは少ない方がいいもんな」

 

 そして途絶える。神樹に残っていたオドの記憶が星に還ったのを理解した。

 

「兄さん、どうして最後でこんな風なのさ、勝手に消えないでよ」

 

 唯一の肉親が消え、禊の頬を涙が伝う。まだ上手く足が動かない園子が足を引きずりながら動き、禊を包むように抱きしめる。

 

「あの人はみーちゃんを通じて、こうして選べたんだよ。それはみーちゃんがいたから変えれた事。最後にあの人はみーちゃんの帰る場所を守ったんだよ?」

 

 人を滅ぼすための存在であったバーテックス。それが人の帰る場所を守るためにその持てる全てを使う。それは確かに変われたと言うべきだろう。そこに人間らしい心に従った行動があるのなら。

 小戸禊というきっかけから多くが変わった。バーテックスは天の神に使われる存在から一つの独立した命に、十三体のバーテックスであったオヒュカス・バーテックスは小戸禊という一人の人間に、乃木園子を始めとする勇者たちはその運命から解放され、人を守るために集結した神樹という神は人を見守る星に、そして神の時代は終わり、人が己自身の足で歩いて生きていく時代に変わった。

 

 そしてここにまた一つ、変われた存在があった。砂浜のさざ波の音に混じって小さな声が聞こえる。はじめに気づいたのは禊であった。周囲を見て、オドが元いたであろう場所を見つけた。そこには人間大の大きさの樹木が根付いていた。その根元から小さな声が聞こえる。

 まだ体が十全でない園子を支えながら、二人は声の主の元へ進む。

 

 そこで見つけた。新たに芽吹いた命がそこにはあった。大赦の神官服をおくるみにして小さく泣いている新しい命があった。その赤子を見て、禊は直感的に理解する。思わず笑ってしまう。嬉しい時は思わず笑ってしまうものだ。赤子を抱え上げ、顔を覗き込む。確かに彼の面影がその子にはあった。でも確かに別の新しい存在に、新しい命になって彼はここに生まれた。

 

「なんだ、兄さん。随分と早い再会じゃないか」

「わ〜、可愛い。名前はどうしようかな、みーちゃん?」

 

 二人で赤子を抱いていると大きな黒い影が砂浜を隠す。見上げるとかつての魚座のピスケスに似た大型のバーテックスが海の上を飛びながら四国の外へ向かっているところであった。その上には何体ものバーテックスが乗り、乗り切れないものたちは自力で飛んでついて行っていた。

 

「みーちゃん、あの子達はどこに行くのかな?」

「多分、どこか人のいないところだよ。心を理解してバーテックスは悲しみを覚えた。だから彼らは人が彼を見たらどうなってしまうか理解している。だからこそ彼らは外の人のいないところへ向かってるんだと思う」

「せっかく同じように心を持ってくれたのに行っちゃうの?」

「同じになったからこそ、今まで流れた両方の血の意味を彼らは知っていて、禍根がまだ互いに残っている。でも大丈夫だよ、いつかきっと彼らとも共存する日がくるよ。いつかは分からない。でも彼らもこの星に生きる同じ命なんだ、できない事じゃないよ」

「いつかそうなるといいね。きっと、来るよ。だってみーちゃんは帰ってきてくれたんだもの。不可能なんてないよ」

 

 新天地へ、命を芽吹かせる場所を求めてバーテックスたちは旅立っていく。新たに生まれた命を抱きながら、禊と園子は見えなくなるまで彼らを見送った。その旅路が幸多くあらんと天の空と地の海が交わる水平線を見つめながら願った。

 

 こうして神の時代は終わりを告げた。いくつもの血を流し、痛みを生み出しながらも最後には共存という可能性を残した人が自身の足だけで歩んでいく未来を選び出した。

 

 僕の名前は小戸禊。かつては血を流すために生まれ、今はこうして生きることを望んだ命の一つ。生まれ落ちた理由は定められたものでも生き方は自分で見出した。勇者のもどきとして戦って、勇者として戦う力を捨てて、人として戦いを終わらせた。

 拳ではなく、手のひらで誰かを救えるのならきっとそれがいいのだろう。僕はそんな人を勇者であると言いたい。

 これから生まれてくる命が幸いに明日の日々を願えるのならそれ以上の幸福はないのだろう。生きていく上で苦しいことは絶えることがない。それでも確かに最善の安らぎが誰にでもあることを僕は覚えている。それを知り、今日を生きようとする者は誰でも勇者であると僕は思う。

 


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