「小戸禊、遅れました!」
授業により遅れた禊は勇者部の部室である家庭科準備室の扉を開く。しかし来るであろうと予想していた部員たちの声は聞こえず、帰ってきたのは樹一人の唸り声であった。やってきた禊に気がついていないのか彼女は机に並べたタロットカードを見ながら、うーんと唸るばかりであった。どうしたのだろうと疑問に思ったが他に人はなく、やる事も無いので禊は樹に向かい合う位置に座り、友奈に借りた押し花の作り方の本を読み始めた。正面の本人は相変わらず唸り続けている。それから少しして。
「一体、どうしたら良いんだろう……」
「どうかしたの?」
「わああ! 禊先輩いつからそこに ⁉︎」
自身が唸っている間に正面に禊がいたことで驚き、樹は思わず椅子から落ちそうになる。急に話しかけたことは失敗だったかと禊は申し訳なく感じていた。
「そんなに驚くことないでしょ? 結構前からいたよ?」
「いたなら声かけてくださいよ……。」
「なんか悩んでるみたいだったから、そっとしておいた方が良かったかなって。他のみんなは?」
「その対応はなんだかドライな様な……。お姉ちゃん達は他の部活に助っ人です。私は早く終わったのでこうして占いをしながら待っていたところです」
「そっか、みんな他の部活の助っ人か出遅れて、どこに行けば良いか聞きそびれちゃったか。おとなしく待つことにしよう。ところで樹ちゃんは何を占っていたんだい? 随分と唸っていた様だけれど」
どうやら禊は一人出遅れた様で、助っ人中の人にメールの返信も期待できず、皆が帰って来るまで大人しく待つことにする。何も話さないのも味気ないと禊は目の前の後輩の唸りの原因を聞いてみることにした。
「えっと……その」
悩んでいた内容を聞かれ、樹はしどろもどろと行った様子になる。
「答えにくいことだったら無理に話さなくて良いよ」
「その……。聞いてもらっても良いですか?」
「もちろんだよ」
人差し指同士を合わせてうつむいた姿勢から禊を上目遣いに見ながら、意を決した様に樹は話し出した。
「あのですね……、もうすぐ音楽の授業で歌のテストがあって、でもみんなの前だと私上手く歌えなくて」
「緊張してうまく歌えないってこと?」
「はい。一人の時はそんなことなくて、お姉ちゃんも上手だって言ってくれるんですけど、やっぱりみんなの前だと緊張しちゃって。だからどうしたら上手く歌えるか占っていたんです」
ひとしきり話し終えると樹は顔を逸らし、人差し指同士を合わせてモジモジし始める。樹の話を聞いて禊はどうしたものかと考え始める。
「緊張かー……。そうだよね。大勢の前で歌ったり、何かするのって難しいことだよね」
「禊先輩はそういうこと無いですか?」
「どうだろう? 中学に入ってからはそんな事ないかな?」
「中学に入ってからってことはその前はあったんですか?」
禊と樹達の関わりはバーテックスとの戦いから始まった。そのため樹は勇者部以外での禊の様子を知らず、単純な興味からの質問であった。自身の経歴を聞かれて禊は閉口する。そして少し考えるそぶりを見せて改めて樹の方へと向き直した。少しバツの悪そうな顔をしながら禊は話し始めた。
「僕さ、二年前からの記憶がないらしくて昔の事とか何も覚えてないんだよね」
他人事の様に禊は語る。自分の知らない自分がいたことなど実感が伴わず、無意識に他人事の様に話していた。サラっと話す禊に一瞬樹は惚けたが意味をもう一度噛み砕き、驚く。
「……え? たっ大変じゃないですか!」
「意外と困ったことはないよ? 昔のことが分からないってだけだし?」
軽く聞いたつもりが思った以上に大きな問題が出てきて樹はまずい事聞いたのではと思い始めた。しかし当の本人は思い詰めている様子はなく、ケロっとしていた。
「僕の記憶は今どうしようもないわけだし今は樹ちゃんの歌のテストの話をしようよ」
「禊先輩がそう言うなら……」
少なくともあの夢の中の僕の顔をしたあいつは僕を知っている。
禊は心の中で一区切りつけ、元の話題であった樹の話題に話の舵を戻そうとする。促された樹も気になるものの、これ以上聞くのも失礼かなと己を納得させた。
「しかし……樹ちゃんがみんなの前で上手く歌うには、かー」
「話は聞かせてもらったわ!」
勢いよく禊の後ろの扉が開く。突然開いた扉の音に二人は驚き体が跳ねる。開かれた扉の先には二人以外の勇者部が揃っており、先頭の風は不敵な笑みを浮かべていた。
「樹〜、悩んでるならお姉ちゃんに相談しなさいよ〜」
自分を差し置いて禊に相談されたことに風はご立腹であったのか、ヨ〜ヨ〜ヨ〜とわざとらしく泣きながら樹に泣きついていた。
「そうだ! みんなでカラオケに行こうよ!」
「良い考えね、友奈ちゃん。実践に勝る経験はないわ」
樹の悩みを聞いていたのか友奈は良いことを思いついたとみんなに思いつきを発表した。美森もそれに賛成していた。
「馬鹿馬鹿しい。私は帰って鍛錬するわ」
「夏凜ちゃんも一緒に行こうよ! きっと楽しいよ」
実践だからと言ってカラオケはどうなのだと夏凜は呆れ、今日の勇者部の活動も終わったこともあり、帰ろうとしたところで友奈が夏凜の手を両手で握った。
急に手を包まれる様に握られたことで夏凜は顔を赤くしながら慌て始めた。助けを求めて周りを見回したが皆が皆ニヤニヤと夏凜を見ていた。最後に禊と目があったが返事はサムズアップだった。
「しょうがないわね! 一緒に行ってあげるわよ!」
部室から移動してカラオケ屋に到着する。友達と着慣れている友奈や風がテキパキと受付を終えて広めの一室に入室した。
最年長の風から歌い始め、高得点を出した風の挑発に乗った夏凜と友奈がデュエット曲を歌い終えた。
「それじゃあ次は樹の番ね」
マイクを渡され、緊張した趣で樹は歌い始めた。歌い始めはとてもよく、初めて聞いた禊にも彼女の歌のうまさが分かるものであった。しかし歌っている最中に禊たちの目が樹と合う。そこから声が震えだす。うまく行っていた歌は音が外れてがたがたになる。歌い終わった後、樹は元の席に座り、ため息を吐いて落ち込んでいた。
「ハァ……。誰かに見られてるって思うとそれだけで……」
「途中まではうまく行ってたんだけどね」
「これは重症ね」
「まぁ、今はただのカラオケなんだから上手かろうと下手だろうと好きに歌えば良いのよ」
せめてものフォローとして禊と風は助け船をだすがその優しさが樹をさらに落ち込まさせていた。しかし、これではよくないと樹は気分を入れ替え、禊を標的に定める。
「禊先輩は何か歌わないんですか?」
「……え? あー、そうだね。せっかく来たんだから何か入れてみよう」
初めてカラオケに来たために勝手がわからず、合いの手のマラカスに専念していた禊に樹は歌うことを勧めた。勧められた禊は友奈からカラオケリモコンを受け取り、知っている曲を探す。何となく知っている曲を見つけ入力する。部屋に設置されたモニターには禊の選んだ曲が表示されていた。表示されたのは有名なクリスマスソング。ゆっくりと禊は歌い出し、静かな聖夜の歌は夜は終わる。
「クリスマスソング? 今、夏よ?」
「仕方がないじゃないか、他の曲を知らないんだ。カラオケなんて来たのが初めてなんだ」
「禊先輩の意外な弱点、発見です」
「これからみんなで来てレパートリーを増やしていけば大丈夫だよ!」
本来は樹の歌の練習にきたはずであったが禊の歌のレパートリーの少なさという新たな問題が浮上していた。今度皆からお気に入りのCDを禊に貸すことが決まり、樹の歌も要練習と結論が出てカラオケ会は終了した。
帰り道、友奈と美森ペア、禊、夏凜、犬吠埼姉妹ペアに分かれて帰路につく。風と夏凜はそれぞれ夕飯の買い出しと煮干しの補充に分かれ、帰り道は禊と樹の二人だけであった。
「今日は楽しかったね。カラオケは初めてだったけど」
「はい! 禊先輩。私も楽しかったです。うまく歌えてなかったですけど……」
皆に見られ、緊張して声が震え続けていた。本人も気づいているし、改めて自分で言ったことにより、また落ち込んで自爆していた。流石に不憫に感じ始めた禊は話題を少し変えてみることにした。
「樹ちゃんは歌うことは好き?」
「歌うことですか? はい、私歌うことは好きなんです。でも皆に見られてると歌えなくって……」
「でも好きなんでしょ? なら大丈夫だよ。好きなものこそ上手になれって言うし、君ならできるってみんな信じてるよ。」
「そんなものでしょうか? 禊先輩は何か好きなことってありますか?」
好きなこと、と問われて禊の足が止まる。一度上を見上げて、元に戻す。考えてみるが一向に思いつかない。自分は何が好きなのだろうか? 考えてみるがやはり思考は堂々巡りばかりして具体的に何も出ない。結論はさっぱりとしたものであった。
「考えたこともなかった」
「お休みの日は何をしてるんですか?」
「友達の所によく行くよ?」
「好きなことって感じではないですね」
「最近は勇者部の活動が多いかな?」
「趣味は勇者部ですね」
答えが出ず、お互い適当になっているのを感じる。思った以上に何も思いつかない禊はなんだか焦り始めていた。
「意外と自分の好きなことって思いつかないものだね。樹ちゃんは歌って好きなものがあって羨ましいよ。将来は歌手デビューかな?」
「そんな事ないですよ! きっと禊先輩も好きなこと見つかりますよ! それに私が歌手なんて、想像しただけでもなんだか震えが」
「夢があって良いと思ったんだけどなー」
昨今あまりアイドルという言葉を聞かなくなったが、禊にはそれが樹のイメージにぴったり噛み合っていると禊は感じた。帰り道を歩きながら禊は今日一日を振り返る。悩める樹の相談に乗ってはみたものの、結果として大したことは出来ていなかった。
「ごめんね、樹ちゃん。相談してみなよって言っておきながら大したことできなくて」
「そっ、そんな事ないです! 相談に乗ってくれたこととか嬉しかったです。歌のテストはまだ不安ですけど頑張ります!」
禊への相談はと大した助けにはなていなかったが、どれでも一生懸命、解決方法を考える禊の姿は樹の決心の助けにはなったようであり、握りこぶしを胸の前で構えた樹は歌のテストを頑張ることを禊に宣言した。
数日後、歌のテストの本番が樹に迫っていた。後、数人で自分の番が来るというところで樹は不安でいっぱいいっぱいになっていた。
どうしよう。昨日はたくさん練習したけど結局、みんなも前で歌うことは克服出来なかった。
「犬吠埼さん。どうぞ」
「は、はい!」
無情にも順番は文字通り順番通りに来てしまう。考え事に集中していた為、急に名前を呼ばれたことで返事の声が裏返り、大きな音を立てて立ち上がる。大きな音を立ててしまい、周囲に謝りながら教室の前に移動する。樹には机から黒板前までの短い距離が処刑台の階段のようであると感じていた。
黒板の前に立ち、歌詞が見えるように教科書を前に構える。その時、中に挟まっていたのであろう折りたたまれた紙が落ちる。
何かと思い広げてみるとそこに書かれていたのは勇者部のみんなから樹へ書かれた応援の寄せ書きだった。
「テストが終わったら打ち上げにケーキを食べよう」
「周りの人はみんなカボチャ」
「気合いよ」
「周りの目なんて気にしない! お姉ちゃんは樹の歌が上手だって知ってるから」
「樹ちゃんのやりたい事してみたい事、応援してます」
皆それぞれの自分らしい応援が寄せ書きには書かれていた。皆の応援に樹は胸の奥が温かくなるのを感じる。自分はお姉ちゃんについて行くばかりで自分のやりたいことなんてないと樹は思っていた。しかしみんなの応援を受けて、自分の出来ることから、今はこの歌のテストが頑張ってみよう、そう思えた。
温かくなった胸で空気を吸い、樹は歌い出す。
放課後、勇者たちは部室の中に集合していた。
「樹ちゃん歌のテスト大丈夫かなー?」
「大丈夫よ、私の妹よ?」
自信満々に言う風であったが、椅子に座る彼女は片足をばたつかせて貧乏ゆすりをしたり、立ち上がって部室内を歩き回るなど落ち着きがない。ほかの皆も風ほどではないが、まだ来ていない樹を気にしてか時折、扉の方を確認していた。
しばらくしてトタトタと廊下を早歩きする音が外から聞こえる。音が大きくなると部室の扉が開かれる。扉を開いたのは満面の笑顔を携えた樹であった。
「バッチリでした!」
わぁっと勇者部内に歓声が上がる。皆一様に樹のテスト結果に喜ぶ。
「よし! 禊、宴の用意をせい!」
「了解です、風部長」
喜びを皆で共有して勇者たちの絆はさらに深まる。
そしてさらに後日、また禊と樹は共に下校していた。話題は先日の樹の歌のテスト。
「おかげさまで歌のテストはバッチリでした!」
「やっぱり、僕、何もしてなかったけど、樹ちゃんが上手くいって嬉しいよ」
禊は未だその一件を気にしていた。そんな禊に樹は少し恥ずかしげにしてカバンから一枚のCDを取り出した。
「そっ、それでですね。これを受け取って欲しいんです」
「これはCD? でもタイトルとかついてないね」
「それ私が歌った歌のCDなんです!」
「樹ちゃんの歌? そういえば僕は結局、樹ちゃんの歌聞いてなかったね」
「はい。それで禊先輩にも聞いて欲しくて」
「うん、帰ったら聞いてみるよ。たのしみだなー」
受け取ったCDを大事そうにカバンに入れる。そして樹はさらに切り出そうと顔を少し赤らめる。
「それでですね? まだお姉ちゃんにも言って事ないんですけど、私歌手になってみたいって思って、それでオーディションに応募してみたんです!」
「本当⁉︎ それはすごいよ。樹ちゃん、やりたい事見つけたんだね」
「はい! 禊先輩がやりたい事やってみるといいよって応援してくれたので頑張ってみようと思いました」
「そっか……、僕の言葉が樹ちゃんの力になったなら嬉しいよ」
自分の行いが良い意味を持ったことに禊は嬉しくなる。でもそれ以上に後輩が自分の夢を持てたことが嬉しかった。嬉しいことをしてもらえば、同じように嬉しいことをしてあげたくなるのが人の心情だろう。樹は話し出す。
「はい、だから今度は私が禊先輩のやりたい事、見つかるように応援しますね」
「そうだね、今度は僕がやりたい事を見つける番だね」
帰り道の夕暮れ。なんだか青春っぽい雰囲気で二人は帰路についた。今は何もなくてもきっといつかやりたい事が見つかるだろう。禊はそう結論づけた。
その時、スマートフォンに樹海化警報の表示が現れ、サイレンが鳴る。
約一ヶ月ぶりの樹海化警報に禊と樹は心を引き締める。周囲が樹海化の光に包まれる。
「でもその前にやる事を終わらせよう」
「そうですね、早く終わらせてまたいつもの勇者部に戻りましょう!」
そして四国全土は神樹の加護に包まれた。
深く、暗い水底の中にもう一人の禊は漂っていた。上下もない世界の中、色とりどりの花が咲いてアンバランスな様相を指し示していた。ここからでも感じるのはあの懐かしくも不愉快な天の気配。
「もうすぐだ、禊。そうすぐお前には選んでもらう。」
彼を見つめるは赤い牡丹の花。今は何もできない無力感が花を蝕む。
戦いを続ける勇者たちに並行して悪意はゆっくりと、しかし確実に迫っていた。選択の時は近い。
これより始まるは小戸禊の物語。序幕は終わる。
ここまでが序章になります。
完結まで頑張ろうと思います