第十三話
普段と異なる光景というものは、変化する前のそれを見慣れている程に違和感が大きくなる。
つまり今のコルネリウスは、整理整頓された机の上と、そこに整然と並ぶ書類やファイル。そして机の前に置かれた、高級だが柔らか過ぎることはないオフィスチェアに、強い違和感を覚えていた。場所はいつものオフィスであるが、今のここは彼の憩いの場ではない。
見るだけできちんと仕事をします、あるいはしろという光景。耐えかねたコルネリウスは、この状況を作り出した者に一言申すことにした。
「ここまでする必要はあるか?」
「当然、あります。真っ直ぐ座れないようなソファで、書類の確認が出来るとお思いで?」
「それだけならいいだろうに……」
「煩く言うつもりはありませんが、効率が下がりますよ。であれば多少窮屈でも我慢して、さっさと終わらせた方がいいでしょう」
翻意を望むのは難しそうな返答に、コルネリウスは観念してオフィスチェアへと座る。
普段と違う座り心地に小首を傾げる彼の対面。普通の事務椅子を持ってきた異界存在の名は、カルベスト・ヴォルフガングという。見た目こそ後脚で二足歩行する蟷螂であるが、その実かなりのインテリで、コルネリウスの経営する書店『Smaragd』の社長兼本店店長を任されている。
そんなカルベストは机の上にある書類の束を手に取り、コルネリウスへと渡す。
「昨晩のメールでもお伝えしましたが、あとはこれにオーナーがサインをするだけです」
「流石、仕事が早いな。では早速――」
「お待ちを。きちんと内容を確認してからにして下さい」
コルネリウスがペン立てから取り出そうとした、使用者の血や魔力を用いることで、サインだけでなく個人認証も出来る羽ペン。カルベストはそれを、前脚の鎌の先にある人のような手で抑え、残る三つの手で書類の重要な部分を指差す。
「こちらが中古車の、そしてこちらが廃車と放置車両取扱に関する申請書です。次に新会社設立にあたってのHLとEUそしてドイツへの届け出と、参加する各事業主との契約書。そして提携に留まる事業主との契約書に、第三種魔術危険物取扱に関する――」
機関銃のように、次から次へと繰り出される書類の説明。コルネリウスはそれを頭が痛そうにしつつも、きちんと聞き、内容を確認してからサインをしていく。彼は――仕事を放り投げても問題のない有能な誰かを得たこともあって――こういった作業を嫌うが、出来ない訳ではない。加えて言えば、手を抜いた先に待つカルベストの小言の長さも重々承知していた。
コルネリウスがサインをしていく書類は、どれも一つの目的に向けて用意されたものだ。平たく言えば中古車や廃棄・破棄された車両を、広い用途で取り扱う会社を立ち上げようとするそれ。辛うじて採算が取れるように計画されてはいるが、彼の目当ては金ではなく『記憶』だ。
コルネリウスが今まで取り戻した『記憶』は、二つとも廃棄車両から見つかるという共通点を有していた。無論、ただの偶然かもしれない。そも彼の記憶に僅かながら残る怨敵は、彼の持つ知識を狙っていたのだ。意図的にそのようなことをするとは思い難い。だが他に手掛かりが無い以上、捨て置けるものではないし、HLの現状もそれを後押ししていた。
原因はHLを震撼させた、『偏執王』アリギュラによるモンスタートラック事件。それを受けてHLでは、犯行に利用されたとされる放置車両を無くそうという動き。もとい一部有権者による、行政への恫喝が盛んになっていた。
しかし高度に政治的な、あるいは単純な暴力事情に翻弄されるのがHL行政の常だ。被害が大きかろうと、二度目があるかもわからない問題に割く余力は無い。いい金になるのであれば、また違ったろうが。
とはいえ彼等も有権者の支持があってこそ。コルネリウスの読みと調査通りであれば、行政は対象事業への優遇という形で事態解決に向けたアピール、もとい投げっぱなしをする。これを座視すれば、コルネリウスの記憶がどこぞの誰かに渡り、第二の祭司団事件が起きる可能性が生まれるだろう。
「この手の業界なんざ、マフィア連中の直営や下請けも多いってのに。手抜きしやがって」
「あるいは、そちらからの付け届けもあるやも。まぁ、どちらにせよ行政の手は足りません。貴方の『記憶』のためにも、ここは頑張りましょう」
サインの終わった書類をまとめつつ言うカルベスト。彼はかつてHLで死にかけていたところをコルネリウスに助けられ、更に念願の書店経営を任された経歴を持つ。故にコルネリウスには忠実であるし、彼の事情もある程度知っている。万一が起きぬよう情報漏洩に対する対策、もとい呪いはかけられているが、本人も承知の上だ。
カルベストのように忠実かつ、保険もかかっている人材。あるいは金銭関係による結び付きではあるが、信頼の置ける人材をコルネリウスは幾らか抱えている。またこれらHLで得た人材とは別に、吸血鬼時代からの主従関係も存在する。『記憶』を取り戻す度にそういった人材との繋がりが復活するのは、彼としてはありがたいことだ。単純に手足が増えるだけでなく、現状ではHLを長期間離れ辛いコルネリウスの代わりに"外"で動ける者が得られるのだから。
問題と言えば"外"の人材や資産には、多数の名と手段で連絡・管理が成されていたことであろうか。吸血鬼が人の世において何かを築くには必要な手法だったのであろうが、中には厳格過ぎる管理のせいで中途半端な『記憶』では手が出ないものもあった。故にコルネリウスは今後も、暗証番号を忘れて締め出される愚か者の気分を味わうことになるのだろう。
「唯一の救いと言えば、競合相手に奴等がいて一石二鳥ということぐらいか」
「抗争で手一杯のガルガンピーノは諦めたようですが、統一戦線と蛇咬会は参入の素振りを見せていますからね。……まぁ、統一戦線は利権を巡って身内同士で争い始めたようですが」
「あいつらにはまず野兎を捕まえてから、という発想が無いからな……よし」
最後の一枚にサインを終えたコルネリウスが、書類をカルベストへと手渡す。几帳面な異界存在はそれを改めて一枚一枚確認してから、磁気スライム製のクリアファイルへと入れて鞄に仕舞う。
「お疲れ様でした。では私はこれを役所に提出して参りますので」
「わかってるとは思うが、護衛を付けていけよ。ワンを始め、うちに靡いた連中へのちょっかいが増えてるからな」
「皆その対処に駆り出されてますからね。お陰で店の方が大変ですよ」
「安心しろ。最終手段として、仕留めたアホ共の死体を働かせるという手がある」
それは遠慮したいですね、と苦笑しつつカルベストがエレベーターへと乗り込む。特別な手順を踏まねばこの階層へと辿り着けぬそれも、降りる時だけは手間がかからない。つまり昇る時はかなり面倒であり、そういう仕様にしたコルネリウスですら時々『門』でショートカットする程だ。
そんな行き来に不便するオフィスであるから、当然下の階層との通話手段が存在する。滅多に使わない執務机の上、特注の黒電話のベルが鳴り響く。状況によって使い分けられる複数の音の内、今回鳴っているのは緊急のそれ。コルネリウスは部屋の隅によけられていた、いつものソファを運ぶ作業をやめ、受話器を取る。
電話口から聞こえてきたのは、冷静に努めようとしているが、焦りを隠しきれていないカルベストの声であった。
『ライブラがオーナーとの面会を求めています。確認出来る範囲では二人ですが、片方はあのクラウス・∨・ラインヘルツで間違いありません。オーナーがいらっしゃることはまだ伝えていませんが……如何なさいますか』
「――もしよろしければ名刺の交換をお願いしたいのですが」
「勿論、喜んで。いやぁ、あの高名なライブラのリーダーとお会い出来るとは」
「ありがとうございます。しかし、我々の仕事はあくまで望んでやっていることですので」
「………………」
暖かな日差しが差し込むオフィスで、互いの名刺を交換し合う吸血鬼とヴァンパイアハンター。その横で所在なげに立ち尽くすレオを見て、コルネリウスは声をかける。
「ん? レオもまた名刺欲しいのか」
「……えっ。ああいえ、以前貰ったので」
「そうか、ならいいが。……何か気になることでも?」
「えーと……その、以前はすみませんでした! ライブラ所属なのに、騙すような形で……」
頭を下げようとするレオを手で制止するコルネリウス。
「気にするな。非戦闘員なら、それが正しい」
「……すいません」
「そこはありがとう、でいいんだがなぁ」
緊張と罪悪感からか態度が硬いレオに苦笑しつつ、コルネリウスは客人へと椅子を勧める。彼が普段から使う背の低い机。それを挟んで向かい合う三人の会話は、特に緊張感も無い世間話から始まった。
「――ほう、放置・廃棄車両の回収と再利用ですか。ミスター・コルバッハはHLの環境問題にも関心が高いのですな」
「そんなに高尚なものじゃありませんよ。あくまでビジネスです。それも小金稼ぎの類で」
「しかし、楽な事業ではないでしょう。それにその手の業界には、裏社会の者も多い。彼等の妨害を知ってなお取り組もうというのは、素晴らしいことだと思います」
コルネリウスの言葉に嫌味なく称賛を返すクラウス。HLでは珍しい人柄と素直な言葉に、コルネリウスはどうにもこそばゆさを感じる。ちなみに真意を隠していることへの罪悪感は無い。
「そこまで言われると困りますね。この時期に、この事業ですよ? 疑おうとすれば幾らでも疑えるし、否定もし辛いというのに」
「…………この時期?」
出されたジュースを飲んでいたレオが疑問を挟む。緊張感は幾らか取れたようで、既におかわりを頼む程度にはリラックスしているようだ。
「おいレオ、お前新聞かニュースをだな。……まぁいいや、選挙だよ選挙」
「あ、そう言えば公示そろそろでしたっけ。でもそれが関係あるんすか?」
「そりゃあ、あるさ。これだけ放置車両が騒がれてるのに行政が動けない今、それを解決するんだから。もし俺がどこぞの政治家の意を受けてたとすりゃ、票を得るのに役立つかもしれんな?」
「あー…………数字通りの利益とは限らないんですね」
複雑な表情で頷くレオだが、横に座るクラウスはそうではなかった。
「仮にそうであったとしても、矢面に立つのは貴方であり、成されることも変わりません」
「……随分と買ってもらえているようで。よろしければ、理由をお聞きしても?」
コルネリウスの純粋な疑問に対し、クラウスは迷う素振りも無く返答する。
「祭司団の一件において、貴方は助ける必要の無かったレオナルド君を助け、その目的に疑念を持った後も彼を害さなかった。そして他にも、貴方に助けられたという者を知っています」
クラウスは、コルネリウスの目を真っ直ぐに見たまま続ける。
「生と死の境界を容易く踏み越えてしまうこの街では、誰かを助ける、そして信じる。それだけのことが何より難しい。この街の危険性を熟知した者であればあるほどに、です。故に私は、他者を助け、信じ、そして信頼されている貴方に最大限の敬意と、感謝を」
「…………成程。これは、なんともまた」
馬鹿が付く程に、であった。だが、コルネリウスは知っている。ライブラの実績を。そして彼等がHLにおいてどれだけ憎まれ、疎まれ、狙われているかを。数え切れない程の謀略と裏切りを経験してきたであろうクラウスが、それでもなお持ちうる他者への曇りなき信頼。それはコルネリウスが言葉に詰まる程度には、強力であった。
コルネリウスは苦笑しつつレオへと視線をやる。特別な目を持った少年は、どこか誇らしげな表情で彼を見ていた。
「いい上司を持ったなぁ」
「はい!」
元気よく頷くレオ。そんな彼を心中でささやかに祝福しつつ、コルネリウスは部屋中に広げていた血による探知を解く。当然、それに気付いたレオは表情に出してしまうし、それを見逃すコルネリウスでもない。
「リラックスしてると見せかけてるのかと思ったが、素だったか。上司に似て、腹芸の上達は遠そうだな」
「あー……いやその、やっぱり荒事になる気がしなくて」
「間違っちゃいない。……さて、こうして会話しているのも楽しくはありますが、そろそろ本題に入りましょうか。礼を言いに来ただけでもないのでしょう?」
あえてコルネリウスの側から切り出したのは、一種の確信があったからだ。それは眼前の大男には、生半可な偽りは通じないということ。そしてもうひとつは、余計な心配をせずに腹を割って話せる相手ということ。
「誤解のないよう申し上げます。我が同志を助けて貰ったことへの礼も、目的のひとつです。ですがもうひとつ……先日壊滅した非合法組織、ブルンツヴィークの祭司団が所持していたとされる電子魔術書。ミスター・コルバッハは、何かご存知のはずだ。それを、教えて頂きたい」
「……いいでしょう。とはいえ、貴方が求めている答えとは違うかもしれませんが」
「これは、確かに……」
思わずといった様子で唸るクラウス。彼の手の中には、光沢のある黒い正二十面体が握られている。それはコルネリウスが現在二つ持っている『記憶』――正確に言えば、その入れ物だ。そして"中身"に関しても、コルネリウスが手に入れた時のものとは異なる。
「コルネリウスさんと会った時の……いや、僕と会った時の記憶、ですよね……」
クラウスの横で、同じく記憶の容器を持つレオが呟く。彼は今、コルネリウスと自分が出会った時の様子を、コルネリウスの視点から見て、同じ感情を得ているはずだ。もっともコルネリウスはその記憶を"取り出して"いるため、彼等が何を見ているかは記憶の空白部分の前後から推測するしかないのだが。
彼等が見ている『記憶』が元々容器に入っていなかったものであるのには、勿論理由がある。と言っても、単純な話だ。コルネリウスは記憶を取り戻す中で、それに用いられている技術の解析を進め、ある程度をものにしたのである。
そこから得られた結論は、この魔術は脳を弄くりまわす各種技術のように、記憶を取り出すだけのものではないということ。それは記憶も含めた対象の存在とでも言うべき『情報』を、操る技術であった。
研究材料の乏しさと、知識を奪われた影響。そしてこれは予測の域を出ないが、特定の条件を満たした者でないと扱えない魔術であることから解析が難航しており、コルネリウスもこの魔術を自在に扱える訳ではない。少なくとも、確固たる意識を保つ他者に使うことは出来ないだろう。ただ一つ言えるのは、この魔術を極めたならば、相手を『情報』へと分解してしまうことも可能ということだ。それは相手がたとえ、吸血鬼であったとしても。
「製法は解析中ですが、どうもその金属体は『記憶』を封じるのに向いているらしい。とはいえ万人がその全てを覗き見れる訳ではなく、相性次第で引き出せる割合が大きく変わるようで。また封じた者がプロテクトをかけていれば、基本的には"見る"だけで自らのものには出来ません」
だがコルネリウスはあくまで『記憶』のみを扱う技術として、説明と実演を続ける。全てを伝えてしまうのは、様々な意味で不都合があり不可能だ。扱えるのが『記憶』だけでも問題はあるが、そこは余計な疑念を生ませぬために必要なものだと割り切っている。
「このように他の物体にも封じることは可能ですが、安定性がありません。まぁ鍵どころか底の抜けた金庫のようなものです」
コルネリウスはクラウスが持っていた万年筆の端を握りつつ言う。もう片方はクラウスが握っており、やはり驚きの表情を隠していない。
「なので手を離すと『記憶』が貴方のものになってしまいかねません。サイコメトリーの類による偽装に見えるかもしれませんが、私にはそれを取り戻す手段が無いのでご容赦を」
「……いえ、疑うつもりはありません。証明のためとはいえ、心の内までも曝け出させてしまったこと誠に申し訳ない」
「なんのなんの。偽装だと疑われないだけで十分過ぎますよ」
コルネリウスは頭を下げようとするクラウスを制し、彼等から金属体を受け取って『記憶』を自らへと戻す。ついでに空になったそれを、再度クラウス達へと渡して確認させておく。クラウスはただの金属体と化したそれを握り、納得したように頷いた。
「確かに、可能性が皆無とは言えません。しかしレオナルド君からの情報も合わせれば、長期間物質に情報を封じられる伝説級のサイコメトリーよりも、ミスター・コルバッハの仰る技術が使用されていると考慮する方が妥当でしょう」
「ありがとうございます。とはいえ納得出来ない方もいるでしょうから、その金属体の片方は持ち帰って研究して頂いても構いません。中身は空ですし、その内返して欲しくはありますが……」
「可能な限り早急に返還出来るよう、努力しましょう」
持っていた金属体を懐に収めたクラウスは、しかし、と続ける。
「そうなると、祭司団の用いていた魔術は、貴方が修めたものということでしょうか」
「はい。絶対に私の知識である、とは言い切れないのが辛いところですが」
「いえ、それは。ですが何故、彼等のような存在に貴方の『記憶』が渡るような事態が起きてしまったのでしょうか」
意図的に技術を与え暴れさせた、そう取ることも出来るだろう。もっともコルネリウスは眼前の善人が、そのような意図で質問している訳ではないとわかっていたが。
「既に気付かれているかとは思いますが、『記憶』を操る技術は元々私のものではありません」
コルネリウスは三年前の、断片的に思い出すだけでも苦く、腸が煮えくり返るような敗北と怒りの記憶を思い出しつつ話していく。自身の記憶がレゴブロックよろしくバラバラにされ、どのような経緯からか街中に捨て置かれているという事情を。
少なくとも表面上は冷静であるはずのコルネリウスの語り。しかしそれでも、何か感じるところがあったのだろう。ライブラの二人は質問を挟むこともなくそれを聞き続け、彼がそれを語り終えてから話し始める。
「……自らを成す一部を奪われた無念、察するに余り有ります」
「本当に何でも起こる街ですよ、ここは。……ただこれはライブラが来たという現実的な都合と、貴方がたの理念に敬意を表して伝えた情報です。感情的な問題だけでなく、仕事柄命に関わることもありますので、あまり広めないようお願いしたいのですが」
「それは、勿論。我々が『記憶』を入手した場合も、貴方にお返し出来るよう手配します」
当然のように言われたその言葉に、再度驚くコルネリウス。実情はどうあれ彼の『記憶』は、適合すれば素人にも力を与えてしまうことに変わりはない。
「"中身"もそうですが、この『記憶』の魔術も十分な危険物だと言うのに、剛毅なお方だ」
「我々はあくまでこの都市、ひいては世界の危機に水際で対処する組織です。各種協力機関はどうあれ、可能性があるというだけで力に訴えることはしません」
「元『世界の警察』の二の舞を避けたい……というだけでは、ないんでしょうなぁ。貴方とやり合わずに済むことを願ってますよ」
「ええ、私もです」
話が一段落したとばかりに、手を付けていなかったカップを口元に運ぶ二人。横に座るレオも荒事に発展せず会話が済んだことに改めて安堵したのか、菓子のおかわりをコルネリウスへと頼む。
このひと時で随分と減った来客用のクッキーを袋から取り出しつつ、コルネリウスは思い出したように口を開く。
「ああ、でも仕事でかち合った時はまた別の話ということで」
「えぇ……折角いい感じに終わりそうだったのに」
「急に訪ねた身であるというのに、見送りまでしてもらって申し訳ありません」
「お気になさらず。どうせ私も外へ出ますので」
「成程、営業ですな」
「ははは」
コルネリウスは昼飯兼散歩であるということは答えない。彼が客で賑わう一階の店舗内を出入口まで先導する途中、クラウスが興味のある本を見つけたと立ち止まった。コルネリウスは特に思うところも無かったので、申し訳無さそうにするクラウスに本を選ぶまで待つことを快諾した。
だがクラウスが手に持つ本が、プロスフェアーという異界のボードゲーム関連であることを見て取ったレオ。彼は苦い顔でコルネリウスに、あれは絶対に長くなる、と言って自身も興味のある本を探しに行く。
そんな二人を眺めつつ、店員に社割の適応を申し付けて会計を待つコルネリウスに、カルベストが静かに近付いてくる。
「お疲れ様です。何が起こるかと、肝を冷やしましたよ」
「荒事前提で来たなら、もっと分かり易い手段を取るさ。迎撃態勢を取らんでよかっただろ?」
コルネリウスが身一つで面会に応じようとしたのとは正反対に、カルベストは店に配備されている各種戦力を持ち出そうとしていた。コルネリウスの下で、またHLという街で様々な危険を乗り越えてきた彼ではあるが、やはり文人でありこの手の状況には過敏に反応しがちである。
とはいえそれは先日コルネリウスが手に入れた、ライブラの映像記録。クラウスがどうしてか地下闘技場に参加し、並み居る強豪を打ち倒す姿を見せてしまった影響もあるやもしれない。
「……恥ずかしながら、小心者でありますから。ですがあの少年、オーナーの話が事実であれば血界の眷属を見抜く力があったのでは」
「どこまでの性能があるかはわからん。例の魔術で俺の吸血鬼としての存在から何かが抜けたか、余分なものが入った影響もあるかもしれんな。まぁレオは腹芸が出来るような奴じゃないし、羽が勘違いだったと思えるよう偽装もしたから大丈夫だろう。多分」
「最後の一言で一気に不安になったのですが……」
頭が痛そうなカルベストの姿に、コルネリウスは笑う。ライブラに目をつけられた時点で、ある程度の覚悟はせねばならないのだ。奇襲を受けない自信があれば、バレていないという前提で動いた方が良い結果を生む可能性が高い。少なくとも、恐怖に駆られ最初から敵対を選ぶよりはましだろう。
「ただあれだな。今日来たのがあくまでクラウス・∨・ラインヘルツだというのは、考慮しておく必要がある」
「組織の総意ではない、と?」
「方針としては彼の意思が尊重されるのだろう。だが彼のような人間だけでは、ライブラがHLにおいてここまで活躍出来たとは思えん」
「汚れ仕事を請け負う部署が、引き続き貴方を警戒するということですね」
「あくまで独自の動きだとは思うがな」
この短時間の会話でも、コルネリウスはクラウスがそういった手段や方針を好まない、どころか許容しない人間だと感じた。それは組織経営において、明らかに甘いだろう。だが同時に、そこまでの愚直さと他者への信頼があるからこそ、文字通り魑魅魍魎が跋扈するHLで折れず、世界の危機へと挑み続けられるのだとコルネリウスは考える。この街には効率や利益だけで考えるなら、諦めてしまった方が賢い問題が無数にあるのだから。
「暫くは監視の目に気をつけないといかんな……ん?」
「どうかなさいましたか?」
目を細めて出入口を見るコルネリウスに、カルベストが問いかける。その視線を追っても、彼には魔術的な処置が成されているだけの、ガラスの自動扉しか見えないからだ。だがコルネリウスは早足でそこへと向かって行く。彼が自動扉の前に立つのと、それが開き、向こう側から血だらけの男が倒れ込んで来るのは同時であった。
「どうした、誰かに追われているのか?」
店内ということもあり、捨て置く訳にもいかない。コルネリウスはその男に魔術で簡易な治療を施しつつ、声をかける。中国人らしき男は意識が朦朧としているようであったが、コルネリウスの顔を見ると目を見開いて、苦しみつつも口を開いた。
「私は……蛇咬会の楊大人の使いです。昨今の我々の争いついて、コルバッハ殿への謝罪と和解の場を設けるために来たのですが……それに反対する連中に襲われました……」
男は絞り出すように続ける。
「主の楊大人も囚われの身となりました。お願いします、どうか大人をお助け下さい……!!」
コルネリウスはどう答えようかと思案する。しかしその僅かな時間すら認めないと言わんばかりに、店の前に急停車した数台の車から武装した男達が飛び出してきた。
真面目な話で ・V・ なんて書いてると笑いそうになって困る