HLではその多くが霧に遮られるとはいえ、生物の営みに欠かせない太陽の光。それが無くなった夜であるというのに、九慶大厦の下層。商業施設が詰まった各フロアは、昼とは打って変わって凄まじい賑わいを見せていた。今日の昼は特殊な事情があっただけとはいえ、ここまで差があると別の場所だと誤認してしまう者すらいるだろう。
「話に聞いていたよりも盛況に見えますね。昼の反動でしょうか」
「それもあるでしょう。しかし一番の原因はコルバッハ殿、貴方があの二派閥の長を討ってくれたからです。首領や兄弟が殺されて以降、武侠の誇りを忘れてしまった彼等に、この地区は陰日向なく脅かされていましたので」
眼前の賑わいを眺めてから、故人を偲ぶかのように目を瞑る楊大人。コルネリウスはそれを横目で眺めつつ、彼と合流する前にこの場で買った屋台物を口へと運ぶ。目的を達成したため、レナートとは既に別れていた。
「……失礼しました。歳を取ると、つい過日の思い出に浸ってしまうもので」
「構いませんよ。記憶というのは大事ですから」
「そう言って頂けるとありがたいですな。……では、上でこれからの話をしましょう」
楊大人に促され、コルネリウスは上層の分譲住宅エリアへと向かう。昼に血で汚れた部屋とは異なる一室で、二人は一枚板の机を挟んで向かい合う。楊大人の部下が茶だけを置いて退出し、楊大人とコルネリウスはそれを飲んでから話し始めた。
「久龍閥は首を刈っただけなので、まだ反対する元気が残っているやもしれませんが」
「それでも潮は変わりましょう。そこはお任せ下さい」
手打ちの細部について話し合う二人。とはいえ、その殆どは昼に話したことの繰り返しだ。特に齟齬が起こることもなく、会話は順調に進む。
「――では、この条件で。混乱する各派閥を纏め上げるのに少々時間がかかるでしょうが、お任せ下さい。ああ、我々からの謝意も勿論ありますが」
「おまけは無くてもいいんですがね……あまり扱いに困るもんにせんでくださいよ」
「ご心配めされるな。人を贈る時は法的に問題無い形にしておりますからな」
「いえ、モノカネでお願いします」
さらりと物騒なことを呟く楊大人。落ち目であったとはいえ、彼もまた九慶大厦を制するための騒乱を生き抜いたマフィアであった。
そう長くない話し合いを終え、楊大人の部屋を辞したコルネリウス。彼は九慶大厦をあえてエレベーターを使わず、階段を使って素早く駆け下りていた。そのまま目的のフロアへ辿り着くや、踊り場の床がへこむ程の勢いで方向転換し、扉が並ぶ廊下を突き進む。
常人であれば目で追い切れない程の速度が功を奏したのか、コルネリウスの探していた人物は撤収を終えていなかった。黒い服に身を包んだ少し髪の長いアジア系の男。彼は昼間にネオ三元里で取り逃がした、所属不明の監視者である。
「こんばんは。今日はいい夜だ」
「………………」
「ああ待て待て。お前とやり合う気は無いが、それ以上手を動かすなら話は別だ。先程のように逃げ切れるとも思って欲しくない」
単純な凶器は勿論、刃が反射物になるような物でも困るのだ。今が『夜』である以上、万一でもそれに気付かれる余地が生まれれば、話し合いの余地など無くなってしまうから。
そんな彼の言葉を認めたのか、動きを止める黒衣の男。しかし目は諦めておらず、コルネリウスは面倒なことになる前に会話を進めんとする。
「こちらからの要求は二つ。まず第一に、俺への監視を止めること。もう一つは、持っている録音データを渡すこと。後者は悪用しないのであれば、そこまで重視せんが」
「………………」
「疑ってさえいれば、盗聴されているかどうか、相手が何処にいるかぐらいは簡単にわかる。それで、どうだ。君の上司は――ライブラは、これを認めてくれるかな?」
コルネリウスの言葉に、男の表情がほんの僅かだが動いた。『夜』であることもあり、機械並みの能力を持つコルネリウスの眼はそれを見逃さない。
「お前がネオ三元里の者でも、久龍の者でも、そして九慶大厦の者でもないのはわかってる。少なくとも後ろ二つは、『記憶』を使ってトップから直接聞いたから確実だ。そも情報が正しいかどうか、そんな無益な問答をする気もない」
未だに無言を貫く男に、コルネリウスは続ける。男がライブラ所属であるかはコルネリウスにとって推測の域を出ていなかったが、重要なのは相手の所属を暴くことではなく、監視を止めろとのメッセージを伝えることだ。
「いくら脳に処理が施されてようと、無傷で確保出来ればいくらでもやりようはある。だが俺はヘル・ラインヘルツとやり合うのは避けたい。逃走や自害が現実的でないと思うのであれば、受けて貰えるとありがたいんだが」
「……わかった。だが、俺が判断出来るのは二つ目の条件だけだ」
「伝えてくれれば、それでいいさ」
断りを入れてからゆっくりと懐から取り出され、放り投げられた小型の録音媒体と機械。コルネリウスはそれが空でないことだけを確認して、外部から影響を及ぼせない『門』へと放り込む。
「真贋を疑いはしないのだな」
「あくまで監視の件が優先だからな。それに、このデータはじきに意味の無いものになる」
「…………何?」
男が疑問を口にした直後、乱暴に扉を開け放つ音が廊下に響いた。一つや二つではない、彼等がいる階の、見渡す限り全ての扉である。
開かれた扉の奥は、夜だというのにどこも電気が灯っていない。そして暗がりの中からのっそりと出てきたのは、額に札を貼り付けた青白い肌の男達であった。
「キョンシーか。しかしこの数、術者は……」
「そりゃあ勿論、普段から空き部屋に死体を隠しておける奴だろう。窮地を偽って外部戦力を引き込んだり、俺に"目印"を付けた上で移動経路を敵に流したり、生きて帰ってきたら毒を飲ませるような」
「……成程」
誰を狙うかの区別はつかぬのか、二人ともが標的なのか。飛び掛かって来たキョンシーを黒衣の男は避け、すれ違い様に脚を払いつつ額の札を剥ぎ取る。しかし無様に転倒した屍は、何事もなかったかのように起き上がり虚ろな瞳を男へと向けた。
札の力に任せた使役ではなく、熟練の死霊術。数を考慮すれば相当な戦力であるそれを前に、コルネリウスは眼前の一体を唐竹割りにしつつ笑う。
「俺は上に向かうが、あんたは一人で帰れるか?」
「当然だ。……先程の件は、確かに上に伝えておく。どう判断されるかはわからないし、俺としてはここで貴様が力尽きる方が楽でいいが」
「言ってくれるなぁ。じゃあ、またいつか。願わくば明るい内に、正面から」
再び訪れた最上階には、薄暗く殺意ばかりを感じた昼間とも、清潔感と高級感が溢れていた先程までとも違う光景が広がっていた。今やここは電球の光に照らされた動く屍が、声を発することも意思を感じさせることもないまま、そこら中を徘徊するだけのホラーハウスだ。
ただ斬り捨てるだけでは効果の薄いキョンシー達を、コルネリウスは『夜』の力を控え目に用いつつ大剣で突破していく。ある者はバラバラに、ある者はミンチにと、動けなくしてしまえば生者と変わらないとばかりに。
そして辿り着いた、見覚えのある部屋。先程辞したばかりのそこへ踏み入れば、廊下の先、広い居間の中心に楊大人が佇んでいた。曲がっていたはずの背はしゃっきりと伸ばされ、弱気を感じさせていた目や口は、相手に悪意を伝えるためだと言わんばかりに醜く歪んでいる。そして纏う気迫も落ち目のマフィアなどではない、正真正銘闇の世界に生きる魑魅魍魎のそれだ。
偽りの仮面をかなぐり捨てた楊大人は、自らの兵を物ともせずにやって来たコルネリウスを見ても動じることなく嗤う。
「やはりこの程度では死なんか。連中を仕留めるだけはある。象なら殺せる程度の無味無臭の毒も盛ったんじゃがなぁ……」
「先に茶を飲んで見せたあんたと同じだよ。備えあれば、だ」
「ふん。数日かけて体内で中和する準備を整えた儂と一緒にするでないわ、化物め」
口調こそ憎々しげなものだが、その表情は笑みを崩していない。コルネリウスはそれを虚勢ではないと感じ、何か奥の手があるのだろうと判断しつつも、会話に付き合うことにした。
「これだけの屍を操る爺さんも十分化物だろうに。いや、能力よりもその精神性がか。蛇咬会の首領や、あんたと同派閥の幹部連中。そして兄弟分を始末したのはあんただろう」
「ほう、何故そう思う? まさか外法の技を用いる者であれば、というだけではあるまいて」
おぞましい行いを否定することもせず、ニマニマと笑みを浮かべる楊大人。コルネリウスは眼前の怪物に辟易としつつも答える。
「ここに戻った際、あんたに会う前に空き部屋を漁らせてもらっただけだよ。脳さえ綺麗に残っていれば、わりとどうとでもなるもんだ。後は久龍の連中の受け売りだが」
「成程、先程の記憶を操る術か。死者のそれまで引き出せるとは、抜かったわ。その口調だと蛇共の混乱も、やらせなんじゃろうなぁ」
「あっちはネオ三元里と違って、今まで俺とやり合ったことが無いからな」
「蛇共も所詮犯罪者。疑念を持ったまま潰しても、世の中が平和になるだけだろうに」
からからと嗤う楊大人。彼が蛇咬会において成してきたことは、まさに毒蛇と言うべき所業だ。まずは首領を殺し、その座が空白になり続けるよう暗躍。裁定者がいない間に同派閥の有力者を次々と殺害し、それを掌握。そして権力を握る準備が整えば、コルネリウスを利用して敵対派閥を潰させようとした訳だ。
派閥に属する"人間"が少ないのも、隙を見て片っ端から人形にしていただけだろう。勿論、表向きは敵対派閥の仕業にして。なにせ死体を操れるのだ、昼間のように大抵の状況は演出できる。
こんな行いを水面下で続けてきただけあり、彼の演技や偽装力は優れたもの。コルネリウスも自らに付けられた"血"に微かな魔力の痕跡を感じなければ、怪しくてもどうせ敵だからと老人の思惑通りに動いていただろう。
なにせ彼が楊大人に代わり、手打ちを主導する相手に選んだ久龍城塞に集う蛇人型の異界存在達は、自分達から誤解を解こうとするような性格ではなかった。本人達曰く武侠とはそういうものであるそうだが、コルネリウスは断じて違うと今でも思っている。
「満足する手打ちが出来るなら、それに越したことはない。……それで、爺さん。準備はまだ終わらんのか」
「気付いておったか。いや、そうかそうか……ははははッ!」
嫌気がさすのみで、面白みの欠片も無い会話。それに飽いたコルネリウスが左腕の腕時計をちらつかせつつ挑発すれば、楊大人は大口を開けて哄笑する。その顔は自信と、そして悪意に満ち溢れたものだ。
「増上慢の若造めが、少し使うぐらいでいい気になりおってからに。部屋に入るなり斬りかかっていれば、あるいは儂を討てたかもしれんのじゃがなぁ」
粘り付くような声でコルネリウスを嘲る楊大人は、胸元から一冊の本を取り出す。紐で綴じられた一目でわかる年代物のそれは、老人が頭上に掲げた瞬間、濃密な魔力と眩い光を撒き散らし始めた。
部屋を覆う光が晴れた時、その中央にはネオ三元里で見た巨大鎧。それを小型にしたかのような剣を持つ武者が忽然と現れ――その腕がぶれたかと思えば、コルネリウスの上体が下半身から滑り落ち、地に着く前に細切れとなった。
部屋に立ち込める咽るような血の匂い。楊大人はそれを苦にもせず、腹を抱えて嗤う。
「ははは、愚か者めが! 貴様も首領や、兄弟と同じよ。外法を侮り、己を過信し、倫理に伏して利を捨てる。その結果がこの様だ!」
楊大人は狂ったように笑いながら、地に立ったままのコルネリウスの下半身を蹴倒す。
「儂の死霊術を最低限しか使わせようとせぬ愚か者。手に入れたこの書を、人の身に余るなどと焼き捨てようとした愚か者! 見ろ、この街が与えてくれる力はこんなにも圧倒的ではないか! これさえあれば、本国の政治に食い込むことなど造作も無い! 片田舎の村民委員会副主任の子として生まれた儂が、蛇咬会を足掛かりにいずれ世界を動かす……の、だ……?」
だが、狂笑はいつまでも続かなかった。老人の目の前で、たった今蹴倒した男の下半身が、重力を無視したかのように起き上がったからだ。思わず後ずさった楊大人を置き去りにして、変化は続く。部屋中に飛び散っていた血肉が逆再生のように集まり、神速の刃で塵になるほどに切り裂かれたはずの上半身が徐々に元通りになっていくのだ。
明らかに人間では起こせないその現象を、老人は知っていた。仮面を脱ぎ捨ててから、始めて出た怯えを含んだ声で答えを叫ぶ。
「ぶ、血界の眷属……!? 馬鹿な、只のヴァンパイアハンターでは……それが、それが……」
「全く、質の悪い冗談だよなぁ。だから、知らぬのも無理はない。そうだろう?」
既に部屋に入ってきた時と同じ姿のコルネリウス。否、その口元からは、先程まで隠していた牙が覗いている。彼は呆然としている楊大人をよそに、斬られる直前に部屋の隅に転がしておいた、先程手に入れた録音機を拾い上げ老人へと見せびらかす。
「これがあれば、あんたの野望は終わりだし、手打ちもやりやすくなるだろうよ。もののついでではあったが、結構良い品だな、これ」
そして懐に生んだ『門』へと再度投げ入れ、楊大人へと向き直る。
「では、お互い言いたいことは言い終えた。後はどちらかが先祖の列に加わればいい」
その言葉に、自失していた老人は我を取り戻して叫ぶ。
「き、貴様が血界の眷属であったからとて何だ! 儂が召喚したのは、正真正銘の神性存在だ! あの『堕落王』が呼び出したものと、等級もそう変わらんのだぞ! 負けん、負けるはずがないのだぁ!」
言葉とは裏腹に、楊大人の声からは僅かな余裕さえ感じ取れない。たったひと時で随分と威圧感が失われてしまった老人は、今や他者を欺くための演技をしていた時より小柄に見えるほどだ。
「……成程、確かにそいつは俺達でも手間取る相手かもしれん。だがあんたには、一つ見落としていることがあると思うんだが」
そんな彼を見ながら、コルネリウスは笑って告げる。
「この手の連中は、ただ戦いたいから少ない対価で召喚に応じている訳でな。召喚主を傷つけはせんが、先払いだから守りもせん。――そんなものと吸血鬼の戦場で、さて爺さんはどうやって生き残るつもりなんだ?」
哀れな老人の顔色が変わる。まるで、彼が冒涜してきた同胞達のように。
「蛇咬会の九慶閥は事実上壊滅、か……」
とあるアパートメントの一室で、左頬に傷跡のある男――スティーブン・A・スターフェイズが呟く。彼の隣に立つ黒衣の男は、その一言に込められた複雑な感情を察して頭を下げる。
「現場に残って詳細を確認出来ればよかったのですが、申し訳ありません」
「いや、構わないよ。これは相手の力量を見誤った俺のミスだ」
秘密結社ライブラの二番手であるスティーブンが独自に抱える特務部隊。リーダーのクラウスですら……否、クラウスだからこそ知らされていないそれを使い、スティーブンはライブラの内部調査に代表される、独自の諜報・暗躍を行っている。
制限も多いが、間違いなく少数精鋭と言える彼の私兵達。それが任務にしくじるのは、HLに確固たる足場を得て以降は初めてのことだ。スティーブンの副官である黒衣の男はそれを十分過ぎる程理解し、悔やみ、しかし謝罪ではなく次を見据えた会話へと繋げる。
「二度目に発見された際の様子を見る限り、これ以上の監視は難しいかと」
「ファン、君であってもかい。困ったな、部隊には君以上に諜報に長けた者がいないからなぁ」
「消極的な監視程度であれば可能ですが、探偵でも出来る範囲のものとなりましょう」
つまり、数の少ない精鋭を張り付けて行うべき任務ではないということだ。スティーブンは副官の能力と性格を信頼しているため、その提言を素直に受け入れる。どの道、先日この部屋で起きたホームパーティー……に見せかけた襲撃。その後始末が終わるまで、ファンの手が空いていたから任せただけの任務なのだ。
そしてその結果は、殆ど白に近い灰色。ヘルメス流における認可が正式なものかなど、コルネリウスの身辺情報は調査済みで問題なし。仕事に関しても裏社会と関わりがあるだけで、世界に対する害意は見られない。肝心の電子魔術書についても、クラウス経由でガセネタだったとわかったばかり。そしてヘルメス流への隔意は、スティーブン個人の感情でしかない。こうなってしまうと、コルネリウスの調査よりも優先すべきことは無数にあった。
「……ここまで、だな」
スティーブンはコルネリウスについての情報を、頭の中の未解決欄。その一番下へと放り込み、副官へ調査の凍結を宣言する。
「だがね、ファン」
「はい」
「俺はやっぱりヘルメス流が嫌いだ。次に備えて――」
「それはその時考えましょう」
おそらく、凍結を宣言した。
普段と異なる光景というものは、変化する前のそれを見慣れている程に違和感が大きくなる。
つまりコルネリウスの目の前に山と積まれた裁可待ちの書類は、違和感の原因であり、吸血鬼の精神に多大な打撃を与える武器であった。
コルネリウスはその書類を持ってきた上、サインを貰うまでこの場を動かないとばかりに机の前に立つカルベストを見る。
「念のために聞くが、これは?」
「オーナーが蛇咬会から有利な手打ちを引き出したことと、蛇咬会の謝意代わりの協力によって急激に増加した、新事業への加入願いとそれに伴う各種手続きです。前回は提携に留まった事業主の多くも新会社による庇護、もとい参加を求めており、書類は当社比で前回の四倍となりました」
「連中、俺が求めていることを知って、利益が少ない部門を上手く売りつけてきやがったな」
冷静な、そして冷酷な言葉に打ちのめされつつ、コルネリウスはペンを取る。
「組織再編に合わせた妙手かと。新首領は武骨で交渉下手だと思っていましたが、そうでもないのですね」
「いや、それで合っている。この部門から撤退する判断をしただけで、うちへ渡すことは誰かの献策だろう。あの蛇人は部下の話はきちんと聞くし、なにより自分達に必要なものとそうでないものがわかってるからな」
神性存在を呼び出せる書物を、惜しむ素振りすら見せずに焼き捨てて見せた蛇人。コルネリウスがそれを悔やまないのかと聞いてみれば、管理出来ぬ力は不要と端的に返した新首領。
人界で蛇口会と名乗っていた組織は、異界と交わる際に蛇咬会へと名を変えたそうだ。過ぎた力に惑わされ、失われた有為の人材の数々。その穴を彼等が埋める現状を考えれば、合併を決断した前首領には先見の明があったのだろうとコルネリウスは思う。
「欲を言えばサインが少なくなるよう取り計らって欲しかったがな」
「こればかりは諦めて下さい。そう定められているのですから」
不満を見せないカルベストに、コルネリウスは違う生き物を見るかのような目を向ける。事実、違う種族であったが。
「そもそもだ、HLは何かをする際の書類が多過ぎる。俺達の場合は本国だけでなく、EUにまで届け出が必要とはどんな嫌がらせだ」
「名目上は必要ないとされてますよ。実際には各種保険の適用や、街を出た際の取締りで報復を受けますが。その点では我々異界人は、HL行政向けだけで良いことが大半なので楽です」
「それはそれで不安なのが、この街の恐ろしいところではあるがな」
なにせHL行政などというものは、奇跡的なバランスの上に成り立つ政治権力だ。国家や諸勢力がどうこうだけでなく、ある日通りすがりの神性存在に市庁舎ごと消し飛ばされ、全てがリセットされかねないという意味でも。
「今なら反射的に、各種手続きを簡易化する主張の候補者に票を入れる自信がある」
「その手の候補者の八割程度は反米主義者ですよ。当選しようものなら、米国のハワード上院議員がHLに何度目かの派兵案を出しかねません」
「候補者の問題はともかく、それは季節の風物詩だろ。あー、本気で票の取り纏めでも狙ってみるかな……」
「では、良い候補者を見繕っておきましょうか。データは少なくともそれと同程度の量で、伴う作業もサイン一つでは済みませんが」
「しかも結実するとは限らないってか。夢の無い話だ……」
オフィスには暫く、ペンを動かす音とコルネリウスの愚痴。そしてそれを宥めるカルベストの声だけが響いたという。
ちょっと繋ぎ気味の章
ファンさんの口調はB2B二巻の台詞が彼のものか不明瞭なので困る